2012/10/18

文学考察: 登つていつた少年ー新美南吉


連載の途中ですが、


答えをすぐに言ってしまっては考えてもらえませんので、少し間をあけさせてください。
指導の際にむずかしいのは、答えを「あえて」言わないこと、そのことを通して指導する当人に実際に考えてもらうこと、でもあります。

もっとも、昨日の記事で、答えはほとんど言ってしまったようなもの、なのですけども。


◆文学作品◆
新美南吉 登つていつた少年

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 登つていつた少年ー新美南吉
 一年に一回の学芸会が近づいてきた頃、ある小さい村の学校の先生は、そこで行う予定の対話劇の主役を誰にするかで悩んでいました。一方の子供達の間では、頭の中で2つの名前を思い浮かべでいました。一人は貧しい家の生まれでありながら才能と自信に溢れている杏平、そしてもう一人は、裕福な家庭に育ち先生からの信頼を得ていた全次郎。
 ですが杏平本人は自分が主役に選ばれる事を強く信じており、決して自分からは立候補しません。果たして彼の自信とはどこからきているのでしょうか。
 この作品では、〈他者よりも秀でた実力を持つが故に、他者よりも強い自信を持つことができた、また他者よりも強い自信も持つが故に、他者よりも秀でた実力を持つことができた、ある少年〉が描かれています。
 この作品は、学芸会の主役を先生が選考しており、それを杏平が自信をもって沈黙している場面と、子供達と木のぼりをして杏平が他者よりも高い場所まで登っていく場面の2つで構成されています。そして前者では彼の強い自信から沈黙を守っている事から、彼の自信の面が強くその場面にあらわれていることが理解でき、後者では実際に他の子供達よりも高い位置に登り、自身の実力を見せつけている事から、彼の実力があらわれていることが理解できます。
 こうして整理してみると、この2つの場面はそれぞれ独立しており、彼の大きな2つの性質を描いているに過ぎないと考えてしまうかもしれません。ですが、下記に注目してくだい。下記はそれぞれ、沈黙を守りきった後と木のぼりをしている最中の一文を抜粋しています。
校門を出てからも杏平の自信はくづれなかつた。杏平には自分の期待が裏切られるやうな経験はかつて殆どなかつたので、さういふことを想像することが不可能だつた。
杏平は恐怖を感じなかつたわけではない。しかし杏平の中にある不思議な力がどんどん彼をひきあげてゆくのである。
 はじめに第一文は、杏平はこれまでの事を想起して、改めて自分の実力を確認して今度も主役に選ばれるであろうという自信をつけています。ここから彼ははじめの場面において、自身の実力が彼の自信を裏付けているということが言えるのです。
 そして第2文では、杏平は地面から離れていくことに恐怖を感じながらも、何らかの力(自信)が彼を支えて他の子供達との実力の差を見せつける事に成功出来たと言えるのでしょう。
 ここまで話を進めると2つの場面の見方も変わってくる事でしょう。この2つの場面はそれぞれで杏平の自信と実力を積極面として描きながらも、その裏ではそれぞれがそれぞれを支えています。2つの性質は独立してそれぞれ存在しているのではなく、それぞれが支えあっているからこそ、杏平の性質として成立しているのです。

◆わたしのコメント◆

一年に一回の学芸会の季節を前に、ある学級の少年少女たちは注意深く先生の一挙一動を見守るようになります。というのも、彼らや彼女らにとって、対話劇の配役が誰に決まるかというのは、何よりも大きな問題だったからです。その配役の候補として有力だったのは、女の子では才色兼備の「ツル」であるというのが衆目の一致するところでしたが、男の子のほうは先生次第、という状況でした。この物語の主人公である「杏平」その人は、その候補のうちの一人であったのです。

この物語の本質を考えるときに、論者はそれを、主人公である少年の主体にありとし、実力があるからこそ自信を持つことができ、自信によってその実力はさらに高まっていったのだ、とそれらの相互作用を論じています。

たしかに、もう一人の候補者である「全次郎」とは違って、杏平は家柄が良いわけではなく、先生からその意味で目をかけられているわけではありません。
そのため、杏平は「か細い肉体と鋭い感受性」とを、つまり身一つの素性を頼りに強い誇りを持ち続けるほかなかったのです。

そんな彼のこれまでの生い立ちを考えれば、論者の言うこともわからなくはありません。
しかしこの物語で論じるべきなのは、主人公の主体だけに限られるのでしょうか。
そのことを、少し掘り下げて見てゆくことにしましょう。

◆◆◆

先生が対話劇の配役の決定を明日へ先延ばしにすることを告げたその後、論者の指摘している通り杏平は、「自分の期待が裏切られるやうな経験はかつて殆どなかつた」のです。

しかしそれでも、彼はそわそわした風でその日の放課後を過ごしています。
梅の実を見つけた彼は、その実を食べたり種を割って中身を覗いてみたりと、特段なにをしたいというのでもないものの、身体を動かしていないとどうにも落ち着かない、といった様子を見せているのです。
その箇所を確認してみましょう。
 かくんと梅の実は二つに割れた。ふつくらふくれた小さい、柿のたねに似たもの、少年達が天神さまと称んでゐるものが出て来た。杏平はそれを手にとつて見た。泣きたいやうな快感が彼の四肢をかけめぐつた。杏平はツルの名を連呼した。彼はそれを小川の中に投げこんでおいて、狂暴な犬のやうに、力一ぱい走り出した。何かに体をぶつけたい衝動が彼の肉体をうづうづさせてゐた。 
 杏平はその日一日、何がなくほのぼのとしてゐた。心ゆくまで湯につかつたあとのやうに快い亢奮の余蘊(ようん。引用者註:漢字部は本文が文字化けしているので補った)が彼の心のすみずみまでゆきわたつてゐた。杏平は何がその原因なのか考へもしなかつたけれど。
ここで問題なのは、「何かに体をぶつけたい衝動」が沸き起こったかと思えば、「心ゆくまで湯につかつたあとのやうに快い亢奮の余蘊」に浸っていたりという、彼の情緒の不安定さというものがどこから来ているのか、というところにあるのです。

杏平にあっては、「何がその原因なのか考へもしなかつた」のですが、我々はそここそを正面に据えて、考えてみなければなりません。

◆◆◆

ここで手がかりになるのは、これまで自信に満ち溢れていた杏平の内面に、何らかの変化の兆しがある、ということです。

彼が先ほど、手持ち無沙汰に柿の種をもてあそんでいたところでも、それははっきりと描かれています。
 種子だけが口の中に残つた時、杏平は彼等少年の仲間でいひならはされてゐる梅の種子についての卑猥な言葉を思ひ出した。杏平はそれまでしばしば他の少年達と一しよにその言葉を口にし、しばしば梅の種子を石で割つた。しかし今その言葉を思ひ出した時、杏平は殆んど眩暈を感じた。口から手の上に吐き出して種子をしみじみ見た。その種子を割ると中から出て来るもの。杏平はそれを今までしばしば見てゐるに拘らず、烈しい好奇心にかられた。彼は手頃の石を拾つた。そして石橋の上に来た時、猫のやうに息をひそめて前後を見た。人はゐなかつた。
どうですか、なにか掴めたものがありましたか。
答え合わせをする前に、この引用箇所をじっくりと読んで考えてみてください。

たしかに彼は見かけの上では、いつもと同じことをしています。
しかしその内面の感じ方というものは、いつもと違っている、より正確に言えば、変わり始めている、ということがわかったのではないでしょうか。

この変化の兆しというものは、実はこの物語全体に登場する少年少女を貫いているあるひとつの、明確な傾向なのです。
ここまで言えば、もう答えを言ったも同然なのですが、答えそのものは論者をはじめ読者のみなさんに考えて欲しいところなので、以下の引用文をヒントとして書き置くに留めておくことにしましょう。
「学芸会には何をしようか」と先生は嬉しさに輝き始めた少年と少女達の顔を見下してくすぐつたさうに言つた。「対話劇か唱歌か。」
 少年達はたつた一つの意見しか持つてゐなかつた。対話劇である。少年達は唱歌などめめしいものだと考へてゐた。しかし少女達は容易に彼女らの意見をのべなかつた。先づ彼女らは教室の隅に一つの秘密をでも守るやうにかたまつて、そこでひそひそと囁きあつたり、友達の肩を叩いたり、「いやあ」と叫んだりした。それが先生にも少年達にも、彼女らが急に「女」になつたことを感じさせた。少年達は腹立たしかつたが、仕様のないものと思つた。

※正誤
・下記に注目してくだい。

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