2012/02/03

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (1)

ちょっと前に創作活動の方針について簡単に触れました。


ものづくりに携わったり、どんな仕事に就いているときにでも創造的な仕事をしたい、と思っている人が陥りがちなのが「オタク化」であるということをどうしてもお伝えしなければと思って書いたのでした。そのことは裏返し、たとえ専門家と名乗っていても、オタク的なだけの人たちがあまりに多い、多すぎる、ということです。

一流の漫画を描きたいのなら、今流行っている漫画ばかり読んで真似するだけでは絶対に、絶対にダメです。
ほかの文芸や、創造的な仕事についてもそれはまったく同じことが言えます。

自分の今いる世界から出てみて、自分が世界全体だと思っていたところが、実のところごく一部の矮小化された、アタマの中で作り上げたものでしかなかったことに、少しでも早く気づいてください。
ひとつの閉ざされた世界に身体的にも、精神的にも(対象化された観念が自由意志すらを凌駕し束縛するかたちで)耽溺することは、幼少の頃には集中力を養ったりもしますが、自分の道を目指すようになってもせっかくの集中力であらぬ方向に突き進んでゆく前に、大きな視点からの確かな見通しを持ってもらいたいと思います。

個別的な知識を収集しているひとたちは、同業者とつるんでいるのが居心地がよいと見えて、せっかくの他人との交流があるにもかかわらず、結局のところ同質的な人たちだけで固まってしまいます。
そういう組織がいかに革新というものから遠ざかっているかは、以前の記事を見ずとも経験として受け止めてきているのではないでしょうか。

世界が過程の複合体であり、常に移り変わっているからには、そこで生きる主体も、常に自らの心身を運動形態として創出してゆかねばなりません。

急がば回れ、です。

◆◆◆

彫刻家ロダンの言っていることも、やはり同じです。

若い人ほど、眼の前に飛び込んできた風変わりなものに飛びついてそれを模倣しがちだけれども、ちょっと立ち止まって、自分の道にとって本質的な歩み方はいったいどのようなものなのだろうかと考えてみてほしい。
そうすると、私たちが生まれいづるところの自然、これに謙虚に学ばねばならないことが身に染みてわかってくるはずだ。
究極的には、芸術が扱う美というものもそこに起源がある。

本質的な歩みを進めるのは眼の前に何を置くかということではない。
当たり前のことがらをどれだけ掘り下げて見据えることが出来るか、眼の前に確かなものが飛び込んできたときにそれを捕まえられるかどうか、ということだ。
つまり問題は、ものごとの見る目を如何に高めるかということである。

かなり敷衍してありますが、わたしなりの彼の価値観の理解はこういったことです。

以下は岩波文庫版『ロダンの言葉抄』のメモですが、ひとりものづくりに取り組んだことがある人なら、メモだけでは物足りない、と思ってもらえるのではないでしょうか。

創造的な仕事をしたい人は、雑書に寄り道をせずに、過去の偉人たちの残した思想にぜひとも臆さず触れてください。訳文が不味かったり、文体が古臭くて読みにくかったとしても、その思想性が自分の探究心を引き出してくれるのがわかるはずです。
そうして彼ら、彼女らに導かれて、彼ら本人の生き方を我が身に繰り返すようにして、彼らの見ているものをこそ見ようとしてください。


◆ジュディト クラデル筆録◆

p.9 本当の独創とは風変わりではない
「本当の才能に行きつく辛抱のない芸術家は、真実を外にして、題目や形の気まぐれなもの、変なものを探します。それが世人の独創と称しているものです。しかしそれは何にもなりません。」

p.9 教授職
「何にも知らない人たち、自分の道を持っていない人たちがみな教授にかつぎ上げられたがるのです。」

p.10 芸術は自然の研究に過ぎない
「日本人は自然の大讃美者です。彼らはそれを驚いたやり方で研究しまた会得しました。ご存じの通り、芸術というものは自然の研究に過ぎませんからね。」

p.11 芸術はのろさを要求する
「自分の良心と妥協してはいけません。何でもないというほどの事でもです。後にはこの何でもない事が全体になって来ます。…芸術はのろさを要求する。人々の、殊に青年の頃には思いも及ばないほどの辛抱を要求します。会得する事もむずかしいしまた作る事もむずかしい。(略)若い人たちは眼の前に来る最初の独創者に飛びかかってそれをまねます。」

p.12 今の芸術家
「今日はあんまりたやすく手に入るので欲望が強猛になる時間をもう持ちません。抵抗、征服すべき邪魔物、これが力を作り、性格を作るのです。」

p.14 芸術家の仕事は群衆に合わせることではない
「何という辛抱を、何という意地張りを芸術というものは要求するのでしょう!仕事しなければ零です!それぞれの意味であなた方を誘導する傾向、趣味というものがちゃんとあります。ただ、この天賦を発達させようとする欲望から、世の中があなた方を隔離するのです。もし急いだり行きつこうとあせったり、労働それ自身を目的として考えなかったり、成功、金銭、勲章、註文などを思ったりしたら、お仕舞いです!決して芸術家にはなれません。人目を悦ばす物は出来るでしょう。凡庸な作品であるところから、群衆とそのほかのあさはかな叡智とに近いからです。けれども決して本当の芸術家にはなれません。しかも人は実に容易に自分の道をはずれる事のあるものです!」

p.20 動いている自然についての研究
「われわれのやる解剖は間違っています。われわれはいつでも死んだ体でそれを研究していて、動いている自然についてやらない。それはずいぶんな相違です。」

p.21 彫刻とは
「彫刻というものは窪みと高まりの芸術です。」

p.21 自然の石膏型をとるのが芸術の目的ではない
「自然を狭義に模写する事は全く芸術の目的ではありません。自然から取った石膏型よりも確実な模写は得られません。がそれは生命がない。動勢もなければ、雄弁もない。まるで口をききません。なくてはならぬものは、誇張です。」
(※ロダンにとっての「誇張」、「増盛(アムプリフィカシヨンネ)」、「解釈」は、彫刻にとって本質的で特別な意味を持っていることに注意)

p.22 古代彫刻の力を成すもの
「古代彫刻の力を成すものは、その構造とその肉づけとです。古代彫刻は面の知識を持っています。細部を単独につくるのは重大な誤りですから、それは出来るだけ十分に作らるべきですけれども、つねに全体に連関してでなければなりません。」
(※「塊まり(マッス)を研究したのちに細部の探求へと進まねばならない)

p.23 芸術の総根元
「おそらく芸術は自然のやり方を見付けた時ほど根から偉大な事はないでしょう。ですから、この原則というものほど物質的なもの、むしろ粗野なものはないという事がお解りでしょう。面と肉づけと、これが土台です。そこに理想主義などはありません。手業(てわざ)しかありません。手業(メチエ)がすべてです。ですが、これこそまさに人の許そうと思わないところなのです。人は現実を合点するよりは、何か異常なもの、超人間的なものを信ずる方を好みます。」

p.26 天才人とは
「天才人とは外でもない、本質の知識を持っていて、それを完全の域に到達した手業で作り出す者の事です。本質的人間の事です。」

p.26 私は夢みる人ではない
「世間ではよく私の彫刻を狂信徒(エクザルテ)の製作だと言いました。私は狂信者とは反対の者です。むしろ重たい温和な気質を持っています。私は夢みる人ではありません。数学者です。」

p.31 本当の単純化
「細部のない単純化は貧弱しか与えません。細部は、組織の中をめぐる血です。全体の中に入れられるべきものであって、全体はそれを包むので、殺すのではない。これが本当の単純化です。これはなくてはならぬものです。これを見つけるまで、偉大な芸術家はこれに悩まされます。」

p.31 低級な仕事
「自然から仕事したのでないものは皆低級です。」

p.36 自然
「自然は調和ある動勢です。何一つ孤立していません。何一つ中絶されていません。女、山嶽、馬、これらのものは胚胎から言うと同じものです。皆同じ原則の上に築かれています。あなた方を花に較べたら、多分人は合点するでしょう。若い芸術家はそれを会得しません。彼らは古代のものから装飾を模写します。そしてある題材を影響に繰り返してそれを寒くし(引用者註:縮小再生産を繰り返しついには価値を失わせること)、貧弱にします。模写に過ぎないからです。古代人は自然から装飾を作りました。われわれが復活させるべきものはこの方法です。」

◆◆◆

36ページまでに目につくところを拾っただけでもこれだけになりますが、この本は全部で400ページを越えています。わたしが彼のことばにどれだけ力づけられたかわかってもらえるでしょうか。

読者のみなさんも、自分の道を指し示してくれる偉人たちをしっかりと探して、彼らや彼女ら巨人の肩に乗せてもらって、ずっと遠くを見渡してください。

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