空き時間にいかに考えをまとめるか、ということでした。
遊びにきていた親戚の子どもにも、
「休みくらいは、考えたり鍛えたりするのを、やめなさいね!」
と言われて、なんだか食事中に新聞を読むのを子どもにたしなめられるビジネスマンとキャリアウーマンの気持ちがちょっとわかりました。
でも、いつもの習慣を無理に止めるとココロのほうの平穏が、保てないのですね!
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そうは言っても、遊びは遊びでメリハリはつけてはいるので、出先にまでMacBook Airを持って行ったりはしません。
ただ遊び中にも、常々考えている疑問が「ああ、そういうことだったのか」と氷解することはあり、そんなときにはメモを取っておかないとあとで忘れてしまって、喪失感ばかりが色濃く残るせいで二重に悔しかったりもするわけです。
なので、中国からこれを取り寄せました。
iPhone 4用の、外付けキーボード。
バッテリーが搭載されていて、本体とはBluetoothという無線規格でつながっています。
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せっかく薄型のiPhoneがこれを着けているとけっこう分厚くなってしまいますが、それでも初代iPodよりは薄いのでした。
ですから、つけたまま持ち歩けないこともありません。
iPhoneのほうが奥行きがあるせいで分厚く見えますが、 実際には初代iPodのほうが1mmほど分厚いです。 |
これは、従来のフィーチャーフォンでは考えられなかったことで、圧倒的な数量と、iPhoneのシンプルさが、サードパーティーを巻き込んだエコシステムを構築していることがよくわかる例です。
日本の市場も、すっかりそんな影響を受けないわけにはいかなくなりました。
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ところで、なぜに中国から取り寄せたのかといえば、これが日本に入ってくると、6,000〜10,000円弱という値がついているからなのですね。
これはちょっと高いなあ、それにわたしのiPhoneはホワイトなのに黒いキーボードしかないし、と思っていたところ、中国の通販サイトを見れば、ホワイトモデルが送料無料の3,000円ちょっとで売られているのを見つけたということでした。
実際に届いて開けてみると、そのスライドの精巧さ、キーのむらのなさ、これほどの薄型のなかに数週間持つバッテリーを搭載するなど、モノとしての完成度には驚かされます。
これが3,000円!日本の企業もこりゃあ大変だ、と心底感じ入りました。
この商品はいわゆるノーブランド品で、通常ならばこれを、よりユーザーに近い企業が自社ブランドをつけて市場に出すわけですが、ユーザーにとってはどちらにせよ知らないブランドのロゴを印刷されるくらいなら、無地のままでさらに安いほうがいいに決まっています。
背面があまりに寂しいので、わたしは昔のリンゴマークを勝手につけました。
余計なロゴは、No Thanksです。
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これと同等のキーボードは、すでに市場にたくさんの種類が出まわっています。
Amazon.co.jpで"iphone bluetooth keyboard slide"などで検索すると、無数のヒットがあることからも、それが複数の流通経路で、複数のブランドを付けて売られていることがわかります。
こういうときには、ある会社が設計したものを中国の企業に製造を委託したあとで、中国企業が横流しして独自で販売し始めることもありますから、このキーボードの設計そのものをどこが担っていたのかは、著作権としては大きな問題です。
ところが、これまでは委託されて製造だけを担っていたところが、しだいに力をつけて、設計までも視野に入れるようになると、それまで設計をして自社ブランドをつけてものを売っていたところが、偉そうな顔をできなくなってきます。
わたしはこの商品を手にとったときに改めて、日本企業は、すでにずいぶんと差を縮められているのだなと実感しました。
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こういった話は周辺機器に限られることはなく、発売から1年強のiPhone 4も、すでに精巧な偽物が出まわっています。
その中身はiOSではなくてAndroidが搭載されていますが、少なくとも外見はかなり精巧に真似をされていますから、デザインに劣ったAndroid端末を使うくらいなら、たとえ偽物であってもiPhoneの外装を採用した端末を使うほうがよいというユーザーがいても、少しも不思議ではありません。
設計者の努力をきちんと評価するためにも、眼には見えないところの著作権を認め、それを守るための整備は正しく行われなければなりませんけれども、それは「できるけれどやらない」ということを強制するための国際的な取決めなのであって、「できないからやれない」というのではないということは、やはり真正面から受け止める必要があります。
戦後の日本が、他国の製品を模倣した「安かろう悪かろう」から出発して、世界でも有数の品質を備えるまでに半世紀もかからなかったことを考えれば、「明日は我が身か」と、自分たちの過去の姿を鏡として、次になにをすべきかを考えてゆかねばなりません。
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