最近はスマートフォンでめちゃくちゃキレイな写真が撮れてしまうので、わたしが数年前に買ったコンパクトデジカメは、iPhoneを5にしてから、引き出しの奥に仕舞われたままでした。
コンデジがiPhoneに勝っているところといえば光学ズームができるところだったのですが、ズームレンズをつけるとそのぶん最適化が難しくなるので、単焦点(光学的にズームできない、ということですね)を貫いているiPhoneの、年々の画質向上に白旗を挙げる時が来てしまったというわけです。
なのでカメラを選ぶときには、iPhone 5の画質は少なくとも越えてくれるものでなければ困ります。
かといって、カメラで食べている知人の持っているようなものを見ていても、わたしの手持ちのバッグではどーやって持ち運べばいいのか皆目見当もつかないような大きさですし、だいいち、車一台買えちゃうような額のものは買えません。
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そういうわけで、ここ1年ちょっと下調べしてみたのですが、カメラの世界って、写真が好きな人や写真を撮ることが純粋に好きな人よりも、「カメラという道具が好きなだけ」な人が妙に声が大きいもので、信頼に足る人を探すのがけっこう難しい気がします。高度な道具を使ってする営みには、どうしてもつきものの落とし穴ですけども。
いくら高いお金を出して良いカメラを手に入れたからといっても、表現したいものを明確にしてゆく努力をしないのなら、よい写真が撮れるはずもありません。
写真を単に写した文字が読めれば良い、証拠として残したいなどという記録だけの目的に使うだけならまだしも、いったんそれを芸術として表現しようとする場合には、その表現のうちに、表現者の認識の高みや深みが現れていなければならないからです。
写真というものは、機械が撮った写真が芸術と呼べるか、という画家からの批判を、より色鮮やかに、より明るく、より湾曲が少なく、という道具としての発展によって乗り越えてきたようにも見えます。
しかし、道具としての実力の向上がただちに芸術としての質の高まりに結びついているように解釈するのは、実のところ誤りです。
表現のための道具は、わたしたちがアタマの中に持つ理想像を現実的なものへと移し替える際に手助けをしてくれますが、それは創作過程のすべてを代替するようなものではありません。
ひとつの作品を芸術としての鑑賞に耐えうるものにするために決定的な役目を果たすものは、また芸術の内容を規定するものは、表現者の認識の高みと深み、広くは彼や彼女の人格、というものです。
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これはなにも、芸術としての体裁を備えているものに限りませんから、芸術をするための道具についても、その作り手の認識の深みを捉え返せるようなものであればよいと思うのですが…それでなくても、高い買い物ですしね。
で、今回のカメラですが、カメラ本体は全然文句ありません。
人によってはちょっとやりすぎな感じもするであろうレトロっぽい外見も、出てくる写真の色味も好みですし、とくに感度の高さにはうっとりさせられるほどです。
ただこれは…どうなんでしょうね。
写真は付属してきたカメラストラップですが、実際に触ってみるとベタベタのゴムのような質感の合皮です。
…見なかったことにしよう。
そっと、もとの袋にしまいました。
今回買ってきたのは自称プレミアムカメラ、ですから(実際そのとおりだと思います、本体はね!)、ストラップもそれに見合うものにしたい気持ちもありましたが、これなしで持ちまわるのは心許ないので、つべこべ言ってもいられません。
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素材を買いにゆく時間ももったいないので、ありあわせのものでとりあえずなにか作ることに。
今回のお題を作るに当たっての条件はこんなところでした。
・金具を使うと、持ち運び中にガリガリ本体を削ってしまう心配をしていなければならないので、できる限り金具は使わない方向で。
次に既存のものを色々調べて回りましたが、
・ストラップ全部を革で作ると、折り曲げて収納しにくくなるし、劣化すると千切れるし、そもそももったいない。
というわけで、芯材は革以外のものにしましょうか。
となると、真っ先に思い浮かんだのは、前に自転車サイドバッグを作った時のあまりのアクリルテープです。
革を切り出す時間も惜しいなと思ってキョロキョロしてみたら、ついこの前アイデアノートカバーを作った時に余った、柿渋染めした革を発見。
これでいけそうです。
付属していた三角の二重リングは使いにくいので、100円均一で丸型のものを調達。本を読みつつながら作業で縫い進めます。
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というわけで、なんとか次の日にはちゃんと使えそうなものができました。
いつもこのペースで仕事できたらいいんですけどね。
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唯一の金具、二重リングで本体が傷つかないようにガード。
この部分は、ベタ貼りしたiPadケースで使ったものの、ベタ貼り済みの革の余りをくりぬきました。
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自分だけが使えればいいので、首かけと肩掛けの兼用にするのも簡単です。
市販のものは、色々な使い方のユーザーが使えるものにしなければいけないので、長さを調節するための金具を増やさねばなりません。
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ストラップ部分は、表が柿渋染め、裏がすっぴんのツートンです。
これもわざとそうしたというよりも、たまたま余ってたのがこれだったから。
コバを削って段差をなくし、つるつるになるまで磨いているので、縫い目から1mmほどしかありません。
こうしてしまうといざというときのメンテナンスが難しくなってしまうのですが、今回のものは一期一会なのでかまいません。
潰れたらまた作るのみ。
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以前の自転車サイドバッグのときは、アクリルテープと革の部分をサンドイッチのようにしたので、肩に当たる部分が硬めに仕上がってしまったのですが、
以前に作った自転車サイドバッグ。 肩掛けベルトの肩パッド部分がサンドイッチになっている。 |
今回はアクリルテープ部分は直接縫わないように、かつテープを少し寄せるようにしながら縫い進め、革の上下の縫い目によってテープを挟みこむようにしました。
こうすることで、首や肩にかかる部分に膨らみを持たせるようにできます。
今回のカメラストラップ。 テープ部分を横軸では縫わなかったことで膨らみをもたせた。 |
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間に合わせで作ったわりには、これといった不満のないものができました。
あとは大雑把に放り込んでおけるケースがあれば、外でも安心して持ち運びができるのですが。
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さいご。
この写真は付属の充電器なのですが、
なぜにこんな長いコードをつけちゃうんでしょうね…。
充電器本体にプラグをつければよいだけの話だと思うのですが。
どうにかなんないかな、と思ってこれまた部屋を見渡してみたら、
ありました!
iPad用の充電器のプラグ部分。
不恰好ですが、これで旅の持ち物が減らせます。
しかしこう言っては皮肉っぽいですが、周辺機器も「プレミアム」仕様にできないものなんでしょうか。
コストの観念がついて回るメーカーとしては、本体に全力を注げば周辺機器は二の次、ということなのかもしれませんが、実際に商品を買ってきて楽しみに封を開けるオーナーとしては、パッケージ全体でひとつの評価を下すのですから、梱包にしろ備品にしろ、細かな手抜きが積もり積もればそれなりの汚点と見なされてしまいます。
わたしは今回の製品のパッケージングを全体として見た時に、カメラストラップについては、「カメラを落とした客から来るであろうクレームにビビってつけた」という判断があったのだろうと、作り手の立場を捉え返して理解しましたし、ACアダプターについては、「プレミアム機種なのにコンデジと同じバッテリーの使い回しでコスト削減を狙った」のだろうと理解しました。
コスト意識を働かせるのが悪いことだとはまったく思いませんし、それどころかそれが創造の母になることも少なくないとさえ思うのですが、誰がどうみても、作り手の消極的な判断だけしか読み取れないようなものは、思い切って「つけない」という判断をしたほうが、中途半端につけてしまうよりもむしろ高評価につながるのではないでしょうか。
ここでもやはり、製品なり作品なりといったひとつの表現は、作り手のところをいったん離れたからには、それを観るものによっていかようにも解釈されうる、という認識と表現の相対的な独立の構造があることが読み取れます。
だからこそ作り手は、その構造を自らの創作過程を導くものとして捉え返し、「お客さんがこれを見たらどう思うかな?」という観点を持たねばならない、ということになりますね。
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