2014/02/21

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(7):1887.03.06-04.03 (I)

このBlogの読者の方に向けての文章は、またもや久しぶりになってしまいました。


定期的な更新がなかなか軌道にのらないのはいくつか理由があるのですが、わたしのところに学びに来ている学生たちに、彼や彼女らが学生でいるあいだに、できるだけのことをできるかぎりの体系性と過程性を確認しながら伝えておきたい、という事情がその最も大きなものになっている事情があるのです。

砂上の楼閣ということばがあるとおり、砂で出来た土台の上にいくら高度な建造物を築こうとも、それはそう遠くないうちに崩れ去ってしまいます。そして、それは体系性・過程性を何よりも重視する学問という分野においてはなおのことしっかりと押さえておかねばならない点なのです。

ただこのような、高みに昇ろうとすればするほど土台作りが大事である、ということを述べると、「それは学問の場合であれば、しっかりとした基礎教養の上に専門知識が載せられているかどうかということですか」と聞き返されることがあります。
それはそれで間違いではないのですが、その言葉通りの理解では論理のレベルが低いのだ、ということも併せて指摘しておかねばなりません。

それというのが、今回扱う<過程性>の問題なのです。


◆ノブくんのレポート◆

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたか1887年3月6日〜3月20日

 レポートの数も大変多くなってきましたので、今回はこれまで私が書いてきた、3月6日から20日までの出来事をおさらいしてみようかと思います。おさらいとは言いましたが、単に整理していくのではなく、3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのかを論じていくつもりです。というのも本文にある、「知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。」という一文からも理解できるように、この日からヘレンは教育において質的に次の段階へと進んでいった過程が潜んでおり、これを論じていくことは本書を理解していくことにおいて避けては通れません。そこでまずは3月20日以前と以後の彼女を比較し、それぞれが教育においてどのような段階にあったのか、どのような期間であったのかを規定し、前後の違いを論じていきます。

 私は以前、自身が書いたレポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版5)において、ヘレンは普通の7歳前後の子供達と比べて身体面に異常はなく、その問題というものは、「好奇心を抑えられない、社会性が乏しく誰がきても自分の我儘を通そうとする精神的な気質にある」と述べていました。
 そしてそれはどのようなものであったのかというと、食事の作法と言えばナプキンも付けず、辺りにあるものはナイフやフォークを使わず手づかみで食べ、お客さんが来るかと思えば勝手に鞄の中を覗こうとし、そうかと思いそれを制止しようとすれば暴れてしまう、というものだったのです。これらの行動からこの期間の彼女の特徴は、下記のような事になるでしょう。

◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。

 私はこの期間を、欲求を抑えず常に開放し、社会性を無視した行動をとるために、「欲求開放期」と仮に名付けることにしました。
 そしてこの「欲求開放期」のもう一つの特徴として、「愛情を受け取る器がない」という事が挙げられるでしょう。ここでいう「愛情」とは、一般的な、誰かが誰かに好意を寄せる時にとる行動等の事ではなく、物理的な接触や言葉によって精神が満たされる現象を指す事を意味します。これまで好き勝手に欲求を満たしてきたヘレンにとって、「愛情」などというものの存在など無縁であった事でしょう。そしてサリバンはこれこそが自身の教育において大きな障害になるだろうと考えていきます。
 そこで彼女は「征服」という手段によって、それをヘレンに植え付けようとしたのでした。ここで注意して頂きたいのは、ここでいう「征服」とは、人として倫理的、道徳的に外れた行動を強制的に正していくという意味を指すということです。(詳しくは3月月曜の午後、3月11日のレポートを参照)やがてこの彼女の試みは成功し、3月20日以降のヘレンの行動は劇的に変わりました。
 服従を学んだ事で、彼女はサリバンが監視している範囲では、ある程度欲求を抑える事ができはじめてきました。(ですが彼女と同年代の子供達に比べると、その効力はまだまだ薄いものであると言えるでしょう。7歳前後であれば、ある程度、大人から離れていても、自らの欲求を抑える術をある段階までは身につけているはずですから。)またサリバンのキスを許したり、サリバンの膝の上に乗ったりと、形式的ではあるかもしれませんが、愛情の存在を感じつつあるようにも見えます。ですからこの期間を「愛情獲得期」と呼ぶことにしましょう。

欲求解放期
◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。
◯愛情を受け取る器がない。

愛情獲得期
◯愛情を感じつつある。
◯サリバンがいれば、欲求を抑える事ができる。

 この2つの期間を比較すると、その違いはやはり欲求が抑えられるか否か、相手の精神的な好意を受け止められるか否かにあるのです。


◆わたしのコメント◆

参考書をひと通り読み終わった論者に、わたしが今回出しておいた課題は、以下のようなものでした。
サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んで、まずは1887.03.20の日記に注目してください。
その冒頭に、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。」とあります。
では、サリバンがヘレンと始めて出逢った3/6からの数日間と、この3/20以降では、一体何がそれほどに違っているのでしょうか。
それを、3/20の前と後の期間を、それぞれ数日に区分して、「XXの期間」と「XXの期間」というふうに名前をつけるとともに、その内実および変遷について説明してください。その時、この本全体の、そのそれぞれの期間の位置づけをしっかりと確認しながら、<概念規定>するつもりでやってください。
ここでわたしがさきほど前置きしていたことを思い出してもらいたいのですが、土台がしっかりと出来上がっていないところにどんな立派な建造物を建てても早晩崩れることになるということを、基礎と応用にだけ区分したのでは論理のレベルが低い、と言いました。
このように言うと、「では基礎と応用をそれぞれもっと細かく区分すればいいのですか?」と聞かれる方もおられそうですが、これはことわざを引き合いに出して建造物でたとえているから、かえってわかりにくくなっているのかもしれません。

いまお話しているのは論理の問題ですが、そもそもわたしたちの目指しているのは事物や事象を低い論理の段階でとらえるのではなく、弁証法的な論理の段階でとらえる、ということでした。

弁証法を身近な題材を使って解くときにひとつ覚えておくと良いと思うのは、たとえ話の題材には、人工物よりも自然物を用いたほうがわかりやすくなる、ということです。

ですからここでも、建物ではなしに動物にたとえを変えて考えてみてください。
たとえば、私たちは人間は、母親の母体の中で受精卵が次第次第に成長を遂げ、赤ん坊としておぎゃあと生まれることになりますが、そのとき、その過程としてはいきなり私たち成人のような、五体が備わっているような状態で生まれてくるわけではないですね。
そこには、オタマジャクシのような段階もありますし、手足が生えた両生類のような段階もありますし、ようやく人間らしいかたちをとるようになってもやはり尻尾が生えたままであることは、我々成人の体つきとは異なっています。

ではなぜ、いきなり、いわば「小さな大人」のような状態で生まれてこないのかな、と考えたことはありませんか?
どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのですから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうがある意味で合理的なようにも思えます。



ここまでご説明したとき、さきほどの「土台がしっかりと出来上がっていないのなら…」というお話と、通じる論点が見えてきた人もいるのではないでしょうか。
その人は、科学史なり哲学史なり生物の歴史なり、なんらかの歴史的な書物か、または犬猫などの動物の飼育という実地に、じっくりと向き合ったことがあるのではないかと思います。
この「なぜ人間は「小さな大人」のまま生まれてこないのか?」という問題は、できればその人に答えてもらいたいのですが、今はわたしが代わりにお答えすることにしておきましょう。

それは、人間にとって母親の母体で過ごす、オタマジャクシの段階、両生類の段階、哺乳類の段階、サルの段階というものは、最終的にはそのかたちをそのままに留めるのではないにしても、その段階、その段階をその形態で過ごすという意味において、必然性を持っているのだ、ということなのです。
言い換えれば、わたしたちが今のような身体に育つことができているのは、オタマジャクシ、両生類、哺乳類、サルという道筋をしっかりと辿れたから!なのであって、それ以外ではない、ということなのです。

ですから、もしオタマジャクシの姿を十分に取らずにいきなりサルになってしまえば(これは単なるたとえです、ありえないことですから)、それだけの歪みが生じざるを得ない、ということが言えるわけです。
ここからさらに進んで、おぎゃあと生まれてお母さんの胸に抱かれてすくすく育ち、大の字になって寝転び寝返りをうつようになり、ハイハイを経てつかまり立ち、さらにはひとりで立つということができるようになってゆくとき、その段階、その段階はどういう必要があるのか、必然性があるのか、ということも、ここでお話している<過程>における必然性の問題、ということになります。



さてここまで説明すると、なぜレポートの添削をせずに長々と過程などというものについてしゃべっているのか…?と、論者は疑問に思うでしょうか、それとも、「あっ…!?もしかして、これはレポートの不足を補うための話なのか…?」と思ってくれるでしょうか。

さきほど、赤ん坊の生育を例に取りながら、過程における一つの段階は、一見するとその最終的な段階とは似ても似つかないものでありながらもなお、次の段階を支える関係になっている、ということをお伝えしました。

事物を、最終的に出来上がった、結果だけの形態や状態でとらえるのでなしに、各段階、各段階が折り重なるように積み重なった過程の複合体としてとらえることを、弁証法的にとらえる、と言うのです。
このことは、課題を出すたびにことわる必要がないはずのことだと思っています。

さきほどわたしが述べたことの中に、
どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのですから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうがある意味で合理的なようにも思えます。
という部分がありましたね。
この考え方でいうところの「合理性」というものは、最終的な結果だけしか主眼に置かないために、過程における必然性が読み取れていないので、これを弁証法的な論理ではなく、論理のレベルが低い、と言ったわけです。

論者は確かに、生真面目に課題をこなし、ひとつめの段階、次の段階、というふうに規定しつつ一定の説明をしてくれていますが、それらは、各段階をそれぞれの過程的な必然性を把握しながらの説明になっているでしょうか?そのことを、もう一度考えてみてもらいたいと思います。それが、弁証法的に考える、ということなのです。



参考書で扱われている問題に従って、より課題に即していうのならば、サリバン女史がヘレンとはじめて出逢ったとき、ヘレンの状態は、サリバンの想定していたものとは違っていました。

そこでサリバンは、当初出逢ってすぐにはじめようと考えていた教育の段階からいったん降りて、よりヘレンの基本的・根本的・基礎的なところに働きかけるように教育をし、そのことによって一定の土台をつくろうとしたのでしたね。

このことが、オタマジャクシ(魚類)の段階がなければ両生類の段階はなく、両生類の段階がないのであれば哺乳類の段階もないのだ、ということと論理的に同様のものとして類推しながら捉えられているでしょうか。

論者の今の書き方では、各段階、各段階が、それぞれ質的に違ったものとして捉えられつつはあっても、あたかも「順不同」であるとみなされてもおかしくないような状態ではないでしょうか。これでは、<過程性>をふまえたことにはならないはずです。

サリバンが考えたヘレンのあるべき成長過程というものは、やはりひとつひとつの段階には、その順番がそうでなければならない必然性があるのであって、これはやはり、人間の一般的な生育過程をふまえるものでなければなりません。その点に注意を払いながら、もう一度、考えてみてもらいたいと思います。

また、各段階の名称について、「概念規定するつもりで」と言っておきましたが、これはなにも、「小難しく考えろ」と言ったわけではありません。
各段階の名称は、文中に出てくる日常言語レベルの字句を使ってでも十分に表現できますから、こちらも肩の力を抜いて考えてみてほしいと思います。


◆正誤◆
・3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのか
→3月20日(※1)を境に彼女がどのように変化していったのか


(8につづく)