レポートが出揃ったので見てゆきましょう。
それにしても、たいへんなテーマにとりかかってしまったものだと空を仰がんばかりの気持ちになります。
ただそれだけに、これを学生諸君とともに乗り越えられることができれば、いったいどれほどの意義があるだろうかという想いが、一念となって、力強くわたしの歩みを支えてくれてもいます。
今取り組んでいる一連の記事に、これほどに更新を滞らせるほどの意味があるのか?と訝しく思われている読者のみなさんの顔を思い浮かべると、申し訳ない思いもしてくるのですが、なんとしても今取り組まねば…という考えは、日増しに確かなものになってきているだけに、我慢して読み進めていくうちに、少しでもその気持ちを汲み取ってくださったら、と思わずにはいられません。
わたしたちは精神を持った人間です。機械的に切り分けて手を入れれば解明し働きかけ、そして直してゆけるような“ヒト”ではなく、ましてや“サル”では決してありません。
なのに、それなのに、間違った前提に立った実践や研究が、あまりにも目につきすぎるのです。
いいでしょうか、認識論があらゆる実践や研究に「絶対的に」、寸分の言い訳の余地もなく必要であるのは、我々が他でもない人間だから、です。それが必要ないと言い切れるのは、自分が対象としているもののなかに、何らの人間的な要素もなく、人間の手による歴史の蓄積もなく、これからも人間が関わってゆく余地も必要も可能性もない、という場合だけなのです。
あらゆる実践というからには、わたしたちの日常もそこにふくまれるのですが、そこですら踏み外しをしているのにもかかわらず、そのことを反省材料として扱うだけの認識に達していない人間は、到底一人前とは呼び得ないのではないでしょうか。
一人の人間が失敗から学ぶことで成長してゆくためには、「人のふり見て我がふり直せ」ということができているのでなければなりません。また、人が誤るのを実際に目の当たりにしなくとも、我がふりを、自分という聖域のなかに沈めたままでなしに、あくまでも客観的なものとして受け止め、率直に失敗を認めたり、時には自分の立場に反する決定をできうるだけの認識を持たねばなりません。
これらの認識を高めるためには、「人の気持ちを知れ」だとか「謙虚になれ」だとかいう訓示ではまったく不十分なのであって(なにしろ、各人それぞれの認識のレベルで「謙虚」の像を描くのですから)、それにふさわしい研鑽を、それにふさわしいだけの期間じっくりと積んでゆく必要があるのです。何度も言いますが、生まれつき人の気持ちをわかる人間などというものは居ません。それでも現実に、いわゆる「気の利く人」が存在するというのは、生活経験の中で、いわば自然状態の中で(本人もなんら気づくことなしに)、それなりの訓練を経てきているからです。決して生まれつきの天才ではありえず、また世に言う天才レベルでとどまるわけにはいかない我々は、自然成長に任せず自らの目的意識でもって、学んでゆくしかありません。
◆◆◆
これまでの記事(タイトルを短くしてあります)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(1)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(2):1887.03.06 (I)
・『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)
◆
さて前回では、サリバン初日(1887.03.06)の教育の前半部を取り上げ、やや詳しく見てゆきました。
全体像をつかめと言ったり、詳しく見ることが必要だと言ったり、いったいお前は何をいいたいのだ、と言う方は、「<弁証法>的に」考えてもらうとしましょう。
今回のお題は、サリバンの教育全体のなかでの初日の位置づけとはどのようなものであったか、というものでした。基本的には以降でもそのように見てゆきますので、具体的事実には細かく言及しないことが多くなります。もちろん、必要な箇所についてはその旨指摘しますから、その他の部分についても、そのレベルで行間を読んでおかねばいけないのだ、ということはわかっていってくださることを期待します。
おことわりがすみましたので、まずはひとつのレポートを見てゆきましょう。
◆Oくんのレポート◆
この本を読むにあたって明らかにしておくべきは、この日記に記されているものはサリバンが「ヘレンを彼女の気質を保ったまま教育することを目的として、ヘレンの行動にあわせた教育方法について教師として観察に基づいた考察と行動をとる」ことを一貫していることである。この教師としてのサリバンの考えは「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という文章から見てとることが出来る。
この手紙が書かれる3日前にサリバンはヘレンを始めて対面する事となる。その時から手紙に書かれている3日間のヘレンは「顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けて」いる、「ひどく短気で、わがまま」であり、「一瞬たりともじっとして」いない、「さわる物は何でも壊してしまう」ような子供であった。
一方でサリバンはヘレンを見て「彼女は体格が良く、活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」少女であると評価している。またサリバンがヘレンの自宅に赴いた際にヘレンはサリバンの到着といった周辺の状況の変化を明確に感じ取ることができ、身振り手振りで他者とのコミュニケーションを必要最小限には取れる事が示唆されている。
ここから人間として成長していくために必要な、周辺との関係を感じ取る能力の土台そのものや眼前の事態に対する疑問、あるいはより良い回答を求めようとする能力とそれらを支えるための身体や感受性が出来ていると読み取ることが出来る。しかしながら同時にサリバンはヘレンには人間が人間同士の関わりの中で人間として生きて行くためには足りない物が有ることをその顔つきや行動から察している。そこでサリバンは前述の通り「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という事が最大の課題と考え、それに対して「彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう」との答えを到着してすぐに出している。そして、3月11日には一週間の間共に過ごした経験から「彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なこと」だと述べている。これは人間として生きて行くためには服従、つまりは他者と生きて行くには何でも自分の思う通りにはいかないという事を洗脳に近い形で習慣として教え込むことが言語やその他の事象よりも優先して教育されるべきとサリバンが考えていると考えられる。
サリバンはヘレンの人間として生きて行くために必要な物、つまり従順さが欠けている原因について、ヘレンの失われた感覚そのものよりも、感覚を失ったヘレンに対する周囲の、特に家族のヘレンの意思には逆らわない態度とそれらの蓄積によって形成されたヘレンの脳内にある連想が大きな原因であることを看破し、ヘレンと家族が別居する事を3月11日に提案し、実行している。その結果、ヘレンはサリバンが到着してわずか2週間後の3月20日には「服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づき」、ヘレンの父をして「あの子の静かなこと」というおどろきを与えるまでに変化したのである。
服従という事を学んだヘレンに対してサリバンは言語に関する教育を施すことになる。サリバンが到着してすぐのヘレンの言語の能力というのは「いくつかの単語を知って」いるものの「単語の使い方や、物にはそれぞれ名前があるということはわかっていない」という物であった。これは彼女が単語の形から連想されるものから物事を判断しており、その単語が示すものの「像」を脳内でそれぞれの単語特有の形として作り出すことが出来ないと言える。この問題については4月5日にwaterという単語によって彼女の認識に「すべてのものは名前をもっていること」が生まれたことで大きな前進を遂げた。その上で4月10日というわずか一カ月の期間の中で、「ヘレンにとっては今や物は全て名前をもっていなければなりません」とサリバンが感じるほどの認識の変化とそれに伴う周辺の物事に対する情熱的な好奇心を生み出したのである。そしてここで注目すべきはこの好奇心の源泉は何も存在しない所から生まれた訳ではなく、サリバンの教育によって、人間として欠かすことのできない「服従」を体得した上で、彼女のもともと持つ「活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」気質が人間としてあるべき形で成長した、長所が伸ばされたと考えられる点である。
この様にサリバンはヘレンの教育の為には「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練」するかが教育の軸であるとしつつも、その為にはヘレンに対して「正しい意味での従順さは要求する」ということが人間の土台として必要であることを考え、行動した。
その結果、彼女は服従を覚え、自身の内側のエネルギーを人間として正しい形で使う事の一歩を踏み出すことが出来たのである。
◆
もしわたしがこのレポートを、「認識論を高める」という目的意識でなしに、「読書感想文の書き方をうまくする」という目的意識でもって添削するとするならば、「きちんとまとまっています、よくできました」という評価をすることになるでしょう。
しかし問題は、このレポートが、ヘレンの状態を目の当たりにしたサリバンの認識のあり方を正しく捉え、そこを自分のことのように捉え返せているかどうか、という点にあります。
その観点から結論を出すならば、これではいけないのだ、これでは読めたことにはならないのだ、ということなのです。なまじ文章としてはそれなりに書けており、事実それなりに読めてしまうだけに、このことがかえって、自らの欠点を自覚することを妨げているようにさえ感じられます。
Oくんへのレポートの添削ははじめてではありませんから、わたしの論調はわかってもらえているはずなので、いつものとおり誤解を恐れず、率直に指摘してゆきましょう。わたしたちのやりたいのは仲良しこよしではありませんから、その意図は正しく汲み取ってくれると思います。
上で挙げた問題点は、結論の部分に集約されて顕れています。
ここで注目すべきはこの好奇心の源泉は何も存在しない所から生まれた訳ではなく、サリバンの教育によって、人間として欠かすことのできない「服従」を体得した上で、彼女のもともと持つ「活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」気質が人間としてあるべき形で成長した、長所が伸ばされたと考えられる点である。たしかにヘレンの気質をふまえ、そこにはたらきかけるサリバンの教育のあり方は、このようにまとめられないことはないのです。しかしたとえば仮に、こんなふうにもまとめてしまえるのではないでしょうか。
ヘレンはサリバンと会ってから「めったに笑わず」、「反応がにぶく」、「ひどく短気で、わがままで」あって、彼女が秘めた内発的な衝動は、そのやり場を見いだせず「さわる物は何んでもこわしてしま」います。サリバンが見たように、「彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りして」いる状態なのであって、サリバンの課題はここにこそあったのです。Oくんのレポートでは、ヘレンがそのうちに秘めたまばゆいばかりの可能性が、サリバンの教育によって見事に開花されていった、というおおまかな流れが、あたかも前提としてあって、すべてがその約束された輝かしい結末へ向かって進行しているかのような描かれ方をしています。しかし、「本文を括弧書きで引用することが、直接的にその論証の正しさを証明する」という暗黙の了解を疑うことがなければ、ヘレンを以上のような、問題が山積みの少女として描き出すことであっても、正しい見方であるということになってしまいます。
通常の大学の講義で提出させられるレポートであれば、この姿勢でかまいませんし、それは一定の評価となり、さらに論者は自らの正しさについての自信を深めてゆくことになるのですが、さてでは、それをいざ実践に移すとなった段に、そこで学んだことがらが正しく発揮されるでしょうか?
自分がヘレンの家庭教師として推薦され、足を運んだこともないような場所にまで列車に揺られ、それまでの勉強をとおしてイメージしていた障害の少女像とはまったく違った少女が目の前に飛び込んできたら、あなたはその少女の認識のあり方、教育のされ方を一見して見て取って、暴れる彼女をおとなしくさせるために腕時計を与えることができたでしょうか?もしそれができそうもないということが自分の力で気づけたのであれば、「サリバンはどうして腕時計を与えたのか?他のものではいけなかったのか?ヘレンの欲しいものが何であると見抜いたからそうできたのか?…」と、考えてゆき、一定の答えを出すことができたでしょうか?
わたしが求めているのは、そういうこと、なのです。それが、認識論を高めるために必要なことなのです。
自分の問題の解き方のどこに落とし穴があったのか、少しわかりかけてきましたか。また文書を引用すれば結論も正しくなる式の形式主義の落とし穴がわかってきたでしょうか。
人の気持ちをわかるようになるための修練というものは、既に出てきた結果をまとめて物語にすればよい、というものではないのです。
あなたがこの本を学ぶために必要な姿勢は、「自分がこの時この場所にいたとしたら、サリバンと同じような教育ができただろうか?」という考えてゆくことであり、それがどうしてもできない!ことを自分のことのように思い知り叩きのめされ、自分のわからなさ加減をわからないものとして認識上に浮上させる、ということなのです。
この初日の手紙の中だけでも、先ほどの腕時計の問題のほか、「なぜ母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないのか?」、「サリバン流のある意味で厳しい教育を通して、なぜヘレンから愛情を引き出すことができるのか?引き出しうるのは拒否の姿勢だけでないとしたらどこがそうさせるのか?」、「物に名前があることがわからないという状態はどのようなものであるのか?すでに概念の存在を知った者はどうすればそれをイメージしうるのか?」などなど、無数の問題が浮上してくるのですし、そうでなければ読めたことにはならない、のです。
「ここがわからない、あれもわからない」というレポートでかまいませんので、また見せてもらいたいものです。
ほかのレポートも見ておきましょう。(以下、註釈についてはリンク先の原文を参照)
◆Aくんのレポート(あずまや、、: #1 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』1887年3月6日)◆
アン・サリバン(当時21歳)は約半年間の準備期間を経て、はじめてヘレン・ケラー(当時6歳9ヵ月)とあうこととなった。サリバンが熱い期待のもとこの日を向かえたのと同様に、ヘレンは前々から見知らぬ存在を察し、手に負えないほど興奮していた。サリバンは、興奮したヘレンに気おされることなく、注意を腕時計に向かせることによってその場をおさめた。ヘレンが彼女に与えた印象は、当初想像していた青白く神経質な子供とは真逆であった。気取って帽子をかぶることや、体格が良くたえず活発に動くところから身体的に健康である印象を与えた。事実、ヘレンが聴力と視力を失った日以来、病気にかかったことがないもようだ。一方、めったに笑わず、母親以外の愛撫を拒むような精神的にふさぎこんだ部分や、短気さやわがままさのような一面も兼ね備えていた。これらをふまえ、サリバンは短時間である方針を固めていた。
課題:ヘレンの気質を損なわずに訓練し、制御すること。
方法:時間をかけ、ヘレンの愛情を勝ち取る。
必要条件:正しい意味での従順さを求める。
以上の3点である。そして、すぐさま行動に移すこととなった。ヘレンが贈り物の人形(パーキンス盲学校の少女たちからのもの)を見つけたとき、彼女の手のひらに、ゆっくりと指文字でd-o-l-lと綴ったのである。このときのヘレンには物の名前という概念は乏しく、連想させる記号という方が近いと思われる。事実、c-aから始まる綴りから条件反射的に彼女に連想させるのが好物のc-a-k-eであった。ただし、これは現状でのヘレンの認識であり、決して理解力の欠如とはつながらない。その例として、ビーズを糸に通す仕事でのできごとがあげられる。それは木のビーズ2個とガラスのビーズを1個置きに糸に通す作業であるが、素材の違い、通す順番をすぐさま理解し、驚くほど早く通し終えた。また、サリバンがビーズが落ちない十分な結び目を糸に作らず、ヘレンにその糸を与えたときは、糸にビーズを通して結び、ビーズが落ちないように問題を自己解決した。このことから、サリバンは彼女の賢さを知ることとなる。
◯ ◎
サリバン先生の教育方針からすると、ヘレンのよさをのばしていく「導き」という印象を強く受けます。そのために、ヘレン自身のことはもちろん、家族のこともすごくよく観ています。ここでいうヘレンのよさというのは、好奇心旺盛で茶目っ気があり、活動的な気質のことです。たとえ、読み書きや人並みの生活をおくることが目的であったとしても、この気質を失うことはケラー夫妻もサリバン先生も、そしてヘレン自身望むことではないと思います。ですから、方針のひとつ目に掲げたのではないでしょうか。また、ゆっくりやりはじめて、ヘレンの愛情を勝ち取るということは、ケラー夫人の愛情が彼女に届いているということが前提となります。仮に、ケラー夫妻が愛情とはほど遠い「放任」という形でヘレンを甘やかしていたとするならば、サリバン先生が愛情をもってヘレンに接していることが、彼女に伝わるまでに多くの時間を費やすこととなったでしょう。そして最後の従順さをもとめることにおいては、兄ジェイムズの存在が大きかったと思います。彼は唯一ヘレンに対抗する存在であり、彼女のなかに「思い通りにならない何か」という概念を与えたことと思います。ただの暴君ではないということは、サリバン先生の考える「正しい意味での従順さ」を求めることの手助けとなったことでしょう。
サリバン先生がこのような導きという考えに至った経緯には、彼女がヘレンの「看る世界」を経験したことが、少なからず関係していると思います。サリバン先生自身、子供の頃に目の病気をわずらって、ほとんど全盲になったことがあるのです。このことが、先入観をもたずにヘレンと接し、より多くの感情共有や意思疎通を行うきっかけを与えたのではないでしょうか。
◆
Aくんの書き方も、さきほどのOくんのレポートのように優等生的・模範解答的なところがありますから、この場合もやはり、自分のわからなさ加減をわかってゆく必要があるのですが、最後の二段落ぶんの考察に関しては、その意識は少なからずあるように思われます。
というのも、よくも悪くも、考察のなかに、断言が見られないことからです。
「〜のではないでしょうか」が連続するということは、「これらは仮説の域を出ないが前後関係からするときっとこうであろう」という思いの現れでしょうから、これはこれで、わからなさをわかってきはじめている、とみなすことができます。
しかしこの正直さは逆に言えば、「これはこうである」と断言できないということでもあります。これらは、「幼児教育とはなにか」、「子どもにとって遊びとはなにか」、「言語とはなにか」、という、確かな考えの足がかりとなる原則論を押さえておかねば、なかなかに断言しがたいことでしょう。
それらを一挙に踏まえることは難しいですから、まずは認識論的に考えてゆくことにして、それもあらゆる問題をわからないわからないと言うのでなく、ひとつの具体的な問題だけを取り上げて、じっくり考えてゆく、という向きに進めてゆくとよいでしょう。
言語の問題は難しいですから、たとえば、ヘレンの「さわる物は何んでもこわしてしまう癖」に、サリバンがどう働きかけ、どのように治していったのか、を考えて書いてみてください。この時にも、自分がもし、この時この場所にこの境遇でおかれていたとするなら、同じことができただろうか?と、考えてゆくべきです。
さいごに、次を見ましょう。
◆ノブくんのレポート(ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版))◆
この作品はタイトルにもある通り、アン・サリバンによるケレン・ケラーへの実践記録(※1)を中心にして、彼女がどのように言語を習得していったのか、またそうした教育を通して、どのように人間としての精神を培われていったのかということが描かれています。というのも、皆さんもご存知の通り、ヘレン・ケラーという女性は幼い頃に重い病気を患ってしまい、以来耳が聞こえず目が目が見えず、よって言葉すらも覚える事が出来ない状態でした。周囲の人々はこんな彼女の様子を見て、きっとそれも仕方のないことであると諦めていたことでしょう。ところが、アン・サリバンが彼女の家に訪問してからたった2年のうちに、その状況は打ち破られてしまうことになるのです。彼女は盲、聾というハンデを乗り越えて、言葉を理解し、更には自分の口で会話する事もできるようになっていったのでした。そしてその背景には、精神的な成長があることも見過ごせない事実のひとつです。ヘレンは言葉を理解する以前は、短期でわがままで自分を抑えることを知らない野生児のような子供でした。それがサリバンの教育を受けていく中で、私達と何ら変わらない、若しくは私達以上の教養ある人々の中の1人として成長していったのです。
そこでここでは、ヘレンがサリバンの教育を受け、言葉を理解し、自身で使っていけるようになる中で、彼女の精神というものがどのように変化し、人間的なものへと転化していったのかを見ていきたいと思います。
サリバンがヘレン・ケラーと出会いを果たした1887年、3月3日。彼女はこの日から多くとも数日のうちに、ヘレンの教育に関する重大な欠点を見抜いていました。というのも、ヘレンは他人のバッグやプレゼント(キャンディ)を勝手に触る、探す。活発でとどまる事をしらないけれども、人間的な表情とは少し遠いそれをする等、とても7歳前の子供とは思えない(※2)行動や顔つきをしていたのです。彼女には明らかに精神的な欠陥があるのでした。
通常、子供というものは外を思いっきり走ったり、友達と遊んだりする事によって、自身の内から湧き出る衝動を発散する事が出来ます。ところがヘレンの場合は、自身の障害の為にそれらの事が出来ないどころか、知ることすらないのです。よって彼女は決して解消される事のない内的な衝動を、自身の気の向く儘に少しずつ発散していくしかありません。また、彼女の両親が道徳的な人物でありながらも、ヘレンの障害が彼女へのしつけを困難にさせている事も見過ごせない点として挙げられるでしょう。
そして上記を踏まえた上で、サリバンはヘレン・ケラーの教育において、〈彼女の内的な衝動を失わせる事なく、それを彼女自身に制御させ、いかに効率的に発散させていくか〉という目的論を獲得していったのです。ここで一部の人々からは、「内的な衝動が彼女の教育やしつけを妨げているのであれば、それを取り除いた方が良いのでは?」という声もあるやもしれません。確かにヘレンの場合、子供らしい内的な衝動が裏目に出ていることは明白です。ですが、子供のこうした衝動こそが、彼らを教育する上で欠かせない事も事実でしょう。例えば皆さんのうちにも、子供の頃友達よりも多く漢字を覚えて自慢したいという衝動から手が黒くなるまで字を書いた、或いはなかなか出来ない鉄棒の逆上がりを日が暮れるまで練習したといった経験を持っている方は少なくないはずです。子供の内的な衝動そのものが教育にとって害悪なものではなく、彼女の発散の仕方が悪いから害悪になっているだけなのです。
またサリバンは自身の立てた目的論を達成する為に、力のみで征服しようとするのではなく(ここには、人間の道に逸れた場合にはそうするという含みがあります)、「ゆっくりはじめて、彼女の愛情をかちとろう」という方法論を立てていきました。(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
例えば、幼い頃に習い事をした事のある方なら共感して頂けるとは思いますが、はじめは両親や先生から嫌々させられていた硬筆や剣道でも、ある日ふと褒められるようになり、やがては自ら先生に自分の字や技を見せるようになっていったという経験はないでしょうか。嫌々していた事でも、「褒められる」等して子供らしい欲求を満たされる事で、それが快感になっていった、という構造がそこにはあります。そして快感に変わっていく過程の中で、それまで怖いだけの教育者(両親、先生)が自分の欲求を満たしてくれる存在へと転化していったのではないでしょうか。そしてサリバンの場合も同じです。はじめは嫌われ、勉強が嫌いになったとしても、彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待しているのです。
◆
まずは正誤の指摘です。くれぐれも注意してください。
正誤
・短期→短気
書き方として、まず本書全体のあらすじを簡単にでもまとめたうえで、サリバンのヘレンにたいする教育におけるはじめの段階を「野生児から人間へ」の過程として捉えたところは評価できます。
その上で、今回の考察の対象となっているのは、サリバンがヘレンと出会った当初に見出し、のちの報告書の中で「内的な衝動」としてまとめている概念についてです。
論者は、これを単に、子どもの扱いにくい部分として排除する見方を退け、そこと真剣に向き合ったからこそのサリバンの優れた教育があり得たのだ、と、弁証法的に考えを進めていけています。
続いて、わたしが前回指摘しておいた本書の細かな読み方を丁寧にふまえたうえで、「子どもの「内的な衝動」を活かす教育とはどういうものか」と、考えを進め、自分なりの答えを提示しています。
サリバンの初日の後半部にある、ヘレンにたいする言語面での指導内容について一言もないことは残念ですが、「内的な衝動」という、本書全体における重要な概念から逃げずに真正面から向き合っていることはここに評価しておくべきでしょう。
さて、このレポートの核心となっているのは、先程も述べた「内的な衝動」を活かす教育とはどういうものか」という問いについての考察です。その答えについては、仮説として提示されています。
(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。具体例も挙げて説明がなされていますが、これは残念ながら、本書中にある理解から遠ざかっています。
1887.03.11の手紙を見てください。そこにはこうあります。
彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりわかりました。私はそのことについていろいろなことを考えましたが、考えれば考えるほど、服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました。ここには、サリバンの実践を通した実感として、服従が愛情の前提となっていると書かれています。
ひとまず、「内的な衝動を抑えること」と、「従順になること」、「服従すること」が同様のことを指しているということにして考えてみるとしても、「服従することを覚えれば自然に(=直接的に)愛情が芽生える」とするのは無理があります。
より精確に言えば、このことを<対立物への転化>として指摘したとしても、その過程的な構造についてはわかったことにはならないはずである、ということです。
たとえば、子ども憎しの一心で与えられた体罰によって服従を覚えた子どもが、保護者に対して愛情を芽生えさせるでしょうか。そうではないでしょう。
しかしだからといって、サリバンの言うとおり、どうしても必要な時には力づくで言うことを聞かさざるをえないという場合もあるわけですから、手を出すことそのものが絶対的に悪であるということではありません。しっかりとしつけられた子どもは、やはり愛情を開花させてゆくはずです。
そうすると、この問題をどう解くか、ということが、論者に与えられた課題です。
論者は、「彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待している」と述べていますが、この時点では、「(ヘレンが愛撫されるのを拒んだため、)彼女の愛情や思いやりや他人に賞賛を喜ぶ子供らしい心に訴えるすべが一つも」ないという状態(1887.03.11)なのですから、この問題から逃げずに取り組むべきです。やはりこれも、レポートとして提出してもらいたいと考えています。
(5につづく)
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