2015/02/17

過程性を捉えるとはどういうことか 「文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版3)」を中心にして

元旦にごあいさつしてから、


一ヶ月以上もの時間をいただいてしまいました。

元旦を明けての1月、その一ヶ月間という期間は、一般的にも一年のうちの大きな節目ではありますが、生涯をかけての文化人たろうとする人間にあっては、その後の一年間の成果を規定しつくしてしまうほどに大事な位置づけにあるものです。
というのも、この時期に、その年のいっぱいまでの目標と、それを達成するための研究計画を完成しておかねばならないからです。
それゆえ、学生諸君の研究計画を評価するというこれ以上無く大切な時期だったのでした。
この時期は卒業論文や発表などと重なるため、日本の学期構成に合わせて4月期を境としても良いのですが、ああいった提出物は前もって準備しておきさえすればどうにでもなり、そのための計画であるとも言えるだけに、それよりも年初という季節感の中で心機一転するということを、より優先してきています。

さて目標がなぜそんなに重要なのか?と問われれば、我々が他でもなく人間だから、というのが答えということになります。
「えっと…?」というみなさんでしょうか、それとも「それはそうだよね」というみなさんでしょうか。
後者であることを願いますが、ここは基本的なことながら大事なことなので、その答えではなく、そういう結論を出さざるをえないその過程について、いまいちど確認しておきましょう。

人類は認識的実在であると言われるとおり、動物がその形態と運動のあり方を「本能」と呼ばれる脳のはたらきによって統括されているのに対し、人類は、それとは相対的に独立したところの「認識」によって統括してきています。
動物の本能は、脳という器官において外界を反映した像を描き、それと直接に運動するためのはたらきですが、人間の認識は、感覚器官をとおしてその頭脳に外界をただ反映するのみにとどまらず、それとは相対的に独立した像すら創りあげてゆくという質的な違いを持っています。

このことによって我々人類は、現時点での外界の状態を「このようである」と反映することから進んで、「このようであったら(もっと)いいな」という認識を創りあげることさえできるようになってきているのです。
そうであるからこそ、人間はその特殊性として、「こうならいいな」という認識を絵地図として(この認識は「未だ現実化されていない」、という点に注意してください!)、それを実現するべく外界へと働きかける「労働」をなしえるのだ、ということです。

ここまで述べれば、冒頭の「目標」というものがなぜ必要なのか、ということが<過程的>な流れをもって頭脳に描けてきたのではないでしょうか。
今回の場合で言えば、一年間という期間を「人間らしく」過ごすためには、必ずそれをどう過ごすか、という絵地図を頭脳にもっておかねばならない、ということが言えるのです。

文化の仕事をしようとするならば当然に、食いっぱぐれずに生活ができ、周りからそれなりに評価される、という立身出世のレベルにとどまっているわけにはゆかず、時にはそれを度外視したり場合によっては逆行する危険性を乗り越えてでも、このことを人類の歴史性を正面に据えた<人間>のレベルで捉え返さねばならなくなるのが必然性であるというわけです。

目標なくして人間足りえぬ、という一事がじわりとココロに伝わってくる感性のある(残っている)、読者のみなさんであればよいと願っています。

さて、そのような「人間観」、そしていわば「文化人観」に照らして今回は評論を扱いますが、それだけに厳しく評価されねばなりません。


◆文学作品◆

豊島与志雄 未亡人


◆ノブくんの評論◆

文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版3)
 この作品は、生前は有力な政治家の妻であった「守山未亡人千賀子」宛の、差出人不明の3通の手紙から成り立っています。その3通はどれも未亡人たる千賀子の一挙一動を非難するものばかり。と言いますのも、未亡人となった彼女は、その性質を活用し、人々の同情の眼差しを集め政治家になろうとしたり、男を知った女特有の艶かしさで、年下の男の気持ちを弄んだりしていたのです。
 またその手紙には少し奇妙なところがあり、
 ーーいいえ、それはきまっていました。
 ーーわたしは人間ですもの。
 といったように、あたかも彼女の答えを想定しているかのように、彼女と会話しているかのように、千賀子の台詞らしきものが書かれています。
 そんな手紙の差出人ですが、唯一、彼女が選挙の出馬を決めた後に夫の墓参りをしている場面において、彼女自身が「白痴」のように何も考える事を持っていなかったところについては一定の評価をしているのです。
 一体差出人は、何を評価したのでしょうか。何故彼女の挙動のひとつひとつがそうも気に入らないのでしょうか。
 この作品では、〈ある政治家の妻が「未亡人」になってしまったが故に、世間に対して画策するつもりが寧ろその言葉に振り回されていく様〉が描かれています。
 上記の問題を解くにあたって、はじめにこの手紙の差出人は誰なのかを得敵せねばなりません。差出人は少なくとも千賀子の生活を事細かく知っており、また手紙の中で彼女と問答している事を考えると彼女自身についてもよく知っているようです。恐らくこの手紙の主は、守山千賀子の別の人格が彼女自身を非難しているのではないでしょうか。そのように考えると、この2つの疑問に対しても一応の説明はつきますので、そう仮定した上で話を進めていきたいと思います。
 差出人たる千賀子はあらすじにもある通り、どうやら自分が夫に先立たれ、哀れで妖艶な「未亡人」としての社会的な付加価値のようなものを利用し、選挙に出馬しようとしたり、年下の男で遊んだりしているところを不純なものとして強く非難しています。
 では、何故そんな彼女は、墓参りに行った時自分を評価したのでしょうか。それは、まるで「白痴」のように、そうした不純な考えを少しも持っていなかったというところにあります。恐らく、夫が行きている頃の千賀子は、現在のように身の回りにあるものを使って世間の人々に対して画策を企てるような人物ではなかったのでしょう。ところが「未亡人」なってしまってからは、彼女を見る世間の人々の目が急に変わったことを面白がり、自身の性質でいろいろと小賢しい事を考えるようになっていってしまったのです。
 以来、彼女の中には、「未亡人」としての魅力で世間を惹きつけたいという欲求と、「未亡人」などといういやらしいものに負けてそれまでの自分を見失いたくないという、2つの相反した感情が葛藤するようになっていったのでしょう。ですから墓参りを終えた後の彼女は、政治家としての華々しい人生を期待しながらも、心の内では「これで自分はいいのだろうか」という不安を抱いており、瞳を濁らせていたのです。

◆わたしのコメント◆

この文学作品は、去年から度々取り組んでもらっているもので、直接の講義もあわせれば三訂版ではすまないほどの議論を重ねてきているものです。
ここでの指導の目的は、わたしが読めている構造的な把握に、論者の認識をいかに近づけてゆくか、というものですから、その議論は、徐々にではあっても論者のこの作品についての認識が質的に深まってゆくような内実を持つものでなくてはなりません。

今回の評価が厳しいものになるとことわったのは、残念ながらそのことの意味を論者が大きく勘違いしているのでは、と思わされる記述になってしまっているからです。

論証部で、論者はこう切り出します。
 上記の問題を解くにあたって、はじめにこの手紙の差出人は誰なのかを得敵(コメント者註:「特定」の誤り)せねばなりません。差出人は少なくとも千賀子の生活を事細かく知っており、また手紙の中で彼女と問答している事を考えると彼女自身についてもよく知っているようです。恐らくこの手紙の主は、守山千賀子の別の人格が彼女自身を非難しているのではないでしょうか。そのように考えると、この2つの疑問に対しても一応の説明はつきますので、そう仮定した上で話を進めていきたいと思います。
読者のみなさんがこの箇所を読んで、どういう感想を持たれるかはわかりませんが、この指摘というものはわたしが数度の講義をとおして、問いを立てながら(=答えそのものを伝えてしまわないように工夫して)論者がその頭脳活動において、あくまでも「自らの独力で」辿り着くよう苦心して指導してきたものでした。
そうであるだけに論者にとっては、この「手紙の主が『千賀子』のもうひとつの人格である」という前提は、すでに自明のものとなってしまっているのです。

ここで一般のみなさんの中には、「知っていることを書いてなにがダメなのかな?」と思われる方もおられるかもしれませんね。
たしかに、知識的な習得が問題である場合には、答え自体が問題になる場合もありえます。
しかし、こと歴史性を掲げて文化人たろうとする人間にあっては、そのような姿勢を続けては百害あって一利なし、ということになるのです。
なぜならば、そこで絶対的なレベルで厳しく要求されるのは、大きく言えば<過程性>というものを何よりも重視する、という姿勢でなければならないからです。

歴史的なひとつの作品を正面に据えてしっかりと学びたいという時には、その時代を生きたその作り手が、それをどうやって表現し得たのか、という観点がなければ、上っ面をなぞらえただけになるのであって、そのものを正しく学び切ることはできません。
学問においても芸術においても、その著作や作品というものはかたちとして、物理的に目に見え、手に取れる状態で残ってきています。
ですが、肝腎の、「なぜその当人が、それほどのまでの作品を残し得たか」ということについては、決してすべてが微細にわたって詳らかにされるということはないのです。
ではそれをいかにして読み取り、読み解き、さらには現代的な創作へと活かしてゆくかということは、現代を生きる我々が、その論理と認識の力にかけて、自らの頭脳に捉え返すかたちで追ってゆかねばならないことなのであって、これは極めて論理的な問題である!といえるのです。



このためには、当人の自伝を読むということも必要であるとは言えますが、そうはいっても自伝をしっかりと残している人ばかりではないですし、作者との観念的な二重化をはたすために必要な情報が自伝だけで賄われると考えるのも間違いなのです。
当時の時代的な背景、当時の人間のものごとの感じ方や考え方がわからなければ、歴史的な読み物というのは、「当たり前なことばかり言いやがって」、と無味乾燥なお勉強となってもおかしくありません。
過去の偉人から、人類の文化遺産から正しく学ぶために大事なのは、あくまでもその時代性にありながら、つまりその時代的な制約の中に身を置きながら、しかもそれだけの業績を残しえたという当人の努力、覚悟、後世から見るところの先見性をこそ、正しく学ばねばならないのです。

歴史上の偉人とされる人物は、当時を生きる人々の誰もが気づきえなかったことに目を向けることができたり、辿りつけなかった場所へと歩みを進めることができたりしたからこそ、そう呼ばれることになったのではなかったでしょうか。
このことを現代に置き換えるならば、現代人の誰もが気づきえなかったことに「なぜか」気づくことができ、そのことを(時には狂人扱いされながら!)生涯かけての努力でもって持ち続け実行しえた人間が、歴史に残ることになってゆくのだ、とわからなければなりません。

見えないものを見なければならぬというのはひとつの矛盾ですが、そのことを達成するための「ものごとを見る目」は、大きく、この<過程性>というものが身にしみてわかり、その重要性にしっかりと着目できていなければ、それを身につける端緒につくことすらできません。
今回の評論の場合で言えば、論者その人が、わたしが提示した答えをあたかも自明のものとして提出したとき、そのことをはっきりと意識していたかどうかが問われねばならない、ということです。

今回の指摘は、数層の構造からなる問題を見て取ってのものですから、そのほかのご説明は後日に譲るとしても、結論から言ってこれはもはや言い逃れしようのない欠陥としてわたしの目には現象しており、そのことは論者には直接指摘していることでもあります。

論者が<過程性>にしっかりと目を向けながらこの作品を正しく理解してゆくためには、この作品は「千賀子」が自問自答する構造を持っているという結論だけでなく、その結論に至った論理的な経緯をこそ、しっかりと書いてゆくことが絶対的に必要です。
その営みはほかならず、歴史上の作家の仕事を正しく評価し受け継いでゆくための正道ともなっているのです。

この作品に則してさらに言うならば、あくまでも作品そのものをつぶさに追ってみることをとおして、わたしの指導内容を手がかりにしながらも、作品の構造がいわゆる<自由意志>と<対象化された観念>のやりとりなのであるという論理を改めて独力で!引き出すことができなければならない、と言えるでしょう。
繰り返し念押ししますが、これはあくまでも「作品そのものを正しく理解しようとしてはじめて」、ごく自然にそのような概念が浮上してくるということなのであって、「コメント者に<対象化された観念>に着目しろといわれたので探してみるか」という姿勢では絶対にダメ!ということが厳しくつきつけられているのです。
この観点こそが、<過程性>というものなのだ、とわかってもらえているでしょうか。


これと類する欠陥として、「自らを作家として規定すること」の、いわば「作家としての志」の不足については、次回以降みなさんにも考えてもらうことになると思います。


※評論中の誤字訂正については略。