一般教養を積むことの重要性を伝えると、
各論や詳説を扱った参考書を持ってくる人がいますが、それではだめです。
中学・高校の多感な時期を、肉体的にも精神的にも受験勉強的に染め上げられた学生さんにとっては、「高度な研究」ということばの像が、「詳しい知識をたくさん集めること」という像とまったく等しいものとして、つまり<直接的同一性>であるものとして脳裏に描かれてしまうのも無理はないと思います。
たとえば日本史という分野をこういった考え方のもとに研究を進める場合、参考とすべきものは、小学校の教科書よりも中学校の教科書であり、中学校の教科書よりも高校の教科書、さらには大学受験用の参考書…となってゆくわけですが、この考えを推し進めると、日本史の一区分である中世の一時代である江戸時代の一時期である…××旧家の倉庫に眠った古文書の読解、といった個々別々の研究が待っていることになり、最終的にはそのような詳しさのレベルの知識を辞書的に編纂することが学問の総体である、という理解に到達することになります。
そういった個別研究が、日本史の「資料の」一部であることは間違いなく、さらに言えば日本の研究者集団がそういった傾向の研究を得意としていることは事実であるのですが、そういう研究をする上でも必ず押さえておかねばならないのは、人類の文化遺産の体系性を把握した上での専門分野の確立、なのです。
「必ず抑えねばならぬ」ということが言えるのは、これが「学問の話だから」、という大前提に基づいていますから、ワタシは学者にはならなくてよい、パンダの存在を知らずとも幼児のことを誰よりもよく知る研究者になるのが夢である、という人には、このような話は通用しないと言えるかもしれません。
しかし仮にも、「学問」の道を志して歩みを始める者にとっては、その本質が体系性というものにある限りは、個別研究にいきなり没入して二度と帰らなかった、ということでは絶対に困ります。
初心忘るべからずと言いますが、個別の知識の収集はそれはそれなりの面白さがあるために、そういった研究の日々を続けるうちに初心などどこへやら、といった立派な(?)個別研究者として完成してゆくことになり、わずかにくすぶっていた学問の魂もいつしかかき消えてしまっていた、ということにもなりかねません。
しかしそういう場合にも、個別研究者は、研究上のつまづきや限界をきっかけとして、他分野の研究成果を尋ねようとすることがないわけではありません。
大学の先生の研究室をたずねた人なら誰でもわかるように、心理学を専攻する先生の部屋にも、生物学や物理学、社会学や哲学の本が置かれていることがほとんどのはずです。
先に述べたようなご当人たちは、自分の専攻する分野に加えて、こういった他分野の書籍を綱領することで、いわば自らの専攻分野の全学的な立ち位置を明確にするとともに本質的なものになさしめるの責を果たそうとするわけですが、この段になると、それではダメなのだということが、どうしてもわかってもらえないようなアタマ、つまり認識における像の描き方、になってしまっているのです。
学問の体系化にとって必要なのは、細かな字句の違いはともかく、学問の「全体理論」といったたぐいのものではありません。
なぜこのような概念を作り上げてしまうのかといえば、学問の本質を、個別的な知識を単純に総和したところの辞書的な集成にあるという前提が脳裏にあるからですが、もっといえば、そのような像の描き方しかできていないから、なのです。
では本当に体系化するためには何が必要なのか、と言えば、学問の構造についての理論、<構造論>がそれにあたります。
現時点では、どちらも全体的・総論的な規定について述べているようだが…と思われる方もおられるかもしれませんが、これはどんな分野を専攻する場合にも、また学者や研究者という肩書きを背負わずに、市井の理論的実践家として仕事や趣味に取り組まれる場合にも、押さえておいてもらわねばならないことですので、せめて「あれ…?こういうことかな?」と、なんとなくでもその違いに気づいてもらえるように、ともに考えていってもらうことにしましょう。
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例として引用するのは、近代文学・詩史の通史を扱った書物である三好行雄『日本の近代文学』(1972、塙新書)です。
分野はどうであれ、わたしのところで研究する学生さんには例外なく、自らの専攻分野の通史を、じっくり数年をかけて理解して我がものとするということをしてもらいます。
同じやり方で研究を進めてみてどうなるのか確かめたいというとき、通史の選び方がよくわからない、どう取り組めばいいのかまだわからない、という方にとって、「ひとつの本を手にとったとき、どこをどのようにして読むべき本を選び、実際に読み進めればよいのか」の手がかりにしてもらえるのではないかと思います。
世の中を見渡すと、本格的・本質的な文化遺産の継承と新たな一歩の構築に生涯をかける、という事業のなんと少ないことか…と思わされることしばしです。
それが実現し得たかどうかに関わらず、そもそも、その志そのものがまったくない!というような作品や人格を見ると、何故このようなものを世に出すことができてしまうのか?と、ため息の一つもつきたくなろうというものです。
ですから、ここで何かしらの奇縁をわずかでも感じ取っていただけた方は、ぜひに初歩を踏み出してもらえれば、と願ってやみません。
はじめから本質を捕まえられる人間など一人もおらず、その意味で天才などというものは単なる幻想の類なのであって、それは無数の失敗からか細い本質へ至る道を見つけ、なおかつ罵詈雑言に負けず実際に歩み続けることができた人物のことを、その苦難の過程を知らないままに勝手な意味付けをされているにすぎないのですから、現時点での条件がいかに揃っていないかの陳述を生涯に渡って綴る努力をするくらいなら、同じ努力を本質の道に捧げてみることをお勧めします。
ダメで元々、グズ上等、です。誰でも出発点ではそんなものですから。
人間の人生は、泣いても笑っても一回きりなのだと人は言いますが、この「一回きり」という言葉を、どれほど自分の人生と直接関係のある言葉であるとして受け止められるか、ただその一点で、他でもなくこの人生は、どのようにでもなるのです。
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よけいなおせっかいはさておき、そろそろ始めましょう。
はじめに二つ引用をしておきますが、答えは明示しませんので、考えを聞かせてください。
文学史にまったく触れたことのない人に、ここだけでその内容までお伝えすることはできませんが、数度読み通せば、なぜわたしがここを抜き出そうとしたのか?なぜ数ある通史の中からこの本を選んだのか?この本には(他の本には見られない)どういったことが書かれているのか?が、なんとなくでもわかってもらえるのではないかと思います。
そうは言っても手がかりなしには…もう少しヒントを!という方は、まず弁証法の三法則である<相互浸透>、<量質転化・質量転化>、<否定の否定>や、<対立物の統一>、<対立物への転化>などがどこに見られるのか、を探してみてください。
次に、それが単に「まず」すべきことであって、直接の答えではない、ということを確かめてみてください。
それは直接に、森羅万象の運動法則である弁証法と、個別の歴史性である文学史の流れが、どのような区別と連関にあるのかということをも指しているのです。
p.26
文学はもともと、つねに反状況的な志向で支えられる。自然主義を指弾する良俗の声が高ければ高いほど、それは自然主義に内在した反社会性、既成の道徳に挑戦する反逆精神の明証になる。自然主義の文学運動が曲がりなりにも、わが国の文学的近代の確立をなしとげたゆえんである。
p.36
すぐれて近代的な個性が逆に、日本の近代社会の内部で反近代(傍点)的な方向に動くという、これらの事態は決して偶然に暗合ではない。ジグザグな過程を経てそれなりに実現しつつあった日本近代の到達が、その近代化の過程が内包したさまざまな要因ゆえに避けがたい痼疾をあらわにしていった時期、そして良かれ悪しかれ、日本近代の独自性があざやかな焦点を結びつつあった時期、それが明治四十年代という、自然主義の自己閉鎖を文学的反映のひとつとする時代の意味であった。西洋を指呼する理想的近代の幻像が牢固であればあるほど、日本の近代的(傍点)状況からの脱出が不可避だったゆえんである。
(引用が2につづきます)
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