2012/12/16

【メモ】マインドマップは何ができて、何ができないか

概要については省きますが、

浅井えり子『ゆっくり走れば速くなる』のマインドマップ

マインドマップというのが何かといえば、見ての通りです。

一般の本屋さんに行けば、いろいろとガイドブックがあり、その中では脳科学や心理学といった理論が引用された上で、この図形の理論的な根拠が述べられていますが、根拠に深入りする必要はありません。

ソリューションとして売り込もうとする魂胆が見え見えだという感情的な反撥はいちおう棚上げするにしても、いかにもアメリカ的な現象論的コジツケが多いですので。

もっといえば、同じことをするのにマインドマップということばを無理に使う必要もなく、系譜図や樹形図の現象的な形態を、アイデアを練ったり整理したりするという目的のために、「かたち」を借りている、という位置づけの発想であることを押さえればよいと思います。

ですからマインドマップで表現できることは、「生き物」という太い幹から、「動物」や「植物」や、場合によっては「細菌」というやや細い幹が延びており、その先には「哺乳類」や「広葉樹」などがあり、さらに先細ってゆくにつれて「犬」、「チワワ」、「おとなりの田中さん宅のポチ」が位置づけられている、という繋がりなのであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。


マインドマップを使うことの利点は、この「見たままに使える」ということにあるので、色とりどりの表現で新しい発想を促したりするにはもってこいで、純知識的な資格試験のレベルにまでなら有効に使えます。

ただ逆からいえば、マインドマップのこの性質に規定されて、いわば、「日常生活の小仕事」(エンゲルス)をするには十分だけれども、より複雑で高度な仕事、つまり論理的・理論的な仕事をするためにまでこの手法を横滑りさせてしまうことは、その仕事に重大な欠陥を孕んでいることに気付けないままになってしまうという危うさを持っています。

学問というものの本質は、対象の持つ立体的・重層的な構造を頭脳の中に体系的な像として描く=認識する、ところにありますが、平面的・図式的な整理だけでは、これを満たすことはできません。

ですから、先ほど見た「マインドマップでできること」のうちの、いわば繋がり方の把握は、学問レベルでの<体系化>と同等であるなどという勘違いはしてはいけない、ということが言えるわけです。



概念的な整理をされてもなんだかわかりにくい(=像としてつかみにくい)という場合には、たとえばこんな文章で現されていることが、その構造を捉えながらマインドマップとして表現できうるか、と考えてみればよいと思います。

以下で引用するのは、阿部知二 著『文学入門』(河出書房)の、「文学の生成」という章にある文章です。
「まず文学の発生ということについては、二つの場合が存在する。第一は、歴史的に見てゆくことであり、第二は、各人の心のなかでの文学心の芽生えをみる、ということである。しかし、ここで面白いことは、その二者がかなりの程度まで類似しているということである。それはちょうど、生物の世界において、個体の発生成長の経路が、生物全体の進化の歴史をほぼ縮小したようなものになっていることと似ている。」
著者は、文学をその生成段階において見るならば、そこでは二つの見方ができると言います。

ひとつは、人類総体としての文学の生成。
もうひとつは、個人の内面での文学の生成、がそれにあたります。

そして、この、規模も担い手も全く異なるこのふたつが、(どういうわけかはわからないが)「かなりの程度まで」――つまり一般的な構造においては――類似している、と言うのです。
さらにこれは、生物の世界でも見られるところなのだ、と言っていますね。



本文には明言されていませんが、生物学におけるこの構造の把握というのは、ヘッケルの手による「個体発生は系統発生を繰り返す」という論理です。

たとえばわたしたちがお母さんの身体からおぎゃあと産声を上げて産まれるまでには、受精卵からの長い道のりがあります。

その身体の発達の仕組みを見ると、当初は単細胞的な段階でしかなかったものが分裂を繰り返す中で、しだいしだいに尻尾の生えたサカナのような段階から、手足の生えたイモリのような両生類的な段階へ…と進んでゆくことがわかります。(中学校の生物で習ったはずですね)

この一年にも満たない「個体」の発生と発達のあり方というものは、より長いものさしで見るならば、地球上で生まれた生命体が現在の人間の段階にまで発展してきたという、いわば「生命体」の、数億年にもわたる発生と発達が極めて短期間で繰り返されるという見方が成り立ちうるのであり、「その二者がかなりの程度まで類似している」ということが言える、ということなのです。

わたしたちが<論理>という名前で呼んでいるものも、実のところ、こういった生成と発展の段階を大きな目で、また小さな目で通して・透かしてみたところに、そういった構造が把握できる、という発見が積み重なり統合されてゆくうちに質的に発展してきたものです。



このように、規模も担い手も違い、また文学のあり方と生物のあり方という、まったく質的に異なる対象ですらもが、一般的にいえば同等の生成と発展の過程を持っているときに、この立体構造、重層構造、そして一般的な構造をいかにして扱うか?と言えば、これはどうしても、図式化して丸暗記するだけではどうにもならないのだ、「自分のアタマに」過程を負ってみることのできるだけの力を技として磨かねばならないのだ、ということがわかってもらえるのではないでしょうか。

マインドマップの発案者はどうしても、それが人間のアタマの構造をふまえたものになっているから理解が進むのだと言いたいようですが、実のところここでふまえられているのは、個別的な知識と、そのレベルの上り降りの関係の繋がりだけ、なのです。

たとえば、「犬」は「動物」のカテゴリに入っており、またそれは「チワワ」や「コリー」を内包する概念である、ということでしかない、ということです。
このレベルの把握は、いわば整理、の段階であり、さほどの論理性もないものです。

もしこのマインドマップのあり方を、わたしたちのアタマの中にそっくりそのまま写しとってしまったとしたら、わたしたちは誰一人として、学問の道を歩めなくなってしまいます。

なぜかというに、学問の本質は個別の知識の集成にあるのではなく、その構造性の把握にあり、しかもその構造は、平面的ではなく立体的かつ過程的なものでなければならない、からです。
しかし残念なことに、<体系化>というものを、知識どうしの繋がり、というレベルにまで引きずり下ろして理解してしまっている人間が、研究者にもたくさんいるという事実があるのです。

念押しにと一言で要すれば、知識だけではなく構造も、形而上学的ではなく弁証法的に、捉えなければならぬ、ということです。

ですからマインドマップでできるのは、個別的な知識の繋がりの把握です。
その用途としては資格試験には使えますし、わたしはその用途に限れば非常に有用だと思っています。
しかし、それを学問的な段階だと勘違いしてはいけない、ということはぜひとも言っておきたいのです。



マインドマップを作る時には、たとえば資格試験の目次をコンピュータで機械的に打ち込んでしまい、次に本文を読みながら、それを印刷したものに自分の手で書き加えてゆく、というやり方がいちばん良いと思います。(この記事の冒頭のマップを参照のこと)

アプリケーションへのリンク
(※アフィリエイトです。収益は被災地への寄付に充てています。)


・Mindnode (iPhone & iPad両対応、有料) MindNode - IdeasOnCanvas GmbH

・Mindnode Lite(Mac版、無料) MindNode Lite - IdeasOnCanvas GmbH

・Mindnode Pro(Mac版、有料) MindNode Pro - IdeasOnCanvas GmbH


もっとよいのは、マインドマップをイチから手書きすることですが、これには相当な時間がかかることと、デザインを凝っていると時間ばかりが過ぎてしまう欠点があります。

意地でも手書きで全部描く、という根性を発揮することは大いに結構ですが、その場合にでもコンピュータで作られたものを参考にしてもよいわけですから、柔軟に考えて進めてください。

知識的な習得も相当に時間がかかりまた大変なものですが、学問にとってそれは、いくら必要不可欠とはいえ、長い目で見れば単なる叩き台、捨て石にしかならないものですから、その段階ですべてを修めたとはゆめゆめ思われぬことです。

0 件のコメント:

コメントを投稿