2011/01/04

正月もおしまい

前回はすみません。


入浴の後で更新しようと思っていたら、深夜に来客があったもので。
昨日はぶっ続けで議論したりしていたので、今日はトレーニング2日ぶん。
ランニングが終わった瞬間に目の前が真っ白になってしまった。ひさびさだ。
さすがに腕が上がらん&頭がまわらんわ。

年末にいろいろもらった質問へは、引き伸ばしてすみませんが後日。
明日は図書館が開かない(待ち遠しい…)ので、おそらく時間がとれるかと。


そんなわけで三が日はまるでゆっくりできなかったけれど、
年末からけっこうたくさんの人と会っていたので、
一般の人たちの意識がどういうところにあるのかがよくわかった。

自分に馴染んだ方法論というのは、改めて振り返ってみなければ、
「ああそういえば、習いたての頃はこういう法則を意識しようと頑張っていたっけ」
と確認することができない。

教育を度外視する場合には、骨肉化した技のままで放っておけばいいのだが、
それを少しでも考慮に入れた場合には、とたんに学習過程への反省を強いられる。
自分がつくり、登った山を一旦麓まで下って、後進たちが登れるように促す。
そうして、山の作り方を伝えると共に、登り方、促し方を教わる。

だから、教える方を練ることは、過程的構造の解明と直接的に同一だ。

そういうことを確認させてくれる後進たち、
周りの一般の人たちには、いつも感謝して止みません。
いちばん勉強しているのは、まぎれもなくわたしです。

今年もどうぞ、よしなに。

◆◆◆

さて、今年度からは生活スタイルがけっこう変わるので、
これまでの思想性を惰性ですり減らさずに把持できるかどうか。
自分と勝負。

目標は継続して、前年から、知力・体力共に1.1倍。
いまを1として、10年続けられていたら2.5。
20年で6.7、30年で17である。

1.1倍というのは結果としての目安だから、
努力の過程としては齢を重ねるほどにより上のものとなっていかねばならない。

「どうやって数値化するのか」と問われる方は、
全力を出し切っていないから、いまの実力がわからないのだ。
電車の中で足を踏ん張るトレーニングだけでも「真面目に、真剣に」試してみられれば、
初めは1分も持たないことがよくわかるはず。
そうすると、それが2分できるようになったことが、大きな前進だとわかるでしょう。


わたしの目標管理は昔からバリバリの原則論で、やりかたは単純。

目標の期限を1ヶ月に設定した場合。
単語1600個を覚えるとなると、一日54個は覚えなければならない。
平泳ぎ25mを6かきで終えるには、2週間で1かき減らさねばならない。
ホルストの木星ソロをひと通り覚えるには、2週間で2章節ずつやらないと終わらない。
全部そんな感じ。

かなり無茶なように見えるが、よっぽど無謀な計画でない限り、これでなんとかなる。
ピアノなんかは、期限も5分前というときに突然弾けるようになったのだから、
人間にとって目標というものがいかに大事かがわかる。
言い換えると、問題意識を持って生きる、目的的に生きることが如何に大事かわかろうというもの。


だから、同じ志を持って切磋琢磨できるライバルがいる方は、ほんとうに幸せだと思う。
それが叶わぬ時には、自分の中に神様(=世の中で一番厳しい見張り番)をつくるか、
後進を自分の実力以上の人間に育てるしかない。どっちも大変です。

◆◆◆

ついでに、昨日考え事をしながらちょちょっと作った筆箱をついでに載っけておきます。

年末に頼まれて作ったものは3mmの革だったけど、今回の要望は2mmで。


ベースにしたのは、愛用している無印良品のヌメ革ペンケース。

あいにく部品のジッパーの持ち合わせがないので、ボタン式に。
そうすると、側面のくぼみに指を突っ込んでボタンを止める形になる。
ボタンは端っこにつけるしかないから、ナマズのような顔になる。


しかし参考にできるベースモデルがあるものは、
しょっぱなからけっこういい仕上がりになるね。

これも毎度のことで、作ったあとコバ磨きをしてオイルを塗ったら、
すっかり手放したくな(略)。


まだまだ修行が足りませんね。

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