先日、知り合いが遠方から帰郷するというので迎えに行ったときに、
その人の荷物を運ぶのを手伝ったのでした。
荷物というのは、よくあるキャリングケースで、コロと取っ手付きの、ソフトな合成繊維を生地に使ったものです。
高さは膝の上ほど、中身を入れても重さは10kg前後だったでしょうか、それほど大きなものではありませんでした。
わたしはこれを見たときに、取っ手をひょいと掴んで運び始めたのですが、
ちょっと歩いてからその知り合いに、妙にびっくりされてしまったものです。
曰く、「それ、引っ張って運ぶものだよ、ほらキャリーバーがついてるでしょ」。
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「ああ、たしかに」。
念のために言っておきますと、わたしは大衆向けのメディアにはあんまり興味がない人間ですけれど、そこまで世間知らずでもありません。
なので「キャリング」ケースに「キャリー」バーがついていることはさすがに知っていましたが、
そう言われるとなるほど、なぜにキャリーバーを使わなかったのかがいまいちわかりません。
これはなぜかと考えたときには、ごくふつうの言い方をすれば「習慣だから」とか言えばいいところかもしれません。
キャリングケースを10分ほどかけて運ぶときに、取っ手を持ち上げて運ぶのは、少数派かもしれません。
これは、小雨くらいなら手に持った傘を差さない人もいるのですから、たしかに、人によって習慣が違うから、といえば説明としては足りそうです。
今回の場合を思い返せば、
わたしは「取っ手を引っ張ってカバンを斜めに引きずるような格好で歩く」ということを、
人ごみの中でやりたくなかった、という身体運用観に基づいて判断をしていましたから、
これを「習慣」のせいにしたとしても、それほど大きくは外れていないことになります。
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ですが、こんな文字ばっかりのBlogをわざわざ見に来てくれている読者のみなさんはご存知のとおり、
ここはどんなに身近な話題でも、学問の流儀に従って考えてゆく、という場所なので、今回のことについてもちょっと突っ込んで考えてみましょう。
弁証法を知っている人ならば、ここには「相互浸透」がある、と指摘してくれるかもしれません。
たとえば、キャリングケースに触れたことがなく、その使い方を知らなかった場合、
それから、今回のわたしのように、ライフスタイルに合わないのでその使い方をしなかった場合。
前者は、わたしの場合には当てはまらなかったものの道具が精神にのこした足あと、後者は精神が道具をよりわけたこと、というわけです。
こう指摘できる場合には、さきほど感性的な理解で「習慣だから」と捉えたところを、
今回は具体的なあり方を論理的に抽象化して、おおまかには「物質と精神との相互浸透」という過程に目を向けはじめた、という意味では前進が見られるわけです。
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ところで、では現実のなかから「相互浸透」を読み取ってきたからといって、それが何らかの形で有意義なものごとの見方を提供しているでしょうか。
「赤の他人だった夫婦が似てくるのは、相互浸透だ。」
「晴れの日にも空気には水分が含まれていることを過度に押し広げて、晴れも雨も同じだという結論をだすとすれば、真理を的外れに押し広げて誤謬に転化させたことを意味している。これも相互浸透だ。」
「昼間には見えない月が、夜になると姿を表すのも相互浸透だ。」
弁証法というものごとの見方を学ぶ際には、初心においてこのような段階があります。
ただこれを、たとえば友人に、「あれも相互浸透だし、これも相互浸透なんだよ」と言ったところで、なるほどと感心されるでしょうか?
「何を小難しいことを言っているんだ、当たり前のことをわざわざ難しく言うのがお前の言う勉強か?」
などと、手痛いしっぺ返しを食らうのが関の山、というところではないでしょうか。
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その友人の言うことも、素朴な批判ながら一面の真理をとらえているのであって、たしかにそのとおり、弁証法というものごとの見方をとおして考えてゆけば、ふつうの考え方では辿りつけないところのものを気づかせてくれるのでなければ、表立った意味はない、ということなのです。
ここで「表立った」と限定したのは、過程としては意味がある、ということの裏返しでもあるのですが、この過程を我慢できなかった人には、「弁証法など使えもしないものは捨ててしまえ」といって、破り捨ててしまったものです。
歴史に出てくる学者でさえ、そのような結論を出してしまった人もいるのですが、実のところその選択によって、大きな壁にぶつかり、そこから一歩も進めないままにそれがなぜかもわからず、結局真理はとらえられないのだ、という諦めに陥ることになってしまったのです。
ここは一言で言えば、弁証法がどういうものかはわかったけれど、それを現実の世界を理解するときに、どう使ってよいのかがわからない、ということですね。
以前にも何回か説明したことがありますが、あたらしい読者もいることですし、次回で、「それではつぎの段階に進んでゆくにはどうすればよいのか」、と触れてゆくことにしましょう。
(2につづく)
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