2013/05/14

文学考察: 人を動かすーD・カーネギー 1-1


ずいぶんとひさしぶりの、


文学評論へのコメント記事です。

ただ今回扱ってもらったのは、文学作品ではなく認識論的なお話で、読書好きな方ならまず知っているはずの書籍です。


◆ノブくんの評論

文学考察: 人を動かすーD・カーネギー 1・人を動かす三原則ー1盗人にも五分の理を認める
人を動かすーD・カーネギー 1・人を動かす三原則ー1盗人にも五分の理を認める
 本章では、〈他人を指導したり議論する時、その人の気持ちを受け入れる事がいかに重要であるか〉が論じられています。
 というのも、私達がものごとに対して問題を発見した場合、他人のせいにしてしまいがちな傾向があるならにほかなりません。それはどうやら自分に原因がある場合でも、また他人に原因がある場合でも関係ないようです。そしてそうした性質は問題の解決に向かうどころか、かえってお互いを避難し合い、本質的な問題とは別のところで新たな問題を生み出してしまう可能性があります。
 例えばあなたはこれまで仲良くしていた部活の友達、会社の同僚と部のあり方や仕事に関して議論していたにも拘わらず、いつの間にか激しい口論になってしまっていたという経験はないでしょうか。そしてそうなってしまえば、次回その人と何か重要な事を話さなければならなくなった時、あなたはその問題よりも前に相手との関係を気にする事でしょう。
 ですから私達が問題とぶつかり他人を指導したり意見を交わさなければならなくなった場面では、まず自分の側から相手を受け入れる態勢をつくっておくことが重要なのです。こうしておけば例え相手の自分を受け入れる態勢が整っていなくても、平行線になることはないでしょう。相手が自分の意見をなかなか受け入れてくれない場合、自分にもそうさせている要素があることを肝に銘じておかなかればならないのです。

◆わたしのコメント

結論から言って、これではダメです。

なぜならこの、端からつぶさに読むだけという読み方では、全部を読み通してもただ読んだだけ、になってしまうのであり、人の動かし方を体系化したものとして頭脳に持つことはかなわず、当然に実践の中でまともに使うことも叶わなくなってしまうからです。
(ついでに、誤字も数箇所あります)

わたしはこの本を参考書に指定したとき、あなたが人の気持ちをもっとよくわかるようになるために読んでほしい、とだけ伝えて、レポートとしてまとめてきてもらうことにしたのでした。

ということは、レポートのまとめ方、のようなことは一切伝えなかったわけですが、だいたいにおいてどんな世界のどんなジャンルのことでも、初めの一歩を踏み出すときには、その探求の仕方そのものが皆目見当もつかないのですから、それこそ、その方法論こそを必死になって探求しておくべきなのです。

常々述べているように、やり方がまずければどんなに努力を重ねようとも大した結果にならないどころか、むしろやればやるほど下手になる、といったことすら起こるのですから、もし向こうに見える島まで本心から泳ぎ着きたいと思うのなら、自分の今できる犬かきでは無理だろうと客観的に(否定の否定で)見つめるところからはじめなければなりません。

さて今回扱ったD.カーネギー『人を動かす』は、人との不和を起こさずに自分の思うとおりに動いてもらうためにはこうすればよい、ということを、多くはアメリカにおける実例から経験的に引き出し、まとめたものです。
(ハードカバー版よりも、ハンディーカーネギーベスト版(3冊組)のほうが扱いやすいと思います。)

ただこれは理論書ではないことと、アメリカの書物、とくにビジネス書によく見られるように、個別の実例はいちおう項目別に分かれているものの、まったく体系的に整理されないままに並列して記されているのみという構成を持っているので、この本を読む時に大事なことは、全体をざっと通し読みして、全体の絵地図、つまり「人を動かす」ための一般論をまずは持っておく、ということです。

いきなり個別の実例に細かく集中するような読み方では、いつまで経っても体系化などということは夢のまた夢、ということになりかねません。

読む価値のある本を選ぶことはたしかに大事ですが、それ以上に、書物との向き合い方は、より重要視されるべきなのであって、たとえ内容や構成がまずい本であっても、読み手の姿勢と能力如何によっては、反面教師として学んだり、体系化しながら読み進めたりといったことが十分にできうるのです。

わたしと学生のみなさんが同じ本を読んでいるのに、読めている深さが違うという場合には、こここそが違う、のです。

◆◆◆

では、どのように読み進めてゆけばよいのか?
と、「訊ねたい」方もおられるかもしれません。

しかしこれを全部言ってしまったのでは、もっとも大事な方法論というものを一生懸命に構築してゆくという姿勢がやはり身につきません。

この方法論というものが、一朝一夕で身につくとは絶対に思わないでください。

これは例えて言えば、学校からの30分かかる徒歩での帰り道の中で、毎日毎日同じくらいの時間帯に同じ角度から夕焼けを見ながら帰ること3年にしてはじめて、「今日の夕焼けは、明らかにいつもと色味が違うな」と思えるだけの見る目が養われてゆく、ということと同じ構造を持っているものです。

この気付きは、次の日の朝に大きな地震が来たりすることで、ようやく裏付けられるわけですが、ともかくその修練の過程としては、繰り返し、繰り返しの上にさらなる繰り返し(量質転化)が必要なのであって、誰かに答えだけ教えてもらえばどうにかなるというものではありません。

加えてはじめの数年間は、何らの成果も得られぬ寂しさに、「論理的に言えばこれであっているはずだ」との信念ただ一つを頼りに耐えに耐え続けなければならない、という厳しさも自分の身に捉え返してわかっておいてほしいと思います。

もっといえば、ひとつのものごとの見る目が養われたと自覚されるときには、それを自らの論理と志と努力だけで成し遂げたのか、「誰かに同じ通学路を3年間歩けと言われて渋々やったのか」では大きく違うものがあるのだ、ということもふまえておいてもらいたいと思います。

◆◆◆

ともあれ、そういうわけなので勝手に頑張れ、というのではこれまた運任せになってしまいますので、いくつかヒントを出しておくことにしましょう。答えを訊いてしまいたい気持ちをこらえて、じっくり考えてみてください。

ところでこのヒントは、わたしのところで研究している学生のみなさんには、すでに提示されていた!ものです。

論者だけでなく社会科学を専攻するひとたちには、薄井坦子『科学的看護論(第3版)』を薦めてありましたね。

この冒頭に、看護実践の一般論が記されているはずです。
それは、このようなものでした。


看護一般論(薄井坦子『科学的看護論(第3版)』)

本書の構成を見ると、著者はこの一般論を立ててから、それぞれの個別論である対象論、目的論、方法論への言及にすすんでいることがわかります。

もしみなさんが、科学的に体系化されてはいないが個別の事実としてはすくい取るべきものを持っているであろう書物に出合ったときには、こういった、科学的に体系化された書物を参考にさせてもらえばよいのです。

ここに看護の一般論が提示されているのですから、これを「人を動かす」ための一般論に援用できないでしょうか?もしできるとしたら、どういう文面になるでしょうか。

まずは、そこからはじめましょう。

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