2011/05/31

文学考察: 雨降り坊主ー夢野久作

文学考察: 雨降り坊主ー夢野久作



 ある時、太郎の父はお天気が続いて田んぼの水が乾上がっているため、稲が枯れないかどうか心配で毎日毎日空ばかりを見ていました。そんな父の姿を心配した太郎は、彼の為にテルテル坊主をつくることにしました。さて、太郎のテルテル坊主は無事雨を降らすことができるのでしょうか。
この作品では、〈テルテル坊主をあくまで物質として扱う大人と、心が宿っている生き物のように扱う子供の価値観の違い〉が描かれています。
結果的に、太郎がテルテルをつくったその晩、稲妻がピカピカ光って雷が鳴り出したと思うと、たちまち天が引っくり返ったと思うくらいの大雨がふり出しました。ですが、残念ながら彼のてるてる坊主はその雨のために何処かへ流されてしまいました。
さて、ここで注目すべきは、その後の太郎と父とのテルテル坊主の扱いの違いにあります。まず太郎の方は「僕はいりません。雨ふり坊主にお酒をかけてやって下さい」、「お酒をかけてやると約束していたのに」と、雨を降らせてくれたのはテルテル坊主であると信じており、そのテルテル坊主にご褒美を与えようとしています。彼は子供ながらのみずみずしい感性から、テルテル坊主を心をもった生き物のように扱っているのです。
一方父の方は、「おおかた恋の川へ流れて行ったのだろう。雨ふり坊主は自分で雨をふらして、自分で流れて行ったのだから、お前が嘘をついたと思いはしない。お父さんが川へお酒を流してやるから、そうしたらどこかで喜んで飲むだろう。泣くな泣くな。お前には別にごほうびを買ってやる……」という台詞からも理解できるように、彼の場合、テルテル坊主へのご褒美のお酒はあくまでついでのようなものであり、本心は太郎に対して何かしてあげたいと考えています。彼にとってはテルテル坊主はあくまで物質でしかありません。しかし、ただの物質というわけではなく、そのには太郎の気持ちが宿っていることを理解しています。だからこそ彼は、予めテルテル坊主にお酒を与える約束を太郎にしていたのです。

◆わたしのコメント

 読者の意見を代表して言いましょう。
「この評論は、いったい何の話をしているのだろう?」

 この記事を日々における論理性の修練の糧にしようと思っている読者の方は、そう思っているのではないでしょうか。
なにしろ、文章を読み進めるために必要な情報が与えられないまま、論者はどんどん先に進んでしまうのですから。
そうして、評論だけではそのものを理解する手がかりにならないことがわかると、大部分の読者はそこで降りてしまいます。
それでも、どうしても理解したい、という意志がある方は、評論があてにならないことにもめげず、青空文庫に公開されているもとの作品にあたってみて、その作品を読んだ上で評論と照らし合わせて、「ああなるほど、論者はこういうことを言いたかったのか」と理解しなおしてくれるかもしれません。
そうすると、論者の言いたかったことも、読者に伝わることがあるかもしれません。

 さてこういう場合に論者の主張がまっとうであるとすると、その評論は十分な意味を持っていたことになるのでしょうか。
答えは、否です。
このとき評論が理解されたのは、論者の表現の不足を、読者が彼女や彼自身の努力でもって補いつつ、読み進めてくれたからなのであって、論者の表現が十分なものであったことを意味しているわけではありません。

◆◆◆

 そういうことを判断するために、わたしは作品を先に読まずに、評論に目を通すことにしています。
論者の表現力が、十分なものであるかどうかを見るためです。

 今回の場合は、一般的に言って、表現力が足りません。
それはなぜかといえば、論者が読者のことをまるで意識していないからです。
表現するときの過程は、多かれ少なかれ、それを聴く者、見る者、読む者が、それをとおしてどのような感情や認識を持つのか、ということを想定されて為されるものです。
芸術家が、誰にも公開しないことを前提として習作したり、あらゆる人が自分のためだけに日記を書き記すのは、それが鑑賞者を想定していなから「ではなく」て、自分自身を鑑賞者として創作しているからです。

 鑑賞者を想定しない表現というものは、ありえません。
硯に置いてあった筆が転んで、半紙に墨がついたものと、一流の書道家がかいたものが、見た目にはまったく似通ったものであったとしても、表現であると呼べるのは、後者のものだけです。
もし前者を誰かが認めて発表することにした場合は、そう認めた者の行動の過程の中に、表現というものの根拠があるのですから、結果だけを見て過程を取り違えてはなりません。

 極意論的に要せば、表現というものは、作り手とそれを見る者のあいだの関係性にこそ本質がある、ということです。
だからこそ創作活動という呼び名は、その作り手による直接的な営みにとどまることなく、その鑑賞者の鑑賞という行為をもひとつの創作のありかたであるととらえて、「二次創作」という言い方をすることになるのです。

◆◆◆

 「表現」というものがどういうものか、といった一般論や、そのことを把握した上での自分自身の役柄についての責任を持つということに、非常に大きな重要性があるというのは、創作の際の目的意識が、創作物の質を全面的に規定しているからです。
ですから、誰のために、どのような表現を用いれば、自分自身の認識がいちばんうまく伝わるのか、という問題意識こそが、作品を一流ならしめる、というわけです。

 さて以上のようなことをふまえてみて、論者は、自分自身の表現の不足に気づいたでしょうか。
これは表現力が不足しているというよりも、読者のために表現を工夫しようという姿勢そのものが欠けている、と理解すべきです。
部分的にその不足を挙げるとすれば、たとえばこの部分。
一般の読者ならばそもそも、「テルテル坊主が雨を降らせるというけれど、テルテル坊主はその名のとおり、次の日が天気になるようにつくるものではなかったかな?」という疑問がわくことでしょう。
そういった、基本的なところの説明が何も無いままに文を追っていかなければならないのですから、これは読み進めるのが苦痛といってもいいほどの悪文、ということになります。
これはあまりにも、読者への配慮が欠けているのではないでしょうか。
繰り返し言いますが、読者の努力にもたれかかってはいけません。

 評論というものはあくまでも、作品を読んだことのない読者にとってもすんなり読める文章でなければなりませんし、加えて、評論をとおして作品を読みたい、と思わせることのできるものでなければなりません。
わたしが悪文を噛み砕いて理解したうえでコメントをするというのは、立場上の制約があるからそうしているにすぎないのであって、そんな制約に甘えず、その制約がなくても読みたくなるような文章を書くというのが、物書きとしての最低条件です。

 自分自身の活動についてまるで責任を感じていないという日々を過ごして、いつか「評論とはどういうものか」や、「文学とはどういうものか」といった本質論を問えると思っているのなら、天に唾するが如き行いと見做さねばなりません。
行動というのは、その結果ではなくて、それに込められた目的意識こそが、将来的に大きな成果となるかどうかの分水嶺になるのだということを、もういちど確認しておいてほしいものです。
ですから、行き先もわからないのに「とにかくがむしゃらに頑張る」のではどうしようもないのであって、「正しい行き先を定めてそれから目を逸らすこと無く頑張る」、という姿勢こそが問われることになるわけです。
この評論が、評論がはたすべき役割を、しっかりと担っているものであるかどうか、初心に返っていちど考えてみてください。

◆◆◆

 以上のようなことを踏まえてくれると信用して、わたしなりに評論を補いながら読んだ上で、内容についてひとこと言っておくことにしましょう。
論者がとらえようとしたのは、大人という立場にあってテルテル坊主を単なるおまじないであると認識している「父」と、それを全力をもった願かけの象徴として認識する「太郎」の姿ではないでしょうか。
物語が進むと、「父」は、「太郎」がテルテル坊主が雨水に流されてしまったことを悲しむ姿をみて、テルテル坊主にたいする認識を変えてゆきますね。
そこには、「父」が「太郎」の行動をさかのぼってその認識を理解しようとすることをとおして、「太郎」の考え方を、もう一人の自分として自分のアタマのなかに持つことができたという、他人の自分化の過程がふくまれています。
ここには人間の認識についての交通関係があるのですから、その過程における構造をいったん整理した上で、次に読者にそれをうまく伝えるにはどうすればよいか、という問題意識で表現を整えてゆけばよいことになるでしょう。
いきなり表現を整えるのが難しいのであれば、登場人物の感情を想像して、この人はこう思ったからこう行動したのだ、というふうに、思いを込めた括弧書きの形で書いてみてはどうでしょうか。


【誤】
・雨降り坊主

2011/05/30

どうでもいい雑記:台風と水系

研究職は、休日というものがない。

大雨の降りしきる中、卵をあたためる白鳥。
というより、友人によればわたしのばあい、
「休みをとる」という発想そのものがないらしいのだけど、
図書館が書庫整理で閉まっているときは、
精神的にはともかく物理的に追い出された格好になる。

こういうときに、選択肢は2種類だ。
自宅で研究をするか、屋外で研究をするか。

けっきょくやっていることは同じだけれど、取り組むジャンルは違ってくる。
先日からの台風2号が気になっていたので、せっかくの機会、外に出ることに。

◆◆◆

台風が来たことによって、わたしたちの生活が影響をうけることは少なくない。

一般の方がよく指摘されるのは、台風のあとは空気が澄んでいることや、
道路に看板やら折れた木々が散らばったりして通行の妨げになる
といったことがほとんどではなかろうか。

今回の台風2号は昨日の未明に縮小して低気圧に変化したけれど、
どちらにせよ熱帯の気温を運んでくるのは間違いないので、
当日以降の大気も影響を受けざるを得ない。

そのうち、わたしたちの生活に直結しているのは、
気温や天候といったものだから、今日からの1週間は、
みなさんも普段よりも天気予報を注意深く確認するはずである。

◆◆◆

そういうときに、わたしのいちばんの関心事というのは、水系のありかただ。
水系というと難しく聞こえるかもしれないけれど、雨として降った水が、
山から降りて川へと流れ、海へと注ぎこむという流れを、大きく捉えたときの言葉である。

関西圏であれば琵琶湖・淀川水系が代表的とはいうが、
馴染みのある人なら分かるとおり、
そんなことを言い出すとほぼ東部の全域というわけだから、かなり大雑把な把握である。

だから、この川はどこどこの水系であると言ったところで、
それ自体でなにかがわかるということはない。
あくまで、具体的な湖と河川、地域の水がめのあいだのつながりを、
なんらかの形で意識できていなければならない。

そのためには、地図が大きな手がかりになるけれど、
これはやっぱり、実際に川沿いを走ってみるのがいちばん勉強になる。


たとえば、
「ここは汽水域なのに、今日は妙に川魚が多いな。流されてきたのだろうか。」
「あれは海外産の熱帯魚だな。だれかが逃がしてしまったのだろうか。」
などなどといったふうにである。

そういう自分の目でみた事実を手がかりにして、地図とにらめっこしながら、
「ああなるほど、あそこの川から流れてきた魚か」
「あれっ、こんなところから流されて来ているのか。これは予想してなかった」
のようにして仮説を検証しながら、全体を流れとしてつかむのである。

ひろく、理論を実践を前進させる手がかりとしている方は、
机に向き合っているときにでも人を動かしているときにでも、
多かれ少なかれ論理的にはこれと同じ営みをしているわけなのだが、
わたしはやっぱり、身体を動かして確かめてみるのが好きなのだ。

◆◆◆

そういうわけで、わたしの持っていた仮説というのは、こんなものである。
あれだけの台風が来たということは、川は増水し、ため池は決壊しているのは間違いない。
普段は段差のせいで乗り越えられないところを、大きな水の流れが洗いざらいぶちこわして、流れに逆らいきれないすべてのものを運んできているはず。

まあ単純にいえば、
「今日という日は、普段ではお目にかかれない小動物や植物が見られるはずだ」
ということである。

地図はだいたい頭の中に入っているから、雨の中びしょ濡れになりながら、
川やらドブをちらちら眺めて、ひたすら地元を自転車で走る。
やっていることはまるで子供の遊びだけれど、こっちは真剣である。

◆◆◆

そうすると雨が上がったころ、人に出会った。
なにやら真剣な面持ちで、川に入って大きな網で何かをすくっている。

あっ、この人は、とピンと来た。

話してみて、やっぱり。
台風があったので、今日は普段ではお目にかかれない魚がとれるとふんで、
すこし調べてみようと思ったとのこと。

聞けば、ちょっとした専門家である。
わたしのまったく把握していないところに人工のパイプが通されていて、
表面上にはわからないかたちで水の流れがつながっていることや、
近しい種類の動物が交配して新たな種を作るという交雑の話をはじめ、
長年の疑問がなるほど、と氷解することばかりであった。

地勢や動物の生態などに関する、わたしのようなアマチュア観察家にとって、
仮説として持っていたことの実地的・理論的な裏付けがとれる瞬間というのは、
これ以上なく好奇心が満たされるものである。

とくに学者という立場からすれば、どんな個別の知識であっても、
最終的には全体としてみたときの位置づけ、知識同士の連関を鮮やかに示せねばならない。

いまのわたしから提供できるのは、長年実際に生き物を飼育してみた実感や細かな知識、長年定点観察を心がけていることからくる、局所的な変化についての理解だけであることが残念であったが、
あまりに話がはずんだせいで、生活上の予定がなにもできないままで帰ってきてしまった。
しかし学者ならば、三度の飯より、得難い出逢い。

◆◆◆

その人が所属されている研究会には、
次回からさっそく出させていただくつもりである。

問題意識に従って実際に足を運んでみるということは、
おんなじことを考えている人との出逢いが待っているかもしれない、
という面でもメリットが大きいものだ、と確認できた。

余暇がいつもこんなふうであれば、
趣味人冥利につきる、というものであろう。
趣味と呼ばれるものはすべて、学問になってゆく過程になければならない。

2011/05/27

どうでもよくない雑記:人として生きる、という姿勢

これ、言っちゃっていいのかなあ…


と思ってしばらく寝かせていたけど、やっぱり言ったほうがいいと思ったので、
震災ボランティアのありかたについて正直なところを述べておく。

◆◆◆

わたしは毎日自転車に乗っているけれど、
ここのところ多いのは、震災ボランティアの情報収集のためにだ。


ボランティアの募集は、社会福祉協議会のネットワークを通じた
支援依頼に応えたものがあり、これを募集する媒体といえば
居住地の市などが発行している広報などに限られることがほとんどである。

そういうわけで、なにしろかなり意識していなければ、
ボランティアの募集の情報そのものがあんまり入ってこない。
もっとも、各地域で募集しているのだから、
居住地の情報だけを見ておけばよい、ということだろうか。
わたしのように情報を総合して全体像をつかみたい、という人間は稀なのかもしれない。

ともあれせっかく見つけて説明会に行こうと思っても、
説明会を開くための公共機関がやや郊外に位置していることが多くて、
電車とバスを乗り継いでゆかねばならない。

ぎりぎりの空き時間で行こうと思うと、もともと本数の多くない
市バスの乗り合わせを調べているよりも、自転車を飛ばしたほうが早いのだ。

◆◆◆

で、説明会に出ると、毎回見せつけられるのは、
参加者のほとんどが、年配の方である、という事実である。

齢にかかわらず壮健であらせられる方もおられるから、
年配だからどうのと言うつもりはない。
しかし参加者の方の中には残念ながら、
この人は援助をするどころか、その人自身に援助が必要なのではないか、
とさえ思えてしまうような方もいるのである。

たとえば募集要項に、
「引越し用具を運搬するために」「心身ともに健康であること」とあるのに、
その背筋・腰の曲がり方、その落ち着かない貧乏ゆすり。

年令と体つきの不足をおして、あえて現地に赴かれる気持ちは、
たしかに得難いと思うのである。

しかし、しかし、である。
あまりに失礼にすぎる言い方であることは承知しているが、
自分の心身も整えられていないのに、
いったい現地でどんなことができるのか、とどうしても思ってしまう。

こういう意味では、と誤解のないようにしっかり前置きしておくが、
こういった場合に限れば、軍役などで、嫌でも身体とその運用の基礎訓練を叩き込まれる国とは、どうしても我が国では勝手が違っていると言わざるをえない。

そうかといって、受付側としては、せっかく募集してこられた方の思いを無下にすることもできないと見えて、担当の者は、ほぼなんらの審査も無しに参加者登録をしてしまっている。
それが、現状よく目にする光景である。

◆◆◆

わたしはそれを見ていて、
これではとても効率的な成果はあげられないであろうな、と思ってしまう。
数日のボランティア活動では、当然に組織の成員として教育する時間もないのだから、本来ならば、主催者側は、参加者自身の能力が、組織としての目標を達成できるかどうかを見ておかねばならない。

「人が自分のために何かしてくれる」
ということが、実際的な結果を生み出さなかったにしても、
その姿勢そのものが、本人を精神面から支えうることは、十分心得ているつもりである。

しかし、そもそもこういった実働が要求されるボランティアにおいて、
「その姿勢だけでもありがたい」と言わせてしまうのは、
本末転倒なのではないだろうか。


説明会の質疑応答でも、こんなふうである。
「お茶は持っていったほうがいいですか」
「トイレ休憩は何回ありますか」
「作業はしんどいですか」

失礼ですがあなた方は、
いったい誰のために、何のために行かれるのですか?

はっきり言って、耳を疑うほどであった。
場を和ませるための冗談ならばどれだけ救われたか、とも思う。
わたしの感覚が、異常すぎるのであろうか。

◆◆◆

本当に心底、失礼であるとは思うが、こんなことは、とても担当者や、
ボランティアされる側の口から告げられるわけにはゆかないであろうから、
あえて言っておきたいと思うのである。

それに、事実、そういった方たちにはご遠慮いただくことにした場合に、
力の有り余っている若者たちが我こそはと名乗りを挙げるかというと、
そういった人たちの人数は、数えるほどしかいないという現実も依然として残る。

こういう時にこそ、
ボランティア活動にたいして大学としての単位を認めるといった
産学協同といった動きを、マスメディアが盛り上げる、
という形にもってゆけないものなのだろうか。

わたしの周囲の学生さんたちは、行きたくてたまらない、
けど学校が、就活が、生活が、という人が多いのだけれど、特殊な環境なのだろうか。
彼女や彼らは、環境さえ整えば、嬉々として働いてくれるはずである。

しかしその肝心の環境がないのだから、なんとも、歯がゆい思いがする。
学校をやめてでも人のためになりたい、という人間にこそ、
国という機関は保障をして、正しく動いてもらうべきなのではないだろうか。

◆◆◆

ただもちろん、国という機関がうまく機能していても、
自分が心身ともに健康でなければ、どれだけ人のためになりたいと望んでも、
これはやはり画餅に帰すると言わねばならない。

その手段は問わないが、デスクワークが主である仕事をしているなら、
姿勢が悪くなりすぎないくらいには運動をして身体を整えておかねばならないし、
肉体労働が主なのであれば、情操を磨くということを自覚的に行わねば、
人間として片手落ちになってしまう。

そういった必要性を感じるのは、「人間としてはこれくらいできなければ」
という、人として生きるということに、どれだけの責任を感じているか、
という姿勢なのではないだろうか。

そういう姿勢を持っていれば、いまの自分に足りないものが見えてくるはずで、
その足りないものを補っていく過程で、自然に自信や覚悟というものは、
技として身についてこようというものである。

これから人助けをしに行こうというときに、
自分の身の回りのことさえ満足にする自信がないというのは、
ボランティア以前に…と、そう言わざるをえない。

◆◆◆

わたしの身の周りには、こんな人たちがいる。

39度の高熱を出しながらけろっとした顔で待ち合わせの約束を守り、
食事がまるですすんでいないようなので問い質したら、
「忙しいみたいだから無理してでも来ようと思って」
と笑みを浮かべた人がいる。

交通事故に巻き込まれたあとに平然な顔をして武道場にやってきた者、
きょうだいを失ったその日に、笑顔でパーティに参加した者、
気を失いかけながら漫画の原稿を仕上げた者。

これらは、すべて実際に、自分の目で見てきた後進である。
現場にいあわせたときの凄まじさはあまりに、なので、
詳細な描写は読者を驚かせるであろうが、
どちらにせよ、これは想像をはるかに越えている。

わたしが指摘しなければ、
彼女や彼らは、そのままの姿で誰も知られずに平然と過ごし、
誰にも見られないところでひとりになるまで、気丈でい続けたはずである。

人間は、意志の力でここまでやりうるのである。
こういった人たちなどは、
どんな役職に就かせても、どんなに不向きなことをやらせても、
いまの自分が置かれている状況を、目を逸らさず見据えて、
自分のできることはなにかとしっかり問いかけるであろう。

◆◆◆

もはや、何が言いたいのかは読者のみなさんにも
おわかりであろうと思うので、これ以上は何も言うまい。

わたしの信じている、人間の姿というものは、こういうものである。

2011/05/26

弁証法と技術の段階「知る、身につける、使う」について


 前回の記事「文学考察:うた時計ー新美南吉」について、さらに弁証法の使い方を一歩前進するべくやや突っ込んだ説明をしたので、一般的な範囲ですが補足しておきます。学習の進んだ方は参考にしてください。


 置いてきぼりにされるのはゴメンだ、という読者の方、言い換えれば、あれだけ怒られまくっていたノブくんに、いつのまにか先を越されるのはイヤだ、という方は内容を確認して、自分の今の理解はこのくらいなのか、ということを、すこし念頭においてもらうとよいかと思います。

 しかし年月というのは恐ろしいものですね。日々を真剣に生きる者の努力を、決して無下にはしないものです。ただ、それとは逆のことをやっていれば、やはりこれも言うまでもないということでもあります。わたしはこのBlogに記事を載せるようになってから、読者との連絡をやりとりするなかで、その人の論理性を逐一確認しながらここまできましたが、がんばって付いて来ようとしている方の言動を見ていると、やっていてよかったな、と思えることがあります。意欲ある姿勢そのものはもちろんですが、その中に潜む論理性の前進を感じるときが、やはり嬉しいものです。

 そういった意欲ある後進の期待に応えるには徐々に内容を高度にしてゆかねばなりませんし、事実そうなっているので、一回きりの人生、我が道を全うせんとされる同士は、ぜひともついてきていただきたいと思います。

◆◆◆

 さて前回の最後の節について、コメント中に誤解を招くおそれがある表現があった、ということなのでした。ことわりが多すぎるのも読みにくかろうと思ったので、誤解を恐れずに書いてしまったのですが、やはり説明が必要です。ですので、学習の進んだ読者の方でなければ難しいとは思いますが、学問的な整理をしておきます。

 評論へのコメントの最後の節で、「弁証法は問題を絞り込むのには使えるが、それ以降には使えない」、といった端的な説明をしました。このことの言葉尻をつかまえて、「弁証法はおおざっぱにしか使えない」との勘違いをしないでください。そもそも弁証法は、森羅万象の一般法則を捉えたもので、その対象には物質、社会、精神という、この世の中にあるすべてのものが含まれているのですから、弁証法を土台としながらも、それぞれの特殊性を意識しなければならないのは当然です。ここはたとえば、自然科学的な方法論を、精神の分析には使えないし、使ってはいけない、ということからもわかると思います。前回の記事で注意したのは、「弁証法」を的外れに延長させて、「認識論」そのものと同一視してはいけませんよ、ということであり、なおのこと、「いまだ3法則としてしか把握できない段階の弁証法」などは、とてもではないですが人間の認識を把握するためには使えませんよ、ということでした。

◆◆◆

 今回の場合に注意書きが必要だと思ったのは、そのことに加えて、弁証法は、<否定の否定>、<相互浸透>、<量質転化>という3つの法則を基本とする、というところまではたしかにそれでよいのですが、「それだけに尽きるものではない」、ということを言いたかったからです。言い換えれば、「3つの法則に照らしてみないとわからない」という初心の段階では、実のところ、ほんとうの弁証法性を把握したことにはならないのです。ではほんとうの弁証法はといえば、3つの法則が、渾然一体となったひとつの<弁証法>として、自らの認識そのものと浸透するのと直接に、弁証法性として無意識的のうちに技化できた、という段階のことです。

 ここまで来ると、たとえば自分が友人と歩いていて、同じものを見たにも関わらず、より深い論理構造に気づいた、という事実をみたときはじめて、ああそうか、自分には弁証法が身についてきたのだな、ということを改めて気付かされる、ということになります。その原因は、弁証法という論理性が、極めて自然に自分の認識の在り方そのものとなっているからであって、努力してそう見えた、という段階を通り過ぎているということなのです。日々の修練の結果、どのような能力が身についたかというのは、一定の期間を経た後に、過去の自分を振り返ってみることでしかわからないものですから。

 これを学問的に整理しておくと、ある「理論」が、「実践」に適用できるためには、つまり「技術」として獲得できるためには、理論を「知る」、「身につける」、「使う」という段階があるということです。3つの法則をひとつひとつ、ある現象に当てはめなければわからないという段階は、「知る」という段階を一歩出たに過ぎません。弁証法の中には、<矛盾の実現と解消>、<対立物の統一>なども含まれてきますが、3つの法則を機械的にまる覚えして念頭においてしまう向きには、そのどこにそれらが含まれているのかはわからず、扱いきれないことになるでしょう。そうするといきおい、それを弁証法から除外してしまったり、弁証法にはいろいろな種類があるのだ、などという短絡に繋がってしまいます。
 もちろん、「使う」という段階になったときにも、さらに大きく、深い使い方があるのであって、そういう能力をもっとも高度な実践の中で駆使するときになってはじめて、弁証法という論理性そのものをも前進させることができる、というわけです。

◆◆◆

 推敲してみて思いましたが、やはり難しいな、と思います。なにしろ、「なってみなければわからない」ことをくどくどと言われるのですから、もし文章が読めたとしても、これはもう、「ほんとかな?、ウソじゃないかな?」といった思いが心のなかをぐるぐる回っているという印象しかわかないのではないかと思ってしまうほどです。
 もし上で書いた文章がわからないときにでも、数ヶ月経った後にわからない箇所が出てきたあと、つまり「これはどういうことなのかな?」という問題意識が明確になったあとに読み返してもらえれば、大きなヒントになるということは確かだと思います。ですから、「5月の終わりくらいに、よくわからないことを説明されたな」ということだけは覚えておいてもらえると嬉しく思います。ともあれ、そのためには日々の修練による量質転化が欠かせません。

 以前に、わたしのところで学ぶ人が、わたしに直接質問をされたことがありました。「あなたの使っている弁証法は、私のものとは違うような気がしますが、どういうことなのでしょうか」ということでした。わたしは「鋭い!」と思うと共に、当人の中に、「この人はなにかまだ自分に教えていないことがあるのではないかな。ひっとしたら出し惜しみでもしているのではないかしら」という思いが生まれつつあるのが見えましたから、上のように説明したわけです。返ってきた反応は、「なるほど弁証法自体を磨いてゆくことができるとは!目からウロコです、自覚が足りませんでした」との謙虚なもので、とても嬉しく思ったものでした。

 そのとおりで、具体的な事実とともに、論理性もが、発展させるべき対象として見据えられるべきなのです。そういうことを見越して、大哲学者ヘーゲルは「哲学は時代的に完成する」と要したわけです。わたしたちは、わたしたちの時代という発展度合いに合わせて、論理性を磨いてゆかねばなりません。そういうわけで、自分が寄って立つ論理性、弁証法という根本的な土台そのものを磨いてゆけるのだし、またそうしなければ先人から受け取った文化遺産に新たな一ページを加えて前にすすむことなどとうてい不可能なのですから、ここからも、日々の修練を怠るわけにはゆかないことがわかろうというものです。

文学考察: うた時計ー新美南吉

文学考察: うた時計ー新美南吉


◆ノブくんの評論
 二月のある日、野中のさびしい道を、十二、三の少年と、皮のかばんをかかえた三十四、五の男の人とが、同じ方へ歩いていました。やがて二人は自然と会話をはじめます。その会話をしている中で、少年は男のポケットに注目し、自分の手を入れたいと言ってきました。男は快く了承し、少年は彼のポケットに手を入れます。すると少年はそこで、男のポケットに何か入っていることに気がつきます。彼のポケットに入っていたのはうた時計でした。少年はそのうた時計に興味を抱き、やがてそれは彼がよく遊びにいく薬屋のおじさんのものと同じだということに気がつきます。さて、しかし男が持っていたうた時計は、果たして本当に薬屋のもっていたものと偶然同じだったのでしょうか。
この作品では、〈二人で話しているときは相手の気持ちが分からなかったものの、他人を介することで、それが分かったある男〉が描かれています。
まず、上記の男の正体とは、なんと少年の行きつけの薬屋の主人の息子だったのです。彼は改心して真面目に働くつもりでしたが、一晩で仕事を辞め、挙句の果てには父親の時計を二つ盗んで出てきてしまったのです。この時、恐らく男の心には罪悪感というものはなかったでしょうし、薬屋の主人の気持ちも全く知らなかったことでしょう。ですが、少年を介して薬屋の主人の話を聞くことによって、自分がどう思われているか、またどれだけ心配しているかを知り、時計を返すことを決心したのです。
そして、男が少年を介して薬屋の主人の気持ちを知ったように、薬屋の主人も、少年が持ってきた自分の時計を見てその音楽を聴くと、「老人は目になみだをうかべた。」と男の気持ちを知ることができたのです。
このように、直接二つの物、人物では上手くいかないことがあっても、その間に何かを挟むことに物事が円滑に進んみ、或いは相手の気持ちが理解できることがあります。例えば、私の数少ない経験から申しますと、ある友人と喧嘩をしたことがありますが、私は相手の話のペースに呑まれ、言いたいことの半分も言えなかったことがあります。そこで私は、二人の間に手紙という文章を挟み、相手に送りました。後日相手から返事があり、私と同じように自分にも悪い部分があったと非を認めてくれました。
当人同士ではうまくいかない時でも、何かを挟むことによって、かえってうまくいく場合があるのです。

◆わたしのコメント

 主人公である少年「廉(れん)」は、あるとき中年の男と出会います。彼のポケットに手を入れさせてもらうと、そこにはオルゴールが。ねじに手を触れたために鳴り出したその音色は、少年が近くの薬屋で聴いたことのあるものでした。男と別れたとき、ちょうど通りかかった薬屋の「老人」に、彼から預かったオルゴールを渡したとき、少年は男が老人の息子の「周作」であったことに気付かされるのです。

◆◆◆

 論者は、この物語の論理性を<否定の否定>としてとらえているようで、それはそれで問題ありません。ただ、論者の挙げている一般性については、前回と同じように具体的すぎますから、誤りです。(ただ、今回取り上げた評論はやや前のものですので、現段階では正しく訂正できるかもしれませんね)

 ではどうすれば正しい一般性になるかということを考えてゆきましょう。今回のコメントでは、一歩進めて、<否定の否定>というおおまかな構造をつかんだところから、さらに作品を掘り下げて理解してゆくにはどうすればよいか、という問題意識を持つところにまで言及します。もういちど言いますが、これまでのアドバイスの段階から、「一歩進めます」。こう宣言することが、どういうことかわかっていただけるとうれしいのですが。

 そもそも<否定の否定>というのは、あるものが他のものと直接交通関係を結ぶよりも、第三者を媒介にすることで、かえって効率が良くなるという運動法則を示しているのでした。たとえば、日本から海をまたいでアメリカにまでラジオ電波を飛ばすときに、地球の丸みが邪魔をして電波が直進できないときのことを考えてみましょう。『弁証法はどういう科学か』の読者にはおなじみの例です。さてそのときに、海底トンネルを掘る方法や、非常に高い電波塔を建てるという案がありますが、どちらも効果に見合わないほどの莫大なコストがかかってしまいます。ではどうしたかというと、使っていない人工衛星に、「いったん電波を経由させることで」、効率よくアメリカと電波をやりとりすることができたのでした。この場合であれば、人工衛星が媒介としての役割を果たしたわけですが、この作品でその役割をしたのは、少年「廉」です。

 ほかにもキーワードとして、「オルゴール」などが出てきますが、それよりも「廉」の存在のほうが、媒介としては重要な役割を果たしています。なぜなら、この作品で主だった話の筋は、悪行を改めるという名目で老人のもとに帰ってきたにもかかわらずやはり悪い手癖を発揮してしまう放蕩息子の「周作」が、少年の人を疑わないという「清廉潔白」な人柄を鏡として、自らの振る舞いを反省する、というものだからです。「オルゴール」は、「周作」が持っていたそれを「廉」が、いつも薬屋で見たことのあるものとして関連付けて気づき、それを渡された「廉」を経由して次に「老人」の目に留まる、というバトンの働きをしていますが、これはいわば、物語の流れを円滑にするための舞台装置なのですから。
 そういうわけで、物語をうまく進めるための「オルゴール」よりも、「廉」の人柄のほうが、物語の中でも、媒介としての役割としても、相対的に重要なものだと言えるでしょう。

◆◆◆

 さてそうして、<否定の否定>の媒介の役割を主に果たしているのが「廉」であることに焦点を絞れる段にまで来ると、彼が、「周作」と「老人」の間をどのようにつないだか、どのように取り持ったか、をさぐってゆけばいいことになります。論者は、少年「廉」の存在によって彼らが、彼らどうしの直接の関係では得られなかったはずのものを得たことになったことに、大まかには気づいていますね。そうすると、そのことを突き詰めて追ってゆくことで、より正しい作品の理解につなげてゆくことができるはずです。

 主人公である少年「廉」は、彼のどのような人柄によって、「周作」とかかわり、また「老人」とかかわったことで、結果として彼らをどのような形で取り持つことになったのでしょうか。
 それが明確に整理して理解できれば、正しい一般性に近づいてゆくはずです。それらは、以下のようなことをすべてふまえていなければなりません。
 「周作」は「廉」をとおしてどのようなことを学びましたか。「老人」は、「廉」をとおして「周作」の、どのようなメッセージを受け取りましたか。それら双方、「廉」の名前にまつわるあるキーワードは、どのようにかかわってきますか。

 ともあれ、こういった児童文学ふうの作品を抽象化して一般性として抜き出すときに、論理一辺倒では作品のうまみが失われるというときには、表現をうまく工夫する必要があります。この物語では一読してわかるとおり、登場人物の心情を饒舌に語らないところに、かえって読者の二次創作の余地が生まれ、それが余韻を残すというところに名作たる所以があります。こういう物語を一言で論じるときには、たとえていうならば、映画のキャッチコピーのようなもののほうが読者の理解を助けることもあるでしょう。わたしなら、「●●(人柄や役割)の●●(主体)の物語」などとするでしょうか。かなりの勉強になるはずなので、物語のうまみを失わないようにと念頭において、柔軟に考えてみてください。

◆◆◆

 論者は、弁証法の3つの法則を意識して、きわめて大雑把な論理的な把握をすることはできるようになってきましたが、その大つかみな把握から、さらに突っ込んで物語を理解する実力はありません。弁証法は、物事の関連性を鮮やかに意識することで、扱うべき問題の範囲を正しいところにまで絞り込むためには必須の論理性ですが、その先の特殊性については、弁証法を手がかりにしながらもさらに深く掘り下げてゆかねばならないことは覚えておいてください。そうでなければ、弁証法を人の心情の理解にまで無理やり押し付けて理解するという踏み落としをしかねません。次の段階では、そのことを中心的な問題意識として持っておく必要があるでしょう。(後日、補足をします)


【誤】
・その間に何かを挟むことに物事が円滑に進んみ、

2011/05/24

文学考察: 眉山ー太宰治

文学考察: 眉山ー太宰治



◆ノブくんの評論
 帝都座の裏の若松屋という、著者がひいきにしている飲み屋があり、その家には自称小説好きの通称眉山という女中がいました。彼女はその無知で図々しい性格のため、著者を含めた彼の友人たちに嫌われていました。ですが、そんな彼女の印象が一瞬で変わってしまう出来事が起こってしまいます。一体それはどういう出来事だったのでしょうか。
この作品では、〈今まで傍にいた人物が突然この世から去ると分かった途端、その人物に対する印象を変える、あるお客〉が描かれています。
まず著者は、それから暫くして体の体調を悪くしてしまい。十日程その飲み屋に行けなくなります。そして体の調子が戻ると、彼は飲み友達の橋田氏を誘って再び眉山の飲み屋を訪れようとします。ですが、彼はその時橋田氏の口から思いもよらぬ事実を耳にします。なんと眉山は腎臓結核で手の施しようもなく、静岡の父のもとに帰っているというではありませんか。そして更に驚くことにそれを聞いた著者は、「そうですか。……いい子でしたがね。」と今までの眉山に対する印象をがらりと変えたような発言をしています。一体これはどういうことでしょうか。
一旦物語を離れて、私たちの日常生活に照らし合わせて考えてみましょう。例えば、私たちの身の回りの家族や友人との関係の中にも、こうった感情の揺らぎは起こっているはずです。嫌いな友人が転校してしまう時、或いは自分の苦手な家族に死が迫っているとき、私たちもやはりこの著者とおなじような印象を少なからずもつでしょう。では、私たちはどうしてこのような印象をもつのでしょうか。それは、彼らが私たちの生活に強く根付いていればいる程、そういった感情は強く出ます。つまり私たちは、何も彼らがいなくなることのそれよりも、自身の生活の変化に対して、ある種の寂しさのようなものを感じているのです。そして、この寂しさからこの著者も私たちも、今まで幾ら疎ましく思っていた相手に対しても、「あいつはいい人だった」と印象をころりと変えているのです。このように、私たちがもつこういった印象は、他人を通して自身の生活の変化に対し感じたものなのです。

◆わたしのコメント

 論者は、行きつけの居酒屋で働く「トシちゃん」への評価が、彼女が腎臓結核という大病を患っていたことがわかる前と後とで、大きく異なっていることの理由を考察しています。

 作中の表現を追ってみると、以前では「しょっちゅうトイレに行くこと」、「階段をドスンドスンと昇り降りすること」などが、筆者を始めとした一派の、彼女への非難の対象となっていました。ところが病気が判明してからは一変して、それぞれの理由が病気のせいだったから、という一言で片付けられています。彼女が病気だったと聞かされたときの筆者本人は、思わず漏らした「そうですか。……いい子でしたがね。」ということばに、自分自身で違和感を覚えていますが、彼の友人たちはそのことばをそのままに受けて、「あんな子は、めったにありません。」などとまで評するほどなのです。

 ここでは、いわば「死んだ犬を蹴飛ばすのははばかられる」といったような感情の裏返しとして、大病を患った「トシちゃん」のいいところを見つけてあげたい、という一念が前面に押し出されているわけです。ここに現れているのは、前もっておいた結論ありきで、そこにむかってあらゆる印象を収束させるという、いわばこじつけに似た態度ですね。
 現象としては同一でも、その受け取り方や評し方は状況によって一変するということは、人間の社会においてはよくあることです。どれだけ人を殺していても、死ねば英雄です。今回の場合であれば、「しょっちゅうトイレに行く」という彼女のふるまいは、そこを、人の気持ちに鈍感であるという気性を前面にもってきて理解すれば悪印象になるのですし、それとは違って彼女が病気であるという同情をとおして理解することになると、とたんに愛すべき健気さ、ということにもなるわけです。

◆◆◆

 こういった、感情次第で当人に対しての評価がくるりと一変することはひとつの矛盾ですが、それが矛盾であることを意識できているかどうかで、この現象の扱い方が変わってきます。筆者の場合であれば、「そうですか。……いい子でしたがね。」といった自分の評に違和感を覚えたというのは、まさにこの矛盾を感覚的に意識していたからです。彼の思うところを想像してみると、おおよそ次のとおりでしょう。「いま私は『トシちゃん』のことを『いい子だった』と表現してしまったれけども、彼女が病気だと知る前にはあれほどまで罵っていたことは、なんら揺るがぬ事実ではないか。いくら彼女が病気であることがわかったとしても、ここまで都合よく立場を変えてしまってもよいものだろうか…」。多かれ少なかれ、思想的な立場をゆるがせにできない職業である作家を生業にする彼にあっては、自身の評し方の移り変わりの極端さに、そういった違和感を覚えていてもおかしくありません。

 そういう筆者に対して、筆者以外の友人は、彼ら自身の主張が、客観的な事実にくらべて主観的な思い込みに振り回されがちなことに、あまり気づいていないようです。そういった、主観と客観を明確にわけて考えることの少ない一般的な人たちの物の見方というものは、事実よりも、思い込みに左右されること大なのであるということをみてとって、論者は「結論的に」、「つまり私たちは、何も彼らがいなくなることのそれより(「いなくなることそのものよりも」が適切か。コメント者註)も、自身の生活の変化に対して、ある種の寂しさのようなものを感じているのです。」と言っているわけです。

 論者の論証は、過程に含まれている構造を明確に表現していないために、あくまでも「結論的」でしかありませんから、どうしても観念的な響きを持っています。単なる俗流評論家などであれば、自分の限られた経験を手がかりにして、それを人間全体に的外れに押し広げる形で「人間とは~というものである」と言い切ってしまえば生活の糧には困らないわけですし、それなりの格好がついたと擱筆してしまってもよいものです。ただし、文筆家として一流を目指すとなれば、人間の精神の交通関係の、過程における構造というものは、学問用語で整理せずとも、せめてそれをうまく捉える訓練をしておくべきでしょう。そうでなければ、登場人物の言動を説得力あるものとして描き出すことはできません。

 これはなにも、文筆家だけではなくて、人間の機微を感じ取る必要のある職業、立場に立つ者であれば当然の注意ですから、是が非でも一流になるのだという志と、文学作品をつねに批判的に見ることをとおして、物事を見る目を高く持つのだという問題意識は常にもっておいてください。

◆◆◆

 ことわりが長くなりましたが、上で指摘したような、人間の認識における過程的な構造をふまえていたが表現力がなかったり、ふまえる気があるがよくわからなかったというのであれば、今回の評論は悪くありません。過程を無視するという形而上学的な、また結論ありきという観念的な踏み外しに注意しながら、既存の文学作品を越えるべく研鑽に励んでください。その際には、評論の形で批評するだけではなく、実際に作品を書いてみる、ということがどうしても必要です。執筆能力を始めとした自分自身の条件が整わないために、書くことに引け目を感じることを押してでも、やはり書くべきです。一流の泳法を学ぶときにも、溺れ死なない程度の泳ぎ方で、とりあえず泳いでみるということが、取りも直さず重要なのですから。何も書かないのに批判だけは一丁前、という頭でっかちにならないようにして欲しいものです。

 さいごになりましたが、上記したように論証は一定の評価ができるものの、一般性については誤りです。ここまで物語に即し「すぎて」いるものは、もはや一般性とは呼べません。一般性というからには、正しい段階にまで抽象化することを忘れないようにしてほしいものです。この物語は、「ある客」について述べていたのでしょうか?もういちど考えてみてください。

◆◆◆

【評論の正誤】
・まず著者は、それから暫くして体の体調を悪くしてしまい。
・こうった感情の揺らぎは起こっているはずです。
・では、私たちはどうしてこのような印象をもつのでしょうか。それは、彼らが私たちの生活に強く根付いていればいる程、そういった感情は強く出ます。
→二文目は、問に対する答えだから、理由を説明する「~から」といった表現にせねばならない。

【本文の正誤】
 また評論ではなく、太宰の作品本文に表現の誤りがあります。
 一文目「これは、れいの飲食店閉鎖の命令が、 未だ発せられない前のお話である。」について、「未だ発せられない前」というのはおかしいですね。「発せられない」という否定に、あることが未達である意味の「前」という否定が加わることによって二重否定となり、結局のところ肯定判断を指し示すことになっているからです。否定と否定をつなげて否定の強調とする場合もありますが、文脈からすると強調する必要性がまるでないので、意味もなく読者の混乱を招くという意味で、この場合にはやはり誤りであると判断せざるを得ません。
 ですからここでは、否定を一回限りにして、「未だ発せられない頃」や「未だ発せられる前」にするのが正しい表現です。その修飾の関係を述べれば、前者は「未だ」が「発せられない頃」にかかり、後者は「未だ発せられる」が「前」にかかっていることになります。筆者は、飲食店閉鎖の命令が出る前の話をしたかったのですから、これらの表現であれば、その意図を適切に表現できるでしょう。

2011/05/23

デザインにおける矛盾の統一

ここに、ひとつの懐中時計があります。


さて、突然ですが問題です。

【問】
以下の素材を使って、この懐中時計を立たせるにはどうすればいいでしょうか?

・3mm厚の革



※素材は、どんな工具でどう加工してもかまいません。

◆◆◆

この問題を解こうとするときに、革素材についての実感がわかない場合には、
とりあえず、曲げても戻せるダンボール、くらいのイメージを持っておけばいいでしょう。

問の条件として、その素材をいくら使ってもかまわないのですから、
同じ形に大量に切ったものを、懐中時計の背の高さくらいまで
積み上げてみてもよいかもしれません。


しかしこうすると、床がつるつるの場合には、だんだんずり落ちていってしまいます。

◆◆◆

そうすると、滑り止めの意味合いも兼ねて、
懐中時計が接地するところにも、滑らない工夫をしなければなりませんね。

すると、こんなふうでしょうか。


これでも、いちおうの機能は持っているかもしれません。

しかしこれだと、「懐中時計を立たせる」だけでいいのに、
ちょっと革を無駄遣いしすぎているような気もしますね。

◆◆◆

そうすると、そこに「素材をできるだけ少なくするには」
という問題意識が生まれてきますから、
2枚だけ組み合わせるとこんなふうになるでしょうか。


ほかには、


それから、



こんなところかもしれません。

◆◆◆

エコ路線を突き詰めて、革を1枚だけ使うことにすると、
たとえばこんなふう。




ほかには、


こういった方向性でも何とかなりそうです。

◆◆◆

これは、適当にメモしたものを使いながら
読者に伝えやすいように整除だてて話しているので、
まるで数減らしのエコ路線が正しいものとして描かれているように見えるかもしれませんが、それが唯一の正しい解法であるというわけではありません。

ついでにいえば、メモしたときは、思いつくままに描きまくっただけでした。

ところが、あるていどのデザインが出揃ってくると、
しだいしだいに自分が目指すものが、明確になってくるものです。


今回の、懐中時計のスタンドをつくる、という目的に従って考えてゆくと、
使用する素材を1枚だけに限定した場合には、
かえって別のホックやボタンが必要になると思いましたので、
2枚がいちばん適切なのではないかととりあえず仮定することができました。

そうして今回採用したのは、2枚の革を使ったスタンドのうち、
さいごの案のものです。

これですね。

土台になる円形の革の上に、横長の穴の開いたやや小さめの革が載っています。
その穴の部分に時計本体を指して、立たせるというわけです。

◆◆◆

わたしがこの案を選んだのは、懐中時計の形というのは円形ですから、
スタンドもそれにあわせた形であるのが、見た目にも合理的であると思ったのです。

しかしこの案の欠点は、形は合理的であるものの、
3mmの深さしかない僅かな穴による抵抗だけで、
それなりの重さを持った懐中時計を支えることができそうにない、というものでした。

今回の目的は、「懐中時計を立たせる」ことですから、
この欠点というのは、いってみればスタンドの存在理由そのものを
揺るがすほどの致命的な問題、ということになります。

整理していえば、
使う素材の多さや形といった「デザイン」と、
スタンドとしての「機能」のあいだに
<矛盾>が存在している、ということです。

ここで、2枚の革だけを使うという条件を諦めて、革の数を増やす、
という方法を用いることにしてもよいのですが、
ここでは、どうにかしてその矛盾を統一して、
デザインと機能の両立をはかってみることにしましょう。

◆◆◆

さて、革2枚だけで、どうすれば座りをよくできるでしょうか。

わたしなりにそのことについて思いをめぐらしてあれやこれやと考えて、
最終的にできたのが、これです。


デザインを見ても、2枚の革で考えてみた案のうち、最後のものに近いですね。

でも、時刻を確認するときのことを考えて、
すこし傾いている本体というのは、どうやって支えられているのでしょうか。

◆◆◆

これは実は、斜めからみるとこんなふうになっています。


背もたれがすこし出ていますから、
これにもたれかかるようにして、時計本体が立っているのですね。

◆◆◆

さてこの背もたれは、どういう仕組みで飛び出しているのでしょうか。

もうおわかりになったかもしれません。

種明かしをすると、


一番下の革の部分に切込みを入れて、
2枚目の革に開けた隙間から飛び出すような形にしているわけです。

◆◆◆

横からみると、


背もたれの部分が下の革とつながっていることがわかります。

◆◆◆

こういうわけで、円形の台座の上に、宙に浮いたようなデザインと、
それなりの安定性を持った機能性、という二つの要素を両立させることができたのでした。


これは、結論が出てから考えてみてはじめて分かることなのですが、
「革の枚数をできるだけ少なくするぞ」という縛りを設けたことが、
下側の革を、土台にすると共に背もたれにもする、という
ひとつの合理性につながっていることがわかってきます。

デザインの世界では、
合理的なものを追求したところにはじめてあらわれる、
無駄のない美しさというものを、禅的な、といったり、
ミニマルな、といったり、機能美、といったりすることがあります。

一見すると、これとは対照的に見える、装飾を凝らしたデザイン(たとえば、サグラダ・ファミリアなどの有機的建築を思い浮かべてもらえるといいと思います。機械的建築を代表するバウハウスとは対照的に語られますね)というものもありますが、実を言うと複雑怪奇に見える装飾のデザインも、それぞれの曲線と間の取り方に無駄があってはいけないという意味で、やはり合理的なものなのです。

一見すると、なんの面白みもないように見える、「合理性」ということば。
これが、デザインというものについて言える、ひとつの核的な論理性です。

2011/05/22

本日の革細工:トゥークリップカバー

トゥークリップって何よ?


ってひとには、インターネットで拝借してきた上の画像がいちばんわかりやすいと思う。
自転車のペダルに取り付けて使うもので、今はビンディングペダルに取って代わられて
あまり使われなくなったようだ。

◆◆◆

わたしの常用している自転車というのは、ランドナーという車種だ。

これは、「遠出をする人(ランドヌール)」というフランス語の英語読みで、
形はロードバイクに似ているけれど、荷物を積めるようになっていたりと旅用である。
日本には戦後、フランスをはじめとした欧米圏から入ってきたので、
今定年を迎えるくらいの人の中には、
あのころは私も、と思い出話をお持ちの方もおられる。

旅狂いのわたしがその思想に惹かれて愛車を買ったときに、
いまどきこんな自転車を選ぶからには、
と自転車屋のお兄さんがつけてくれたのが、このトゥークリップだった。
在りし日のチャリ旅人は、好んで使っていたものだというのである。

左がつくりかけ、右が完成一歩手前。

でもこれ、自転車屋で新車を受け取った帰りしなにいきなり気づかされたのだけど、
ブーツ履いてるとつま先がちゃんと入らないんだよねえ。

ついでに革靴は傷つくわ、サンダルでは乗れないわ、停車時には重みでペダルの裏側に回ってしまうわで、
あーめんどくさい、わたしにはとても使いこなせません、
ってなことになって、さっさと外してしまった。

◆◆◆

もともと、身につける物は少なければ少ないほうがよいと思っている人間なので、
腕時計もネックレスもなにもかも、それ自体で機能を持っていないものとか、
ほかの工夫で代用が効くものは全部とっぱらってしまう。

それを身につけることがあるときは、
「自分にはこれが足りないな」
と思えるようになった時だけだ。

モノがありすぎると、ほんとうの必要性を認識できないのだ。

◆◆◆

それで、今がその時かもしれないというので、
このトゥークリップも引っ張り出してみたわけである。

今回はめんどくさがらずにコバ磨きもちゃんとした。
「その時かもしれない」
というのは、数年かけてじっくりと自転車に乗ってきて、
一定期間でギアを一つ重いものにしてみたり、
つま先で踏み込んで回転を意識したりといったことをしているうちに、
「このままではこれ以上は望めないな」と思ったからだ。

◆◆◆

なにしろ、少々の坂道ならいちばん重いギアでもぜんぜん走った気にならないのだから、さしあたってもうこれ以上目指すべき目安がないのである。
日々前進を心がけるものにとって、ベッドに入ったときに
「疲れを感じない」という事実は、焦るに十分な残酷さがある。

もちろんそれも、ロードバイクなんかの、もっとスピードの出る自転車を新調したりすればいいのだけど、目的意識も整わないうちから形から入るというのは、あまりスマートな解決とはいえまい。

余談であるが、子供に主体性がつかない場合の主だった原因は、
お母さんが、赤ん坊が泣いきはじめたあと、「自分がいまほしいものはなにか」と自らに問いかけてみることを待たずに、おっぱい(=答えらしきもの)をあげてしまうからである。

それは大人も同じで、「ここにあれさえあればなあ」といった渇望感と共に、
必要なものについての意識が明確になる前に、モノを揃えてしまわないほうが良い。
問題が人を成長させるのは、その結論ではなくて、過程にこそ意味があるからだ、
というのは、赤ん坊はなおのことであるが、大人にとっても同じである。

革靴保護のために前面を覆うものにしようかと思ったけど、
革がもったいないのでやめた。
というわけで、力業での選択肢は、必要性がもっとも高い段階で明確化するまで、とりあえずおあずけというわけだ。

さてこのトゥークリップ、ペダルだけでの「踏み込む力」とともに、
「引き上げる力」も使わねば使いこなせないそうだけれど、
あたらしい目標になってくれるだろうか。

◆◆◆

目標というのは、それがあるときには焦燥に駆られるが、
達成したらしたで、他になにかないかとソワソワしはじめてしまうのだから、
この感触は、人間にとっては宿命に近いものなのかもしれない。

動かんと欲すればまずは留まり、留まらんと欲すればまずは動くべし。

動いていなければ、かえって落ち着かないものである。

ひとがつながっているとはどういうことか、の一側面と革細工

身につけるものは嫌いだけど、

スイス製の手巻時計。

愛用の懐中時計がある。

フォーマルな場に出るときでも腕時計はつけたくないから、これを持っていく。
使い始めてからもうけっこうになるので、細かな傷だらけ。

いまさらカバーなんか作ってもなあと思ってたけれど、
革の切れっ端ができたので、ちょっと考えた。

金具を使うと本体を傷つけるから、
なんとか革のテンションをうまく使えないだろうか。
(これを論理化できれば、はるかな高みまで登れるはず…)

で、これ。

◆◆◆

ただ、できたのはいいけれど、

本体を持ち上げると抜けちゃう。。
ちょっと大きすぎて、スポスポ抜けちゃうのである。

◆◆◆

で、どうしても大きすぎたりすると、結局こうなる。

ちょっきん。
革細工のいちばん面白いところは、革の柔軟性に助けられて、
はじめはキツキツだったものでも、使ってゆくうちに馴染んでくるところ。

わたしは木や石の彫刻も大好きであるが、
一旦削ってしまったものは、いや削れてしまったものも、
泣いても悔やんでも取り返せないそれらとは違い、
革の細工というのは、けっこう融通がきく。

ただし、融通が利くからと言って、
「革に甘える」のと、「革の味を引き出す」のとは、まったく違うのである。
後者は、偶然に任せず甘えず、出来上がりを完璧に意図して、つくり上げる。
革を縫い上げたあとに伸ばす作業を含めて、意図されている。
だから、いくつ作っても同じものができる。
前者とは、過程における構造のとらえかたが、まるで違うのだ。

ここをしっかりと意識できるのが、プロと素人の差というものであろう。

わたしは、いったん作ったものが完璧でなくとも、
まああとから伸ばしたりすればうまく整えられるなと、
気を抜けば逃げの発想が出てきてしまうから、まだまだ三流なのだな。

◆◆◆

しかし、彫刻の場合には、そうも言っておれない。

作業を横で見ていた家族に頼まれたので、15分ほどでつくった。
なぜそんなに早く出来るのかというと…(下の写真に続く)
それには、石と向きあう作業がどうしても必要だ。

作りたいものがイメージできたら、
店で買ってきた石を目の前に置いて、正面を見る。まわして、側面を見る。
もっと回して背面、側面、そして正面に戻ってくる。でも、また回す。
天地を逆にしたり、斜めに向けたほうがいいかとあれやこれやと考える。

じつに、実作業と同じくらいの時間を、
「石と向き合う」ことに使う。

なぜにそんなことが必要なのかと言われれば、石が天然のものだからだ。
そこには歴史が刻まれており、複雑な模様が走っているから、
表面に現れた斑紋を読み取り、
石の内部でそれらがどのように組み合わさっているかを像として持ち、
そこからどのようにすれば、自分の作りたいものの姿を、
完璧な形で掘り出せるのかと考えてゆくわけである。

わたしの知り合いの彫刻家から譲り受けた木彫りのフクロウは、
爪の部分だけ、とてもうまく、表皮の色が黒く出ている。
それも左右両方ともであり、これは奇跡的と言っても良い。
ご本人は、「運が良かったかな」と笑っておいでだったが、
もちろんそれはできすぎた謙遜であって、それだけのはずがない。

◆◆◆

(上からのつづき)というと、参考にできる型紙があるからである。
革工作において、型紙は理論だ。
iPhone 4の型紙を土台にして、3mmずつ縮めてできた。
ここにある過程というものは、
観念的な言い方をすれば、石と自分との共同作業であるから、
そこを延長させて、石にも精神があるのだということにすると、
これはもはや、
「自分がイメージに基づいて石を削っている」のか、
「石が自分にほんとうの姿を彫り出させている」のかが、
わからなくなってくる。

「観念的な言い方をすれば」と断れるのは、
作業が終わって後に、こうして彼我の区別がはっきりしてから
彫刻というものを振り返るから、そう整理することができるわけだが、
作業に没頭しているあいだともなれば、彼我の区別はないといってよい。

理性で整理したところの、人間が目的的に対象に向きあい、対象を自分化するとともに、自分を対象化するというきわめて弁証法的な相互浸透の過程を、
感性では「対象=自分」と、形而上学的にいっしょくたにしてしまうから、その混乱がおきるのだ。

人間が集中する、という動作の中には、
直感的な把握として、こういった彼我の一致という実感が現れる。
だから、芸術家は神と一体化する、宇宙に出逢う、あるものとひとつになる、
などといった表現が、さも真理のようにありがたがられることになるわけだ。

これは芸術家だけではなくて、スポーツでランナーズハイになったり、
武道である境地に達したとき、また学問で新たな地平がひらけた、
という実感が得られたときなど、あらゆる営みに顔を出す感触である。

◆◆◆

こういった実感は、それがあくまでも感性的な認識である、
という前提で扱われるのならまだしも、それが理性的に捉え返されずに、
直感で存在そのものを捕まえた、などと言い始めると、神がかってくる。

宗教的な信仰心をしっかりと持っている場合になら、
言い換えれば形の上だけでの盲信に始終していないなら、
いわばあえて、感性的な認識を、感性的な認識のままでより高い次元を目指すことになる。
そういった梵我一如の実感は、「仏に出逢う」などと一言で要されるしか無いのだから、
その内実をそれぞれがどれほど持っているかは、明確に確かめるすべがないのだ。

とくに禅というのは悟得を突き詰めるから、言ってみれば、
「自分だけでわかっておればよい」。

しかし、ここを後進に伝えようとする必要がある場合には、
「お前はお前でわかってよればよい、過程は勝手に埋めろ」というわけにはゆかない。
そういうわけで、本来ならばつかみがたい、つかもうとすると本質が逃げてゆくような感触さえある感性的な認識を、なんとしても理性的な認識へと移し変えて、それと直接に過程に含まれている構造を明らかにしてゆく作業が必要になるわけである。

自らの営みを未来へ伝えてゆくためには、
芸術なり学問なり、その道でもっとも先を走っている者たちだけにしか感じられないところを、なんとか論理的につかみとって理論化しなければならない。

そして、それを後進に伝えてゆかねばならない。

◆◆◆

「人がつながっている」という一語にこだわるだけで、
どれほど、どれほどに、問題は難しくなるか。

このことは、机の上で、かつての偉人たちの考えを組み合わせたり、
注釈を付けているだけの人間には、とてもわからない大難事である。

後進などどうでもよいというのなら、
神が見えた、宇宙とひとつになった、仏と出逢った、
といったあたりで満足していればいいのだが、
こんなものは、クスリでもやるか、
机の角にアタマでもぶつければ見えるほどのことでしかない。

感性が、理性でわりきれるものではない、
現実は、理論でわりきれるものではない、
そういった最高の逃げ口上が喉の奥から出かかるときに、
そのときにでも、自分を支える一念は、これである。

「わたしの後ろには、続く者たちがいる。」

本質的なところで人につながろうとする者ほど、孤独が身に染みる。
しかしその孤独こそが、人とつながるということである。

2011/05/20

文学考察: 美少女ー太宰治

文学考察: 美少女ー太宰治


◆ノブくんの評論
 著者とその家内は、その年の六月の暑熱に心身共にやられていたため、甲府市のすぐ近くに、湯村という温泉部落に向かうことにしました。そこの温泉の中で、著者は清潔に皮膚が張り切っていて、女王のような美少女に出会います。そして彼は美少女の美しさに感動し「あの少女は、よかった。いいものを見た、」とこっそり胸の秘密の箱の中に隠して置きました。
七月、暑熱は極点に達するも、著者は温泉に行くお金を工面出来ない為、髪を切ってそれを凌ぐため、散髪屋へと足を運びます。そこで彼は再び例の美少女と出会うことになるのです。
この作品では、〈他人と知り合いを大きく区別している、ある著者〉が描かれています。
この作品の中の著者の論理性を紐解くには、美少女とその他の他人とを比較しなければなりません。彼は他人に対しては基本的に、「私は、どうも駄目である。仲間になれない。」、「『うんと、うしろを短く刈り上げて下さい。』口の重い私には、それだけ言うのも精一ぱいであった。」と、接触をひどく嫌っています。ですが、一方美少女に対しては「私は不覚にも、鏡の中で少女に笑いかけてしまった。」と、明らかに一線を画しています。これは一体どういう事でしょうか。
著者がこのような行動をとった重要な要素としては、美少女が彼を覚えていること、又彼自身が彼女を少なからず知っていることが挙げらます。そして上記の要素が合わさった時、彼は彼女を知り合いだと感じ、笑いかけているのです。つまり著者は他人と話すことを嫌う為、温泉や散髪屋での会話に戦々恐々し、美少女に関しては知り合いだと感じているからこそ、自分から接していこうとしています。彼にとって他人と知り合いには、それだけ大きな隔たりがあるのです。
◆わたしのコメント

 論者は、筆者が、「他人」と「知り合い」を明確に区別しているのだとして、彼の性質を一般性として述べています。その論拠となるのは、「気楽に他人と世間話など、どうしてもできないたち」であるはずの筆者が、温泉で出会い、その身体をまじまじと眺めたことのある美少女と思わぬところで再開したとき、不覚にも「少女に笑いかけてしまった」ことにあります。

 ここで論者は、筆者の論理性というものが、「他人」と「知り合い」を、「あれかこれか」の関係でしか読み取ることのできない形而上学的な論理性であると言いたいようですが、皮肉なことながら、そういう論者の論理性こそ、形而上学的だといわねばなりません。その欠陥を一言でいえば、「人間の認識についての交通関係が把握できるための実力がない」ということです(薄井坦子『科学的看護論 第3版』p70~、ほか)。

 もし仮に論者の言うように、筆者は美少女を「知り合い」だと感じ、その他の、たとえば散髪屋の店主を「他人」だとするとしたときのことを考えてください。しかしその場合でも、筆者にとっては当の美少女もが、どこかの時点までは間違いなく「他人」だったわけですね。ということは、筆者にとっての美少女が、いつ「他人」から「知り合い」になっていったのかをふまえておかねばなならないことになります。「すでに顔を見た」ことなどだけを「他人」から「知り合い」へと変わる変遷の節目であるとするなら、散髪屋の店主も「知り合い」になっていなければおかしいはずでしょう。ところが本文を読めばわかるとおり、それでも筆者にとっては、再開した美少女は「知り合い」なのであり、店主は「他人」でしかないのです。

 そういったふうに考えれば、今回の作品でいえば、「あれ」が「これ」に変わってゆく過程を追ってみなければならないことがわかります。それが、過程的構造を理解する、ということです。

 さてこの作品における筆者にとっての、「他人」が「知り合い」へと変わる過程には、どのような構造が含まれているのでしょうか。筆者と美少女は、AはBのどのような表現をとおして、Bの認識を読み取ってゆき、そのことを受けてどのような表現をしたから、Bはどう受け取ったのでしょうか。そういった、お互いが互いに精神的な働きかけを持ち、精神的な交通関係を築き上げる中で、どのように知り合いへと変わっていったのでしょうか。

 一流の小説家は、無意識的であれ、そういった人間同士の精神の働きかけあいを把握しているものです。こういった理解には、整理能力と当たり前の現象に潜む論理を丁寧に取り出す論理力が必要なので、たいへん難しいところではありますが、人間を正しく扱う仕事には必須の能力です。指定しておいた参考文献を手がかりとしながら日常生活と論理的に向き合い、ぜひともしっかりと修練を積んでください。


【誤】
・又彼自身が彼女を少なからず知っていることが挙げらます。