お題はこんな風ですが、一般的な問題解決過程としても読むことができます。
一般の読者のみなさんには、ある問題を解決するときには、
どうしても「論理」の力を借りねばならないことがわかってもらえればさいわいです。
◆◆◆
以下は、以前のエントリー「自作を語るー太宰治」のコメントにおいて、
満足に読解できなかったことの反省文を書いてもらったものです。
私はこの作品を読んだ時、最初〈作品の中で、著者は自身の主張は全て述べており、その中以外で自分の主張を述べることに嫌悪感を感じている〉というものが、作品の命題だと考えていました。しかしコメント者の指摘を読み、〈作品を自ら説明することは、作家にとって敗北である〉ということが書かれていることが分かりました。
私はここから自身が作品の表面的な理解しか出来ておらず、著者の心情を我が身に繰り返すことも出来ていないことを知りました。 ですが、何故自分が著者の心情を自分の中に持つことが出来なかったのか、今でもはっきりとは分かりません。
ですので私が思いつく最大の解決策は、やはりいつもコメント者が指摘しているように自身の創作における苦悩と著者のそれを重ねて、我が身に繰り返すように読むしかないと考えています。
◆◆◆
わたしが、「背伸びせずに、自分の率直な感想を、自分の言葉で反省を述べてください」
と注文をつけておいたので、自分なりに真剣に考えて、書いてくれたようです。
結局のところ、失敗の原因というものは自分では特定できていませんが、これでよいのです。
自分の失敗を妙な理屈で塗り固めた挙句、実のところまるで反省せずに終わってしまうよりも、
長い時間しっかり考えて、それでも、どうしてもわからない!という感想を述べることのほうが、失敗を次に繋げるためには必要なことです。
論者が「著者の心情を我が身に繰り返すこと」と言っているのは、
唯物論的弁証法で言うところの、<観念的二重化>というもので、
簡単にいえば、ある筆者の著作を読み込んだり、ある人との付き合いが長くなったときに、
「あの人ならこのときこう言うだろうな」と、自分のアタマの中で、その人の像が作られていることを言います。
論者は、一般的に言って、論理的な修練が足りないために、この<観念的二重化>が安定していません。
基本的に、自分の実力(とくに論理の)をはるかに上回る人物の像は、認識の中に持てない、というのがその理由です。
(『弁証法はどういう科学か』の、オハジキ遊びの達者な子供のことを思い出してください。p.247~)
ですから、特殊的に言えば、今回のような、「芸術家がどんなことを考えているか、どんなことに悩んでいるか」も読み取れないのも当然ということになります。
それができるためにはどうすればよいかは、今週掲載予定の「認識における像の厚み(1)~(4)」にも手がかりがありますので、学んでください。少なくとも修練のやり方がまだまだ浅いのだということは、驚きと共に明らかになるはずです。
◆◆◆
以下に、わたしが本文において、キーワードとみなした箇所に下線をひいたものを載せておきますので、自分の理解と照らし合わせて答え合わせをしてください。
※必ず、自分で判断したキーワードに下線を引いた後に、わたしの解答を見るようにしてください。答えを先に確認してはいけません。
実のところ、ある文章について、
「ある箇所を重要だと判断できる」ことや、
「ある箇所をキーワードをみなせる」こと自体が、
それなりの経験と、それなりの論理性を必要とされることなのです。
また、紙にプリントしてキーワードに線を引き、そののちにそのキーワードに共通することがらを一般性とみたてて評論し始めることを、毎回の評論で必ず行うようにしてください。
この修練なくして、絶対に論理力はつきません。
◆◆◆
さて、一般の読者のみなさん、お待たせしました。ここからが一般的な議論になりますが、少なくとも論者の場合は、同じテーマの作品が出てきたときに毎回詰まってしまうようなのです。
文学の道を望んでいるにもかかわらず、先達の通ってきた道がわからぬとは何事か、と厳しく指摘してきたのですが、数を重ねるうちに、
もしかすると、こういうことへの理解が不足していることは、わたしが思っているよりずっと一般的なのかもしれない。
そう思ったので、一般の読者さん向けに書いておくことにしたのでした。
さて、論者が詰まるのはどういうテーマかというと、「芸術家独特の悩み」を扱ったものです。
ある作家が創作活動をするときには、自分の思い描いているものを書こうと、あれでもない、これでもないと思い悩みます。
思い悩むということは、自分の中にある問題意識に当てはまる答えや、それを導きだす手がかりが身の回りで見つからないから、そうなってしまうわけです。
そうすると、探しているもののレベルが高いほど、悩みの深さも深いものになってきます。
彼らは、一般的な人が何気なく通りすぎて気にも留めないようなことについても、微に入り細を穿ち探求してしまうために、どうしてもあちこちで立ち止まらざるを得ないのです。
◆◆◆
たとえば太宰治の場合を見てみましょう。
彼の悩みが現れている作品について、彼の内面を要約しておきます。
(リンクは青空文庫の全文です。論者は本文も読みなおし、先ほど述べた、キーワード→一般性の手順を使い、以下のように要約ができるまで修練を怠らないでください)
芸術というと、社会的には劣って見られがちな仕事ではあるが、私は痴(こけ)の一念で、それを究明しようと思っているのである。しかるにそういう観点から物事を見ればこそ、世の中には偽物の、空虚な表現が出回っている。見てもみよ、たとえば兵隊が戦地で書く作品もが、そういう害毒に犯されて、彼らの「ものを見る眼」を破壊させているではないか。ところが、そういうことを目の当たりにして、自分はそうなるまいと意識すればするほどに、私は絶句するのだ。ものを書くことを生業にしながら、何も書けない、つまり、唖(おし)の鴎(かもめ)にならざるを得ないのである。
一人でも一流の道を歩こうと心に誓い、歩んできた。ところがそう構えれば構えるほど、自分の言いたいことが言えない、その姿だけがくっきりと明らかになるだけで、少しも筆が進まない。私は、言うべきこと、ただそれだけをきっちりと書いて、それ以外のことについては一切言いたくないのである。そうしてできれば、流石、と読者に膝を打たせる作品を書きたいのだが、そのことに思い悩んでいるうちに、自分のしたいことが何なのか、さっぱりわからなくなってきた。
◆◆◆
加えて言えば、太宰治『自作を語る』で展開されている主張も、後者にほぼすべて含まれていますし、『散華』、『正直ノオト』、『一日の労苦』などでも、作家としての生き方についての言及があります。
太宰はこれらの作品で、いわば<作家としての矜持>を述べているのであって、太宰には、作家としての誇りにかけて、世に多くある、食うためだけに筆をふるっている作家とは一線を画する仕事をしなければ、という気概があるのです。しかしそうだからこそ、自分の仕事に厳しい制限を課さねばならず、かえってなにも書けなくなるというジレンマに陥っているわけです。
こう説明すると、「それはそういうものか」、と思っていただけるとは思うのですが、同じ悩みを、常日頃の実感として持っている方は、案外少ないのかもしれません。わたしなんかは、人付き合いに関する軋轢からは距離をおいておける立場なので、対人関係の悩みよりも、こちらのほうがずっと身近で、ずっと重いものです。
しかし逆に、もし表現したいことがうまく表せないというジレンマがなくて、はじめから考えるままにモノづくりが出来ているのなら、成長の喜びも、次回への原動力も生まれようがないはずですが。こんな場合がありうるとするなら、それはむしろ、自分の現在の実力でも手の届くところに、目標を引き下げてしまっているのでしょう。
良いものを書こうとして、かえって書けなくなる。
これは一般には「産みの苦しみ」、その裏返しの「愉しみ」、といった呼ばれ方で表現されるもので、創造的な活動をしておられる方ならば、誰しもお持ちの実感ではないかとも思うのですが、そうではないという実例を間近で見ているわけですから、すこし立ち入って論じておく必要がありそうです。
◆◆◆
さて太宰は、上に挙げた作品のうち『鴎』の中で、路のまんなかの「水たまり」を、こう論じています。
「水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠りどころが在る。この水たまりを忘れずに置こう。」
なぜ「水たまり」が、彼にとって「私の芸術の拠りどころ」なのかといえば、こういう理由でしょう。
創作活動には、自分の力の及ばぬどうしようもない部分だってあるのだ。そうすると、やるべき努力を成したならば、あとはそれが自然に熟成されるまで、「待つ」という態度で臨むしかないわけである。(余談ですが、「水たまり」を「待つ」という態度の表れである、と読み解いたのは、論者・ノブくんの指摘です。わたしは気づきませんでした)
そういう問題意識を常に持てていると、それが積み重なって創作活動を一旦中断し、外に散歩にでかけたりしたときにでも、まったく違ったきっかけから、探しているものを見つけ出すことができることがあります。
◆◆◆
世界にも、同じような話が伝わっています。
古代ギリシャの科学者、アルキメデスが王様からの要望に応えようとした話を見てみましょう。
アルキメデスはあるとき王様から、ふたつの王冠を差し出され、「このうちのどちらかがニセモノのようなのだ。それがどちらなのかを当ててほしい」、そう言われたのでした。しかしそこには、ひとつ条件が。「ただし傷つけずにだ」、というのがそれです。そうすると、削って調べるわけにも、溶かしてみるわけにもいかない。彼は悩みました。見た目ではどうもまったく差のないこの2つの王冠を、どうやって調べればいいのか。その方法がどうしてもわからずに、三日三晩悩んだのです。
ところが、転機は思わぬ時にやってきました。とうとうその方法を思いつかないままの失意を抱えて風呂に入ったとき、彼はある違和感を覚えました。なみなみと注がれた浴槽に入ると、自分が入ったぶんの湯が流れだしている…待てよ、「そうか、わかったぞ(ヘウレーカ)!」。溢れ出す水を見て、彼はついに探していたものを見つけたのでした。
これはのちに作られた伝承ですから、彼はこのままの体験をしたわけではないのですが、「なるほど、これはありそうだな」という実感としては多くの人が理解できるのではないでしょうか。
ここで大事なのは、「風呂の水が溢れ出す」という現象は、誰しもが経験していることです。そして、彼にあっても、その経験は十分に周知のものだったはずだということです。
それでも彼が、このときに限って問題を解く鍵を探し当てられたのは、いったいなぜだったのでしょうか。
彼は、常々王冠を調べる方法はなにかないものか、と考え続けていましたから、その強い思いが問題意識としてはたらき、彼を助けたのだ、というのがその理由です。そういう目的的なものの見方があって始めて、彼をその解法に導いたわけです。
◆◆◆
これをわかりやすいように身近な例でたとえば、二人の旅行客が同じ海外旅行に行った場合にでも、片方はブランド物のバッグほしさに免税店に入り浸ったのに対して、相方は現地で友人を作り、バーを飲み歩いていることだってあるでしょう。またこの違いは、より小さな範囲で同じ行動をとったときにでも言えることです。たとえば、同じ演説を聴いたときにでも、ある人がはじめて人生の意味に気づいたと涙を流す横で、友人はあくびをしていることだってあるわけです。
そうすると、こういったときに重要なのは、「なにを経験したか」ということだけではなくて、「それをどう受け取ったか」、つまり「どういう問題意識を持って臨んだか」ということになりますね。
◆◆◆
アルキメデスの「ヘウレーカ」を例にとって言えば、彼は、「風呂の水が溢れ出す」という現象を一般化して、「物質の性質によって密度が違ってくる」といった論理として取り出せたために、探していた答えに当てはめることができたのでした。
もし彼が、「風呂の水が溢れ出す」を現象そのままとしてしか認識し得なかったとしたら、「ニセモノの王冠を探す」という目的と関連付けて考えることなど、できるはずもなかったわけです。
ここまで論じたことを、論理の光を当てて整理しておきましょう。
まずはじめに、あることを実現しようという目的を持った人間がいます。
彼や彼女は、その問題意識を持って物事(自分自身の内面が対象化されている場合もあります)に向き合います。
そうして、ある物事に向きあたったときに、「おやっ?」という違和感を覚えるのです。
そこでの物事というのは、日頃培われてきた論理力をとおしてふるいにかけられたのちに、違和感として感じられ、そうして受け取られた感性的な認識が、また持ち前の論理力によって整理されてゆきます。
そこで理性的な認識として意識されるようになってくると、はじめて当初の目的への解法、過程が、「そうか、わかったぞ!」と、明確な像として意識されるわけです。
◆◆◆
「~とはなんだろう、どうすればいいのだろう」という目的を持った人間の、「おやっ?」から「そうか!」への筋道は、こういう過程があるのですが、それが作家などの芸術家の場合には、この問題意識というものが、非常に長い間、また一生解消されない場合もあるのです。
本人の目指している目標が高ければ高いほどに、それは実現しがたいものとなりますから、その焦りというものも、目標と同じレベルにまで高められてしまいます。
なにか手がかりはないかと探し始めたとき、同じ問題意識を持って物事に取り組んできた先達がいる場合ならまだしも、まったくなにもないようなところから、独力で道を作ってゆかねばならないこともあるわけです。
そのときの心情というものは、「作家」という存在のある両面、
「なんらかの作品を発表することをもって作家とする」という側面と、
「一流の作品を発表すべきである」という倫理的な側面の板挟みになって悩んでいるのです。
いわば、進むも地獄、退くも地獄、といったものです。
ここを、太宰の読者をはじめとした一般的な人間の見方でいえば、たしかに一流であるべきであろうが、作品を発表しないことには作家とは呼べないではないか、といったところかもしれません。
彼らは、作家が持つ創作過程を知りません。
ですから当然に、そこでの筆者の思い悩みというものも、見ることはありません。
そしてさらに、「一流」ということばは同じでも、そのことばの受け止め方が違うわけです。
太宰が、自ら駄作として投げ捨てた原稿の中にも、一般的な読者を十分に満足させるものはあったはずですから。
それでも太宰は、彼の中の「一流であるかどうか」という価値観に照らして、その作品の成否をより分けていたのです。
◆◆◆
このように、おおよそ一流を目指す人間というものは、その志ゆえに、目の前にある対象というものが、「あれでもない、これでもない」としか認識されないのです。しかし他方では、より低いレベルで目標を考えている人間からは、「あれもこれも、十分に一流と呼べるものではないか。あれやこれから学ばずに我が道を行くというのは、外道か、そうでなくては狂人であろう」という謗りを受けることになるのです。
太宰の場合には、一流のものを求めている間には、他のことがまったく手に付かなくなるという気質も相まって、その気苦労というのは、常人には計り知れぬものがあったと思ってもよいでしょう。
「誰もそれを認めてくれなくても、自分ひとりでは、一流の道を歩こうと努めているわけである。だから毎日、要らない苦労を、たいへんしなければならぬわけである。自分でも、ばかばかしいと思うことがある。ひとりで赤面していることもある。」(『作家の像』)
彼の場合は、一般的な人間の物を見る眼の立場に立てましたから、彼らの観点からすれば、自分が「要らない苦労」をしていることは重々周知であったのです。しかしそれでも、「一流の道」を歩むためにはどうしても必要なことを、やろうとしているのです。
◆◆◆
ここまで論じてくれば、「論者が、なぜ作家の苦悩を読み取ることが出来ないか」、という問題について、ある一定の結論を出してもよさそうです。
たしかに論者は、文学作品の創作過程はあるていど持っていますし、
また「一流の作品を作りたい」という志がないではないのですが、
それでも、「一流」ということばの重みが全く違っていることが、残る問題なのです。
そうすると、これから太宰作品を読むときに、どういった問題意識をもって取り組めばよいのかわかってきたはずです。それは、「太宰の言う『一流』とは、どういうものか」、というものです。それは当然に、一般的な意味での「一流」などではなくして、太宰流の「一流」像ではなくてはなりません。
2/25(金)に連載予定の「認識における像の厚み(4):「学ぶ」とはどういうことか」も参考にしながら、「先達から学ぶ」、「深く学ぶ」ということを、しっかりと捉え直してください。そうすると、なぜ自分のこれまでの認識が薄いものにとどまっていたのかの手がかりも、同時に明らかになってくるはずです。
0 件のコメント:
コメントを投稿