(2のつづき)
週末の研究会に参加されたみなさん、お疲れさまでした。
猛暑のなかやって来たら、冷房もかけない屋内にカンヅメにされ議論させられたというので面食らったかもしれませんが、外的な環境に惑わされずに頭脳活動をしてゆくということも大事な勉強のうち、と考えてのことですのでご了承ください。
夏の間には、時間が許す時にはメリハリをつけて、河にでも繰り出すこともあるでしょう。
さて、以下はそこで行われた議論のおさらいですが、実際には研究はじめのこともあり、ありとあらゆる事柄に触れねばなりませんでした。というのも、この本を認識論的な段階で読むためには、「個人としての人の発展段階とはどういうものか」、「人類総体の発展段階とはどういうものか」に加えて、「言語とはどういうものか、どう生成されどう発展してきたのか」といったことにも言及せざるを得ないからです。おかげで、たいした文字数もない本の1ページを読むのに軽く1時間以上の時間をかけることになりました。(しかも、残された問題も少なくありません。また、以降の議論でも繰り返し繰り返し、耳にタコができるほどにそれらの過程を聞かされることになります)
しかしそれをここにすべて書き置くことはとうていできませんので、認識論の実力を高めたいと本心から思うのであれば、労を厭わず実際に議論に参加してもらうほかありません。今回の学生さんたちの反応は、「こんなにわからないところがあるのに、自分では気づけなかったのか…」というものでした。自分のわかっていなさ加減に気づくというのは、どんなことでも第一歩です。
今回はまず、本書の一番初め、サリバン女史がヘレンと出会ってすぐのところをじっくり読んでいきますが、これとて必ず、本書の全体像・一般論を仮説的な段階ででもつかんでおかねば本質的には何の意味もないことです。一見すると筋が通った考え方が誤りであったり、時にはかえって害になったりするのは、それが全体としての位置づけを欠いているから、つまり体系性を保持しえず枝葉の部分を議論することに始終しているからであって、科学史や社会史は、その実例をあまりにも豊富に提供してくれます。どんな時にも、ほんとうの意味での特殊性は、一般性に照らすことでしか絶対的に浮かび上がっては来ない(<相互浸透>)のですから、これまた絶対に、手を抜かないようにしてください。
議論で進められたのは1887年 3月6日のうち前半部のみですが、学生のみなさんにおいては、後半部は独力で読み進めた上で、1887年 3月6日その日全体のレポートを提出してください。課題は以前にもお伝えした通り、本書における1887年 3月6日の意義とはどういうものか、ということです。(詳細は以前の記事を参照のこと)
以下は、ただ漠然と読み進めるのでなく、赤字の引用をなんども読み返して、ヘレンの現状と、サリバンがそれにどう対処しようとしたかをまずは独力で考えてください。その上で、説明を読んで答え合わせをしてください。実力がつかないのは、姿勢がダメだからです。環境や向き合う素材のせいにするのは、単なる甘えです。
◆◆◆
1887年 3月6日(前半部のすべてを順に抜粋)
……私がタスカンビアに着いたのは、(引用者註:3月3日の)六時半でした。ケラー夫人と兄さんのジェイムズ君が私を待っていてくださいました。おふたりの話では、この二日間列車の到着するたびに、誰かが迎えに出ていたとのことでした。駅から家までの一マイルばかりのドライブはとてもすばらしくて、気分の安らぐものでした。ケラー夫人が私より余り年上でないくらいお若く見えるのにおどろきました。ご主人のケラー大尉は私を中庭で出迎えて下さり、元気よく歓迎して心をこめた握手をしてくださいました。私は「ヘレンさんはどこですか?」と、まっさきにたずねました。私は熱い期待のために歩けないほどからだがふるえるのを一生懸命おさえようとしました。家に近づいたとき、戸口のところに子供が立っているのに気がつきました。ケラー大尉は、「あれです。あの子は、われわれが誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていました。そして母親が駅へあなたを迎えに行ってからというものずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。
私が階段に足をかけるかかけないうちに、ヘレンは私の方へ突進してきました。もしケラー大尉がうしろで支えてくださらなかったら、突き倒されてしまったほどの力でした。−−−
この時点でサリバン女史の脳裏には、報告書などで学んだ目の不自由な子どもたちの典型的なイメージがありますから、その類推でヘレンのことを想像してみて、「きっとこんなふうだろう」という彼女についてのイメージも持っています。
しかしこの、ヘレンとのはじめての出会いのとき、そのイメージが彼女の実態とはかけ離れたものであることに気付かされています。
サリバンにおいては、一般像を持っているからこそ、目の前の対象が持っている特殊性を浮き彫りにしえたのですから、その彼女の頭脳活動のあり方に読者は着目すべきです。また、ここにある<相互浸透>の重要性に、改めて読者は気づかねばなりません。
◆
彼女は、私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグをとりあげてあけようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎをまわすまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました。ヘレンの顔は、ぽっと赤くなり、お母さんがバッグをとりあげようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計をもたせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちはいっしょに二階にあがりました。−−−
ヘレンは初対面のサリバンのバッグを取り上げた上に、彼女にかぎを空けるように促してまでいます。このことを見たサリバンは、同じ年頃の女の子と比べると、現在のヘレンは、さすがにわがままに過ぎる、と感じたのではないでしょうか。
それに加えて大事なことは、「すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました」とあることです。ヘレンがわがままであることに対して、彼女の母親にあっては、「(人間として)初対面の人にそういうことをすべきでない」という道徳的な観念をきちんと持っていることがわかります。しかしそれでも、ヘレンが母親の道徳をなぞらえるように同様の観念をまるで持てていないということは、ヘレンが育てられている環境のどこかに、なにか問題があるであろうことが浮上しつつあるわけです。
その問題は構造面から言えば、母親は正しい<認識>を持っているものの、それを子に正しく伝え、実際にそうさせられるための<表現>をどのようなものにすべきなのかが明らかでない、ということであり、これは<認識>と<表現>をつなぐ<技術>の問題であると言うことができます。
念押しに注意をすれば、この問題は、母親だけにあるのでもなく、子の側だけにあるのでもなく、子の特殊性に合わせた教育・しつけがどのようなものであるのかが明らかでない、という、互いの関係性にこそあるのだと、問題を<弁証法>的に捉える努力をしてもらいたいと思います。
母親をはじめとした両親に、教育やしつけの能力がまるでないわけではなく、ただヘレンの特殊性に合わせるのが難しいのだということは、兄ジェイムズがヘレンのわがままを制止しようとする姿を見れば、両親の教育・しつけを受けとめているであろうことからもわかります。
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次に、お母さんにバッグを取り上げられそうになったことで腹を立てたヘレンに、サリバンがどう対処したのかを見てください。
このときサリバンは、自分の腕時計で彼女の注意を引き、気分をなだめたとあります。
このことは単純で簡単なように見えますが、サリバンは、ヘレンは決してバッグそのものが欲しかったり触りたかったのではなく、彼女の「内発的な衝動」(「サリバン女史の報告書からの抜粋」、新版でp108)が、その発露を器質的な障害によって妨げられていることから行き場がなくなり、怒りとして出てきているのだと見抜いたからこそ、ヘレンの欲求を満たすだけの代替物を探し得たのだ、とわからねばなりません。
もし同じ状況で別の人物がここにいたのだとしたら、ヘレンからなんとかしてバッグを引き剥がそうとする母親と一緒になって、ヘレンが泣いて諦めるか、大人側が折れるかしなければ、騒ぎは静まらなかったはずです。
相手がなぜそのような行動したのかと考え、行動の源泉に遡り、大本の認識を自分のことのように感じ取った上で、その欲求を満たすことができうるということは、誰にでもできることではないのだ、それだけの訓練を積まねばならないのだ、と受け止めてほしいと思います。生まれつき、人の気持ちがよくわかるという人間など存在しません。そこに到達するまでには、それだけの目的的な実践の積み重ねがあったからです。
自分のわからなさがわかってきた、と言う学生のみなさんにあっては、このことを、それに相応しいだけの重さで受け止めてくれるものと期待しています。
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そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。たぶん何か食べものが入っていると思ったのでしょう。おそらく友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがあるので、私のバッグのなかにも何か見つけようとしたのでしょう。私は、大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなずかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べるときにする身振りをしてみせ、もういちどうなずきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクのなかにおみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけおりました。数分でもどってくると、私の持ち物を片付けるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで眼が見えるかのように鏡の中をのぞくのは、とても喜劇的でした。−−−
サリバンは1階の大広間にトランクを置いて、ヘレンとともに2階の部屋(サリバンに割り振られた自室でしょうか)に上がりました。
このときヘレンは、おそらく「友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがある」という経験から、サリバンのバッグにも何らかの甘いものが入っているだろうと思ったようです。
サリバンの場合は、たしかにおみやげは持ってきていたものの、それはバッグにではなく階下に置いてあるトランクに入れていたので、ヘレンが使っている身振りを自分でも使いながら、彼女にその旨をうまく伝えています。
ここで注意すべきなのは、ヘレンの認識のあり方です。
それは、ヘレンは、バッグというものの像を、自分の好きな甘いキャンディと「直接的に」結びつけて認識している、ということです。
わたしたち人間は、感覚器官を通した刺激をきっかけとして、それを頭脳において像(=認識)として受け止めた時には、そこに感情を加味した受け止め方をします。
この感情がどういうものになるのかは、それまで得てきた生活経験によって変わりますが、たとえば「目の前に犬がいる」という場面のことを考えてみてください。
一人の人間は、それを認識したとき、昔噛み付かれて病院へ運ばれた経験を思い起こし、不快感を抱きながら警戒することになるかもしれません。
しかしまた別の人間がそれを認識した時には、昔捨てられていた犬を助けてから、寝食を共にしてきたことを思い起こし、快として受け止めるかもしれません。
生活経験が多種多様であることによって、こういった問いかけ方が違ってゆくことになりますから、人間はそれぞれ、同様の対象を見た時にも様々な受け止め方をする、様々な問いかけをしながら対象を見ることになってゆくわけです。
ですからもし、ヘレンが、目が見え耳が聞こえるごく普通の6歳児であったのなら、「バッグ」の存在が感覚器官によって受け止められた時にも、いきなり直接的に「キャンディ」を連想したりせずに、豊富な生活経験の中から「本」や「衣服」、「おじさんの大事にしている懐中時計」などなど、バッグそのものの一般的な用途に照らしたバッグ像を思い浮かべるのかもしれないのです。
そのことに加えて、ヘレンに器質的な障害があることを気の毒に思った来客が、気を使ってキャンディを持って来、さらにそれがヘレンの好物となると、来る客、来る客がきまってキャンディを持ってくるようになったのかもしれません。
これらのことによって、ヘレンの像の作り方は、このような特殊性を帯びることになり、この場合であれば、「バッグ」と「キャンディ」を未分化のまま直結させた「バッグ→キャンディ」像を創るところまできているのです。
さらにもう一点、これらの原因の大きな土台となっている要因は、この時点ではヘレンが、「すべての物は名前を持っている」ことがまだわからない、ということにもよっているのです。(これをはじめて知るのは、1887.04.05です)
ですからやはり、ヘレンにとっては、「バッグ」と「キャンディ」という概念は、両者が曖昧模糊とした状態にあるのであって、区別がつけられるかと思えばつけられない、つけられないかと思えばつけられつつある、という状態なのです。(物には名前があることがわかった1887.04.24の段階でも、「帽子→歩く」像が曖昧である点に注意。この気付きによって、あらゆる概念が一挙に明確になったと考えてはいけません)
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これまで私はなんとなく青白くて神経質な子どもを想像していました。たぶんローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校に来たときのことをハウ博士が書いておられたものを読んで、そう考えたのでしょう。しかし、ヘレンには、青白くてひ弱なところは少しもありませんでした。大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。彼女は目の不自由な子どもたちによく見かけるような、みじめで神経質な気性をもち合わせていません。彼女は体格が良く、活気にあふれています。ケラー夫人のお話しだと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一日で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。−−−
この箇所については前回も書いておいたとおりですが、サリバンは、ヘレンは器量に恵まれているとしながらも、「動き、あるいは魂みたいなものが欠けて」いると指摘しています。さらに彼女は「彼女はめったに笑」わず、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」ようで、「ひどく短気で、わがまま」である、と続けていますね。
これらの判断は、やはり一般の6歳児または障害を持った6歳児と比べてのものでしょう。サリバンはヘレンのうちに、「内発的な衝動」があるとしながらも、それをいかに表現しうるのか、すべきなのかがわからない状況があることを見てとっています。
これらのことから判断して、サリバンは、まず教育の前段階として、どうしても、ヘレンが自分の指導内容をまともに聞いてくれるだけの素地を、彼女のなかに創らねばならない、と考えていることがわかります。ですからここで、「しつけ」の問題が浮上してきたことになります。
また、上で述べた、サリバンがヘレンについて気にしたところのうち特に、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」という点に関しては注意が必要です。
1887.03.11でこの時のことを振り返っているように、「しつけ」の段階において、ひとりの子どもを人間らしくしつけてゆくためには、当人が大人の真似であれ、とにかく社会的に良いことをした場合には、何らかの方法で、それを「あなたのしていることは(社会的に)良いことですよ」と伝えて、この先も同様にしてくれるようにうながしてゆかねばなりません。
それは、たとえば目を見て笑顔で頭を撫でたりするといったかたちで、子どもの「快」へと働きかけることなのです。こういうふうにして、子どもの認識・感覚のあり方を、原初的・動物的な「快・不快」から、人間的な社会的な規範や道徳へとつながるように導いてゆくことを「しつけ」と呼ぶのです。
ところが、ヘレンその人の精神的な発育段階は、こういった働きかけがしにくい状況にあったからこそ、サリバンの苦難があったのです。後日また出てきますので、そのとき改めて考えてゆきましょう。
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彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。−−−
この日記が書かれているのが03.06で、ヘレンと出会ったのが03.03ですから、サリバンは、驚くべき早さでヘレンの教育についてその方向性を定めつつあることがわかります。ただこの課題に対する具体的な指導方法については、1887.03.11の時点でやや修正を迫られることになり、二人は二人だけで、「つたみどりの家」に一時住むことになります。
しかしともかく、サリバンの教育の基本方針は、あくまでも「愛情をかちと」ることによってヘレンを一人前の人間たらしめようとすることなのですが、それでも、必要な時には力づくでおさえつけることも避けられないであろうことを認めています。
ここで注意しなければいけないのは、一見、目を疑うようなことばが文中にあることです。「征服」というのがそれに当たります。このことばは、続く手紙のなかにあるように、ヘレンからすると「服従」ということなのですが、温情主義的な教育観から見れば、とても容認しがたいことを子どもに押し付けているようにすら映るのではないかと思います。
サリバンの場合には、現在のヘレンの状態を見ていると、ときには力づくでおさえつけて言うことを聞かせることすら必要と見ているようで、事実この次の日の朝には、「ヘレンと大げんか」をすることになってしまったのです。
こういう記述を見たとき、それを学ぶ読者にとって必要なのは、そこでどのような指導方法が行われているかということ以上に、それはどのような指導方針上の必要性に基いて行われたものであるのか、という、指導者の認識のあり方をわが身に捉え返して考えてゆくということ、なのです。
同じ頭を叩くという場合にも、生徒が自分のことを馬鹿にしたからカッとなって(=理性のタガが外れて)そうしたのか、生徒が人間として越えてはいけない一線を越えてしまったからそうしたのかでは、大きく違った理解をしなければなりません。
この認識をたぐり寄せる、という努力を怠ったり不可能であると見なす場合には、「どれくらいの強度で殴ったら体罰なのか」といったように、体罰を数値化しようとする安易で形式的な方向性に逃げ場を求めるものなのですが、これは言ってみれば、「どれくらいの強度で触ったら痴漢になるのか」と問いかけているようなものです。
認識という観点を抜きにしてしまっては、人間というものの本質には絶対的にたどり着けないのだ、と言うと、ほとんどの人はそれはそうだ、と同意してくれるのですが、いざ教育をはじめとした人間関係の問題に向きあう時に、数値化したり極端な実例を元に厳格に規則化しようとするのであれば、やはり、人間の本質を見落としていることになります。
サリバンが、愛と服従をヘレンにどうしても学んでもらわねばならないと考えていることを、「アメとムチ」のような、小手先の使い分けレベルで捉えてしまってはいけません。サリバンが言っているのは、人間が社会の中で営む愛というものについても、その土台には、社会的な基盤がなければならないということです。一個のヒトが社会的な存在、つまり人間になってゆくためには、社会性を身につけねばならず、それを架橋するのがしつけというものであり、その中には社会の成員の言動をわが身に捉え返す、つまり服従が必要になることもある、ということなのです。
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まだまだ書ききれないことばかりですが、この本をどのような段階において読み、読み込むことができれば、本書から学んだといえるのかが、なんとなくでもわかってもらえたのではないかと思います。
わたしたちがこの本から学ぶときには、まずおおまかに全体像を掴んで、大まかなサリバンの教育方針をつかまえておかねばなりません。
次に、そこで得た教育方針を念頭に置きながら、今回のように各部分をじっくり読んでみることで、それぞれの判断や行動の背後に、どのような人間観・教育論が土台となっていたのかを浮かび上がらせるべきです。
これらは、一般性と特殊性というものですが、この全体から個別へ、個別をまとめての全体へと、何度も何度もの、のぼりおりの繰り返しの中で、はじめて全体が体系立ったものとして頭脳のなかに浮かび上がってくるわけです。
ですからレポートを書く場合にも、人間観・教育論と個別的な指導内容とのつながりを考えて、「サリバンはこのような認識を持ち得たからこそ、このような指導が出来たのだ」ということを説明できていなければなりません。
(4につづく)