2012/02/28

お詫び

この前の記事に、またじきに文字だらけになると思います、
というようなことを書いたばかりで恐縮なのですが、
いまとても難しいバランスが必要な仕事をしているので、
そちらに力を集中しているところです。

個人的にレポートを提出してくださっているみなさんへは、
まとまったかたちではなくとも個別の返信をしてありますが、
ここの記事を使って勉強したり、行間に隠した皮肉を笑いに来てくださっている読者の方には迷惑をおかけしていることを、お詫びいたします。

いつも記事を書いている時間になると、手がうずうずしますから、
ああ早くここでも記事を書きたいなあと思うのですが、
手を抜くわけにはゆかない事情があるゆえに、思うに任せません。

楽しみにしてくださっているみなさんにはお待たせしますが、
来週のあたまくらいまでは臨時的な更新になることをお断りいたします。
なので、またそのころに見に来てくださいね。

そのあいだにも独学しておきたい読者の方は、
日常生活のなかから弁証法的なことがらを見つけて、日記などのかたちで書き留めておいてください。
必ず力になります、というか、こういう工夫をしないとどうしたって本質的には賢くなりませんので。
毎日やっている人は、前にちっともわからなかった記事が読めました!と言ってくれています。

始めるに遅いことはありませんが、やらねばなにも始まりません。
どうぞよしなに。

2012/02/22

文学考察: 船医の立場(修正版2)

来ました。


果たして、三度目の正直になるのでしょうか。

思いっきり余談ですが、「仏の顔も三度まで」ということばがありますね。
辞書を引くと、「いかに温和で慈悲深い人でも、無法をたびたび加えられればついには怒り出す」(大辞林)と書いてあります。

わたしが温和で慈悲深いかどうかは実際に叱られている人たちの判断に任せますが、わたしの場合は、ひとつのテーマに従って満足のゆかないレポートや作品、表現が何回提出されたとしても、そこに自分の道を蔑ろにするような態度が見えたり、自分の力を過小評価して全力を出していないそぶりが少しでもあれば、必ず再提出してもらいます。

三度だめでも四度だめでも、だめなものはだめです。
「これくらい頑張ったのだからそろそろいいか」とは、口が裂けても言いません。
そのかわり、感情に任せるかたちでは「これだけやってるのにまだできないのか!」とも言いません。
何回目でも突き返します、同じ顔でね。

そもそもできないから指導するされるの関係にあるですから、現時点では求めることをできなくても、まったく構わないのです。
こういうときに苛々して叱りつけるのは、指導者失格です。

ですからできなくても良いのですが、「できるのにやらない」、「やろうとしない」姿勢のほうだけは、絶対に見過ごすことはできません。
こういうときに我が身可愛さに後進を叱りつけられないのは、指導者失格です。

叱るということが、論理的な認識に基づく純然たる技術なのだということを理解しない人間は、「叱ると部下がだめになる」のような本を書いて臆面も無く発表したりしていますが、そんな口車にのって実践したことのある人ならば、それがどういう結果を招いたのかを苦い苦い経験として受け止めているでしょう。

叱り、叱られするのは役割上の問題です。
好かれ、嫌われするのは感情の上での問題です。
いつも部下を叱っている上司が人格として尊敬されているということが、敵対的な矛盾であるようにしか映らないというのでは、真っ当な大人としての責務を果たすことができるのかと要らぬ心配もしてしまいます。

わたしは、志を捨てない人のためなら、海の底でも地の果てでも付き合います。
言い換えれば、100回でも200回でも全力で取り組んでもらえるまで「もう一度!」と言う、ということです。
わたしの顔が、仏なのか閻魔様のそれなのかを決めるのは、叱られている本人の姿勢こそにかかっているというわけです。

さて、今回はどうなっているでしょうね。


◆文学作品◆
菊池寛 船医の立場


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 船医の立場(修正版2)
日本がまだ鎖国政策をとっている時代、武士である吉田寅次郎と金子重輔は、どうにかしてアメリカ船に乗り込もうと苦心していました。彼らの目的は、そうしてアメリカに渡る事でその技術を学び、日本からアメリカ人を追い払うことにあるのです。そして数々の苦難の末、彼らは漸くアメリカ船、ポウワタン船へ入船するこに成功します。
一方、そのポウワタン船では、この日本人二人をめぐって激しい議論が展開されていました。というのも、彼らのアメリカに対する熱意に感心した副艦長、ゲビスは是非とも彼らをアメリカに招くべきだと主張する一方、提督であるペリーをはじめとするその他の人々はこの意見に反対していたのです。しかしそれでもゲビスは諦めず、彼らはここで自分たちが断れば、日本の厳しい法律によって死ぬことになる事を覚悟して乗り込んでいるのだが、それでも何か感じるところはないのかとペリーらに問いかけます。そしてこの彼の熱弁は、次第に周りの人々の心を動かしはじめます。ですが、船医であるワトソンの次の一言がその流れを変えました。彼は日本人の一人が皮膚病を患っている事を思い出し、その病気が未知数のものである以上、医師として乗船は許可できないと言いました。これには流石のゲビスも言葉を失い、アメリカ人達は日本人達を下船させることにしました。
ですが、実際にその日本人達の処刑の一端を見たアメリカ人達は、改めて彼らに関して検討し、提督であるペリーはその時の自分の判断を反省して、彼らを全力をもって助けると意気込み出します。一方、船医であるワトソンだけは悄然として、船の文庫へと歩いて行きました。
 
この作品では、〈感情を優先できないことに苦しさを感じながらも、結局は立場によってそれを抑えなければならなかった、ある船医〉が描かれています。 
では、この作品のテーマにもなっている船医ワトソンの心情をより深く理解する為に、もう一度二人の日本人に関するアメリカ人達の議論を振り返ってみましょう。まず、副艦長のゲビスは二人の日本人達の熱誠に心打たれ、アメリカへと連れて帰るべきだと主張していました。言わば彼は自身の感情にそのまま従ったことになります。そして、このゲビスが感じていた日本人に対する思いというものは、他の人々も大なり小なり持っていました。しかし、ペリー提督をはじめとするゲビス以外の人々は、日本人達を受け入れる事は日本政府を刺激する事でもあり、日本に開国を求める自分たちの立場としては、それは避けるべきだと述べています。つまりこのアメリカ人達の議論では、彼らの感情を優先する心と立場を優先する心とがせめぎあっているのです。そして、このせめぎあいに終止符を打ったのが、船医ワトソンの一言でした。この彼の放った「彼の青年の一人は不幸にも Scabies impetiginosum に冒されている。それは、わが国において希有な皮膚病である。ことに艦内の衛生にとっては一つの脅威である。」という一言によって、アメリカ人達は日本人達を拒絶する事を決定しました。
ところが、二人の日本人が実際に処刑されている姿を見た途端、彼らは再び自分たちの判断を検討します。その際、提督ペリーは「そうだ。君の感情がいちばん正しかったのだ。」と、立場よりも感情を優先させるべきだった事を認め彼らを日本の法律から救うことを心に決めます。
しかし、医師であるワトソンは提督のようには振る舞えず、心の痛みにも堪える事ができませんでした。彼は医師という立場上、日本人二人に対して重要な決定を下すための決め手を言い放ったにも拘らず、その立場故に彼らの為に出来る事を見い出せずにいたのです。ですが、その一方で日本人達への申し訳なさだけが募っていき、「彼の心には Scabies が、この高貴にして可憐な青年の志望を犠牲にしなければならないほど恐ろしい伝染病であるかどうかが、疑われてきた」と、次第にその時の自分の判断にすら自信が持てなくなっていきます。そこで彼は、せめて医師としての立場に責任を持つために、船の文庫へ向かい自分のその時の判断が正しかったのかどうかを調べる事にしたのです。

◆わたしのコメント◆

はらはらしながら評価を待っている論者と、毎度のことながらありがたく見守ってくれている読者の顔が浮かびますので、評価がどう転ぶかはともかくはやく結論を出して楽にしてあげたいという気持ちもありますが、急がば回れで、これまでにどのような指摘がなされてきたのかを少し踏まえておきましょう。

1回目の評論の一般性〈正論を認められない為に、別の大義名分を用意して自分の主張を正当化する事がある〉にたいして、わたしは、これがどういう主体について言っているのかがわからない、と言っておきました。
この一般性が指摘しているのが、船医ワトソンについてなのか、一般的な人間のあり方についてなのかが不明瞭だったからです。

またより大きな問題として、ワトソンがさいごに見せた一時の動揺への対応について指摘しても、物語「全体」の一般性をとらえたことにはならない、という欠点があったのです。

◆◆◆

そういうわけで、この作品に登場する3人のアメリカ人は「感情と役割との矛盾」に悩まされている、という大まかな事実から絞り込むかたちで、作品の一般性を突き詰めていけばよい、というアドバイスをしたのです。

ところが論者が2回目に提出してきた一般性〈感情に振り回される事なく、最後まで自分の立場に責任をもとうとした、ある船医〉は、あまりにもわたしのアドバイスからも大きくずれているどころか、作品が意図しているところをまったく逆に読み誤っていることが明らかでした。

◆◆◆

ここから作品理解から逸れますが、なぜこの大きな誤りが起きたのかは考えておかねばなりません。

この誤り方を大きな問題として受け止めて、わたしは論者と直接会って、誤りの原因を突き止めようとしました。
受けたアドバイスを有意義に生かせずに、下手な鉄砲なんとやら、で行きあたりばったり、運試しのレポートを乱発するようなやり方は、たまたま評価されることがあったとしても何の意味もありません。
答えでなく、考えるプロセスが正しくなるのでなければ、いつまで経っても独り立ちなどできないからです。

「ここまでは正しい」ということを、仮説として持ったうえで作品を読みなおすことができないのは、大雑把に言えば、ものごとを認識する力が非常に弱いからです。
誤解を恐れずに物理的なイメージに置き換えて言えば、子供に哺乳瓶を「しっかり持って運んでね」と言ったときに、悪気はなくても握力が足りないためにどうしても道半ばで落としてしまう、というようなことと同様です。

そのようなことを踏まえて、概念をしっかり持つ、ということを、概念を把持する、という言い方をしますが、論者の場合は、自分ではしっかり持っているつもりが、持っているものの像のみならず、「持つ」ということ自体の実力が非常に弱いために、徹頭徹尾、それを持っていることができないのです。
目的地に着くまでに途中で落としてしまっても、自分の手の中にあると勘違いしてしまっているのです。

これが物理的に結果が明らかになる事柄なのであれば、子供でも、「落とした、しまった」と確認できますから、自分の力で「次は落とさないようにしっかり持っていよう」という目的意識をもって行動することができます。
ところがこれが認識の上では、目に見える齟齬を起こさないことから、自分がしっかりと概念を持っていれなかったということが、明確なかたちで自覚しにくいのです。

目的像を明確に意識したままの状態を、しっかりと安定して継続しうる力を持っている人を、わたしたちは「集中力のある人」だと言い、その力を、「集中力」と呼んでいるのです。

◆◆◆

人間の集中力というものは、幼少の頃に、自分の取り組んでいる対象との向き合い方が、保護者など第三者によって阻害され続けないという過程をもって、それぞれが自然成長的に育んでゆくのだと、いちおうは考えてもらって結構です。
ここで阻害されるということは、なにも悪意をもっておもちゃを取り上げられたなどということに限らず、「危ないから離された」、「親がひとつのものでなくいろいろな物を見せようとして離した」、という好意の裏返しであることもあるのです。

しかしどのような経緯があったにしろ、このような力がそれなりの年齢になっても備わっていないのならば、ここを自然成長ではなくして自らの目的意識性を持って、認識における技として創出してゆかねばなりません。
当然ながら相当の努力が必要ですが、これがなければまともな仕事などできるはずもありませんから、是が非でも身につけてもらわねばなりません。

たとえば自宅で勉強していてすぐに喉が渇き、冷蔵庫に立ったことをきっかけにして手洗いに行き、気づいたらテレビを見ていたというのでは、まったく話しになりません。
主体にこのような問題がある場合には、集中できる環境、ではなくて、「集中するよりほかやることがない」という環境に行き、行動することによって良質転化的に観念的な実力をつける努力をすべきです。

本一冊とペンだけを持って、図書館やカフェに行けば、脇道に逸れずに済むでしょう。
本一冊を読み終えなければ帰ってはいけない、3時間以内にやらねばならない、などというルールを決めれば、主体的に取り組むほかなくなるでしょう。

いい大人がこういう工夫についてあれやこれやと言われるのは、まともな神経をしていれば相当に恥ずかしいはずですから、そんな指図は要らぬ心配だということを、身をもって実証してもらいたいと思います。

◆◆◆

さて、作品理解の方に戻りましょう。

2回目に提出された一般性が、あまりにも大きく誤っていた、というところまでお話ししましたね。

この作品を正しく理解するにあたってわたしたちの向き合わねばならない問題は、この作品が大雑把に言えば「感情と役割との矛盾」について書かれているが、それをこの作品の一般性としてさらに絞り込んでゆくとどのようなものになるのか、ということです。

(※学習の進んだ方へ:「一般性」は「特殊性」との相互浸透において学ばねばならない
 余談ですが、文学作品が一般に「感情と役割との矛盾」を描いていることが多い、ということを一言で言えば、文学作品の一般性は「感情と役割との矛盾」にある、となります。ところがこの一般性を振りかざしたところでこの物語をしっかりと理解したことにはなりません。文学作品の一般性は、この作品を本質を引き出すときには一般的「すぎる」のですから、この作品の本質的な理解にはここからさらなる絞り込み(特殊化)をする必要があり、そうして特殊性として提出しなければなりません。あるものを一般性と言いながら、見方を変えればそれがひとつの特殊性でもあることは矛盾ですが、これは当然ながら、あれかこれかでなければならないものではなくて、共存すべき矛盾、非敵対的矛盾です。
 たとえば「ヒト」という概念は、生物種という観点から見れば特殊性ですが、個別の一人ひとりの人間という観点からすれば一般性です。観点が異なるだけで、双方が真理です。こういった場合には、一般性と特殊性は、相互浸透するものとして学んでゆかねばなりません。
 このことの論理的な帰結として、「一般性」という概念が、固定化された内容を持っているという理解では、わたしが言わんとすべきことはまるきりわからなくなってしまうでしょう。一般性をはじめとした高度な概念は、「犬」や「猿」などという目に見える個物を抽象したものではないだけに、誰かに教わった直後からいきなり使えるというものでは決してなく、個別の対象から一般性や法則を抽出する経験を通して、観念的な像として獲得しなければならないものです。またそうであるから、概念そのものを組み合わせたりそれだけをいじってみても、何も出てくるものではないのです。)

前回の評論について厳しく評価したのちに、わたしは論者と直接会って、これまでの指導の内容についてあらゆる表現を使ってできるだけ同じ像を共有できるようにと話をしてきました。

そうして互いの論点を共有し明確にしたのち、論者が引き出してきた答えはこういうものです。
この物語は、〈感情を優先できないことに苦しさを感じながらも、結局は立場によってそれを抑えなければならなかった、ある船医〉を描いているのだ、と。

なるほどこれならば、船医ワトソンが、他2名のアメリカ人に負けずとも劣らぬ、日本人青年にたいする同情心を持ちながらも、結局は船医という立場上の限界に阻まれてしまった、ということがわかります。
「感情と役割との矛盾」を、さらにこの物語に沿うかたちで絞り込んだ、ということがわかりますね。
ここまでできていれば、合格でしょう。

◆◆◆

さて、とはいったものの、合格とは言いながらまだ言いたいことがありそうですね、と、話にはまだ続きがあるという含みを読み取ってくださっている読者の方もありそうです。

実はそのとおりで、ここまで書けていれば合格ではありますが、満点ではありません。

「感情」も「役割」も、「それらの間の矛盾」も、すべて作品の特殊性になぞらえるかたちで満たしているのに何が足りないのか?と問われれば、それは作品の持っている論理構造の把握ですよ、と答えることになります。

論者の表現をもう一度見てください。

〈感情を優先できないことに苦しさを感じながらも、結局は立場によってそれを抑えなければならなかった、ある船医〉

これを読むと、「人間らしい同情心と、船医という立場を双方とも自覚する船医ワトソンは、結局のところ立場を優先せざるを得なかった」、ということしか書かれていませんね。
これが指しているのは、実は物語の最後に、ワトソンが、「皮膚病学の泰斗をたずねて自分の激しく動揺する良心を落ち着けたいと思い、悄然としながら船の文庫の方へ歩いて行った」という箇所、この「一時点に限った」心理を表現したにすぎないのです。
ですから、この一般性はたしかに誤りではないのですが、作品全体を通しての船医ワトソンの感情の揺れ動き、つまり「作品全体の」構造を表現したものとは言えないのです。

一言で言えば、まだまだものごとを静止した状態でしかとらえられていないという意味で形而上学的であり、ものごとを運動形態においてとらえるところの弁証法的ではない、ということです。

◆◆◆

わたしが一回目の評論へのコメントで書いてあったことを思い出してください。
ワトソンは、日本人青年の処遇を招いたところの、自分がした助言の責任を誰よりも厳しく感じ取っているのですが、そういった自分自身の感情の揺れ動きでさえも、感情そのもので落ち着けることができないために、あくまでも「医師として」の自分の役割がまっとうであったのかを確認することでそれに替えようとするところが、職業人としての不器用さ、その裏側の絶妙な人間臭さを表しているとは思わないでしょうか。
この作品全体を見渡した時に重要なのは、ワトソンが、役割を重視したから皮膚病学の泰斗をたずねることにしたのではなくて、あくまでも「良心に激しく動揺した」からこそ、結局のところ自分自身の役割にすがらねばならなかった、ということなのです。

これを運動法則として書き抜くならば、「あまりに〜すぎて…となった」、「〜すぎてかえって…」の論理構造、つまり<対立物への転化>ということになるのです。
三浦つとむが「度外れに真理を主張しすぎれば誤謬に転化する」と言っていたことや、ことわざが「東方の極端は西方なり」と言っていることを正しく思い出せているでしょうか。

この物語では物語全体を通して、ワトソン医師が、感情の強さあまりに役割に頼らざるを得なくなった、という感情の、「経時的な」揺れ動きに焦点があたっており、そこが読者にとっては職業人としての不器用さ、皮肉というものに繋がっているのです。
そういう全体としての運動法則を、一般性の表現に取り入れると、このようになるでしょう。

この作品は、<同情の念を感じすぎたあまりに、かえって自らの役割にすがらねばならなかった船医の皮肉>を描いているのだ、と。

弁証法を使える人から見れば、「かえって」と「皮肉」の論理構造は同じだから、どちらかだけで良いのでは、と思えるはずです。
わたしがあえてそうしているのはダメ押し、というわけですね。

作品の理解、つまりそこに含まれる感情の揺れ動きの理解には、どうしても弁証法が必要なのだと常々言っていることが、ようやく、だんだんと、わかってきましたか。

わたしが最も重視しているのは、ひとつの表現の中に含まれている論理構造です。
そしてそれは、静止した一時的な、あれからこれへのべったりした論理としてではなく、全体としての運動を立体的に捉えて把握した弁証法的なものでなければならないのです。

どういう基準で評価しているか、なるほどとわかってもらえましたか。

修練をさぼっていたり、やりかたがまずいとなぜだかばれる理由も、わかってきましたか。

2012/02/15

文学考察: 船医の立場(修正版)

今回は残念ながら、


千尋の谷コメントですね。


◆文学作品◆
菊池寛 船医の立場


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 船医の立場(修正版)

日本がまだ鎖国政策をとっている時代、日本人である吉田寅次郎と金子重輔(じゅうすけ)は異国からきた黒船に乗り込む事を計画していました。彼らはそうして船に乗り込み、外国へ渡りその文化を知ることで異人を追い払おうと考えたのです。やがて、彼らは様々な苦難を乗り越えて、黒船に乗り込むことに成功します。
一方彼らが乗り込んだ黒船、ポウワタン船では、彼らを巡って会議が開かれることとなります。副艦長のゲビスは二人の日本人の熱意に動かされて、彼らを受け入れるべきだと主張します。ですが、提督であるペリーと艦長は、彼らを受け入れる事は日本政府を刺激する事になり、開国を求める自分たちの立場を危うくする危険性があると主張するのでした。しかし、それでもゲビスは二人に、この日本人たちは自分たちに追い返されてしまえば処刑される事を覚悟でこの場にいる事を告げます。この彼の主張に二人は何も言えなくなってしまい、提督は苦しまみれに他の者に意見を求めはじめます。すると、船医であったワトソンは、二人の日本人のうち一人が疥癬(しつ)という皮膚病にかかっている事を思い出します。そしてこれはアメリカでは珍しい病気であり、船内での感染は脅威にもなり得るというのです。結局一同は彼の言葉を信じ、二人の日本人を追い返す事にしました。
ところが、彼らは実際に罰せられている彼らの姿を目の当たりにした途端、その時の判断をもう一度検討しはじめます。そして、その決定的な言葉を述べたワトソンは、心の苦痛を抑えるために、文庫の方へ向かっていくのでした。
 
この作品では、〈感情に振り回される事なく、最後まで自分の立場に責任をもとうとした、ある船医〉が描かれています。 
まず、物語の中で、会議に参加したアメリカ人達はある共通した心の悩みを持っていました。それは、自身の感情を優先させて二人の日本人を受け入れるべきか、或いは立場を優先させて彼らを拒絶すべきかということです。この問題に際して、副艦長のゲビスはしきりに己の感情に従い、彼らを受け入れるべきだと考えています。それに対して、提督や船長の意見は、確かに自分たちも日本人達の気持ちは痛いほど感じてはいるが、まずは現実的に自分の立場を考えて行動すべきであると述べています。やがて議論の末、ワトソンの「船医として」の一言が決め手となり、彼らは全員が一応はそれぞれの立場を優先させることとなります。
しかし、その日本人二人が実際に罰せられる一端を見て、彼らは再び上記の問題を考えはじめます。それでは、この時の彼らのそれぞれの反省に注目してみましょう。まず、提督のペリーはこうした現実を知り、「君の(副艦長ゲビスの)感情がいちばん正しかったのだ。君はこれからすぐ上陸してくれたまえ。そして、この不幸な青年たちの生命を救うために、私が持っているすべての権力を用うることを、君にお委せする」と述べています。つまり彼はそれまでの自分の考えを否定し、副艦長の考えを全て採用しようとしています。ここから、彼は感情か立場かと問題に対してどちらか一方を採用し、どちらか一方を切り捨てるべきであるという考え方をしていた事が理解できます。それでは、この問題に対して決定的な言葉を放った人物、船医のワトソンはどうだったでしょうか。彼はこの事実を知ると、誰よりも自らの言葉に責任を感じ、果たしてその時の自分の判断は正しかったのか、もしかしたら日本人が持っていた病気は大した事はなかったのではないか、と自ら審査をはじめます。そうしてその揺れ動きを感情で解決しようとはせず、あくまで「医師として」自分の判断に責任を持つため一人書庫へと向かいます。つまり彼はこの問題に対して、立場は優先すべきものであるが、自身の感情はその立場に支障をきたさなければそれを遂行しても良いと考えています。ワトソンは提督のように、あれかこれかで考えていたのではなく、あくまで自分の立場にかえった上で自分の感情というものを考えており、そう考えているからこそ、他の人物たちよりも一層その問題に対して深く悩んでいるのです。


◆わたしのコメント◆

論者は前回の評論にたいするコメントを受けて、一般性と評論部を書き換えています。

論者によれば、この作品では、〈感情に振り回される事なく、最後まで自分の立場に責任をもとうとした、ある船医〉が描かれているというのですが、本当にそうでしょうか。

結論から言って、論者はこの物語のさいごに描かれている表現から、船医であるワトソンの感情のあり方を、まるで読み取ることができていないようです。タイトルにもなっているとおり、船医ワトソンの心情理解は、この作品を理解するにあたって欠かすことはできません。

物語のもっとも最後の箇所を、もういちど引用しておきましょう。
「ワトソンは、心の苦痛に堪えないで、自分の船室へ帰って来た。が、そこにもじっとしていることができなかった。彼は、自分の船医として主張した一言が、果して正当であったかどうかを考えずにはおられなかった。彼の心には Scabies が、この高貴にして可憐な青年の志望を犠牲にしなければならないほど恐ろしい伝染病であるかどうかが、疑われてきた。彼は、皮膚病学の泰斗がそれについてどういう言説をなしているかを知って、自分の激しく動揺する良心を落ち着けたいと思った。彼は悄然として、船の文庫(ライブラリー)の方へ歩いて行った。」
これはアメリカ人たちが、二人の日本人青年が死を前にしてもなお保ち続けている矜持を見たあとの描写です。

ここでワトソンの振る舞い方だけを見れば、「じっとしていられずに船の文庫の方へ歩いて行った」ということなのですが、彼は、論者の言うような、「船医としての役割を全うする」ためだけに、日本人青年がかかっていた皮膚病についての知識を求めたのでしょうか。

◆◆◆

どうも論者の表現を見ていると、論者の脳裏には、「あれかこれか」、「形而上学的」などといったことばがよぎっており、あらかじめ設定したそれらのフレーズを作品に押し付けて解釈したくてたまらないのではないか、と思えてなりません。

わたしは常々、人間の複雑な感情をほんとうに理解するためにこそ、論理という原則の力を借りねばならないのだ(本質あっての現象理解(対立物の相互浸透))、と言ってきました。
ところが、現実に即して構造を理解するということと、あらかじめ用意したやり方で現実を解釈する、というのはまるで違うことなのであって、論者のやろうとしているのは、明らかに後者です。

実に皮肉なことなので、明言するのも憚られるところですが、「あれかこれか」と考えているのは、物語の登場人物ではなくて、それを解釈している者の方です。ワトソンの心情理解については、むしろ前回の評論のほうがずっと的を射ていたと言ってよいでしょう。

船医ワトソンは、「感情に振り回される事なく、最後まで自分の立場に責任をもとうとした」のでは決してなく、むしろ、「誰よりも動揺する気持ちが強かったからこそ、せめて立場上にでも確かな手がかりを得ることで少しでも気持ちを落ち着けようとした」のです。
(「感情に振り回される事のないように、(体面上は)最後まで自分の立場に責任をもとうとした」という表現ならまだしも、というところですが、論証部を見ると、やはり作品理解を大きく誤っていることがわかります。)

ここには、彼の責任感が、自分の自由意志だけでは抑えきれないほどに強かったために激しい動揺としてあらわれたものの、だからといって直接に日本人青年の皮膚病を脅威とみなしたのは他ならぬ自分であったために他の逃げ道も用意できずに、感情がどうにもならない、という感情面での行き詰まりが前提としてあります。
その上で、「せめて役割としては」正しいことをやったのだと納得しようとして、皮膚病学の泰斗を尋ねることにした、という経緯があるのです。

測らずといえども、自らの進言が理由で極刑に処されることになった日本人青年が、監獄の中から自分の姿を認めて嬉しそうに笑い、手紙をしたためてくれた、ということが、船医ワトソンにとってどれほどの心理的な重圧になっているかを、彼の心情を我が身に捉え返すようにして(=観念的に二重化するかたちで)読み取ってもらえているでしょうか。

率直に言って、いったいなぜそのような誤りになるのか、理解に苦しみます。
物語の登場人物であるからといって、その立場になって実際に物語を体験してみることをしないような姿勢では、現実世界の人間心理を満足に読み取ることなど到底不可能であり、ましてや創作活動などできるはずもない、と厳しく受け止めねばなりません。

◆◆◆

物語さいごのワトソンについての描写を、論者のように読んでしまっては、人間感情に溢れた物語も、砂を噛むような無味乾燥なものになってしまいますから、もういちど表現を少し変えて説明しておきます。

ワトソンが皮膚病について知識的に再検討を加えようとしたのは、つまり船医としての役割に忠実であろうとしたのは、なにも「感情に振り回される事(が)な」かったから、では絶対にありません!

感情に振り回されそうになったけれども、感情だけではどうにもならないほどの激しい動揺があったために、せめて役割としては誤りでなかったことを確認しておこう、とあくまでも消極的な理由で、文庫のほうに向かっていっただけなのです。

わたしたちは生身の人間としての経験のうえでも、優しさ故に叱らねばならなかったり、愛の深さゆえにそれを秘しておかねばならない、ということがあるでしょう。
いまの論者の考え方では、叱られたということは嫌われているのだな、何も言われないのなら気がないのだな、と、表面上をなぞったふうにしか理解出来ないのではないでしょうか。

これを学問では、本質論的に対して現象論的、弁証法的に対して形而上学的、というのです。

人間の感情をほんとうの意味で理解するには、その人の表現だけを見るのではなくて、その人の表現を通してその認識がどういうものなのであるか、ということを、我が身に捉え返すようにして読み取ろうとしなければならないのです。

◆◆◆

前回の評論へのコメント記事で見てきたように、この物語は、二人の日本人青年の扱いをめぐって、自らの感情と社会的な役割のあいだで板挟みになるアメリカ人たちの心情を描いています。
これを端的に要せば、「感情と役割との矛盾」ということになる、とも言っておきました。

もちろんこのままでは作品の一般性としてはあまりに範囲が広すぎますが、これを物語に照らして書き換えるだけで、しっかりした一般性になるのです。これも前回言っておいた通りのことを繰り返したにすぎませんが…。

論者とは直接面談をしたのちに、こちらでも一般性についての答えを述べることにします。
当人は一般性を絞り込むのが能力的に難しいのであれば、面談までに、船医ワトソンの心情を理解しようと努力してください。


【明らかな誤り(ほかにも誤字あり)】
・苦しまみれに→苦し紛れに

2012/02/12

文学考察: 船医の立場ー菊池寛

故障もずいぶん良くなってきました。


心配をさせてしまって申し訳ないかぎり。

というわけで、「こんな文量どうやって読めばいいのか」と別種の悲鳴をあげている読者の方にはこれまた申し訳ありませんが、じきに元のペースに戻りますのでどうぞよしなに。


◆文学作品◆
菊池寛 船医の立場


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 船医の立場ー菊池寛
日本がまだ外国と自由に貿易をしていなかった時代、武士である吉田寅次郎と金子重輔(じゅうすけ)はどうにかしてアメリカ船に乗り込めないかと試行錯誤していました。彼らは、そうして外国へ渡りその技術を盗む事で、外国人を追い払おうと考えていたのです。そして数々の苦難を乗り越えた末、やがて彼らは念願のペリー提督が乗っているアメリカ船、ポウワタン船に乗り込むことに成功します。
一方、彼らが搭乗したポウワタン船では、この二人を受け入れるか否かをペリー提督と艦長と副艦長を中心に会議が開かれていました。まず艦長と提督の主張では、現実的に考えて彼らを受け入れる事は日本政府を刺激する事になり、二国間の友好関係を悪化させる恐れがあるというのです。ですが、副艦長は二人のアメリカの文化に対する関心は本物であり、二人を受け入れるべきだと主張しているのです。そして彼は、そもそも自分たちは閉鎖された日本国の人々を解放することが目的であり、提督らの主張はそれとは矛盾している事を指摘しました。この弁には提督も感動してしまい、何も言い返せなくなってしまいます。やがて提督は、苦しまみれに「ほかに意見はありませんか。」と、他の者に助けを求めはじめます。すると、船医であるワトソンは、その日本人の中の一人の手指に腫れ物があったことを思い出します。これは、寅次郎が旅先である女中に感染された、疥癬(※しつ)と呼ばれる皮膚病だったのです。そして、彼らの国ではこの病気が珍しい事を理由に、ワトソンは彼の皮膚表を脅威と見なし、彼らを受け入れる事を拒否すべきだと主張しました。この彼の一言によって、結局、寅次郎と重輔は船から追い出されてしまいます。
その三日後、アメリカ船に乗った日本人二人はその罰として、その首を切断される事になってしまいます。この事態を知ったポウワタン船の一同は、彼らを助けるのだと意気込みはじめます。しかし、そんな中、船医のワトソンはその時の自分の判断に自信が持てなくなり、果たして日本人が持っていた皮膚病が本当に脅威であったかどうかを、改めて調べはじめるのでした。
 
この作品では、〈正論を認められない為に、別の大義名分を用意して自分の主張を正当化する事がある〉ということが描かれています。 
まずこの作品の軸というのは、下記にある、船医であるワトソンが会議の中で発言した一言にあります。
「私は船医の立場から、ただ一言申しておきたい。彼の青年の一人は不幸にも Scabies impetiginosum に冒されている。それは、わが国において希有な皮膚病である。ことに艦内の衛生にとっては一つの脅威(メナス)である。私は、艦内の衛生に対する責任者として、一言だけいっておく。むろん私はこの青年に対して限りない同情を懐いているけれども」
この一言によって、それまで日本人を受け入れる事を主張していた副艦長も、言葉を失ってしまいます。またその事に反対していた提督の方では、「青年の哀願を拒絶するために感ずる心の寂しさを紛らす、いい口実を得た」と考えていました。こうして、彼らは二人の日本人を拒絶することにしました。ところが、実際にその日本人たちが罰せられているところを目の当たりにした事で、ワトソンは自身の上記の主張に疑問を感じはじめ、再びそのそれが正しかったのかどうか、改めて検討しはじめます。つまり、彼はこの発言をした時、「艦内の衛生に対する責任者として」という言葉の裏には別の意味合いがあったのです。そこには恐らく、提督と同じような心持ちがあった事でしょう。だからこそ、彼は日本人を受け入れる事が決定しそうなタイミングで、寅次郎が皮膚病を患っている事を思い出し、それが本当に脅威なのかどうかをまともに審査せず、船医として上記のように発言してしまったのです。そうして彼は結果的に、寅次郎と重輔が罰せられている姿を見た時、良心を痛めて自分の判断を再び検討せずにはいられなくなっていったのです。


わたしのコメント◆

この作品は、鎖国政策をとっていた日本にあって、黒船に乗り込もうとする二人の武士を中心に描かれています。彼らは名を「吉田寅二郎」、「金子重輔(じゅうすけ)」といい、「夷人の利器によって夷人を追い払う」ことを目的としアメリカに渡ろうというのです。

彼らが散々の苦労を重ねて「ペリー」を提督とするポウワタン船に乗り込む段になると、そこでは二人の日本人を船に容れるかどうかに関して議論が起こります。副艦長である「ゲビス」は、二人の熱誠に動かされて賛成の立場をとりますが、提督は簡単には首を縦に振りません。このことがきっかけで日本国政府と軋轢を起こすことになったり、もしも二人が間者であったときには責任を負えないというのです。ただこうして立場の違うアメリカ人二人ではありますが、二人の日本人が、信用に足る若者であるということについては意見が一致しています。

ゲビスが、日本人の武士にとって命よりも大切だとされる大小の刀を棄てることになってまで、また追い返されれば処刑されることになることを覚悟してまでアメリカに渡ろうとする青年の姿を見て、なにか感じられるところはないのでしょうかと問うと、提督も言葉を失います。ところがここにおいて船医であった「ワトソン」が、日本人青年が疥癬(しつ、かいせん)に罹っていることを指摘したことをもって、風向きが変わることになったのでした。

◆◆◆

二人の日本人の乗船をめぐって議論するアメリカ人たちは、個人的な感情に限れば、日本人青年の熱意を極めて高く評価しているのです。ただそれが、自分たちが日米の国交において重要な役割を担っているという社会的な責任を思えばこそ、それとの板挟みとなって、尽きぬ議論の火種となっているわけです。

この物語の焦点を端的に言えば、「感情と役割との矛盾」を描いているのですから、論者の指摘している一般性は、主語を欠いており表現が不明瞭である(一般性で言いたいのは「ワトソンは」でしょうか、「人間一般は」でしょうか?)ことに加えて、内容としてもこの作品の本質を余さず捉えているとは言えないものになっています。

この作品の特性をうまくつかまえるために、もし仮に、と考えてみてください。
もしこの物語が、「感情」派と「役割」派にわかれた議論を繰り広げていたならば、作品全体が持つ論理性は、より浅い、形而上学的なものになっていたでしょう。
児童文学や勧善懲悪の物語では、物語の主張を明確に表明するために、そういった工夫が現実の人間模様を単純化するかたちであえて用いられることもありますね。
ところがこの物語の最も大きな特徴は、登場する主要な3人のアメリカ人、つまり「ペリー提督」、「副艦長ゲビス」、「船医ワトソン」のすべてが、その矛盾を多かれ少なかれその内に宿している、というところにあるのです。

命をかけるまでに自国で学びたいという日本人青年の熱意は痛いほどにわかるけれども、立場上それが容易でない、という矛盾はそれぞれの脳裏に明確なかたちで宿っており、その矛盾を抱えたままでさえも議論では一定の立場に立たなければならないところから、議論の状況は非常に緊密なバランスにおいて成り立っています。船医の一声で事態が急転するのも、そのためですね。
菊池寛という作家が、心に矛盾を抱えた生の人間の人物描写に極めて長けていることは、論者も『恩讐の彼方に』などから学んで知っているはずです。そのことを知った上で、彼の作品を全体として見渡した上で本質を指摘するからには、論者が指摘した一般性では視野狭窄に過ぎるのではないか、と自身で判断してほしかったところです。

物語に話を戻すと、結局のところ、ワトソンの指摘した疥癬が閉ざされた船内においては致命的であることを口実として、日本人青年二人は本国に送還され、投獄の憂き目にあってしまいます。
死を前にしてもなお従容として座す二人の姿とそのことばに、ペリーは自らの誤りを認め、ゲビスに、提督としての権力をすべて使って彼らのためにできることをやるようにと命じます。ワトソンはここにおいて、青年の病気が、本当に彼らの志を退けてまでに致命的な理由であったのか、と自らに問わないわけにはゆかなくなったのでした。

◆◆◆

自らの進言が大事を招いたことに責任感を覚え、悄然とした様子で船内を歩く船医の姿がさいごに描かれていますが、直接にペリーに助言したのが彼であったとしても、3人のアメリカ人はそれぞれに矛盾する重いを抱えながらの苦渋の決断であったはずです。
そうであるからには、タイトルにもなった船医の姿は極めて特殊な立場であるというよりも、アメリカ人たちを象徴的に代表したものであるとみなすのがふさわしいでしょう。

ペリーが自らの誤りをどう理解したのかを見てみましょう。
むせび泣くゲビスのそばに歩み寄って彼が発した言葉がこれです。
「そうだ。君の感情がいちばん正しかったのだ。君はこれからすぐ上陸してくれたまえ。そして、この不幸な青年たちの生命を救うために、私が持っているすべての権力を用うることを、君にお委せする」
「君の感情が」正しかったのだ、としていることに注目してください。ペリーはゲビスが感情的に、日本人青年に肩入れしすぎることを諌めたりもしましたが、結局のところ、良心に従うべきだったのだ、と、役割よりも感情に重きをおくべきこともあることを認めたわけです。

◆◆◆

さてそのとき、自身の役割からの助言をした船医ワトソンはどうしていたのかも、さいごに触れておきましょう。
「ワトソンは、心の苦痛に堪えないで、自分の船室へ帰って来た。が、そこにもじっとしていることができなかった。彼は、自分の船医として主張した一言が、果して正当であったかどうかを考えずにはおられなかった。彼の心には Scabies が、この高貴にして可憐な青年の志望を犠牲にしなければならないほど恐ろしい伝染病であるかどうかが、疑われてきた。彼は、皮膚病学の泰斗がそれについてどういう言説をなしているかを知って、自分の激しく動揺する良心を落ち着けたいと思った。彼は悄然として、船の文庫(ライブラリー)の方へ歩いて行った。」
ワトソンは、日本人青年の処遇を招いたところの、自分がした助言の責任を誰よりも厳しく感じ取っているのですが、そういった自分自身の感情の揺れ動きでさえも、感情そのもので落ち着けることができないために、あくまでも「医師として」の自分の役割がまっとうであったのかを確認することでそれに替えようとするところが、職業人としての不器用さ、その裏側の絶妙な人間臭さを表しているとは思わないでしょうか。

この物語ではこのように、徹頭徹尾、人間としての感情と、自身の社会的な責任の狭間で揺れ動く個人と、それらが織り成す人間模様を描いているのですから、一般性も、やはりその先に見据えてほしいところです。

評論全体について、あらすじが長すぎる、一般性の導出が十分でない、それが明確であれば叶ったはずの論証部がない、誤字が数箇所あるなど、文章全体としての質が突き詰めきれていないようですから、表現のみならず作品の理解をより確かなものとするために、まずは一般性からもう一度考えてみてください。再読に値する作品です。

2012/02/07

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (5)

以前に学生さんが自宅に来て、


「どうしてひとりでもそんなに強くていられるのですか」と聞きました。

わたしをそんなふうに見てもらえる理由があるのだとしたら、きっとひとりではないからでしょう。
ロダンの引用は今回でおしまいですが、ここまで読んできてくださったのなら、その答えがよくわかったのではないでしょうか。
わたしも今回読み返してみて、出会ったときには寝食忘れてむさぼり読んだその一言一言が懐かしいものとして思い出され、彼のことばが自分の中に生きていることを知りました。

心の底から尊敬できる師が現実の身の回りに見つからないのなら(もっとも、そんなことはよほどのめぐり合わせがない限りあり得ません!)、かつての偉人を探せば良いのです。
巨人の肩に乗る、それを忘れないでください。

(※初出から更新しました:記事末尾に正誤表を追加。)


◆ギュスターヴ コキヨ筆録(p.305-382)◆

p.320 われわれの唯一の学校とは
「自然は決してやり損なわない。自然はいつでも傑作を作る。これこそわれわれの大きな唯一の何につけてもの学校だ。他の学校はみな本能も天才もないもののために出来たものだ!」

p.321 芸術は自然の通訳だ
「芸術において、人は何にも創造しない!自分自身の気質に従って自然を通訳する。それだけだ!」

p.322 困窮を厭わなかった理由
「私は五十歳頃まで、貧乏のあらゆる当惑を持っていました。しかし仕事する事の幸福が私をまったく支えていました。それに、仕事しないとすぐ、私は退屈します。物を作らないのは堪らない。」

p.355 しなやかさこそ
「私は一生涯「しなやかさ(スウプレッス)」と優美とを求めた。しなやかさこそ万物の魂である。」

p.367 才はどう生まれるか
「才は叡智ではない。細目の育ったものである。」

p.369 肉づけはどう生まれるか
「肉づけは手が愛撫のうちに経験する感動である。」

p.369 正直者は悲劇を生きる
「最も正直な者の生活の悲劇。また他に構えずにその悲劇を生きる事の苦悶!」

p.370 模写家たれ
「われわれが自然を矯正し得ると思うな。模写家たる事を恐れるな(引用者註:ここでの「模写」とは、前段でみたような侮蔑的な意味合いではもちろんない)。見たものきり作るな。がこの模写は手に来る前に心を通る事を思え。われわれの知らない間にさえいつでも独創はあり余る。」


◆カミーユ モークレール筆録(p.383-390)◆

※p.384-385については、ロダンの生い立ちと極意を極度に圧縮したかたちで述べられた、本書中最も重要な箇所(当人とそれを取り巻く環境との相互浸透的な量質転化を、全体としての否定の否定で貫いて書かれた箇所)なので、彫刻をはじめとしたものづくりに携わる人は原典にあたっていただくのがよいと思います。
彼の主張のすべてがここに含まれています。わたしは何回ここを読み、書き写したかわかりません。

p.384 私は発明しない、掘り出すのみ
「――私は何にも発明しません。私は彫り出すのです。それが新しく見えるのは世人が芸術の目的と手段とを一般に見失ってしまっていたからです。世人はそれを革新だと思いますが、それは遠い昔の偉大な彫刻の法則がまた帰って来たに過ぎません。」

p.384 理法ある誇張こそ極意である
「私の全目的は「市民」時代以来、理法ある誇張の方法を見つける事でした。その方法は肉づけの思慮ある増盛法です。それからまた形を幾何学的図形に絶えず単純化してゆく事です。そして形のいかなる部分をもその観察の綜合の犠牲にしてしまう事を決める事です。」

p.384 解らずやは彫刻を誤解している
「彫刻では、筋肉束の隆起は抑揚をつけられ、遠近は強められ、凹みは深められねばなりません。彫刻は窪みと高まりの芸術です。きれいな、すべすべした、肉づけのない形ではありません。」

p.385 私の標準とは
「面によって仕事する事、表面でせずに、奥行でする事、それに一切の自然の源たる幾つかの幾何学的図形を常に念頭に置く事。そして研究している物体の個々の場合に、此等の永久的の形が鑑取せられる様にする事、此が私の標準です。」


◆バトレット筆録(p.391-終わりまで)◆

p.393 私が悲観しなかった理由
「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。いつでも嬉しかった。私の熱心さは無限でした。休む間もなく勉強していました。勉強がいっさいを抱擁していたのです。私の作を見た人は皆だめだと言いました。私は奨励の言葉を知らなかった。店の窓へ出した私の小さな素焼の首や全身像はちっとも売れませんでした。世間なみの事にかけて、私は全く閉め出しを喰ったのです。それが私の役に立つとも考えられなかった。」


◆岩波文庫版『ロダンの言葉抄』正誤表◆

p.150 -L6
「私に始めて指摘してくれたのは」→「私に初めて指摘してくれたのは」

p.177 -L1
「エジプトはこの種の小さな銅の驚くべきものを作っていますが、これもその一つですけれど、一枚の羽もありません。」
→「エジプトはこの種の小さな銅の驚くべきものを作っており、これもその一つですけれど、一枚の羽もありません。」
(副詞の「が」は、接続詞と混同し読者の便益を損ねるため多用は望ましくない。さらに、「〜が」という表現の連続は、否定が何回行われたかがわかりにくくなるため、作者の主張を誤って伝えることが多く、さらに注意が必要なため。)

p.312 -L4
「将来はもっと何うかうまくやろうと」→「将来はもっと何かうまくやろうと」
(「何」を「ど」として、「どうかうまくやろうと」と読ませたいのかもしれない)

p.338 -L7
「バー めいめい時代がある!」→「バ! めいめい時代がある!」
(感嘆を表す意味でロダンが文中に「バ!」と発言するところがある。この箇所の誤りは、縦書きのために本来感嘆符とすべきところを長音としたままなのに見逃したことによって起きたと考えられる。)

p.360 L2
「そして脇腹はここで縊れ、」→「そして脇腹はここで括れ、」
(「縊れ」は「首をくくって死ぬ」の意。)


(了)

2012/02/06

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (4)

今回引用した


p.228〜の、「動勢とは一つの態度から他の態度への移りかわりだ」という箇所は、三浦つとむ『日本語とはどういう言語か』のp.223で、彼の言語論における時制の理解を根拠付けるために援用されています。同書を読んでいたときに理解が足りないと思った人は該当箇所に当たってみてください。

わたしは彫刻の創作活動をはじめて十年ほど取り組んだあとロダンの「動勢」についての理解を目の当たりにして、頭上にカミナリが落ちたかのような衝撃を覚えました。それまでの自分のやり方が根本的に誤っていたことが即座にわかりました。恐ろしいまでの極意です。

三浦つとむが言語というものをより広い「表現」のなかのひとつであると正しく位置づけたとき、必然的にロダンの指摘から大いな刺激を受けたと見えることも、何らの不思議はないものと思います。


◆ポール グゼル筆録◆(p.215-303)

p.218 ギリシア人による部分と全体の統一
「ギリシア人は、強烈に論理的な精神を持っていたので、本質的なものを本能で自然と強調した。人間の形の主要な特性をあらわした。しかし、決して生きた細部を除き去りはしなかった。それを包んで全体の中に溶かし込んで満足したのです。」

p.219 肉付けの法
「「私の行った事をようおぼえておいで、」とまたコンスタンが言いました。「お前がこれから彫刻をする時決して間口(まぐち、拡がり)で見ないで、いつでも奥行(厚み)でお見。……一つの表面を見る時、それを必ず一つの容積(量)の端だと思いなさい。お前の方へ向いた大なり小なりの尖端だと思いなさい。そうすればお前は『肉付けの法』を持つ事になる。」

p.220 肉付けの法の適用
「私はこれを人体彫刻に応用しました。人体のいろいろの部分を大なり小なりの平たい表面だと思う事をしないで、内面の容積の出っ張りだとしてそれを表わしたのです。胴や手足の隆起ごとに、深く皮膚の下に蔓っている筋肉や骨の圧出を感じさせるように努力したのです。」

p.221 偉大な彫刻家は色彩を止揚する
「大変詭弁のようには見えますが、偉大な彫刻家たちは一流の画家、むしろ一流の版画家と同様に色彩家なのです。」

p.222 私は誰よりも宗教的だがその意味は注意を要する
「宗教というものは信経の誦読とはまるで別なものです。それはすべて説明された事のない、また疑いもなく世界において説明され得ないあらゆるものの情緒です。」

p.223 真の人間は宗教家である
「真の芸術家は、要するに、人間の中の一番宗教的な人間です。」

p.223 芸術家は自然の内面の真を表現する
「芸術家という名に値する芸術家は「自然」のあらゆる真を表現すべきです。ただ外面の真ばかりでなくまたやはり、またことに内面の真をです。」

p.237 芸術は自然についての洞察である
「芸術は静観です。自然を洞察し、また自然の中の心霊を推測する喜悦です。その中の自然の中の心霊がこの心霊を活かしているのです。芸術は万象の中で明らかに鑑じ、また意識を持って照り輝かしつつ万象を再現する叡智の歓喜です。芸術こそ人間の最も崇高な使命です。世界を会得しようとつとめまたそれを会得させようとつとめる思想のはたらきだからです。」

p.237 芸術は芸術家を映す
「芸術はまた趣味です。芸術家の作成する物体の上にあらわれる彼の心の反映です。家や家具についての人間の魂の微笑です。思想の魅力であり、また人間が使ういっさいのものに編み込まれている情緒の魅力です。」

p.238 自然に忠実である
「総じて私は「自然」に服従します。そして決してそれに命令しようとはしません。私の唯一の願うところは彼に飽くまでも忠実である事です。」

p.259 美は到るところにある、われわれが認めるならば
「美は到るところにあります。美がわれわれに背くのではなくて、われわれの眼が美を認めそこなうのです。」

p.274 美しくあろうとしないがゆえに美しい(=否定の否定)
「古代芸術は、不当に賞讃を当てにするアカデミックの芸術とは根から違います。/わが国の嘘の古典芸術はいわば「美を製造し」ています。容態ぶっています。人が眺めるので固くなっています。その作る人物は、「皆諸君は俺を何と見る。どうだ」と尋ねているような気がします。そしてあの高尚な姿勢に絶えず気を配っているのが結局芝居じみた誇大に陥り、醜悪に陥ります。/ところが古代彫刻のは自分たちが美しいという事さえ念頭にないようです。まったく、これは彼らがこの上もなく単純で直実であるからに過ぎません。」

p.280 芸術の本質は自然の思念を見わけることである
「芸術の本義となるものは、それは思念の統一です。……自然はつねに讃嘆に値します。けれどもそれを支配する思想と法則とがはなはだ複雑なので、自然はしばしば混乱して見えます。いかなる思念がここで一番勢力があるかを見わけてそれを自分の製作に力強く表すのが芸術家の仕事です。」

p.281 彫刻は動勢を訳出するもの
「よい彫刻の重要な美点は動勢を訳出するにあるという事は確かです。」

p.281 動勢を固定化されたものとして表現するという矛盾
「ただの人にとっては、動かない物質をもっていろいろの姿勢を表現させるという事は矛盾とも見えるしまた不可能とも見える。ところがそこが芸術の役目でもありまた勝利でもあるのです。」

p.282 作品を決めるのは芸術家の思想である
「芸術家が自分の取扱っている思想をいくら強く翻訳してもし過ぎるという事は決してないと思う。思想は作品の上に一目で読まるべきです。作品全体に君臨すべきです。思想は形の快適、線の整調よりも上です。むしろ思想がそれらのものを使っていっさいの美を構成するのです。美とは、実に、「真」の事に過ぎず、また思想とは一つの作品の中に訳出された「真」の事です。」

p.283 きれいに見せようとするあまりにかえって醜くなる(=否定の否定)
「愚かにも自分の見るところをきれいにしようと努める者、現実の中に認めた醜に仮面をかぶせ、その包含している悲しみを少くしようと望む者、こういう人たちこそ、本当に、芸術における醜に出会します。この醜とは表現力のない事です。彼の頭や彼の手から出て来るものは、観る者に何事も話しかけずまたその醜に何の効果ももたらさないので、無用で醜です。」

p.286 芸術は足るを知る
「芸術には無用な表現力のないものが一つだってあってはなりません。」

p.287 美はどこにあるか
「現実生活の絶対真よりほか真に美しいものはない!」

p.289 天才の性向とは
「しかしながら君たちの先輩を模倣せぬように戒めよ。伝統を尊敬しながらも、伝統が含むところの永久に実あるものを識別する事を知れ。それは「自然の愛」と「誠実」とです。これは天才の二つの強い情熱です。天才はみな自然を崇拝したしまた決して偽わらなかった。かくして伝統は君たちにきまり切った途から脱け出る力になる鍵を与えるのです。伝統そのものこそ君たちに絶えず「現実」を窺う事をすすめてある大家に盲目的に君たちが服従する事を防ぐのです。」

p.291 芸術は感情そのものだが技術がなければ表現し得ない
「芸術は感情に外ならない。しかし量と、比例と、色彩との知識なく、手の巧みなしには、きわめて鋭い感情も麻痺されます。最も偉大な詩人でも言葉を知らない外国ではどうなるでしょう。新時代の芸術家の中には、不幸にも、言語を学ぶ事を拒絶する多くの詩人があります。やはり彼らも口ごもるより外はありません。」

p.291 芸術家には辛抱が要る
「辛抱です!神来を頼みにするな。そんなものは存在しません。芸術家の資格はただ智慧と、注意と、誠実と、意志とだけです。正直な労働者のように君たちの仕事をやりとげよ。」

p.292 自ら省みて直くんば
「深く、恐ろしく真実を語る者であれ。自分の感ずるところを表現するに決してためらうな。たとい既成観念と反対である事がわかった時でさえもです。おそらく最初君たちは了解されまい。けれども一人ぼっちである事を恐れるな。友はやがて君たちのところへ来る。なぜといえば一人の人に深く真実であるところのものはいっさいの人にもそうであるからです。/しかし色目はいけない!衆目の目を惹くためしかめ面をしてはいけない。単純、率直!」

p.293 芸術家である前に人であれ
「肝腎な点は感動する事、愛する事、望む事、身ぶるいする事、生きる事です。芸術家である前に人である事!真の雄弁は雄弁を侮蔑する、とパスカルは言いました。真の芸術は芸術を侮蔑します。」

p.293 真実は数の多寡ではない
「もし君たちの才能がきわめて新らしいと、君たちは最初ほんの少しばかりの賛同者しか得ないでしかも群衆の敵を持ちます。勇気を失うな。前者が勝ちます。なぜといえば彼らはなぜ君たちを愛するかを知っているのに、後者はなぜ君たちが嫌いなのか知っていないからです。前者は真実に対して情熱を持ちまた絶えず新らしい同人を集めるのに、後者は自分たちの間違った意見に対してどこまでも続けてゆく熱中をまるで表わさない。前者は頑固であるのに、後者は風のままに変わる。真実が勝つことは確かです。」

(ポール グゼル筆録 了)

2012/02/05

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (3)

ここのところロダンの引用ばかりしているので、


いつもの記事に比べたら読み応えがないな、と思われているかもしれませんね。

ですがちょっと待ってください。
わたしが彼の言葉にここまで肩入れするのは、彼がつかまえている事柄が本質的であるばかりでなく、経験上でつかみとってきたものとはいえしっかりした論理性が含まれているからです。

たとえば、「分解と綜合とが互いに芸術家の心の中で上り下りする」(p.189)、「作家自身のために作らなかったことがかえって個性をもたらした」(p.201)、「表現は受け取り手の立場によっても規定される」(p.202)などを見てみましょう。

第一のものは、作家の認識における止揚をとらえており、わたしたちが経験上持っている像を綜合すると直接に、それを俯瞰する像を手に入れ、駅から自分の家までの地図をまるで鳥になったかのように書き表すことができることと同一のことを指摘しています。
また第二のものは否定の否定、第三のものは表現というものの本質、つまり表現過程の重層構造をよく表していることがわかってもらえているでしょうか。

これらはロダンが自らの創作経験のなかで掴みとってきたことであり、弁証法を技術的に適用したわけではないのですが、それでもなお、自らの道に向かい続けるひとりの人間が自然成長的に到達したものとしては見事なものだと言ってよいと思います。

これはひとえに、彼がアタマの中で概念をいじくりまわしたのではなく、あくまでも「現実に真摯に向き合った」からこそ引き出し得た論理性だと理解すべきものです。(概念操作だけをしていても絶対に論理性が高まるはずがない、というのは、ほとんどの研究者がまるで理解していないひとつの極意です。気になる人は会ったとき聞いてください。)

◆◆◆

ですから、創造的な仕事のために彼のことばから学びたいという人は、世間一般に名言の扱いを受けているような類の、単に響きが良いだけのことばや、それとは逆の大衆への痛罵のようなものと同じ受けとめ方をしないでほしいと思います。
一言に要したその言葉の裏に、どれだけの経験的な裏付けがあり、どれだけの論理性が働いているかを読み取ってほしいのです。
わたしがそれぞれの引用文につけた題も手がかりになると思いますので、参考にしてください。

幸いなことに、わたしたちには弁証法という武器がありますから、どこに弁証法が働いているかな、という目的意識を持ちながら読んでみればよいのです。
エンゲルス・三浦つとむ流の三法則に照らしただけでも、その立体構造は十分に掴み取れると思います。

ロダンも言っていますね。
肝腎なのは何を見るかではなく、どう見るか、なのだと。


◆フレデリク ロートン筆録◆

p.176 古代芸術の学び方:自然が第一で、古代芸術はその次である
「彫刻家は自然について仕事する事です。それから一つの物をよく研究してしまった時、美術館に行く事です。そして古代芸術が、たった今自分が生きたモデルの前で求めていたものをいかに訳出しているかを見る事です――これなら本当です。けれどもし、自分の眼を自然に向って閉じてまっすぐに古代芸術に行けば、この影像を自分の製作の中に移す事が出来ません。まね事なら知らぬ事ですが。だからその人の作るものは古代的でもなく近代的でもないものになる。――ただ単に悪いものになる。」

p.181 美は決着点であって出発点でない
「古代芸術を――これは不思議な生命(ライフ)のいい肖像だが――これを美であると言うのは、不十分な言葉、上すべりのした賛辞を使う事になるのです。なぜといえば美は決着点であって出発点でないからです。」

p.187 芸術の極意
「芸術とは自然が人間に映ったものです。肝腎な事は鏡をみがく事です。」

p.189 芸術家にとっての止揚
「分解と綜合とが互いに芸術家の心の中で上り下りするという事は本当です。だがその分解とはばらばらに壊してしまう事ではありません。彼は――芸術家は考えるものです。全体について考えます。部分についても考えます。そして部分の研究は彼にとって全体を更によく摑むための道なのです。」

p.189 多勢からの攻撃について
「讒謗と意地の悪い虚構の説とを我慢するのは全く容易な事ではありません。私もそういう目に逢いました。そして少しはそういう事を知っています。けれども人は堪え忍ぶ事を学べるものです。一人の人間は多勢よりも強い。もし時を待てば。」

p.189 日本芸術
「日本芸術はそのどこまでも辛抱強い観察と、極小のものにある美の探求とでわれわれの芸術より秀れています。」

p.190 本当の芸術家精神
「私は博覧会の頃仕事している日本の芸術家たちを見ていた事があります。折々、客が彼らを急がせて本当に出来切らないものを持ってゆこうとして、その代価の金を出しては仕事している者を誘惑するのです。けれども彼らは断りました。金は失っても、彼等が見て、出来切らないものを自分の手から離す事は許しませんでした。これが本当の芸術家精神です。」

p.192 芸術家とは見る人である
「芸術家とは見る人の事です。眼の開いた人の事です。その心に、物の内面の本質が、いずれにしても、存在事実として考えられる人の事です。」

p.193 真実を求める者
「彼(引用者註:真実をのみ求める者)は自然界における造物主の仕事の使命と同じ使命を芸術界において自分の仕事に持たせようと求める。私の製作が経た経験を通らない人たちによって私の製作はよく判断される。生徒が数学を学ぶように、一歩一歩、私は自分の芸術を学んだ。たくさんの小さな問題を解いた後にやっと重要な問題を解いたのです。私を攻撃する前に彼らも同じ道を通り越して来るべきです。そうすれば彼らの意見は違って来るだろうと思う。違った眼で物を見るようになろう。」

p.200 間違いはどこにあるか
「自然は常に完全です。決して間違いではない。間違いはわれわれの立脚点、視点の方にある。」

p.201 ゴティック彫工における否定の否定
「彼らは建築のために彫刻した。彼ら自身のためにではなかった。軒の上では彫像をある風に作り、窓や、入口や、弓門にはまた別な風に作った。どんなちょっとしたものでも全体に適合するように正確に計られたのです。これがため彼らの彫刻は一層美しく個性的である性格を得ました。」

p.202 表現は受け取り手の立場によっても規定される
「芸術家は、それ故、彼の作が眺めらるべき距離に応じてその細部を選択し適合せしめねばなりません。また一方彼の製作が彼自身で選んだ遠近をもって眺められる事を要求する事が出来ると思います。その上、芸術家はこの遠近を彼の取扱おうとする主題に適応させる事を学ばねばならない。(略)もし彼の芸術のこの一部門を十分に把握したら、彼はまずほとんど完全でしょう。」

p.203 自然が我が身に捉え返される瞬間
「私はよくある一つの企図をもって始めてまるで違った企図をもって終る事があります。粘土をつけている時、私の記憶の中に睡っていたものが、にわかに私に立ち上ってまるで私自身が創造した幻像ででもあるように想像される事があります。私はこれがそうでない事を知っています。これは私がかつて自然の中で認めたに相違ないもので、しかもこれに相当した映像を私の心の中にかつて喚起した事のない形の組合せが浮かんで来たのです。それからなお進んで行って製作がもっと完備して来ると、私の心の中に一種の反対過程が起って、今度は自分の作ったものが自分の自然観の上に働き返して来ます。私はある相似と新らしい類似とを発見して歓喜に満たされます。そして造物主の仕事を讃嘆し、かつ彼もまたこれらいっさいの驚くべきものを生み出しまたこれらのものをかかる相互関係に展開せしめた事に喜悦を持たれるだろうと思わずにはいられなくなります。」

p.210 主題の魅力は自然からのみ来る
「私は人がある想念を持っていてそれが仕事を偉大にするのだという説に反対します。仕事の力はその人の想念の力よりも大きい。私自身の見るところではわれわれの想念はつねに貧弱です。」


(フレデリク ロートン筆録 了)

2012/02/04

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (2)

学生さんに伝えるために読みなおしてみたら、


ロダンのことばに他でもない自分がいちばん引きこまれてしまいました。

というわけで、つづきの覚え書きも公開することにします。

わたしが学生のみなさんに伝えたいことというのはとてもシンプルで、「本質を見よ」ということだけなのですが、それが一言ではとても伝わらないからこそ、こうやって手を変え品を変え文字を書き散らしたり口角泡飛ばして散歩しながら長々と講義するはめになっているわけです。

それでもそのことに倦んだりはしないのですが、あんまり繰り返すと要領の良い学生さん相手では効き目が薄くなってきますから、巨人の力を借りましょう。

◆◆◆

実のところ彫刻家ロダンも同じような感想を持っていたとみえて、いろいろな表現を使ってはいても、本質的にはひとつのことを伝えようとしているふうに映ります。
以下のメモ書きでは、直接的な表現においても重複している箇所がありますが、あえてそのままにしてあります。

余談ですが、読者のみなさんは物心つくころ、外に出かけるときになると必ず家の人が、「クルマには注意しなさい」というふうに何回も何回も、それこそ耳にタコができる、というほどに聞かされてきて、いいかげんうっとおしい、とちょっと思ったことはありませんか。

お母さんのことばを振り払うようにして家を出て、門を出るときには自分がちゃんとクルマに注意できていることを確認すると、「ほらちゃんとわかってるじゃん」となおさら確信が高まったとしましょう。

ところで、それはどうしてしっかりと「身について」、当たり前のように「わかった」のでしょうね?

それが、量質転化のはたらきです。

原典に当たる時間がない人は、わたしが引用した箇所でさえも、ロダンが繰り返し繰り返し違った表現で(量質転化を意識して)述べていることを見て、彼が伝えようとしていることを我が身に捉え返すようにして学んでください。


◆ジュディト クラデル筆録(つづき、p.37-173)◆

p.49 「地上はすべて美しい」、「汝らはすべて美しい」
「(「顔の壊れた女はそれでも醜悪でしょう」という問いに答えて)――さよう、しかしその女が情人といっしょにいると、美しくなります。その美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです。鈍い大女をご覧なさい。もしその女の子供が死んだと告げたら、その顔を攪乱する恐怖や、苦痛の激動が無比に美しいでしょう。/美は性格があるからこそ、もしくは情念が裏から見えて来るからこそ存在するのです。」

p.59 世界は美しいがみなが気づくとは限らない
「世界は美しいもので満ちています。それの見える人、眼でばかりでなく、叡智でそれの見える人が実に少ない!」

p.65 真の芸術家に必要なもの
「真の芸術家は造化の原始の理法に透徹しなければなりません。彼は美を合点する事によってのみ天才になります。敏感性のだしぬけな電光によってではありません。のろくさい洞察によってです。賢明なまた辛抱な愛によってです。」

p.80 芸術に求めるのは写真的な真ではない
「今日の青年芸術家は何も解らない。昔の装飾や図案を飽きるほど模写する。そして貧寒至極な様子にまねて、まるで意味を失わせてしまう。昔の人はその図案を自然から得た。彼らはその手本を庭園から、菜園からさえも見いだした。彼らはその霊感を源泉から汲んだ。玉菜の葉、クローヴァ、薊(あざみ)、茨というようなものがゴティック柱頭の画因(引用者註:モチーフ)である。われわれが芸術に求めなくてはならないものは、写真的真ではなくて、生きた真です。」

p.80 実行家
「私は美文家ではなくて、実行家です。」

p.100 芸術を会得するために
「君たちが芸術を会得する事を知るに至るのは分析によってではない。」

p.107 真の芸術家に必要なもの
「真の芸術家は創造の原始的原理に透徹しなければならぬ。美しきものを会得する事によってのみ彼は霊感を得る。決して彼の感受性の出し抜けな目覚めからではなく、のろくさい洞察と理解とにより辛抱強い愛によって得るのである。心は敏捷であるに及ばぬ。なぜといえばのろい進歩はあらゆる方面に念を押す事になるからである。」

p.107 私の目指してきたもの
「私は自分の全生涯を傾倒して、おん身たち(引用者註:中世ゴティック芸術の建築家たち)が互いに伝達し合ったところの経験の秘訣、規則の一瞥をでも補足しようと努めた。そして私がどうにかこうにか美の綜合を把握しかけた時は、すでに私の命数が数えられる今日となってしまった。誰に私の探求の果実を信託しよう。ある未来の天災がそれを纏めるだろう。本寺(引用者註:カテドラル)は永遠である。天空に向って立つ。その極限の高さに達してしまったとわれわれが考える時、本寺はまたもその上へ高く聳えている。真理の山嶽のように。」

p.114 ゴティック芸術の精神
「面の知識と、量の権衡と、及びくりかたの比例とが、ゴティック芸術の精神を支配していた。」

p.114 くりかたの比例は自然の中に隠されている
「くりかたの比例は自然の中に存在する。けれどもわれわれにはまだそれを規則の中に当てはめる事の出来ないような形で存在する。これらの比例の調和を把握してそれを彫刻に表現する事は、確然たる趣味の人、最も理解力ある人を要するのである。ゴティック建築家は彼らの心をもってすると同様にまた彼らの叡智をもってくりかたを会得したと言えるのである。」

p.116 芸術とは
「自然のみ幸福を与える。そして私が芸術と呼ぶのは自然の研究である。解剖の精神を通しての自然との不断の親交である。」

p.116 自然を深く見よ
「深く見かつ感ずる者は自分の感情を表現する慾望、芸術家たる慾望を決して失わない。自然はいっさいの美の源ではないか。自然は唯一の創造者ではないか。自然に近よる事によってのみ芸術家は自然が彼に黙示したいっさいのものをわれわれにもたらし得るのである。」

p.117 芸術家が美を発見するとき
「芸術家が美を発見しまた表現するのは審美学の小冊を読む事によってではない。自然そのものにたよる事によってだ。」

p.117 醜悪なのは何か
「絶えず私は聞く。「何という醜悪な時代だ。あの女はつまらない。あの犬はぶざまだ」と。醜悪なのは時代でも女でも犬でもない。諸君の眼だ。眼がわからないのだ。人は一般に自分の会得以上のものを悪く言う。悪口は無知の子供である。そのことを発見するや否や、諸君は喜びの圏内に入る。」

p.118 自然を見よ
「主題は至るところにある。自然のあらわれはことごとく主題である。芸術家よ。ここに立て!これらの花をスケッチしたまえ。文学者よ。それを私に書き示せ。いつでもやっているような、一塊としてでなく、その機官の驚くべき綿密さを、動物や人間の戸同様に変化多いその特性をである。同時に芸術家であり植物学者である事、研究すると同時に画きまた塑造する事の美しさよ!あの偉大な写実家、日本人は、これが解っている。そして植物の知識と栽培とを彼らの教育の基礎の一つとしている。」

p.120 対称釣り合いの大法則(=対立物の相互浸透)
「神は対称釣り合いの大法則を作った。善と悪とは兄弟である。がわれわれは自分たちを喜ばすところの善を欲して、われわれに誤りと思われるところの悪を欲しない。われわれがある距離を隔てて事物を考える時、悪が折々善と見え、善が悪と見える事はないか。それはただしかるべき考察をもって判断しなかったからに過ぎない。ちょうど素描に白と黒とが必要なように、善と悪とは人生に必要である。悲しみは棄て去るべきではない。」

p.120 自然を会得するには
「自然を会得するに肝要なのはわれわれが決して自分たちを自然の代用としない事である。」
(自分の理想について語る芸術家は、モデルを訂正するつもりで調和した全体に手を入れてめちゃめちゃにしてしまう。)

p.124 批評家や先生が説明出来ないこと
「芸術は実際やっている者からの外は教えられるはずのものでない。」

p.126 私の生涯はどういうものか
「私の生涯の大事はこの一般的平たさから逃れようとして持続した争闘である。私の彫刻のすべての成功はそこから来ている。」

p.129 芸術にとっての定法
「定法が芸術を作るのではない。芸術家の経験が定法を生み出すのだ。もし自然を定則とせずに棄てたら、もし一つを他のものによって絶えず力づけてゆかないなら、われわれはたちまち意味のない言葉を語るようになる。」

p.139 対象の色彩は造形の中に止揚されている
「肉づけこそいのちを表現する唯一の道である。そしてただ一つの事が彫刻においてまた建築において肝腎なのである――いのちの表現が。美しい彫刻、よく作られた建築物は生物のように生きている。日と時間とによって違ってみえる。単に面の調価だけの事で、陰と光との取扱いひとつで、生きた自然物の色、女の肉体の色と同じ色の魅力を石に与えることは何という美しい事だろう。造形美術においては、美しい皮膚の色が人体における健康を語るように、色調が面の特質を暗示する。」

p.140 単純と貧寒の決定的な差
「単純は完全である。貧寒は無能である。」

p.152 仕事から学ぶ
「変化ある手業を獲得する無数の利益と有利とに注意を喚ぶのです。彫刻と素描のほか、私は装飾陶器、金銀細工、というように、いろんなものに仕事しました。私は自分の教課を物自身から学んだ。そしてそれをそれぞれ自分自身で適用しました。この原則に忠実である事によってのみ、人は会得も得、また如何に仕事すべきかを知る事が出来ます。私は一人の職人です。」


(ジュディト クラデル筆録 了)

2012/02/03

【メモ】岩波文庫版『ロダンの言葉抄』 (1)

ちょっと前に創作活動の方針について簡単に触れました。


ものづくりに携わったり、どんな仕事に就いているときにでも創造的な仕事をしたい、と思っている人が陥りがちなのが「オタク化」であるということをどうしてもお伝えしなければと思って書いたのでした。そのことは裏返し、たとえ専門家と名乗っていても、オタク的なだけの人たちがあまりに多い、多すぎる、ということです。

一流の漫画を描きたいのなら、今流行っている漫画ばかり読んで真似するだけでは絶対に、絶対にダメです。
ほかの文芸や、創造的な仕事についてもそれはまったく同じことが言えます。

自分の今いる世界から出てみて、自分が世界全体だと思っていたところが、実のところごく一部の矮小化された、アタマの中で作り上げたものでしかなかったことに、少しでも早く気づいてください。
ひとつの閉ざされた世界に身体的にも、精神的にも(対象化された観念が自由意志すらを凌駕し束縛するかたちで)耽溺することは、幼少の頃には集中力を養ったりもしますが、自分の道を目指すようになってもせっかくの集中力であらぬ方向に突き進んでゆく前に、大きな視点からの確かな見通しを持ってもらいたいと思います。

個別的な知識を収集しているひとたちは、同業者とつるんでいるのが居心地がよいと見えて、せっかくの他人との交流があるにもかかわらず、結局のところ同質的な人たちだけで固まってしまいます。
そういう組織がいかに革新というものから遠ざかっているかは、以前の記事を見ずとも経験として受け止めてきているのではないでしょうか。

世界が過程の複合体であり、常に移り変わっているからには、そこで生きる主体も、常に自らの心身を運動形態として創出してゆかねばなりません。

急がば回れ、です。

◆◆◆

彫刻家ロダンの言っていることも、やはり同じです。

若い人ほど、眼の前に飛び込んできた風変わりなものに飛びついてそれを模倣しがちだけれども、ちょっと立ち止まって、自分の道にとって本質的な歩み方はいったいどのようなものなのだろうかと考えてみてほしい。
そうすると、私たちが生まれいづるところの自然、これに謙虚に学ばねばならないことが身に染みてわかってくるはずだ。
究極的には、芸術が扱う美というものもそこに起源がある。

本質的な歩みを進めるのは眼の前に何を置くかということではない。
当たり前のことがらをどれだけ掘り下げて見据えることが出来るか、眼の前に確かなものが飛び込んできたときにそれを捕まえられるかどうか、ということだ。
つまり問題は、ものごとの見る目を如何に高めるかということである。

かなり敷衍してありますが、わたしなりの彼の価値観の理解はこういったことです。

以下は岩波文庫版『ロダンの言葉抄』のメモですが、ひとりものづくりに取り組んだことがある人なら、メモだけでは物足りない、と思ってもらえるのではないでしょうか。

創造的な仕事をしたい人は、雑書に寄り道をせずに、過去の偉人たちの残した思想にぜひとも臆さず触れてください。訳文が不味かったり、文体が古臭くて読みにくかったとしても、その思想性が自分の探究心を引き出してくれるのがわかるはずです。
そうして彼ら、彼女らに導かれて、彼ら本人の生き方を我が身に繰り返すようにして、彼らの見ているものをこそ見ようとしてください。


◆ジュディト クラデル筆録◆

p.9 本当の独創とは風変わりではない
「本当の才能に行きつく辛抱のない芸術家は、真実を外にして、題目や形の気まぐれなもの、変なものを探します。それが世人の独創と称しているものです。しかしそれは何にもなりません。」

p.9 教授職
「何にも知らない人たち、自分の道を持っていない人たちがみな教授にかつぎ上げられたがるのです。」

p.10 芸術は自然の研究に過ぎない
「日本人は自然の大讃美者です。彼らはそれを驚いたやり方で研究しまた会得しました。ご存じの通り、芸術というものは自然の研究に過ぎませんからね。」

p.11 芸術はのろさを要求する
「自分の良心と妥協してはいけません。何でもないというほどの事でもです。後にはこの何でもない事が全体になって来ます。…芸術はのろさを要求する。人々の、殊に青年の頃には思いも及ばないほどの辛抱を要求します。会得する事もむずかしいしまた作る事もむずかしい。(略)若い人たちは眼の前に来る最初の独創者に飛びかかってそれをまねます。」

p.12 今の芸術家
「今日はあんまりたやすく手に入るので欲望が強猛になる時間をもう持ちません。抵抗、征服すべき邪魔物、これが力を作り、性格を作るのです。」

p.14 芸術家の仕事は群衆に合わせることではない
「何という辛抱を、何という意地張りを芸術というものは要求するのでしょう!仕事しなければ零です!それぞれの意味であなた方を誘導する傾向、趣味というものがちゃんとあります。ただ、この天賦を発達させようとする欲望から、世の中があなた方を隔離するのです。もし急いだり行きつこうとあせったり、労働それ自身を目的として考えなかったり、成功、金銭、勲章、註文などを思ったりしたら、お仕舞いです!決して芸術家にはなれません。人目を悦ばす物は出来るでしょう。凡庸な作品であるところから、群衆とそのほかのあさはかな叡智とに近いからです。けれども決して本当の芸術家にはなれません。しかも人は実に容易に自分の道をはずれる事のあるものです!」

p.20 動いている自然についての研究
「われわれのやる解剖は間違っています。われわれはいつでも死んだ体でそれを研究していて、動いている自然についてやらない。それはずいぶんな相違です。」

p.21 彫刻とは
「彫刻というものは窪みと高まりの芸術です。」

p.21 自然の石膏型をとるのが芸術の目的ではない
「自然を狭義に模写する事は全く芸術の目的ではありません。自然から取った石膏型よりも確実な模写は得られません。がそれは生命がない。動勢もなければ、雄弁もない。まるで口をききません。なくてはならぬものは、誇張です。」
(※ロダンにとっての「誇張」、「増盛(アムプリフィカシヨンネ)」、「解釈」は、彫刻にとって本質的で特別な意味を持っていることに注意)

p.22 古代彫刻の力を成すもの
「古代彫刻の力を成すものは、その構造とその肉づけとです。古代彫刻は面の知識を持っています。細部を単独につくるのは重大な誤りですから、それは出来るだけ十分に作らるべきですけれども、つねに全体に連関してでなければなりません。」
(※「塊まり(マッス)を研究したのちに細部の探求へと進まねばならない)

p.23 芸術の総根元
「おそらく芸術は自然のやり方を見付けた時ほど根から偉大な事はないでしょう。ですから、この原則というものほど物質的なもの、むしろ粗野なものはないという事がお解りでしょう。面と肉づけと、これが土台です。そこに理想主義などはありません。手業(てわざ)しかありません。手業(メチエ)がすべてです。ですが、これこそまさに人の許そうと思わないところなのです。人は現実を合点するよりは、何か異常なもの、超人間的なものを信ずる方を好みます。」

p.26 天才人とは
「天才人とは外でもない、本質の知識を持っていて、それを完全の域に到達した手業で作り出す者の事です。本質的人間の事です。」

p.26 私は夢みる人ではない
「世間ではよく私の彫刻を狂信徒(エクザルテ)の製作だと言いました。私は狂信者とは反対の者です。むしろ重たい温和な気質を持っています。私は夢みる人ではありません。数学者です。」

p.31 本当の単純化
「細部のない単純化は貧弱しか与えません。細部は、組織の中をめぐる血です。全体の中に入れられるべきものであって、全体はそれを包むので、殺すのではない。これが本当の単純化です。これはなくてはならぬものです。これを見つけるまで、偉大な芸術家はこれに悩まされます。」

p.31 低級な仕事
「自然から仕事したのでないものは皆低級です。」

p.36 自然
「自然は調和ある動勢です。何一つ孤立していません。何一つ中絶されていません。女、山嶽、馬、これらのものは胚胎から言うと同じものです。皆同じ原則の上に築かれています。あなた方を花に較べたら、多分人は合点するでしょう。若い芸術家はそれを会得しません。彼らは古代のものから装飾を模写します。そしてある題材を影響に繰り返してそれを寒くし(引用者註:縮小再生産を繰り返しついには価値を失わせること)、貧弱にします。模写に過ぎないからです。古代人は自然から装飾を作りました。われわれが復活させるべきものはこの方法です。」

◆◆◆

36ページまでに目につくところを拾っただけでもこれだけになりますが、この本は全部で400ページを越えています。わたしが彼のことばにどれだけ力づけられたかわかってもらえるでしょうか。

読者のみなさんも、自分の道を指し示してくれる偉人たちをしっかりと探して、彼らや彼女ら巨人の肩に乗せてもらって、ずっと遠くを見渡してください。

2012/02/02

文学考察: 最後の午後ーモルナール・フェレンツ(森鴎外訳)

今日は、地元ではめずらしく雪でした。


子供たちははしゃぎまわっているのに大人はしかめっ面の人が多いようですね。
どこで変わったのでしょうか。


◆文学作品◆
モルナール・フェレンツ Molnar Ferenc 森鴎外訳 最終の午後

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 最後の午後ーモルナール・フェレンツ(森鴎外訳)


市の中心から外れた公園の、人通りの少ない道で、ある男女が散歩をしていました。その中で、どうやら彼らは別れ話をしている様子。
しかし、女と別れるにあたって、男は女に対して気になっていることがあるというのです。それはまだ彼女の事を愛していた頃、ある時彼は人妻であった彼女から、「これが、わたくしの夫ですから、よく見ておおきなさい」と女の夫の写真を見ることとなります。そして男は、彼女の夫の容姿の良さに嫉妬し、自身も懸命に容姿に磨きをかけていました。
ところがある日、男は実物の女の夫を見る機会を得ました。すると、彼女の夫は写真の男とは似ても似つかない、お粗末な容姿をしていたのです。これを知った男は、自身への容姿への興味をなくしていゆくと同時に、女への愛情もなくしていったといいます。ただ彼の中には、何故彼女が自分に偽物の夫の写真を見せる必要があったのかという疑問が残るばかりでした。
しかし、ここまでが女の計画の全てだったのです。彼女が男の容姿を良くするために、あえて写真を見せて男の嫉妬心に火をつけたのです。そして、彼に興味をなくし別の男を好きになると、実物の夫を見せて自分への愛情を失わせていったのです。
 
この作品では、〈あるものに価値を見出す為に、その対象とは別のものに価値を見出すこともある〉ということが描かれています。 
まず、この作品の面白さとは言うまでもなく、恋愛において、それまで優位に立ち回っていたと思われる男が、物語の最後で、実は女の手のひらで踊らされていた事に気がつくという滑稽さにあります。ですが、そもそも男は何故この女性に踊らされてしまったのでしょうか。
彼ははじめ、彼女の偽物の夫の写真を見た時、「どうしてもわたくしのどこをあなたが好いて下さるか分からなかったのです。」と、自分よりも夫が美男子だと分かると、かなり弱気になっています。ですが、本物の夫の素顔を知った途端、彼は強気になって、彼女への愛情も冷めていってしまいました。つまり、彼は彼女自身になんらかの価値を見出しているのではなく、彼女の価値を見出すために、彼女と結婚している夫の容姿と自分とを天秤にかける事で、彼女の価値をはかっていたのです。そして、夫が自分より容姿が優れていると感じた時には、女はその証であり、男性よりも容姿をよくして彼女の心を掴もうと努力し、逆の場合はその夫が自分より劣っていると感じ、同時に女も劣っていると感じたために、その愛情も冷めていってしまったのでしょう。女は男のこうした性質を巧みに利用し、結果、男は架空の夫と一人相撲を繰り広げなければならなかったのです。


◆わたしのコメント◆

夫のある「女」が、恋仲にあったひとりの「男」と別れ話をするところから物語は始まります。男は彼女とつきあうようになった頃、一枚の好男子が映った写真を見せられます。これが夫だという彼女のことばを真に受けて、彼は負けじと己を磨き始めます。そうして月日も過ぎた頃、女の落とした一枚の手紙をきかっけにして、彼女の実の夫というのは、その写真とは似ても似つかぬ人物であるということが明るみに出ます。男はその風采を見て張り合いをなくすと共に、女への気持ちも冷めていったことで、別れ話へと繋がっていったというのです。

物語の終焉では、男が夫への対抗心を燃やしたことも、女への愛情を失ったことも、すべては女の企てによるものであることが明らかになります。別れ際に「男の方と云うものは、写真一枚と手紙一本とで勝手に扱うことが出来ますの。」ということばを残して立ち去る彼女は、男心の扱い方を充分にわきまえていたというわけです。

◆◆◆

論者のあらすじは読みやすく書けていますが、一般性については残念ながら、奥歯にものが挟まったような言い方になっています。
〈あるものに価値を見出す為に、その対象とは別のものに価値を見出すこともある〉という表現だと、「別のもの」が指す範囲が広すぎて、読者はその意義をうまくつかめなくなるでしょう。
ですから、もし「男が女本人を愛するつもりで実のところ女の夫こそに嫉妬心を燃やしていたにすぎなかったことが男の失敗につながったのだ」と言いたいのならば、「あるもの(対象)」と、それと繋がりを持ちながらも本質的でないものという意味で、「副次的な要素」などということばを使えば良いことになります。

ただこれでも表現が硬すぎて、この物語に寄り添う形の一般性だとは言いがたいものです。
この物語の本質は、なにも男その人のものごとの見方だけに焦点が当たっているのではなくて、物語全体を俯瞰すれば、男が女を支配しているつもりが結局は「女の手のひらで踊らされていた滑稽さ」にあるということは論者も述べているとおりなのですから、一般性でもその「かえって」の構造が滑稽さに結びついていることを示しておきたいところです。

そのことをふまえると、わたしが一般性として書くのなら、この物語は、<女を支配したい一心を逆手に取られて支配されてしまった男>を描いているのだ、とするでしょう。

ここには、自らの価値観を外部に置く人間は、その対象を押さえられると容易く足元を掬われる、という意味合いが含まれていますが、この物語に含まれている教訓的な内容は、滑稽さの次の副次的な要素であると考えるのが自然なようですから、それほど硬い表現を使わずともよいでしょう。

おなじ構造を持ったことわざは、孫子の兵法に登場する「敵を知り己を知れば百戦危うからず」にあらわれているとおりで、自己顕示欲や支配欲など、ひとつの欲望に取り付かれていたり、一定の世界観に凝り固まっているほどに、その当人の弱みを見つけることは容易いのだ、ということです。

◆◆◆

ともあれ、評論全体を見ると認識の段階では作品についての見落としがないようであり、表現の不味さはともかく論者の捕まえている作品の一般性はそれなりの妥当性を持っているようですから、一般性の導出をしたあとには、論証部に身近な例を引き合いに出したたとえを書いてほしいところです。

たとえを書くというのは、読者の作品理解を助けるだけではなく、現象から引き出した論理を、さらに現象の段階におろす、という「のぼり」「くだり」(帰納と演繹)の訓練にもなっているわけですから、それをしなければ創作の技術も磨いてゆけないということになります。

さらなる精進を期待しています。

◆◆◆

以前、また直接の指導で指摘しておいた誤字脱字は、今回はどうやら一箇所だけのようです。(致命的な箇所というのが残念ですが…)

【誤】
・最後の午後→最終の午後

また、修練が一定の段階に達しつつあるので、内容における文法上の誤りについても言及しておきます。たとえば、以下の箇所です。

・「それはまだ彼女の事を愛していた頃、ある時彼は人妻であった彼女から、「これが、わたくしの夫ですから、よく見ておおきなさい」と女の夫の写真を見ることとなります。」
→「それは〜」と書き始めたからには、名詞のかたちで終わらねばなりませんから、「〜ことです。」と締めるのが正しい表現です。

◆◆◆

ひとまずは、ケアレスミスが持っている構造を見ておきたいので、「どのようなことを念頭に置いて」注意したら、誤字を見つけられたのかをメモしておいてください。

自らの道を歩むにあたって、矛盾があるところはどんなことでもすべて、それは未解決の問題であり、解かねばならない問題なのだと考えてください。そのことを通して、失敗を含めた矛盾にこそ着目するという姿勢を培ってください。

さいごに余談ですが、文中の"Notre cœur"は、モーパッサンの長篇のタイトルで、『われらの心』として全集3巻に収録されているようですので、気になれば調べてみてください。