2012/04/30

デザインの世界観をいかに継承するか:G2R "BLACK KIWI" (1)

以前に友人から頼まれて、


いくつか革でバッグを作りました。

そのうち、去年の10月ごろに作ったフロントバッグG2のオーナーと、これと世界観を同じくするリアバッグを作るとしたら、どんなものになるだろうか?というお話を進めていました。

以前に製作した自転車用フロントバッグG2。
G2というのは第2世代、という意味の単なる型番です。
しかしその後しばらくまとまった量の革が手に入る機会がなく、型紙だけ完成させて最近まで延び延びになっていたのですが、ようやく実際にとりかかるところまできたというので、今回日の目をみることになったのです。

今回のものは、前回作ったものの世界観を用いて作ることになります。
読者のみなさんも、「自分ならどうデザインだろうか?」と考えながら読みすすめてみてください。

文芸の世界で続き物をつくるというのは、前作をうまく継承しなければならないために、ゼロから創作するものよりも条件や制限が多くなりますね。

しかしそのとき、作品を規定する枠を「制限」と呼ぶと、どうしても狭苦しい印象を持たれがちです。
ところが、制限なんてものがなければもっと良いものが作れるのに!とばかりに、部屋に入りきれないキャンバスを特注で作らせたり、高い画材を調達してきたからといって、その作品の質が良くなったりはしません。

もっとも、1週間ぶりに覗いた晴れ間を水彩画で表現したいのに、青も水色も絵の具がなければ困ってしまいますが、この場合には、当人の目的によって、ひとつの原則がかたちづくられているからこそ、それに照らすかたちで「足りないもの」が明らかになっているに過ぎないのです。

創作活動に必要不可欠なのは、実のところそれを取り巻く制限を取り払うことなのではなくて、これから取り組もうとすることについての像をより深くすることであり、より強い目的意識を持つことであり、より明確に原則を意識するということなのです。

制限というものが与えられているということは、目的像が絞りこまれているということでもあるのですから、創造性を阻害することはむしろ稀なのであって、その制限の中でいかに最高のものをつくることができるかという意味で、作り手当人の創造性がより問われることにもなるわけです。

◆◆◆

今回の創作活動の条件を確認する前に、これまで作ってきたものをおさらいしておきましょう。

読者のみなさんも、わたしの身になって(観念的に二重化して)、さて、これから新しい創作をするにはどうすればいいかな?と考えを進めてみてください。

これまで作ってきたのは、フロントバッグばかりでした。


例外的に、普段使いのバッグを自転車にも括りつけられるようにしたもの(サイドバッグ)もありましたが、自転車キャリア専用の、あくまでも自転車で荷物を運搬するためのリアバッグをつくるのは初めてです。

その中で今回は、以前に作ったG2の世界観を共有するものでなければなりません。
フロントバッグの場合は、ハンドルの間に入って、しかもハンドルを握る手にも当たらないかたちでなければいけませんから、さほど大きなものにはなりません。

ところがリアバッグの場合には、自転車本体に備え付けられた後ろのキャリアに載りさえすればいいのですから、そのかたちにあまり大きな制限はありません。


しかし先ほど確認したように、制限がゆるいということは、それだけ考えるのが難しい、ということでもあるのです。

◆◆◆

そのことを整理して、考えてゆく筋道を立てるために、オーナーとわたしとで、以下のようなまとめを作りました。


前(フロントバッグ)も後(リアバッグ)も「キウィ」というモチーフを使うことなどでは一致していますから、このうち今回は、「尻尾」や「ハニカム」といったモチーフを、いかにふくらませて盛り込んでゆくかが鍵なのだ、ということになりました。

なぜにハニカムが突然出てきたのか?といえば、自転車用のキャリア(荷台)のナナメにぴったりと這わせるためには、そのようなかたちが一番合理的だと考えたからです。


◆◆◆

そのように考えてみて、だいたいの条件が決まりました。
・ひとつに、G2の世界観を継承していること。
・ふたつめに、リアキャリアにふさわしい「尻尾」、「ハニカム」といったモチーフを含んでいること。

世界観の継承、というのにはいろいろなやり方がありますが、一般的に言えば、
「具体的なものをいったん抽象化したのちに、別の要素を加味しながら具体化しなおす」
ということだと考えればよいでしょう。

その第一の否定のために、G2の顔の部分をシンプルな直線を使って単純化したものは、このようになりました。




この理念型を下敷きにして、ひとまずは最もシンプルなところから考えてみようと思い、わたしは「ハニカム(六角形)だけ」を使ったデザインがありうるかどうかを確認しました。

試作001
画像を拡大すると、たくさんのハニカムの下敷きになるように、G2の理念型がうっすらと見えることがわかってもらえると思います。

えらく変なデザインだなあ、と思われるでしょうか。そうですね。
ですが、新しいデザインを、なんらかの合理性を手がかりに探求してゆく時には、こういったところから進んでゆく必要があるのです。

さて、ではどうすれば良いデザインになるでしょうね。
それを考えてみてください。


(2につづく)

2012/04/26

I'll be right back.

終わりました!


今回も後ろ姿ですみません。まだオーナーに渡していないので。

10日間で2つ革バッグを仕上げたのは初めてです。
ゴールデンウィークまでに間に合わせようと必死で進めたら、1週間余りました。
やればできるもんですね。もう一度やりたいかどうかは別問題ですけども。

あしたは研究が終わったら最後の仕上げをちゃっちゃとやって、積み残しを書きに来ますね。

あしたも朝から走りこみなので、今日は早めに寝ることにします。
たいへんおまたせしました。

2012/04/20

文学考察: 若杉裁判長ー菊池寛

遅くなりました。


時間というのはあっという間に過ぎてしまいます。
身の回りがごたごたしているときほど身を引き締めねばいけませんね。


◆文学作品◆
菊池寛 若杉裁判長


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 若杉裁判長ー菊池寛
刑事部の裁判長をしている「若杉浩三」は、罪人に対して強い同情心を持っていました。その為に若杉は罪人たちをなかなか憎めず、彼らの動機を聞いて汲み取っては寛大な処置を常に施していました。
ところが自分の家に強盗が押し入ったことで、妻や子供たち、そして若杉自身の心に大きな傷負ったことをきっかけにそんな彼の思想は大きく変わってしまいます。そしてある時、彼は悪戯心で富豪の家の門に癇癪玉を投げ入れた少年の裁判で、禁錮1年という普段の彼らしからぬ判決を言いわたし、その場を後にしました。
 
この作品では、〈罪を憎むあまり、かえって罪人を許せなくなっていった、ある裁判長〉が描かれています。 
若杉は別に罪を憎んでいない訳ではありません。寧ろ、ある警官が自分だけ罪人を捕まえず手ぶらで帰る気まずさから、またまた反抗してきた青年を捕まえて警察署に送る場面を見て、憤る程の正義感は持っていました。ただ彼は罪人そのものに対しては強い同情心をもっており、厳しい判決を言いわたすことは出来なかったのでしょう。そこで彼は、文中の「この少年の犯罪は、これ少年自身の罪にあらずして、社会の罪である。」という箇所からも理解できるように、罪人と罪そのものを切り離して、罪そのもの(罪人が犯行に至った原因)を憎むことにしたのです。
ですが、若杉は自身の家が強盗に襲われた事でこの考え方を一変させます。金品は盗まれなかったものの、彼は犯罪者に襲われる恐怖を知り、罪人と罪とが切っても切り離せない関係にあることを身をもって理解しはじめます。そして次第に彼は罪人と罪を切り離すという考え方をやめ、罪人と罪、両方を憎むようになっていったのです。

◆わたしのコメント◆

あらすじについては論者がまとめてくれているとおりです。

若者らしい正義感を持ったまま裁判長となった「若杉」が、罪を憎んで人を憎まず、という価値観を、自身の身に降りかかったある事件をきっかけに一変させるまで、を描いている作品です。

わたしはいつも、論者の評論をまずは一般性から読みますが、今回の評論について、論者の引き出した一般性を見ると、「罪を憎むあまり、かえって罪人を許せなくなっていった」とあるのを見て、「なんだかおかしいな?」という感想を持ちました。

というのは、論証部を読む前にここを読むと、「罪を憎む」ことの度が過ぎるのならば、「罪人を許せなくなる」のは当然なのに、なぜそれらを「かえって」ということばで繋いでいるのだろう?という違和感があったからです。

「かえって」というからには、「可愛さ余って憎さ百倍」などということわざに代表されるように、あるものの度が過ぎるあまりに対立物へと転化してしまうという運動法則を示しているはずですが、論者の指摘していることは、一見すると単に量質転化を扱っているように見えますからね。

◆◆◆

その疑問を抱きつつ論証部を読むと、なるほど論者は、「罪」というものと、「罪人」というものを、対照的に扱っていることがわかります。
「罪を憎んで人を憎まず」ということを、あれかこれかの関係で考えて、「罪を憎む派」と「罪人を憎む派」とが相容れない関係にあるものとみなすと、「罪」と「罪人」が対立物として位置づけられることになりますから。

そういうわけで、論者の「かえって」の使い方が間違いではないことはいちおうわかるのですが、だからといって手放しで合格をあげられるかというと、残念ながらそうではありません。

ここで問題となっているのは、主人公である裁判長「若杉」の世界観についてです。
特に、彼が「罪」というものをどう考えているか、ということです。

「若杉」の世界観では、「罪」と「罪人」があれかこれかの関係として扱われているわけではありません。
彼は学校を出て以来、「罪」というものを考え続けていたのは間違いなく、その罪にふさわしい処罰を与えることをこそ責務としてきたのですが、その肝心の「罪」というものの扱い方が、抽象的な、つまり観念的で頭でっかちなものになっていなかったかどうか、ということを、自宅へ盗賊が侵入したことによって考えさせられているのです。

次の箇所を見てみましょう。
若杉さんを襲った賊、それは罪名からいえば、窃盗未遂でした。が、一家に及ぼした悪影響を考えれば、身の毛もよだつほどです。夫人が、それから受けた激動のために発熱し、その発熱のために衰弱して、ついにはそのために殪(たお)れるようなことがあれば、かの盗賊は形式はともかく、明らかに夫人を殺したのです。
◆◆◆

ここで、彼において「罪」というものが、どのように扱われているかわかりますか。
「罪か罪人か」というあれかこれかの関係として扱われているでしょうか?そうではないでしょう。

わたしたち人間は、目の前の現実が自分の思い通りのものでなかったり、より良くできる余地があることを見つけると、頭の中に「こうだったらいいな」、「こうなればいいな」というひとつの目的をもって対象に向き合うことになりますね。
どんな行動を起こすときにも、その前には必ずある目的意識が働いています。
そのように自分の思い描く結果をもたらすために、思い思いの結果が生まれるような目的像を持って対象と向き合いますが、その目的というのは、必ず達成されるとは限りません。

たとえば意中の女の子の気を惹こうと思って花を摘んできたら、その花を見た相手がカンカンになって怒ってしまった、ということだってあり得ます。
この場合はアザミの花言葉が「復讐」だった、という事実を知らなかったことが失敗を招いたからですが、考えたままの合理性が実際の合理性とはかけ離れていたということもあるのです。

ある人間が犯罪を犯す場合にも、このことは言えるでしょう。
犯人が物取りに入った動機が、たとえ自分の子供に飯を食わさねばならぬ、などといった止むに止まれぬ事情によるものであったとしても、作中の若杉のような産後で衰弱している妻と三人の子供を抱える立場であれば、その動機だけをもって情状酌量をするわけにもゆきません。

当人の動機というものは、実際に刑罰を決める時にも厳しく問われる問題ですが、それでもなお、事情はともかく、意図したか意図しなかったかはともかく、自らの行動が人の心や身体を害したのなら、しかるべき罪を受けねばなりませんから。

◆◆◆

事件が起こる前には若杉は、裁かれている当人に悪意があったかどうか、ということだけを主眼においていました。

このような考え方からすると、どれだけの結果が起きた時にも、当人にさほどの悪意がなかったり、止むに止まれぬ事情があったり、ほんのいたずら心からのものであったのなら、そのことを汲み取った上で情状酌量をすべきである、ということになります。

しかしこういった罪についての考え方は、盗賊が侵入し自分のみならず家族の精神が傷つけられたといういまや、「罪人の側からのみ、罪を考えていたのではあるまいか。自分の目の前に畏まっている被告が、いかにも大人しく神妙なのに馴れて、彼らが被害者に及ぼした恐ろしい悪勢力については、なんの考慮をも費やさなかったのではあるまいか。」という疑念を呼び起こすに十分なものになっているのです。

整理して言うならば、彼はここで、「罪」というものは「罪人」の側から見ただけのものなのではなくて、かといってその「被害者」から見たものなのでもなく、その双方を統一した「関係性」にこそあるのだ、ということに改めて気づきはじめているのです。

しかし罪の及ぼす影響を、「骨身に滲みるほど」に感じさせられたところの彼は、対立物を統一して考えるところからさらに進んでしまいます。

それは、若杉裁判長の、今まで懐いていた罪悪観を、根底から覆してしまいました。彼は、被害の翌朝、世の中の犯罪者一般に対する憎悪が、初めて自分の心の中に湧き出るのを感じました。が、若杉さんは、自分の感情の転換が、あまりに自分本位の動機から出ていることを心苦しく思いました。が、転換したのは、若杉さんの感情ばかりではありませんでした。若杉さんの思想もある転換を示して、最初に変った感情をぐんぐん裏づけていきました。

これがどういった変化かわかりますか。
<対立物への転化>というものでしたね。
ここまでわかったのなら、それを作中の表現を使った一般性として引き出せばよいことになります。
論者の認識は、とても惜しいところまで近づいているようですが、もう一歩進めて考える余地があったようです。

またここは言い換えれば、若杉の思想の転換というものが、第一の否定の段階に達した、ということもできます。
ひとつの文学作品では、登場人物の思想があれからこれへ、これからあれへと揺れ動くことは珍しくありません。

それを表現する者の立場からすれば、その感情の揺れ動きがどのように表現されていれば、「なるほど、このようなことがあれば考え方が一転してもおかしくないだろうな」と読者に感じてもらえるのかという視点から、学んでおく必要がありますね。

2012/04/19

更新遅れがちですみません

お約束していることがいくつかありますが、期限のあるものから順番にこなしているので、もう少しお待ちください。


ひとつは、今さっき終わりました。
みなさんへのお披露目はゴールデンウィーク(5/3ごろ)になると思います。

そのほか今後の予定として、
これの他に、もうひとつ作るものがあります。(こっちも本人に届けてからお披露目)

あとは、ようやく落ち着いて指定したい参考文献を探し当てたので、「科学とは何か」というお題についてのお返事を4月中にすませましょう。

能力が半分くらいでもいいから、身体がもうひとつあったらなあともどかしいです。
あしたにもまた更新できると思いますので、21時すぎに見に来てください。

2012/04/13

文学考察: 屋上の狂人(修正版2)

ここのところ落ち着いて記事を書けないので、


わたしの周りにいる学生さんには個別に連絡をするだけになってしまっています。

それでも、よっぽどの大問題がある場合には寝不足だろうがなんだろうが「これではいけません!」としっかり伝えておかねばなりません。
ですから時間はなくとも、そういったことの必要がなくて平穏な日々を送っているということは、ある意味で健全でもあります。
日々の修練をちゃんとこなしてくれていることを確認して、「なるほどそのとおり」で済むときには、これといった記事にする必要がありませんからね。

ところがそういう場合には、ここのBlogだけを見に来てくれている方からすると、「あの手厳しいコメントをもらっていたレポートは無事に完成したのだろうか…」と心配されかねません。

ゼミや道場などの、直接的な修練の場では、同胞の面前で叱り飛ばしたあとに、当人だけをこっそり誘って横に並んで同じ方向を向いて、夕食を食べながら、どこがいけなかったのか、どうすれば良くなると思うかを議論したりするということが珍しくないのです。

こういう経験を通して、指導される側は、叱られたからといってなにも人格を否定されたわけではないのだ、それだけ目をかけてもらっているからこその叱責なのだ、指導者という立場と個人の感情は別のものなのだ、ほんとうの指導者というのはそれを切り分けて演じているものなのだ、などなどのことが、しだいしだいに身にしみてわかってゆくことになるのです。

しかしこういった場での発表は、どうしても結果だけをずらっと並べることしかできません。
今回の記事の意図はそういった方に、心配ご無用ですという目的で書き始めました。

そういうわけで、いつもより細かな問題を扱っています。
ですので、一般の読者の方は、個別の知識に深入りされる必要はありません。
論者にとってはそうでないことは、わかってもらえていますよね。


◆文学作品◆
菊池寛 屋上の狂人


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 屋上の狂人(修正版2)
身体に障害を持っている狂人、「勝島義太郎」は毎日屋根の上にのぼり、雲を眺めていました。彼曰く、そこには金毘羅さんの天狗が住んでおり、天女と踊っていると言うのです。この義太郎の狂人的な性質に、「彼の父」は日頃から手を焼いていました。そこで彼は、近所の「藤作」が「よく祈祷が効く巫女」がいるという話をもちかけた事をきっかけに、早速その巫女に祈祷を依頼します。そして彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の身体にのりうつり、「この家の長男には鷹の城山の狐が懸いておる。樹の枝に吊して置いて青松葉で燻べてやれ。」というお告げを彼らに残しました。そこで父らは気は進まないものの、神のお告げならばと義太郎に火の煙を近づけます。そんな中、義太郎の弟である「末次郎」がたまたま家に帰ってきました。彼は父から事の次第を聞くと憤慨し、松葉の火を踏み消してしまいます。そして事の発端である父を諭し、巫女をその場から追い払いました。その後、弟に救われた兄は何事もなかったかのように、屋根にのぼりはじめます。そんな兄を弟は労り、2人で同じ夕日を眺めるのでした。 
この作品では、〈狂人であるあまり、かえって不狂人以上の信仰をもっている、ある男〉が描かれています。 
この物語は義太郎の家族がそれぞれの意味で使っている、「神」という言葉を軸に話が進んでいます。ですから一度、各々が考えている言葉が指しているものはどういうものか、一度整理してみましょう。
まず兄の義太郎ですが、彼の考えている「神」とは雲の中の金毘羅さんの事を指しています。それは彼にとって絶対的なものであり、何をさしおいても優先すべき対象なのです。
一方、彼の父を含めた家族の「神」とは、彼以上に曖昧なものでした。その事は、巫女が自らお金を稼ぐため自らの祈祷によってつくりあげた、「偽りの神」にまんまと騙された事からも理解できます。また、彼らが祈祷によって騙されたという経験は、弟の「またこんなばかなことをするんですか」という台詞からも理解できるように、この一度だけではなさそうです。つまり、父たちにとって「神」の存在はどうでもよかったのです。ただ兄の狂人的な性質をなおしたいが為にすがっただけの、言わば手段のひとつでしかなかったのです。ですから彼らはその信仰心の無さから、これまでにも形は変えながらも人々がつくりあげてきた「偽りの神」に騙され続けてきたのです。
そして、こうした兄とその他の家族を傍にいながら冷静に比較している人物がいます。それが弟の末次郎その人です。というのも、彼は物語のラストで兄と夕日を眺めている際、「不狂人の悲哀」を感じています。これはどういうものなのでしょうか。その時の彼の頭の中には、理不尽に火を燻べられながらも、騒動が終わるとまたすぐに屋根にのぼった兄の姿が印象的に残っています。そこから彼は、巫女に騙さたとは言え常軌を逸した行動をとった父たちと、狂人とは言え自らの信仰心によって屋根にのぼっている兄、果たしてどちらが本当の意味で狂人なのだろうと考えていったのでしょう。ですがその一方で、そうした兄の不狂人以上の信仰心という一面を知った末次郎は、その時、兄との絆を同じ夕日を見ることでその絆を一層強いものにしてもいるのです。

◆わたしのコメント◆

今回の評論は、前2回の評論へのコメントを受けて書きなおしてもらった、3回目の評論です。

前回のコメントの最後に、わたしはこう書いておきました。
一般性についても書いてしまおうかと思いましたが、ここでは書かないでおくことにします。
神についての対照的な立場を主眼に置けば「相互浸透」、事件をきっかけに兄弟の仲が深まったことは「量質転化」、狂気が正気に通じているというのは「対立物への転化」、などなど、法則性はいくつか見つかりますから、そのどれを一般性として表すかというのは、なかなかに難しいものがあると思います。
しかしそれでも、しっかりと理解しておく必要のある作品であることには変わりがありません。
それだけにこの作品は、立体的な構造を持っているからです。
焦る必要はありませんから、後回しにしてでもじっくりと物語に取り組んで、論者自身の手で書いてもらえることを願っています。
◆◆◆

論者は今回、作中の「対立物への転化」を一般性として引き出すことにしたようです。
〈狂人であるあまり、かえって不狂人以上の信仰をもっている、ある男〉
なるほど、これならばこの作品がすっきりと筋道を立てて読みこなすことができますね。
はたして、わたしからのお願いは果たされました。

初出の評論でこの一般性が提示されていたのなら、わたしは嬉しさのあまり外を走りに行ったでしょう。

◆◆◆

しかし今回は、「よくできました」と言うだけでなくもう少し先を、というお約束ですから、細かな表現について少し突き詰めて考えてみましょう。

「狂人であるあまり」の「あまり」という表現は、より適切なものを探す必要がありそうです。
ここでの「あまり」というのは、たとえば「可愛さ余って憎さ百倍」といったように、「可愛いと感じすぎて」、つまりあるものが過度に高まりすぎて、ということを言っていますね。

しかし、「義太郎」の狂人という性質は、なにも作中で高まりを見せていったわけではありません。
彼の狂人ぶりは、徹頭徹尾変わらないのでした。
そうすると、ここでの表現には量質転化の意味合いを含めるのは正しくないことになりますから、恒常的な表現を使って、「狂人であるゆえに〜」とするのがよいでしょう。

ただ、論者が「狂人の中でも、その声質の程度が特に高かった「あまり」」という意味合いを込めたかったのであれば、「狂人でありすぎて〜」とするのがよかったことになります。

◆◆◆

ただどちらの場合も、こういったふうに推敲が必要な箇所に「おや?」と気づくのは、理性的・論理的な見方を随時しているからというよりも、感性的な認識からであるということは断っておきたいと思います。

感性的な認識を高めるためには、という上達論は以前にも書いた覚えがありますので簡単に触れるにとどめますが、あらゆる部分を細く論理の光を当てながら読んでいるうちに努力の必要が少なくなってゆく行き方と、目的意識なしに個別の対象との数えきれないほどの関わりあいの中で自然成長的な技として身につく行き方があります。

前者は感性→理性→感性という過程、後者は感性から媒介を含まずに質的に高い感性的な認識へと登ってゆく過程を持っています。
後者の場合は、たとえば幼少の頃から読書家の両親のもとで育ったときに国語力が自然成長的な高まりを見せる、などといった場合ですが、すでに物心のついた、つまり一定の価値観を持ってしまっている我々にとっては、前者の過程を選ばなければならない場合がほとんどです。

私の両親は偉大だから超える必要はない、という場合はさておき、持って生まれた能力以上の力でさらなる高みを目指すためには、目的意識性でもって、自然成長ではない認識と論理を身につけてゆかねばなりません。
そのためには、それ相応の努力が必要なのはもちろんですから、三浦つとむが残している、認識と言語の理論を少しずつでも自分のものにしていってほしいと思います。

◆◆◆

そうして身につけた力は、いったいどのように働くのかを、評論中の表現を一例をもとに書いておきましょう。

たとえばこの箇所です。

そして彼女が祈祷をはじめると、なんと神様が彼女の身体にのりうつり、「この家の長男には鷹の城山の狐が懸いておる。樹の枝に吊して置いて青松葉で燻べてやれ。」というお告げを彼らに残しました。

あるていどの国語力が備わっている人にとっては、どのような間違いであるかを指摘できるかできないかはともかく、この箇所の表現は違和感の残るものになっています。

「おや?」と気づくためには感性的な認識が一定段階に高まっている必要があり、その誤りを正しく指摘し、どのような表現であればより適切なものになるのかを指摘するためには理性的な認識が必要というわけです。

ではどこをどう直せば良いのかと言えば、「なんと」という感嘆表現を文頭に置くときには、文章の締め方もそれに合わせたものにする必要がある、ということなのです。

論者は「なんと」という感嘆表現で、その後に続く文を強調したかったのですが、そうすると、文末は、「残しました」ではなく、「残したのです」としなければ、違和感の残る文章表現になってしまいます。
それは結論から言えば、強調の表現が片手落ちになってしまっているからです。

「残したのです」という表現はおおまかに言って、まず「残した」という事実を確認したあとに、そのことを形式名詞「の」で固定化して捉え返したのちに、もう一度断定の「です(だ)」で文章を締める、という構造を持っています。

「〜だ」という表現にたいする「〜なのです」も、これらと同じ関係にあり、後者は、まずは「だ」と断定したことを「の」固定的に捉え返したのちに、さらに断定「だ」の丁寧な表現である「です」を用いているのです。
これは、「だ+の+だ」となり、「だ」を一回用いるよりも文意を強調するときの表現になっているわけです。
一回目の「だ」が「な」に変わっているのは、口語表現のときに言いにくいからです。

ほかにも今回の場合なら、「なんと」ではじめて、「お告げを彼らに残したではありませんか」という形での強調でもよいでしょう。

◆◆◆

ここまでの説明を、無理に極意論的に言えば、「なんと」と書き始めた時には「なのです」と締めるべし、などと言えばよいことになり、これは受験勉強の際には効果的に作用しますが、受験勉強アタマなどでは新しい道を開拓するどころか、むしろそこへの第一歩から踏み外していますから、こういった幼稚なまる覚え根性は棄ててください。

残念ながら必要に迫られて受験勉強アタマが身についてしまった人は、過程を飛ばして覚えこまされてしまった過程をこそ、自らの足で逆向きに辿ってみる修練を欠かさずにやってください。
一般教養の過程的な構造の解明にこそ、本質に辿り着く鍵があるのです。
応用研究を無数に積み上げれば本質に辿り着けるはず、というのは幻想です。

鉢植えにしたアサガオが、一見すると水をやっているだけでなぜあそこまで大きくなるのか、つまりあれだけの質量をもった個体にまで成長するのかという過程を合理的に説明できないままでは、植物学を専攻しているとは言えないのと同じです。

わたしたちの目指しているのは、あくまでも対象に潜んでいる過程、つまり法則性、論理構造の探求なのですから、当たり前に見える事実の中に、どのような合理性が潜んでいるのかを突き止めてゆかねばならないわけです。
人の集めた事実を我が物顔で誇るという誤りに陥ることなく、自ら新しい事実を見つけることのできる見る目を養わねばならないのです。

そのためにすべきことは、というのは上でも述べましたので繰り返しません。
文章表現をする際にも、ここはこのような意味を込めて、あらゆる選択肢の中からこれを選んだのだ、というしっかりとした根拠を探して歩んでゆかねばなりません。

他人が一足とびに飛び越えてしまうところを、何回も崖から転げ落ちて何倍もの時間をかけて谷底から這い上がってくるのには、当然ながら何倍もの時間と努力を要しますが、その努力は何よりも、自分自身を決して裏切りません。

2012/04/05

文学考察: 小説家たらんとする青年に与うー菊池寛

今回の評論は、


めずらしく論者自身の見解があるようです。

ところでわたしがノブくんにやってもらっているのは、通常の意味での「評論」ではありません。
ひとつの作品から一般性を引き出すことを重視しているのは、作品の論理性を理解してほしいからです。
この、作品に忠実に、その根底の流れを深く読み、引き出す、という営みには、論者自身の見解や主張などというものは含まれないのがふつうです。

そういう原則からすれば、今回は通例とは外れていますが、論者の感情も理解できることもあり、「感情的に反論するとは何事!」とは言っていません。

◆◆◆

しかし、人間には感情があるというのが当然である、というのは、わたしが上のようなコメントをしなかった理由ではありません。

感情があるから少々の行き過ぎも許されるというのなら、理性などというものがなぜあるのかがわからなくなってしまいます。

浮気しても物を盗っても、はたまた人を殺してもいいじゃない、誰だって感情があるもの。

そんな苦しい言い訳をするしかなくなる前に、しっかりと理性を働かそうではありませんか。
だって、わたしたちは他でもない人間ですからね。

感情のままに行動するものを人間とは呼べません。
理性を振りかざすあまりに有事に感情的に振る舞うのも、一人前とは言えません。
自らに揺れ動きうる感情があることを正面から受け止めて理性的に行動できるような存在が、立派な人間なのではないでしょうか。

そういうわけで、手厳しいコメントをしなかったのは、感情的な反論も、ひとつの道を目指すための、またひとつの人格を養うための、必要不可欠な過程だと考えているからです。
この第一の否定を認めるのは、当然ながら、より高い次元のものとして止揚されてゆくことを期待してのことですから、人から叱られなくともしっかりと、自らの自制心・自省心でもって向き当たっておいてください。

感情があることを深く自覚するからこそ、理性的だと言えるのですよ。


◆文学作品◆
菊池寛 小説家たらんとする青年に与う


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 小説家たらんとする青年に与うー菊池寛
この作品ではタイトルの通り、小説家を志す青年に対して著者がある規則を提案しています。
それは〈現実の世界への認識が浅い20代前半のうちは、小説を書くべきではない〉というものです。というのも、小説が現実の世界の事柄を材料にしている以上、人間の細やかな心情を理解したり、複雑な人間模様を捉えることの出来る眼力、そしてその眼力によって見てきたものを整理する能力のないうちは、小説を書いてもろくなものは出来ない、と彼は考えている様子。
確かに私達も恐らくはそうした人々によって書かれた、現実味に欠けている作品、或いは主張が今ひとつまとまっていない作品を駄作と称して再読することはないでしょう。ですから著者が、社会に出はじめの年代である、20代前半の青年たちにこうした訓戒めいた言葉を残しているのも納得できる話です。
では、私達は小説というものをどのように修練すべきなのでしょうか。この作品の著者の主張では、ただ現実の生活に目を向けてさえすれば、他の小説家達の作品を多く読んで学びさえすれば、自然と小説というものは書けるのであると主張しています。しかし、誰しもが持っている素朴な実感としては、物事は見るのと実際にやってみるのでは大きな違いがあります。小説もやはり同じで、評論家のように批判はできても一流の作家の様にリアリティある文章を綴る事ができるとは限りません。駄作は駄作なりに、一度書いてみる必要があるのではないでしょうか。そうして現実と自分の作品を比較することで、自分の作品に対して欠けているところが見つかることでしょう。また、著者の重視している現実の見方も、実際に書くことで新しい発見があるはずです。
確かに、現実の世界の見方がよく分かっていないであろう人物が描く作品というものは、駄作には変わりないでしょう。ですが、その駄作を実際に書き続けない限り、傑作を書く事はできません。駄作を書くということは、著者が指摘しているように無意味なことではなく、寧ろ傑作を書くという過程の上では寧ろ重要なことなのです。

◆わたしのコメント◆

著者は、小説家を目指す青年たちに語りかけています。小説というものは、一般に理解されているような文章技術の結晶なのではなくて、実のところ、或る人生観を持った作家が、自分の人生観を発表したものなのである。良い小説というものには、その作者の人生観が現れることになるのだから、小説を書く前に、先ず、自分の人生観をつくり上げることが大切なのだ。つまり小説家を目指す若い諸君は、よく頭を養い、よく眼をこやし、満を持して放たないという覚悟がなければならない。筆者の主張はこのようなものです。

筆者である菊池寛の主張を整理して言えば、小説を書くにあたって重要なのは、それを書くための「技術」よりも、それを書くための素材集めや、そのことを通してどのような人生観を作り上げているか、つまり「認識」のほうなのだ、ということになります。

おさらいをしておくと、人間があるものを表現するときの過程的な構造は、以下のとおりでしたね。

対象→認識→表現

一般的な読者の見方では、小説の面白みはその表現にあることから、小説家というのはとにかく「文章表現の巧い人」なのだ、というイメージが先行しがちです。
思ったことを、文章というかたちにできる人、というわけですね。
これは上の図式で言えば、認識から表現に至る2つ目の矢印に当たります。

しかし筆者によると、小説の本質は、そういった文章の技巧にあるのではなくて、小説を書く者が持っている価値観、つまり認識にこそあるのだ、というのです。
こちらは図式で言えば、1つ目の矢印を指すことになっています。

◆◆◆

筆者の考える小説家の条件が表現にはないことは先程述べたとおりですが、表現の過程的な構造を手がかりに筆者の主張を敷衍して言えば、筆者の主張する力点は、「対象」にもない、ということがわかります。

これはどういうことかといえば、例えば大災害や戦争、悲劇的な別れや運命的な出会いといった、ふつうでは体験することのできない経験を積んだ人は、その経験値から言えば優れています。
しかし筆者の考えでは、「対象」、つまり個別の経験の内実がいかなるものであったとしても、それを受け取る側の条件が整っていなければ、それほど深い意味にはならないのだ、つまるところ良い小説は書けないのだ、ということが言えるでしょう。

では受け取る側の条件とは何かといえば、「人生観」です。
これだけ短い短編の中に、「人生」や「人生観」ということばが何回出てきたのかを数えてみてください(Macをお使いなら、command+Fで文中を検索できます)。びっくりすると思います。

そんな筆者のいうところを見てみましょう。
そういう青年時代は、ただ、色々な作品を読んで、また実際に、生活をして、自分自身の人生に対する考えを、的確に、築き上げて行くべき時代だと思う。尤も、遊戯として、文芸に親しむ人や、或は又、趣味として、これを愛する人達は、よし十七八で小説を書こうが、二十歳で創作をしようが、それはその人の勝手である。苟(いやし)くも、本当に小説家になろうとする者は、 須すべからく 隠忍自(いんにんじちょう)して、よく頭を養い、よく眼をこやし、満を持して放たないという覚悟がなければならない。
ある人生観が定まった時には、そこを通るどのような経験もが意味深なものとして輝いて見えるために、小説を書く立場からすると宝の山なのだが、それはもちろん、ひとえに「人生観」が授けてくれる賜なのだ、ということです。

◆◆◆

論者がこの作品の一般性として挙げている規則は、たしかに作品の冒頭で括弧書きで表明されていますが、これは極意論、つまり筆者の主張の論理的帰結として表明される結論でしかないものですから、この作品の本質ではありません。

本質はあくまでも、「小説というものは、或る人生観を持った作家が、世の中の事象に事よせて、自分の人生観を発表したもの」である、ということなのです。

鈍才を自認する論者からすれば、おそらく天才肌であろう筆者が、とくに何の苦労もなく数々の名作をものしたことが羨ましく思われて、思っていることをかたちにする、つまり自らの認識をあまさず表現するための「技術」というものも、それはそれは困難なものなのだ、ということを言いたいのでしょう。

その気持ちは、理性的にはともかく感情としてはよくわかります。
ましてやわたしのところに出入りすると、毎日毎日、基礎修練だけやっていなさいと言われたように思われる日々もあったでしょうからね(今ではそんな素朴な実感ではないはずですが)。

しかし振り返ってみれば、小説家を志して今日までの日々は、はたして技術だけを磨いてきた毎日であったでしょうか?
それとも磨いてきたのは、もっと本質的なものごとの見方や組み立て方だったでしょうか。

そう言われれば後者だな…と思ったのなら、それは認識と論理を修練として取り組んできた、ということになりますね。
論者がこの作品に感情的に反応して、しかもそれなりの反論をし得ているということは、実のところ、裏返し、この作品の筆者の主張が的を射ていることを示しているのではないでしょうか。

一読しての論者の実感はともかく、理性の光を当てて読むことにすれば、筆者の主張と現在の論者というのは、思ったよりもずっと似通ったものであると、そう感じられてはきませんか。


【誤】
・ただ現実の生活に目を向けてさえすれば、→ただ現実の生活に目を向けていさえすれば、
・寧ろ傑作を書くという過程の上では寧ろ重要なことなのです。→「寧ろ」の重複

2012/04/03

文学考察: 恩讐の彼方にー菊池寛

ずいぶんお待たせしてしまったことをお詫びします。


ほんとうに忙しい時には忙しいと言う暇すらない、とも言えますが、取り組んでいることに集中しているときにはそれ以外のことに手をつけると中途半端になってしまうことがあります。
ここでの記事はそれだけ大事にしていればこそなので、ご容赦いただければと思います。

取り組んでいたことは、5月までにはこちらでもご報告しますね。


◆文学作品◆
菊池寛 恩讐の彼方に


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 恩讐の彼方にー菊池寛
「市九郎」は主人である「三郎兵衛」の妾と非道の恋をした為に、主人の怒りをかい刀で斬りかかられます。ですが自身の命惜しさから、彼は脇差で主人を刺してしまいます。その後、彼は主人の妾であった「お弓」に従い、美人局(つつもたせ)、摂取強盗等を稼業として生計をたてはじめます。
そんなある時、市九郎は2人の夫婦をお弓の命によって手にかけてしまいます。この時、彼はこの夫婦を殺めてしまったことを後悔していましたが、お弓は彼とは対照的に、彼らが身につけていた櫛(くし)等の方が気になる様子。こうした彼女の浅ましさに嫌気がさし、市九郎はお弓のもとを離れることにします。
やがて、彼はこれまでの悪行を悔いるようになりはじめ、次第に真言の寺への得度を決意していきます。得度した彼は「了海」と呼ばれ、その後仏道修行に励んでいきます。そして、懺悔の心から人々を救いたいと考えていた市九郎は、やがて諸国雲水の旅出ます。その中で彼は、山の絶壁にある険しい道、「鎖渡し」という難所を渡ることとなります。そしてその難所を渡りきった時、彼は人々がここを渡らなくてもいいように、トンネルを掘ることを決心します。というのも、それこそが、彼にとって自身の大願を成就する為の難業でもあったのです。
穴を掘りはじめて19年、トンネルの完成も間近になった頃、彼のもとにある男がやってきました。それは市九郎が殺した主人、「三郎兵衛」の息子である「実之助」でした。彼は父を殺した人間はかつては父の下僕であったことを知ると、復讐を誓い、はるばる市九郎を追ってやってきたのです。彼と対峙した時、市九郎も実之助にその命を明け渡そうと考えていました。しかし、その時市九郎と共に働いていた石工の頭領が、20年に近い歳月を穴を掘ることに費やし、その完成を間近にして果てていくのは無念だろうから、トンネルの完成まで待ってはくれないかと、実之助に提案します。敵とはいいながらこの老僧の大誓願を遂げさしてやるのも、決して不快なことではないと考えた実之助は、この提案を受け入れることにします。こうして彼は市九郎の大願が成就する時を彼と共に待つにつれて、彼の内にある菩薩の心を目の当たりにし、やがては大願を果たした感動を共に分かち合うことなるのです。
 
この作品では、〈自分の目的の為に、穴を掘り続けた一人の男の姿〉が描かれています。 
この作品はタイトルの通り、市九郎に対し復讐に燃えていた実之助が彼と触れ合うことでその怨みを忘れ、やがては市九郎の大願成就を共に喜びを分かつところを軸として描かれています。では、そうした実之助の心の変化を、彼の目的と市九郎のそれとを比較することで見ていきましょう。 
まず市九郎の方ですが、彼は何もはじめから、人々を救いたいという目的をもっていたわけではありません。彼は、生きる為に主人を殺し、生きるために盗みを働き、生きる為に旅の夫婦を殺していました。そして、それらは自分の意思からではなく、「彼は、自分の意志で働くというよりも、女の意志によって働く傀儡のように立ち上ると」、「初めのほどは、女からの激しい教唆で、つい悪事を犯し始めていた」などの表現からも理解できるように、彼の行動の裏には、常にお弓の意思が働いていました。つまり彼は、「生きる為に(目的)、お弓に従い(主体)、盗みを働いていた、人を殺していた(手段)」(a)のです。 
しかし、彼女に嫌気がさして自分のしてきた事に後悔を感じはじめると、彼は真言の寺に得度し、仏道修行に励みはじめます。すると、今度は懺悔の気持ちから、真言の「仏道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心」という教えに従い、難渋の人を見ると手を引き腰を押してその道中を助け、たま病に苦しむ老幼を負います。こうした彼の心の変化から、上記にある括弧の内容も自然と変わり、「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)となります。 
ですが、彼はそうした人助けすらも、自分の犯してしまった罪の前では釣合いがとれないものと考え、より大きな苦難をさがしはじめます。その末、発見したものが鎖渡しの難所でした。この難所を発見した時、彼は早速自身の大願の為、穴をほりはじめます。そして、槌を振っている時の彼には人を殺した時の悔恨も、極楽に生まれようという欣求もありませんでした。そこには「晴々した精進の心」だけがありました。この彼の手段、及び心の変化から、括弧の中身は「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)となるでしょう。 
さて、ここまでの市九郎の行動や心の変化を、更に括弧書きした箇所を中心に整理してしていきます。括弧の中身も分かりやすいように、矢印をつけてもう一度下に記しておきます。 
「生きる為に、お弓に従い、盗みを働いていた、人を殺していた」(a)

「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)

「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)
 
次に、市九郎が具体的にどのようにして括弧の中身を変化させていったのかを見ていきましょう。まず(a)では、彼ははじめは確かに目的の為に主人を殺すという手段に至りました。ですが、美人局、強請、殺人とその行動がエスカレートするにつれて、彼の中でいつしか手段が目的よりもその意味を大きくしていったことが理解できます。またその行動の主体が、彼自身ではなく、お弓であった事も見逃してはなりません。ですが、こうして手段を優先していくにつれて、その目的を見失い、自分の行動に自信が持てなくなっていってしまいます。そして、彼はある夫婦を殺めたことをきっかけに、罪の意識を感じお弓のもとを離れていきます。
そしてお弓から離れた彼は、その罪をどうにかして悔い改めたいと考えはじめます。そこで彼は、宗教的な光明にすがり、その手段を模索しはじめます。やがて、彼は真言の教えに従い、人々を救うことが自身の懺悔につながる事を学びます。ここまでが(b)までの過程となります。また、(b)では(a)とは違い、市九郎は目的の為に手段を用いようとしています。ですが、この時点でもやはり、その主体は自分ではありませんでした。
 
しかし(c)、つまり穴を掘りはじめてからの彼は違いました。それは文中の、「人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。」という箇所からも理解できるように、穴を掘っている時の市九郎は、宗教的な教えのためにそうしているのではありません。彼は穴を掘り人々を救う行動をしている事に対して喜びを感じているのです。ここから、主体はいつしか仏道ではなく、自分そのものになっていったのでしょう。ですから、彼は作品の中で周囲の人々になかなか穴を掘ることに対して理解されず、また理解されたかと思えば再び彼のもとから離れていくこともありましたが、そうした人々の心の変化に一切動じず、ひたすら穴を掘ることが出来たのです。また、その目的も、「懺悔のため」という消極的だったものが、「人々の為」という積極的なものへと変化しています。これもまた、その主体が自分になったことからくる変化でしょう。こうして彼は、その主体を大きく変えていくことで、目的、手段を変えていき、自身の大願を成就させることが出来たのです。 
では、一方の実之助の方はどうだったのでしょうか。彼は、「父の無念の為に、自分に従い、復讐する」ことを決意していました。ところが、彼は長年の穴掘りによって傷みきった市九郎の肉体を見た時、その復讐心が弱まってしまいます。そこで彼は、「しかしこの敵を打たざる限りは、多年の放浪を切り上げて、江戸へ帰るべきよすがはなかった。まして家名の再興などは、思いも及ばぬことであったのである。」と、復讐の目的を他のものに変えようとします。そうすることで、彼はどうにかして復讐を果たそうと考えたのです。こうした考えから、彼はその目的よりも、手段にこそその重きをおいていったことにより、その目的を見失ってしまいます。またこれは、はじめの市九郎の(a)の考えと同じ構造を持っています。そして、実之助もまた自分の行動に自信が持てなくなってしまいます。そして、そんな自分と懸命に人々の為に穴を掘る市九郎を比較した時、彼を斬る気にはどうしてもなれず、その復讐心を消し去り、やがては彼を支持するようになっていったのです。


◆わたしのコメント◆

「市九郎」は、主人の寵妾と恋に落ちたことで咎められ、とっさの抵抗の末、主殺しの大罪を犯してしまいます。彼は寵妾である「お弓」と逃れ、旅人を襲っては身ぐるみを剥ぐという生活をはじめます。ところが、ある日襲った若夫婦が身につけていた櫛を取り忘れたことをお弓から厳しく詰め寄られたことが、彼の転機となるのでした。市九郎が命をかけて、大罪を犯してまで愛した女性は、わずか数両の櫛のために、女性らしい優しさをかなぐり捨てた浅ましい姿を晒している。そのことが身に堪えるとともに、自分自身の犯してきた悪事が、ありありと彼の脳裏に蘇ってきたからです。懺悔の心から出家した彼は、「了海」と名を変え人を救って日々を過ごしましたが、彼にはそのやり方だけでは、とても贖罪を達せられないという思いがくすぶっていたのです。そんな時、彼は年に数人の命を奪うという切り立った崖があることを耳にします。彼はそこで奮い立ち、二百余間に余る絶壁を掘り進み、道を通じるという事業に身を捧げることにしたのです。それが叶った暁には、これから千万の人の命を救うことに繋がるはずだというのです。

この作品は、これまでにも何度かここで紹介しているので、お読みになった読者の方もおられるかもしれません。
自分がこれと定めた険しい道に、自らを狂人と見做す周囲の冷ややかな目線にもめげず、転びながら傷つきながら、自制心だけを頼りに誰にも認められない歩みを進めている人にとって、これほど勇気づけられる作品も、なかなかに見つからないのではないかと思います。

わたしにとっても、とても思い入れの強い作品ですが、思い入れが強すぎるあまりに距離感がつかめませんので、第三者がこれをどう読むのかは、指導如何に関わらず、とても興味深いものでした。
そして論者も、そのことを知っていると思います。

◆◆◆

さて論者は、この作品をどう読んだのでしょうか。

論者は、「市九郎に対し復讐に燃えていた実之助が彼と触れ合うことでその怨みを忘れ、やがては市九郎の大願成就を共に喜びを分かつ」ことになったのは、どのような過程があったからだろうか?と考えを進めています。

そしてそのことを理解するには、作中の市九郎の生き方を3つの時期に区分するのが便宜に叶う、と言います。

はじめは、窃盗によって生計を立てていた時期。
そして、自分の犯した罪を悔いながらも贖罪叶わずもがいた時期。
さいごに、人の命を奪う二百余間の絶壁を掘り貫くという大難事を見つけ、それと生涯をかけて向かい合った時期。

またそのそれぞれには、生きるために人を殺し、懺悔のために人を救い、人々をさらに救うために絶壁を掘る、という手段と目的があると言っていますね。
ここまでは、物語をひと通り読めば達することのできる理解です。

◆◆◆

ところが論者は、それにとどまらずに、これらそれぞれの過程のなかに、「市九郎の行動を律している主体」が存在していることを指摘しているのです。(「主体」と書くだけでは一般の読者にはうまく伝わりませんから、括弧中に記したような説明が初出時に欲しかったところです)

たとえばわたしたち人間が、表面上は同じ行動をしているように見えるときにも、そこに働いている主だった理由というのは、人それぞれです。
同じ大学で、隣の席に並んで授業を受けているときにも、ある人は親に勉強をしろといわれているから嫌々それをしているのかもしれませんし、またある人は、自分の思い描いている夢を叶えるために本心から必要だと考えているのかもしれません。

論者がこの、自律と他律の問題を、手段と目的と併置するかたちで提起したのは、ほかでもなくその理解が、この作品が持っている立体的な構造に分け入って、作品をより深く理解するにあたって必要なことだからです。
市九郎の切った主人の息子である「実之助」は、当初は市九郎を敵として狙い命を脅かしますが、市九郎の、老いさらばえて失明の危機にありながらもなお、槌を振るい続ける姿に絆(ほだ)されて、共に槌を振るい、そしてまた、貫通の際にはともに手を取りむせび泣くことになってゆきます。

実之助が、敵としていた市九郎の中に、「自分の事業によってひとりでも多くの命を救いたい、そのことがひいては自らの贖罪となるのだ」、という紛れも無い本心からの誠心があることを読み取ったからこその共感が、ここでは描かれています。
そうであるからには、その動機となっているもの、その行動の原動力となっているものが、他からの強制であるのか、それとも本心からのものであるのかは、やはり問うておかねばならない問題なのだと、論者は考えているのでしょう。

なるほどたしかに、市九郎(了海)が、たとえば仏道に従うかたちで、つまり他律的に絶壁を掘り貫こうとしていただけなのならば、実之助の心をこれほどまでに強く揺さぶり、ついには共感の涙を流すほどまでには至らなかったであろうという指摘は、もっともなように思われます。
もし市九郎が、敵として討たれることの怖さのあまりに、単なる手段として得度していただけなのであれば、実之助はその目論見を浅ましいものとして、大罪を犯したことに加えて反省も見えぬどころか保身に走るという意味で、二重に嫌悪することになっていたでしょうから。

しかし実際には、実之助は、市九郎の姿に心底共感を覚えるようになってゆきます。
論者の指摘したように、実之助は、一度は「人としての人格は認めよう。しかし、それでも敵は敵である」とばかりに、家名を継ぐ者としての役割を確認することで、心の動揺を落ち着けようとしています。
しかしこれは、いわば他律の力なのであって、結局のところ、絶対的な自律の境地に達せんとする市九郎のあり方には、道を譲らざるを得なかったのだ、ということなのでしょう。

◆◆◆

なるほど、実之助が、敵でありながらもなお市九郎の姿に深く共感したというのは、彼の中の「自律」というものに感銘を受けたからなのだ、という指摘は、たしかに合点がゆきますね。

ただひとつ、注意が必要なところがあるとすれば、以下の表現です。
「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」
絶壁を掘り貫こうとする了海は、たしかにほとんど絶対的な自律によってこの事業を達成しようとしているのですが、ここでの、純粋なまでに「自分」に徹する、という姿には自らの保身というよりむしろ、「自分をかなぐり捨てる」という面もが同居していることには注意が必要です。
自分の観念に純粋に忠実でありすぎるあまりに、自分の心身が傷つくことをも厭わず、さらには自分が敵として見做されるのも道理なりと、従容として自らの身体を任せる、というあり方は、もはや個体としての身を持った自己を超越しているようにも見えます。

ですから、「自分に従っている」というのは間違いではないのですが、その「自分」というのは、我欲や保身を伴ったところのそれではありません。
彼の場合には、ひとりの人間としての妄執に囚われないという意味で、自我を離れた「無我」や、その境地に達しているのだ、とでも言うべきでしょう。

そんな彼の姿を、実之助は「喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心」と見ました。
市九郎の目指すところが、個としての一人の人間の欲望や目的、そういったものを超越しているからこそ、実之助は、敵である彼と並んで、大難事を共に達成しようとしたのではないでしょうか。

◆◆◆

このことをふまえて、論者の引き出した一般性を評価することにしましょう。論者が書いたのはこうでした。
〈自分の目的の為に、穴を掘り続けた一人の男の姿〉
見るところ論者は、自らが取り出した市九郎のあり方の三段階を抽象することによって一般性を求めようとしたために、このような表現にたどり着いたのではないでしょうか。

しかし、「自分の目的の為に」とだけ聞くと、目的的に対象に向きあうのが人間という存在なのですから、言うまでもないほどの当然の一事なのです。
また、この物語で実之助が感化されたのはなにも、市九郎が穴を掘り続けた姿なのではなかったのでしたね。
その理由は、論者が指摘していたように、市九郎の自律的な主体性にあったのですから。

抽象という作業は、ひとつの原則を把持し、それに照らしてはじめて個別の対象から一般性が引き出されてくることを言うのですから、かたちの上で抽象を重ねると、ただぼんやりとした表現にたどり着いてしまう、ということは今回の失敗からしっかりと学んでほしいところです。
ともあれ、これは研究者ですら同じ踏み外しをすることが多いですから、時間をかけて学んでゆくという姿勢が必要です。
論者の扱っているのは短編が中心ですが、このような中規模の文学作品ともなると、短編を扱うときのような方法では、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。

◆◆◆

結論としてまとめると、この評論は、論証部で指摘されている作品の立体構造は首肯しうるところながら、一般性については、その立体構造に引きずられて、というより、自分自身が立体構造を引き出せたという嬉しさのあまりに、そこをさらに抽象するかたちで一般性としてしまっために、ぼんやりとした表現になってしまったことがわかります。

ではどうすればよいかといえば、論者は、市九郎の自律心が、家名を言い訳にしてでも敵を打たんとする実之助にとってでさえも、共感を呼び起こすほどのものであったことを指摘しているのですから、そのことを含めた一般性を考えればよいのです。

この物語は、<贖罪から衆生のために生涯を捧げた男の自律心>を描いているのだ、とでも言えば、論者の論証部の指摘を活かしうるものになるはずです。

ただ上で述べてきたような、表現の絞り込み方と、それを推敲する際の技法、つまり認識を表現するときの技術については、まだ注意を要するところがあるとはいえ、論者が立体的な構造を引き出そうとし、またそれが一定の成果をあげていることは、これまでの指導と論者自身の努力が決して無駄になっていなかったことを明確に示していると考えています。

評論のコメント中に個人としての感想をあまり挟むべきではないかもしれませんが、とても嬉しかった、と述べておきたいと思います。

ともあれ、先はまだまだ途方もない長さがあるだけに、一層身も心も引き締めて、前進を続けなければ、と祈念しておきましょう。

◆◆◆

さいごに、コメントの流れとは外れるために触れなかったことを書いておきます。

コメント中にある「無我」というものについて、自己を突き詰めるがゆえに無我に達す、というのは、禅仏教のみならず文芸の世界や創造的な労働の世界でも見られるところです。

たとえば、天然石を彫刻するときには、まず眼の前に石をおいて、表面の模様(石目、といいます)を読みながら、石柱にある石目を観念的な像として描くという作業が必要です。
そして次にはそれと、これから掘り出したい観念の像がうまく調和する向きや角度を探し、掘り出す像を調整するという浸透の過程があるのです。
そのとき、ひとつの対象である石と、それに手を入れる者が向きあう中で、一般には「自分が石を掘る」という言い方が適切であるはずの体験は、突き詰めてゆくうち「石が自分にあるべき姿を掘らせている」といったような感触にも通じていることがわかります。

この主客の転倒というものは、学問の世界でも、唯物論と観念論とのせめぎあいと変転に見られるところの原因となっているものであり、あくまでも素朴な実感としては、このような感触を得うることも事実です。

これらのことは、ほかにも武道が、人殺しの技を突き詰めるがゆえにそこに生を見出す、活殺自在、という境地を手に入れることとも通じています。
この過程には、<対立物への転化>、<否定の否定>が見られますし、結果から整理して言えば<対立物の相互浸透>の構造を持っている、とも言えますね。

しかしこういった転化は、実際に体験した者でないと、なかなかうまく像を描けないものなのではないでしょうか。
作品を向きあうだけではわからない場合には、別の資料にあたって調べてみることも、とても大事なことです。
作家のなかには、実際には自分で体験したことがなくとも、よくぞここまで、という臨場感と人物描写を書き上げてしまう人がいますね。
彼女・彼らはやはり、観念的二重化を技として身につけているのですが、自分に不足する知識の収集方法も優れていることを忘れてはいけません。

また、余談の余談になってしまいますが、無我の境地などを体験する者が注意すべきことは、経験はたしかに尊いのですが、それを誇張するあまりに経験一辺倒という誤りに落ち込まないようにすることです。
刀を振っていて、また絵筆を握っていて、宇宙が見えた、神との合一を果たした、といった実感があるのはたしかなのですが、そこにはどのような過程があり、またどのような転化、ときには転倒が起きているのかをわかっておかねば、単なる教条主義になってしまいます。
そもそもを言えば、そのようなことばで表現せざるを得ないこと自体が、すでに教条主義、形式主義の第一歩であると見做すべきです。

いわゆる神や宇宙、普遍についての実感は、感受性の高い人間ならば幼少期からいくらでも見ることのできる主観的な事実なのですが、それを客観的に見つめることのできる論理性を手に入れた時にしか、その感受性というものは正しく評価できないのです。
感性と理性とは、<対立物の相互浸透>のかたちで学んでゆかねばならないことを、どちらかの力が強い人は、とくに注意して自省しながら歩みを進めてほしいと思います。