発表の翌日に発売とは、急な話である。
職業柄、業界の事情はちらほら耳に入るので、延期していた発売日は、
ゴールデンウィーク前のどこかになりそうだと推測はついていたのだけど、
公式の発表があったのは、なんと昨日の22時前。
店頭での販売開始は今日の朝9時だったそうだから、
発売日の公開から発売まで、なんと半日もない。
なんともやきもきさせられたものである。
震災のための延期であったとはいえこのAppleの秘密主義、
普通の企業ならユーザーも憤慨して不買運動でも起きそうなものだけれど、
注目度の高さからか、そういった動きはあまりないようである。
それとも、Appleという会社への、素行についての期待値が低すぎるのだろうか。
いつもの、「新製品発表、翌日販売開始」ならばサプライズとして受け止められようが、
延期した発売日をぎりぎりまで公表しないというのはユーザーにとってメリットがない。
◆◆◆
ともあれ、わたしも出たらホイホイと付いて行ってしまう立場にいるのだから、
あまり批判できたものでもない。
わたしはiPad 2が発表されたときに、
「初代持ってるし個人的にはあんまり」みたいなことを言っていたのだけど、
友人がわたしの愛機を引き取るというので譲ってしまったのだ。
そうしたら、数日後に震災が起きて発売延期である。
ということは、もう1ヶ月以上もiPadなしで過ごしてきたわけだ。
ここしばらく新学期というせわしない時期を迎えていたので、
あまり触る機会がなかったということもあるが、
なくてもどうってことないな
というのが正直なところである。
あれだけ「毎日使っているから無いとやばい」なんてことを言っていたのに、
なんという変り身の速さかとも思われるだろう(本人もびっくり)が、
やっぱりわたしは、学問をするのを妨げられなければ、なにも不満が出ない人間らしい。
学問から離れて、
こういった現実の購買行動べったりの話をするのは、
なんだか雲の上からひょいと降りてきたような気がしてしまう。
◆◆◆
ただまあ、あったらそれなりに使いこなせはするので、
仕事の行きしなに店頭に行ってみた。
いきなりの発表だったためか、店員のお兄さん方が防犯ブザーを鳴らしてしまいながら
四苦八苦して、新モデルの什器の取り付け準備をしていた。
まだ時間がかかりそうだなと思ったので、10分くらいで店を出たのだけど、
カウンターのむこうでぼんやり立っているだけで
まるで声をかけてこない店員さんたちを見て、
このお店の売上は大丈夫なのだろうかと要らぬ心配をしてしまった。
「翌日いきなりの発売告知を聞いた上で、仕事前に店に寄る」という人間にすら
着目できない販売員というのは、どういう教育を受けているのかと思う。
「カモがネギ背負ってやってきた」というのは、まさにこういうことではなかろうか。
わたしのような人間は、声さえかけられればあっという間にコロリと転ぶような客なのに。
◆◆◆
どういうことなのかと思って、店内を見渡したら、
店の入口近くに、「御用のある方はこちらの番号札を」と書いてある。
ああなるほど、そういうことか。とすこし合点がいった。
どうやら本社か上からの指導なのか、
順番を抜かされたとかの客からのクレームなのかは知らないが、
「順番待ち」を制度化してしまっているのである。
一般的に言って、
こういう失態を犯してしまうのは、「制度」というものが、
同一の指示が行き渡りやすくなるという積極面と共に、
指示以外のことを主体的にやらなくなるという極端な消極面が存在することを認識していないからである。
もし「順番抜かしをする客がいる」のだとしたら、まずはそれを含めて制度を整えるのか、
それともそういった客は例外として処理するのかを問わねばならない。
なぜなら、制度化した途端に、それはある種の強制力を持って等しく店員の規律となると直接に、
店員が本来ならやれたであろう主体性という可能性までをも等しく制限してしまうからである。
規律をはじめとした労働の対象化が、
もともとは人のために作られたものであるのにもかかわらず、
できたらできたで人のありかたを縛るということを、「疎外」と呼ぶ。
かつてのマルクス主義なんかは、これを絶対に無視しなかったものである。
この場合にはやはり、店内には店員と客をふくめての規律が必要であるとしても、
そのことを隠れ蓑にした主体性の放棄につながっては元も子もないという、
矛盾した判断を両立させるための施策が必要である。
◆◆◆
さっき仕事帰りにもう一度寄ってみたけれども、結果はやはり同じであった。
やっぱり、誰も声をかけてこない。
什器を掃除している人たちも、まるであいさつがない。
どころか、手持ち無沙汰の店員たちが、
カウンターのむこうでなにやらおしゃべりばかりしている。
おそらくこのお店には、
「番号札をとった人間しか客として認識できない」
規律が存在してしまっているのであろう。
わたしは営業という仕事に偉そうな口を出せる立場にはないけれど、
これではあまりに機会損失もいいところ、というものではなかろうか。
「お客さんが店内で、なにを見ようとしているのか」という行動の中には、
無限とも言えるほどのおおきな手がかりが隠されていると思う。
◆◆◆
というわけで、わたしは組織についての一般論を確かめるという目標と、
どのモデルを買うべきかという意思決定をひとり達成して、満足して帰ってきた。
もちろん手ぶらである。
店舗での「対人サービス」に、「人間味」が無いのなら、
オンラインで買ったほうが楽だし早いもの。
iPadは新しく出たホワイトモデルにしようかと思っていたけれど、
フレームが視野に入りすぎて、没入感が著しく削がれることがよくわかった。
これは大きな収穫であった。
周囲が白縁、その内側の画面の余白が黒で、
その中に画像が表示されるような形になるのである。
対してブラックモデルならば、黒縁と画面の余白が黒で統一されているから、
黒い板の上に画像が浮きだしてくるような見た目になる。
容量は16GBでは足りないから32GBの、ブラックモデルにすることにした。
去年の夏に壊れたiPhoneについては、ホワイトモデルを新調することにした。
こちらについては、周囲が白縁であっても、画面の余白がほとんどないことも理由の一つである。
9.7インチのiPadについては白がダメで、
3.5インチのiPhone 4については白でも良いというのはひとつの矛盾だから、
ここを手がかりにして、周辺視野についての認識を考えてゆくことができる。
これも、大きな収穫であった。
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