社会に出ると、とんでもないことが身の回りでおこることがある。
わたしの場合は、それが我が身に起こったことなら、
まあこんなもんだろうな、という姿勢で流せるのだけど、
間近で人がそういう目にあったのを見ていると、
なんともいえない、人間であることそのものに打ちのめされるような、悲しい気分になる。
思い返してみれば、割りに合わないのが昔から嫌だった。
悪ことをして怒られたり捕まったりするのは当然である。
わたしもイタズラやらルール違反をするときは、
これをやったらああいうふうに怒られるだろうな、
それくらいの価値とか面白さが、この悪戯にはあるだろうか。
そう考えてやっていたから、ゲンコツをもらってもとくになんとも思わなかった。
懲りずに毎日早起きして、柵を乗り越えてプールに侵入し、
繁殖したフナやらカエルやらを捕まえていたもの。
そうして、登校してきた先生に怒られ、素直に非を認めてまじめに謝っていた。
謝っているわりには次の日にもまた同じことをしているものだから、
先生からすれば、のれんに腕押しの問題児、といった位置づけだったのだろうか。
どっかのネジが外れた馬鹿、といった感じだったのかもしれん。
ただこんなことをやっていると、いざとなると濡れ衣を着せられたりすることもあって、
そっちのほうはあらかじめ気持ちの準備ができないために、めっぽう弱かった。
ああいう場合、まったく見に覚えがなさすぎて「やってません」としか言いようがないから、
結局は自分が日常生活を通して信用されてるかどうかにかかってくるもんねえ。
◆◆◆
まあともかくそういう範囲であればいいのだが、問題になってくるのは、
悪いことをしてないのに酷い目にあう、っていう場合である。
とくに、純粋「すぎて」人に騙される、とかいう場合だ。
自分が生まれたときには常に罪を背負っているとか、
前世で悪いことをした報いだといった、
宗教的な納得の仕方ができる時代にはよかったのだけれど、
宗教色の薄い現代人はそれに比べたら、裸で外に放り出されるようなものだ。
自分の力で纏うものを繕わなければ、寒くてやってられない。これは大変である。
とくに、その必要性を自覚しないままに成長してしまった場合には、
いざ寒さを肌身にしみて感じてからでは、にっちもさっちも、となってしまいがちなのだ。
要するに、なにも悪いことをしていないのに頭の上に隕石が降ってきた。
そんなときに、どう納得するか。
「納得などできなくともよい」ということを本心から言えている場合には、
問題は問題としてすら認識にのぼっていないわけだから、文字通り問題ではない。
しかしそうではなく、どうしても納得できない場合は、
「とりあえずそれでも」努力をして、もとの道に戻る、
そののちに振り返ってみれば、「あのときあの出来事があってよかった」、
などと思えるものである。
ただその場合にも、「とりあえずそれでも」何らかの努力をする、
という勇気やモチベーションといったものは、どこからひねり出してくればよいか。
その答えのひとつは、文学であると思う。(やっと本題にたどり着いたぞ!)
人間のありかたの良いところは、納得してから行動することのほかに、
行動しながら納得してゆく、という道を僅かながら残しておいてくれているところだ。
(ここのところの説明はけっこう長くなるので、気になる人は聞いてください)
わたしのところに出入している学生のひとりに、文学を熱心にやっているひとがいて、
その学生さんとのやりとりのために、毎日文学作品を読むことになっている。
そうして触れた文学が、日々の研究や日常の出来事にたいする姿勢として、どれほどの助けとなったか。
この出会いと出合いには、感謝してもしきれないものがある。
子供のときからその良さにもっと気づいておけば、と思わないでもないが、
大人になって、いろんなことにもみくちゃになってみて、初めてわかる良さもある。
下で挙げたものは、どれもひとりの人間の生きざまを描いた文学だ。
一般的に言えば「後味の良い」ものばかりでもないのだけれど、それでも不思議と作品の中の登場人物の生きざまが、自分の支えとなって身近に感じられるのは、文学というものの偉大さをまざまざと見せつけてくれる。
すべて短編であらすじを書くほどでもないので、疲れて眠れない夜には読んでみてください。
わたしもいま、とんでもないスランプなので、読み返しているところです。
・図書カード:恩讐の彼方に(菊池寛)
・図書カード:唖娘スバー(タゴール)
・図書カード:最後の一句(森鴎外)
・図書カード:きりぎりす(太宰治)
叱る大人も「叱り方」を知らないと、立場やルールに縛られた一方的な言動になり
返信削除子供には全く伝わらないのかもしれない。
いろいろ理不尽なことはあるけれど、やはり心のよりどころは必要ですね。
「きりぎりす」、「非凡なる凡人」と対象的ですね。
返信削除でも、自分もそうなってしまいそうで怖いです。
アインシュタインの言っていたように、
賞賛に耳を傾けず、仕事することが唯一の逃げ道
何ですかね。。