2013/05/31
本日の革細工:自転車リアバッグG1R (4)
(3のつづき)
フェイス部が決まってくると、これから作ろうとしているものの全体像が、アタマのなかでとても明確なものになってきます。
創作活動においては、理想の像、つまり、「こんなものが欲しい、創ってみたい!」という像が明確になればなるほど、「今は頭の中にしかないそれを、一刻も早く現実の世界に出してみたい」という思いが強まります。
ここでもやはり、目的像を持って対象に働きかけそれを作り変えようとする、という人間特有の労働のあり方が根本に現れてきます。
前2回の記事でも述べたとおり、ものづくりというものの本質は、実のところこの、「アタマの中の像」について、何を、何故、どう作るのかということをどれほど明確にできているか、にかかっているのです。
この像を明確にするにはどうすればよいか、といえば、これは机の上で考える前に、それが現実においてどのように使用されるのか、が、素材としてアタマの中に持てているのでなければいけません。
ここを踏み外して、像とはつまりアタマの中での操作であるから、アタマの中でのみ完結してしまってよいという誤った前提を反省しないでいると、今度はその像を現実の表現へと移し替えた時に、現実にはそぐわないものになっているのが必然、ということになってしまうのです。
たしかに手先がある程度器用であれば、つまり<技術>を持ってさえいれば、表向きのかたちを整えることはできるものですが、その<技術>というものは、出来たものがどれだけ、現実的な道具としての目的に叶いうるかということは、まったく保証してくれないのです。そこを保証するのは、認識、です。
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熱心に作っていたら写真を撮り忘れてしまったのですが、バッグのマチをつくったところはこれ。
キャンバスバッグのところでも書きましたが、この帆布は三号帆布という、普通はバッグには使わないくらいの厚手のものです。
しかし厚手なだけあって、糸の太さも相当なもので、帆布を切り出したそばから、いきなり1mm以上の太さの糸がほつれてきたのには少々焦りました。革素材を扱う時とは違った心配りが必要です。
革細工で1mm変わると、縫い目も変わってくるだけに型紙も作りなおさなければいけなくなりますので。結局、ミシンでほつれ止めをして、事なきを得ました。
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続いて取っ手。
意匠を合わせて、ペアであるG1と同じようなものを作ります。
取っ手の構造はバッグにとって重要な部分ですが、これはあくまでも自転車バッグですから、やはり「過ぎたるは及ばざるがごとし」で考えてゆかねばなりません。
素人意見だと、せっかくアルミを加工できるのだから取っ手の中にもアルミを入れてはどうか、という意見が出てきそうですが、世のバッグにそういうものがほとんどないことにも、それなりの理由があります。
これはわたしも試してみたことがあるのですが、ひんぱんに握ったり駆動する部分に金属を巻いた革を入れると、革の裏側のざらざらが金属のエッジと擦り合わされて、非常に早く傷んでしまうのです。
同様に、縫いはしを金属でカシメてしまえばほつれなくてすむのではと思えてきたりもするのですが、これも、金属と革の接点だけに力を集中させることになってしまい、オーバーホールしても直せないダメージを他でもない革に与えてしまいます。
基本的に、糸は緩むもの、革は伸びるもの、ですが、だからこそ、全体としてはそのかたちを保ちやすい性質となっていることを忘れてはいけません。
台風が来た時に、街路樹はたわみ、しなってやり過ごすことができるのに対して、あれほど頑丈に見える電信柱は一度折れては二度と戻らないでしょう。あれと同じです。(これは現象的にだけでなく、地球の歴史をたどれば、という意味で論理的にも同じ、とみなしてよいものです)
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ただ固く丈夫にすればよいというわけではないのは、金属の材質にも関わってきます。
レザークラフトに使われる金属は、ほとんどが真鍮です。見た目にはシルバーのものも、真鍮にメッキをかけたものが多いようです。
わたしは以前は、革の質感と真鍮の素朴さがよくなじむので定番になっているのかと、見た目だけで判断していましたが、今ではこれは本当は、強すぎず柔らかすぎず、革を痛めにくい適切な強度を保っているからなのではと考えるようになりました。
それとは別の要因として、真鍮は金属のなかで、いきなり破断しにくい、酸化しにくい、といったバッグにとって望ましい側面もありますね。
今年は金属を扱い始めて、その奥の深さに驚いているのですが、こんな問題は思っているよりもたくさんの要素がからみあっています。視点を変えて人間の身体の構造から類推するとき、たとえば腸管の一部だけを見てとっても筋肉の収縮が異なる走行性を持った部位があり、互いが密接に関わりあうことで全体としての目的に見合ったはたらきをしていますから、単にバッグを作るにあたっても、素材が違えば紋切り型に答えを出せるはずもないはずのものでした。おしまいになってそのことに深く気付かされましたが、今では当初の見立ての甘さを反省するばかりです。
これは単純な例ですが、たとえば、ここに同じ太さの棒がある時、中身が詰まっている棒と中空のパイプでは、どちらが曲げに強いでしょうか?また、鋳物の金属リングと、金属棒を曲げて頭とお尻をロウ付けしたものとではどちらが変形しにくいでしょうか?
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これらの問題を論理的に解いたうえで実践的に使える認識にすることはいまだ叶わず、ですが、そういった観点を持ちながら、自転車バッグとしての道具観に照らして素材を選び、加工し、できたものがこれです。
コンチョの横のリング(丸カン)は、バッグの背面から前に出てきた革ベルトのほうにつけられているのですが、ここは鋳物のリングを選びました。
「ということは、さっきの問題は、金属棒を曲げてロウ付けしたものよりも鋳物のほうが強かったということかな?」と思われるかもしれません。
わたしも両方取り寄せて強度面を検討したのですが、ここでは見た目の綺麗さ、つまりロウ付け部分の盛り上がりの無さ、を選びました。
ただ、それだけで選んだわけではもちろんありません。道具としての機能を満たすかどうか、という原則はやはり満たしておかねばなりませんから。
ですからバッグ全体の強度が、内容物を入れて安心して持ち運ぶには信頼性がないとみなしたときには、当然に強度を増すことを選んだはずです。しかしそれよりも、ベルト以外の部分、たとえば口金がきつくもなく緩すぎもせずぴったり合わさっていること、帆布の強度が十分であることなどによって、バッグ全体の強度が確保されていることが確認できましたので、少々イロを出してもよいだろうと考えたのです。
またその他に、金属だけが強くても革のベルトが先にまいってしまっては意味がない、という判断もありました。
もっとも、鋳物(鋳造)だからといって、10kg前後の内容物と自重でそんなに容易くは参ってしまったりはしないのですが。
◆◆◆
唯一心残りがあるとすれば、とにかく部品がなかった、ということに尽きます。
いくつか選択肢があれば、その中から自転車バッグとしての目的に叶うもの(先ほど見てきたとおり、「最も強いもの」ではありません)を選べもしたのですが、たとえばバッグ天板の両サイドにある「手カン」(ドロップハンドル、と言ったりもします)という金具は、種類そのものが少くな、届いてみるまでネジの長さも径もネジの巻きもわからない状態でした。
しかも今回はどれも長さが足りず、しかもネジの巻きが規格外であったため、どうすることもできず、苦肉の策としてまだ使えそうなものを、革を削って埋め込むことにしました。
今回必要だった足の長さは、アルミ2mm+革2mm+革2mmでしたが、実際に使える足の長さは4mmほどしかありませんでした。いったいどんな用途を想定しているのかなんとも不明ですが、ここらへんは自分の足で部品を探すか、もしくは作るかせねばならないようです。ここらへんは、試作品の面目躍如ですね。
◆◆◆
口金の支点になる金属も、実は見つからなかったのでいまのところネジを使っています。
タブラーリベットという金具もあるようですが、ほかにももっと足長のカシメがあればなあ…という部分もいくつかありますので、これからも部品探しが続きそうです。
そういえば、この写真を見ていて思い出したことに、ベルト部に穴を空けようと思っていましたが、忘れていました。というより、何mm間隔で空けるべきかを考えすぎて疲れてしまいました。まあこのままでも機能的には支障はありません。他に穴を空けてもたぶん使わないので。同じようなバッグを作るときまでに決めねばいけませんね。
ベルトがやたら長いのは、自転車の後ろにつけるバッグだからですね。常用のバッグならもう少し短くしたほうが取り回しは良いでしょう。
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キャンバス(画板)バッグのときにはすっぴんの帆布を(くり抜かずに)こじ開けて通していた金具は、今回も同じ手法で実装していますが、裏面には当て革をつけて、これでもか、というほど丈夫にしてあります。
◆◆◆
自転車に載せたところを見てもらいたいところですが、日中になかなか時間が取れず、家は狭いときて写真がありません。
それは後日として、さいごに2枚ほど。
バッグ内は、A4の書類を少し曲げれば入る程度です。常ぼんぼん太ももに当たってきます。これらもやはり、自転車バッグという道具の目的に規定されてのものです。常用のバッグならもう少し大きく、薄いものの方がいいでしょう。
いま創作活動を学ばせてもらっている先生がとても気に入ってくださっていて、これと同じデザインのもっと大型のものを作ってほしい、これ持って海外に行きたい、とおっしゃってくれているのですが、先述したように市販の金具では大きく力不足であるのが大問題です。そこが解消されればぜひ、とお答えしているのですが。
いちばん最後は、初代G1と並んで。
どちらも試作として作ったもので、左のG1を作ってから2年経って出てきたのが今回のG1Rです。
進捗としてはまあまあ、というところでしょうか。
今回の収穫は、金属単体・革単体・帆布単体という問題ではなく、それらが組み合わさった時に全体としてはどういう構造になるのがもっとも相応しいのか、という問題が、想像していたよりもずっと大きなものであることがわかったことです。どれかを丈夫にし過ぎると別のところが痛み、といった「あちら立てればこちら立たず」があちこちで連鎖的に起きてくるため、「過ぎたるは及ばざるがごとし」のための弁証法がどうしても必要とされてきます。
探究がより深まった暁には、すでにある口金のあり方をはじめ、「バッグを開ける」、「バッグを運ぶ」、「バッグにものを入れる」ということなど道具としてのありかたの根本そのものから見なおしてゆかねばならなくなってくるでしょう。これはわたしの探究の仕方のせいかもしれませんが、ここまで来るとやはり、最も大きな問題は表面上のデザインにあるのではなくて、扱う素材とそれに相応しい構造をいかに正しく認識するか、という一点に収斂してゆく必然性があるように思われます。
道は未だし、前進あるのみです。
(了)
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