2012/11/16

【メモ】学史をいかに把握するか:近代文学史の場合

ご無沙汰しておりすみません。

先月公開した記事について直接の問い合わせが多く、それに答えようとすると弁証法も認識論も基礎から説き起こさねばなりませんでした。

対象化された観念についての問題はやはり非常に難しいのですが、その難しさというのは、表面上をなぞって読んだだけでは「どこが難しいのかわからない」というたぐいの難しさ、ですので、まずは質問された当人のわからなさをわかってもらうというところから始めねばならないのです。

ただでさえ年末を控えて二人分以上は仕事をしているので、忙しいと言い訳をする暇もないというところですが、わたしの眼はいつものとおり黒々としておりますのでそのことについてはご心配無用です。

それから、仕事や日常のどうしても解かねばならない問題について考える際、書面でのやりとりで不足に思われる場合は、やはり直接に来られて面と向かって問われるとよいと思います。
わたしはいつも、研究の内容をおおっぴらに公開してしまうので、結果として発表したもののご案内はできますしここも例外ではないのですが、いくら読者に納得してもらうための表現を考えたものとはいえこれとて結論でしかないために、やはり直接に叱られてきた弟子たちのほうが、遥かに、これはいくら強調してもしきれないほど遥かに、実力がものになってきています。

文面で残しておくと後々見返す時に便利ですが、これだけだと一知半解の恐れがありかえって煩瑣なために、本質的にはお互いに時間がもったいないのではないかなと思われることが多いですので。

◆◆◆

今日はちょっとメモを残しておきます。

わたしのところで学史研究をやって、自らの目指す道を本質的なものへと転化させたいという人は、こんなふうにするのか、という感覚がつかめるかもしれませんので参考にしてください。

これはほんの入口の、いわば「書類の整理」のようなものですが、それでも大事な第一歩です。

順番としてはこのようです。
・良い通史を選ぶ。
・括弧をつけたり線を引いたりしながら通読し全体像を掴む。(図1〜3)
・アタマの中で流れを整理しながらノートを取る。(図4)

これは近代の文学史についての整理の一部ですが、わたしが新しい学問分野に取り組むときにはまずこういった学史の整理を作ります。
ちゃんとした通史を一冊選び再読しながらノートを作っておけばそれが土台となり、他の通史を読んだ時にもそこに書き加えてゆけばよいだけになります。
また、個別研究についても、その学問のどこに位置づけられるものなのかがはっきりします。(裏を返せば、通史の選び方はとても大事です)

わたしは人間の認識の発展過程を追うのが大好きなので、まず学史から入って、そこからその学問が対象としているものの歴史を透かして観るようにします。
たとえば、「経済学史」の流れを捉えた上で、次にそれを手がかりにしながら「経済史」を捉える、ということです。

分野によってはどちらかを追いにくいという場合もあります。
たとえば看護学については看護史(看護の歴史)は追いやすいでしょう。
それに対して物理学の場合は、物理学史は200年ほどの歴史を一般的にたぐることで成し遂げられますが、物理史となると、森羅万象のうちの物理現象とはいったいどういうものかを解かねばならないために、非常に大変です。

前者、看護の実践が人間の目的意識に基づくものであるのに対し、後者は対象として捉える以前から存在し続けるものであるがゆえの難しさ、というわけです。

しかしいずれにせよ、人類の文化遺産としての学問の歴史も、それが対象として捉えられてきたものの歴史も、その道を実際に歩み本質化してゆく際には軽視してよいものであるはずがありません。

現在の大学では、ここをあまりに軽視している、というよりも論じられる実力のある人間を育てて来なかったツケが大いに回ってきていますので、みなさんはここを独力で乗り越えなければ、自分の専攻する分野でまともな業績を残すことなど叶わぬという時代性を持っているのだな、ということを、逃げることのできない、自分の生涯に直接の関係のあるものとして、自分自身の双肩にかかる大きな責任として、真正面から確認しておいてほしいと思います。

◆◆◆

【図1】


【図2】


【図3】


【図4】ノート。今朝方半時ほどで走り書きしたものですので簡素ですが。

0 件のコメント:

コメントを投稿