2012/02/07

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (5)

以前に学生さんが自宅に来て、


「どうしてひとりでもそんなに強くていられるのですか」と聞きました。

わたしをそんなふうに見てもらえる理由があるのだとしたら、きっとひとりではないからでしょう。
ロダンの引用は今回でおしまいですが、ここまで読んできてくださったのなら、その答えがよくわかったのではないでしょうか。
わたしも今回読み返してみて、出会ったときには寝食忘れてむさぼり読んだその一言一言が懐かしいものとして思い出され、彼のことばが自分の中に生きていることを知りました。

心の底から尊敬できる師が現実の身の回りに見つからないのなら(もっとも、そんなことはよほどのめぐり合わせがない限りあり得ません!)、かつての偉人を探せば良いのです。
巨人の肩に乗る、それを忘れないでください。

(※初出から更新しました:記事末尾に正誤表を追加。)


◆ギュスターヴ コキヨ筆録(p.305-382)◆

p.320 われわれの唯一の学校とは
「自然は決してやり損なわない。自然はいつでも傑作を作る。これこそわれわれの大きな唯一の何につけてもの学校だ。他の学校はみな本能も天才もないもののために出来たものだ!」

p.321 芸術は自然の通訳だ
「芸術において、人は何にも創造しない!自分自身の気質に従って自然を通訳する。それだけだ!」

p.322 困窮を厭わなかった理由
「私は五十歳頃まで、貧乏のあらゆる当惑を持っていました。しかし仕事する事の幸福が私をまったく支えていました。それに、仕事しないとすぐ、私は退屈します。物を作らないのは堪らない。」

p.355 しなやかさこそ
「私は一生涯「しなやかさ(スウプレッス)」と優美とを求めた。しなやかさこそ万物の魂である。」

p.367 才はどう生まれるか
「才は叡智ではない。細目の育ったものである。」

p.369 肉づけはどう生まれるか
「肉づけは手が愛撫のうちに経験する感動である。」

p.369 正直者は悲劇を生きる
「最も正直な者の生活の悲劇。また他に構えずにその悲劇を生きる事の苦悶!」

p.370 模写家たれ
「われわれが自然を矯正し得ると思うな。模写家たる事を恐れるな(引用者註:ここでの「模写」とは、前段でみたような侮蔑的な意味合いではもちろんない)。見たものきり作るな。がこの模写は手に来る前に心を通る事を思え。われわれの知らない間にさえいつでも独創はあり余る。」


◆カミーユ モークレール筆録(p.383-390)◆

※p.384-385については、ロダンの生い立ちと極意を極度に圧縮したかたちで述べられた、本書中最も重要な箇所(当人とそれを取り巻く環境との相互浸透的な量質転化を、全体としての否定の否定で貫いて書かれた箇所)なので、彫刻をはじめとしたものづくりに携わる人は原典にあたっていただくのがよいと思います。
彼の主張のすべてがここに含まれています。わたしは何回ここを読み、書き写したかわかりません。

p.384 私は発明しない、掘り出すのみ
「――私は何にも発明しません。私は彫り出すのです。それが新しく見えるのは世人が芸術の目的と手段とを一般に見失ってしまっていたからです。世人はそれを革新だと思いますが、それは遠い昔の偉大な彫刻の法則がまた帰って来たに過ぎません。」

p.384 理法ある誇張こそ極意である
「私の全目的は「市民」時代以来、理法ある誇張の方法を見つける事でした。その方法は肉づけの思慮ある増盛法です。それからまた形を幾何学的図形に絶えず単純化してゆく事です。そして形のいかなる部分をもその観察の綜合の犠牲にしてしまう事を決める事です。」

p.384 解らずやは彫刻を誤解している
「彫刻では、筋肉束の隆起は抑揚をつけられ、遠近は強められ、凹みは深められねばなりません。彫刻は窪みと高まりの芸術です。きれいな、すべすべした、肉づけのない形ではありません。」

p.385 私の標準とは
「面によって仕事する事、表面でせずに、奥行でする事、それに一切の自然の源たる幾つかの幾何学的図形を常に念頭に置く事。そして研究している物体の個々の場合に、此等の永久的の形が鑑取せられる様にする事、此が私の標準です。」


◆バトレット筆録(p.391-終わりまで)◆

p.393 私が悲観しなかった理由
「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。いつでも嬉しかった。私の熱心さは無限でした。休む間もなく勉強していました。勉強がいっさいを抱擁していたのです。私の作を見た人は皆だめだと言いました。私は奨励の言葉を知らなかった。店の窓へ出した私の小さな素焼の首や全身像はちっとも売れませんでした。世間なみの事にかけて、私は全く閉め出しを喰ったのです。それが私の役に立つとも考えられなかった。」


◆岩波文庫版『ロダンの言葉抄』正誤表◆

p.150 -L6
「私に始めて指摘してくれたのは」→「私に初めて指摘してくれたのは」

p.177 -L1
「エジプトはこの種の小さな銅の驚くべきものを作っていますが、これもその一つですけれど、一枚の羽もありません。」
→「エジプトはこの種の小さな銅の驚くべきものを作っており、これもその一つですけれど、一枚の羽もありません。」
(副詞の「が」は、接続詞と混同し読者の便益を損ねるため多用は望ましくない。さらに、「〜が」という表現の連続は、否定が何回行われたかがわかりにくくなるため、作者の主張を誤って伝えることが多く、さらに注意が必要なため。)

p.312 -L4
「将来はもっと何うかうまくやろうと」→「将来はもっと何かうまくやろうと」
(「何」を「ど」として、「どうかうまくやろうと」と読ませたいのかもしれない)

p.338 -L7
「バー めいめい時代がある!」→「バ! めいめい時代がある!」
(感嘆を表す意味でロダンが文中に「バ!」と発言するところがある。この箇所の誤りは、縦書きのために本来感嘆符とすべきところを長音としたままなのに見逃したことによって起きたと考えられる。)

p.360 L2
「そして脇腹はここで縊れ、」→「そして脇腹はここで括れ、」
(「縊れ」は「首をくくって死ぬ」の意。)


(了)

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