2012/04/03

文学考察: 恩讐の彼方にー菊池寛

ずいぶんお待たせしてしまったことをお詫びします。


ほんとうに忙しい時には忙しいと言う暇すらない、とも言えますが、取り組んでいることに集中しているときにはそれ以外のことに手をつけると中途半端になってしまうことがあります。
ここでの記事はそれだけ大事にしていればこそなので、ご容赦いただければと思います。

取り組んでいたことは、5月までにはこちらでもご報告しますね。


◆文学作品◆
菊池寛 恩讐の彼方に


◆ノブくんの評論◆
文学考察: 恩讐の彼方にー菊池寛
「市九郎」は主人である「三郎兵衛」の妾と非道の恋をした為に、主人の怒りをかい刀で斬りかかられます。ですが自身の命惜しさから、彼は脇差で主人を刺してしまいます。その後、彼は主人の妾であった「お弓」に従い、美人局(つつもたせ)、摂取強盗等を稼業として生計をたてはじめます。
そんなある時、市九郎は2人の夫婦をお弓の命によって手にかけてしまいます。この時、彼はこの夫婦を殺めてしまったことを後悔していましたが、お弓は彼とは対照的に、彼らが身につけていた櫛(くし)等の方が気になる様子。こうした彼女の浅ましさに嫌気がさし、市九郎はお弓のもとを離れることにします。
やがて、彼はこれまでの悪行を悔いるようになりはじめ、次第に真言の寺への得度を決意していきます。得度した彼は「了海」と呼ばれ、その後仏道修行に励んでいきます。そして、懺悔の心から人々を救いたいと考えていた市九郎は、やがて諸国雲水の旅出ます。その中で彼は、山の絶壁にある険しい道、「鎖渡し」という難所を渡ることとなります。そしてその難所を渡りきった時、彼は人々がここを渡らなくてもいいように、トンネルを掘ることを決心します。というのも、それこそが、彼にとって自身の大願を成就する為の難業でもあったのです。
穴を掘りはじめて19年、トンネルの完成も間近になった頃、彼のもとにある男がやってきました。それは市九郎が殺した主人、「三郎兵衛」の息子である「実之助」でした。彼は父を殺した人間はかつては父の下僕であったことを知ると、復讐を誓い、はるばる市九郎を追ってやってきたのです。彼と対峙した時、市九郎も実之助にその命を明け渡そうと考えていました。しかし、その時市九郎と共に働いていた石工の頭領が、20年に近い歳月を穴を掘ることに費やし、その完成を間近にして果てていくのは無念だろうから、トンネルの完成まで待ってはくれないかと、実之助に提案します。敵とはいいながらこの老僧の大誓願を遂げさしてやるのも、決して不快なことではないと考えた実之助は、この提案を受け入れることにします。こうして彼は市九郎の大願が成就する時を彼と共に待つにつれて、彼の内にある菩薩の心を目の当たりにし、やがては大願を果たした感動を共に分かち合うことなるのです。
 
この作品では、〈自分の目的の為に、穴を掘り続けた一人の男の姿〉が描かれています。 
この作品はタイトルの通り、市九郎に対し復讐に燃えていた実之助が彼と触れ合うことでその怨みを忘れ、やがては市九郎の大願成就を共に喜びを分かつところを軸として描かれています。では、そうした実之助の心の変化を、彼の目的と市九郎のそれとを比較することで見ていきましょう。 
まず市九郎の方ですが、彼は何もはじめから、人々を救いたいという目的をもっていたわけではありません。彼は、生きる為に主人を殺し、生きるために盗みを働き、生きる為に旅の夫婦を殺していました。そして、それらは自分の意思からではなく、「彼は、自分の意志で働くというよりも、女の意志によって働く傀儡のように立ち上ると」、「初めのほどは、女からの激しい教唆で、つい悪事を犯し始めていた」などの表現からも理解できるように、彼の行動の裏には、常にお弓の意思が働いていました。つまり彼は、「生きる為に(目的)、お弓に従い(主体)、盗みを働いていた、人を殺していた(手段)」(a)のです。 
しかし、彼女に嫌気がさして自分のしてきた事に後悔を感じはじめると、彼は真言の寺に得度し、仏道修行に励みはじめます。すると、今度は懺悔の気持ちから、真言の「仏道に帰依し、衆生済度のために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心」という教えに従い、難渋の人を見ると手を引き腰を押してその道中を助け、たま病に苦しむ老幼を負います。こうした彼の心の変化から、上記にある括弧の内容も自然と変わり、「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)となります。 
ですが、彼はそうした人助けすらも、自分の犯してしまった罪の前では釣合いがとれないものと考え、より大きな苦難をさがしはじめます。その末、発見したものが鎖渡しの難所でした。この難所を発見した時、彼は早速自身の大願の為、穴をほりはじめます。そして、槌を振っている時の彼には人を殺した時の悔恨も、極楽に生まれようという欣求もありませんでした。そこには「晴々した精進の心」だけがありました。この彼の手段、及び心の変化から、括弧の中身は「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)となるでしょう。 
さて、ここまでの市九郎の行動や心の変化を、更に括弧書きした箇所を中心に整理してしていきます。括弧の中身も分かりやすいように、矢印をつけてもう一度下に記しておきます。 
「生きる為に、お弓に従い、盗みを働いていた、人を殺していた」(a)

「懺悔の為に、仏道に従い、人々を救った」(b)

「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」(c)
 
次に、市九郎が具体的にどのようにして括弧の中身を変化させていったのかを見ていきましょう。まず(a)では、彼ははじめは確かに目的の為に主人を殺すという手段に至りました。ですが、美人局、強請、殺人とその行動がエスカレートするにつれて、彼の中でいつしか手段が目的よりもその意味を大きくしていったことが理解できます。またその行動の主体が、彼自身ではなく、お弓であった事も見逃してはなりません。ですが、こうして手段を優先していくにつれて、その目的を見失い、自分の行動に自信が持てなくなっていってしまいます。そして、彼はある夫婦を殺めたことをきっかけに、罪の意識を感じお弓のもとを離れていきます。
そしてお弓から離れた彼は、その罪をどうにかして悔い改めたいと考えはじめます。そこで彼は、宗教的な光明にすがり、その手段を模索しはじめます。やがて、彼は真言の教えに従い、人々を救うことが自身の懺悔につながる事を学びます。ここまでが(b)までの過程となります。また、(b)では(a)とは違い、市九郎は目的の為に手段を用いようとしています。ですが、この時点でもやはり、その主体は自分ではありませんでした。
 
しかし(c)、つまり穴を掘りはじめてからの彼は違いました。それは文中の、「人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。」という箇所からも理解できるように、穴を掘っている時の市九郎は、宗教的な教えのためにそうしているのではありません。彼は穴を掘り人々を救う行動をしている事に対して喜びを感じているのです。ここから、主体はいつしか仏道ではなく、自分そのものになっていったのでしょう。ですから、彼は作品の中で周囲の人々になかなか穴を掘ることに対して理解されず、また理解されたかと思えば再び彼のもとから離れていくこともありましたが、そうした人々の心の変化に一切動じず、ひたすら穴を掘ることが出来たのです。また、その目的も、「懺悔のため」という消極的だったものが、「人々の為」という積極的なものへと変化しています。これもまた、その主体が自分になったことからくる変化でしょう。こうして彼は、その主体を大きく変えていくことで、目的、手段を変えていき、自身の大願を成就させることが出来たのです。 
では、一方の実之助の方はどうだったのでしょうか。彼は、「父の無念の為に、自分に従い、復讐する」ことを決意していました。ところが、彼は長年の穴掘りによって傷みきった市九郎の肉体を見た時、その復讐心が弱まってしまいます。そこで彼は、「しかしこの敵を打たざる限りは、多年の放浪を切り上げて、江戸へ帰るべきよすがはなかった。まして家名の再興などは、思いも及ばぬことであったのである。」と、復讐の目的を他のものに変えようとします。そうすることで、彼はどうにかして復讐を果たそうと考えたのです。こうした考えから、彼はその目的よりも、手段にこそその重きをおいていったことにより、その目的を見失ってしまいます。またこれは、はじめの市九郎の(a)の考えと同じ構造を持っています。そして、実之助もまた自分の行動に自信が持てなくなってしまいます。そして、そんな自分と懸命に人々の為に穴を掘る市九郎を比較した時、彼を斬る気にはどうしてもなれず、その復讐心を消し去り、やがては彼を支持するようになっていったのです。


◆わたしのコメント◆

「市九郎」は、主人の寵妾と恋に落ちたことで咎められ、とっさの抵抗の末、主殺しの大罪を犯してしまいます。彼は寵妾である「お弓」と逃れ、旅人を襲っては身ぐるみを剥ぐという生活をはじめます。ところが、ある日襲った若夫婦が身につけていた櫛を取り忘れたことをお弓から厳しく詰め寄られたことが、彼の転機となるのでした。市九郎が命をかけて、大罪を犯してまで愛した女性は、わずか数両の櫛のために、女性らしい優しさをかなぐり捨てた浅ましい姿を晒している。そのことが身に堪えるとともに、自分自身の犯してきた悪事が、ありありと彼の脳裏に蘇ってきたからです。懺悔の心から出家した彼は、「了海」と名を変え人を救って日々を過ごしましたが、彼にはそのやり方だけでは、とても贖罪を達せられないという思いがくすぶっていたのです。そんな時、彼は年に数人の命を奪うという切り立った崖があることを耳にします。彼はそこで奮い立ち、二百余間に余る絶壁を掘り進み、道を通じるという事業に身を捧げることにしたのです。それが叶った暁には、これから千万の人の命を救うことに繋がるはずだというのです。

この作品は、これまでにも何度かここで紹介しているので、お読みになった読者の方もおられるかもしれません。
自分がこれと定めた険しい道に、自らを狂人と見做す周囲の冷ややかな目線にもめげず、転びながら傷つきながら、自制心だけを頼りに誰にも認められない歩みを進めている人にとって、これほど勇気づけられる作品も、なかなかに見つからないのではないかと思います。

わたしにとっても、とても思い入れの強い作品ですが、思い入れが強すぎるあまりに距離感がつかめませんので、第三者がこれをどう読むのかは、指導如何に関わらず、とても興味深いものでした。
そして論者も、そのことを知っていると思います。

◆◆◆

さて論者は、この作品をどう読んだのでしょうか。

論者は、「市九郎に対し復讐に燃えていた実之助が彼と触れ合うことでその怨みを忘れ、やがては市九郎の大願成就を共に喜びを分かつ」ことになったのは、どのような過程があったからだろうか?と考えを進めています。

そしてそのことを理解するには、作中の市九郎の生き方を3つの時期に区分するのが便宜に叶う、と言います。

はじめは、窃盗によって生計を立てていた時期。
そして、自分の犯した罪を悔いながらも贖罪叶わずもがいた時期。
さいごに、人の命を奪う二百余間の絶壁を掘り貫くという大難事を見つけ、それと生涯をかけて向かい合った時期。

またそのそれぞれには、生きるために人を殺し、懺悔のために人を救い、人々をさらに救うために絶壁を掘る、という手段と目的があると言っていますね。
ここまでは、物語をひと通り読めば達することのできる理解です。

◆◆◆

ところが論者は、それにとどまらずに、これらそれぞれの過程のなかに、「市九郎の行動を律している主体」が存在していることを指摘しているのです。(「主体」と書くだけでは一般の読者にはうまく伝わりませんから、括弧中に記したような説明が初出時に欲しかったところです)

たとえばわたしたち人間が、表面上は同じ行動をしているように見えるときにも、そこに働いている主だった理由というのは、人それぞれです。
同じ大学で、隣の席に並んで授業を受けているときにも、ある人は親に勉強をしろといわれているから嫌々それをしているのかもしれませんし、またある人は、自分の思い描いている夢を叶えるために本心から必要だと考えているのかもしれません。

論者がこの、自律と他律の問題を、手段と目的と併置するかたちで提起したのは、ほかでもなくその理解が、この作品が持っている立体的な構造に分け入って、作品をより深く理解するにあたって必要なことだからです。
市九郎の切った主人の息子である「実之助」は、当初は市九郎を敵として狙い命を脅かしますが、市九郎の、老いさらばえて失明の危機にありながらもなお、槌を振るい続ける姿に絆(ほだ)されて、共に槌を振るい、そしてまた、貫通の際にはともに手を取りむせび泣くことになってゆきます。

実之助が、敵としていた市九郎の中に、「自分の事業によってひとりでも多くの命を救いたい、そのことがひいては自らの贖罪となるのだ」、という紛れも無い本心からの誠心があることを読み取ったからこその共感が、ここでは描かれています。
そうであるからには、その動機となっているもの、その行動の原動力となっているものが、他からの強制であるのか、それとも本心からのものであるのかは、やはり問うておかねばならない問題なのだと、論者は考えているのでしょう。

なるほどたしかに、市九郎(了海)が、たとえば仏道に従うかたちで、つまり他律的に絶壁を掘り貫こうとしていただけなのならば、実之助の心をこれほどまでに強く揺さぶり、ついには共感の涙を流すほどまでには至らなかったであろうという指摘は、もっともなように思われます。
もし市九郎が、敵として討たれることの怖さのあまりに、単なる手段として得度していただけなのであれば、実之助はその目論見を浅ましいものとして、大罪を犯したことに加えて反省も見えぬどころか保身に走るという意味で、二重に嫌悪することになっていたでしょうから。

しかし実際には、実之助は、市九郎の姿に心底共感を覚えるようになってゆきます。
論者の指摘したように、実之助は、一度は「人としての人格は認めよう。しかし、それでも敵は敵である」とばかりに、家名を継ぐ者としての役割を確認することで、心の動揺を落ち着けようとしています。
しかしこれは、いわば他律の力なのであって、結局のところ、絶対的な自律の境地に達せんとする市九郎のあり方には、道を譲らざるを得なかったのだ、ということなのでしょう。

◆◆◆

なるほど、実之助が、敵でありながらもなお市九郎の姿に深く共感したというのは、彼の中の「自律」というものに感銘を受けたからなのだ、という指摘は、たしかに合点がゆきますね。

ただひとつ、注意が必要なところがあるとすれば、以下の表現です。
「人々を救う為に、自分に従い、穴を掘った」
絶壁を掘り貫こうとする了海は、たしかにほとんど絶対的な自律によってこの事業を達成しようとしているのですが、ここでの、純粋なまでに「自分」に徹する、という姿には自らの保身というよりむしろ、「自分をかなぐり捨てる」という面もが同居していることには注意が必要です。
自分の観念に純粋に忠実でありすぎるあまりに、自分の心身が傷つくことをも厭わず、さらには自分が敵として見做されるのも道理なりと、従容として自らの身体を任せる、というあり方は、もはや個体としての身を持った自己を超越しているようにも見えます。

ですから、「自分に従っている」というのは間違いではないのですが、その「自分」というのは、我欲や保身を伴ったところのそれではありません。
彼の場合には、ひとりの人間としての妄執に囚われないという意味で、自我を離れた「無我」や、その境地に達しているのだ、とでも言うべきでしょう。

そんな彼の姿を、実之助は「喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心」と見ました。
市九郎の目指すところが、個としての一人の人間の欲望や目的、そういったものを超越しているからこそ、実之助は、敵である彼と並んで、大難事を共に達成しようとしたのではないでしょうか。

◆◆◆

このことをふまえて、論者の引き出した一般性を評価することにしましょう。論者が書いたのはこうでした。
〈自分の目的の為に、穴を掘り続けた一人の男の姿〉
見るところ論者は、自らが取り出した市九郎のあり方の三段階を抽象することによって一般性を求めようとしたために、このような表現にたどり着いたのではないでしょうか。

しかし、「自分の目的の為に」とだけ聞くと、目的的に対象に向きあうのが人間という存在なのですから、言うまでもないほどの当然の一事なのです。
また、この物語で実之助が感化されたのはなにも、市九郎が穴を掘り続けた姿なのではなかったのでしたね。
その理由は、論者が指摘していたように、市九郎の自律的な主体性にあったのですから。

抽象という作業は、ひとつの原則を把持し、それに照らしてはじめて個別の対象から一般性が引き出されてくることを言うのですから、かたちの上で抽象を重ねると、ただぼんやりとした表現にたどり着いてしまう、ということは今回の失敗からしっかりと学んでほしいところです。
ともあれ、これは研究者ですら同じ踏み外しをすることが多いですから、時間をかけて学んでゆくという姿勢が必要です。
論者の扱っているのは短編が中心ですが、このような中規模の文学作品ともなると、短編を扱うときのような方法では、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。

◆◆◆

結論としてまとめると、この評論は、論証部で指摘されている作品の立体構造は首肯しうるところながら、一般性については、その立体構造に引きずられて、というより、自分自身が立体構造を引き出せたという嬉しさのあまりに、そこをさらに抽象するかたちで一般性としてしまっために、ぼんやりとした表現になってしまったことがわかります。

ではどうすればよいかといえば、論者は、市九郎の自律心が、家名を言い訳にしてでも敵を打たんとする実之助にとってでさえも、共感を呼び起こすほどのものであったことを指摘しているのですから、そのことを含めた一般性を考えればよいのです。

この物語は、<贖罪から衆生のために生涯を捧げた男の自律心>を描いているのだ、とでも言えば、論者の論証部の指摘を活かしうるものになるはずです。

ただ上で述べてきたような、表現の絞り込み方と、それを推敲する際の技法、つまり認識を表現するときの技術については、まだ注意を要するところがあるとはいえ、論者が立体的な構造を引き出そうとし、またそれが一定の成果をあげていることは、これまでの指導と論者自身の努力が決して無駄になっていなかったことを明確に示していると考えています。

評論のコメント中に個人としての感想をあまり挟むべきではないかもしれませんが、とても嬉しかった、と述べておきたいと思います。

ともあれ、先はまだまだ途方もない長さがあるだけに、一層身も心も引き締めて、前進を続けなければ、と祈念しておきましょう。

◆◆◆

さいごに、コメントの流れとは外れるために触れなかったことを書いておきます。

コメント中にある「無我」というものについて、自己を突き詰めるがゆえに無我に達す、というのは、禅仏教のみならず文芸の世界や創造的な労働の世界でも見られるところです。

たとえば、天然石を彫刻するときには、まず眼の前に石をおいて、表面の模様(石目、といいます)を読みながら、石柱にある石目を観念的な像として描くという作業が必要です。
そして次にはそれと、これから掘り出したい観念の像がうまく調和する向きや角度を探し、掘り出す像を調整するという浸透の過程があるのです。
そのとき、ひとつの対象である石と、それに手を入れる者が向きあう中で、一般には「自分が石を掘る」という言い方が適切であるはずの体験は、突き詰めてゆくうち「石が自分にあるべき姿を掘らせている」といったような感触にも通じていることがわかります。

この主客の転倒というものは、学問の世界でも、唯物論と観念論とのせめぎあいと変転に見られるところの原因となっているものであり、あくまでも素朴な実感としては、このような感触を得うることも事実です。

これらのことは、ほかにも武道が、人殺しの技を突き詰めるがゆえにそこに生を見出す、活殺自在、という境地を手に入れることとも通じています。
この過程には、<対立物への転化>、<否定の否定>が見られますし、結果から整理して言えば<対立物の相互浸透>の構造を持っている、とも言えますね。

しかしこういった転化は、実際に体験した者でないと、なかなかうまく像を描けないものなのではないでしょうか。
作品を向きあうだけではわからない場合には、別の資料にあたって調べてみることも、とても大事なことです。
作家のなかには、実際には自分で体験したことがなくとも、よくぞここまで、という臨場感と人物描写を書き上げてしまう人がいますね。
彼女・彼らはやはり、観念的二重化を技として身につけているのですが、自分に不足する知識の収集方法も優れていることを忘れてはいけません。

また、余談の余談になってしまいますが、無我の境地などを体験する者が注意すべきことは、経験はたしかに尊いのですが、それを誇張するあまりに経験一辺倒という誤りに落ち込まないようにすることです。
刀を振っていて、また絵筆を握っていて、宇宙が見えた、神との合一を果たした、といった実感があるのはたしかなのですが、そこにはどのような過程があり、またどのような転化、ときには転倒が起きているのかをわかっておかねば、単なる教条主義になってしまいます。
そもそもを言えば、そのようなことばで表現せざるを得ないこと自体が、すでに教条主義、形式主義の第一歩であると見做すべきです。

いわゆる神や宇宙、普遍についての実感は、感受性の高い人間ならば幼少期からいくらでも見ることのできる主観的な事実なのですが、それを客観的に見つめることのできる論理性を手に入れた時にしか、その感受性というものは正しく評価できないのです。
感性と理性とは、<対立物の相互浸透>のかたちで学んでゆかねばならないことを、どちらかの力が強い人は、とくに注意して自省しながら歩みを進めてほしいと思います。

1 件のコメント:

  1. 〉無我の境地などを体験する者が注意すべきことは、経験はたしかに尊いのですが、それを誇張するあまりに経験一辺倒という誤りに落ち込まないようにすることです。
    〉感性と理性とは、<対立物の相互浸透>のかたちで学んでゆかねばならないことを、どちらかの力が強い人は、とくに注意して自省しながら歩みを進めてほしいと思います。

    ↑ バランスを意識した対立物の統一ですね。

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