2011/02/25

認識における像の厚み(4):「学ぶ」とはどういうことか

◆つづき◆



わたしは無宗教だが、中身はそういった、いわば宗教的な人間であった。
中身が宗教的だったから、宗教という衣が必要なかったとも言えるかもしれない。
ともかくそうして確実な原理を探しに探して、途中には寄り道も相当してきたと思う。

たとえば、評論家である「小林秀雄」、考える人である「池田晶子」両氏の著作はすべて読んで、
彼らのなかに、どうしてこうも強い一本の筋が通っているように見えるのだろうか、と考えてきた。

一行ずつ彼らの考え方を追って、まずある言明をノートに書き写して、
そのあと、「次の行を自分の力で書けるかどうか」を必死で考えて、本文に向かい直して答え合わせをした。
繰り返していると、答えをまる覚えしてしまうことになり、これはいわばカンニングなのだから、
そういう知識的な習得をしてしまった場合には、別のところから読みなおした。

当時の私は「論理」なるものの像を明確に掴んではいなかったけれども、
こうしなければ、彼らと同じレベルにはとても上って物事を見れない、と思っていたからである。

◆◆◆

彼らはその主張が相当程度に一貫しているだけに、
そうする努力をしながら数冊の本を読みきってしまえば、のこる数十冊というものは、
テーマを一見すれば「ああきっと、この人はこう言うだろうな」との予想が立てられることになるわけである。
そうして、彼らの像が頭の中にできると、現実の世界で困難にぶち当たったときに、
「あの人がここにいたら、きっとこんなふうに考えて、こう行動するはずだ」とわかるようになってくる。
読書後の散歩などは、頭の中の彼らの像と、議論しながらの楽しいものであった。

ここまでの、第三者の表現をたんねんに調べることを通して、
その認識の過程、つまりその論理性を手繰り寄せてくることこそが、
認識の厚みを増すための、重要な修練である。
唯物論的弁証法で呼ぶところの、<観念的二重化>がそれである。


しかしこうして深く学んでくると、いつしか、解けない問題が出てくるのである。
そうしてこの考え方では世の中のことを正確に説明しきることはできないのではないか、
という疑問が、少しずつ膨らんできて、いつしか明確な問題意識となってくるのである。

これはもしかして、このやり方ではいけないのかもしれない…

そうすると、自分の解きたい問題についての答えが、そしてまたヒントすらが、
彼らの著作のどこにも見当たらない!という、厳然たる事実を突きつけられることになる。

ではどうするか。
いままでのやり方にしがみつくか、それとも新しい原理を探し求めるか。

わたしたちが先達から文化遺産を受け継ぎ、未来のためにやるべきことは、ここから始まるのである。

◆◆◆

いまでならその理由がはっきりわかるが、
彼らのものの見方を森羅万象に適応しようとしたときに無理がある理由は、
彼らの立場が、「観念論であり、しかも、形而上学的の域を出ないこと」、このことにつきる。

現実的に言い換えれば、「誰かを精神的に納得させてあげることしかできず、しかも、解けない問題があまりにも多い」、ということになる。たとえて言えば、好きなことがどうやって決まるのかが説明できない、と直接に、嫌いなことが未来永劫嫌いなままであるとしか言いようがない、などである。

こう言えるようになったのは、彼らをはじめソクラテス・プラトン、カント、ヘーゲルらの著作を通して、
その論理をつかみとり、観念論的形而上学を自分の一身に繰り返すようにみたあとで、
アリストテレス、マルクス・エンゲルス、三浦つとむら、唯物論的弁証法を命を捧げて探求してきた大先達の著作をも、
そうしてあるていどの期間をかけて読んできたからである。

そのなかで、弁証法が形而上学よりもあらゆる意味で上にある論理なのであることはたしかであることはわかった。
しかしそれでは、唯物論と観念論はどういう闘いの歴史をもってきたのか、
という問題が残るから、その問題意識をもとにして、哲学・科学の歴史の探求を始めることになっていったのである。

その経験から引き出してきた答えは、わたしのこれから生涯をかけてやりたいことにぴったりあうのは、
唯物論的弁証法、これしかない。ということだったのである。

◆◆◆

そうであるから、問題は、どれだけ沢山の本を読んだかどうかではなくて、
「どれだけ深く学んだかどうか」というだけの話である。
一言で言えば単純でありふれたこの真理に、人はどうして気づかないのであろうか。
どうして、こういった姿勢が身につかないのであろうか。
わたしは、まったく不思議で仕方がない。

もっともわたし個人の場合で言えば、これだけの期間をかけて、
学問史を探求できたのには、ひとえに、
「物事を本質的に考えるという姿勢自体が、誰からもまるで相手にされてこなかった」
という大きな理由があるのであるが。

あの失意の日々を、無下にしなかったことは、返す返すも奇跡的だと言うほかない。
ここについては、自分だけの力とは思えぬ、不思議なめぐり合わせや縁が、
あわや折れんとする自分の心を支えてきてくれたものだった。感謝の言葉もない。

◆◆◆

さて、止せばいいのに身の上話も交えてしまったので、思わぬ長い話になってしまったが、
読者の理解の一助になれば、わたしの恥も忍ばれるというものである。

わたしが「ガックリする」というのは、あらゆる本や、あらゆる人間の生き様を目の当たりにするに、
こういったような、「深く学ぶ」という姿勢がまったく見えないことである。

打ち込みをしろと言ったのに、言われたとき、見られているときにだけして満足する、
類まれな才能があったのに、儲け話に乗って駄作を書き散らかす、
自身の無知を逆手にとって、若手の研究を前例がないだのとこき下ろす、
先達の偉業をとばし読みして、「マルクスは死んだ」などとのたまう、
自他共に認める天才であったのに、万能の天才だとばかりに点々と職を変える、
嫌われるのも厭わず忠告したら、なんだかんだと理由をつけて今はやらないがあしたやるあしたやるの一点張り、
胃の痛くなる思いで強く叱ったのに、なおも同じ不誠実を見せる…
などがそれである。


結果を出さないからダメだというのは、物心ついてから、絶対に言ってはいけない言葉として胸のうちにある。
まともなことをして正当な結果が出るというのは、常識的には考えも及ばないほどに、苦難の道をその過程に含むものである。
同じく、あの学生は才能がないからダメだなどというのは、「教育」者語るに落ちたというところで、文字通り論外である。


ダメなのは現時点の結果や才能ではなく、姿勢なのだ。

第三者の指摘や、自らの気づきのなかに、正しいものが含まれていると気づきながら、
なおのことそれらに目を背け、あまつさえそれに難癖をつけて真正面から受け止めない、その曲がりきった根性である。

そういうものを見たときの感想を要して、「ガックリする」。

◆◆◆

彼らはみな、素材に問題があったわけではない。
みな、ひとりの人間として立って歩けて、冗談が言えて、美味しいご飯が食べられる、いたって健康な人たちである。

そこからはじめて、人間としての誇りにかけて、
自分が生きた意味を人類の歴史に刻もう、
報われない教育を受けてきた後進のために自分だけは正しい教育しよう、
命をかけて、万人の礎となろう。

分水嶺があるとするなら、まさにここだけの話なのである。

いつ何刻そのことに気づくかということは、運もある程度左右するから自分で選べないとしても、
気づいたときには我が身を振り返って反省して、
ではいまから始めよう、
そう、思えるかどうかだけである。

誰でもできることなのだ。思い立ちさえすれば。

そこを、才能がなかっただの、世の中が悪いだの、自分の才能を認めない奴らが悪いだのと、
ありったけの言い訳を考えて、現在の自分をうまく説明するのである。
同じ努力ならば、向きを変えるだけで、全く違った世界が見えてくるというものなのに。


黒いカラスしか見たことがないから、白いカラスがいないという可能性を捨てきれないのは、
単なる未練がましさの表れであろうか、報われない楽観主義であろうか。

どちらにせよわたしは、
才能はともかく今日からは、
と奮い立つ後進のためにしか、生きようとは思えないのです。

2011/02/24

本日の革細工

これ、なんでしょう?



左が完成品、右の棒と革が素材です。
なにかをするためのものです。

◆◆◆

ヒント:
これまではスティック糊の容器や、
傘の柄でやっていたことを、これでやります。

◆◆◆

わたしがある道場に入ったときに、その道40年の大先輩から言われたことがあった。
「お前、これから雨の日は、傘を全力で握れ。」

わたしはこれを聞いたとき、とても感動して、
これはある種の極意をいただいたのだと、それはそれは忠実に守ってきたものである。

なるほど、
その道を目指すというのは、
行住坐臥、自分がその道を目指す者であるということを
常に意識しながら生きねばならないのだ。
これはたいへんに良い教訓をいただいた、目を覚まされた、
この方に入門すぐに出会えてよかった、
武道に限らず我が道についても極意であると、心からそう思ったのである。

◆◆◆

しかし、ほんとうに学ぶ者というのは、「人の背中を見て学ぶ」人間であるとも言う。

誰かから教わることを、
口をあんぐり開けて待ち構えるのではなくして、
誰も何も言ってくれなくても、その人の姿勢を通して、技を学ぶ。
その人の振る舞いを通して、生き方を学ぶ。

ボーイスカウトに参加する子どもは、
ロープを1本手渡されたら、
枯れ木を拾って友達のロープと合わせ、ブランコをつくるものである。
囚人は、壁の染みに神をみつけるものである。
では、お前は何をするのだ?

そうすると、こんなにありがたいアドバイスをいただけたのなら、
このやり方をもっと進めたり、このやり方がどういう構造を持っているかを調べたり、
刀を振り回すことが日常だった昔の侍と同じだけの修練を現代社会でどう再現すれば力劣らずにすむかというところまで、突っ込んで考えてゆかねばならない。
そうすることが、先達から受け継いだ道を守る、ということにもなるわけである。

◆◆◆

さてそれでは、雨の日は傘を全力で握ればよい。
横断歩道で信号待ちをしているときは、脚を全力で踏ん張ればよい。
しかし、晴れの日はどうすれば良いか?

その答えが、これである。


本来なら、木刀を担いで毎日過ごせれば良いのだけれど、
現代社会というのは自由自由と言いながら、
なかなかどうして、生きづらいものです。

認識における像の厚み(3):なぜ弁証法的唯物論なのか

◆つづき◆



さてここからはやや脱線して、「なぜに弁証法的唯物論か」ということをご説明しておきたい。
土台について信頼がなければ、それに取り組む心も揺らごうというものであるから。


◆◆◆

さて次の図を読む前に、どうしてもことわっておかねばならないことがある。

このブログでは、意図的にあちこちで表現を変えたり、
わたしがなにも見ずに書きまくっているために表現が統一されていなかったりしている。
だが、それにはいちおうの理由がある、ということだ。
その理由はといえば、一言で言えば、「丸覚え」されては困る!、つまり知識的だけに受け止めて、論理的に論理の光を照らして読んでもらえないのなら、百害あって一利なしという思いがあるのである。

ほんとうにここは、重ね重ね、お願いしておきたい。

ここまでわかってもらえれば、次の図を見て、簡単に整理しておいてほしい。
重ねていうが、こんなものをまる覚えしても、中身が理解出来ていなければなんの意味もない。

図)学問における論理性・世界観
(ここでは、「論理性」に焦点を置いて図示している。
「唯物論的弁証法」と、「弁証法的唯物論」は意味が違うので注意。
知りたければ質問してください)


というわけで、これまでも、今後もあまり整理や図示をしすぎない方向で進めたい。
頭が整理できなければ、自分で図示をしてもらいたい。そうすれば力がつくものなので。

◆◆◆

閑話休題。
まず物質を主体とする唯物論に対して、観念論は、精神を主体において森羅万象を見ようとする、学問における世界観である。

いわゆる「哲学的」な見方と思ってもらえればそれでかまわないが、
常識で言うところの、精神主義や気合論、人生論などとは全く違うので、
あくまでも学問の世界での重みがあるのだと思っていただきたい。

さてそうすると、物の見方が、なぜに観念論ではいけないか。

これは、観念論がまず「精神がある」というところから理論を作ろうとするから、
それを実際に適用する段階では、宗教的な訓示、という形で表現されることになることに由来する。

しかしこのやり方の最大の問題点は、ほとんどの場合が「精神にしか働きかけられない」ということである。
大病になったときに、手の尽くしようがなく祈祷にすがるしかなかった昔ならまだしも、
現代における治療の現場で、満足に治療もせずに、傍らでお祈りばかり繰り返していたら、
これは立派な医療事故になってしまうわけである。

本質論から言えば、この考え方の限界は、「観念論では、森羅万象のうち精神しか捉えられない」ことである。
これにたいして唯物論は、森羅万象を、まずは物質ありきとしてとらえようとする。
「精神」も、物質的にとらえるのである。

実のところ、学問の出発時には、観念論でも唯物論でも、どちらを選んでもよい。
わたしの場合は、学生たちに心身ともに働きかけることのできる理論をということで、唯物論を選んだわけである。

◆◆◆

次に、ここがなぜに形而上学であってはダメなのか。

それは、森羅万象にその考え方を適用してみればすぐにわかるとおり、早々に限界をむかえるからである。
弁証法に対する形而上学とは、現代でいう形式論理をイメージされるとよい。
一般の方もご存知かもしれない、「ソクラテスは死ぬ」という命題の証明で有名なものである。
曰く、人間は必ず死ぬ、ソクラテスは人間である、との前提から、その結論が導かれるというのである。

これは、アリストテレスが講義した論理学を曲解および矮小化したものであるが、
このような形式だけでは、森羅万象どころか運動する物事をまるでとらえることができない。

いわゆる、論理をこういった形でしか捉えられないとすると、
森羅万象は数学に置き換えられるとの幻想を抱きかねないものだし、
また逆に、形式論理の欠点を一般化してしまい、「結局論理では森羅万象を理解出来ない」などと、
経験や実践一点張りになってしまうことにもなる。

一言で言えば、形而上学の欠点は、本質論から言えば、「森羅万象を固定化したものとしてしか捉えられていない」ということにある。
形而上学的な物の考え方は、ある選択を決心するという一瞬の意思決定には十分役に立つが、長期的な感情の揺れ動きはとらえることができない。
これにたいして、弁証法は、森羅万象は常に揺れ動くものとして、その運動形態をとらえようとする。

◆◆◆

ここまでの簡単な説明だとまだ納得がゆかない、という方には、面と向かって口頭で、
ということになるが、お断りしておきたいのは、わたしの学問の道の選び方は、
なにも「恩師が唯物論者だったから」だとか、「一番流行りだから」などという安易な理由では決してない。

むしろ、人間の社会では、観念論的な意味付けが往々にしてまかり通っているのであって、
科学者でさえも観念論を捨てきれない人間がほとんどなのだから、
これは、ある種の揺るがせない原理を探しに探したことのある人間でなければ、
思いもつかないほどの立場であると言ってよい。
なにしろ、現実の客観的事実から論理を手繰り寄せ、それを理論へと体系化してゆかねばならない唯物論に比べて、
現実に向き合わずとも論理的に階段を数段飛ばしできる観念論のほうが、はるかに易しい道なのだから。

この立場の選択とて、学問が原理から論じ始めなければ意味を成さないものだけに、
ここが崩れれば学者としての人生そのものがまるごと無駄になるだけに、相当な逡巡があったものである。

◆◆◆

しかしなぜ、こんな原則論の吟味ほどではないにしろ、
世の中のほとんどの人は、まともに歴史を受け継ごうという意欲に欠けるのだろうか。
そしてまた、歴史を作ってゆこうという意識もまるでないのだろうか。

わたしは「なぜ」と言ったが、これは「なぜだかわからない」ということではなくて、
「当人の意思しだいではいくらでもやりようがあるしやれるというのに、どうしてはじめないのだろう」という、
当人の姿勢に対する問いかけである。

たとえば、わたしは今でこそ唯物論、弁証法という見方で、
すべての出来事についてある一本の筋を通しながら見ることができるようになってきつつあるが、
「世の中の見方に一本の軸を通すには、どのような見方がいいのだろうか」という問題意識を、
物心ついてからずっと持ってきたものである。

なぜかといえば、物事の確実な見方がないのに、大人になれるわけがないと思っていたからである。
定見がなくてもハタチをすぎれば勝手にオトナになるさ、という諦めは、どうしてもできなかった。
サルなみの生涯ならまだしも、わたしは人間である。
人間としての誇りにかけて、それは探し当てねばならなかった。

(つづく)

2011/02/23

認識における像の厚み(2):弁証法の学び方

◆つづき◆



これはわたしの体験であるが、高校生の時にこんなことがあった。

あるとき、隣の席の友人に頼まれたことがある。
曰く、昨日はサッカーの試合を見ていて勉強ができなかったので、答えを見せてほしい。
カンニングの依頼である。
わたしはそれはお前のせいだろう、という思いもあったが、
まあ同輩であるし、結局は自分のためにならないのだからわたしの責任ではあるまい、という判断をしたのである。

ところが、教師とは学生が思っているよりもはるかに、物事を見る目があるものであり、
わたしの謀は自ずと知れることになった。

わたしは当時、実のところそれほど勉強はしなかったものの、
なにしろ人生の先達が授業を通して伝えてくださる後進への思いだけは、
一言一句聞き逃すまいという一心だけはあり、それは楽しく授業に臨んでいたものである。

そうであるから、先生からの評価もそれなりのものがあったと言ってよいだろう。
成績はといえば学年で4位ほどであったらしい(あとから聞いた話だが)。
ところが、そんな学生が、である。


このときは、普段手を出さない先生が、無言でわたしの頭を何十発も殴ったものである。
わたしは驚きのあまり、なにがなんだかわからないまま頭を垂れて殴られているうちに、
先生が無言であったことが余計にそうさせたのか、
どういうわけか掌からその先生の思いが伝わってくるような気がしてきて、
「ああ、なんという失礼なことを、なんというくだらないことで信頼を裏切ってしまったのだろう…」
という深い後悔の念がどんどん胸の中で膨らんで、惨めで馬鹿らしいのに泣くに泣けぬという、なんともいえぬ思いをした。

周囲は、その光景が、普段のわたしと先生の振る舞いからはまったく想像もできないものであったために、
一体全体どうしたのだ、と呆気にとられて掛ける言葉もない、といった様子であったと思う。

数年経ったあと、先生の思いと自分の馬鹿さ加減をよく理解でき、これからの人生に生かすべく決意したときに、
最大限の感謝の意を手紙でしたためたものであるが、今から思えば、わたしがあのとき、
「成績がとれているんだから人に見せたって構わないだろう、あれほど殴られて恥を受けた恨みを忘れまい」
などと思うような意味でのバカに育っていなかったことを、周囲に感謝したい思いでいっぱいである。

当時のことは、まさに「昨日のことのように」ありありと、目頭が熱くなって思い浮かべられるから、
自分の頭の片隅に、「ズルイことをして近道したほうがいいのではないか」、
「手を抜いたほうが理解されやすいし金になるではないか」、
「後進をほったらかしても自分が上に上がれるならいいではないか」、
などと、倫理的に劣る雑念が少しでも頭を掠めた時に、それを振り切ってくれる大きな思い出となっている。

◆◆◆

わたしの思い出話はこれくらいにして、
「無言で殴られた」という出来事ひとつとっても受け止め方は天と地ほどの差があるわけだから、
大体の場合には「認識の仕方が厚い」ということのほうが、
当人の本質的な発展が望めるであろう、というところまではおわかりいただけたと思う。
しかし、これがいざ認識を厚く作るにはどうすればよいか、という段になると、
まるでお手上げという場合が多いのではないだろうか。

なにしろここは、当人がわからないことをわかれ、と言っているようなものだからである。

これにはまずもって、
「お前にはまだ、わかっていないことがあるのだ。お前はそのことすら、気づいてはいないのだ」
ということを、身にしみて納得してもらうしかなく、
ここには、受け取り手の限界より少し上のことを指し示すための、ある種のしごきが必要となってくる。
そのことを通して、「お前はがんばったと言うが、まだまだそんなものでは足りないのだ」と、身体を通して教えるわけである。

ところがここにはまだ、ひとつの陥穽が大口を開けて待ち構えているのである。
それは、「自分にはわからないことがある」ということを、「知識的に」受け取ってしまう場合である。
もし受け取り手が生真面目な場合は、それが災いして、ただがむしゃらにあらゆる本を読みあさり、
あらゆる経験をすれば成長が望めるものと思い込んでしまうわけである。
しかし、これでは、本質的な成長につながらず、頭打ちになってしまうのだ。

であるから、「自分にはわからないことがある」ということを、
「お前には知識そのものというよりも、まずもって物を見る目がないのだ」
とわからせてやらなければならない。

◆◆◆

わたしのところでは、唯物論的な弁証法でもって、認識の像を厚くする指導をしているので、
初心においては、弁証法の三法則である、<相互浸透>、<量質転化>、<否定の否定>という法則を、
現実の身の回りの出来事に当てはめて考えることを通して、認識の像の作り方を整え、また深いものにすることを要求される。
わたしがいつも「論理、論理」とくどくど述べているのは、この「唯物論的弁証法」のことである。

ところが、ここでは、指導される側にこそ、大いなる困難が待ち受けている。
というのは、この修練が非情な忍耐を要求するからである。

とくに、受験勉強で知識ばかりを詰め込んできた人間にとっては、
考え方そのものを変えろなどというのは、いままでの人生は無駄なので全部捨てろと言われているようなものなのだから、
すこしがんばっても効果が現れないことを知ると、
「論理だかなんだかしらんが、知識的に解決できる問題を、なぜにそんなものが必要なのだ、
証拠に見ろ、今のままでも答えを出せてこんなに点数も取れるのだから、結果がすべてを証明しているではないか」
とばかりに、過程を踏み落としがちになってしまうのである。

しかしこれでは、古いものをすべて「記憶」できたとしても、
いざ自分が時代の最先端にたどり着いたかと思ったときに、すでに崩壊をはじめてしまうのである。
なぜなら、彼の功績というのは、先達の口を借りているにすぎなかったものだったのだから、
肝心の参考にする先達の背中が見当たらなくなった場所においては、なんらの力も発揮できない頭になっているのである。
古典の粗探しをして誤字脱字を指摘することが、文化の発展であると信じて止まない方はそれでいのかもしれないが、
自ら古典となるべく文化をつくりあげてゆこうとするときには、こんな姿勢ではいけないことになる。
こう言ってはなんだが、後進がこんな体たらくでは、参考にされた先達もやすらかに眠れまいと思うのだが。

ともあれ、三法則に従って日常生活を見るということの、砂を噛むような味気なさ!
これは、修練を途中で断念する理由には事欠かない精神的なきつさがある。

なにしろ、「ウチのおやじとおふくろの口癖が似ているのは、<相互浸透>というものか」や、
「筋肉トレーニングを一日サボったら衰えが実感できるのは<量質転化>なのか」や、
「ダムで作られた電力が我が家にも届けられるのは、<否定の否定>というものか」
などという気づきは、誰かに話して褒めてもらえるだけの成果が、それ単体としては出ないのだから。

褒められなければやらない、褒めてくれる人間が近くにいないとやる気にならない、
そういった種類の人間は、ここで早々と弁証法を投げ捨てることになる。

◆◆◆

弁証法的な発展段階をとおって認識の土台を作り、それと同時に精神面を高めてゆかねばならないところを、
肝心の精神面の不足という前提条件が災いとなって、それを伸ばしてゆくツールをも捨てることになるわけである。
つまらないたとえだが、体力トレーニングのために健康器具を買ったのに、使い方が難しくて諦めた、といったところだろうか。

しかしどうしても、これ以上は簡単に身につかないのである。
なぜかといえば、弁証法とは人類が歴史的に創り上げてきた最高の論理に与えられた名なのだから、
それが論理であり、つまり眼に見えないものであるがゆえに、
弁証法を弁証法そのものをとおして学ぶことはできず、
実体を媒介としてしか学ぶことができないのである。
絵画論を本で読んでも、肝心の絵を見る目も絵を描く能力も養われないのと同じである。

つまり、弁証法の三法則をモゴモゴと念仏のように唱えていたとしても、
まるで使えないどころか、一般人にすらキチガイ扱いされるという、
言われてみれば当たり前の事実を突きつけられることになる。

このことは、弁証法的に物事を考えられるようになった人間なら、当たり前の事実なのであるが、
それがまだ身についていない人間に、その気づきを要求することは無理である。

◆◆◆

ここを例えるなら、弁証法を教わったということを、
なんでも斬れる妖刀を師範から授かった、
などと形而上学的に同一視してしまう人間は、どうしてもダメになってゆくのである。

なぜなら、弁証法というものは実のところ、刀の設計図でしかないからである。
その設計図に基づいて、鉄を練り、槌で形を整え、自ら汲んできた水で刀らしく仕上げたあと、
とんでもない駄作に仕上がったことを恥じて、鉄を溶かしなおす、
という過程を何回も何回も繰り返しながら、ようやく刀らしい見た目になってきたなと、
その像を確かならしめてゆかねばならないことだからである。

それと並行して、自分で作った刀で実際に斬ってみて、
刀はそれなりだが自分に技がない、技が刀に追いついていない、
という相互浸透と量質転化の過程をくり返しくり返し持ってこそ、
まともな刀と使い手として育ってゆくわけである。

ここを、最強の刀をもらったから最高の剣士である、と短絡させては、
「こんなものはとても斬れぬ」ということで、刀を捨てることになる。
楽譜をコピーしたから練習しなくても音楽家になれるというバカはいないはずだが、
論理の修練の必要性については、残念ながらバカのほうが多いようである。

いちおうことわっておけば、ここが難しいと言うのは、
なにも「難しいからできなくてもよい」といっているのでは決してない。
ここまで言っても基礎を疎かにする者は、
どちらにせよそれなりの結果しか待っていないので、わたしの感知するところではない。

(つづく)

芸術家のもつ悩みとはどういうものか

 お題はこんな風ですが、一般的な問題解決過程としても読むことができます。

 一般の読者のみなさんには、ある問題を解決するときには、
どうしても「論理」の力を借りねばならないことがわかってもらえればさいわいです。

◆◆◆

 以下は、以前のエントリー「自作を語るー太宰治」のコメントにおいて、
満足に読解できなかったことの反省文を書いてもらったものです。

 私はこの作品を読んだ時、最初〈作品の中で、著者は自身の主張は全て述べており、その中以外で自分の主張を述べることに嫌悪感を感じている〉というものが、作品の命題だと考えていました。しかしコメント者の指摘を読み、〈作品を自ら説明することは、作家にとって敗北である〉ということが書かれていることが分かりました。
私はここから自身が作品の表面的な理解しか出来ておらず、著者の心情を我が身に繰り返すことも出来ていないことを知りました。 ですが、何故自分が著者の心情を自分の中に持つことが出来なかったのか、今でもはっきりとは分かりません。
ですので私が思いつく最大の解決策は、やはりいつもコメント者が指摘しているように自身の創作における苦悩と著者のそれを重ねて、我が身に繰り返すように読むしかないと考えています。

◆◆◆

 わたしが、「背伸びせずに、自分の率直な感想を、自分の言葉で反省を述べてください」
と注文をつけておいたので、自分なりに真剣に考えて、書いてくれたようです。
結局のところ、失敗の原因というものは自分では特定できていませんが、これでよいのです。
自分の失敗を妙な理屈で塗り固めた挙句、実のところまるで反省せずに終わってしまうよりも、
長い時間しっかり考えて、それでも、どうしてもわからない!という感想を述べることのほうが、失敗を次に繋げるためには必要なことです。

 論者が「著者の心情を我が身に繰り返すこと」と言っているのは、
唯物論的弁証法で言うところの、<観念的二重化>というもので、
簡単にいえば、ある筆者の著作を読み込んだり、ある人との付き合いが長くなったときに、
「あの人ならこのときこう言うだろうな」と、自分のアタマの中で、その人の像が作られていることを言います。

 論者は、一般的に言って、論理的な修練が足りないために、この<観念的二重化>が安定していません。
基本的に、自分の実力(とくに論理の)をはるかに上回る人物の像は、認識の中に持てない、というのがその理由です。
(『弁証法はどういう科学か』の、オハジキ遊びの達者な子供のことを思い出してください。p.247~)

 ですから、特殊的に言えば、今回のような、「芸術家がどんなことを考えているか、どんなことに悩んでいるか」も読み取れないのも当然ということになります。
それができるためにはどうすればよいかは、今週掲載予定の「認識における像の厚み(1)~(4)」にも手がかりがありますので、学んでください。少なくとも修練のやり方がまだまだ浅いのだということは、驚きと共に明らかになるはずです。

◆◆◆

 以下に、わたしが本文において、キーワードとみなした箇所に下線をひいたものを載せておきますので、自分の理解と照らし合わせて答え合わせをしてください。

 ※必ず、自分で判断したキーワードに下線を引いた後に、わたしの解答を見るようにしてください。答えを先に確認してはいけません。


 実のところ、ある文章について、
「ある箇所を重要だと判断できる」ことや、
「ある箇所をキーワードをみなせる」こと自体が、
それなりの経験と、それなりの論理性を必要とされることなのです。

 また、紙にプリントしてキーワードに線を引き、そののちにそのキーワードに共通することがらを一般性とみたてて評論し始めることを、毎回の評論で必ず行うようにしてください。
この修練なくして、絶対に論理力はつきません。

◆◆◆

 さて、一般の読者のみなさん、お待たせしました。ここからが一般的な議論になりますが、少なくとも論者の場合は、同じテーマの作品が出てきたときに毎回詰まってしまうようなのです。

 文学の道を望んでいるにもかかわらず、先達の通ってきた道がわからぬとは何事か、と厳しく指摘してきたのですが、数を重ねるうちに、
もしかすると、こういうことへの理解が不足していることは、わたしが思っているよりずっと一般的なのかもしれない。
そう思ったので、一般の読者さん向けに書いておくことにしたのでした。


 さて、論者が詰まるのはどういうテーマかというと、「芸術家独特の悩み」を扱ったものです。

 ある作家が創作活動をするときには、自分の思い描いているものを書こうと、あれでもない、これでもないと思い悩みます。
思い悩むということは、自分の中にある問題意識に当てはまる答えや、それを導きだす手がかりが身の回りで見つからないから、そうなってしまうわけです。
そうすると、探しているもののレベルが高いほど、悩みの深さも深いものになってきます。
彼らは、一般的な人が何気なく通りすぎて気にも留めないようなことについても、微に入り細を穿ち探求してしまうために、どうしてもあちこちで立ち止まらざるを得ないのです。

◆◆◆

 たとえば太宰治の場合を見てみましょう。
彼の悩みが現れている作品について、彼の内面を要約しておきます。
(リンクは青空文庫の全文です。論者は本文も読みなおし、先ほど述べた、キーワード→一般性の手順を使い、以下のように要約ができるまで修練を怠らないでください)


 芸術というと、社会的には劣って見られがちな仕事ではあるが、私は痴(こけ)の一念で、それを究明しようと思っているのである。しかるにそういう観点から物事を見ればこそ、世の中には偽物の、空虚な表現が出回っている。見てもみよ、たとえば兵隊が戦地で書く作品もが、そういう害毒に犯されて、彼らの「ものを見る眼」を破壊させているではないか。ところが、そういうことを目の当たりにして、自分はそうなるまいと意識すればするほどに、私は絶句するのだ。ものを書くことを生業にしながら、何も書けない、つまり、唖(おし)の鴎(かもめ)にならざるを得ないのである。

 一人でも一流の道を歩こうと心に誓い、歩んできた。ところがそう構えれば構えるほど、自分の言いたいことが言えない、その姿だけがくっきりと明らかになるだけで、少しも筆が進まない。私は、言うべきこと、ただそれだけをきっちりと書いて、それ以外のことについては一切言いたくないのである。そうしてできれば、流石、と読者に膝を打たせる作品を書きたいのだが、そのことに思い悩んでいるうちに、自分のしたいことが何なのか、さっぱりわからなくなってきた。

◆◆◆

 加えて言えば、太宰治『自作を語る』で展開されている主張も、後者にほぼすべて含まれていますし、『散華』、『正直ノオト』、『一日の労苦』などでも、作家としての生き方についての言及があります。

 太宰はこれらの作品で、いわば<作家としての矜持>を述べているのであって、太宰には、作家としての誇りにかけて、世に多くある、食うためだけに筆をふるっている作家とは一線を画する仕事をしなければ、という気概があるのです。しかしそうだからこそ、自分の仕事に厳しい制限を課さねばならず、かえってなにも書けなくなるというジレンマに陥っているわけです。

 こう説明すると、「それはそういうものか」、と思っていただけるとは思うのですが、同じ悩みを、常日頃の実感として持っている方は、案外少ないのかもしれません。わたしなんかは、人付き合いに関する軋轢からは距離をおいておける立場なので、対人関係の悩みよりも、こちらのほうがずっと身近で、ずっと重いものです。
しかし逆に、もし表現したいことがうまく表せないというジレンマがなくて、はじめから考えるままにモノづくりが出来ているのなら、成長の喜びも、次回への原動力も生まれようがないはずですが。こんな場合がありうるとするなら、それはむしろ、自分の現在の実力でも手の届くところに、目標を引き下げてしまっているのでしょう。


 良いものを書こうとして、かえって書けなくなる。
これは一般には「産みの苦しみ」、その裏返しの「愉しみ」、といった呼ばれ方で表現されるもので、創造的な活動をしておられる方ならば、誰しもお持ちの実感ではないかとも思うのですが、そうではないという実例を間近で見ているわけですから、すこし立ち入って論じておく必要がありそうです。

◆◆◆

 さて太宰は、上に挙げた作品のうち『鴎』の中で、路のまんなかの「水たまり」を、こう論じています。

 「水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠りどころが在る。この水たまりを忘れずに置こう。」

 なぜ「水たまり」が、彼にとって「私の芸術の拠りどころ」なのかといえば、こういう理由でしょう。

 創作活動には、自分の力の及ばぬどうしようもない部分だってあるのだ。そうすると、やるべき努力を成したならば、あとはそれが自然に熟成されるまで、「待つ」という態度で臨むしかないわけである。(余談ですが、「水たまり」を「待つ」という態度の表れである、と読み解いたのは、論者・ノブくんの指摘です。わたしは気づきませんでした)

 そういう問題意識を常に持てていると、それが積み重なって創作活動を一旦中断し、外に散歩にでかけたりしたときにでも、まったく違ったきっかけから、探しているものを見つけ出すことができることがあります。

◆◆◆

 世界にも、同じような話が伝わっています。
古代ギリシャの科学者、アルキメデスが王様からの要望に応えようとした話を見てみましょう。


 アルキメデスはあるとき王様から、ふたつの王冠を差し出され、「このうちのどちらかがニセモノのようなのだ。それがどちらなのかを当ててほしい」、そう言われたのでした。しかしそこには、ひとつ条件が。「ただし傷つけずにだ」、というのがそれです。そうすると、削って調べるわけにも、溶かしてみるわけにもいかない。彼は悩みました。見た目ではどうもまったく差のないこの2つの王冠を、どうやって調べればいいのか。その方法がどうしてもわからずに、三日三晩悩んだのです。
ところが、転機は思わぬ時にやってきました。とうとうその方法を思いつかないままの失意を抱えて風呂に入ったとき、彼はある違和感を覚えました。なみなみと注がれた浴槽に入ると、自分が入ったぶんの湯が流れだしている…待てよ、「そうか、わかったぞ(ヘウレーカ)!」。溢れ出す水を見て、彼はついに探していたものを見つけたのでした。


 これはのちに作られた伝承ですから、彼はこのままの体験をしたわけではないのですが、「なるほど、これはありそうだな」という実感としては多くの人が理解できるのではないでしょうか。

 ここで大事なのは、「風呂の水が溢れ出す」という現象は、誰しもが経験していることです。そして、彼にあっても、その経験は十分に周知のものだったはずだということです。
それでも彼が、このときに限って問題を解く鍵を探し当てられたのは、いったいなぜだったのでしょうか。
 彼は、常々王冠を調べる方法はなにかないものか、と考え続けていましたから、その強い思いが問題意識としてはたらき、彼を助けたのだ、というのがその理由です。そういう目的的なものの見方があって始めて、彼をその解法に導いたわけです。

◆◆◆

 これをわかりやすいように身近な例でたとえば、二人の旅行客が同じ海外旅行に行った場合にでも、片方はブランド物のバッグほしさに免税店に入り浸ったのに対して、相方は現地で友人を作り、バーを飲み歩いていることだってあるでしょう。またこの違いは、より小さな範囲で同じ行動をとったときにでも言えることです。たとえば、同じ演説を聴いたときにでも、ある人がはじめて人生の意味に気づいたと涙を流す横で、友人はあくびをしていることだってあるわけです。

 そうすると、こういったときに重要なのは、「なにを経験したか」ということだけではなくて、「それをどう受け取ったか」、つまり「どういう問題意識を持って臨んだか」ということになりますね。

◆◆◆

 アルキメデスの「ヘウレーカ」を例にとって言えば、彼は、「風呂の水が溢れ出す」という現象を一般化して、「物質の性質によって密度が違ってくる」といった論理として取り出せたために、探していた答えに当てはめることができたのでした。
もし彼が、「風呂の水が溢れ出す」を現象そのままとしてしか認識し得なかったとしたら、「ニセモノの王冠を探す」という目的と関連付けて考えることなど、できるはずもなかったわけです。



 ここまで論じたことを、論理の光を当てて整理しておきましょう。

 まずはじめに、あることを実現しようという目的を持った人間がいます。
彼や彼女は、その問題意識を持って物事(自分自身の内面が対象化されている場合もあります)に向き合います。
そうして、ある物事に向きあたったときに、「おやっ?」という違和感を覚えるのです。
そこでの物事というのは、日頃培われてきた論理力をとおしてふるいにかけられたのちに、違和感として感じられ、そうして受け取られた感性的な認識が、また持ち前の論理力によって整理されてゆきます。
そこで理性的な認識として意識されるようになってくると、はじめて当初の目的への解法、過程が、「そうか、わかったぞ!」と、明確な像として意識されるわけです。

◆◆◆

 「~とはなんだろう、どうすればいいのだろう」という目的を持った人間の、「おやっ?」から「そうか!」への筋道は、こういう過程があるのですが、それが作家などの芸術家の場合には、この問題意識というものが、非常に長い間、また一生解消されない場合もあるのです。
本人の目指している目標が高ければ高いほどに、それは実現しがたいものとなりますから、その焦りというものも、目標と同じレベルにまで高められてしまいます。

 なにか手がかりはないかと探し始めたとき、同じ問題意識を持って物事に取り組んできた先達がいる場合ならまだしも、まったくなにもないようなところから、独力で道を作ってゆかねばならないこともあるわけです。
そのときの心情というものは、「作家」という存在のある両面、
「なんらかの作品を発表することをもって作家とする」という側面と、
「一流の作品を発表すべきである」という倫理的な側面の板挟みになって悩んでいるのです。
いわば、進むも地獄、退くも地獄、といったものです。


 ここを、太宰の読者をはじめとした一般的な人間の見方でいえば、たしかに一流であるべきであろうが、作品を発表しないことには作家とは呼べないではないか、といったところかもしれません。
彼らは、作家が持つ創作過程を知りません。
ですから当然に、そこでの筆者の思い悩みというものも、見ることはありません。
そしてさらに、「一流」ということばは同じでも、そのことばの受け止め方が違うわけです。
太宰が、自ら駄作として投げ捨てた原稿の中にも、一般的な読者を十分に満足させるものはあったはずですから。
それでも太宰は、彼の中の「一流であるかどうか」という価値観に照らして、その作品の成否をより分けていたのです。

◆◆◆

 このように、おおよそ一流を目指す人間というものは、その志ゆえに、目の前にある対象というものが、「あれでもない、これでもない」としか認識されないのです。しかし他方では、より低いレベルで目標を考えている人間からは、「あれもこれも、十分に一流と呼べるものではないか。あれやこれから学ばずに我が道を行くというのは、外道か、そうでなくては狂人であろう」という謗りを受けることになるのです。

 太宰の場合には、一流のものを求めている間には、他のことがまったく手に付かなくなるという気質も相まって、その気苦労というのは、常人には計り知れぬものがあったと思ってもよいでしょう。

 「誰もそれを認めてくれなくても、自分ひとりでは、一流の道を歩こうと努めているわけである。だから毎日、要らない苦労を、たいへんしなければならぬわけである。自分でも、ばかばかしいと思うことがある。ひとりで赤面していることもある。」(『作家の像』)

 彼の場合は、一般的な人間の物を見る眼の立場に立てましたから、彼らの観点からすれば、自分が「要らない苦労」をしていることは重々周知であったのです。しかしそれでも、「一流の道」を歩むためにはどうしても必要なことを、やろうとしているのです。

◆◆◆

 ここまで論じてくれば、「論者が、なぜ作家の苦悩を読み取ることが出来ないか」、という問題について、ある一定の結論を出してもよさそうです。

 たしかに論者は、文学作品の創作過程はあるていど持っていますし、
また「一流の作品を作りたい」という志がないではないのですが、
それでも、「一流」ということばの重みが全く違っていることが、残る問題なのです。

 そうすると、これから太宰作品を読むときに、どういった問題意識をもって取り組めばよいのかわかってきたはずです。それは、「太宰の言う『一流』とは、どういうものか」、というものです。それは当然に、一般的な意味での「一流」などではなくして、太宰流の「一流」像ではなくてはなりません。

 2/25(金)に連載予定の「認識における像の厚み(4):「学ぶ」とはどういうことか」も参考にしながら、「先達から学ぶ」、「深く学ぶ」ということを、しっかりと捉え直してください。そうすると、なぜ自分のこれまでの認識が薄いものにとどまっていたのかの手がかりも、同時に明らかになってくるはずです。

2011/02/22

認識における像の厚み(1):認識の厚み

ガックリくる、という言葉がある。



みなさんは、この感想を、どういう場面で味わうものなのだろうか。
「絶望する」、「失望する」ほどまでは酷いものではないけれど、
「信じたかったけど、やっぱりダメだったか」といった意味合いのことばだろうか。
以前からあるていどの関心を持っていた事柄について、いざ実際に見たり聞いたりしたときに、
悪い予想が当たって「あ〜あ」と思って肩を落とし、溜息をつきたくなるような、やるせない感情である。


わたしがこの感想を持つときは、ある人のつくる作品や振る舞いなど、表現そのものではなくて、
ズルさや不誠実、やる気の無さといったような思想性、簡単にいえば「姿勢」にたいしてがほとんどだ。

姿勢について問題を抱えている人の中には、
上司が自分の言ったことを、同じ意味の深さを持って受け止めてくれないだとか、
逆に、恋人に振られたあとで、物事の受け止め方が薄かったことに気付かされた、などという人がいるだろう。


姿勢、と一口に言っても、相手に悪意がある場合はまだしも、
認識における像の受け止め方に問題がある場合は、
互いに「このわからずや」と喧嘩別れしてしまう可能性が高いだけに、
より根本的な問題である。
言い換えるなら、同じ言葉を使って話をしており、さらに合意が取れているつもりなのに、
発した側の意図するところと、受け取り手の意図するところが違っている場合がそれである。


はじめにおさえておいてほしいのは、わたしがここの記事でたまに書くように、
人間がもつ認識というものは、「像」として成立している、ということだ。
認識の中の「像」は、経験をとおして折り重なることでその厚みを増してゆき、確かなものとなってゆく。

ここに、反復練習の効用があるのであって、基礎というものの大事性、
飛び級をしては大成しないという必然性があるのであるが、
今回お話しするのは、その大元の、像を厚く受け止めるか薄くで済ませてしまうかという、
認識の中の「像の受け取り方の能力」というものである。

◆◆◆

わたしたちは日常生活の上で、ほぼすべてのコミュニケーションを「ことば」に頼っている。
これが座学ならまだしも、高度な知的経験を継承する場合や、
身体運用を指導するときなどには、難しい問題となって現象する。

「もっと足を前に出せ!」や、「目付をしっかりしろ!」などはまだいいが、
「もっと頑張れ!」や、「論理的に考えろ!」などに至るに付け、これは大問題となる。

これらが問題となる理由には二義があり、
一つに、指し示したい事柄の言語化が難しい場合。
二つに、「頑張れ」や「論理的に」という概念のあいまいさの問題である。

前者は、おもにアドバイスする側の論理能力や表現能力に問題があるわけだから、
指導者の努力次第では、解消の見込みもあるものである。
しかし後者については、いかんともしがたい問題がつきまとう。

それが、「像の厚み」の問題である。

◆◆◆

誰かに「頑張れ」と言われたときに、その受け取り手がとても真面目な人間であるとすると、
彼は彼の思う「頑張る」像に従って、「頑張る」という行動を起こすわけである。

それが、アドバイス側の「頑張る」像に見合うものである場合はいいのだが、
そうでない場合には、「なぜあいつは頑張らないのだ、言うことを聞かないのだ」ということになり、
なおさら「頑張れ」と言うことになる。
そしてまた、そのコミュニケーション不全が続くと、受け取り手も「頑張っているのに、なぜダメなのです」
という不満が募りに募ったのち、離反することにもなりかねない。


ここでの問題を受け取り手側に限定すると、
彼が「とても真面目」であるという、得難い性格を持っていることは相当に良い条件であったにも関わらず、
彼はどうしても、自分の認識出来る範囲内で、物事を考えようとしてしまう癖があることに思い致さないために、
かえって逆の効果を産み出してしまったわけである。

「受け取り手側に限定すると」とことわったのは、
実際には、アドバイス側の説明が十分でない場合も多く、
コミュニケーションというものは、双方の間の関係性として成り立っているのだから、
どちらが悪いか、と明確に責任の所在を特定できることは稀である、ということを言っておきたいからである。
念のため指導側に向けて要すると、「自分の指導力を棚にあげて、受け取り手側のせいだけにするな」、ということである。

さて話を戻すと、この「自分の想像の範囲内で物事を考えようとする」という抑えがたい性質は、
人間ならば誰にでも多かれ少なかれ備わっているものだ。

なぜなら、人間の認識というものが、それまでの環境との関わり合いの中から生み出されてきたものであるから、
その土台となっている認識をもとに新しい物事を判断しようとするのは、当然の成り行きというものである。
ここには、悪気があるとかないとかいう問題はあまり入ってこないと言ってよい。
自分の認識不足が後に重苦しい反省と共に自覚される場合があるとすれば、おぼろげながら自分自身でもそのことに気づいていたが、
見ないふりをしていた、といった場合であろう。

◆◆◆

人間の認識を受け止めるところの、いわゆる視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚、
つまり五感覚というものは、それぞれの人生において、
人間の枠内で自然成長的に生育されてきたものだから、各自各々の癖を持っているわけである。

今回論じている「像の厚み」の問題も、ここに由来するのであって、
たとえば、「クジラ」という概念を受け取ったとしてみよう。

ある受け取り手は、アニメ的なクジラを像として描く。
どんと大きいアタマに見合わぬ小さな尻尾、つぶらな瞳の巨体が、ぴゅーっと潮を吹くイメージであろうか。
吹き上げられた潮にのって、カモメさんとおしゃべりをするような光景である。

他方、こんな像を描く人もいる。
小さな小舟で大海に乗り出し、意気揚々とオールを漕いで旅に出た道中、遠くで拭き上げられた潮を手がかりに進んでみたら、
ざばんと波を揺らしながら近づいてくる巨体がある。
感動と共にもっと近くで、と思ってはみるが、相手の巨体の起こす大波ゆえに船が転覆の憂き目に合う。
あわやという思いで必死に船体にしがみつきながら、これが最後の光景かとその姿をこの目に焼き付けようとすれば、
どうも非常に好奇心旺盛な生き物であることが知れてくる。
しかしその愛らしい好奇心がまた、船を転覆せしめ、自分を死に追いやるかも知れないのである。
図鑑で見た姿や前もって伝え聞いた話とはまったく違う、ことばでは語り尽くせないその姿に、畏怖の念を覚える――そんなイメージだ。

ここではかなり誇張して書いているが、こういった「像の受け止め方」の差は、実のところ、歴然たる違いがあるものである。
もちろん、どちらが悪いなどということを論じようとしているのではない。

◆◆◆

ここを、自分の脚で旅に出て、実際に見たり聞いたり臭ったり、ときには心身ともに傷ついたりして体感した経験を元に、
間近でそれを見るかのごとく臨場感を持って想起できる場合もあるし、
はたまた普段見慣れているアニメの延長線上にイメージする場合もある。

このたとえでわかることは、同じ概念を受け止めたときにも、
その概念が認識の中に描く像というものは、各々自分勝手なものなのだから、
ここでわたしたちは、「認識の厚み」というものを考えなければならないことになる、ということだ。

五感器官をとおした認識のありかたは、それぞれの人生を通して個性的なものとして結実されているから、
これがいわゆる各人の「個性」として現象しているものの正体である。

ある人は、「頑張れ」と言われたときに、人にほめられるために、
つまり人の見ているときにだけ頑張ろうとするかもしれないし、
また他方、自分の努力不足を指摘されたと受け止めた人物であれば、
「何かもっとできることがあるはずだ」と思ったり、逆に「頑張っているのにどうして!」と思ったりするのである。

たとえば「打ち込みをやっておけ」と言われたときに、
「先生は回数を指定していなかったから、適当にやってさっさと帰ろう」と思う人間もいるし、
「先生は私の欠点を見抜いた上で指摘してくださっているのだ、やめろと言われるまではやめまいぞ」と思う人間もいるということになる。


(つづく)

2011/02/17

どうでもよくない雑記

なんでも、アニメなんかの文化を規制するかしないかとかでモメているらしい。


話を振られたけれども、騒々しい話題はとっても苦手なので、
わたしとしては、こういう話題は
之にて御免
という意味も兼ねて、思うところを書いておく。

この前の記事「文学考察: 火事とポチー有島武郎」の、
「人間は、人間として育てられて始めて人間足り得る」
という命題についての補足にもなっているので、興味ある方はどうぞ。

◆◆◆

さてこの論争についてひと通り調べてみると、メディアなんかは面白がって、
「都議会と出版社とファンのどっちが勝つか」とか、
「言論の自由は保証されるか」などといって煽り立てているようである。

テレビをはじめメディアというのは、どうしてこうも喧しいのか。
わたしは幼い頃からテレビが生理的に受け付けず、
両親が番組を見始めると個室の扉をバタンと閉めて、
ひとり静かに図鑑を眺めたりしていたのだけど、
いまだにテレビのやかましさには免疫がない。

そもそも人間が動物と袂を分かつのが、
「目的をもって行動をするかどうか」であるという点に照らしていえば、
目的もなくだらだらテレビを見るというのはまさにサル並み、である。
(だから、目的を持って見るテレビは好きです)

悪口はさておき、やっぱり解せないのは、
今も昔も、わたしには彼らのやっていることが、
どうしても「小学生の喧嘩にしか見えない」からである。

いまでははっきりとどこがいけないのか説明できるが、
あんなふうに、あれかこれかの二元論や、問題を一般化しすぎては、
でる答えも出なくなるに決まっている。

◆◆◆

真理というのは、ある条件があってはじめて成立するのが、弁証法の教えるところである。
ガラス片は、指輪の素材としてあつらえられてはじめて偽物になるのだし、
包丁は、悪意のある人間の手にわたってはじめて凶器になるのである。

その条件を無視して、ガラス玉を規制しろ、包丁を無くせというのは、
子どもから見ても「それはおかしいだろう」と思われて当然である。

問題は、それが感性的な認識からのぼって、理性的な認識として受け止められ、
周囲にも真っ当に伝える能力があるかどうか、というところである。
(もっと勉強したい読者へのメモ:感性的な認識がある一面の真理を捉えているのは、人間が個々ではなく全体として歴史を生きているという前提からして当然である。それが端的な形で顕れているものに、「ことわざ」や「格言」というものがある。感性的な認識を論理的に捉え直して理性へとのぼる過程を要すると、<否定の否定>ということになる。)

子どもであるなら、「おかしいと思うけど、うまく説明できないなあ」
というところでくすぶっていてもやむなしというところかもしれないが、
わたしたちはもう大人なのだから、ある程度の論理の力というものは、
まともな意味での常識として身につけておかねばなるまい。

◆◆◆

さてもともとの問題は、
「年頃の子供に残酷な、また性的な描写を見せるべきかどうか」
というところであったはずだ。

なんでも、都知事は、かつてどこぞのエッセイで、ご自身の教育論(?)を展開し、
「我が家では、子どもの見えるところにも、裸婦画を置いている。
なぜなら、大人の価値観で、子どもの発育を制限するのはあってはならないことであり、
彼らの自由に任せて、感受性を発達させていくべきだというのが私の考えだからだ」
といった趣旨のことを言っていたらしい。
(「らしい」と言ったが、伝聞ではなくエッセイのスキャンが実際に出回っている)


ファン側が、彼のこの発言を取り上げて、
「昔はまともなことを言っていたのに」と指摘したら、
彼は彼で、「あれは間違っていた」とのことらしい。

どっちもどっちである。

◆◆◆

個人攻撃はまったく本意ではないし、
タマゴ派にもニワトリ派にもどちらに組するのも苦手だから、
以下に焦点を絞って、その「考え方」について考えよう。

はたして、
「子どもの自主性に任せて好き勝手なことをさせていれば、
まっとうな大人に育つのだろうか」
ということである。


結論からいえば、「そんなわけがない」、である。

えてしてまっとうに育った人間ほど、
「自分がどう育てられたか」というところに目を向けないから、
その過程をまったく無視しがちである。

そうするといきおい、すでに完成された自分の立場からして、
「私にできるのだから、同じ人間であるお前にできぬはずがない」とばかりに、
初心に、また年端も行かぬ子どもにたいして、同じ振る舞いを強制してしまうのである。

◆◆◆

この問題を、身近なところに例をおいて、考えてみてもらいたい。
(それぞれベクトルの異なるようにみえる例示をしたのにも意味がある)

入門10年目の剣士に秘伝書を授けて、まともに身につくかどうか。
優秀な打者が、優秀な監督になり得たか。
幼稚園児が決めた「恋人」と、結婚させるべきかどうか。
生まれたての赤ん坊に、生野菜を与えるべきかどうか。


ここまで言えば、
「子どもに裸婦画を見せて、まともに捉えられるかどうか。」
ましてや、
「裸婦画によって感受性が養われるかどうか。」
というのもなんとなく、どういう問題かがわかってくるのではなかろうか。


「ナンセンス極まれり!」というのが実感であろう。
その実感は、間違っていない。

◆◆◆

結論や、立場が間違っているかどうかなどという物事の見方では、
絶対にまっとうな答えなど、でるはずもないのである。
これは、内容というよりも、いわば問いかけの形式そのものが間違っているからダメなのだ。

形式が間違っていても、見かけ上では正しい答えが導きだされているように見えることもあるが、そんなものは、宝くじが当たったから人格的に優れていることが証明された、などと言っているのと同じである。


物事には、必ず過程があるのだし、過程を含めて考えなくては、まるで意味がない。

過程を踏まずに教育するということは、単に「背伸びする」ということを越えて、
「間違った土台を創り上げてしまう」ということを、理解しておきたいものである。

ある発展途上国の路上で、大人が何をしており、それが次の世代にどういった影響を与えているか、などを、こどもの認識の面から考えれば、それなりの答えは出そうなものであるが…とても酷すぎて、具体的な指摘をする気にはなれない。

◆◆◆

ここまでが、わたしが有島武郎『火事とポチ』の記事で、
「人間は人間として育てられてはじめて人間たりうる」
といったことの中身の、簡単な紹介である。


土台というものは、ゼロのところから積み重ねられてゆくのだから、
人間の教育というものは、
生理的な観点からすれば、母体の維持が重要視されねばならないのだし、
認識論的な観点からすれば、「おぎゃあ」と産声をあげた瞬間が、
赤ん坊にとってはもっとも、これ以上なく最も重要なのだ、とわかってくるはずである。


またここから、以前に
「人間は20代を越えてからは、まともな土台を作れなくなる」
と言っていたことの理由も読み解いてもらえただろうか。


要すると、「教育ほど、勉強が必要なものはない」。
そしてそれは、大きな組織で後進を指導する立場にあるほどに、輪をかけて重要になってくるのである。

その努力なくして、
「現在の私が立派だから私の考え方も立派であり、それに従えば子どもも立派になる」
のが根本の教育論(?)など、笑止、というものである。
その考え方を「昔はまともなことを言っていた」と評するのも、同じことだ。

繰り返すが、過程を踏まえるのが「教育」と呼ばれているものなのであって、
大人の立場で勝手な意見をわめき散らすのは、子ども不在の「無教育・反教育」である。


過程について目を向ければ、どんな立場に立っていても、
それなりの意義ある議論はできるのである。
両者ともに、そういった観点を持たれることを願って止まない。

◆◆◆

老婆心ながら蛇足を重ねて恥をさらしておくと、
こういったことを繰り返し説明しまくっているというのは、
手を変え品を変え説明しているところを大きく捕まえて、
「原則をしっかり踏まえていれば、どんなに新しい問題を解くときにでも、
そこに一旦降りて、それを問題意識として持った上で登り直してみれば、大まかな推測は立つのだ」
ということを、実感として持っておいてほしいからである。

「そもそも、〜とはどういうものなのか」と原則を考える必要があるのは、ここである。
時代が複雑になったから、「人間とはなにか」がわからなくなった、
などと嘆息まじりに開陳するのが趣味の人間は、絶対に指導者になってはいけない。

そうであるから、原則の正しさは、吟味に吟味を重ねて、
実際の物事につきあわせたのちに導かれねばならないことにもなる。


上で述べた人間というものの大命題というのは、
わたしの単なる思いつきではなくて、
またどこかの教育論者の持論を横滑りさせたわけでもなくて、
歴史的に人類が獲得してきた一般性を、
自分の目で歴史を、また学生たち、育児を通して確かめ捉え直してきつつあり、
この先もそうする努力だけは怠らぬと誓っているものである。

道半ばの身なれど、大人の視点から見た勝手な解釈などではないことを付言しておきたい。


子どもをすこやかに育てていいお母さんになりたい女の子、
子どもに尊敬される人間になりたい男の子はじめ青年諸君は、
教育についてだけはきちんと勉強してくださるよう、お願いしておきます。

これに比べれば他の勉強はどうでもよい、
と言えるほどに、人間にとって大事なことなのですから。

2011/02/15

文学考察: 自作を語るー太宰治

文学考察: 自作を語るー太宰治


◆ノブくんの評論
 この作品で、著者は自身の作品について語ることに対する、ある違和感を述べています。その彼の主張はこうです。自分は作品の中で自身の主張を分かりやすく書いているつもりであり、それが分からなければそれまでである、というのです。では、この主張から、一体作家としての彼のどういった姿勢が現れているのでしょうか。
彼はこの作品の中で、〈作品と作家との関係性〉について述べています。
まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。

◆わたしのコメント

 論旨が不明確です。
 同じ内容をなんどもくり返し述べているに過ぎないようですが、これではなんらの論証にもならないのは当然です。それどころか、日本語の文章としても未成立です。常々言っているように、意味のない文字列を発表することだけは、断じて許せません。もっとも、本来ならば第三者の判断ではなくて、自らの自制心でもって、発表するに価しない作品だけは読者にお見せすることはできない、と発表を控えるのが当然というものですが…。ことばを仕事にする者としての自覚はあるのでしょうか?厳に謹まねばなりません。

◆◆◆

 論者の論証部分の全文はこうです。

1. まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。
2. つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。
3. そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。
4. つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。
5. 彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。


 整理すると、

1. 筆者は、「作中で自らの主張はすべて述べているので、他に言いたいことはない」と考えている。
2. 筆者は、何らかの主張を作品で述べているから、それ以外の発言には嫌悪感がある。
3. つまり、作品の感想を述べることも、嫌悪感として感じられるわけである。
4. つまり、自分の作品を肯定することも、嫌悪感として感じられる。
5. (前文までとのつながりが不明瞭。「このように」とはどのように?)

◆◆◆

 すべてを要しても、やはり「作中で自らの主張はすべて述べているので、他に言いたいことはない」という命題しか読み取れません。あえて言えば、「言わずともよいことを言うのは嫌悪感がある」という主張が含まれてはいますが、上の命題からすれば言うまでもないほど当然、というべきではないでしょうか。
 ということは、論者は、この作品から、なんらの新しい知見も汲み取れてはいない、ということです。


 この作品を理解する上でしなければならないことは、筆者が結論として、「私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」という思想を持つに至った経緯です。その過程に含まれている考えをまともに読み取る努力をしていないから、理解が上滑りで終わってしまうのです。

◆◆◆

 ではどう理解してゆけばいいでしょうか。

(※まずは作品を読み返して理解を改めたのち、以下を読み進めてください)

◆◆◆

 筆者が、「作品こそが、私の言いたいことの全てである」と結論づけることは、彼のこのような決意表明によって裏付けられています。

 「自作を説明するという事は、既に作者の敗北であると思っている」

 これはなにも、読者にわかってもらえなくてもよいと言っているのではなくて、むしろ読者にわかってもらえないということも自分の責任であると受け止めるほどでなければ、作家とは呼べない、と言っているのです。

 自分は、その時の自分の全力でもって「ずいぶん皆にわかってもらいたくて出来るだけ、ていねいに書いた筈」なのだから、それでわかってもらえなかったということは、ひとえに自分の力量が足りなかったためである、と言っているわけです。
 ここでは二重の意味が含まれており、ひとつに、表現力が乏しかったこと、ふたつには、筆者が想定している読者像が違ったものであったということ、です。そのどちらをも、作家としては当然に把握しておくべきだ、ということです。

 続けて筆者が「苦心談でもって人を圧倒して迄、お義理の喝采を得ようとは思わない」と言っているのは、自分の作品への評価は、その作品に相応しいもので十分なのであって、こんなところに工夫を凝らしましたがおわかりになったでしょうか、と読者に阿諛追従をしてまで点数稼ぎをすることは、むしろ作家としての恥である、と述べているわけです。言うまでもなく、彼は、読者と対等の立場を望んでいるのです。わかっていますか。

 ここまで読めていれば、この作品では、筆者の<作家としての矜持>が語られている、などと一般性を引き出してくれば良いことになります。
 論者は、文学者志望にもかかわらず、こういった、文学者として誇りを持って生きようとする姿を描いた作品をまるで読み取れていないし、また読み取る気もないように察せられることが、これ以上なく心配です。どこに問題があったのかを自分で分析し、A4一枚でレポートにまとめてください。


【誤】
・そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということは

文学考察: 火事とポチー有島武郎

良い題材です。
一般の読者の方々にも、ぜひ取り組んでほしいものです。

(またノブくん、行はじめのひとマスのあけ方がわからないようですが、
「テキストエディット」をお使いなら、
「フォーマット」メニュー>「リッチテキストにする」
にしてから、投稿欄にコピー&ペーストしてください。
まともな文化を残したければ、やはりまず形(形式)から整えねばなりませんから)

文学考察: 火事とポチー有島武郎


◆ノブくんのコメント
ある夜、武男は愛犬ポチの鳴き声で目を覚ましてしまいます。と、思うと彼の目には真っ赤な火が映ります。そしておばあさまが布のようなものをめったやたらにり振り回している姿を見て、彼はそれが火事だとはじめて気がつきました。彼はおばあさま一人では駄目だと思い、彼は事態を納めるために、お母さんのもとへ、そこからお父さんのところへ、近所のおじさんの家々を走りまわります。そして彼や近隣の人々の助けもあり、火事騒動はどうにか落ち着きました。ですが、その三日後、彼らは火事の第一の発見者ポチが行方不明になっていたことがここで発覚します。はたしてポチは無事に生きているのでしょうか。
この作品では、〈主人公とその大切な友人との別れ〉が描かれています。
まず、作品を論じる前に、一般的な感動的なヒューマンドラマの構造について論じておきます。多くのヒューマンドラマの場合、その舞台として日常的な場面(ある事件が起きる以前のこと)と非日常的な場面(ある事件以降のこと)が用意されています。そこに二人以上の登場人物をおいて、事件の前後を比較するように描かれています。そうすることにより読者は、登場人物たちのバックグラウンドを知ることにより、「以前は仲良く暮らしていた人々が事件が起こったせいで、このように不幸になってしまった」と、事件の前後の彼らの様子を比較し悲しみをより引き立たせるのです。
では、この作品ではそれがどのように設定されているのでしょうか。まず、非日常的なパートとして火事という場面が設定されています。ですが日常的なパートは、物語が火事の場面(事件以降)から始まっていることもあり、一見、ないようにも感じます。しかし、よく見ると、「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」という武男とその兄弟との喧嘩での会話や、ポチの普段の仕草や癖を描いている箇所があり、そこから日常のポチという像が浮き彫りになってくるのです。そして、ポチが衰弱するにつれて武男を中心にポチを労る姿から、読者は武男一家のポチへの思いを読み取り、更にそこから日常のポチの姿を思い起こし、感動するのです。

◆わたしのコメント

 評論としては不完全燃焼ですが、論者がいちばんそのことを自覚しているでしょう。論者は、この作品の全体の構造を見ようとしたものの、特段目立ったものが見つからなかったようで、「ドラマの構造」という、どんな作品にも含まれるような一般的なところまでしか言及できていません。たしかに、こういった児童文学では、「全体としては」複雑な構造を含んでいることはほぼないといってよいので、それを責めるのも酷というものです。ですがそれでも、この物語が子どもを始めとした大人の読者をも感動させる要素を持っていることは、論者も認めていますね。
 そうすると、この作品のどんな要素が読者をそうさせるのかと突っ込んで考えることも、文学作品を創作活動の糧とするときには重要な意味を持ってきます。それを以下で追ってゆきましょう。

◆◆◆

 さてこの作品は、一言でいえば、タイトル通りに、ある家族を襲った「火事」と、それを境に姿を消した「ポチ」の行方、そしてその顛末を描いています。火事とポチが関わるのは、「おばあさま」が回想するところを見ればよく読み取れます。それは、火事の際に、「もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれない」ということなのでした。そんな忠犬であるポチはといえば、火事のあと、焼け崩れた物置の下敷きになっているところを見つけられます。彼は結局、物語の最後に息を引き取るわけですが、その際の表現を見てみましょう。

 「次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチは死んだよ」といった。ポチは死んでしまった。」

 とても単純な表現だけに限られていることがわかるでしょう。さきほども言っておいたように、この物語のあらすじを述べれば、ある家族を襲った火事を、彼らに知らせた忠犬が息を引き取ること、それだけなのです。それではなぜ、こんな単純な物語が、わたしたちに感動を呼び起こすのでしょうか。主人公と、そのきょうだいにとっての友だちであった「ポチが亡くなる」という結果的な事実そのもの以外に、その理由がありそうです。

◆◆◆

 火事が起きて家族みなが非難したあと、「ぼく」がある違和感に気づいた、という大きな転機から、話を始めましょうか。彼はそのとき、「なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ」ということを思い出したのでした。そしてその気持ちは、坂道を転げる雪だるまのように膨らんでゆきます。少し長いですが、引用してみましょう。

 「ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきな友だちなんだ。居留地に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾のふさふさした大きな犬。長い舌を出してぺろぺろとぼくや妹の頸の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと 笑わらいながら駆けつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。」

 彼の中で、ポチについての記憶が呼び起こされ、その像はどんどん確かなものとなり、彼の心のなかで大きなものとなっていきます。だから、「どうしてぼくはあのだいじな友だちがいなくなったのを、今日まで思い出さずにいたろう」と深く反省したのです。「ぼく」は妹と弟を引き連れるようにして、ポチを探しにゆきますが、手がかりすら見つからない焦りを妹にぶつけてしまいます。妹も妹で、「ぼく」がかつてポチをぶったことをなじり、それを認めたくない「ぼく」が反論するなかで、妹が泣き出し、弟が泣き出し、結局は「ぼく」もつられて泣き始めてしまいます。

 ここには、子供たちの、みずみずしい感受性が豊かに描かれていることがわかるでしょう。ある物事を見たときに、安定したものの見方をすることのできる認識の力を持つ大人と比べて、その揺れ動く感情のあいだで振り回されるという姿が、「子ども」という存在を生々しく浮き彫りにしています。その姿は、良くいえば純粋でありながら、また他方、人間らしさが定着しきっていないという、ある種の冷酷さも見え隠れします。

◆◆◆

 ポチが半焼けになった物置きの下から見つかった、この箇所を見てください。

 「いたわってやんねえ」/「おれゃいやだ」/ そんなことをいって、人足たちも看病してやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうがぶるぶるふるえているのがわかった。

 死に体で発見された、身動きもしないポチを、大人たちは冷たくあしらいます。それほどポチとの接触もなかったであろう人足ならば、その反応も致し方ないというべきところですが、この反応は、「ぼく」にも伝わってしまいます。彼は、愛犬のことを、あろうことか「なんだか気味が悪かった」と率直に述べているのですから。
 ところが、頭をなでてやったところ、ポチが反応するのを見たとたん、「ぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった」のです。彼の態度が、急変しているのがわかるでしょう。

 このことは、まだ年端も行かない彼の心が、人間としてのそれとして完成しかかっている段階にあり、そうであるからこそ、ある両極端の間で揺れ動きながら、認識する物事との距離を図っているのだ、とわかります。
 この心情は、大人の視点からだけ見ていては、とても理解することはできませんから、大人の観点からしか子どもを見ることのできない人間によれば、彼らは「とても愛情深い」かと思えば、とたんに「非情」な存在にも映る、ということなのです。冒頭の火事をはじめ、物語の各部に、「ぼく」の、振り子のように揺れ動く、子どもらしい心の動きが見え隠れしているはずです。丁寧に探してください。

 要すると、筆者が意識していたにしろそうでないにしろ、この物語には、「人間は、人間として育てられて始めて人間足り得る」という大命題が含まれており、そのことが、この物語のリアリティを非凡なものとしている、とも言えるわけです。そうした人間一般という原則から、子どもという存在を的確に捉え直し、さらにその心の揺れ動きをとても丁寧に記述しているので、この作品は児童文学ながら、あらゆる人間に訴えかけるものを備えることになったのではないでしょうか。

 わたしたちの心を揺さぶる物語が、単なる結果的な出来事だけで成り立っているのではないことがわかりましたか。ドラマが引き起こす感動というものは、起きた事件の重大さ、つまり人が死ぬことや大きな事故が起きるといった出来事に依存するのではなくて、その過程そのものにこそ由来しているのだ、ということです。物事のほんとうの意味は、表面に見える現象ではなくて、その過程にこそ含まれているのだ、という一大論理が、ここでも明らかになります。
 その論理がわかっていれば、読者の心を揺さぶるために、安易に「人を殺したり救ったりする」という手段をとることの愚、その短絡というものも、自ずと読み取れてくるのではないでしょうか。物語に抑揚がなくなれば人を殺したり生き返らせたりするような、暇つぶしの安っぽいメロドラマが、歴史に残る文化たる素質を少しも備えていないことは、論者が常々嘆きつつ表明していることのはずです。

◆◆◆

 ここまで読んでくれば、そろそろこの物語の一般性を引き出してもよさそうです。現象論的にしかこの作品を読めなければ、「家族を助けた忠犬の物語」などと言って済ませてしまいそうです。しかし、この物語でもっとも深く描かれているのは、「ポチ」を通した「ぼく」の少年らしい心なのですから、「友だちであるポチがゆさぶる少年の心」を描いている、などと言えば良いことになりそうです。

◆◆◆

 この物語の読解は、現在の論者の実力からすれば、かなり背伸びをしないと難しいのではないでしょうか。以前に、論者は自分の論じ方が、「ときには冷たく、機械的なものと言われる」と言い、それは「唯物論的弁証法のせいである」と説明していましたが、実のところ、まったくそうではないことが少しはわかってもらえたでしょうか。「物事の見方が機械的」、つまり現実にある人間の心情をはじめとした現象を、満足に説明しきれていないとしたなら、それは、形式論理で物事を見ているからであって、自分自身の弁証法的な論理力が不足しているから、なのです。
 この作品を紙に印刷して線を引きながらしっかりと読み通すことをはじめ、同じ作者の『一房の葡萄』、モンゴメリ『赤毛のアン』などを、論理の光を当てながら、丁寧に読み通す修練を怠らないでください。


【誤】
・そしておばあさまが布のようなものをめったやたらにり振り回している姿を見て、

2011/02/14

文学考察: 勝負事ー菊池寛

文学考察: 勝負事ー菊池寛



◆ノブくんの評論
 著者はある一人の友人から、勝負事についてこんな話を聞きました。「私」の家では勝負事に関してどんな些細なことでも戒めてられていました。そして、ある時「私」は何故自分の家が勝負事に厳しいのか知ることになります。それは、「私」が学校の修学旅行を目前に控えていた頃の話です。当時、「私」は修学旅行を楽しみにしており、どうしても同級生と共のそれに行きたい様子。ところが、「私」の両親いわく、「私」の家は貧乏で「私」を修学旅行に行かせてあげられるような余裕はありません。更にその貧乏になった原因は彼の祖父の勝負事にあるというのです。一体どういうことでしょうか。
この作品の面白さは、〈勝負事と祖父に対する印象の変化〉にあります。
そもそもこの祖父という人物は、元来「私」の家へ他から養子に来た人なのですが、三十前後までは真面目一方であった人が、ふとしたことから、賭博の味をおぼえると、すっかりそれに溺れてしまって、家の物を何もかも売ってしまったそうです。ですが、そんな祖父ものある転機が訪れます。それは彼の祖母の死に他なりません。彼女は祖父に対して、「わしは、お前さんの道楽で長い間、苦しまされたのだから、後に残る宗太郎やおみねだけには、この苦労はさせたくない。わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、説得し、賭博を止めさせたのでした。以来、祖父は賭博らしい賭博は一切やっていません。
しかし、彼の晩年で例外がひとつだけあります。それは、子供の頃の「私」と藁の中から、一本の藁を抜いてその長さを競って遊んだ時のことです。この光景が、それまで悪いものとして扱われていた、勝負事と祖父の印象を一転させ、良いものへと印象を変えさせてくれます。そこにこの作品の面白さがあるのです。

◆わたしのコメント

 着眼点は悪くありません。ですが、それはいわば感性的な認識の段階に留まっており、整理しきれていないようです。またそのことが災いして、論理的な認識へと上ることが出来ていません。
 では、どこで足踏みをしてしまったのでしょうか。それを見てゆきましょう。論者は、主人公である「私」の家が貧乏になったきっかけである、「祖父」の勝負事癖こそが、この物語のキーワードであると気づいたのですね。そこまでは良いのです。

 さらに整理すれば、それは、二重の意味を持っていたのでした。
 ひとつに、前述した、「実家を困窮に陥らせた」という、勝負事の負の側面。
 ふたつめには、物語の終盤で、「祖母」の遺言に従って勝負事から足を洗った「祖父」が、「たった一回の例外として『私』と行ったという勝負事」です。

 そうすると、この物語における「勝負事」ということばには、二つの側面が分かちがたく結びついているということになります。
 このことを、何というのでしたか。


(結論を読む前に考えてください。わからなければ、教科書を読むこと。)


 それは、ある物事には異なる側面の、切り離せない性質が共存している、ということです。一言でいえば、<相対的に独立>している、ということなのでした。(<対立物の相互浸透>、という答えでも、内容がわかっているなら正解をあげられます)

 ここまでのことが導き出せていれば、自身の創作活動の時に、その論理を使って、同じ論理性を持った小説を書くことができるはずです。
 わたしたちはこれまで、「創作活動のために、文学作品からその論理性を取り出す」という問題意識を持って、300本ほどの小説に向い合ってきました。それらはすべて、三浦つとむの教科書に書かれている以上の論理は使われていなかったのですから、もし読み取れていない論理があるとすれば、教科書からまだ学べていないことがある、と考えねばなりません。問題意識を忘れず、精進を重ねてください。


【誤】…一見してわかるものは、以後訂正を省略します。誤字脱字は思想性の欠如であり、読者にとっての不誠実と受け止めてください。
・「私」の家では勝負事に関してどんな些細なことでも戒めてられていました。
・わしの臨終の望みじゃほどに、きっぱり思い切って下され』と、説得し、賭博を止めさせたのでした。
・ですが、そんな祖父ものある転機が訪れます。

2011/02/13

感受性というものの周辺 03:認識の底に横たわる論理

よい連休でした。



毎日人と会ってはいたけれど、自分のこともしっかりできた。
ダ・ヴィンチおじさんに横について散歩に付き合ってもらおうと、
伝記をDVDや全集で見たり、手記を岩波文庫で読んで、だいたいの像はできてきた。
集中していてすっかり眠るのを忘れていたので、頭の中がいっぱいである。

さて彼はといえば、
現代では世紀を超えた陰謀の片棒を担がされたり、
神のごとき大天才のような扱いをされがちだけど、
こんな狂騒をみれば、きっと本人は心安らかではないだろうなあと思う。


自然を師とし、自分の目で見た確かなものだけを頼りに、世界を知ろうとした。

わたしにとっては、ただ好奇心がとっても旺盛な、気の良いおじさんだ。
あのあと人類が、彼が知りたかったことの、
どんなところまでを明らかにしたかを知ったら、
それはそれで、心安らかではいられなかったろうな。


人目をはばからず悔しがるのが目に浮かぶ。そんな人である。

狂人扱いするのも、神扱いするのも、実のところ、
同じ「不理解」という姿勢の、極端なあらわれでしかない。

彼のいいつけを守って、わたしは彼を師と仰がないことにした。

◆◆◆

というわけで、年末のどさくさに紛れて、
続きを公開していなかった記事を貼っておこう。
書きためた記事はたくさんあるのだけど、
読んでもらえるように仕上げをするのがいちばん大変なのだ。


いまはちょうど<一般性>について話しているところだったから、
日の目をみることになった。

ここではそのことばが、単に「あらすじ」という意味を越えて、
どういう大きな概念と関わり合ってゆくのかがわかってもらえると嬉しい。
これを書いたということは、
あとはみなさんが「認識」について探求できる段になったということでもある。


1と2は未読でも意味がわかるとは思うけど、いちおうこの続き。

Buckets*Garage: 感受性というものの周辺 01:その困難
Buckets*Garage: 感受性というものの周辺 02:考え事がぐるぐるまわるのはなぜか

◆◆◆

前回のエントリーでは、
個人における、認識の発展の構造を簡単に取り上げた。
それはイメージしやすいようにいえば、螺旋階段の形をとっているのだった。

これを人類全体の進歩の観点から見ていっても、同じことが言える。


たとえば近現代の文学史には、
島崎藤村らの「自然主義」と、
夏目漱石らの「反自然主義」のせめぎあいがある。

たとえば経営学史には、
テイラーを始祖とする「機械的人間観」と、
メイヨー、レスリスバーガーの「人道的人間観」の変遷がある。

たとえば哲学史には、
ソクラテスとプラトンを発端とする「観念論(唯名論)」と、
アリストテレスに代表される「唯物論」のたたかいがある。


上で挙げた例では、そういった変遷の前後に、
それぞれ自然主義文学のゾラ、近代組織論のバーナード、観念論哲学の完成者カントとヘーゲルなどがどこに位置づけられるかと考えて見れば、歴史の流れが螺旋状に連なっていることがわかる。
(いつぞやのガンガムのデザインの例でイメージしてもらってもいいですよ)

そのほかの流れの場合にでも、ご自分の専門分野の歴史を見てもらえば、
人間の社会の栄枯盛衰を大きく見たときにはジャンルに関わらず、
これらの発展が、「否定の否定」として浮上してくることもわかるはずである。

◆◆◆

さてここまでご説明すると、
「そうは言っても、あなたがさっき説明した、個人の中の認識の発展と、
人類全体の発展を同一視するというのは果たして正当なことなのか?」
という質問がとんでくるかもしれない。

これ以上ないくらい良い質問だ。


この質問は、スケールの問題に焦点を当てている。
人類全体の大きな流れと、個人が「わかった!」となるときのごく小さな流れを、
同じやり方で理解してしまってもいいのか、ということだ。
いぶかしく思われても当然である。

結論からいえば、「一般的には」ということわりを入れれば、それで良いのである。

◆◆◆

わたしたちがある言明を聞いたとき、それを「たしかにそうだな」と納得できるということは、何によって保証されているだろうか。

たとえば、「りんごは赤い」という言明はどうだろう。
通常ならば、「たしかにそうだ」という判断をするはずである。

ここをニーチェよろしく、
「りんごは赤い…いや、そうではない。
りんごは丸い…いや、そうではない。
りんごはツルツルしている…いや、そうではない…」
などと言ったり、
「赤くないりんごもあるではないか」
などと反論する方もおられるかもしれないが、
そういう方たちもやはり、「りんごが赤い」という言明が成り立つと思っているからこそ、反論ができるわけである。

ここで言われているのは、「それをそうだと呼べうるのはなぜか」という理解に含まれる構造の部分なのだ。

(ここまでは書き出しなので、難しければ、読み飛ばしてもらっても結構です。)

◆◆◆

わたしたちがある言明について納得しうるというのは、
実のところ、それが成立してきた過程に照らして判断しているからだ。

一言でいえば、
わたしたちは「歴史性」に基づいて物ごとの正しさを判断している、ということだ。
「論理」というのは、そのことに付けられた名前に過ぎない。


ここにおいて、「一般性」ということばが出てくる。
これはイメージしやすいために単純化していうが、
たとえばここに、ある文学作品がある。

その文学のレベルを上げると、数行で物語を表した「あらすじ」になる。
さらにレベルを上げると、物語を一言で言い表した「一般性」ということになるだろう。

そしてさらに、それを文学全体にまで広げてみる。
そうすると、「文学全体についての一般性」が得られる。


ここまできて導かれたところの、「文学全体の一般性」でもって、
わたしたちは各々の文学作品を判断している!、のである。


それは、わたしたちが人類の歴史の一般性でもって、
各々の学問、芸術、文化の良し悪しを判断していることと、論理的に同一である。

ここにおいて、全体の歴史的一般性(<歴史性>)が、
それを形成する個々の判断能力のなかに潜んでいることが分かるだろうか。

◆◆◆

このことはまともに受け止めるほど、
異様なスケール感をもって我が身に迫ってくるはずだから、
思慮深い人ならば、どうしても
「まさか…そんなことがありうるのだろうか!?」
との思いがあって当然であろう。

わたしも実のところ、「これが本当にほんとうだろうか」という
自省の念で以て、いままでこの方法論で、学史一般について研究してきたのである。
今のところの答えは、「本当にほんとうである」とお答えしておきたい。


たとえば、一般の読者にわかりやすい例でいうなら、
人間の発生段階のことを考えてもらいたい。
人間のからだは受精卵から胚、胎児という形に生成されてゆくが、
胚の段階はウニとさほどかわらず、その後尻尾のある魚類、両生類をなぞらえるような形態のあとに、人間らしい形になってゆく。

一言でいえば、
「個体の発生は、系統的な発生を、それを短縮した形で繰り返している」(ヘッケル)
のである。


これは、生物の体の成り立ち方についての学問について言えることだが、
それを一般化して、他の分野についても言えるものと思ってもらえるとよい。

◆◆◆

こうして、歴史的一般性という考え方を押さえておくと、たくさんのことが推論の段階で明らかになる。
もちろん、これは一般性であるから、その先の特殊性については専門的な修練が必要になってくるが、グランドデザインとしては揺らぎないものができてくる。

たとえば、「文学」を専攻するのなら、
まずは「文学史」を修練した後に、
あるものが文学という形をとるようになり、
それが現時点までの発展を遂げてきたという、
生成と発展の過程を追ってみて、
その歴史的一般性が、
自らの「文学」という像をより深化させるかたちで修得しなければならない。

この考え方は、そういう、
どうしても避けては通れない、
避けてはホンモノになれるはずのない方法論を、
論理的帰結として、現前に浮かび上がらせてくれる。

もっとも、
その経過がなければ、「ほんとうに良い文学」がどれかすら、わかりようもないのだ。

これは、どの分野でも、まったく同じである。

◆◆◆

付言しておけば、
ここで強調したいのは、個々別々の歴史的な知識が重要なのではない、ということだ。

アレキサンダー大王にナポレオン、織田信長の出生や業績をどれだけ知っていてもダメなのだ。
むしろ、そんなものがありすぎると、論理性の修得には邪魔にしかならない。
(これはいつもくどくど注意していることだけれど)

あくまでも、論理性の修得に必須なのは、
壮大な人類の流れのうちの、自らが専攻する分野の歴史の流れ、である。
(ただ注意してほしいのは、たとえば生物学についての歴史という場合には、
生物の歴史と、生物学史という、相対的に独立した二つの側面があるということである。)

ここを勘違いすると、「必然的に」脇道にそれてゆくので、重々注意を重ねてほしい。
歴史的人物ともなると、週刊誌のゴシップ記事的な知識を大量に収集する方がおられて、
その博覧強記ぶりはたしかに驚くべきものなのだが、
あれは専門家ではなく、単なるオタクなのだ。


高度な弁証法という論理性が、かなりの正確さで先を見通す力となっていることは、
哲学者ヘーゲルが、科学など萌芽にすら達していない200年前の段階から、
すでに「この先出てくるであろう、研究の必然性のある」分科された学問、
つまり科学を予言していることを見れば、一目瞭然というものである。(『エンチュクロペディー』)

◆◆◆

蛇足であることを重々承知で、
念には念を押していっておくけれど、
「弁証法は最高の法則だ」などといって、「否定の否定は西欧と東洋の変遷を指しているから、アメリカの次は日本の時代だ!」などとと占い師ばりに主張している方がおられる。

この時の落胆を、察してもらえるだろうか?
この人たちは、自分がメシを食うためなら、先達をコケにし、後進をダマして、人類に唾を吐きかけるような真似をしてもよいと思っているのだろうか…
学問という以前に、人間としての尊厳を、どこかに置き忘れてしまったのだろうか。

こういう方は次に、「弁証法なるもの」を捨てて、まったく違ったことを言い始めるはずだ。
なぜなら、こんな占いまがいの「弁証法なるもの」なんていうものは、なんの役にも立たないからである。
この予言は、十中八九当たる。
少なくとも、そういう人たちの占いよりも、はるかに高い確率であることは間違いない。

みなさんは人間扱いされたいなら、くれぐれも真似をしないでいただきたい。

◆◆◆

お聞き苦しいことを、申し訳ない。

さて、わたしは上で、
人類全体の大きな流れと、個人が「わかった!」となるときのごく小さな流れを、
同じやり方で理解してしまってもいいのかと聞かれたら、
これが答えになると言っておいた。

「一般的には」ということわりを入れれば、それで良い。


この意味していることがわかるだろうか。

これは言ってしまえば、
大きな歴史の流れから導かれた法則である「弁証法」と、
個人の精神の構造を扱う「認識論」は、
同一のものなのか、
という問いにも繋がっている。

この問いに答えるなら、「一般的には」、同一であると言ってよい。

◆◆◆

「一般的には」と括弧書きしたことの裏を読めただろうか。
<対立物の相互浸透>を働かせて、読み返してほしい。


そう言ったことの答えはこうだ。
「一般的には同じ」と断るからには、
「特殊的には違う」と言っているわけである。


さて、ではどういう意味において同一であると言って良いかといえば、
これが答えということになる。


人間の精神の土台となっている身体の、物質的な性格に規定されて、
その精神の構造の中に、弁証法が顔を出す。

しかし身体は精神ではなく、逆から言えば
精神とは身体の非常に高度な働きを指す。
そういう意味で、「弁証法」と、「認識論」は、意味を異にするのである。


ここが、「認識論」というものの、出発点、ということになる。
ここから、認識論の研究をすすめることを、お願いしておきます。

2011/02/12

どうでもいい雑記

前回、Microsoftの悪口を書いたら、Nokiaとの戦略的提携が発表された。

わたしが触れたらなんか起こる、
というのではもちろんなく、それだけ業界が急速に再編されているということだろう。


Nokia側のメモは以前に流出していたので、
噂レベルでは伝え聞いていたが、いざ発表されると思うところがたくさんある。

現時点の発表が確定ということではないようだが、いちおうは、
これでAppleのiOS、GoogleのAndroid、Nokia+MicrosoftのWindows Phone、
という三つ巴の競争になっていくということだそうな。


ただ、一昔前なら特集記事付きの一面記事になってもおかしくないようなニュースが、
こんなにひっそりと発表されちゃうところに隔世の感がある。
二社とも、ずいぶん弱ってきてたものなあ。

Nokiaなんかは、去年発表したてのプロジェクトをほぼ終息させるらしく、
そうとうな焦りが見え隠れする。

Microsoftにしても、去年はWindows Phone 7を鳴り物入りで投入した
ところなのだが、市場の反応は芳しくなかったのではないだろうか。


シェアばかりとにらめっこしていると消費者の実態はわからなくなるが、
基本的には「指名買い」されなければ、「値踏み」されるしかない、ということだと思う。
Windows Phone 7のラインナップを見ていると、なんだか全部同じに見えちゃうなあ。

人間というのが動物とまったく違うのは、
ある目的となる像をもって(目的的に)、行動を起こす(労働する)ということだ。
「考え方」そのものが間違っていたら、「やること」も正しくなるはずがあるまい。

◆◆◆

さて、前回の記事について、
「批判」するということの説明を兼ねていちおうことわっておくけれど、
前回の記事ではMicrosoftのことがきらいで仕方がないと言ったのではなくて、
「MSのやることがきらい」、と言ったのだ。


日本にいると、「批判」という姿勢そのものが嫌がられることが多いよねえ。
少しでもダメ出しをしようものなら、全人格を否定しているように受け止められることが多い。
もっとも、たしかにいわゆる「批判のための批判」が好きな人もいるから、
慣れていない人には判別が難しいらしいのだけれど、簡単に見分けようと思ったら、
「ちゃんと相手に分かるようにどこがダメかを説明できているかどうか」
ってことを見ればよい。

というわけで、「批判」は、相手のためを思ってやること、
「批判のための批判」は、自分のためを思ってやること、
と考えてもらえたらいい。

わたしの研究は、
「とにかくダメだ」、「わけがわからん」、「難しすぎる」
と言われることがあるが、こういう場合には、こっちとしてはどうしようもないもの。

◆◆◆

話が逸れたけれど、
Microsoftも、研究段階ではけっこう良いシーズを持っているのだ。
(seedsというのは、商品の元になるアイデア、まだ芽の出ていない種、ということね)

下の動画を見てほしい。
Microsoftが開発していた"Courier"である。

これは2画面であることを活かしたダブレット型のコンピュータだけれど、
現在主流であるiPadを超えているところもたくさんある。

折りたたみで小さくできること、
それぞれの画面の役割を切り分けていることをはじめ、
画面のあいだのベゼルをうまく使ったインターフェイスなどは画期的とさえ言えるほどだ。






もちろん、これはコンセプト段階のビデオだから、
実際にリリースされたときにはまた違った使い勝手になるであろうが、
わたしとしては製品化が心待ちなプロダクトだったわけである。

「MSよ、ついに目覚めたか!」と思った。

◆◆◆

ところがどっこい、当のMicrosoft、
このCourierチームを、まるごと解散させてしまった。

一言でいえば、
「ほんとに商品化できるかどうかわからないコンセプトに金は出せない」
ということだろうが、なんとも残念な思いがしたものだ。


その代わりにやったことといえば、Windows 7を、ARM系CPUに対応させる、
(WindowsのOSを、スマートフォンなどでも使えるようにするってことね)
ということだった。


いったいそんなことをして、誰が得をするか。

「Windowsを手のひらに」がコンセプトだったWindows Mobileが、
ずいぶん前からスマートフォンを展開していたにもかかわらず、
あっという間にiPhoneやAndroidに市場を奪われたのを忘れたのか。

数年前からノート型のタブレットを売っていたのに、
まるで見向きもされず、iPadの成功を横目に見ているしかなかったのを忘れたのか。

消費者は明確に、「コレジャナイ」と言っているのである。

◆◆◆

まるでできないのなら口出しなんかしないんだけど、
できるのにやらないというのは、単なるビビリである。

ビビってリスクをとらないというのは、
リターンを諦めた、成長などしなくていい、ということである。

縮めて、「やることがきらい」。

◆◆◆

仮にも「ファン」を自認するなら、
相手が失敗しても見守ってあげることはいいにしろ、
その相手があからさまに手を抜いたりしたときには、
「それってどうかと思うよ」、「最近どうしちゃったの」
と、諭すことができて当然ではないだろうか。

ところが世の中にいるファンっていうのは、
一旦好きになったら、どんなモノが世に出ても、
傍目にはどう見ても失敗作だったとしても、
「だがそれがいい」などと言ったりするのが仕事らしい。


相手が会社であろうと、個人的な付き合いのある人間だろうが、
まっとうに批判ができなくて、なにがなにがファンか、なにが友人かと思う。
わたしは親しい友人にほど、批判的でありたい。