前の記事に少し書いていたと思うのですが、このところ歴史と語学の研究にぴったり張り付いていて、どうにも記事を書く時間がないというので、国際学会に行くという学生さんに原稿を書くPCを貸し出していたのです。
ずいぶん更新できませんでしたが、PCが手元にあろうとなかろうと、研究以外のことを思い出す余裕が全くありませんでした。
かなり無理をしたせいで頭痛がありますが、心身ともの基礎修練はきっちりこなしているので元気は元気です。
むしろ病気の時のほうがここの記事を書く時間が増えるような生活を送っているので、ご心配なきよう。
期間中、大事だと受け止めたご連絡については返事をしたものと思っていますが、ここ数週間のことはあんまり自信がありません。
返事を待っている方は、すみませんがもう一度催促のご連絡をいただければと思います。
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さて一連の記事の途中でいろいろと大きな仕事が入ってしまっていましたが、それについては週末に公開するとして、前回の記事から今日までにいただいたご質問に、先に簡単にでも答えておかせてください。
というのも、今回のご質問は少し知識的な事柄を扱うので、参考資料が手元にある今だからこそ書けるものであるからです。
ふだんここの記事を書いているのは図書館の中での休憩中なので、手元には手持ちの参考資料はない状態での執筆なのです。
記事を読まれているとわかるとおり、ここで扱っているのは弁証法という論理の基礎、認識論という学問の基礎などを日常生活の問題を取り上げながらつっこんで考えてみる、という事柄ですから、記憶だけを頼りに、一般的におおまかな流れとしてお伝えしたほうが、むしろ読者の便益の助けになるのです。
これはひとつに、細かすぎる知識的な事柄をいくらあつかっても論理が出てこないことと、特殊的な専門分野の知識を取り上げて説明しようにも、かえって読者のみなさんにはわかりにくいものになってしまう、という理由があります。
さて、そう断ったうえで書いておきたいのは下の3つの質問です。
1.歴史や科学から弁証法を見つけるのがとても難しいのですがどうすればよいでしょうか?
2.面接で良い学生を採りたいのだがどうすればよいだろうか?
3.前回お会いした時に、目が合った瞬間にあなたから「弛んでいる」と叱られたのですがどうすればよいのでしょうか…
今日は推敲する余裕が無いので、表現の不味さ、誤字脱字などはご容赦を。主意が伝わったのならば問題ないかと思います。
◆1◆
「歴史や科学から弁証法を見つけるのがとても難しいのですがどうすればよいでしょうか?」
そもそも参考書の選び方が悪いことを疑ってみるとよいでしょう。
論理を引き出すためには、まず大きな視点からものごとを見なければならない、と言ってありますね。
論理というものが、個物や歴史の流れといったあらゆる対象をひとつの原則に基づいて一般化したところに成立する認識のありかたを指す以上、いきなり個別的な知識に深入りしてしまっては、論理が引き出せない場合が多いのです。
「場合が多い」とことわったのは、個別の対象、たとえば親子の会話などの些細な対象であっても、認識論の実力如何では論理を引き出すことはできるからです。
しかしご質問の場合には、歴史や科学から、ということなので、この限りではありません。
さてそのとき、とくに弁証法という論理の像がまだほとんどわからない、という場合に、基礎的な修練として、中学の教科書・参考書などを選び、そこから三浦−エンゲルス流の「弁証法の三法則」を引き出してゆくことをわたしはいつも薦めます。
このときみなさんは、どんな参考書を選んでいるでしょうか。
いきなり、山川出版『詳説世界史研究』などを選んでしまっていませんか。
これは600ページ弱からなる分厚い書物であって、筆者の断りがいかに「高校生のための入門書」なのだとしても、歴史という対象や学問研究の立場からすればいくら書き足りないものなのだとしても、ここから論理を引き出すということは非常に困難であるということは、ぜひともわかってもらわねばなりません。
論理力が不足している時には夢のまた夢、というよりむしろ、アタマの働きを論理的にどころか、受験勉強アタマに引き戻してしまうという反作用すら生み出してしまいかねないほどの、「知識的な」読み物なのです。
ではここで社会主義の生成発展を…などと言い始めるとまた誤解されかねないので、今回はフランス映画好きの質問者のことを考えて、「ジャンヌ・ダルク」を例に引いてみましょうか。
彼女は百年戦争の時にオルレアンの地に出た女性で、孤軍ながらの奮闘で国王の戴冠式を実現させたことで反対派から処刑されるも、のちの世では英雄視されたというひとです。
◆
先述の書物では、ここのあたりをどう書いているかを見てください。
「後期百年戦争とフランスの集権化結局この章は、最後に「次のルイ11世の代には、国家統一上最大の障害であったブルゴーニュ公領も併合され、中央集権がほぼ達成された。」という一文において、節名を内容をなんとか満たしているという状態です。
(略)
1415年、イギリスのヘンリ5世はフランスの内乱に乗じてノルマンディーに侵入し、ブルゴーニュ派と結びアザンクールでフランス王軍に大勝、トロワ条約(1420)により自らのフランス王位継承権を認めさせることに成功した。その結果、1422年ヘンリ5世とシャルル6世が相ついで没すると、ヘンリの子ヘンリ6世が英仏両国国王として即位した。だがその支配地域は北部に限られ、東部はブルゴーニュ公、ロワール川南部はトロワ条約により王位継承権を避妊されたヴァロワ家のシャルル(7世)がそれぞれ支配し、フランスは3分されることになった。1429年、イギリス軍は南下をはかり、ロワール川中流の要衝オルレアンを攻囲、持久戦の様相を示していた。ここに登場した少女ジャンヌ=ダルク(1412〜31)は、わずかの兵を率いてオルレアンの囲みを解き、いっきに北上してフランスを陥れ、シャルル7世の戴冠式を実現させた。」
しかしここで引用した文から論理を引き出そうとしても、「いったいどうすればいいのやら??」というはてなマークがアタマの中をさまよいまくる、ということにしかならないでしょう。
ここで書かれているのは見ての通り、「この時こうした、この時はこうなった」、という事実の羅列でしかないことは、まともな感覚をしている人なら即座に分かりそうな事実です。
ここを論理的に見ると言ってもいいところ、ジャンヌはわずかの兵しか率いなかったところが寧ろ効果的に作用した、などと対立物への転化を強引に引き出せなくはないにしても、肝心の裏付けも取れないのですから、その意味で単なる解釈にすぎません。
結論から言って、これでは細かすぎる、あまりに細かすぎる!のです。
こういったものをまる覚えするのが大学に入るためには(残念ながら)必要だったとしても、論理を学ぶには、すでに持ってしまったそういった細かすぎる知識を、いったん棚上げしてください。
◆
とはいえ、論理というものはそれだけを直接に修練することはできませんから、必ず何らかの対象を媒介として学んでゆかねばなりません。
ではここで、どのようなレベルの対象を学べばよいのか、が大きな問題になるのです。
質問者さんは、必死の受験勉強をくぐり抜けてきた人ですから、まずは「細ければ細かいほどよい」というオタク根性、受験勉強アタマ的な発想が頭をもたげてくるのを、まずは自分で必死に抑えてください。
最寄り駅から自分の家までの地図を書く時に、その間にある表札を全て列挙しますか?それらを全て知らなければ地図が書けませんか?
そんな訳はない!というのが正しい考え方でしょう。
だからこそ受験勉強アタマではいけないのだ、と祈念してください。
あなたはまず、ジャンヌ・ダルクが果たした役割を、歴史的な、もっと大きな観点から見つめなおさねばならないのです。
そうでなければ、論理の修練には絶対にならないのです。
歴史的に言えば、この時期は、都市の勃興と商工業の発達により地位の改善しはじめた農民たちが、自らの生活上の扱われ方をより向上しようともがいた時期です。封建貴族階級からの搾取に苦しめられてきた農民たちが、その発展によってようやく農奴の身分を買い取り、自由な人間になれるようになって来た時期なのです。
そういう時期には、農民は目の上のたんこぶである封建貴族をたおすために、同じく彼らを邪魔者とみなしていた王権とのつながりを深めてゆくものです。ことフランスにおいても同じことが言え、徐々に中央集権化が進んできていた、という一つの転機に差し掛かるころであったために百年戦争が大きな意味をもったのであって、またジャンヌ・ダルクの活躍もが民族意識の高揚に大きな意味を持つことになったというわけです。
ですから、ジャンヌという個人は、百年戦争という大きな流れに位置づけられており、そしてまた、百年戦争というのは、封建制度を倒して中央集権化が進みつつあった当時のフランス、西欧のさらに大きな流れの中に位置づけられている、ということをまずは把握せねばならなかったのです。
こういう大きな視点を持ったのならば、元々はそれほど変わりのない地位であった人間同士の間に、所有という観念が生成され、そして自らの所有する土地などの優劣によって身分がわかれることになっていったという経緯や、そうしていったん分化した身分同士で争ったかと思えば、次には敵の敵は味方、式に手を結んだりしている、というもろもろの論理が浮かび上がってきますね。
こういう観点から、この流れには量質転化、相互浸透、否定の否定がそれぞれ見られるのだな、とわかってゆくのです。
(先ほどの一文のどこに三法則があったのかわかりましたか?わからなければ、三浦つとむの本を読みなおして、しっかり学んでゆきましょう。)
そしてまた、こうして問うことによって、弁証法の三法則を見つけ続けていったときには、
「あれ?弁証法を探してゆくということは、いま自分が見ている対象をそのまま見るのではなくて、それが「どのように生成されてきたか」を問うていることでもあるのかな?」や、
「あれ?相対的な独立というのは、もともとはひとつのものであったところからしだいしだいに分化が起こるということなので、これが進化ということなのかな?」などや、
「あれ、ここでつながるとともにつながっていないということが、非敵対的な矛盾ということなのかもしれないな」と、
しだいしだいに弁証法の像が、その付随する性質や周辺の概念とともに深まってゆくことになるのです。
今回の場合で言えば、まずはこういった大きな本を使わずに、歴史を通史的に、一般的にざっと、大きな流れを捕まえながら説明してくれている書籍から、しっかりと論理を引き出す修練をしなければなりません。
どんな分野でも、高校生では受験を備えた知識的な事柄が増えてきますから、中学校低学年から段階を追って弁証法を探してゆくのがよいのです。
歴史で言えば、林健太郎『歴史の流れ』から学んでください。
本人曰く、『世界の歩み 上・下』はこの続編、という位置づけになっているようですが、まずはこちらには手を出してはいけません。
論理性が高まってくればその限りではありませんが。
ともかく、自分の専門分野の歴史を、まずはこの『歴史の流れ』レベルの一般性で書き下ろせるようになったのならば、その学問の入り口に立った、と言うことができるでしょう。
わたしは学史研究をする時に、この本の「一般化の仕方」というものを、とても参考にしました。
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すみません、長く書きすぎました。
時間がオーバーしているので記事を分けさせてください。
読者のみなさんの要望にはすべて答えたい一心なのですが、論理のおはなしは見ての通りその生成段階からお話しなければならないという大きな必要性があり、なにを話し始めても常に時間はどんどんなくなってしまいます。
能力は半分でも身体が2つあったらなあ…と思わないでもありませんが、叶えようもない望みはさておき、できうる限りの努力をすることからはじめましょう。
明日も続く2つの質問について更新します。
(2につづく)
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