2015/02/17

過程性を捉えるとはどういうことか 「文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版3)」を中心にして

元旦にごあいさつしてから、


一ヶ月以上もの時間をいただいてしまいました。

元旦を明けての1月、その一ヶ月間という期間は、一般的にも一年のうちの大きな節目ではありますが、生涯をかけての文化人たろうとする人間にあっては、その後の一年間の成果を規定しつくしてしまうほどに大事な位置づけにあるものです。
というのも、この時期に、その年のいっぱいまでの目標と、それを達成するための研究計画を完成しておかねばならないからです。
それゆえ、学生諸君の研究計画を評価するというこれ以上無く大切な時期だったのでした。
この時期は卒業論文や発表などと重なるため、日本の学期構成に合わせて4月期を境としても良いのですが、ああいった提出物は前もって準備しておきさえすればどうにでもなり、そのための計画であるとも言えるだけに、それよりも年初という季節感の中で心機一転するということを、より優先してきています。

さて目標がなぜそんなに重要なのか?と問われれば、我々が他でもなく人間だから、というのが答えということになります。
「えっと…?」というみなさんでしょうか、それとも「それはそうだよね」というみなさんでしょうか。
後者であることを願いますが、ここは基本的なことながら大事なことなので、その答えではなく、そういう結論を出さざるをえないその過程について、いまいちど確認しておきましょう。

人類は認識的実在であると言われるとおり、動物がその形態と運動のあり方を「本能」と呼ばれる脳のはたらきによって統括されているのに対し、人類は、それとは相対的に独立したところの「認識」によって統括してきています。
動物の本能は、脳という器官において外界を反映した像を描き、それと直接に運動するためのはたらきですが、人間の認識は、感覚器官をとおしてその頭脳に外界をただ反映するのみにとどまらず、それとは相対的に独立した像すら創りあげてゆくという質的な違いを持っています。

このことによって我々人類は、現時点での外界の状態を「このようである」と反映することから進んで、「このようであったら(もっと)いいな」という認識を創りあげることさえできるようになってきているのです。
そうであるからこそ、人間はその特殊性として、「こうならいいな」という認識を絵地図として(この認識は「未だ現実化されていない」、という点に注意してください!)、それを実現するべく外界へと働きかける「労働」をなしえるのだ、ということです。

ここまで述べれば、冒頭の「目標」というものがなぜ必要なのか、ということが<過程的>な流れをもって頭脳に描けてきたのではないでしょうか。
今回の場合で言えば、一年間という期間を「人間らしく」過ごすためには、必ずそれをどう過ごすか、という絵地図を頭脳にもっておかねばならない、ということが言えるのです。

文化の仕事をしようとするならば当然に、食いっぱぐれずに生活ができ、周りからそれなりに評価される、という立身出世のレベルにとどまっているわけにはゆかず、時にはそれを度外視したり場合によっては逆行する危険性を乗り越えてでも、このことを人類の歴史性を正面に据えた<人間>のレベルで捉え返さねばならなくなるのが必然性であるというわけです。

目標なくして人間足りえぬ、という一事がじわりとココロに伝わってくる感性のある(残っている)、読者のみなさんであればよいと願っています。

さて、そのような「人間観」、そしていわば「文化人観」に照らして今回は評論を扱いますが、それだけに厳しく評価されねばなりません。


◆文学作品◆

豊島与志雄 未亡人


◆ノブくんの評論◆

文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版3)
 この作品は、生前は有力な政治家の妻であった「守山未亡人千賀子」宛の、差出人不明の3通の手紙から成り立っています。その3通はどれも未亡人たる千賀子の一挙一動を非難するものばかり。と言いますのも、未亡人となった彼女は、その性質を活用し、人々の同情の眼差しを集め政治家になろうとしたり、男を知った女特有の艶かしさで、年下の男の気持ちを弄んだりしていたのです。
 またその手紙には少し奇妙なところがあり、
 ーーいいえ、それはきまっていました。
 ーーわたしは人間ですもの。
 といったように、あたかも彼女の答えを想定しているかのように、彼女と会話しているかのように、千賀子の台詞らしきものが書かれています。
 そんな手紙の差出人ですが、唯一、彼女が選挙の出馬を決めた後に夫の墓参りをしている場面において、彼女自身が「白痴」のように何も考える事を持っていなかったところについては一定の評価をしているのです。
 一体差出人は、何を評価したのでしょうか。何故彼女の挙動のひとつひとつがそうも気に入らないのでしょうか。
 この作品では、〈ある政治家の妻が「未亡人」になってしまったが故に、世間に対して画策するつもりが寧ろその言葉に振り回されていく様〉が描かれています。
 上記の問題を解くにあたって、はじめにこの手紙の差出人は誰なのかを得敵せねばなりません。差出人は少なくとも千賀子の生活を事細かく知っており、また手紙の中で彼女と問答している事を考えると彼女自身についてもよく知っているようです。恐らくこの手紙の主は、守山千賀子の別の人格が彼女自身を非難しているのではないでしょうか。そのように考えると、この2つの疑問に対しても一応の説明はつきますので、そう仮定した上で話を進めていきたいと思います。
 差出人たる千賀子はあらすじにもある通り、どうやら自分が夫に先立たれ、哀れで妖艶な「未亡人」としての社会的な付加価値のようなものを利用し、選挙に出馬しようとしたり、年下の男で遊んだりしているところを不純なものとして強く非難しています。
 では、何故そんな彼女は、墓参りに行った時自分を評価したのでしょうか。それは、まるで「白痴」のように、そうした不純な考えを少しも持っていなかったというところにあります。恐らく、夫が行きている頃の千賀子は、現在のように身の回りにあるものを使って世間の人々に対して画策を企てるような人物ではなかったのでしょう。ところが「未亡人」なってしまってからは、彼女を見る世間の人々の目が急に変わったことを面白がり、自身の性質でいろいろと小賢しい事を考えるようになっていってしまったのです。
 以来、彼女の中には、「未亡人」としての魅力で世間を惹きつけたいという欲求と、「未亡人」などといういやらしいものに負けてそれまでの自分を見失いたくないという、2つの相反した感情が葛藤するようになっていったのでしょう。ですから墓参りを終えた後の彼女は、政治家としての華々しい人生を期待しながらも、心の内では「これで自分はいいのだろうか」という不安を抱いており、瞳を濁らせていたのです。

◆わたしのコメント◆

この文学作品は、去年から度々取り組んでもらっているもので、直接の講義もあわせれば三訂版ではすまないほどの議論を重ねてきているものです。
ここでの指導の目的は、わたしが読めている構造的な把握に、論者の認識をいかに近づけてゆくか、というものですから、その議論は、徐々にではあっても論者のこの作品についての認識が質的に深まってゆくような内実を持つものでなくてはなりません。

今回の評価が厳しいものになるとことわったのは、残念ながらそのことの意味を論者が大きく勘違いしているのでは、と思わされる記述になってしまっているからです。

論証部で、論者はこう切り出します。
 上記の問題を解くにあたって、はじめにこの手紙の差出人は誰なのかを得敵(コメント者註:「特定」の誤り)せねばなりません。差出人は少なくとも千賀子の生活を事細かく知っており、また手紙の中で彼女と問答している事を考えると彼女自身についてもよく知っているようです。恐らくこの手紙の主は、守山千賀子の別の人格が彼女自身を非難しているのではないでしょうか。そのように考えると、この2つの疑問に対しても一応の説明はつきますので、そう仮定した上で話を進めていきたいと思います。
読者のみなさんがこの箇所を読んで、どういう感想を持たれるかはわかりませんが、この指摘というものはわたしが数度の講義をとおして、問いを立てながら(=答えそのものを伝えてしまわないように工夫して)論者がその頭脳活動において、あくまでも「自らの独力で」辿り着くよう苦心して指導してきたものでした。
そうであるだけに論者にとっては、この「手紙の主が『千賀子』のもうひとつの人格である」という前提は、すでに自明のものとなってしまっているのです。

ここで一般のみなさんの中には、「知っていることを書いてなにがダメなのかな?」と思われる方もおられるかもしれませんね。
たしかに、知識的な習得が問題である場合には、答え自体が問題になる場合もありえます。
しかし、こと歴史性を掲げて文化人たろうとする人間にあっては、そのような姿勢を続けては百害あって一利なし、ということになるのです。
なぜならば、そこで絶対的なレベルで厳しく要求されるのは、大きく言えば<過程性>というものを何よりも重視する、という姿勢でなければならないからです。

歴史的なひとつの作品を正面に据えてしっかりと学びたいという時には、その時代を生きたその作り手が、それをどうやって表現し得たのか、という観点がなければ、上っ面をなぞらえただけになるのであって、そのものを正しく学び切ることはできません。
学問においても芸術においても、その著作や作品というものはかたちとして、物理的に目に見え、手に取れる状態で残ってきています。
ですが、肝腎の、「なぜその当人が、それほどのまでの作品を残し得たか」ということについては、決してすべてが微細にわたって詳らかにされるということはないのです。
ではそれをいかにして読み取り、読み解き、さらには現代的な創作へと活かしてゆくかということは、現代を生きる我々が、その論理と認識の力にかけて、自らの頭脳に捉え返すかたちで追ってゆかねばならないことなのであって、これは極めて論理的な問題である!といえるのです。

◆

このためには、当人の自伝を読むということも必要であるとは言えますが、そうはいっても自伝をしっかりと残している人ばかりではないですし、作者との観念的な二重化をはたすために必要な情報が自伝だけで賄われると考えるのも間違いなのです。
当時の時代的な背景、当時の人間のものごとの感じ方や考え方がわからなければ、歴史的な読み物というのは、「当たり前なことばかり言いやがって」、と無味乾燥なお勉強となってもおかしくありません。
過去の偉人から、人類の文化遺産から正しく学ぶために大事なのは、あくまでもその時代性にありながら、つまりその時代的な制約の中に身を置きながら、しかもそれだけの業績を残しえたという当人の努力、覚悟、後世から見るところの先見性をこそ、正しく学ばねばならないのです。

歴史上の偉人とされる人物は、当時を生きる人々の誰もが気づきえなかったことに目を向けることができたり、辿りつけなかった場所へと歩みを進めることができたりしたからこそ、そう呼ばれることになったのではなかったでしょうか。
このことを現代に置き換えるならば、現代人の誰もが気づきえなかったことに「なぜか」気づくことができ、そのことを(時には狂人扱いされながら!)生涯かけての努力でもって持ち続け実行しえた人間が、歴史に残ることになってゆくのだ、とわからなければなりません。

見えないものを見なければならぬというのはひとつの矛盾ですが、そのことを達成するための「ものごとを見る目」は、大きく、この<過程性>というものが身にしみてわかり、その重要性にしっかりと着目できていなければ、それを身につける端緒につくことすらできません。
今回の評論の場合で言えば、論者その人が、わたしが提示した答えをあたかも自明のものとして提出したとき、そのことをはっきりと意識していたかどうかが問われねばならない、ということです。

今回の指摘は、数層の構造からなる問題を見て取ってのものですから、そのほかのご説明は後日に譲るとしても、結論から言ってこれはもはや言い逃れしようのない欠陥としてわたしの目には現象しており、そのことは論者には直接指摘していることでもあります。

論者が<過程性>にしっかりと目を向けながらこの作品を正しく理解してゆくためには、この作品は「千賀子」が自問自答する構造を持っているという結論だけでなく、その結論に至った論理的な経緯をこそ、しっかりと書いてゆくことが絶対的に必要です。
その営みはほかならず、歴史上の作家の仕事を正しく評価し受け継いでゆくための正道ともなっているのです。

この作品に則してさらに言うならば、あくまでも作品そのものをつぶさに追ってみることをとおして、わたしの指導内容を手がかりにしながらも、作品の構造がいわゆる<自由意志>と<対象化された観念>のやりとりなのであるという論理を改めて独力で!引き出すことができなければならない、と言えるでしょう。
繰り返し念押ししますが、これはあくまでも「作品そのものを正しく理解しようとしてはじめて」、ごく自然にそのような概念が浮上してくるということなのであって、「コメント者に<対象化された観念>に着目しろといわれたので探してみるか」という姿勢では絶対にダメ!ということが厳しくつきつけられているのです。
この観点こそが、<過程性>というものなのだ、とわかってもらえているでしょうか。


これと類する欠陥として、「自らを作家として規定すること」の、いわば「作家としての志」の不足については、次回以降みなさんにも考えてもらうことになると思います。


※評論中の誤字訂正については略。

2015/01/01

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
(※執筆用Macの不調により正しく公開されておりませんでしたので、機種を変えて公開しました。)


前回の記事の日付を確認してみると、ずいぶんと間が空いてしまったものだと思います。

この理由は、以前にすこしお伝えしておいたとおり、ひとつにわたしのところで研究している学生たちの研究対象が深まりを帯びてきたため、こちらではなかなかにご紹介できにくくなってきていること。
ふたつめには、わたし自身の研究生活の変化によって、Blog記事の更新に時間が割きにくくなっていたこと、です。

後者に関わることとして、わたしのBlog更新のスタイルをご説明しておくことにすると、それはまず移動中や雑談中にアタマの片すみで記事を練り、それを今度はアイデアノートに書き起こしたあと、それをさらにコンピュータ上に打ち込みなおす、という三段階の過程があるというものなのです。
そのため、現在のように執筆用のMacが絶不調であったり移動手段が変わってしまったりするだけで、ほとんど記事執筆のための時間がなくなってしまう、ということになります。

それなら考えたことをいきなりPC上に書いてしまえば時間が省けるではないか、という指摘もありますが、認識論的に言えば、この手法で執筆活動に励むことになると、アタマの中の言葉や文章を、キーボードとPC画面という反映の少ない表現手法で移しかえ続けることになり、これは言語の像が浅くなることによって、とりもなおさず頭脳活動が必然的に低下してゆくことになってしまうのです。

ですから、執筆活動の際には、必ず自らの五感をしっかりと働かせながら、あくまでも手でペンを握り、志を込めて紙に書き連ねてゆくことでなければなりません。
キーボードだって手を使うではないか、という方もおられそうですが…いずれしっかりとご理解していただけるよう書いてゆきたいところです。

さてそういうわけで、ここでの記事は、読者のみなさんのために書き下ろされたものであることは確かなのですが、そういうことを自負するためにも、書き手の認識が確かに向上していっているということが土台としてなければならないと考えているのです。その旨、ご了承を請いたいところです。

現在は、ふたたび少しずつ時間が取れるようにスケジュールを管理できるようになってきつつあり、また執筆活動用のMacをお借りできることになったので、また少しずつペースを戻してゆきたいと思っているところです。記事の内容については、先述したように個別研究を公開するのは難しいのですが、現在ある学生に、論理レベルを引き上げるための日記をつけてもらっていますので、それを一般読者の方のために検討してゆく、ということをひとつ考えています。
それもこれも、学生諸君の文化的な献身と奮闘にかかっているところもありますけれども。

◆

さいごに冒頭の写真について。これはわたしが学生と議論しながらよく歩く公園からの初日の出、です。
日の出の時間は朝7時過ぎ、ということでしたが、山にかかる雲のため時間から15分ほど待ちました。寒空の中しっかり立って朝日が昇るのを待つ、というのもなかなか良いものです。

わたしは私生活の悲喜こもごもや研究上の思案やスランプ、学生問題などなどで頭がいっぱいになると、どれだけ心身が重かろうと外を走りにゆく中でそれを整えてゆくのが日課なのですが、地元のこの公園は、それだけに色々と思い出のある場所でもあります。

山でも海でも地元でも同じですけども、早朝から活動をはじめて、歩いたり走ったりしながら、景色のはるかかなたに次第しだいに射してくる朝焼けというのは、これは実際に見た者でないとなかなかにわかってもらえない良さがあるもので、これを見るために毎日やってきているのだとさえ言えるくらいの、無上のごほうびです。

こういう、たったひとりきりで、目に映るすべての景色を独り占めにしているかのような情景に身をおき、胸のうちから沸き起こってくるような高揚感とともに、豊かな精神的時間を過ごすということが、いかに人格に深く刻まれてゆくかは、現代においては軽視されがちのようです。

さきほど述べた、ペンを使って文字を書くのと、キーボードを使って文字を書くのとでは、どのような違いがあるのかという問題についても、感性が見事に作られている人間にとっては、論理的・理論的にはともかく、素朴な実感としてはごくふつうに、「それはそうでしょうね」と首肯できるものであると思います。

こういう精神活動は当然に、創作活動においても根本として大きく働いてくるだけに、自らの定めた道を目指す学生諸君にあっては経験的ならびに論理的にぜひにおさえておき、目的意識性として、文化的な生き方をしてもらいたいものだと思います。

本年も悔いのない生き方を。どうぞよろしくお願い致します。

2014/03/01

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(8):1887.03.06-04.03 (II)

(7のつづき)


わたしが今回出しておいた課題については、前回の記事にも書いたとおりですが、もう一度引用しておきましょう。
サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んで、まずは1887.03.20の日記に注目してください。
その冒頭に、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。」とあります。
では、サリバンがヘレンと始めて出逢った3/6からの数日間と、この3/20以降では、一体何がそれほどに違っているのでしょうか。
それを、3/20の前と後の期間を、それぞれ数日に区分して、「XXの期間」と「XXの期間」というふうに名前をつけるとともに、その内実および変遷について説明してください。その時、この本全体の、そのそれぞれの期間の位置づけをしっかりと確認しながら、<概念規定>するつもりでやってください。
そして、提出されたレポートを検討しながらコメントしたのは、各段階の変化のあり方を弁証法レベルの論理として、とくに量質転化的に、過程的に把握し、また文章として適切に表現してもらわねば困る、ということだったのでした。

いくつかレポートを受け取りましたので、まずは再提出した本人のものを見ましょう。


◆1. ノブくんのレポート◆
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜3月20日(修正版)
 今回は、3月20日にある、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。全てが変わりました。」という2行を中心にして、その前後で、ヘレンの内面がどのように変化していったのかを中心にして、本書をまとめていきたいと思います。というのもそれらの言葉通り、彼女はこの日を堺に自身とその周りの環境全てをかえたのであり、それを考える事はサリバンの教育論を考える上で避けては通れない問題とも言えます。
 そこでここでは、その2行の前後の期間をそれぞれ規定し、どうのような必然性があった為にヘレンはそう変わらざるを得なかったのかを考えていくつもりです。
 そもそも私の以前のレポートにも書いてあった通り、ヘレン・ケラーという少女の教育における問題というものは、身体ではなく精神の方にありました。つまり目が見えない、口がきけない、耳が聞こえないということ以外、私達と何も変わらなかったのです。
 ですが、彼女の両親はそうした障害に同情しているが故に、ヘレンの言うことをなんでも聞いてしまっていました。その為、性格はとても我儘になり、不満があると苦い結果を残すまで争うことをやめようとはしません。
 また両親はヘレンとまともに会話、意思の疎通をはかる術を持ちあわせてはおらず、彼女との関係は常に彼らの努力のみによって成り立ってきました。ですから、彼女は自分から何か訴える事があっても、何かを受け止める事はありません。サリバンが文中において、「彼女の愛情や思いやりや他人の賞賛を夜転ぶ子供らしい心に訴えるすべが一つもありません。」と書いてあったのはこのためです。
 私はこの期間を、欲求を抑えず常に放出し、愛情(ここでは物理的な接触や言葉によって精神が満たされること)に訴える心を持ちあわせておらず、ただ自分から何かを訴えているばかりの状況から、「欲求放出期」と名付けることにしました。
 そこでサリバンは、その原因となった両親から引き離し、全く違う環境で、彼女を征服することでこの期間からヘレンを脱出させようとしたのです。
 それではそうした環境に追いやられた事によって、ヘレンはどのように変化していったのでしょうか。
 サリバンに征服された事によって、ヘレンはこれまでのように欲求を好きなように放出する事ができなくなっていきました。そしてこれまでのように、両親のように彼女の我儘を許してくれる存在がいないのもその一因となっていることも見逃せません。ですから、彼女はサリバンに服従する中で、それなりの発散の仕方を見つけるしかなく、自然と指文字や言葉に興味を向けていったのです。
 またサリバンの教育スタイルとしては、征服というぐらいですから、当然サリバンからヘレンへ、何かしらの強制力が働くことになります。つまりそれまでの、ヘレンから誰それへ何かを訴える流れとはまるで逆なのです。ですからヘレンは、他人の思いやりや愛情を受け止める器というものを形成せざるをえなくなっていきました。だからこそ彼女は、3月20日のその日には、サリバンの傍で、晴れやかな顔をして編み物をしていれたのです。
 上記のように、征服によって強制的に欲求を抑えられたこと、そしてその強制力から相手の征服や大まかな感情を受け止める器を形成していった事から、この期間を、「欲求制御期」と規定することにしました。

◆誤字◆
・堺…この指摘は2度めです。重く受け止めねばなりません。
・どうのような
・夜転ぶ


◆1. わたしのコメント◆

はじめに断っておきたいことは、この論者は今回残念ながら、顔を突き合わせての議論の場に参加できませんでしたので、わたしの求めている<過程性>というものについて、各種の運動法則を引き合いに出しての生き生きとしたダイナミックな像を描きにくかったであろうという点です。
といっても、だからといってクロがシロになるわけはないのでやはり率直に評価することになります。

論者は、「欲求」というものを起点にしながら、1887年の3/20を境にした、ヘレンが彼女の内面のそれを内側からただただ押し出すだけの時期と、服従というものを学びそれを抑えられた時期、と質的に区分しています。
この理解にはいくつかの大きな問題があります。


◆世界観の問題…唯物論の立場に立てているか

まず一つ目の問題は、論者が、この書籍で扱われている一つの現象を、ありのままに正面に据えて理解するのではなく、いわば自分があらかじめ用意した価値観やキーワードに基づいて「解釈」しようとしているという点です。
本質を先天的(ア・プリオリ)に規定して対象を見ることを観念論と言い、さらに身勝手な解釈を展開することを、哲学になりきれないできそこないという侮蔑的な意味合いをこめて「思想」と言うことがありますが、これはまさにこれらに該当する理解の仕方であって、ここまで勉強しておきながらこの状態に留まっているというのは、残念だと言わざるを得ません。

どこまでが対象のありのままの理解であり、どこからが解釈となるのかは学問にとって非常に重要な問題ですから、大きく疑問に感じる方がおられてもおかしくないですし、それどころか絶対的に必要な問いかけなのですが、ここで詳しく立ち入ることは今回の論点をぼかすために次の機会にゆずるとして、ここではひとつ常識的に考えてみてください。
はたして論者の言うとおり、「征服によって強制的に欲求を抑えられたこと」が、「相手の征服や大まかな感情を受け止める器を形成してい」くことに繋がるのかどうか、と。
これではあたかも、「サリバンがヘレンを力でねじ伏せた」ことが直接的に、「ヘレンが愛情を受け止められるようになった」という結果を招いたかのように読めますが、本当にそうでしょうか。

サリバンはヘレンと出逢った初日に、こう言っていますね。
「ヘレンの気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけでは彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。」
この点の批判をまだ続ける必要があるでしょうか。もっともサリバンが、初日に言っていたとおりのことをまるでできていない、というなら話は別ですが…。
さて、論者がこのような誤りに陥った原因は、さきほども指摘したとおり、論者がその世界観として<唯物論>の立場を堅持できていないということ、いったん規定した欲求云々という、悪く言えば似非心理学的な用語をどうしても変えたくなかったことのほかに、もうひとつ大きな問題がありました。それが、<論理>の問題であり、これが2つ目の大きな問題なのです。


◆論理の問題…弁証法的な論理をつかめているか

そもそもを言えば、わたしがこの書籍を認識論の題材に選んだのは、この本が、というかサリバン女史の教育方針とその土台となる世界観が唯物論的であり、またその論理が弁証法的であるからです。
アン・サリバンが唯物論やら弁証法やらを使えたとは…?そんなことは初耳だが、といぶかしがる向きもあるでしょうが、唯物論も弁証法も、「私は唯物論的弁証法の立場に立って研究している」と宣言すれば満たせるような生易しいものではないものですし、また逆に、そう明言しなくともそのように考えられている人もいる、ということを改めて確認しておきたいと思います。サリバンがヘレンと出逢った初日に何を言ったかをさきほど引用しておきましたが、その箇所をもう一度読んでみてください。
さきほど見てきた論者の理解と、どう違いますか。

論者にあっては、「あれをすればこうなる」式に、「あれ」→「これ」と、直接的に結びつけようとしたために無理が生じ、かえっておかしな解釈をつくりあげることになっていることを見てきました。書店の店頭に並ぶハウトゥ本やビジネス書が単なる解釈のでっち上げに終わって、その解釈というレベルでは、書籍が主眼に置いているはずの、論理の現実的な適用がむしろ成し得ないのはこの点です。とても大事なことですから、じっくり考えてください。
ここをサリバンその人は、どう言っていますか。征服→訓練だとか、征服→愛情だとか考えていますか、決してそうではないでしょう。

ではどう書かれているかといえば、これからの指導にあたっては、大きな方針としては、あくまでもヘレンの気質をそこなわずに彼女を訓練してゆくことであると、まずことわっています。
その大きな方針から導き出されることとして当然に、力づくでヘレンを征服するようなことは彼女の思うところではないのですが、それでも、それが必要な場合があるであろうことも認めており、それというのが、ヘレンが「正しい意味での従順さ」を発揮してくれない時である、というわけです。

こういう論理的な文章が目の前に現れた時、「この人はああ言えばこう言う、こう言えばああ言うものだな。結局のところ、教育において相手を征服すべきなのかしてはいけないのかどっちなのだ!?」という、あまりにも寂しい自らの低い論理レベルに押し下げて読んでしまう人が大の大人の中にもたくさんいますが、ここにいる読者のみなさんはぜひとも、それだけは避けてもらいたいと思います。
ここに書かれているのは、そんな頭ごなしの感情的な反発や、論理の高い文章を手も足も出ないからとダブルスタンダードだと決め付けるような低レベルの非難で片付けてしまって良いような内容では決して無く、大きくひとつの原則を立てられているからこそ、今回の場合であれば正しい人間観に立脚できているからこそ、各所・各所での複雑な現象を、はっきりと切り分けて、「ここまではやっても良いがこれ以上はダメ」だ、というふうに判断できるということ、なのです。

これは現実が複雑だからとそれにあわせて右往左往することが生きることであったりビジネスであったりと捉えてしまうまでに忙しい社会に身をおく人たちにとっては、なかなかに理解し難いことのはずです。
それでも、その困難を押しのけてどうしてもわかってもらわねばならないのは、複雑な現実の中の各場面において、一本の筋の通った判断をしようと思えば、そう思えば思うほどに、そこには大きく根を張る原則を持っていなければならない、ということです。
明確な原則があるからこそ、その光に当てられて複雑な現実を正しく見ることができ、また問題を正しく処理できる。この論理を、弁証法では、論理を排除して実践だけをとるのではダメで、論理があるからこそ正しい実践が導け、正しく実践を繰り返すからこそ正しい論理が導けるのだと、どちらが欠けてもどちらも成り立たなくなるという関係性において捉えるところから、それを<相互浸透>というのでしたね。

もちろんサリバンは、自らを唯物論的弁証法の立場に立つ実践的研究者を自任していたわけではありませんが、彼女の行動や記述の中には、このような論理があまりにも豊かに含まれていることを見逃してはいけません。


◆以上をふまえて本文を読む

さてでは、以上で述べてきた、唯物論と弁証法という世界観と考え方をしっかり持った上で、あらためてもう一度引用箇所を、より具体的に見ておきましょう。
「ヘレンの気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけでは彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。」
サリバンはヘレンと初めて出逢った時、サリバンが当初想定していた人物像とは違っていたのでした。
それはその時点で、そのままの状態ではヘレンに「教育」を与えるのは不可能、より正しくは、歪んだ土台の上に教育を与えても悪い影響しか与えることがないであろう、という見通しが立ったということでもあったのです。
ですからサリバンは、ヘレンと出逢ってから3/20までのあいだ、「教育以前」の問題に取り組まねばならなくなったのであって、それが、この引用箇所に決意表明されていることの内容であったのです。

ここをしっかりと覚えているのであれば、1887年の3/20に、サリバンがありったけの喜びとともに語ったことの意味が、その気持ちが、自ら経験したかのようにつかめてくるはずです。引用してみましょう。
「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。
 二週間前の小さな野生動物は、やさしい子どもに変わりました。私が手紙を書いていると、彼女は私のそばに座って、はれやかで幸福そうな顔付きをして、赤いスコットランドの毛糸で長い鎖編みをしています。彼女は今週、ステッチを覚えました。そして、しあげることをとても自慢にしています。部屋の向こうまで届くほど長い鎖を編むのに成功すると、得意になって、自分で作った最初の作品に愛情をこめて頬ずりしました。
今では彼女は私にキスもさせますし、ことのほかやさしい気分のときなら、私の膝に一、二分のあいだ乗ったりします。でも、私にお返しのキスはしてくれません。大きな進歩−−価値ある進歩−−をしました。この小さな野生児は、服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づきました。今や、この子どもの心の中で動き始めている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。」
わたしとしては、この2つの引用部が、すでに今回の課題において、ほぼ直接的に答えになっていると思えてならないのですが…。
さきほどの引用箇所と同じようにこちらも説明してしまっては、もうそれは解答そのものと言ってもよいほどになってしまいますから、もう一つ念押しの意味も込めて、論者の妙な思い込みについて批判をしておきます。

◆


今回、もはや繰り返す必要もないはずの、世界観と論理の問題を振り返らざるを得なかったのは、ほかでもなく今回のレポートが、前回のレポートと比べて、論理のレベルをまるで高めることができていない、という一点が気がかりなためです。

論者はどうも、わたしの出しておいた課題の採点基準について、さも「答えが合っていれば合格をもらえる」かのように思い込んでいるようですが、勘違いも甚だしいとはこのことです。

弁証法的な論理が形而上学的な論理と決定的に違うのは、前者が過程をこそ正しく把握しようとする点においてです。
前回も説明しておいたとおり、たとえば前者においては、ひとりの人間という一個体の生育段階を、各過程がそれぞれ、人間一般に照らした必然性において折り重なるように発展してゆくものととらえます。
しかし後者にあっては、各段階をそれぞれバラバラにとらえるという踏み外しをし、さらに進んで、結果として発展しきったところの成人のあり方に焦点を当てすぎるときには、「どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのだから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうが合理的」とまで錯覚してしまいかねないほどの論理の低さとなってしまうのです。

わたしは以前、歴史を考えるときにはいくらそれが曲がりくねった道をたどっているように見えたとしても、一見して特殊に見えるものを安易に例外であるとして片付けてはいけない、ときつく言ってあったはずです。
あれは、そうでなければ過程を正しく追うことはできないからこその忠告であったのだ、と思い返せているでしょうか。
三浦つとむがものごとが発展するというときには「ジグザグな道を通る」と言っていた理由がはたしてわかってもらえているのでしょうか。
あの本を弁証法的に読むということは、こういった各所各所も含めて全体を、弁証法的に読んでゆくということでなければならないはずですから、この箇所も相互浸透的に、「ではなぜ発展はストレートな道であるとしてはいけないのかな?」と読んでみることを通して、「自然に弁証法的な考えかたができる能力をこそ(!)」、培ってゆくのでなければ、いくら法則をまる覚えしても「なんの意味もない」、ということなのです。

というわけですから、どのような答えを出すかということ以上に、問題をどう過程的にとらえたか、ということを描き出す努力をしてほしかったものでした。
今回の課題の場合であれば、サリバンがヘレンと出逢ったその日に、それからの一定期間を「教育以前」、つまり「しつけ」の段階としてとらえたのはなぜなのか?
そして、そこを早まって教育に突き進んでゆかなかったことによって、ヘレンは一体どのような土台を獲得したのか?
と考えてゆけば、「教育以前」・「しつけ」の段階には必ずしも明確なかたちをとりえなかった大きな意味が、その次の段階では大きく浮上してくるということが、大きな感動とともに読み解けてゆくはずだと思うのです。

ひとつ大きな手がかりを指摘しておきましょう。
サリバンは3/20の感動を、このように書いています。
「今や、この子どもの心の中で動き始めている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。」
この箇所は実践の中で導き出してきた弁証法が含まれているのです。しっかり読めていますか。

さて、論理が発現している文章や口頭での表現におやっ?と気付き、さらにその高低を推し量ることができたとしても、そこをなお弁証法的な文章として書ききるまでには、思っているよりも遥かな隔たりがあるものです。

このサリバン女史に胸を借りるつもりで、まずははじめからじっくりと、彼女がそこでそのような行動をとった、またとりえたのは、その根底にどのような人間観・また教育観があったからなのかとつぶさに追い、過程的にまとめてみることが大事です。


(8につづく)

2014/02/21

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(7):1887.03.06-04.03 (I)

このBlogの読者の方に向けての文章は、またもや久しぶりになってしまいました。


定期的な更新がなかなか軌道にのらないのはいくつか理由があるのですが、わたしのところに学びに来ている学生たちに、彼や彼女らが学生でいるあいだに、できるだけのことをできるかぎりの体系性と過程性を確認しながら伝えておきたい、という事情がその最も大きなものになっている事情があるのです。

砂上の楼閣ということばがあるとおり、砂で出来た土台の上にいくら高度な建造物を築こうとも、それはそう遠くないうちに崩れ去ってしまいます。そして、それは体系性・過程性を何よりも重視する学問という分野においてはなおのことしっかりと押さえておかねばならない点なのです。

ただこのような、高みに昇ろうとすればするほど土台作りが大事である、ということを述べると、「それは学問の場合であれば、しっかりとした基礎教養の上に専門知識が載せられているかどうかということですか」と聞き返されることがあります。
それはそれで間違いではないのですが、その言葉通りの理解では論理のレベルが低いのだ、ということも併せて指摘しておかねばなりません。

それというのが、今回扱う<過程性>の問題なのです。


◆ノブくんのレポート◆

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたか1887年3月6日〜3月20日

 レポートの数も大変多くなってきましたので、今回はこれまで私が書いてきた、3月6日から20日までの出来事をおさらいしてみようかと思います。おさらいとは言いましたが、単に整理していくのではなく、3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのかを論じていくつもりです。というのも本文にある、「知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。」という一文からも理解できるように、この日からヘレンは教育において質的に次の段階へと進んでいった過程が潜んでおり、これを論じていくことは本書を理解していくことにおいて避けては通れません。そこでまずは3月20日以前と以後の彼女を比較し、それぞれが教育においてどのような段階にあったのか、どのような期間であったのかを規定し、前後の違いを論じていきます。

 私は以前、自身が書いたレポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版5)において、ヘレンは普通の7歳前後の子供達と比べて身体面に異常はなく、その問題というものは、「好奇心を抑えられない、社会性が乏しく誰がきても自分の我儘を通そうとする精神的な気質にある」と述べていました。
 そしてそれはどのようなものであったのかというと、食事の作法と言えばナプキンも付けず、辺りにあるものはナイフやフォークを使わず手づかみで食べ、お客さんが来るかと思えば勝手に鞄の中を覗こうとし、そうかと思いそれを制止しようとすれば暴れてしまう、というものだったのです。これらの行動からこの期間の彼女の特徴は、下記のような事になるでしょう。

◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。

 私はこの期間を、欲求を抑えず常に開放し、社会性を無視した行動をとるために、「欲求開放期」と仮に名付けることにしました。
 そしてこの「欲求開放期」のもう一つの特徴として、「愛情を受け取る器がない」という事が挙げられるでしょう。ここでいう「愛情」とは、一般的な、誰かが誰かに好意を寄せる時にとる行動等の事ではなく、物理的な接触や言葉によって精神が満たされる現象を指す事を意味します。これまで好き勝手に欲求を満たしてきたヘレンにとって、「愛情」などというものの存在など無縁であった事でしょう。そしてサリバンはこれこそが自身の教育において大きな障害になるだろうと考えていきます。
 そこで彼女は「征服」という手段によって、それをヘレンに植え付けようとしたのでした。ここで注意して頂きたいのは、ここでいう「征服」とは、人として倫理的、道徳的に外れた行動を強制的に正していくという意味を指すということです。(詳しくは3月月曜の午後、3月11日のレポートを参照)やがてこの彼女の試みは成功し、3月20日以降のヘレンの行動は劇的に変わりました。
 服従を学んだ事で、彼女はサリバンが監視している範囲では、ある程度欲求を抑える事ができはじめてきました。(ですが彼女と同年代の子供達に比べると、その効力はまだまだ薄いものであると言えるでしょう。7歳前後であれば、ある程度、大人から離れていても、自らの欲求を抑える術をある段階までは身につけているはずですから。)またサリバンのキスを許したり、サリバンの膝の上に乗ったりと、形式的ではあるかもしれませんが、愛情の存在を感じつつあるようにも見えます。ですからこの期間を「愛情獲得期」と呼ぶことにしましょう。

欲求解放期
◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。
◯愛情を受け取る器がない。

愛情獲得期
◯愛情を感じつつある。
◯サリバンがいれば、欲求を抑える事ができる。

 この2つの期間を比較すると、その違いはやはり欲求が抑えられるか否か、相手の精神的な好意を受け止められるか否かにあるのです。


◆わたしのコメント◆

参考書をひと通り読み終わった論者に、わたしが今回出しておいた課題は、以下のようなものでした。
サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んで、まずは1887.03.20の日記に注目してください。
その冒頭に、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。」とあります。
では、サリバンがヘレンと始めて出逢った3/6からの数日間と、この3/20以降では、一体何がそれほどに違っているのでしょうか。
それを、3/20の前と後の期間を、それぞれ数日に区分して、「XXの期間」と「XXの期間」というふうに名前をつけるとともに、その内実および変遷について説明してください。その時、この本全体の、そのそれぞれの期間の位置づけをしっかりと確認しながら、<概念規定>するつもりでやってください。
ここでわたしがさきほど前置きしていたことを思い出してもらいたいのですが、土台がしっかりと出来上がっていないところにどんな立派な建造物を建てても早晩崩れることになるということを、基礎と応用にだけ区分したのでは論理のレベルが低い、と言いました。
このように言うと、「では基礎と応用をそれぞれもっと細かく区分すればいいのですか?」と聞かれる方もおられそうですが、これはことわざを引き合いに出して建造物でたとえているから、かえってわかりにくくなっているのかもしれません。

いまお話しているのは論理の問題ですが、そもそもわたしたちの目指しているのは事物や事象を低い論理の段階でとらえるのではなく、弁証法的な論理の段階でとらえる、ということでした。

弁証法を身近な題材を使って解くときにひとつ覚えておくと良いと思うのは、たとえ話の題材には、人工物よりも自然物を用いたほうがわかりやすくなる、ということです。

ですからここでも、建物ではなしに動物にたとえを変えて考えてみてください。
たとえば、私たちは人間は、母親の母体の中で受精卵が次第次第に成長を遂げ、赤ん坊としておぎゃあと生まれることになりますが、そのとき、その過程としてはいきなり私たち成人のような、五体が備わっているような状態で生まれてくるわけではないですね。
そこには、オタマジャクシのような段階もありますし、手足が生えた両生類のような段階もありますし、ようやく人間らしいかたちをとるようになってもやはり尻尾が生えたままであることは、我々成人の体つきとは異なっています。

ではなぜ、いきなり、いわば「小さな大人」のような状態で生まれてこないのかな、と考えたことはありませんか?
どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのですから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうがある意味で合理的なようにも思えます。

◆

ここまでご説明したとき、さきほどの「土台がしっかりと出来上がっていないのなら…」というお話と、通じる論点が見えてきた人もいるのではないでしょうか。
その人は、科学史なり哲学史なり生物の歴史なり、なんらかの歴史的な書物か、または犬猫などの動物の飼育という実地に、じっくりと向き合ったことがあるのではないかと思います。
この「なぜ人間は「小さな大人」のまま生まれてこないのか?」という問題は、できればその人に答えてもらいたいのですが、今はわたしが代わりにお答えすることにしておきましょう。

それは、人間にとって母親の母体で過ごす、オタマジャクシの段階、両生類の段階、哺乳類の段階、サルの段階というものは、最終的にはそのかたちをそのままに留めるのではないにしても、その段階、その段階をその形態で過ごすという意味において、必然性を持っているのだ、ということなのです。
言い換えれば、わたしたちが今のような身体に育つことができているのは、オタマジャクシ、両生類、哺乳類、サルという道筋をしっかりと辿れたから!なのであって、それ以外ではない、ということなのです。

ですから、もしオタマジャクシの姿を十分に取らずにいきなりサルになってしまえば(これは単なるたとえです、ありえないことですから)、それだけの歪みが生じざるを得ない、ということが言えるわけです。
ここからさらに進んで、おぎゃあと生まれてお母さんの胸に抱かれてすくすく育ち、大の字になって寝転び寝返りをうつようになり、ハイハイを経てつかまり立ち、さらにはひとりで立つということができるようになってゆくとき、その段階、その段階はどういう必要があるのか、必然性があるのか、ということも、ここでお話している<過程>における必然性の問題、ということになります。

◆

さてここまで説明すると、なぜレポートの添削をせずに長々と過程などというものについてしゃべっているのか…?と、論者は疑問に思うでしょうか、それとも、「あっ…!?もしかして、これはレポートの不足を補うための話なのか…?」と思ってくれるでしょうか。

さきほど、赤ん坊の生育を例に取りながら、過程における一つの段階は、一見するとその最終的な段階とは似ても似つかないものでありながらもなお、次の段階を支える関係になっている、ということをお伝えしました。

事物を、最終的に出来上がった、結果だけの形態や状態でとらえるのでなしに、各段階、各段階が折り重なるように積み重なった過程の複合体としてとらえることを、弁証法的にとらえる、と言うのです。
このことは、課題を出すたびにことわる必要がないはずのことだと思っています。

さきほどわたしが述べたことの中に、
どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのですから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうがある意味で合理的なようにも思えます。
という部分がありましたね。
この考え方でいうところの「合理性」というものは、最終的な結果だけしか主眼に置かないために、過程における必然性が読み取れていないので、これを弁証法的な論理ではなく、論理のレベルが低い、と言ったわけです。

論者は確かに、生真面目に課題をこなし、ひとつめの段階、次の段階、というふうに規定しつつ一定の説明をしてくれていますが、それらは、各段階をそれぞれの過程的な必然性を把握しながらの説明になっているでしょうか?そのことを、もう一度考えてみてもらいたいと思います。それが、弁証法的に考える、ということなのです。

◆

参考書で扱われている問題に従って、より課題に即していうのならば、サリバン女史がヘレンとはじめて出逢ったとき、ヘレンの状態は、サリバンの想定していたものとは違っていました。

そこでサリバンは、当初出逢ってすぐにはじめようと考えていた教育の段階からいったん降りて、よりヘレンの基本的・根本的・基礎的なところに働きかけるように教育をし、そのことによって一定の土台をつくろうとしたのでしたね。

このことが、オタマジャクシ(魚類)の段階がなければ両生類の段階はなく、両生類の段階がないのであれば哺乳類の段階もないのだ、ということと論理的に同様のものとして類推しながら捉えられているでしょうか。

論者の今の書き方では、各段階、各段階が、それぞれ質的に違ったものとして捉えられつつはあっても、あたかも「順不同」であるとみなされてもおかしくないような状態ではないでしょうか。これでは、<過程性>をふまえたことにはならないはずです。

サリバンが考えたヘレンのあるべき成長過程というものは、やはりひとつひとつの段階には、その順番がそうでなければならない必然性があるのであって、これはやはり、人間の一般的な生育過程をふまえるものでなければなりません。その点に注意を払いながら、もう一度、考えてみてもらいたいと思います。

また、各段階の名称について、「概念規定するつもりで」と言っておきましたが、これはなにも、「小難しく考えろ」と言ったわけではありません。
各段階の名称は、文中に出てくる日常言語レベルの字句を使ってでも十分に表現できますから、こちらも肩の力を抜いて考えてみてほしいと思います。


◆正誤◆
・3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのか
→3月20日(※1)を境に彼女がどのように変化していったのか


(8につづく)

2014/01/01

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。


去年は、一昨年から進めていた研究組織の移動のためもあって、夏の終わりからの更新がかないませんでした。

その間、研究仲間や学生さん、活字中毒の友人たちからたびたび更新の催促があったことは、とても勇気づけられたものでした。

学問は、直接的に経済的・社会的な即効性を持ちうるものではありません。
そのために、学問・論理・理論が役に立たない、金にならない、だから棄ててしまえ、といった非難にさらされることにもつながってしまいます。

しかしそれでも、論理がなければ、我々人間がそれぞれに体験する経験は、その個別的な経験のままで終わります。
そして論理がなければ、他者の経験や知見を自分の実践のために、また将来のために活かすことができないままになります。
さらにまた学問がないのなら、人類の文化が、その根拠を失うことになるのです。

◆

わたしたち人間が、両親から生まれ育てられて、今のような独自の身体と精神を持つ存在となった時、その恵まれた境遇に感謝したり、また逆に、他者のそれと比べて不足を嘆いたりすることがあります。

たしかに器量や背格好などをはじめ、物質的な諸条件は、職業や人生における助けになりますし、それをより活かす方向に進めることは時には必要でしょう。
しかし生まれ持った条件を、後生大事に保持し続けるだけで人類文化の担い手になりうるかといえば、それは違います。

とくに学問は、その構造として確かな論理が体系として張り巡らされていなければならないために、生まれ持った条件、つまり運任せで人生をどうにかやりすごせばいいと考える向きには、決して本質的なものになってゆかないという性質があるのです。

もしみなさんが生まれつきの鈍才であったり、それとは逆に天才肌の人間であった場合には、それがなぜそうだったのか、より正しくはなぜそうでなければならなかったのか、もっと正しくはなぜそうでなければならなくなってきたのか、を、過程的かつ客観的に観る努力をしてもらいたいと思います。

天才は、自分が一足とびにたどり着いてしまう結論が、どうして導き出されたのかの過程を考えてみることで、また鈍才はなぜ人並みにわからないのか、どこまで基本的なところから説き起こしてもらえればわかるのかを考えてみることで、それぞれ逆向きに、対象の持っている性質や因果関係が、どう人間の認識として移し替えられてゆくのかを探究してゆくべきなのです。

ですから学問にとっては、わかるということはどういうことか、わからないということはどういうことかなどという人間の認識についての理論、教えるとはどういうことか、教えられるとはどういうことかの人間の教育についての理論、対象を理解し、それを教え教えられわからないことがわかってゆくという論理についての理論、というものが、極めて密接な関係にあることになるのです。

これはそれぞれ、認識論、教育論(指導論)、論理学(弁証法)、と呼び習わされているものというわけです。

◆

みなさんが天才であろうと鈍才であろうと、どんなに複雑な現象が目の前にあるときでも、それを誰でもわかるほどに基本的な原則から、解き起こしてゆくことのできる力を養ってゆかねばなりません。

それが、人類文化の担い手になるということであり、理論的実践家として仕事をするということです。

わたしも立場を同じくする者として、当人が努力をしたのならばそれだけの成果を、しっかりと身につけてもらえるだけの指導を実践してゆきたいと考えています。

今年一年の本質的進歩を祈念して。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

次回の更新は、今週末あたりになりそうです。

2013/09/25

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(補1):1887.03.06 (I)

今回は遠回りをしてすみませんが、


学生さんが自主的に提出してくれたレポートの再提出ぶんを見てみることにします。
ナンバリングがわかりにくくなるので、今回は本編とは違った補足編として書いてゆくことにしましょう。

せっかくの再提出ですから、論理的に人の認識を読むということはどういうことなのか、という問題意識に照らしつつ検討してゆきます。

◆

ここまででサリバンの本について書かれた記事は、以下のようになっています。

【本編】
・【メモ】『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』のマインドマップ(※7/25更新)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』 (1)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(2):1887.03.06 (I)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(4):1887.03.06 (III)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(5):1887.03.06 (IV)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(6):1887.03.07 (I)

【補足編】
・この記事


◆ノブくんのレポート◆

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版2)

 サリバンがヘレン・ケラーとはじめて出会ったのは、3月3日の事でした。驚くべきことに、彼女はこの日のうちにヘレンの教育に対する重大な欠陥を見つけ出し、多くとも数日のうちに大まかな方針を決めていったのです。

 そしてその重大な欠点とは、精神的な部分にあるのでした。というのも、彼女は他人の荷物を勝手に覗く、触れる、触るものはなんでも壊す、その表情は魂みたいなものが抜け出ている、虚ろである等といった、とても7歳前後の少女とは思えない奇行をとるのです。
 こうした事実からサリバンは、彼女が「子供特有の内から湧き出る衝動」によって振り回されていることを指摘しました。通常、彼女のぐらいの年齢の子供達は、世界のあらゆるものごとをその小さい身体で力いっぱい感じ取る事ができます。例えば、広々とした公園や学校のグラウンドを駆けまわったり、ブランコを大空へ飛び込むように大きく漕ぐことによって、世界の大きさを体感しようとします。まるで、彼らの小さな身体に潜む、大きな何かに突き動かされるようにエネルギーを使い果たそうとするのです。ところがヘレンの場合は、そうした衝動が他の子供達と同様にあるにも拘わらず、それをうまく発散することができません。またそれを知る術もないのです。ですから「彼女の休息を知らない魂は暗黒の中を手探りする」しかありません。それがどのようなものか、なんの為に使うのかを知る事もできないままに……。ですから、彼女は空虚な表情で、あらゆるものを手で触り、壊すことしかできないのです。

 そこでサリバンは、ヘレンの「内的な衝動を失うことなく、効率よく発散させていく」(※)という目的論を立てて、問題の解決に取り掛かっていったのでした。そしてその解決方法が下記にあたります。

 私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

 彼女は上記での目的論に対して、「ゆっくりやりはじめて愛情をかちとる」という方法論にたどり着きました。そしてその方法論の前提として、ヘレンの従順さ、服従する事が要求されています。
 ここで注意しなければならないのは、この「服従」という言葉に含まれれる「認識」というものは、普段私達がイメージしているそれとは異なった内実になっている、ということです。ここ述べられている「服従」とは、虐待している親たちのような、全面的な降伏を意味するのではありません。あくまでも、人間の社会的なルールに逸れた場合、それを強制するといった意味で使われています。ですから彼女の「服従」とは、暴力や支配が目的になっているのではなく、最低限の社会性をヘレンに持ってもらうことが目的になっているのです。
 そうして培っていった社会性は、彼女の人間的な感情の土台にもなっていきます。何故なら、私達の感情というものは、社会を生きていきた中で育まれてきた、経験的なものなのですから。例えば、ある時点までは、「子供を大切だと思っている親が、自分を叱る」という事ができなかったとしても、何度も親に叱られ続けたり、自分がその当時の親の立場を経験していく中で、「大切であるからこそ、かえって叱らなければならなかったのだ」ということに気づいていくはずです。そしてこのヘレンも、はじめはサリバンが叱ったり、征服する理由がわからずとも、正しく社会性を身につけていく中で、自身への愛情が裏に潜んでいた事が理解していく事でしょう。

 しかしここで気をつけて頂きたいのは、ここではヘレンを征服することよりも愛情をかちとることが積極面として表れている、ということです。
 この日以降の手記を見ていただければ理解して頂けると思うのですが、ここでのヘレン・ケラーを取り巻く環境というのは、サリバンとヘレンの兄のジェイムズ以外、彼女に逆らうものが何もありません。よって、彼女の身の回りには、彼女の現在のあり方を変えようとする環境と現在のあり方を受け入れようとする環境とが存在していることになります。そしてこの2つの環境のうち、果たして彼女はどちらを選ぶでしょうか。この続きは、3月11日の手記にて論じさせていただきたいと思います。

脚注
※本文中では、「彼女の基質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するかがこれから解決すべき最大の課題です」とある。


◆正誤◆
・この「服従」という言葉に含まれれる
・私達の感情というものは、社会を生きていきた
・「子供を大切だと思っている親が、自分を叱る」→読点の前までが「親の視点から子どもを見た視点」であるのに対し、読点以降が「子どもの視点から自分自身を見た視点」となっており、読者にとっては非常に読みにくい表現となっている。いやしくもことばを使って仕事をしようと考えている者なのであるならば、自分の表現が、その受け止め手にとってどのように感じられ、考えられるのかは必ず検討しておかねばならない。しっかりと反省されたし。正しい表現ではどうなるのかはここでは書きませんが、後日聞くので考えておいてください。

◆

結論から言っておきましょう。
このレポートでは、これまでの議論をしっかりと踏まえられているとは言えません。もっとも、その実力がまるでないというならまだしも、ですが、力があるのに発揮していないのでは問題です。

レポートの表面をなぞらえるだけならば、サリバンが初日の手紙に書き残したことが半分は触れられているように思います。(残り半分の、ヘレンの言語能力についての考察も期待していたところですが…これについては難しすぎるかもしれないとは思います)

これは、以下でわたしが書いておいたことをふまえようとしたわけですね。そして、事実そうできているとまでは言えるのです。
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)

ところが、前回紹介した良い出来栄えのレポートについて、そのレポートを読みながら確認しておいたことがあったはずでした。そのことについてはどう理解したのでしょうか。あのレポートが評価されるべきだったのは、知識的な内容を深堀りしたからなのではなくて、サリバンの高度な実践の中の重層構造を浮き彫りにしえたからこその評価だったのでした。(この<重層構造>については本題ですから、説教のあとで述べます)

もしあなたが一流の道を歩もうとするならば、同じテーマや素材を扱うにしても、前回触れた触れ方よりもより高いレベルで、つまりより深い論理構造を引き出すことによって、それを乗り越えてゆかねばなりません。もしすぐにはそれがかなわない場合にも、その姿勢だけは諦めてしまってはいけません。誰が何と言おうと握りしめて、粘り強く取り組まねばなりません。ここをほとんどの自称・一流の人たちは、「知識を広く集めることで」乗り越えようとするから、晩年は雑多な作品や研究に始終してしまい、結局は最初期の研究や処女作品が一番良かった、ということになってしまうのです。とくにここで「一番良かった」と評価されるのも、それがコンパクトにまとまっていながらも一本の芯が通っているように映るからこそ、なのですが、この好評価こそは、知識の少なさゆえにかえって主題や本質が浮き彫りになっていたからなのだ、と彼らはわかっているのでしょうか…。

もちろんだからといって、知識を集めるなと言っているのではありません。知識をいくら集めてもそれは勝手なのですが、それをどう見るか、という「物事を見る目」を日々鍛えているのでない限り、かえって膨大な知識に押しつぶされることになり、構造や本質がいつのまにか見えなくなってしまう、ということを言っているのです。その段階に至るとほとんどの人たちは、結局真理などというものはなかったのだ、追い求めること自体が間違っていたのだと、“真理など何もない”極端な相対主義者となって、知識の海に埋没することをむしろ居心地が良いことのように感じる歪んた感覚を身につけていってしまうのです。しかし実のところ、真理は「なくなった」のでは決してなく、ただ「見えなくなった」だけ!なのです。

このことは以前から何度も伝えておいたとおりですが、それも、今のあなたの表現からは、なんとしても一流になるのだ、という気概をまるで感じられないからの念押しなのです。

◆

さて、ここで「物事の見る目」の大事さを思い出せ、「論理」的に見よ、などといっても、それを念頭に置けてはいてもなぜか実践ではうまく働かない、力んでかえって空振りしてしまう、といういわゆるスランプは誰にとっても起こることですから、もう少しともに考えておきましょう。

まず気持ちの面での問題から触れておきます。少々下世話になりますので、見る人から見れば占いか三流宗教まがいに聞こえるでしょうが、いつもどおり誤解を恐れずに率直に指摘したいと思います。

まず、今アタマにうずまいている焦り、というものをしっかりと見つめてください。数年も先に始めていることなのに、新しく始めた人たちの頑張りを見ていると、もしやこれは近いうちに追いぬかれてしまうのでは、という思いが拭い切れないのではないでしょうか。その思いを見ないようにしようとすれば、かえってどんどん触れたくない、触れられたくないわだかまりが、あたかもアタマの中の実体であるかのようなレベルにまで膨らんでゆく(<量質転化>)ことでしょう。

しかし率直に言って、これは単なる思い過ごしであって、そんなものは客観的には存在しません。思い返してみてください。「自分がわからないところをもっと探してきなさい」、「鈍才としての努力をこの先も続けなさい」、と常々言われてきて、また実際そうすることで実力を伸ばしてきた自分のことを。自分の馬鹿さ加減を率直に披露すればいちばん評価され、また本当の実力がつくということが明らかになっている時に、何を偉そうに先輩面をし続けることがあるのでしょうか。若輩たる自分に一体どれほどの蓄積があると言うのでしょうか。人間にとって人間としての誇りは持っておかねばなりませんが、本質から外れた、自分のことを実力以上に見せようとする虚栄心は何の役にも立たないどころか成長の可能性を奪い去ってしまうものですから、捨ててしまって結構です。

本当の意味で人の役に立てる仕事ができるだけの賢さを身につけたい、人格を養いたい、文化を残したい、そう本心から思い考えるのであれば、たとえ馬鹿にされてもその内容に客観性があるのかどうかを検討できねばなりません。「なるほど、たしかにそういう意味ではまだまだ自分も馬鹿だな」と、どうして笑っていられないのでしょうか。これは他人からの評価を無視しろとか卑下しろとか言っているのではなく、いったん自分のことを棚上げした上で相手の立場に立ってみて、「なるほど(あなたから見れば私は)そう見えないこともないな」と<否定の否定>的に認めることなのです。いわゆる気が小さい、と言われる人は、こういうことができないだけなのだ、生まれつきそうというわけではないのだ、正しく論理的な技を身に付ければ客観視もできるようになってゆくのだ、とわかってほしいと思います。

それでもまだ他人にどう見られるかが気になってたまらないというのであれば、日々の努力を怠っている自分を、他でもない自分が見てきているということなのですから、それはまた別の問題として反省すればよいし、そうすべきなのです。繰り返しますが、他人の評価は検討した以上のことは気にしないことです。衆目というのは、どんなに親しい人間であっても、結果にしか向けられないものですから、まだ目に見えるかたちで現れていない努力をしている段階では評価されないのは当然です。場合によっては狂人扱いされるのもやむなし、と考えるべきです。わたしも研究会を始めた頃は、「そんな三流大学の馬鹿どもしか集まらないとはお前の実力もその程度か」と陰口をたたかれたものでしたが、数年して同じ人物に、「お前は優秀な学生ばかりを選り好みしているから結果を出せるだけだろう」と言われたものでした。こんなことはいくらでもありますが、でも、どれも怒ったりはしませんでした(まあ、呆れはしましたが…)。これは、そういうもの、だからです。こうわきまえておくのなら、愚図ついてどうしようもない自らの上達過程も見てもらえる環境が、いかに恵まれているかも<相互浸透>としてわかってくるでしょう。

せっかく認識論をやるのですから、自分自身の心が抱えている問題をはじめ、スランプといったものも、ひとつの問題として正面に据えて解明してゆくのだ、と考えてみてはどうでしょうか。こういう姿勢が少しでもあるならば、「いったん棚上げする」(第一の否定)ということもわかってきますし、客観視するということにふくまれる<否定の否定>の構造も実践の中でしっかりとわかってくるものです。それがわかれば、たとえば実力があるのに本番で力を出せないアガリ症という現象も、どこに問題があり、どうすれば解消できうるのかがわかってくるはずです。まだ経験の少ない学生さんから見れば、「この人は何があっても落ち込まない人だな、まったく羨ましいものだ」と思われる人ほど、こういう過程を経てきているのです。雑念を払って、替えのきかない場面であればあるほどに、自分の実力を発揮できるだけの認識を創りあげていってもらいたいと思います。

◆

さて、小言(もはや大言、に聞こえるかもしれませんが)はここまでとして、本題に戻りましょう。

先程もお伝えした通り、このレポートを論者の実力がどれだけ発揮されているかという観点から評価することにするならば、やはり良い評価はあげられない、ということになるのです。

ではどこが不足しているのかと言えば、これも先ほどことばだけ出てきたとおり、サリバンがヘレンを見る目の中にある<重層構造>についての理解と、それを理解しようとする姿勢、です。

わたしとしては、前回Oくんが提出してくれたレポートの水準を守りながら、今後の展開を果たしてゆきたいと考えているので、前回の記事を読みなおしてみてください。そうして、たとえばここに何が書かれているのか、わたしがなぜそれを評価したのかを理解しようとしてください。

―――――


それが、4段落目です。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。
サリバンが、どうしてヘレンに正しい食事のあり方を学ばせようとしたのかが、過程的構造を意識しながらはっきりと書かれていますね。

そのとおり、人間が人間であるからには、同じ栄養価を満たせばどんな姿勢のどんな食事作法でも良いというわけにはゆかない、という人間観がサリバンの脳裏にはっきりと描かれていたから、彼女は譲らなかったわけです。

そしてまた、幼少期の日常生活の毎日毎日の繰り返しの中で、ひとつの個体は人間らしく「創られて」ゆくのですから、日々のふるまい方が間違っていれば、その感覚すら間違って創られていってしまうのだ、という指摘も正当です。不潔な環境で育ってしまっているのなら、家の中が髪の毛やホコリだらけであっても平気になってしまうどころか、それが好ましいとさえ感じられる感覚を身につけてしまうのであり、食事の前に歯磨きをすることや、髪の毛を濡れたままで放っておくなど、良くない生活習慣も同じようにして身についてしまったものなのです。


―――――

ここでは、サリバンがヘレンに、着席して食事を摂ること、手づかみで食べずにスプーンを使うこと、食後にナプキンをたたむことなどのテーブルマナーを教えようとして苦労しているさまが描かれています。

ここでわたしは、Oくんが、サリバンの認識を自らのように二重化してみて、サリバンがヘレンを指導するに際して正しい「人間観」をしっかりと持っていた、ということを見抜いたから、それを高く評価したのでしたね。

これは、レポートが目の前に提出されてしまったあとでは、「それはそうでしょ」という感想しか起きてこないでしょうが、これを引き出し得たのは、彼が、しっかりとサリバンがヘレンの指導にあたっていたその日、その時その場所での情景を思い描きながら、いったいそれはどのような苦労であったのかと我が身に捉え返しながら理解していったから、なのです。

◆

今回のレポートの論者は、もし自分がその時その場所にいたとしたら、サリバンと同じことができたであろうか?というふうに、まだ想像してみることができていないのではないかと思えてなりません。あなたがこんな状況の中に放り込まれたら、それこそ裸足で逃げだしたくはなりませんか。こんなことならもっともっと勉強をしておけばよかった、と後悔の念が沸き起こってこないでしょうか。なにもわからない状況の中で、何を手がかりに指導を続けてゆけばよいのか藁にもすがる思いにならないでしょうか。

それでも、サリバンはこれだけの力強い指導をしたのです。それを結果で示したのです。だとすれば、「彼女のなかには、何らかの行動の指針となるものがあったのであろう」と考えてみるのが自然な流れとなるはずです。

さてそうして、ヘレンがサリバンのバッグを取り上げようとしたときには腕時計を代わりに渡すことでやんわりと興味を逸らしたのに、テーブルマナーについては頑として甘えさせなかった、という事実を見るならば、ここには何らかの判断の基準となるものがなければなりません。

◆

Oくんがここまでの流れを明確に意識していたかどうかはともかく、あのレポートはたしかにそう読める、というレベルに達しているから、評価すべきであったのです。

わたしたち人間は、目の前の実践が多様で複雑であればあるほどに、それらを照らす一つの判断基準、ぶれることのない立ち位置、揺るぎない原則を持っておきたいと考えるものでしょう。それをサリバンのように高度な実践として実現してきた人物のなかには、やはりなんらかの「物事を見る目」がなければなりません。このうちの、複雑な現実を照らす見る目のひとつが、ここで挙げた「正しい<人間観>」というものなのです。

ですからこれらの構造としては、正しい人間観に照らして、ヘレンのあり方を見、その時その場所でそういうふるまいをやっても善いか悪いか、見逃すべきか叱るべきか、ということを判断していたのですから、「人間観」と「個別の判断」を、サリバンの認識の中の重層構造、と呼ぶことができるわけです。

もし自分の脳裏が単層構造でできており、つまり確固たる人間観もなく個別の判断がポツポツと浮かんでくるだけの人物であるならば、ヘレンを一本の筋を通した人物へと導き育てることなどできるはずもないことです。こんなことをすれば、当然に指導内容は行き当たりばったりの、昨日はこう言ったのに今日はこう言う、あの子には優しいのに私には辛く当たるということになり、子どもからしてみれば、指導者の顔色を伺うだけになってしまうでしょう。教育論と名のつく書籍を開いてみれば、「『ならぬものはならぬ』ことを子どもに教えよ」といった文言が出てきます。あれも本来ならば、こういった重層構造として理解すべきなのであって、あの文言だけをふりかざすのであれば、「自分の嫌いなものは『ならぬ』」であるとし、教師の強制力を増すだけの役目しか果たさないことになってしまいます。

◆

わたしが求めているのは、サリバンの立場に立って、もしその時その場所に自分がいたならば、きっと逃げ出したいくらいに困り果てていただろうな、彼女はなぜあんなにも確かな指導ができたのだろうか!?と、驚きと賞賛の感情をもって、深く深くこの人から学びたい、自分もこういう実践ができるようになりたい!と、感じ、考えてもらうことなのです。

それができるのであれば、実のところ、論理や重層構造、正しい人間観、労働観などといった問題は、あとでいくらでも整理してしまえることなのですから。

まずは初心に還って、もっとしっかり、しっかりと深く読み込むことです。
そうして、「えっ、ここはなぜこんなふうにできたの!?」と、驚いてみることです。
それをとても生真面目で実直に、いつもやってきたように、全体のうちの個別としての位置づけを「あらすじ」に、次にそれを一語で規定するならばどうなるのかという「一般性」、最後にその確からしさを説明する「論証」、という構成で書いてゆくことです。

今回のレポートを一目見て、サリバンの指導初日にふさわしいだけのあらすじもなく、まえに書き損じたレポートの継ぎ接ぎが散見されるという有り様であっては、まともに評価する気もおきにくかった、というのが実のところでした。気持ち新たな再提出を求めます。

2013/09/15

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(6):1887.03.07 (I)

(5のつづき)


前回までで、学生のみなさんが「自分自身のわかっていなさ加減をわかる」という段階までは進められてきたので、ようやく次の手紙の内容に進むことになりました。

ただそれでも、まだ解けていない問題も含めて、初日の手紙については、これから残りを読み進めていくうちに折に触れて参照しなおしてゆかねばならない内容を含んでいます。

本心から認識論の実力をつけたいのであれば、ここも通常の授業とは違って、「提出したらおしまい」という姿勢ではいけないのだ、と、強制などされなくともしっかり自分の頭でわかってもらいたいと思います。

結局のところ、さいごまで「わからない、わからない」と言っていた人間が、いちばん進歩するのです。いいでしょうか、「わからないとわかる」のは、誰かに言われて気づけばいいのでは決してありません。また、誰かに勝ったからそれでおしまいというものでもありません。最終的には、自分でわからないことに気づいた上で、自分自身のアタマでその問題意識をいつも離さず持っておき、折にふれてその問題を考えてゆけるかどうか、という「アタマの中の見る目」こそが問われているのです。それを自分だけの力で持てているかどうかで、あらゆる能力を養えるかどうかが決まっているのです。

こう言うと、「わかってもわかってもわからないと言い続ける姿勢を求められるのであれば、いつも自分が間違っているのではないかとビクビクし続けることになるのではなかろうか」という質問があるものです。悪意のある場合はさておき、本心からこういう疑問が残っている場合は、まだ「わかる」ということの構造がわかっていない証拠ですから、前回の記事も含めて考えてみてほしいと思います。さて、では今回のレポートです。

◆

読者のみなさんは、サリバンが初日(1887.03.06)の手紙の中でこう書いているのを覚えておられるでしょうか。

私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

彼女は、自分がヘレンに教えることのできる、人間にとって本質的なことは「服従と愛」であると考えているのです。この段階まではサリバンはまだ、ゆっくりとヘレンの心を解きほぐすように働きかけてゆけば、その心に自然に愛情を育んでゆけるであろう、必要なときには力をもって言うことを聞かせなければならないだろうが…、と考えていましたね。

ところがこの日、サリバンは、「ヘレンと大げんか」をしたのです。それというのも、ヘレンのあまりにすさまじい食事の作法を正すため、他人の皿に手をつっこんでほしいものをとろうとするヘレンに言うことを聞かさねばならなかったからです。家族の人たちが迷惑を受けて食堂から出て行ったあと、床にころがり駄々をこねるヘレンを椅子に座らせるまでに30分、スプーンをどうにか握らせて食事を終えたはいいものの、ナプキンをたたむ段になってまた1時間もの取っ組み合いをすることになったのです。

この日の記録についても、学生さんのレポートをいくつか引きながら考えてみましょう。


◆ノブくんのレポート(文学考察:1887年3月月曜の午後(修正版))◆


 前回の手記でサリバンはヘレン・ケラーを「知的ではあるが、人間的な感情の機微については他の子ども達に比べて乏しい少女である」と規定し、今回のそれでは上記の理論に基づいた実践面について書かれています。
 結論から述べると、サリバンの試みは成功とはとても言えないものでした。彼女はこれまで甘やかされて育てられたヘレンを、普通の子どもと同じく、自分の食事に手を入れようとすれば叱り、またナプキンをたたませることを教育しようとしたのです。ですが、ヘレンはそうした彼女の試みに対して、強い拒否の反応を示しました。かと言って、それが完全な失敗とも言い難いものがあります。拒否をしたのものの、結果としてはヘレンは彼女の食事を食べることは出来ず、彼女の強制力によってナプキンをたたまざるを得なかったのですから。
 こうして今回の実践では大きな課題を残す事になったのですが、ここでサリバンは末尾に何か秘策があるとも感じられる、ある奇妙な一文を記してあります。

「あとは人間にできないことをうまくやってくれる何かの力にお委せするだけです。」

 一体、「人間にできないことをうまくやってくれる何かの力」とは何なのでしょうか。実はこの言葉については、次の日記に明確に記されていありますので、その説明も次回とさせて頂きます。

◆

まずは誤字脱字の誤りからです。他の学生さんの誤字脱字とはその誤る理由が違っているからこその数度ならずの指摘なのですから、しっかりと自省し客観視を中心にした認識力を高めてください。机に向かう他にも、まず人間としての生活を整えることが大事です。きちんとした生活習慣を身につけ、部屋を片付け掃除し(続けることでしだいしだいに)正しい清潔感を持てるようにすることと、適度な運動と自分で整えた食事を摂ることが何より重要です。人間としてのあり方を整えるつもりがないのなら、そもそも一流を目指すなどもってのほかであるという一事をしっかりと自分の脳裏に養える生活をしてください。


正誤
・次の日記に明確に記されていあります

さて、横道から本道に戻りましょう。

結論から言って、今回のレポートはあまりにも現象に引きずられすぎているようです。ヘレンの認識のあり方は、またサリバンの認識のあり方は、この中のどこに書かれているのでしょうか。他の学生さんたちの熱心さに押されて、先行者の自負からかレポートを前もって提出してくれるのは嬉しいのですが、それも一定の質あってこそです。

論者は、サリバンがヘレンに最低限のテーブルマナーを教えることには失敗したが、「彼女の強制力によってナプキンをたたまざるを得なかった」という点においては成功であったと言える、と述べていますが、本当にそうでしょうか。

ここでサリバンは見た目の上では、たしかにヘレンに最低限のテーブルマナーを身につけさせようとしているのですが、そのことそのものだけをやらせたいわけではなく、これはあくまでも、ひとつの目的意識に照らした指導の一環として必要だった、ということです。そんなことはわかっています、と弁護したいのであれば、ではその目的意識というものはどこにあったのか、サリバンはヘレンの内面をどう読み取ったからそうせざるをえなかったのか、ということを論じねばなりません。

このことに答えてくれるレポートがありますので、論者はしっかりと読んでください。


◆Oくんのレポート◆


 今回の手紙ではサリバンがヘレンと朝食をともにする場面が記述されている。ヘレンの食事の作法は凄まじく、他人の皿に勝手に手を突っ込み勝手にとって食べる、手づかみで食事をするといった、おおよそ人間らしからぬ物であった。3月6日の手紙にもあるが、ヘレンの行動を制止するのは兄のジェイムズしかいなかった。おそらくヘレンの家族の中にはヘレンの食事が食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかったのではないだろうか?
 実際の食事に入るとサリバンはヘレンに自分の皿に手を突っ込ませようとはさせず、後に引かぬヘレンとの間で意地の張り合いとなった。その際にヘレンの家族は食事をおこなう部屋から退出していた。この事に気付いたヘレンは大きく戸惑うこととなる。これはヘレンにとって常に自分の頭の中で靄のようになっている衝動を自分の欲求の思うまま発散する事を許容する存在が自分を取り囲む世界からいなくなった事がヘレンの認識に戸惑いを与えたからではないだろうか。
 ここでサリバンがヘレンと意地を張り続けるという事は到着した瞬間に見せた、カバンに興味を持ったヘレンに対して腕時計を用いて興味の対象を変更し、ヘレンの衝動の発散とぶつかり合わないようにしていた事と一見矛盾するように見える。しかしこれはサリバンがこの状況で気をそらすという手段を使ってはいけないと認識をしていたという事である。この事は3月11日の手紙に「服従こそが、知識ばかりか、愛さえもこの子の心に入っていく門戸である」とある事からも伺える。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。


◆

驚きました。素晴らしいレポートです。

どこが素晴らしいのかを前もって指摘しておくと、ひとつに、ヘレンの、他人の皿に勝手に手をつっこみ勝手にとって食べる、という癖について、彼女の認識に立ち入った考察がなされていること。ふたつめに、サリバンがそれを、なぜできれば使いたくないと考えていた「力」で以て言うことを聞かせる必要があると判断したのかを、これまたサリバンの認識に立ち入って考察してあること、です。

しかも後者については、人間が人間であるからには、同じ食事を摂る場合にでも、栄養を満たせばそれでよいというのでは決してなく、そこには社会性が前提としてなければならない、そこが動物と人間との違いであり、だからこそしつけというものが必要なのだ、と読める書き方がなされています。

この問題に自分の力で取り組んでみて、このレポートを読まれた方は、「すごい考察をする人間がいたものだ、負けてはいられない…」とじわりと感じ取られたと思いますが、これで終わらせるのももったいないですから、その論じ方を順に追うことで理解を深めておきましょう。

◆

まず一段落目のうち、この箇所はよく書けています。
おそらくヘレンの家族の中にはヘレンの食事が食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかったのではないだろうか?
正誤
・ヘレンの食事が食事をとる時に→ヘレンが食事をとる時に

この指摘はそのとおりです。ヘレンの家族は、人間として全うな倫理観・道徳観と社会性を持っているようです(ここで言う「社会性」の中には一般的なマナーも含まれています)。ヘレンの兄ジェイムズには、ヘレンの悪い振る舞いを制止するだけの倫理観が備わっているのですから、家族のしつけは一般的な意味では悪いものではなかったと推測できます。それでもヘレンにそのしつけが兄ほどにはゆきわたらなかったのは、他でもなく彼女が障害をかかえていたからであり、技術の問題として見るならば論者の言うとおり、「食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかった」からです。

つまり、両親は自分自身では正しい認識(倫理観・道徳観)を持ってはいたけれども、それを障害を持ったヘレンが身につけられるようなやり方でしつけるための<技術>を持ち得なかった、ということです。その空白を埋めることこそ、サリバンがケラー宅にやってきた意義があったのでした。

ここで「人間として」とことわりが入っているのは、サリバンの目的意識を代弁しており、簡潔ながら的確な指摘であると言えるでしょう。このことは後に述べます。

◆

次に、2段落目に着目しましょう。
 実際の食事に入るとサリバンはヘレンに自分の皿に手を突っ込ませようとはさせず、後に引かぬヘレンとの間で意地の張り合いとなった。その際にヘレンの家族は食事をおこなう部屋から退出していた。この事に気付いたヘレンは大きく戸惑うこととなる。これはヘレンにとって常に自分の頭の中で靄のようになっている衝動を自分の欲求の思うまま発散する事を許容する存在が自分を取り囲む世界からいなくなった事がヘレンの認識に戸惑いを与えたからではないだろうか。
サリバンがヘレンと、食事のマナーをめぐるけんかを始めてから、他の家族は迷惑を受けて食堂から出て行ってしまいました。ヘレンは物心ついてから、このようなことはこれまでなかったのです。相手が居てこそ暴君として振る舞えるのですし、そうして自分が気に入らないことを表明することで<内発的な衝動>を歪んだかたちで満たしていたのですから、それが発揮できない事態というのは、彼女の想定外であったことでしょう。ですから、「この事に気付いたヘレンは大きく戸惑」った、という理解(=ヘレンの認識を我が事のように繰り返す;観念的二重化)は適切です。

続いて、そのヘレンの認識のあり方について触れた文章、これが素晴らしいですね。
ヘレンの頭のなかでは「靄(もや)のような衝動」が発散できない状態となっている、という指摘がありますが、これは本当にこのとおり!なのです。
赤ん坊が母親という母体からおぎゃあと生まれて泣き始めるのは、「だれでもいいからこの不快な状態をなんとかしてくれ!」という不快感が、一体全体何が何やらわからない状態のまま頭のなかを駆け巡って渦巻いているからです。(参考文献:海保静子『育児の認識学』)

ヘレンの認識のあり方が、同じ年頃の少年少女の段階にまで至っておらず、明確な像を創る状態に達していない、つまり「何が何だかわからない」という状態を見て取って、それを「靄(もや)のように」と表現したのには驚きました。よく勉強していますね。

◆

そして3段落目もこのとおりです。
しかしこれはサリバンがこの状況で気をそらすという手段を使ってはいけないと認識をしていたという事である。
初日の手紙の中にサリバンのバッグをとりあげようとして騒ぐヘレンに、代わりに腕時計を握らせてそれをなだめた、という箇所がありましたが、この食事に関する指導については譲歩的・代替的な手段を取らず、一歩も引かなかったというのは、サリバンはこの点ではどうしても譲ることができない、と考えていたからに他なりません。

それがなぜだったのか、どういう目的意識に照らせば譲ることができないと考えられたのかは、次で明らかにされます。

◆

それが、4段落目です。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。
サリバンが、どうしてヘレンに正しい食事のあり方を学ばせようとしたのかが、過程的構造を意識しながらはっきりと書かれていますね。

そのとおり、人間が人間であるからには、同じ栄養価を満たせばどんな姿勢のどんな食事作法でも良いというわけにはゆかない、という人間観がサリバンの脳裏にはっきりと描かれていたから、彼女は譲らなかったわけです。

そしてまた、幼少期の日常生活の毎日毎日の繰り返しの中で、ひとつの個体は人間らしく「創られて」ゆくのですから、日々のふるまい方が間違っていれば、その感覚すら間違って創られていってしまうのだ、という指摘も正当です。不潔な環境で育ってしまっているのなら、家の中が髪の毛やホコリだらけであっても平気になってしまうどころか、それが好ましいとさえ感じられる感覚を身につけてしまうのであり、食事の前に歯磨きをすることや、髪の毛を濡れたままで放っておくなど、良くない生活習慣も同じようにして身についてしまったものなのです。


さらにここには、動物的に、つまり本能に任せたやり方で日常生活を送るのならば、「明確な像を頭の中に描」いて対象に働きかける、という人間存在の根本的な条件を満たすことすらもできなくなってゆく、という原則が書かれています。人間と動物を隔てているのは、まさにこの、目的意識をもって対象に働きかける、という、<労働>という観点においてです。動物は本能で行動しますが、人間はまだ現実には存在しない「こうなったらいいな」という目的意識という認識を脳裏に描き出す能力があり、それを満たすべく対象に働きかけるのです。サリバンが論理的・理論的にこのことをふまえていたかどうかは定かではありませんが、少なくとも彼女はそれまでの学習内容やヘレンとのかかわり合いの中から、経験的にではあってもこれらの原則をふまえられていたと考えられるのです。

そうしてさいごに、それらのサリバンの根本的な目的意識をふまえて、彼女がヘレンに、食事はきちんと座って素手ではなくスプーンを使って摂るものであり、食後にはナプキンを畳んでおくことが人間としての社会性にふさわしいものである、ということが述べられています。そのことに加えて、それらは幼少期から自然成長的に身につくものでなく、両親や保護者からわけもわからないうちにまずは身体で覚えこまされたあと、しだいしだいにその中身を埋めるように倫理観が追いついてゆく、という過程についてもおさえることができています。

基本線について、しっかりおさえられています。これだけのことがわかっているのであれば、人間とは、労働とは、教育とは、などの本質論が、大まかな体系として脳裏に出来上がりつつ実感があるのではないかと思います。それで間違ってはいませんので、より精進を続けてください。

◆

細かい指摘は以上のようになりますが、これらを書き得たそもそもの理由というのは、やはりヘレンの認識のあり方をその時その場所の彼女の立場に立ってとらえ返そうとし、また、それをサリバンがどう見たか、というその認識のあり方を、同じく適切に我が身に捉え返してふまえることをやろうとしたからこそ、なのです。

そこには倫理観・労働観をふくめた正しい人間観があり、また、人間として創られる、ということの過程における構造の正しい把握があるのです。


(7につづく)