2012/11/24

本日の革細工:アイデアノートカバー

世の中は連休中のようですが、


文芸や認識論に関わっている人間にとって、外は外で研究対象がゴロゴロしていますから、街に出ると、おや、あの人は何か心得があるのでは?とか、この人はこんな注意力で事故に遭わないんだろうか…とか、あんな歩き方をしていたらさぞかし靴が痛むだろうな、とか、あらゆることが気になってしまいます。

こうやって身についてしまった問題意識は職業病のようなもので、なかなか見なかったとこにはできないもので、特に人混みなんかは、一度入ると翌日まで引っ張ってしまうような疲れ方をしてしまうため自然と足が遠のきます。

結局、世の休日は屋内でやれること、世の平日は外へと、基本的には逆張りが合っているのです。
休日が不定期な人は、たしかに友人と予定を合わせるのは難しくなりますが、一人でなにかを探求したりするときには、むしろ楽にのびのびと好きなことができる場合は多いのではないでしょうか。

というわけでわたしは今日は、貯まっているお仕事の合間に息抜きとして革細工です。
さっさと紹介しないと次が控えているので、革記事が続くかもしれませんが、書きかけの記事を忘れたわけではないのでどうぞ悪しからず。

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この前の記事で作ったG3 iPadケースで柿渋染めの道具を仕舞いこんでしまったのですが、また出してきてしまいました。

というのも、今回のお題がアイデアノート、いわゆるネタ帳のカバー、だったからです。
紙みたいに薄い0.8mmの革を買ってあるので、こりゃぴったりだと思って、さっそく取り掛かります。

この写真で上に万年筆を載っけてあるのは…
…作りたてなので、革のテンションで開いてしまうからです。
使っているうちに馴染んできます。

今回のお題をいただいたときに真っ先に考えたのは、形としてはこれ以上ないくらいシンプルなものにしたい、ということでした。

世の中にはノートの分厚さを2倍にも3倍にもしてしまうようなゴツイ手帳や、閉じるのにボタンやらベルトやらがついているレザーカバーがありますが、いざノートをとりたいとなったときに、ベルトやボタンが下敷きになったり厚みのせいで手のひらを置くところに困ったりするのでは、「むしろ無いほうがマシ」ということにもなりかねません。

表の革を柿渋染めにしました。
横線にしたのは、背表紙の曲線がより綺麗に見えるからです。
道具としてのノートのカバーとはどういうものなのかを考えるときには、本体をよりよく守ってくれるという機能はたしかに必要ですが、中身を書き込むときにも、使い手の邪魔をしてよいわけがありません。

とくに今回の依頼者の方は創作活動に取り組まれている人ですから、なおさら、思い立った時には道具が妙な邪魔をせずに、直ちにアタマの中のものを書き留めておきたいはずです。

そういうことを考え合わせると、今回のものは、表現者にとって命とも言える自分のアイデアの宝庫であるノートを守りつつ、まるで空気のように当たり前のようにそこにあり、通常の用途を果たしたいときにはどんな意味でも決して邪魔をしない、というものでなければなりませんでした。


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わたしも、研究内容を書き留めておくメインのA4ノートのほかに、A5のサブノートを持っていて、それには南米で買ってきたカバーを被せてあります。

ここには旅行でもらったチケットや美術館のチラシを挟んだり、デッサンやメモ、旅先で出会った人たちの住所など、あらゆるものがごちゃごちゃとつめ込まれています。

旅先で雨に降られて滲んだ文字や傷ついて味の出てきた革の表情を見てると、なんだかほっとする味わいがあって、南米らしい大雑把なつくりも含めて、とても気に入って使い続けているものです。

ただひとつ、上で述べた「使い手を邪魔しない」という原則から見ると、ひとつ問題があります。というのは、筆記の邪魔をしてしまうからなのです。

一般的なブックカバーやノートカバーを開いてみると、だいたいがこんな形をしていますね。

一般的なブックカバー。
たしかに、一口に「文庫本サイズ」と言っても、厚みには色々なものがありますから、それだけ融通の利く仕組みをもっていなければなりません。

それが、上のブックカバーの右側にある工夫で、この折り返しによってカバー部を様々に折り曲げて、色々な厚みの本に対応できるようにしているわけです。

ノートカバーも、これと同じような仕組みのものが多いのですが、こういう仕組みは、筆記の時には実に不便です。

なぜかといえば、カバーに収納されている時には、通常下敷きの役割を果たす表紙部分がカバーに隠されているために、折り返し部が直接、紙の下に来てしまいます。
これはいわば、散らかった机の上に紙をおいて筆記しているようなものですから、筆記具のペン先がカバーに取られる形で字が歪んだりしてしまうわけです。

わたしは今回、ここを真っ先になんとかしよう、と思いました。
そうしてできたのがこれです。


折り返し部分が、紙のほぼ全体を覆うようになっています。
こうしておくと、筆記中に紙の段差でペン先を取られることがありません。

市販のカバーではなぜこういう仕組みにしないのか?と考えてみると、ノートを入れるのが面倒になるのでクレームが心配、単純に革がもったいない、あたりでしょうか。

今回の場合、指定されたアイデアノートが、無印良品の開きやすいノート A5・横罫・96枚でしたから、頻繁に出し入れするための利便性は重視する必要がなく、前者を考慮するよりも、筆記時の引っ掛かりをなくすほうがはるかに重要だと考えました。

ついでに、革もたっぷりありますからね。

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わたしの使っているノートと比べてみると、折り返しの幅が違うことがわかってもらえると思います。

左から、今回のノートカバー、閻魔帳。

めちゃくちゃどうでもいい余談ですが、わたしのサブノートは、南米製のカバーが雰囲気ありすぎるうえに中身がちらっと見えると文字や絵やらでぎっしり、さらにあらゆるものがごっちゃに挟まっているわで、学生からは、呪いのノートやら閻魔帳やらと恐れられています。

実際に中身を読まれると、別の意味で恐れられてしまうと思います。


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コバも削って磨いてありますので、触るとひんやりしています。

わたしは革細工の、このコバの質感が大好きですが、市販のものはここを磨く手間を省くために、革と同じ色の塗料を塗ってあるものが多くて残念です。


また今回は、様々な厚みに対応する工夫は必要なかったため、ノートにかっちりとぴったりなカバーを作ることができました。

横から眺めてみても、左右対称の綺麗なかたちになっています。
専用品の良さは、こういうところに出てきますね。


わたしは散々革細工しておきながら、自分で使うものについてはあまり自分で作ったりはしません。作るとしても、試作としてだけです。

というのも、認識としても技術としてもまだまだ先があるし事実そうなので、その時点で、いくらこれで完璧だ、と思っても、後から見るとやっぱりまだ考える余地があったことがわかってくるものだからです。
そうすると結局、その時点での完成形であるとみなす認識のあり方を、実際に物理的に固定化する=表現する、ということにはあまり興味がなくなってしまうからです。

それでも、依頼があればその人の用途と、その人の予算と、その人の使いたい期限という制約の中で最高のものを創り、作る、ということがはっきりするので、その意味でわたしとしても、目的がはっきりとして取り組みやすくなります。

自分の表現実践を手伝ってもらってしかも喜んでもらえる、というのは、ありがたいことです。

今回のものも、できうる範囲ではなかなか、と思っているのですが、どうでしょうか。
ひとりの表現者である依頼者さんに実際に使ってみてもらって、批判を仰ぎたいと思います。

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