今年取り組む研究活動、指導、実技、創作活動、語学について、去年の年末は時間がなく考えられなかったので、今日こそはと、大きな本屋さんに自転車で乗りつけ下調べをしてきました。
新しく取り組む課題については、やはりその歴史を知らねばとうてい学問的な段階には到達しえませんから、通史的なもののうち、もっとも良いものを選定しなければなりません。
国会図書館に入り浸って探しても良いのですが、あくまで下調べに話を限れば蔵書が多すぎることと、書庫に所蔵しているものも多いために、一度に閲覧できる情報源がタイトル・著者名・出版社名に限られることが致命的です。
上達のあり方を考えれば、各段階には各段階にふさわしい手段があってしかるべきです。
ともあれ日本では、「こんなものも置いてあるの?」と品ぞろえの確かさに驚く、しっかりとした大型の書店もありますので、非常に恵まれた環境にあることを噛み締めてほしいと思います。
(そうじゃないところもありますから、大型であればよいというわけではありません。店先にどんな本が平積みされているか?というところを常々見る習慣をつけておくと、その本屋さんのレベルがわかるようになってきます)
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さて、ここまでを読んだ探究熱心な学生さんにとっては、
ではあなたの言う「良い通史」はどう選べばいいの?
という問題意識が脳裏にぎらぎらと輝いているはずです。
多くを述べることはできませんので、やや形式的にすぎるきらいがありますが、誤解を恐れずに言うことにすると、分厚いハードカバーのものよりも、200〜300ページ前後の薄い新書のほうが良いようです。
というのも、個別な歴史を研究したいだけならともかく、歴史の流れ、歴史の流れ「方」、つまり歴史的な論理性=歴史性を把握するためには、いきなり分厚い本に取り組んでしまっては、当初の目標が致命的なまでに達成できにくい、というより事実的にできない、という事実があるからです。
新書のうち、その道に数十年専門家として取り組んできて、その著者の脳裏に宿っている歴史の流れを、人生の仕事納めとして本人が直接自分の手で一挙に書き下ろしたものは、ほぼ例外なく好著になる必然性があると言えるでしょう。
逆に言えば、何々の歴史、何々史という名のついた本であっても、執筆者が複数人である共著については、全体の流れが断ち切られるきらいがあり、また通史を名乗っていながらそんな志はどこへやら、本文を見るとただの論文集であったりすることもあり、がっかりさせられることしばし、ということがあります。
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というわけで、今回も午前中は専門書のコーナーをしっかり見て回ってみたあと、午後からは気持ちを入れ替えて新書のコーナーに立ち寄り、これはというものを数点買って来ました。
個別研究の書物は分厚くかさばり値段も高く、いくら読んでもその分野の全体像が掴めませんが、良い通史はいつでも持って歩け値段も安く、全体の絵地図を数ヵ月で脳裏に刻み込むことができます。
そのことと同様のことは、今回買い求めた本の書き出しにも明確に記されてありました。少し引用しておきましょうか。
文化史の研究が、各部門ごとにばらばらに進められている現状では、いくら待っていても、日本文化史の綜合的把握の可能になる時の来ないのは明らかである。
(中略)
大局からの綜合的視野がひらけてくると、各部門の専門研究にも新しい課題や視野がひらけてこないともかぎらない。
家永三郎『日本文化史 第二版』(1982、岩波新書)
なんだか、歯に物が挟まったような言い方だなあ、と思った方は、この人の言外に匂わせている本音が見えつつあるはずです。
では実質的にはこの人は、同業者の仕事を見渡した時に、どのような感想を持っていたのか、と考えてみてください。
わたしの言いたいことも、まったく同じです。
そうは言っても、通史をとおしつつその過程性を脳裏に宿しての専門分野の一般的な歴史性の把握は必要不可欠であるとはいえ、ものごとの探究がそこで終わるということはありえないということも、次に押さえておかねばならない事実です。
ただそれでも、このような、専門分野の歴史性を把握した人物からの提言が、何度も何度も実を結んでいないことも揺るがしがたい事実として屹立しています。
土台論をまったく欠いた個別研究だけが跋扈し、終わりの言に代えるとばかりの続く仕事は学際研究を待つ、などということばがあたかも免罪符になるかのような錯覚が蔓延っている中ですから、自分だけは、という一念はいつもいつも、それぞれが忘れるべきではありません。
ちなみにいえば、引用した二文目については、ヘーゲルが『精神現象学』の序文で、感情を隠しながらも述べていた、研究者のあり方への苛つきとも一致しています。
自ら定めた道を志す方は、序文だけでもぜひにと、一読をお薦めしておきます。
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さて、雑談に始終したかの感がないではありませんが、わたしが今年やってゆくこととその志とも密接に関係することですので了承を乞うこととし、終わりかつ締めのことばとして、やはり恩師から賜った詩を書き置くことにさせてください。
四大(しだい)空(くう)に帰すべきさだめ思ひつつこの季節の力を借りて、冴えた頭で覚悟を胸に誓い、この一年も人類文化を本質的に前進させるべく進みましょう。
冬されば冴ゆる冬のうつしみ詠人不知
謹んで、本年もよろしくお願いいたします。
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