2013/03/13

この世界のどこかにいる志ある人へ:ロダンの言葉を中心にして


昨日で、先月期までの研究発表が修了しました。


今月いっぱいまで、再提出の必要な課題について提出してもらいます。

今年は研究会をしっかりしたかたちで作るという目的があり、去年よりも研究者・学生たちとは直接会う必要があるために、なかなかこちらでものを書く時間がとれないことがなんとも残念です。

記事を心待ちにしてくださる読者のみなさん並びに活字中毒患者のみなさんとて同じことかと思いなおさら思いは強まるのですが、こと学問の名のつく世界においても、どこを見渡そうと「お金を稼げるレベル」の研究ばかり、という現実を憂いてのこと、ご了承いただければ幸いです。

ただ今年に入ってから、いくつか勇気づけられる得難い出会いもあり、人類の文化の名に恥じぬ試みを続けておられる市井の方々が、この日本、この世界のどこかに確かに息づいておられる!という実感を持つこともできてくるようになりました。

こういう出会いというものは、どこそこの組織に入れば自然と得られるという種類のものではなく、自分の足で行ってみて腹を割ってお話してみなければいけないのだな、という思いもより一層強まったものです。

しかしこの、自分の足で、というのは、結局のところ、そういう志のある方がどこにいるかは皆目検討もつかない、ということですから、なんとも雲をつかむような話ですね。

ともあれ、自分の試みが気狂いのそれなのではないか?という疑念は、もはやまったく持たなくなりました。

やはり、やはり間違っていなかった…。

率直に言って、そういう十年来の試みが単なる徒労に終わらなかった安堵の感に飲まれそうになるという気持ちも強くありますが、さりとて物思いにふけっている場合でもなく、前進あるのみ、です。



さて、そろそろ暖かくなってきたこともあり、新しい季節へ向けて歩みを進めようとしておられる学生さんたちへも一言くらいは余計なおせっかいを言いたい気持ちもあるのですが、その前に、わたしがいつも支えにさせてもらっていたかつての偉人のことばを引用しておきたいと思います。

その人というのは、フランスの彫刻家ロダンその人で、わたしがあまりにもよく引くので、なぜにそこまで、の感ありとの方も見えますが、そのことばには、周囲のまったくの不理解のなかでも志を捨てずに歩んでおられる方ならば、必ずや響くものがあるはずです。

少なくともわたしには、挫けそうになるたびに、ノートに彼のことばを書き写しながら涙を拭い、心の支えとしてきた日々がありました。

わたしと同じように読みたい人は、特にここ、「世間なみの事にかけて、私は全く閉め出しを喰ったのです。/それが私の役に立つとも考えられなかった。」(※2)に注目してください。

彼は、まるで理解されなかった若いころを思い返してみたとき、今から思えば、「閉め出しを喰った」ことが「役に立」った、と考えているのですが、これはどういうことでしょうか?

あるものの概念や価値を本当に理解するためには<相互浸透>的に考えてみることが必要でした。たとえば親というものの価値や意味がわからないときには、「もし仮に親がいなかったら自分はどうなっていたか?」と考えてみる、ということです。

ですからここでは、「閉め出しを喰わなかったとしたら、後の世のロダンの評価はどのようなものになっていたか?」と考えてみればよいことになります。思いを巡らしてみる、というレベルでもかまいませんので、やってみてください。

加えて、先日お会いしたところの、「志ある人」にこのことばを紹介したおり、あたかも自分のことのように深く頷いておられたことも申し添えておきます。

(※認識論を勉強している学生のみなさんへ:以下の引用文中、「勉強がいっさいを抱擁」(※1)する、とは、どのような認識の構造をしているか、考えておいてください。ヒントとして、<対象化された観念>が出てくるはずですが、そのことばだけを挙げても正解にはなりません。もっと突っ込んで考えてください。

※表現論を勉強している学生さんへ:「自然の中に包含されているものを自然から掴み出す」(※3)ことが、論理的に言えばどういうことなのかを考えておいてください。<捨象>や<抽象化>、<論理のレベルを上げる>と言ってしまえばそれだけですが、例示を挙げながら論じられるようにしておいてください。)

「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。
いつでも嬉しかった。
私の熱心さは無限でした。
休む間もなく勉強していました。
勉強がいっさいを抱擁していたのです。(※1)
私の作を見た人は皆だめだと言いました。
私は奨励の言葉を知らなかった。
店の窓へ出した私の小さな素焼の首や全身像はちっとも売れませんでした。
世間なみの事にかけて、私は全く閉め出しを喰ったのです。
それが私の役に立つとも考えられなかった。
(※2)
私はサロンへ行ってペローやその他歴々の彫刻家たちの作を感心して見ました。
そしてだいたい、彼らは大家なのだなと思っていました。
彼らのスケッチを見ると強くないのでしたが、彼らの作った手を見ると、あまりにきれいでとても私などには及びもつかない気がしました。
その頃も私はいっさい自然から仕事していたのですが、どうも私の手は彼らの手のようによくゆかない。
それがなぜだか分からずにいました。
けれどいったん私が手を自然から正しく作り得た時、今度は彼らのがよくなく見えて来ました。
彼等は自然から取った石膏型を見て仕事したのだという事を私も今日では知っています。
私もただ自然から写す事のみ考えていました。
あの彫刻家たちはどういうのがよい肉づけか、どういうのがよくないのか知らなかったろうと思う。
また自然の中に包含されているものを自然から掴み出す事もできなかったと思う。(※3)
私は記憶がよかったので、ルーヴルで感心した画を内で、あの頃は模写しました。
私のアトリエで作ったものの中にはあれから後作ったものよりも佳いのが多かった。
も少し気をつければ、どれか保存されていたろうにと思います。
あの頃の彫像のいくつかを今日得られるものなら、幾千フランでも払います。
あれから後私は良い友だちの価値を知りました。
けれどもしあの頃一人でもそういう友だちがいたら、私にとっては全世界にも等しかったでしょう。
あの頃は自分の作にどんな値打ちがあるか知りませんでした。」
高村光太郎(訳)『ロダンの言葉抄』(1960)p.384-

1 件のコメント:

  1. http://satoritaihito.seesaa.net/
     ブログ主様

    いつも(私的には物足りないのですが…)更新をありがとうございます。

    本日は三回目の読み返しです。感想を一言、書かせて下さい。
    ~「感動です!」~ロダンの言葉は私へのメッセージだ!
    と認識しました。

    改めて、感謝のありがとう♪♪♪ございます。
    どうかくれぐれもご自愛下さい~
          ~by 自由な悟得びと より~

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