2013/09/25

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(補1):1887.03.06 (I)

今回は遠回りをしてすみませんが、


学生さんが自主的に提出してくれたレポートの再提出ぶんを見てみることにします。
ナンバリングがわかりにくくなるので、今回は本編とは違った補足編として書いてゆくことにしましょう。

せっかくの再提出ですから、論理的に人の認識を読むということはどういうことなのか、という問題意識に照らしつつ検討してゆきます。



ここまででサリバンの本について書かれた記事は、以下のようになっています。

【本編】
【メモ】『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』のマインドマップ(※7/25更新)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』 (1)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(2):1887.03.06 (I)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(4):1887.03.06 (III)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(5):1887.03.06 (IV)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(6):1887.03.07 (I)

【補足編】
・この記事


◆ノブくんのレポート◆

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版2)

 サリバンがヘレン・ケラーとはじめて出会ったのは、3月3日の事でした。驚くべきことに、彼女はこの日のうちにヘレンの教育に対する重大な欠陥を見つけ出し、多くとも数日のうちに大まかな方針を決めていったのです。

 そしてその重大な欠点とは、精神的な部分にあるのでした。というのも、彼女は他人の荷物を勝手に覗く、触れる、触るものはなんでも壊す、その表情は魂みたいなものが抜け出ている、虚ろである等といった、とても7歳前後の少女とは思えない奇行をとるのです。
 こうした事実からサリバンは、彼女が「子供特有の内から湧き出る衝動」によって振り回されていることを指摘しました。通常、彼女のぐらいの年齢の子供達は、世界のあらゆるものごとをその小さい身体で力いっぱい感じ取る事ができます。例えば、広々とした公園や学校のグラウンドを駆けまわったり、ブランコを大空へ飛び込むように大きく漕ぐことによって、世界の大きさを体感しようとします。まるで、彼らの小さな身体に潜む、大きな何かに突き動かされるようにエネルギーを使い果たそうとするのです。ところがヘレンの場合は、そうした衝動が他の子供達と同様にあるにも拘わらず、それをうまく発散することができません。またそれを知る術もないのです。ですから「彼女の休息を知らない魂は暗黒の中を手探りする」しかありません。それがどのようなものか、なんの為に使うのかを知る事もできないままに……。ですから、彼女は空虚な表情で、あらゆるものを手で触り、壊すことしかできないのです。

 そこでサリバンは、ヘレンの「内的な衝動を失うことなく、効率よく発散させていく」(※)という目的論を立てて、問題の解決に取り掛かっていったのでした。そしてその解決方法が下記にあたります。

 私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

 彼女は上記での目的論に対して、「ゆっくりやりはじめて愛情をかちとる」という方法論にたどり着きました。そしてその方法論の前提として、ヘレンの従順さ、服従する事が要求されています。
 ここで注意しなければならないのは、この「服従」という言葉に含まれれる「認識」というものは、普段私達がイメージしているそれとは異なった内実になっている、ということです。ここ述べられている「服従」とは、虐待している親たちのような、全面的な降伏を意味するのではありません。あくまでも、人間の社会的なルールに逸れた場合、それを強制するといった意味で使われています。ですから彼女の「服従」とは、暴力や支配が目的になっているのではなく、最低限の社会性をヘレンに持ってもらうことが目的になっているのです。
 そうして培っていった社会性は、彼女の人間的な感情の土台にもなっていきます。何故なら、私達の感情というものは、社会を生きていきた中で育まれてきた、経験的なものなのですから。例えば、ある時点までは、「子供を大切だと思っている親が、自分を叱る」という事ができなかったとしても、何度も親に叱られ続けたり、自分がその当時の親の立場を経験していく中で、「大切であるからこそ、かえって叱らなければならなかったのだ」ということに気づいていくはずです。そしてこのヘレンも、はじめはサリバンが叱ったり、征服する理由がわからずとも、正しく社会性を身につけていく中で、自身への愛情が裏に潜んでいた事が理解していく事でしょう。

 しかしここで気をつけて頂きたいのは、ここではヘレンを征服することよりも愛情をかちとることが積極面として表れている、ということです。
 この日以降の手記を見ていただければ理解して頂けると思うのですが、ここでのヘレン・ケラーを取り巻く環境というのは、サリバンとヘレンの兄のジェイムズ以外、彼女に逆らうものが何もありません。よって、彼女の身の回りには、彼女の現在のあり方を変えようとする環境と現在のあり方を受け入れようとする環境とが存在していることになります。そしてこの2つの環境のうち、果たして彼女はどちらを選ぶでしょうか。この続きは、3月11日の手記にて論じさせていただきたいと思います。

脚注
※本文中では、「彼女の基質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するかがこれから解決すべき最大の課題です」とある。


◆正誤◆
この「服従」という言葉に含まれれる
私達の感情というものは、社会を生きていきた
「子供を大切だと思っている親が、自分を叱る」→読点の前までが「親の視点から子どもを見た視点」であるのに対し、読点以降が「子どもの視点から自分自身を見た視点」となっており、読者にとっては非常に読みにくい表現となっている。いやしくもことばを使って仕事をしようと考えている者なのであるならば、自分の表現が、その受け止め手にとってどのように感じられ、考えられるのかは必ず検討しておかねばならない。しっかりと反省されたし。正しい表現ではどうなるのかはここでは書きませんが、後日聞くので考えておいてください。



結論から言っておきましょう。
このレポートでは、これまでの議論をしっかりと踏まえられているとは言えません。もっとも、その実力がまるでないというならまだしも、ですが、力があるのに発揮していないのでは問題です。

レポートの表面をなぞらえるだけならば、サリバンが初日の手紙に書き残したことが半分は触れられているように思います。(残り半分の、ヘレンの言語能力についての考察も期待していたところですが…これについては難しすぎるかもしれないとは思います)

これは、以下でわたしが書いておいたことをふまえようとしたわけですね。そして、事実そうできているとまでは言えるのです。
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)

ところが、前回紹介した良い出来栄えのレポートについて、そのレポートを読みながら確認しておいたことがあったはずでした。そのことについてはどう理解したのでしょうか。あのレポートが評価されるべきだったのは、知識的な内容を深堀りしたからなのではなくて、サリバンの高度な実践の中の重層構造を浮き彫りにしえたからこその評価だったのでした。(この<重層構造>については本題ですから、説教のあとで述べます)

もしあなたが一流の道を歩もうとするならば、同じテーマや素材を扱うにしても、前回触れた触れ方よりもより高いレベルで、つまりより深い論理構造を引き出すことによって、それを乗り越えてゆかねばなりません。もしすぐにはそれがかなわない場合にも、その姿勢だけは諦めてしまってはいけません。誰が何と言おうと握りしめて、粘り強く取り組まねばなりません。ここをほとんどの自称・一流の人たちは、「知識を広く集めることで」乗り越えようとするから、晩年は雑多な作品や研究に始終してしまい、結局は最初期の研究や処女作品が一番良かった、ということになってしまうのです。とくにここで「一番良かった」と評価されるのも、それがコンパクトにまとまっていながらも一本の芯が通っているように映るからこそ、なのですが、この好評価こそは、知識の少なさゆえにかえって主題や本質が浮き彫りになっていたからなのだ、と彼らはわかっているのでしょうか…。

もちろんだからといって、知識を集めるなと言っているのではありません。知識をいくら集めてもそれは勝手なのですが、それをどう見るか、という「物事を見る目」を日々鍛えているのでない限り、かえって膨大な知識に押しつぶされることになり、構造や本質がいつのまにか見えなくなってしまう、ということを言っているのです。その段階に至るとほとんどの人たちは、結局真理などというものはなかったのだ、追い求めること自体が間違っていたのだと、“真理など何もない”極端な相対主義者となって、知識の海に埋没することをむしろ居心地が良いことのように感じる歪んた感覚を身につけていってしまうのです。しかし実のところ、真理は「なくなった」のでは決してなく、ただ「見えなくなった」だけ!なのです。

このことは以前から何度も伝えておいたとおりですが、それも、今のあなたの表現からは、なんとしても一流になるのだ、という気概をまるで感じられないからの念押しなのです。



さて、ここで「物事の見る目」の大事さを思い出せ、「論理」的に見よ、などといっても、それを念頭に置けてはいてもなぜか実践ではうまく働かない、力んでかえって空振りしてしまう、といういわゆるスランプは誰にとっても起こることですから、もう少しともに考えておきましょう。

まず気持ちの面での問題から触れておきます。少々下世話になりますので、見る人から見れば占いか三流宗教まがいに聞こえるでしょうが、いつもどおり誤解を恐れずに率直に指摘したいと思います。

まず、今アタマにうずまいている焦り、というものをしっかりと見つめてください。数年も先に始めていることなのに、新しく始めた人たちの頑張りを見ていると、もしやこれは近いうちに追いぬかれてしまうのでは、という思いが拭い切れないのではないでしょうか。その思いを見ないようにしようとすれば、かえってどんどん触れたくない、触れられたくないわだかまりが、あたかもアタマの中の実体であるかのようなレベルにまで膨らんでゆく(<量質転化>)ことでしょう。

しかし率直に言って、これは単なる思い過ごしであって、そんなものは客観的には存在しません。思い返してみてください。「自分がわからないところをもっと探してきなさい」、「鈍才としての努力をこの先も続けなさい」、と常々言われてきて、また実際そうすることで実力を伸ばしてきた自分のことを。自分の馬鹿さ加減を率直に披露すればいちばん評価され、また本当の実力がつくということが明らかになっている時に、何を偉そうに先輩面をし続けることがあるのでしょうか。若輩たる自分に一体どれほどの蓄積があると言うのでしょうか。人間にとって人間としての誇りは持っておかねばなりませんが、本質から外れた、自分のことを実力以上に見せようとする虚栄心は何の役にも立たないどころか成長の可能性を奪い去ってしまうものですから、捨ててしまって結構です。

本当の意味で人の役に立てる仕事ができるだけの賢さを身につけたい、人格を養いたい、文化を残したい、そう本心から思い考えるのであれば、たとえ馬鹿にされてもその内容に客観性があるのかどうかを検討できねばなりません。「なるほど、たしかにそういう意味ではまだまだ自分も馬鹿だな」と、どうして笑っていられないのでしょうか。これは他人からの評価を無視しろとか卑下しろとか言っているのではなく、いったん自分のことを棚上げした上で相手の立場に立ってみて、「なるほど(あなたから見れば私は)そう見えないこともないな」と<否定の否定>的に認めることなのです。いわゆる気が小さい、と言われる人は、こういうことができないだけなのだ、生まれつきそうというわけではないのだ、正しく論理的な技を身に付ければ客観視もできるようになってゆくのだ、とわかってほしいと思います。

それでもまだ他人にどう見られるかが気になってたまらないというのであれば、日々の努力を怠っている自分を、他でもない自分が見てきているということなのですから、それはまた別の問題として反省すればよいし、そうすべきなのです。繰り返しますが、他人の評価は検討した以上のことは気にしないことです。衆目というのは、どんなに親しい人間であっても、結果にしか向けられないものですから、まだ目に見えるかたちで現れていない努力をしている段階では評価されないのは当然です。場合によっては狂人扱いされるのもやむなし、と考えるべきです。わたしも研究会を始めた頃は、「そんな三流大学の馬鹿どもしか集まらないとはお前の実力もその程度か」と陰口をたたかれたものでしたが、数年して同じ人物に、「お前は優秀な学生ばかりを選り好みしているから結果を出せるだけだろう」と言われたものでした。こんなことはいくらでもありますが、でも、どれも怒ったりはしませんでした(まあ、呆れはしましたが…)。これは、そういうもの、だからです。こうわきまえておくのなら、愚図ついてどうしようもない自らの上達過程も見てもらえる環境が、いかに恵まれているかも<相互浸透>としてわかってくるでしょう。

せっかく認識論をやるのですから、自分自身の心が抱えている問題をはじめ、スランプといったものも、ひとつの問題として正面に据えて解明してゆくのだ、と考えてみてはどうでしょうか。こういう姿勢が少しでもあるならば、「いったん棚上げする」(第一の否定)ということもわかってきますし、客観視するということにふくまれる<否定の否定>の構造も実践の中でしっかりとわかってくるものです。それがわかれば、たとえば実力があるのに本番で力を出せないアガリ症という現象も、どこに問題があり、どうすれば解消できうるのかがわかってくるはずです。まだ経験の少ない学生さんから見れば、「この人は何があっても落ち込まない人だな、まったく羨ましいものだ」と思われる人ほど、こういう過程を経てきているのです。雑念を払って、替えのきかない場面であればあるほどに、自分の実力を発揮できるだけの認識を創りあげていってもらいたいと思います。



さて、小言(もはや大言、に聞こえるかもしれませんが)はここまでとして、本題に戻りましょう。

先程もお伝えした通り、このレポートを論者の実力がどれだけ発揮されているかという観点から評価することにするならば、やはり良い評価はあげられない、ということになるのです。

ではどこが不足しているのかと言えば、これも先ほどことばだけ出てきたとおり、サリバンがヘレンを見る目の中にある<重層構造>についての理解と、それを理解しようとする姿勢、です。

わたしとしては、前回Oくんが提出してくれたレポートの水準を守りながら、今後の展開を果たしてゆきたいと考えているので、前回の記事を読みなおしてみてください。そうして、たとえばここに何が書かれているのか、わたしがなぜそれを評価したのかを理解しようとしてください。

―――――


それが、4段落目です。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。
サリバンが、どうしてヘレンに正しい食事のあり方を学ばせようとしたのかが、過程的構造を意識しながらはっきりと書かれていますね。

そのとおり、人間が人間であるからには、同じ栄養価を満たせばどんな姿勢のどんな食事作法でも良いというわけにはゆかない、という人間観がサリバンの脳裏にはっきりと描かれていたから、彼女は譲らなかったわけです。

そしてまた、幼少期の日常生活の毎日毎日の繰り返しの中で、ひとつの個体は人間らしく「創られて」ゆくのですから、日々のふるまい方が間違っていれば、その感覚すら間違って創られていってしまうのだ、という指摘も正当です。不潔な環境で育ってしまっているのなら、家の中が髪の毛やホコリだらけであっても平気になってしまうどころか、それが好ましいとさえ感じられる感覚を身につけてしまうのであり、食事の前に歯磨きをすることや、髪の毛を濡れたままで放っておくなど、良くない生活習慣も同じようにして身についてしまったものなのです。


―――――

ここでは、サリバンがヘレンに、着席して食事を摂ること、手づかみで食べずにスプーンを使うこと、食後にナプキンをたたむことなどのテーブルマナーを教えようとして苦労しているさまが描かれています。

ここでわたしは、Oくんが、サリバンの認識を自らのように二重化してみて、サリバンがヘレンを指導するに際して正しい「人間観」をしっかりと持っていた、ということを見抜いたから、それを高く評価したのでしたね。

これは、レポートが目の前に提出されてしまったあとでは、「それはそうでしょ」という感想しか起きてこないでしょうが、これを引き出し得たのは、彼が、しっかりとサリバンがヘレンの指導にあたっていたその日、その時その場所での情景を思い描きながら、いったいそれはどのような苦労であったのかと我が身に捉え返しながら理解していったから、なのです。



今回のレポートの論者は、もし自分がその時その場所にいたとしたら、サリバンと同じことができたであろうか?というふうに、まだ想像してみることができていないのではないかと思えてなりません。あなたがこんな状況の中に放り込まれたら、それこそ裸足で逃げだしたくはなりませんか。こんなことならもっともっと勉強をしておけばよかった、と後悔の念が沸き起こってこないでしょうか。なにもわからない状況の中で、何を手がかりに指導を続けてゆけばよいのか藁にもすがる思いにならないでしょうか。

それでも、サリバンはこれだけの力強い指導をしたのです。それを結果で示したのです。だとすれば、「彼女のなかには、何らかの行動の指針となるものがあったのであろう」と考えてみるのが自然な流れとなるはずです。

さてそうして、ヘレンがサリバンのバッグを取り上げようとしたときには腕時計を代わりに渡すことでやんわりと興味を逸らしたのに、テーブルマナーについては頑として甘えさせなかった、という事実を見るならば、ここには何らかの判断の基準となるものがなければなりません。



Oくんがここまでの流れを明確に意識していたかどうかはともかく、あのレポートはたしかにそう読める、というレベルに達しているから、評価すべきであったのです。

わたしたち人間は、目の前の実践が多様で複雑であればあるほどに、それらを照らす一つの判断基準、ぶれることのない立ち位置、揺るぎない原則を持っておきたいと考えるものでしょう。それをサリバンのように高度な実践として実現してきた人物のなかには、やはりなんらかの「物事を見る目」がなければなりません。このうちの、複雑な現実を照らす見る目のひとつが、ここで挙げた「正しい<人間観>」というものなのです。

ですからこれらの構造としては、正しい人間観に照らして、ヘレンのあり方を見、その時その場所でそういうふるまいをやっても善いか悪いか、見逃すべきか叱るべきか、ということを判断していたのですから、「人間観」と「個別の判断」を、サリバンの認識の中の重層構造、と呼ぶことができるわけです。

もし自分の脳裏が単層構造でできており、つまり確固たる人間観もなく個別の判断がポツポツと浮かんでくるだけの人物であるならば、ヘレンを一本の筋を通した人物へと導き育てることなどできるはずもないことです。こんなことをすれば、当然に指導内容は行き当たりばったりの、昨日はこう言ったのに今日はこう言う、あの子には優しいのに私には辛く当たるということになり、子どもからしてみれば、指導者の顔色を伺うだけになってしまうでしょう。教育論と名のつく書籍を開いてみれば、「『ならぬものはならぬ』ことを子どもに教えよ」といった文言が出てきます。あれも本来ならば、こういった重層構造として理解すべきなのであって、あの文言だけをふりかざすのであれば、「自分の嫌いなものは『ならぬ』」であるとし、教師の強制力を増すだけの役目しか果たさないことになってしまいます。



わたしが求めているのは、サリバンの立場に立って、もしその時その場所に自分がいたならば、きっと逃げ出したいくらいに困り果てていただろうな、彼女はなぜあんなにも確かな指導ができたのだろうか!?と、驚きと賞賛の感情をもって、深く深くこの人から学びたい、自分もこういう実践ができるようになりたい!と、感じ、考えてもらうことなのです。

それができるのであれば、実のところ、論理や重層構造、正しい人間観、労働観などといった問題は、あとでいくらでも整理してしまえることなのですから。

まずは初心に還って、もっとしっかり、しっかりと深く読み込むことです。
そうして、「えっ、ここはなぜこんなふうにできたの!?」と、驚いてみることです。
それをとても生真面目で実直に、いつもやってきたように、全体のうちの個別としての位置づけを「あらすじ」に、次にそれを一語で規定するならばどうなるのかという「一般性」、最後にその確からしさを説明する「論証」、という構成で書いてゆくことです。

今回のレポートを一目見て、サリバンの指導初日にふさわしいだけのあらすじもなく、まえに書き損じたレポートの継ぎ接ぎが散見されるという有り様であっては、まともに評価する気もおきにくかった、というのが実のところでした。気持ち新たな再提出を求めます。

2013/09/15

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(6):1887.03.07 (I)

(5のつづき)


前回までで、学生のみなさんが「自分自身のわかっていなさ加減をわかる」という段階までは進められてきたので、ようやく次の手紙の内容に進むことになりました。

ただそれでも、まだ解けていない問題も含めて、初日の手紙については、これから残りを読み進めていくうちに折に触れて参照しなおしてゆかねばならない内容を含んでいます。

本心から認識論の実力をつけたいのであれば、ここも通常の授業とは違って、「提出したらおしまい」という姿勢ではいけないのだ、と、強制などされなくともしっかり自分の頭でわかってもらいたいと思います。

結局のところ、さいごまで「わからない、わからない」と言っていた人間が、いちばん進歩するのです。いいでしょうか、「わからないとわかる」のは、誰かに言われて気づけばいいのでは決してありません。また、誰かに勝ったからそれでおしまいというものでもありません。最終的には、自分でわからないことに気づいた上で、自分自身のアタマでその問題意識をいつも離さず持っておき、折にふれてその問題を考えてゆけるかどうか、という「アタマの中の見る目」こそが問われているのです。それを自分だけの力で持てているかどうかで、あらゆる能力を養えるかどうかが決まっているのです。

こう言うと、「わかってもわかってもわからないと言い続ける姿勢を求められるのであれば、いつも自分が間違っているのではないかとビクビクし続けることになるのではなかろうか」という質問があるものです。悪意のある場合はさておき、本心からこういう疑問が残っている場合は、まだ「わかる」ということの構造がわかっていない証拠ですから、前回の記事も含めて考えてみてほしいと思います。さて、では今回のレポートです。



読者のみなさんは、サリバンが初日(1887.03.06)の手紙の中でこう書いているのを覚えておられるでしょうか。

私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

彼女は、自分がヘレンに教えることのできる、人間にとって本質的なことは「服従と愛」であると考えているのです。この段階まではサリバンはまだ、ゆっくりとヘレンの心を解きほぐすように働きかけてゆけば、その心に自然に愛情を育んでゆけるであろう、必要なときには力をもって言うことを聞かせなければならないだろうが…、と考えていましたね。

ところがこの日、サリバンは、「ヘレンと大げんか」をしたのです。それというのも、ヘレンのあまりにすさまじい食事の作法を正すため、他人の皿に手をつっこんでほしいものをとろうとするヘレンに言うことを聞かさねばならなかったからです。家族の人たちが迷惑を受けて食堂から出て行ったあと、床にころがり駄々をこねるヘレンを椅子に座らせるまでに30分、スプーンをどうにか握らせて食事を終えたはいいものの、ナプキンをたたむ段になってまた1時間もの取っ組み合いをすることになったのです。

この日の記録についても、学生さんのレポートをいくつか引きながら考えてみましょう。


◆ノブくんのレポート(文学考察:1887年3月月曜の午後(修正版))◆


 前回の手記でサリバンはヘレン・ケラーを「知的ではあるが、人間的な感情の機微については他の子ども達に比べて乏しい少女である」と規定し、今回のそれでは上記の理論に基づいた実践面について書かれています。
 結論から述べると、サリバンの試みは成功とはとても言えないものでした。彼女はこれまで甘やかされて育てられたヘレンを、普通の子どもと同じく、自分の食事に手を入れようとすれば叱り、またナプキンをたたませることを教育しようとしたのです。ですが、ヘレンはそうした彼女の試みに対して、強い拒否の反応を示しました。かと言って、それが完全な失敗とも言い難いものがあります。拒否をしたのものの、結果としてはヘレンは彼女の食事を食べることは出来ず、彼女の強制力によってナプキンをたたまざるを得なかったのですから。
 こうして今回の実践では大きな課題を残す事になったのですが、ここでサリバンは末尾に何か秘策があるとも感じられる、ある奇妙な一文を記してあります。

「あとは人間にできないことをうまくやってくれる何かの力にお委せするだけです。」

 一体、「人間にできないことをうまくやってくれる何かの力」とは何なのでしょうか。実はこの言葉については、次の日記に明確に記されていありますので、その説明も次回とさせて頂きます。



まずは誤字脱字の誤りからです。他の学生さんの誤字脱字とはその誤る理由が違っているからこその数度ならずの指摘なのですから、しっかりと自省し客観視を中心にした認識力を高めてください。机に向かう他にも、まず人間としての生活を整えることが大事です。きちんとした生活習慣を身につけ、部屋を片付け掃除し(続けることでしだいしだいに)正しい清潔感を持てるようにすることと、適度な運動と自分で整えた食事を摂ることが何より重要です。人間としてのあり方を整えるつもりがないのなら、そもそも一流を目指すなどもってのほかであるという一事をしっかりと自分の脳裏に養える生活をしてください。


正誤
次の日記に明確に記されていあります

さて、横道から本道に戻りましょう。

結論から言って、今回のレポートはあまりにも現象に引きずられすぎているようです。ヘレンの認識のあり方は、またサリバンの認識のあり方は、この中のどこに書かれているのでしょうか。他の学生さんたちの熱心さに押されて、先行者の自負からかレポートを前もって提出してくれるのは嬉しいのですが、それも一定の質あってこそです。

論者は、サリバンがヘレンに最低限のテーブルマナーを教えることには失敗したが、「彼女の強制力によってナプキンをたたまざるを得なかった」という点においては成功であったと言える、と述べていますが、本当にそうでしょうか。

ここでサリバンは見た目の上では、たしかにヘレンに最低限のテーブルマナーを身につけさせようとしているのですが、そのことそのものだけをやらせたいわけではなく、これはあくまでも、ひとつの目的意識に照らした指導の一環として必要だった、ということです。そんなことはわかっています、と弁護したいのであれば、ではその目的意識というものはどこにあったのか、サリバンはヘレンの内面をどう読み取ったからそうせざるをえなかったのか、ということを論じねばなりません。

このことに答えてくれるレポートがありますので、論者はしっかりと読んでください。


◆Oくんのレポート◆


 今回の手紙ではサリバンがヘレンと朝食をともにする場面が記述されている。ヘレンの食事の作法は凄まじく、他人の皿に勝手に手を突っ込み勝手にとって食べる、手づかみで食事をするといった、おおよそ人間らしからぬ物であった。3月6日の手紙にもあるが、ヘレンの行動を制止するのは兄のジェイムズしかいなかった。おそらくヘレンの家族の中にはヘレンの食事が食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかったのではないだろうか?
 実際の食事に入るとサリバンはヘレンに自分の皿に手を突っ込ませようとはさせず、後に引かぬヘレンとの間で意地の張り合いとなった。その際にヘレンの家族は食事をおこなう部屋から退出していた。この事に気付いたヘレンは大きく戸惑うこととなる。これはヘレンにとって常に自分の頭の中で靄のようになっている衝動を自分の欲求の思うまま発散する事を許容する存在が自分を取り囲む世界からいなくなった事がヘレンの認識に戸惑いを与えたからではないだろうか。
 ここでサリバンがヘレンと意地を張り続けるという事は到着した瞬間に見せた、カバンに興味を持ったヘレンに対して腕時計を用いて興味の対象を変更し、ヘレンの衝動の発散とぶつかり合わないようにしていた事と一見矛盾するように見える。しかしこれはサリバンがこの状況で気をそらすという手段を使ってはいけないと認識をしていたという事である。この事は3月11日の手紙に「服従こそが、知識ばかりか、愛さえもこの子の心に入っていく門戸である」とある事からも伺える。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。




驚きました。素晴らしいレポートです。

どこが素晴らしいのかを前もって指摘しておくと、ひとつに、ヘレンの、他人の皿に勝手に手をつっこみ勝手にとって食べる、という癖について、彼女の認識に立ち入った考察がなされていること。ふたつめに、サリバンがそれを、なぜできれば使いたくないと考えていた「力」で以て言うことを聞かせる必要があると判断したのかを、これまたサリバンの認識に立ち入って考察してあること、です。

しかも後者については、人間が人間であるからには、同じ食事を摂る場合にでも、栄養を満たせばそれでよいというのでは決してなく、そこには社会性が前提としてなければならない、そこが動物と人間との違いであり、だからこそしつけというものが必要なのだ、と読める書き方がなされています。

この問題に自分の力で取り組んでみて、このレポートを読まれた方は、「すごい考察をする人間がいたものだ、負けてはいられない…」とじわりと感じ取られたと思いますが、これで終わらせるのももったいないですから、その論じ方を順に追うことで理解を深めておきましょう。



まず一段落目のうち、この箇所はよく書けています。
おそらくヘレンの家族の中にはヘレンの食事が食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかったのではないだろうか?
正誤
ヘレンの食事が食事をとる時に→ヘレンが食事をとる時に

この指摘はそのとおりです。ヘレンの家族は、人間として全うな倫理観・道徳観と社会性を持っているようです(ここで言う「社会性」の中には一般的なマナーも含まれています)。ヘレンの兄ジェイムズには、ヘレンの悪い振る舞いを制止するだけの倫理観が備わっているのですから、家族のしつけは一般的な意味では悪いものではなかったと推測できます。それでもヘレンにそのしつけが兄ほどにはゆきわたらなかったのは、他でもなく彼女が障害をかかえていたからであり、技術の問題として見るならば論者の言うとおり、「食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかった」からです。

つまり、両親は自分自身では正しい認識(倫理観・道徳観)を持ってはいたけれども、それを障害を持ったヘレンが身につけられるようなやり方でしつけるための<技術>を持ち得なかった、ということです。その空白を埋めることこそ、サリバンがケラー宅にやってきた意義があったのでした。

ここで「人間として」とことわりが入っているのは、サリバンの目的意識を代弁しており、簡潔ながら的確な指摘であると言えるでしょう。このことは後に述べます。



次に、2段落目に着目しましょう。
 実際の食事に入るとサリバンはヘレンに自分の皿に手を突っ込ませようとはさせず、後に引かぬヘレンとの間で意地の張り合いとなった。その際にヘレンの家族は食事をおこなう部屋から退出していた。この事に気付いたヘレンは大きく戸惑うこととなる。これはヘレンにとって常に自分の頭の中で靄のようになっている衝動を自分の欲求の思うまま発散する事を許容する存在が自分を取り囲む世界からいなくなった事がヘレンの認識に戸惑いを与えたからではないだろうか。
サリバンがヘレンと、食事のマナーをめぐるけんかを始めてから、他の家族は迷惑を受けて食堂から出て行ってしまいました。ヘレンは物心ついてから、このようなことはこれまでなかったのです。相手が居てこそ暴君として振る舞えるのですし、そうして自分が気に入らないことを表明することで<内発的な衝動>を歪んだかたちで満たしていたのですから、それが発揮できない事態というのは、彼女の想定外であったことでしょう。ですから、「この事に気付いたヘレンは大きく戸惑」った、という理解(=ヘレンの認識を我が事のように繰り返す;観念的二重化)は適切です。

続いて、そのヘレンの認識のあり方について触れた文章、これが素晴らしいですね。
ヘレンの頭のなかでは「靄(もや)のような衝動」が発散できない状態となっている、という指摘がありますが、これは本当にこのとおり!なのです。
赤ん坊が母親という母体からおぎゃあと生まれて泣き始めるのは、「だれでもいいからこの不快な状態をなんとかしてくれ!」という不快感が、一体全体何が何やらわからない状態のまま頭のなかを駆け巡って渦巻いているからです。(参考文献:海保静子『育児の認識学』)

ヘレンの認識のあり方が、同じ年頃の少年少女の段階にまで至っておらず、明確な像を創る状態に達していない、つまり「何が何だかわからない」という状態を見て取って、それを「靄(もや)のように」と表現したのには驚きました。よく勉強していますね。



そして3段落目もこのとおりです。
しかしこれはサリバンがこの状況で気をそらすという手段を使ってはいけないと認識をしていたという事である。
初日の手紙の中にサリバンのバッグをとりあげようとして騒ぐヘレンに、代わりに腕時計を握らせてそれをなだめた、という箇所がありましたが、この食事に関する指導については譲歩的・代替的な手段を取らず、一歩も引かなかったというのは、サリバンはこの点ではどうしても譲ることができない、と考えていたからに他なりません。

それがなぜだったのか、どういう目的意識に照らせば譲ることができないと考えられたのかは、次で明らかにされます。



それが、4段落目です。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。
サリバンが、どうしてヘレンに正しい食事のあり方を学ばせようとしたのかが、過程的構造を意識しながらはっきりと書かれていますね。

そのとおり、人間が人間であるからには、同じ栄養価を満たせばどんな姿勢のどんな食事作法でも良いというわけにはゆかない、という人間観がサリバンの脳裏にはっきりと描かれていたから、彼女は譲らなかったわけです。

そしてまた、幼少期の日常生活の毎日毎日の繰り返しの中で、ひとつの個体は人間らしく「創られて」ゆくのですから、日々のふるまい方が間違っていれば、その感覚すら間違って創られていってしまうのだ、という指摘も正当です。不潔な環境で育ってしまっているのなら、家の中が髪の毛やホコリだらけであっても平気になってしまうどころか、それが好ましいとさえ感じられる感覚を身につけてしまうのであり、食事の前に歯磨きをすることや、髪の毛を濡れたままで放っておくなど、良くない生活習慣も同じようにして身についてしまったものなのです。


さらにここには、動物的に、つまり本能に任せたやり方で日常生活を送るのならば、「明確な像を頭の中に描」いて対象に働きかける、という人間存在の根本的な条件を満たすことすらもできなくなってゆく、という原則が書かれています。人間と動物を隔てているのは、まさにこの、目的意識をもって対象に働きかける、という、<労働>という観点においてです。動物は本能で行動しますが、人間はまだ現実には存在しない「こうなったらいいな」という目的意識という認識を脳裏に描き出す能力があり、それを満たすべく対象に働きかけるのです。サリバンが論理的・理論的にこのことをふまえていたかどうかは定かではありませんが、少なくとも彼女はそれまでの学習内容やヘレンとのかかわり合いの中から、経験的にではあってもこれらの原則をふまえられていたと考えられるのです。

そうしてさいごに、それらのサリバンの根本的な目的意識をふまえて、彼女がヘレンに、食事はきちんと座って素手ではなくスプーンを使って摂るものであり、食後にはナプキンを畳んでおくことが人間としての社会性にふさわしいものである、ということが述べられています。そのことに加えて、それらは幼少期から自然成長的に身につくものでなく、両親や保護者からわけもわからないうちにまずは身体で覚えこまされたあと、しだいしだいにその中身を埋めるように倫理観が追いついてゆく、という過程についてもおさえることができています。

基本線について、しっかりおさえられています。これだけのことがわかっているのであれば、人間とは、労働とは、教育とは、などの本質論が、大まかな体系として脳裏に出来上がりつつ実感があるのではないかと思います。それで間違ってはいませんので、より精進を続けてください。



細かい指摘は以上のようになりますが、これらを書き得たそもそもの理由というのは、やはりヘレンの認識のあり方をその時その場所の彼女の立場に立ってとらえ返そうとし、また、それをサリバンがどう見たか、というその認識のあり方を、同じく適切に我が身に捉え返してふまえることをやろうとしたからこそ、なのです。

そこには倫理観・労働観をふくめた正しい人間観があり、また、人間として創られる、ということの過程における構造の正しい把握があるのです。


(7につづく)

2013/09/13

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(5):1887.03.06 (IV)

(4のつづき)


このテーマを扱い始めてから、もう5つめの記事になるのにまだ初日ぶんから一歩も進んでいない…いったい、いつまで初日ぶんの読み解きを続けるのだろう…?
と思われる読者もあろうかと思いますが、「できるまでやる」というのが答えになります。

もちろん、隅から隅まで余さず理解し尽くすというのは土台無理な話であり、加えて体系的な理解を目指すのなら尚更、「かたっぱしから」進める、というのは方向性として間違っています。(なぜ間違っているのかわからない人は、たとえば、白いキャンバスに髪の先から書きはじめて全体をうまく捉えたデッサンができるかどうか、を考えてみられるとなんとなくイメージできるでしょう)

ただそれでも、やはり一定の理解に達しているのでなければ、焦って先に進むべきではありません。わたしが今回基準にしているのは、繰り返し述べているように、「自分はまだこんなにわからないところがあるのか…!」と、それぞれの学生さんにそれぞれのアタマで、はっきりと、自分のわかっていなさ加減をしっかりとわかってもらう、という段階です。もちろんこの段階というのは、「わからない、わからない」をかたちの上でだけ連呼することでは決してありません。

一般的に言って「わからない」と言いうるのは、「ここまではわかったが、この先に進もうとしても独力では到底無理である」というふうに、わかったところとまだわからないところとの線引きが、その線引きこそ(!)が、はっきりとした認識として浮上してきた場合だけです。このこともやはり、弁証法的な事実なのであって、わかるということとわからないということを統一して考えてゆかねば、わかるということの構造は決して把握しえないということができます。

しかしともかく、その段階にまで達していないのであれば、どうしても、何度も何度もあらゆる角度から問いかけをして考えていってもらう必要があるのです。辛抱して、ついてきてもらいたいと思います。

さて今回取り上げるレポートは、その点を満たしているでしょうか。

レポートの前に、今一度、参考書の、初日ぶんの内容をふまえておきましょう。前に引用した時は前半部だけでしたが、今回は後半部についても引いておきました。
(引用部として指定するとBloggerのシステムの都合上レイアウトが崩れてしまい、編集作業に時間を取られてしまうので、長文の引用については、今回の記事から色変えのみになっています)


◆『ヘレンケラーはどう教育されたか』本文◆

1887年 3月6日

 ……私がタスカンビアに着いたのは、(引用者註:3月3日の)六時半でした。ケラー夫人と兄さんのジェイムズ君が私を待っていてくださいました。おふたりの話では、この二日間列車の到着するたびに、誰かが迎えに出ていたとのことでした。駅から家までの一マイルばかりのドライブはとてもすばらしくて、気分の安らぐものでした。ケラー夫人が私より余り年上でないくらいお若く見えるのにおどろきました。ご主人のケラー大尉は私を中庭で出迎えて下さり、元気よく歓迎して心をこめた握手をしてくださいました。私は「ヘレンさんはどこですか?」と、まっさきにたずねました。私は熱い期待のために歩けないほどからだがふるえるのを一生懸命おさえようとしました。家に近づいたとき、戸口のところに子供が立っているのに気がつきました。ケラー大尉は、「あれです。あの子は、われわれが誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていました。そして母親が駅へあなたを迎えに行ってからというものずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。

 私が階段に足をかけるかかけないうちに、ヘレンは私の方へ突進してきました。もしケラー大尉がうしろで支えてくださらなかったら、突き倒されてしまったほどの力でした。

 彼女は、私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグをとりあげてあけようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎをまわすまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました。ヘレンの顔は、ぽっと赤くなり、お母さんがバッグをとりあげようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計をもたせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちはいっしょに二階にあがりました。

 そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。たぶん何か食べものが入っていると思ったのでしょう。おそらく友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがあるので、私のバッグのなかにも何か見つけようとしたのでしょう。私は、大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなずかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べるときにする身振りをしてみせ、もういちどうなずきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクのなかにおみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけおりました。数分でもどってくると、私の持ち物を片付けるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで眼が見えるかのように鏡の中をのぞくのは、とても喜劇的でした。

 これまで私はなんとなく青白くて神経質な子どもを想像していました。たぶんローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校に来たときのことをハウ博士が書いておられたものを読んで、そう考えたのでしょう。しかし、ヘレンには、青白くてひ弱なところは少しもありませんでした。大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。彼女は目の不自由な子どもたちによく見かけるような、みじめで神経質な気性をもち合わせていません。彼女は体格が良く、活気にあふれています。ケラー夫人のお話しだと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一日で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。

 彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。

 私のトランクが届くと、彼女はあけるのを手伝ってくれました。そして、パーキンス盲学校の少女たちが彼女に送った人形を見つけて喜びました。このとき、私は今が彼女に最初のことばを教える良い機会だと思いました。そこで、彼女の手に、ゆっくりと指文字で、d-o-l-lと綴りました。そして人形を指さし、うなずきました。うなずくことはあげるという合図なのです。彼女は誰かに何かをもらうときはいつも、その物を指さし、つぎに自分自身を指さし、うなずくのです。彼女は戸惑ったように、私の手にさわりました。私はまた、指文字をくり返して綴りました。彼女は、かなり上手に文字をまねて綴り、人形を指さしました。そこで私は人形を手にとりましたが、彼女が文字をうまく綴ったら人形をあげるつもりでした。ところがヘレンは人形をとりあげられてしまうと思ったのです。たちまち怒り出して、人形をつかもうとしました。私は頭を振り、彼女の指で文字を綴ろうとしましたが、彼女はますます怒ってしまいました。私はヘレンを力づくで椅子に座らせ、おさえつけましたので、くたくたになるほどでした。こういう争いを続けることは無駄だと気づき、彼女の気をそらすようにしなければなりませんでした。そこでヘレンを放してやったのです。でも、人形はわたしません。私は階下に行って、ケーキをもってきました(彼女はお菓子がとても好きなのです)。私はケーキをヘレンの方にさしだしながら、手にc-a-k-eと綴りました。もちろんケーキがほしかったので、彼女は取ろうとしました。けれども、私はまたこの単語を綴って、彼女の手を軽くたたきました。彼女はすぐに文字を綴ったので、ケーキを与えました。ケーキを取りあげられてしまうかもしれないと思っているらしく、大急ぎで食べてしまいました。それから、私は彼女に人形をさし出して、もう一度単語を綴りました。ケーキのときと同じように人形をさしだしたのです。彼女はd-o-lと文字を綴ったので、私がもう一つlを綴ってから、人形を与えました。ヘレンは人形をもって階下にかけ降りると、その日は一日中、どんなに誘われても私の部屋にもどってきませんでした。

 昨日(引用者註:3月5日)は、ヘレンに裁縫練習用カードを与えました。私が縦の第一番目の列をぬって彼女にそれをさわらせ、小さな穴の列がそのほかにもあることに気づかせました。彼女は喜んで仕事をはじめ、数分でやりおえましたが、とても手際よくできました。私は他の単語をためしてみようと思って、c-a-r-dと綴りました。彼女はc-aと綴ると手をとめて考えていました。そして食べる身振りをすると、ドアの方へ私を押しつけ、下の方を指したのですが、それは私がケーキをとりに階下に行くはずだという意味でした。あなたは、c-aという二つの文字が、金曜日の「授業」を彼女に思い出させたとお考えでしょう。でも彼女はケーキが物の名前であるということは全然わかりませんから、それは単なる連想だと私は思います。私はc-a-k-eという単語を綴り終わると、彼女の命令に従いました。ヘレンは喜びました。

 それから私はd-o-l-lと綴ると、人形を探しはじめました。彼女はあらゆる動作を手で追いかけ、私が人形を探していることがわかりました。私は下を指しましたが、それは人形が階下にあることを意味していました。私は、ケーキを持ってきてほしいとき彼女がするのと同じ身振りをして、彼女をドアの方へ押しやりました。ドアの方へ歩きかけて一瞬とまどったようですが、それは行こうか行くまいかどちらにしようかと考えたようです。そして彼女はかわりに私を下に行かせることに決めたのです。私は頭を振って、より強くd-o-l-lと綴ってドアを開けました。でも彼女は頑固に従おうとはしません。まだケーキを食べ終わっていなかったのです。そこで、私はケーキをとりあげると、人形をもってくるならケーキを返してあげるということを身振りで示しました。彼女は顔を真赤にすると、長い間じっと動かずに立っていました。ケーキがほしいという欲求が勝つと、階下にかけおり、人形をもってきました。もちろん、私はケーキを返してやりました。けれども、いくら説得しても、彼女は再び部屋に入ろうとはしませんでした。

 今朝(引用者註:3月6日)、私が手紙を書きはじめたとき、ヘレンはとても手におえませんでした。ずっと私のうしろにいて、紙の上やインク壺のなかに手をつっこみました。この便箋のしみは彼女のしわざです。最後に、私は幼稚園で使うビーズを思い出し、彼女にビーズを糸に通す仕事をさせました。最初に木のビーズを二個とガラスのビーズを一個おき、それから糸と二つのビーズの箱にさわらせました。彼女はうなずくと、すぐに糸いっぱいに木のビーズを通しはじめました。私は頭をふって、ビーズをすべてはずし、二個の木のビーズと一個のガラスのビーズをさわらせました。彼女はそれをじっくりと調べ、再び糸を通しはじめました。今回は、はじめにガラスのビーズを、つぎに二個の木のビーズをおきました。私はビーズをはずすと、最初に木のビーズ二個を通し、つぎにガラスのビーズを通すことを教えました。彼女は、そのあとではたやすくやりました。はやく、事実はやすぎるくらいに、糸にビーズをいっぱい通しました。糸に通し終わると両端を結び、首のまわりにビーズをかけました。私はつぎの糸には、十分大きな結び目を作らなかったので、彼女がビーズを通すとすぐぬけてしまいました。でも、彼女は糸にビーズを通してそれを結んで、自分の力で困難を解決しました。非常に賢い子だなと私は思いました。夕方までビーズで遊び、ときどき確かめてもらいに私のところへ糸をもってきました。

 私の眼はひどい炎症をおこしています。この手紙はとても乱暴に書かれたと思います。お話したいことがたくさんありすぎて、それらをどうやってうまく言い表したら良いか考えている暇がありませんでした。他の方には私の手紙をお見せにならないでください。でも、もしお望みなら、私の友だちには手紙を読み聞かせ下さっても結構です。



そして以下がレポートの内容です。


◆Oくんのレポート◆

 本書はヘレン・ケラーの幼少期の教育を担当したアン・サリバンがヘレンの教育に関してつづった手紙をまとめた物である。アン・サリバンは幼少期に目の病気を患い全盲に近い状態となった後に回復し、1887年に半年の準備期間を経てヘレンの教育に携わる事になる。おそらく自身が視力を一度大きく欠いてしまった事がヘレンの教育者として選出された一因ではないだろうか。また前述の準備期間中にサリバンはハウ博士による盲聾者であるローラ・ブリッジマンの教育に関する報告書による学習を行っている。

 サリバンはこの手紙を書く三日前の3月3日にヘレンと初対面をした。家の玄関に到着したサリバンに向かってヘレンは突進していき、サリバンのカバンをひったくろうとした。この際にヘレンの母親はヘレンに対してバッグに触ってはいけないという合図を行った後にヘレンからバッグを取り上げようとしている。一方のサリバンは腕時計を用いてヘレンの注意を引くことで事態を収拾した。この時に母親もサリバンもヘレンと厄介事を起こしたくないという気持ちは双方持ち合わせていたはずである(※1)。しかしながらヘレンに対する態度は全く違う物であった。仮に自分が同じ場面に居合わせたとしてもヘレンを無理やり押さえつけて服従させるか、「子供には子供の思う所があるのだろう」と看過していたはずである。ところがサリバンは力づくでヘレンを抑える事もヘレンを野放しにすることもなく、ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た。サリバンはこの時点で子供に対しての内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来るという考えをヘレンに対して持っていたのではないだろうか。
 この時点でサリバンはヘレンについて、想像していた青白い顔をして神経質な人間ではなく、活気にあふれた知的な顔をした人間であると評している一方で、めったに笑わず、母親以外の人に愛撫されるのを嫌がり、すぐに怒り出す短気さがあると記述している。(何故活気にあふれていながら感情の表現である笑顔がないのかは自分にはわからない。快感に対する反応である笑顔と不快感に対する反応である怒り、ここでは「暴れる」と言った行為の、出現の差の理由は何だろうか?)その直後にどの様に彼女を訓練し、制御するかが課題であるとして、ヘレンからの愛情を勝ち取ること、そして力だけでの征服は行わないものの、最初からある程度の従順さは要求するとの考えを記しており、この時点でサリバンはヘレンという人間がもつ衝動は、ただ発散する事を看過したり、抑えつける事では人間として必要な教育は出来ず、発散する仕方を整えてやらなければ人間として生きて行くために必要な方向へ発散させる事は出来ないと考えたのではないだろうか?

 続いてサリバンの日記は人形と言う言葉を人形と指で書いた文字を用いてヘレンに教えようとする場面に移る。この際にヘレンが自分の興味の対象であった人形をサリバンに取られるかもしれないという思い違いから激しく怒りだしてしまった。この時にサリバンは一度はなだめるために頭を振り、ヘレンの指で文字を綴ろうとしたが、ヘレンはますます激しく怒りだしてしまった。(このときヘレンが激しく怒りだした理由は母親以外の愛撫を受け付けない事とも関係するのだろうか?)結局この時は別の物で気を引くという考えに至り、お菓子が好きなヘレンにケーキを持ってくることで事態を収めた。(この時の発想も最初の腕時計に近い発想ではないだろうか?)
 その次にサリバンがヘレンに対して人形とケーキを用いて教育を行った一部始終が記述されている。この場面ではヘレンがcardの綴りとcakeの綴りを勘違いする一幕とケーキを用いてヘレンに対する服従を要求する場面が記されている。サリバンがヘレンにcard
という言葉を教えようとした時caという文字の形の記憶からケーキを連想し、サリバンにケーキを催促するのが前者の話である。サリバンはこの時に「連想だと思います」と記述している。この時のヘレンの頭の中は犬が餌を与えられる前に合図を受ける事によって次からその合図を受ける事によって餌の受け入れ態勢を整える犬と同様だったのではなかろうか?
 最後にサリバンが手紙を書いている際にヘレンが落ち着きなく過ごすために、ビーズを用いた仕事をヘレンにさせた事を記している。(この時にヘレンは一度自分が入れたビーズの入れ方が違うという事でサリバンにやり直しを命じられている。この事はヘレンにとって不快ではなかったのか?それともすでにヘレンの中にサリバン、他者に対する服従の心が芽生えつつあったのだろうか?)

 これらを見るにサリバンにとって最初の三日間はヘレンの衝動を人間として正しく発散させる事をその興味を別の物に移すという回り道をしながら教えるとい第一歩だったのだろうか?



このレポートには、かなりの数の「わからない」が含まれています。通常の大学の授業であれば、こんなものがレポートと呼べるか!と叱られるかもしれませんが、実のところ、本質的にはこれでよいのです。他の人間が「へぇ、そんなものか」と、なんとなく像を結んでおしまいになっているところを、「あれ、よく考えたらわからないぞ…?どこがわからないかと聞かれるとそれもわからないのだが、違和感みたいなものがここにあるな」とだけでも「わかって」いられるかどうかは、後々に大きく響いてくる大事な気付きなのです。だからこそ、鈍才のほうが最終的には伸びるのです。「ここがわからない!」と明確なわからなさでなくとも、「あれっ?」という違和感がある場合には、忘れないうちにしっかりとその箇所をマークしておくことです。
(わたしは学生さんに、本のなかで大事な箇所は赤で、わからない箇所は青で線を引いた上で、前者と後者についてそれぞれ上と下に折り目をつけておくことを薦めています。こうしておくと、背表紙を確認したとき、下側が折れたままになっている本は、まだ読み残した部分があるということが一目でわかります。)

さて今回は、読み進めるうちに解けてくる問いかけもありますから、まずは基本的な探究姿勢が不足している箇所を見ておきましょう。論者は、こう書いています。
 サリバンはこの手紙を書く三日前の3月3日にヘレンと初対面をした。家の玄関に到着したサリバンに向かってヘレンは突進していき、サリバンのカバンをひったくろうとした。この際にヘレンの母親はヘレンに対してバッグに触ってはいけないという合図を行った後にヘレンからバッグを取り上げようとしている。一方のサリバンは腕時計を用いてヘレンの注意を引くことで事態を収拾した。この時に母親もサリバンもヘレンと厄介事を起こしたくないという気持ちは双方持ち合わせていたはずである(※1)。しかしながらヘレンに対する態度は全く違う物であった。仮に自分が同じ場面に居合わせたとしてもヘレンを無理やり押さえつけて服従させるか、「子供には子供の思う所があるのだろう」と看過していたはずである。ところがサリバンは力づくでヘレンを抑える事もヘレンを野放しにすることもなく、ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た。サリバンはこの時点で子供に対しての内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来るという考えをヘレンに対して持っていたのではないだろうか。
ここでOくんは、サリバンが、ヘレンが彼女のバッグをとりあげようとしたことにたいして、腕時計を見せることで注意を引き騒ぎを静めた、という箇所についての考察を進めたわけですね。

たしかに、ここに書かれていることは、事実としては誤りではありません。そして、前回までの記事を受けて、「内発的な衝動というものは、ただ悪いものであるというわけではなく、それが正しく発揮されればむしろ大きな意義のあることである」と、ものごとをその両面から、つまり弁証法的につかもうとしているところまでは良いのです。

ただ、その事実の根底にある構造についての理解として見るならば、この理解は表面的・平面的な理解である、と言わなければならないのです。構造を見ようとしてはいるけれども、その見え方が単純である、ということなのです。

弁証法は、世界を常に変化し続けるものとしてとらえ、その運動法則を扱うものでした。つまりこれは、世界を静止したものとして見るのでなしに、過去から変化し続けたことで現在が存在するのであり、それはまた今もなお変化し続けているのだ、と、あらゆるものを変化の過程として見なければならないということです。それだけに、弁証法が扱う構造は、静止した構造ではなく、変化する対象の<過程的な構造>、<立体的な構造>でなければいけない、ということが言えるのです。



ここで論者は、サリバンがその認識において、「(ヘレンの)内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来る」と把握していたから、「ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た」のだ、としています。

しかし、ヘレンの内面で動き、その行動を規定している<内発的な衝動>(サリバンは他に<自発的な衝動>などと表現している)というものは、指導をはじめてから数年後、日々の指導の末にようやくまとめられた概念であることに注意を払わねばなりません。サリバンの指導の過程を追おうとするときには、のちに整理された概念をそのままに受け止めるのでなしに、その時点、その条件の下、サリバンが実践の積み重ねの中からつかみとってきた論理を、しだいしだいに体系化してゆく過程をこそ、自らの脳裏に繰り返してみなければならないのです。

たとえば以下の箇所など、読者のみなさんは深く感じ入るところがあったでしょうか?
そういうわけで、私たちはある一つの課題のために学習し、計画し、準備をしても、いざことをはこぶ段になると、あれほどの骨折りと誇りをもって追求した方法が、その場合にはふさわしくないことに気がつくことがあります。そこで、そうなると、私たちは心のなかにある何か、つまり知識や行動のためにもって生まれた能力を頼りにするほかはありません。その能力は、それが大いに必要となるまで、自分たちが持ち合わせていることに気づかなかったものです。(1887.03.11)
ここでこれからあることを申し上げたいのですが、あなたのお耳にだけ入れておいていただきたいのです。私の夢が必ず成就するだろうと私の内部でささやくものがあるのです。とてもありそうもない、馬鹿気た話だとは思いますが、ヘレンの教育がもしかしたらハウ博士の業績をしのぐことになるかもしれないと私は考えているのです。ヘレンは非常にすぐれた才能をもっていますし、私はその才能を発展させ訓練してやることができるだろうと信じております。どうしてそう考えるか私には言えません。ほんのしばらく前までは、私はどうやってこの仕事に手をつけたらいいか何の案もありませんでした。まるで暗闇の中にいるような気持ちでした。けれど、どういうわけか今ではそれがわかったような気がします。わかったということがわかったのです。それを説明することはできません。でも困難が生じても、途方に暮れたり懐疑的になったりすることはないでしょう。その困難にどう立ち向かったらよいのかわかっています。私はヘレンの独特の要求を見抜くことができます。それは何とすてきなことでしょう。(1887.06.02)

これらは、無我夢中の実践の中でも何か手がかりになるものがあるはずだ、という一念で、何度も何度もめげそうになる自分に活を入れながらひとつの道を歩み続け、その手探りの実践の中でしだいしだいに論理を引き出してきた人間の生きた実感がにじみ出ているとは思われませんか。このような実感を、その決意や喜びとともに、読者も筆者の立場に立って感じられているでしょうか。

もしそれができているのであれば、サリバンがまったくの手探りのまま日々目の前にうずたかく積まれ、また日々積み重ねられてゆく問題になんとか対処してゆくなかで、少しずつ少しずつ論理を引き出してきたのだということもわかるはずです。わたしたちが先人から何かを学ぶときには、当然にその残したものを読んでゆくわけですが、誰かが整理して「しまった」、整理し「終えてしまった」ものを、それが引き出されてきた努力を無視してかたちだけ受け止めてしまうような姿勢ではいけません。




さてやや話が逸れましたが、過程をしっかり見るということを、今回の文章に即して具体的に言えば、「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」という事実を、もっと具体的なところまで下りて、あたかもその場にいるかのように想像しながら、その過程、過程がどういう積み重なり方をしていたのかをしっかりと見てゆかなければいけないということになりますね。

繰り返しになりますが、今回取り上げた論者を含めて、ふだんから考えることが好きで得意な人ほど、「考える」ということを、いきなり「抽象化された概念を組み合わせたり足したり引いたりする」ことと直結させてはいけない、ということを常に肝に銘じておいてほしいと思います。このことを正しく表現するのならば、それは考える、ということでなしに、誰かが考えた結果の、いわば残骸を、かき集めてくっつけてそれなりのかたちにする、ということなのです。これでは、実践においても発揮しうる力を養うことはできません。

ほんとうの意味で考えるということは、誰かの出した結果だけを見るのでなく、その探究過程において、その者がどんな夢を抱きどんな困難に負けずに歩み続けたのかということを、自分の一身に繰り返してみることも含めてのことなのだ、と言っておきたいと思います。

さてその基本線に従って、サリバンの業績を追ってみてゆくことにしましょう。
まずサリバンの卓抜な認識力は、<相互浸透>のかたちにおいてこそ明確なかたちで浮かび上がってきます。一般的に言って、何らかの利点や優位性を調べる時には、それを<相互浸透>の関係に置いてみることが大事です。たとえば、親のありがたみを知るには親から離れて暮らしてみることが大事なのですし、生物にとって月がいかなる影響を与えたのかをしらべる時には、月がなければどうなっていたかと考えることが大事なのですし、自国の特徴を明確にするためには他国のあり方と比べてみることが大事になってくるのです。今回の場合で言えば、それは、サリバンとヘレンの母親の比較によってであるということが言えるでしょう。



まず「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」ことにたいして、ヘレンの母親はそれを遮り、「ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図」しましたね。

ここまでは、表面的な事実であり、また構造の面から言えば、ヘレンの母親の<表現>であるのです。ところで人間の表現は、必ずなんらかの認識に基づいていなければなりませんから、ここで大事なのは、ヘレンの母親の<表現>が、どういう<認識>に基いて表れてきたものであるのか、を考えてみることです。

そうすると、ヘレンの母親は、こんなふうにヘレンの内面を捉え返していたことがわかるはずです。
「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」(ヘレンの表現)

「サリバン先生のバッグをとりあげようとしている…ということは、この子はきっと『サリバン先生のバッグか、その中身がほしい』と思っているのね」(母親の認識)

「ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図する」(母親の表現)
母親は、ヘレンの表現だけを見ていたわけではありません。彼女の認識のあり方を、「…ということは、」というかたちで自分なりに捉え返した上で、ヘレンの認識を『』内のように考えたわけです。ここでは、ひとりの人間が他者の表現を見る際には、それがなぜ行われたのかを、その源泉たる認識に立ち返ってわが身に捉え返している、という構造があることをわかってください。



次に同じように、「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」という同じ場面を、サリバンはどう見たのか、を考えてみましょう。それはこんなふうになるのではないでしょうか。

「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」(ヘレンの表現)

「私のバッグをとりあげようとしている…ということは、この子は『私のバッグか、その中身がほしい』と思っているのかしら…それとも…」(サリバンの認識a)

「(母親がバッグをとりあげようとしてヘレンはさらに腹を立てたのを見て、)それとも、ヘレンの欲求はもっと基本的なところにあって、たとえば『ただ好奇心を満たしたいだけ』なのかもしれない」(サリバンの認識b)

「ヘレンの手に腕時計をもたせてやる」(サリバンの表現)
サリバンの場合も、さきほど見た母親と同じように、ヘレンの認識を我が身のように捉え返している、そのおおまかな構造については同じです。しかし、母親の失敗にも助けられ、その中身が違ってきていることに着目してください。

ヘレンの「サリバンのバッグをとりあげようとした」という行動を見た時にも、母親は、「バッグを欲しがる→バッグかそれに関係するものが欲しいのだろう」と、ほぼ直接的なかたちでヘレンの認識を捉え返したのにたいし、サリバンは、「バッグを欲しがる→もっと根源的な欲求があるのかもしれない」と読み取ったのです。

ここで、ヘレンがサリバンのバッグを捕まえて離そうとしないという表現を見たサリバンが、その表現のあり方に引きずられることなく、「この子はバッグやその中身が欲しいのだ」と短絡しなかった、そのことがまずは大事なのです。

そして次に、ヘレンの欲求が実のところどういうものであるかをより深く検討してみたうえで、それは具体的な個物であるというよりも、抽象的でもやもやとしてはいるが心の底から沸き上がるような、「なにか楽しいことをしたい」、「なにか面白いことをしたい」といったたぐいのものであることを突き止めたのです。

こうしてたどってみて初めて、サリバンが後の報告書で<内発的な衝動>・<自発的な衝動>と呼ぶことになる、ヘレンがその認識の中に持つ欲求のあり方が引き出されつつある過程が自分のものになってゆくきっかけとなるのです。


より深く学習してゆく場合には、以前わたしが書いた記事文学考察: 風ばかー豊島与志雄や、三浦つとむ『認識と言語の理論 Ⅰ』、薄井坦子『科学的看護論 第3版』を参考にすると、人と人とのやりとりのうちに、互いの表現から互いの認識を逆向きに読み取るという二重構造が存在することがわかってくると思います。

現時点で「わからない」箇所にしっかりとマークをした上で、次の手紙の内容に進んでゆきましょう。


(6につづく)

2013/09/02

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(4):1887.03.06 (III)

(3のつづき)


レポートが出揃ったので見てゆきましょう。

それにしても、たいへんなテーマにとりかかってしまったものだと空を仰がんばかりの気持ちになります。
ただそれだけに、これを学生諸君とともに乗り越えられることができれば、いったいどれほどの意義があるだろうかという想いが、一念となって、力強くわたしの歩みを支えてくれてもいます。

今取り組んでいる一連の記事に、これほどに更新を滞らせるほどの意味があるのか?と訝しく思われている読者のみなさんの顔を思い浮かべると、申し訳ない思いもしてくるのですが、なんとしても今取り組まねば…という考えは、日増しに確かなものになってきているだけに、我慢して読み進めていくうちに、少しでもその気持ちを汲み取ってくださったら、と思わずにはいられません。

わたしたちは精神を持った人間です。機械的に切り分けて手を入れれば解明し働きかけ、そして直してゆけるような“ヒト”ではなく、ましてや“サル”では決してありません。
なのに、それなのに、間違った前提に立った実践や研究が、あまりにも目につきすぎるのです。

いいでしょうか、認識論があらゆる実践や研究に「絶対的に」、寸分の言い訳の余地もなく必要であるのは、我々が他でもない人間だから、です。それが必要ないと言い切れるのは、自分が対象としているもののなかに、何らの人間的な要素もなく、人間の手による歴史の蓄積もなく、これからも人間が関わってゆく余地も必要も可能性もない、という場合だけなのです。

あらゆる実践というからには、わたしたちの日常もそこにふくまれるのですが、そこですら踏み外しをしているのにもかかわらず、そのことを反省材料として扱うだけの認識に達していない人間は、到底一人前とは呼び得ないのではないでしょうか。

一人の人間が失敗から学ぶことで成長してゆくためには、「人のふり見て我がふり直せ」ということができているのでなければなりません。また、人が誤るのを実際に目の当たりにしなくとも、我がふりを、自分という聖域のなかに沈めたままでなしに、あくまでも客観的なものとして受け止め、率直に失敗を認めたり、時には自分の立場に反する決定をできうるだけの認識を持たねばなりません。

これらの認識を高めるためには、「人の気持ちを知れ」だとか「謙虚になれ」だとかいう訓示ではまったく不十分なのであって(なにしろ、各人それぞれの認識のレベルで「謙虚」の像を描くのですから)、それにふさわしい研鑽を、それにふさわしいだけの期間じっくりと積んでゆく必要があるのです。何度も言いますが、生まれつき人の気持ちをわかる人間などというものは居ません。それでも現実に、いわゆる「気の利く人」が存在するというのは、生活経験の中で、いわば自然状態の中で(本人もなんら気づくことなしに)、それなりの訓練を経てきているからです。決して生まれつきの天才ではありえず、また世に言う天才レベルでとどまるわけにはいかない我々は、自然成長に任せず自らの目的意識でもって、学んでゆくしかありません。

◆◆◆

これまでの記事(タイトルを短くしてあります)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(1)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(2):1887.03.06 (I)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)



さて前回では、サリバン初日(1887.03.06)の教育の前半部を取り上げ、やや詳しく見てゆきました。

全体像をつかめと言ったり、詳しく見ることが必要だと言ったり、いったいお前は何をいいたいのだ、と言う方は、「<弁証法>的に」考えてもらうとしましょう。

今回のお題は、サリバンの教育全体のなかでの初日の位置づけとはどのようなものであったか、というものでした。基本的には以降でもそのように見てゆきますので、具体的事実には細かく言及しないことが多くなります。もちろん、必要な箇所についてはその旨指摘しますから、その他の部分についても、そのレベルで行間を読んでおかねばいけないのだ、ということはわかっていってくださることを期待します。

おことわりがすみましたので、まずはひとつのレポートを見てゆきましょう。

◆Oくんのレポート◆

この本を読むにあたって明らかにしておくべきは、この日記に記されているものはサリバンが「ヘレンを彼女の気質を保ったまま教育することを目的として、ヘレンの行動にあわせた教育方法について教師として観察に基づいた考察と行動をとる」ことを一貫していることである。この教師としてのサリバンの考えは「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という文章から見てとることが出来る。 
この手紙が書かれる3日前にサリバンはヘレンを始めて対面する事となる。その時から手紙に書かれている3日間のヘレンは「顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けて」いる、「ひどく短気で、わがまま」であり、「一瞬たりともじっとして」いない、「さわる物は何でも壊してしまう」ような子供であった。
一方でサリバンはヘレンを見て「彼女は体格が良く、活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」少女であると評価している。またサリバンがヘレンの自宅に赴いた際にヘレンはサリバンの到着といった周辺の状況の変化を明確に感じ取ることができ、身振り手振りで他者とのコミュニケーションを必要最小限には取れる事が示唆されている。
ここから人間として成長していくために必要な、周辺との関係を感じ取る能力の土台そのものや眼前の事態に対する疑問、あるいはより良い回答を求めようとする能力とそれらを支えるための身体や感受性が出来ていると読み取ることが出来る。しかしながら同時にサリバンはヘレンには人間が人間同士の関わりの中で人間として生きて行くためには足りない物が有ることをその顔つきや行動から察している。そこでサリバンは前述の通り「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という事が最大の課題と考え、それに対して「彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう」との答えを到着してすぐに出している。そして、3月11日には一週間の間共に過ごした経験から「彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なこと」だと述べている。これは人間として生きて行くためには服従、つまりは他者と生きて行くには何でも自分の思う通りにはいかないという事を洗脳に近い形で習慣として教え込むことが言語やその他の事象よりも優先して教育されるべきとサリバンが考えていると考えられる。
サリバンはヘレンの人間として生きて行くために必要な物、つまり従順さが欠けている原因について、ヘレンの失われた感覚そのものよりも、感覚を失ったヘレンに対する周囲の、特に家族のヘレンの意思には逆らわない態度とそれらの蓄積によって形成されたヘレンの脳内にある連想が大きな原因であることを看破し、ヘレンと家族が別居する事を3月11日に提案し、実行している。その結果、ヘレンはサリバンが到着してわずか2週間後の3月20日には「服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づき」、ヘレンの父をして「あの子の静かなこと」というおどろきを与えるまでに変化したのである。
 
 服従という事を学んだヘレンに対してサリバンは言語に関する教育を施すことになる。サリバンが到着してすぐのヘレンの言語の能力というのは「いくつかの単語を知って」いるものの「単語の使い方や、物にはそれぞれ名前があるということはわかっていない」という物であった。これは彼女が単語の形から連想されるものから物事を判断しており、その単語が示すものの「像」を脳内でそれぞれの単語特有の形として作り出すことが出来ないと言える。この問題については4月5日にwaterという単語によって彼女の認識に「すべてのものは名前をもっていること」が生まれたことで大きな前進を遂げた。その上で4月10日というわずか一カ月の期間の中で、「ヘレンにとっては今や物は全て名前をもっていなければなりません」とサリバンが感じるほどの認識の変化とそれに伴う周辺の物事に対する情熱的な好奇心を生み出したのである。そしてここで注目すべきはこの好奇心の源泉は何も存在しない所から生まれた訳ではなく、サリバンの教育によって、人間として欠かすことのできない「服従」を体得した上で、彼女のもともと持つ「活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」気質が人間としてあるべき形で成長した、長所が伸ばされたと考えられる点である。 
 この様にサリバンはヘレンの教育の為には「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練」するかが教育の軸であるとしつつも、その為にはヘレンに対して「正しい意味での従順さは要求する」ということが人間の土台として必要であることを考え、行動した。
 その結果、彼女は服従を覚え、自身の内側のエネルギーを人間として正しい形で使う事の一歩を踏み出すことが出来たのである。



もしわたしがこのレポートを、「認識論を高める」という目的意識でなしに、「読書感想文の書き方をうまくする」という目的意識でもって添削するとするならば、「きちんとまとまっています、よくできました」という評価をすることになるでしょう。

しかし問題は、このレポートが、ヘレンの状態を目の当たりにしたサリバンの認識のあり方を正しく捉え、そこを自分のことのように捉え返せているかどうか、という点にあります。

その観点から結論を出すならば、これではいけないのだ、これでは読めたことにはならないのだ、ということなのです。なまじ文章としてはそれなりに書けており、事実それなりに読めてしまうだけに、このことがかえって、自らの欠点を自覚することを妨げているようにさえ感じられます。

Oくんへのレポートの添削ははじめてではありませんから、わたしの論調はわかってもらえているはずなので、いつものとおり誤解を恐れず、率直に指摘してゆきましょう。わたしたちのやりたいのは仲良しこよしではありませんから、その意図は正しく汲み取ってくれると思います。

上で挙げた問題点は、結論の部分に集約されて顕れています。
ここで注目すべきはこの好奇心の源泉は何も存在しない所から生まれた訳ではなく、サリバンの教育によって、人間として欠かすことのできない「服従」を体得した上で、彼女のもともと持つ「活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」気質が人間としてあるべき形で成長した、長所が伸ばされたと考えられる点である。 
たしかにヘレンの気質をふまえ、そこにはたらきかけるサリバンの教育のあり方は、このようにまとめられないことはないのです。しかしたとえば仮に、こんなふうにもまとめてしまえるのではないでしょうか。
ヘレンはサリバンと会ってから「めったに笑わず」、「反応がにぶく」、「ひどく短気で、わがままで」あって、彼女が秘めた内発的な衝動は、そのやり場を見いだせず「さわる物は何んでもこわしてしま」います。サリバンが見たように、「彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りして」いる状態なのであって、サリバンの課題はここにこそあったのです。
Oくんのレポートでは、ヘレンがそのうちに秘めたまばゆいばかりの可能性が、サリバンの教育によって見事に開花されていった、というおおまかな流れが、あたかも前提としてあって、すべてがその約束された輝かしい結末へ向かって進行しているかのような描かれ方をしています。しかし、「本文を括弧書きで引用することが、直接的にその論証の正しさを証明する」という暗黙の了解を疑うことがなければ、ヘレンを以上のような、問題が山積みの少女として描き出すことであっても、正しい見方であるということになってしまいます。

通常の大学の講義で提出させられるレポートであれば、この姿勢でかまいませんし、それは一定の評価となり、さらに論者は自らの正しさについての自信を深めてゆくことになるのですが、さてでは、それをいざ実践に移すとなった段に、そこで学んだことがらが正しく発揮されるでしょうか?

自分がヘレンの家庭教師として推薦され、足を運んだこともないような場所にまで列車に揺られ、それまでの勉強をとおしてイメージしていた障害の少女像とはまったく違った少女が目の前に飛び込んできたら、あなたはその少女の認識のあり方、教育のされ方を一見して見て取って、暴れる彼女をおとなしくさせるために腕時計を与えることができたでしょうか?もしそれができそうもないということが自分の力で気づけたのであれば、「サリバンはどうして腕時計を与えたのか?他のものではいけなかったのか?ヘレンの欲しいものが何であると見抜いたからそうできたのか?…」と、考えてゆき、一定の答えを出すことができたでしょうか?

わたしが求めているのは、そういうこと、なのです。それが、認識論を高めるために必要なことなのです。
自分の問題の解き方のどこに落とし穴があったのか、少しわかりかけてきましたか。また文書を引用すれば結論も正しくなる式の形式主義の落とし穴がわかってきたでしょうか。


人の気持ちをわかるようになるための修練というものは、既に出てきた結果をまとめて物語にすればよい、というものではないのです。


あなたがこの本を学ぶために必要な姿勢は、「自分がこの時この場所にいたとしたら、サリバンと同じような教育ができただろうか?」という考えてゆくことであり、それがどうしてもできない!ことを自分のことのように思い知り叩きのめされ、自分のわからなさ加減をわからないものとして認識上に浮上させる、ということなのです。

この初日の手紙の中だけでも、先ほどの腕時計の問題のほか、「なぜ母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないのか?」、「サリバン流のある意味で厳しい教育を通して、なぜヘレンから愛情を引き出すことができるのか?引き出しうるのは拒否の姿勢だけでないとしたらどこがそうさせるのか?」、「物に名前があることがわからないという状態はどのようなものであるのか?すでに概念の存在を知った者はどうすればそれをイメージしうるのか?」などなど、無数の問題が浮上してくるのですし、そうでなければ読めたことにはならない、のです。

「ここがわからない、あれもわからない」というレポートでかまいませんので、また見せてもらいたいものです。

ほかのレポートも見ておきましょう。(以下、註釈についてはリンク先の原文を参照)


◆Aくんのレポート(あずまや、、: #1 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』1887年3月6日)◆

 アン・サリバン(当時21歳)は約半年間の準備期間を経て、はじめてヘレン・ケラー(当時6歳9ヵ月)とあうこととなった。サリバンが熱い期待のもとこの日を向かえたのと同様に、ヘレンは前々から見知らぬ存在を察し、手に負えないほど興奮していた。サリバンは、興奮したヘレンに気おされることなく、注意を腕時計に向かせることによってその場をおさめた。ヘレンが彼女に与えた印象は、当初想像していた青白く神経質な子供とは真逆であった。気取って帽子をかぶることや、体格が良くたえず活発に動くところから身体的に健康である印象を与えた。事実、ヘレンが聴力と視力を失った日以来、病気にかかったことがないもようだ。一方、めったに笑わず、母親以外の愛撫を拒むような精神的にふさぎこんだ部分や、短気さやわがままさのような一面も兼ね備えていた。これらをふまえ、サリバンは短時間である方針を固めていた。 
課題:ヘレンの気質を損なわずに訓練し、制御すること。
方法:時間をかけ、ヘレンの愛情を勝ち取る。
必要条件:正しい意味での従順さを求める。
 
 以上の3点である。そして、すぐさま行動に移すこととなった。ヘレンが贈り物の人形(パーキンス盲学校の少女たちからのもの)を見つけたとき、彼女の手のひらに、ゆっくりと指文字でd-o-l-lと綴ったのである。このときのヘレンには物の名前という概念は乏しく、連想させる記号という方が近いと思われる。事実、c-aから始まる綴りから条件反射的に彼女に連想させるのが好物のc-a-k-eであった。ただし、これは現状でのヘレンの認識であり、決して理解力の欠如とはつながらない。その例として、ビーズを糸に通す仕事でのできごとがあげられる。それは木のビーズ2個とガラスのビーズを1個置きに糸に通す作業であるが、素材の違い、通す順番をすぐさま理解し、驚くほど早く通し終えた。また、サリバンがビーズが落ちない十分な結び目を糸に作らず、ヘレンにその糸を与えたときは、糸にビーズを通して結び、ビーズが落ちないように問題を自己解決した。このことから、サリバンは彼女の賢さを知ることとなる。 
◯ ◎ 
 サリバン先生の教育方針からすると、ヘレンのよさをのばしていく「導き」という印象を強く受けます。そのために、ヘレン自身のことはもちろん、家族のこともすごくよく観ています。ここでいうヘレンのよさというのは、好奇心旺盛で茶目っ気があり、活動的な気質のことです。たとえ、読み書きや人並みの生活をおくることが目的であったとしても、この気質を失うことはケラー夫妻もサリバン先生も、そしてヘレン自身望むことではないと思います。ですから、方針のひとつ目に掲げたのではないでしょうか。また、ゆっくりやりはじめて、ヘレンの愛情を勝ち取るということは、ケラー夫人の愛情が彼女に届いているということが前提となります。仮に、ケラー夫妻が愛情とはほど遠い「放任」という形でヘレンを甘やかしていたとするならば、サリバン先生が愛情をもってヘレンに接していることが、彼女に伝わるまでに多くの時間を費やすこととなったでしょう。そして最後の従順さをもとめることにおいては、兄ジェイムズの存在が大きかったと思います。彼は唯一ヘレンに対抗する存在であり、彼女のなかに「思い通りにならない何か」という概念を与えたことと思います。ただの暴君ではないということは、サリバン先生の考える「正しい意味での従順さ」を求めることの手助けとなったことでしょう。
 サリバン先生がこのような導きという考えに至った経緯には、彼女がヘレンの「看る世界」を経験したことが、少なからず関係していると思います。サリバン先生自身、子供の頃に目の病気をわずらって、ほとんど全盲になったことがあるのです。このことが、先入観をもたずにヘレンと接し、より多くの感情共有や意思疎通を行うきっかけを与えたのではないでしょうか。



Aくんの書き方も、さきほどのOくんのレポートのように優等生的・模範解答的なところがありますから、この場合もやはり、自分のわからなさ加減をわかってゆく必要があるのですが、最後の二段落ぶんの考察に関しては、その意識は少なからずあるように思われます。

というのも、よくも悪くも、考察のなかに、断言が見られないことからです。
「〜のではないでしょうか」が連続するということは、「これらは仮説の域を出ないが前後関係からするときっとこうであろう」という思いの現れでしょうから、これはこれで、わからなさをわかってきはじめている、とみなすことができます。

しかしこの正直さは逆に言えば、「これはこうである」と断言できないということでもあります。これらは、「幼児教育とはなにか」、「子どもにとって遊びとはなにか」、「言語とはなにか」、という、確かな考えの足がかりとなる原則論を押さえておかねば、なかなかに断言しがたいことでしょう。

それらを一挙に踏まえることは難しいですから、まずは認識論的に考えてゆくことにして、それもあらゆる問題をわからないわからないと言うのでなく、ひとつの具体的な問題だけを取り上げて、じっくり考えてゆく、という向きに進めてゆくとよいでしょう。

言語の問題は難しいですから、たとえば、ヘレンの「さわる物は何んでもこわしてしまう癖」に、サリバンがどう働きかけ、どのように治していったのか、を考えて書いてみてください。この時にも、自分がもし、この時この場所にこの境遇でおかれていたとするなら、同じことができただろうか?と、考えてゆくべきです。


さいごに、次を見ましょう。

◆ノブくんのレポート(ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版))◆

 この作品はタイトルにもある通り、アン・サリバンによるケレン・ケラーへの実践記録(※1)を中心にして、彼女がどのように言語を習得していったのか、またそうした教育を通して、どのように人間としての精神を培われていったのかということが描かれています。というのも、皆さんもご存知の通り、ヘレン・ケラーという女性は幼い頃に重い病気を患ってしまい、以来耳が聞こえず目が目が見えず、よって言葉すらも覚える事が出来ない状態でした。周囲の人々はこんな彼女の様子を見て、きっとそれも仕方のないことであると諦めていたことでしょう。ところが、アン・サリバンが彼女の家に訪問してからたった2年のうちに、その状況は打ち破られてしまうことになるのです。彼女は盲、聾というハンデを乗り越えて、言葉を理解し、更には自分の口で会話する事もできるようになっていったのでした。そしてその背景には、精神的な成長があることも見過ごせない事実のひとつです。ヘレンは言葉を理解する以前は、短期でわがままで自分を抑えることを知らない野生児のような子供でした。それがサリバンの教育を受けていく中で、私達と何ら変わらない、若しくは私達以上の教養ある人々の中の1人として成長していったのです。
 そこでここでは、ヘレンがサリバンの教育を受け、言葉を理解し、自身で使っていけるようになる中で、彼女の精神というものがどのように変化し、人間的なものへと転化していったのかを見ていきたいと思います。
 
 サリバンがヘレン・ケラーと出会いを果たした1887年、3月3日。彼女はこの日から多くとも数日のうちに、ヘレンの教育に関する重大な欠点を見抜いていました。というのも、ヘレンは他人のバッグやプレゼント(キャンディ)を勝手に触る、探す。活発でとどまる事をしらないけれども、人間的な表情とは少し遠いそれをする等、とても7歳前の子供とは思えない(※2)行動や顔つきをしていたのです。彼女には明らかに精神的な欠陥があるのでした。
 通常、子供というものは外を思いっきり走ったり、友達と遊んだりする事によって、自身の内から湧き出る衝動を発散する事が出来ます。ところがヘレンの場合は、自身の障害の為にそれらの事が出来ないどころか、知ることすらないのです。よって彼女は決して解消される事のない内的な衝動を、自身の気の向く儘に少しずつ発散していくしかありません。また、彼女の両親が道徳的な人物でありながらも、ヘレンの障害が彼女へのしつけを困難にさせている事も見過ごせない点として挙げられるでしょう。
 
 そして上記を踏まえた上で、サリバンはヘレン・ケラーの教育において、〈彼女の内的な衝動を失わせる事なく、それを彼女自身に制御させ、いかに効率的に発散させていくか〉という目的論を獲得していったのです。ここで一部の人々からは、「内的な衝動が彼女の教育やしつけを妨げているのであれば、それを取り除いた方が良いのでは?」という声もあるやもしれません。確かにヘレンの場合、子供らしい内的な衝動が裏目に出ていることは明白です。ですが、子供のこうした衝動こそが、彼らを教育する上で欠かせない事も事実でしょう。例えば皆さんのうちにも、子供の頃友達よりも多く漢字を覚えて自慢したいという衝動から手が黒くなるまで字を書いた、或いはなかなか出来ない鉄棒の逆上がりを日が暮れるまで練習したといった経験を持っている方は少なくないはずです。子供の内的な衝動そのものが教育にとって害悪なものではなく、彼女の発散の仕方が悪いから害悪になっているだけなのです。
 またサリバンは自身の立てた目的論を達成する為に、力のみで征服しようとするのではなく(ここには、人間の道に逸れた場合にはそうするという含みがあります)、「ゆっくりはじめて、彼女の愛情をかちとろう」という方法論を立てていきました。(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
 例えば、幼い頃に習い事をした事のある方なら共感して頂けるとは思いますが、はじめは両親や先生から嫌々させられていた硬筆や剣道でも、ある日ふと褒められるようになり、やがては自ら先生に自分の字や技を見せるようになっていったという経験はないでしょうか。嫌々していた事でも、「褒められる」等して子供らしい欲求を満たされる事で、それが快感になっていった、という構造がそこにはあります。そして快感に変わっていく過程の中で、それまで怖いだけの教育者(両親、先生)が自分の欲求を満たしてくれる存在へと転化していったのではないでしょうか。そしてサリバンの場合も同じです。はじめは嫌われ、勉強が嫌いになったとしても、彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待しているのです。



まずは正誤の指摘です。くれぐれも注意してください。

正誤
・短期→短気


書き方として、まず本書全体のあらすじを簡単にでもまとめたうえで、サリバンのヘレンにたいする教育におけるはじめの段階を「野生児から人間へ」の過程として捉えたところは評価できます。

その上で、今回の考察の対象となっているのは、サリバンがヘレンと出会った当初に見出し、のちの報告書の中で「内的な衝動」としてまとめている概念についてです。

論者は、これを単に、子どもの扱いにくい部分として排除する見方を退け、そこと真剣に向き合ったからこそのサリバンの優れた教育があり得たのだ、と、弁証法的に考えを進めていけています。

続いて、わたしが前回指摘しておいた本書の細かな読み方を丁寧にふまえたうえで、「子どもの「内的な衝動」を活かす教育とはどういうものか」と、考えを進め、自分なりの答えを提示しています。

サリバンの初日の後半部にある、ヘレンにたいする言語面での指導内容について一言もないことは残念ですが、「内的な衝動」という、本書全体における重要な概念から逃げずに真正面から向き合っていることはここに評価しておくべきでしょう。

さて、このレポートの核心となっているのは、先程も述べた「内的な衝動」を活かす教育とはどういうものか」という問いについての考察です。その答えについては、仮説として提示されています。
(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
具体例も挙げて説明がなされていますが、これは残念ながら、本書中にある理解から遠ざかっています。

1887.03.11の手紙を見てください。そこにはこうあります。
彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりわかりました。私はそのことについていろいろなことを考えましたが、考えれば考えるほど、服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました。
ここには、サリバンの実践を通した実感として、服従が愛情の前提となっていると書かれています。

ひとまず、「内的な衝動を抑えること」と、「従順になること」、「服従すること」が同様のことを指しているということにして考えてみるとしても、「服従することを覚えれば自然に(=直接的に)愛情が芽生える」とするのは無理があります。

より精確に言えば、このことを<対立物への転化>として指摘したとしても、その過程的な構造についてはわかったことにはならないはずである、ということです。

たとえば、子ども憎しの一心で与えられた体罰によって服従を覚えた子どもが、保護者に対して愛情を芽生えさせるでしょうか。そうではないでしょう。
しかしだからといって、サリバンの言うとおり、どうしても必要な時には力づくで言うことを聞かさざるをえないという場合もあるわけですから、手を出すことそのものが絶対的に悪であるということではありません。しっかりとしつけられた子どもは、やはり愛情を開花させてゆくはずです。
そうすると、この問題をどう解くか、ということが、論者に与えられた課題です。

論者は、「彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待している」と述べていますが、この時点では、「(ヘレンが愛撫されるのを拒んだため、)彼女の愛情や思いやりや他人に賞賛を喜ぶ子供らしい心に訴えるすべが一つも」ないという状態(1887.03.11)なのですから、この問題から逃げずに取り組むべきです。やはりこれも、レポートとして提出してもらいたいと考えています。


(5につづく)

2013/08/13

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)


(2のつづき)


週末の研究会に参加されたみなさん、お疲れさまでした。
猛暑のなかやって来たら、冷房もかけない屋内にカンヅメにされ議論させられたというので面食らったかもしれませんが、外的な環境に惑わされずに頭脳活動をしてゆくということも大事な勉強のうち、と考えてのことですのでご了承ください。
夏の間には、時間が許す時にはメリハリをつけて、河にでも繰り出すこともあるでしょう。

さて、以下はそこで行われた議論のおさらいですが、実際には研究はじめのこともあり、ありとあらゆる事柄に触れねばなりませんでした。というのも、この本を認識論的な段階で読むためには、「個人としての人の発展段階とはどういうものか」、「人類総体の発展段階とはどういうものか」に加えて、「言語とはどういうものか、どう生成されどう発展してきたのか」といったことにも言及せざるを得ないからです。おかげで、たいした文字数もない本の1ページを読むのに軽く1時間以上の時間をかけることになりました。(しかも、残された問題も少なくありません。また、以降の議論でも繰り返し繰り返し、耳にタコができるほどにそれらの過程を聞かされることになります)

しかしそれをここにすべて書き置くことはとうていできませんので、認識論の実力を高めたいと本心から思うのであれば、労を厭わず実際に議論に参加してもらうほかありません。今回の学生さんたちの反応は、「こんなにわからないところがあるのに、自分では気づけなかったのか…」というものでした。自分のわかっていなさ加減に気づくというのは、どんなことでも第一歩です。

今回はまず、本書の一番初め、サリバン女史がヘレンと出会ってすぐのところをじっくり読んでいきますが、これとて必ず、本書の全体像・一般論を仮説的な段階ででもつかんでおかねば本質的には何の意味もないことです。一見すると筋が通った考え方が誤りであったり、時にはかえって害になったりするのは、それが全体としての位置づけを欠いているから、つまり体系性を保持しえず枝葉の部分を議論することに始終しているからであって、科学史や社会史は、その実例をあまりにも豊富に提供してくれます。どんな時にも、ほんとうの意味での特殊性は、一般性に照らすことでしか絶対的に浮かび上がっては来ない(<相互浸透>)のですから、これまた絶対に、手を抜かないようにしてください。

議論で進められたのは1887年 3月6日のうち前半部のみですが、学生のみなさんにおいては、後半部は独力で読み進めた上で、1887年 3月6日その日全体のレポートを提出してください。課題は以前にもお伝えした通り、本書における1887年 3月6日の意義とはどういうものか、ということです。(詳細は以前の記事を参照のこと)

以下は、ただ漠然と読み進めるのでなく、赤字の引用をなんども読み返して、ヘレンの現状と、サリバンがそれにどう対処しようとしたかをまずは独力で考えてください。その上で、説明を読んで答え合わせをしてください。実力がつかないのは、姿勢がダメだからです。環境や向き合う素材のせいにするのは、単なる甘えです。

◆◆◆

1887年 3月6日(前半部のすべてを順に抜粋)
 ……私がタスカンビアに着いたのは、(引用者註:3月3日の)六時半でした。ケラー夫人と兄さんのジェイムズ君が私を待っていてくださいました。おふたりの話では、この二日間列車の到着するたびに、誰かが迎えに出ていたとのことでした。駅から家までの一マイルばかりのドライブはとてもすばらしくて、気分の安らぐものでした。ケラー夫人が私より余り年上でないくらいお若く見えるのにおどろきました。ご主人のケラー大尉は私を中庭で出迎えて下さり、元気よく歓迎して心をこめた握手をしてくださいました。私は「ヘレンさんはどこですか?」と、まっさきにたずねました。私は熱い期待のために歩けないほどからだがふるえるのを一生懸命おさえようとしました。家に近づいたとき、戸口のところに子供が立っているのに気がつきました。ケラー大尉は、「あれです。あの子は、われわれが誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていました。そして母親が駅へあなたを迎えに行ってからというものずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。 
 私が階段に足をかけるかかけないうちに、ヘレンは私の方へ突進してきました。もしケラー大尉がうしろで支えてくださらなかったら、突き倒されてしまったほどの力でした。
−−−

この時点でサリバン女史の脳裏には、報告書などで学んだ目の不自由な子どもたちの典型的なイメージがありますから、その類推でヘレンのことを想像してみて、「きっとこんなふうだろう」という彼女についてのイメージも持っています。
しかしこの、ヘレンとのはじめての出会いのとき、そのイメージが彼女の実態とはかけ離れたものであることに気付かされています。

サリバンにおいては、一般像を持っているからこそ、目の前の対象が持っている特殊性を浮き彫りにしえたのですから、その彼女の頭脳活動のあり方に読者は着目すべきです。また、ここにある<相互浸透>の重要性に、改めて読者は気づかねばなりません。


 彼女は、私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグをとりあげてあけようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎをまわすまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました。ヘレンの顔は、ぽっと赤くなり、お母さんがバッグをとりあげようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計をもたせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちはいっしょに二階にあがりました。
−−−

ヘレンは初対面のサリバンのバッグを取り上げた上に、彼女にかぎを空けるように促してまでいます。このことを見たサリバンは、同じ年頃の女の子と比べると、現在のヘレンは、さすがにわがままに過ぎる、と感じたのではないでしょうか。

それに加えて大事なことは、「すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました」とあることです。ヘレンがわがままであることに対して、彼女の母親にあっては、「(人間として)初対面の人にそういうことをすべきでない」という道徳的な観念をきちんと持っていることがわかります。しかしそれでも、ヘレンが母親の道徳をなぞらえるように同様の観念をまるで持てていないということは、ヘレンが育てられている環境のどこかに、なにか問題があるであろうことが浮上しつつあるわけです。

その問題は構造面から言えば、母親は正しい<認識>を持っているものの、それを子に正しく伝え、実際にそうさせられるための<表現>をどのようなものにすべきなのかが明らかでない、ということであり、これは<認識>と<表現>をつなぐ<技術>の問題であると言うことができます。

念押しに注意をすれば、この問題は、母親だけにあるのでもなく、子の側だけにあるのでもなく、子の特殊性に合わせた教育・しつけがどのようなものであるのかが明らかでない、という、互いの関係性にこそあるのだと、問題を<弁証法>的に捉える努力をしてもらいたいと思います。

母親をはじめとした両親に、教育やしつけの能力がまるでないわけではなく、ただヘレンの特殊性に合わせるのが難しいのだということは、兄ジェイムズがヘレンのわがままを制止しようとする姿を見れば、両親の教育・しつけを受けとめているであろうことからもわかります。

−−−


次に、お母さんにバッグを取り上げられそうになったことで腹を立てたヘレンに、サリバンがどう対処したのかを見てください。
このときサリバンは、自分の腕時計で彼女の注意を引き、気分をなだめたとあります。

このことは単純で簡単なように見えますが、サリバンは、ヘレンは決してバッグそのものが欲しかったり触りたかったのではなく、彼女の「内発的な衝動」(「サリバン女史の報告書からの抜粋」、新版でp108)が、その発露を器質的な障害によって妨げられていることから行き場がなくなり、怒りとして出てきているのだと見抜いたからこそ、ヘレンの欲求を満たすだけの代替物を探し得たのだ、とわからねばなりません。

もし同じ状況で別の人物がここにいたのだとしたら、ヘレンからなんとかしてバッグを引き剥がそうとする母親と一緒になって、ヘレンが泣いて諦めるか、大人側が折れるかしなければ、騒ぎは静まらなかったはずです。

相手がなぜそのような行動したのかと考え、行動の源泉に遡り、大本の認識を自分のことのように感じ取った上で、その欲求を満たすことができうるということは、誰にでもできることではないのだ、それだけの訓練を積まねばならないのだ、と受け止めてほしいと思います。生まれつき、人の気持ちがよくわかるという人間など存在しません。そこに到達するまでには、それだけの目的的な実践の積み重ねがあったからです。

自分のわからなさがわかってきた、と言う学生のみなさんにあっては、このことを、それに相応しいだけの重さで受け止めてくれるものと期待しています。



 そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。たぶん何か食べものが入っていると思ったのでしょう。おそらく友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがあるので、私のバッグのなかにも何か見つけようとしたのでしょう。私は、大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなずかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べるときにする身振りをしてみせ、もういちどうなずきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクのなかにおみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけおりました。数分でもどってくると、私の持ち物を片付けるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで眼が見えるかのように鏡の中をのぞくのは、とても喜劇的でした。
−−−

サリバンは1階の大広間にトランクを置いて、ヘレンとともに2階の部屋(サリバンに割り振られた自室でしょうか)に上がりました。

このときヘレンは、おそらく「友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがある」という経験から、サリバンのバッグにも何らかの甘いものが入っているだろうと思ったようです。
サリバンの場合は、たしかにおみやげは持ってきていたものの、それはバッグにではなく階下に置いてあるトランクに入れていたので、ヘレンが使っている身振りを自分でも使いながら、彼女にその旨をうまく伝えています。

ここで注意すべきなのは、ヘレンの認識のあり方です。
それは、ヘレンは、バッグというものの像を、自分の好きな甘いキャンディと「直接的に」結びつけて認識している、ということです。

わたしたち人間は、感覚器官を通した刺激をきっかけとして、それを頭脳において像(=認識)として受け止めた時には、そこに感情を加味した受け止め方をします。

この感情がどういうものになるのかは、それまで得てきた生活経験によって変わりますが、たとえば「目の前に犬がいる」という場面のことを考えてみてください。
一人の人間は、それを認識したとき、昔噛み付かれて病院へ運ばれた経験を思い起こし、不快感を抱きながら警戒することになるかもしれません。
しかしまた別の人間がそれを認識した時には、昔捨てられていた犬を助けてから、寝食を共にしてきたことを思い起こし、快として受け止めるかもしれません。

生活経験が多種多様であることによって、こういった問いかけ方が違ってゆくことになりますから、人間はそれぞれ、同様の対象を見た時にも様々な受け止め方をする、様々な問いかけをしながら対象を見ることになってゆくわけです。

ですからもし、ヘレンが、目が見え耳が聞こえるごく普通の6歳児であったのなら、「バッグ」の存在が感覚器官によって受け止められた時にも、いきなり直接的に「キャンディ」を連想したりせずに、豊富な生活経験の中から「本」や「衣服」、「おじさんの大事にしている懐中時計」などなど、バッグそのものの一般的な用途に照らしたバッグ像を思い浮かべるのかもしれないのです。

そのことに加えて、ヘレンに器質的な障害があることを気の毒に思った来客が、気を使ってキャンディを持って来、さらにそれがヘレンの好物となると、来る客、来る客がきまってキャンディを持ってくるようになったのかもしれません。

これらのことによって、ヘレンの像の作り方は、このような特殊性を帯びることになり、この場合であれば、「バッグ」と「キャンディ」を未分化のまま直結させた「バッグ→キャンディ」像を創るところまできているのです。

さらにもう一点、これらの原因の大きな土台となっている要因は、この時点ではヘレンが、「すべての物は名前を持っている」ことがまだわからない、ということにもよっているのです。(これをはじめて知るのは、1887.04.05です)

ですからやはり、ヘレンにとっては、「バッグ」と「キャンディ」という概念は、両者が曖昧模糊とした状態にあるのであって、区別がつけられるかと思えばつけられない、つけられないかと思えばつけられつつある、という状態なのです。(物には名前があることがわかった1887.04.24の段階でも、「帽子→歩く」像が曖昧である点に注意。この気付きによって、あらゆる概念が一挙に明確になったと考えてはいけません)


 これまで私はなんとなく青白くて神経質な子どもを想像していました。たぶんローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校に来たときのことをハウ博士が書いておられたものを読んで、そう考えたのでしょう。しかし、ヘレンには、青白くてひ弱なところは少しもありませんでした。大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。彼女は目の不自由な子どもたちによく見かけるような、みじめで神経質な気性をもち合わせていません。彼女は体格が良く、活気にあふれています。ケラー夫人のお話しだと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一日で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。
−−−

この箇所については前回も書いておいたとおりですが、サリバンは、ヘレンは器量に恵まれているとしながらも、「動き、あるいは魂みたいなものが欠けて」いると指摘しています。さらに彼女は「彼女はめったに笑」わず、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」ようで、「ひどく短気で、わがまま」である、と続けていますね。

これらの判断は、やはり一般の6歳児または障害を持った6歳児と比べてのものでしょう。サリバンはヘレンのうちに、「内発的な衝動」があるとしながらも、それをいかに表現しうるのか、すべきなのかがわからない状況があることを見てとっています。

これらのことから判断して、サリバンは、まず教育の前段階として、どうしても、ヘレンが自分の指導内容をまともに聞いてくれるだけの素地を、彼女のなかに創らねばならない、と考えていることがわかります。ですからここで、「しつけ」の問題が浮上してきたことになります。

また、上で述べた、サリバンがヘレンについて気にしたところのうち特に、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」という点に関しては注意が必要です。

1887.03.11でこの時のことを振り返っているように、「しつけ」の段階において、ひとりの子どもを人間らしくしつけてゆくためには、当人が大人の真似であれ、とにかく社会的に良いことをした場合には、何らかの方法で、それを「あなたのしていることは(社会的に)良いことですよ」と伝えて、この先も同様にしてくれるようにうながしてゆかねばなりません。

それは、たとえば目を見て笑顔で頭を撫でたりするといったかたちで、子どもの「快」へと働きかけることなのです。こういうふうにして、子どもの認識・感覚のあり方を、原初的・動物的な「快・不快」から、人間的な社会的な規範や道徳へとつながるように導いてゆくことを「しつけ」と呼ぶのです。

ところが、ヘレンその人の精神的な発育段階は、こういった働きかけがしにくい状況にあったからこそ、サリバンの苦難があったのです。後日また出てきますので、そのとき改めて考えてゆきましょう。


 彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。
−−−

この日記が書かれているのが03.06で、ヘレンと出会ったのが03.03ですから、サリバンは、驚くべき早さでヘレンの教育についてその方向性を定めつつあることがわかります。ただこの課題に対する具体的な指導方法については、1887.03.11の時点でやや修正を迫られることになり、二人は二人だけで、「つたみどりの家」に一時住むことになります。

しかしともかく、サリバンの教育の基本方針は、あくまでも「愛情をかちと」ることによってヘレンを一人前の人間たらしめようとすることなのですが、それでも、必要な時には力づくでおさえつけることも避けられないであろうことを認めています。

ここで注意しなければいけないのは、一見、目を疑うようなことばが文中にあることです。「征服」というのがそれに当たります。このことばは、続く手紙のなかにあるように、ヘレンからすると「服従」ということなのですが、温情主義的な教育観から見れば、とても容認しがたいことを子どもに押し付けているようにすら映るのではないかと思います。

サリバンの場合には、現在のヘレンの状態を見ていると、ときには力づくでおさえつけて言うことを聞かせることすら必要と見ているようで、事実この次の日の朝には、「ヘレンと大げんか」をすることになってしまったのです。

こういう記述を見たとき、それを学ぶ読者にとって必要なのは、そこでどのような指導方法が行われているかということ以上に、それはどのような指導方針上の必要性に基いて行われたものであるのか、という、指導者の認識のあり方をわが身に捉え返して考えてゆくということ、なのです。

同じ頭を叩くという場合にも、生徒が自分のことを馬鹿にしたからカッとなって(=理性のタガが外れて)そうしたのか、生徒が人間として越えてはいけない一線を越えてしまったからそうしたのかでは、大きく違った理解をしなければなりません。
この認識をたぐり寄せる、という努力を怠ったり不可能であると見なす場合には、「どれくらいの強度で殴ったら体罰なのか」といったように、体罰を数値化しようとする安易で形式的な方向性に逃げ場を求めるものなのですが、これは言ってみれば、「どれくらいの強度で触ったら痴漢になるのか」と問いかけているようなものです。

認識という観点を抜きにしてしまっては、人間というものの本質には絶対的にたどり着けないのだ、と言うと、ほとんどの人はそれはそうだ、と同意してくれるのですが、いざ教育をはじめとした人間関係の問題に向きあう時に、数値化したり極端な実例を元に厳格に規則化しようとするのであれば、やはり、人間の本質を見落としていることになります。

サリバンが、愛と服従をヘレンにどうしても学んでもらわねばならないと考えていることを、「アメとムチ」のような、小手先の使い分けレベルで捉えてしまってはいけません。サリバンが言っているのは、人間が社会の中で営む愛というものについても、その土台には、社会的な基盤がなければならないということです。一個のヒトが社会的な存在、つまり人間になってゆくためには、社会性を身につけねばならず、それを架橋するのがしつけというものであり、その中には社会の成員の言動をわが身に捉え返す、つまり服従が必要になることもある、ということなのです。

◆◆◆

まだまだ書ききれないことばかりですが、この本をどのような段階において読み、読み込むことができれば、本書から学んだといえるのかが、なんとなくでもわかってもらえたのではないかと思います。

わたしたちがこの本から学ぶときには、まずおおまかに全体像を掴んで、大まかなサリバンの教育方針をつかまえておかねばなりません。
次に、そこで得た教育方針を念頭に置きながら、今回のように各部分をじっくり読んでみることで、それぞれの判断や行動の背後に、どのような人間観・教育論が土台となっていたのかを浮かび上がらせるべきです。

これらは、一般性と特殊性というものですが、この全体から個別へ、個別をまとめての全体へと、何度も何度もの、のぼりおりの繰り返しの中で、はじめて全体が体系立ったものとして頭脳のなかに浮かび上がってくるわけです。

ですからレポートを書く場合にも、人間観・教育論と個別的な指導内容とのつながりを考えて、「サリバンはこのような認識を持ち得たからこそ、このような指導が出来たのだ」ということを説明できていなければなりません。


(4につづく)

2013/07/31

サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』はどう読むか(2):1887.03.06 (その1)

(1のつづき)


前回の記事では、これから取り組む書籍を挙げたうえで、それを単にうまくいった障害児教育のケーススタディとして見るのでなく、そこにサリバン女史の人間観と、認識論的な裏付けがあったればこその類まれなる成功例となったのだと読んでほしい、とお伝えしておいたのでした。(※前回の記事も含めて、本書並びに類書にあわせるかたちで「障害児」の表記を整えました。差別的な意味合いは当然ありません)



これからこの書籍の内容に入ってゆきますが、この本では、アン・サリバンがヘレン・ケラーの家庭教師となり、彼女の知的生活の最初の2年をいかに過ごしたかが述べられています。

ここで「知的生活」とことわらねばならないのは、当時6歳の女の子であったヘレンは、1歳8ヶ月のときに思い病気にかかり、聴力と視力を失ったことがきっかけとなり、何の教育も受けずにおかれていたからです。

そのようなヘレンの現状を見た時、サリバン女史は彼女がどのような状態であると見たのか、そしてそこへどのように働きかけたのか、をこれから追ってゆきましょう。

さてその前に確認しておいてほしいのは、この二人を描いた映画のタイトルや、ヘレン本人の手になる『わたしの生涯』(角川文庫)の裏表紙には、「奇跡(奇蹟)の人」ということばが出てくるということです。

これは一般には、盲・聾・唖という三重苦を乗り越えたヘレンのことを指している、とされることが多いようですが、本来の意味合いとしてはいったいどちらのことであったのか、と考えてみてもらいたいのです。

この問いは、答えるだけであるなら簡単で、映画の原題が“the Miracle Worker”であることを考え合わせれば、もはや答えは出ているようなものなのですが、「ではどの辺りが奇跡的であるのか?」と聞き返されたときには、生半可な読み方ではとても答えることはできないはずです。

みなさんに問いかけられているのは、まさにその部分、つまりサリバン女史の教育の、いったいどこが奇跡的な手腕であると言えるのか、という問題であるのです。

はじめに、教師・サリバンの出生について触れておき、内容に立ち入ってゆくことにしましょう。

1866(0)アイルランド移民の貧しい家にて生まれる
1876(10)救貧院に入れられる。目の病気を患いほぼ全盲に
1880.10(14)パーキンス盲学校入学。視力は幾分回復
1886 学校を卒業、ヘレンの家庭教師へ推薦される
~1887.01 半年間、ハウ博士の報告書から学ぶ
1887.03 ヘレンの教育はじまる

◆◆◆

以下は、学生さんのレポートにわたしがコメントするといういつものかたちで書き進めてゆきます。

ただ率直に言ってこの本は、認識論がどういうものかがわかっていない人、人間の認識のあり方を論理の光を当てながら見てくることがなかった人にとっては、ほとんど手に負えないものです。サリバン女史の手紙には、難しいことばは出てきませんが、その内容はそれだけ、とても高度だということです。言い方を変えれば、この本をアッサリ、どこにもつまづかずに読み終わってしまった人は、自分のわからなさすらわかることができていない状態である、ということです。

そのため一見すると、レポートをさっさと脇に片付けて、わたしだけがしゃべっているようにも見えることがあるでしょうが、「せっかく書いたのに無視しなくとも…」という気持ちをぐっとこらえて、より深い読み方ができるように、より深く人間の認識のあり方をたぐり寄せることができ、またそこにより上手に働きかけてゆける人物になっていってもらいたいと思います。


◆1887.03.06(ノブくんによるレポート:文学考察
(以下、本書の表記に倣って日ごとに分けて考察してゆく。以前公開したマインドマップも参照のこと。適宜書き足しながら読み進めることが望ましい。)
 この作品ではタイトルにもある通り、アン・サリバンによるヘレン・ケラーへの実践記録を中心にして、ヘレンがどのように教育されていったのかが描かれています。その中でサリバンは、彼女が人間的な感情を一切持ちあわせておらず、ただ快不快だけがある野生の動物のようであると規定しました。そしてこの野生児を制服をすることで教育の土台をつくり、言葉を獲得させることで知性をあたえていったのです。 
 そこで、ここでは具体的にサリバンがどのようにして上記のような方針を固め、具体的な実践に至ったのかを彼女の記録のひとつひとつを見ながら確認していきたいと思います。 
 サリバンとヘレンが最初に出会った日、サリバンは彼女がどのような人間であるのかをじっくり「観察」していました。ここで注意しなければならないのは、「観察」というとなんだか受動的な意味合いが強いようなイメージがありますが、彼女のそれはあくまで教育という実践を前提とした積極的なものなのです。というのも、彼女はヘレンに指文字を感じさせたり、ビーズを糸に通させたりして、彼女は何が出来るのか、何について興味があるのかを探し当てようとしたのでした。その結果、ヘレン・ケラーという女の子は知的ではあるが、人間的な感情の機微については他の子ども達に比べて乏しい少女であるという結論に至ったのです。

◆わたしのコメント

1887年の3月3日のこと、ケラー宅へ到着したサリバンは、熱い期待のなかヘレンと出会います。

さきほどの出生でも見たとおり、サリバン女史はヘレンの家庭教師に推薦されてから半年のあいだ、ハウ博士がローラ・ブリッジマンの教育にあたった記録を読んできていました。

このときのサリバン女史には、ヘレンが満7歳になる3ヶ月前の女の子で、1歳8ヵ月のときにかかった重い病気のために聴力と視力を失い、これまで何の教育も受けずにおかれていた、という情報が伝えられていました。

しかしハウ博士の記録からの連想で「なんとなく青白くて神経質な子供を想像していた」彼女の予想は裏切られ、出てきたのは「大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることは」ない、そんな少女でありました。

彼女がヘレンの第一印象を具体的に述べているところを見てみましょう。
彼女の顔は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一目で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。
さて、ここからどのようなことを読み取ればよいでしょうか。

まず体格からすれば、ヘレンは健康そのものであることは間違いないようです。「聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがない、というケラー夫人のことばもそれを裏付けています。

しかし視線を上げると、彼女の顔は、顔つきは知的で口の形は美しい、つまり器量としては悪くないけれども、少なくない違和感がある、とサリバンはとらえたのです。
(目の様子については、幼少期の病とともに、目が見えないことから、たとえば鏡を見て自分の左右の目のバランスを意識して整えるといったことのための、認識的な前提が得られないことから来ているでしょうから、これはサリバン女史にとっては大きな問題としては映らなかったはずです)

ではその違和感とは何だったのかといえば、その表情に「動き、あるいは魂みたいなものが欠けてい」ることと、「めったに笑」わないこと、です。

サリバンにとっては、当人のすがたかたち、器量などといった肉体的なところに問題があるのではなくて、サリバン流に言うところの「魂」や「笑顔」の不足というかたちで現象するおおもとの、ヘレンの精神状態のほうにこそ、これからの教育において焦点を当てるべき問題があるとしたのです。

ですから、論者が「ヘレン・ケラーという女の子は知的ではあるが、人間的な感情の機微については他の子ども達に比べて乏しい少女である」としたのは、「知的」という一語が指している内容が、肉体にあるのか精神にあるのかを明確に判別せずに読み進めてしまったことを示していることになります。さらに言えば、次回以降のレポートで展開されている「サリバンはヘレンの生まれ持った知性を延ばしてゆこうとした」、という見方も誤りです。サリバンが現地に赴いて見たのは、ヘレンの、肉体的には健康であるが、精神的・情緒的には同じ年齢の子どもと比べると明らかな未発達が見られる、という姿でした。

それは、顔つきだけでなく全体として、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」ことに加えて、「ひどく短気で、わがまま」である、というところにも顕れています。


では、こういったヘレンの、肉体的には不足ないが精神的には未発達のままであるようすを見て取ったとき、サリバン女史が脳裏に描いた、彼女への教育方針というものはどんなものだったのでしょうか。

彼女の言うところを聞いてみましょう。
彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。
論者にとっては、ここでサリバンが言う「気質」というものが、あたかも「知性」と呼ぶべきものであるかのように受け取られていますが、これは子ども特有の活発さ、内的な衝動などといった意味なのであって、奥底に秘めた知性などというものではありません。

このことは、サリバンがのちに、言語を知的に使うためには話す事柄を得ることが必要であり、またそのためにはとりもなおさず経験することこそが必要なのだと述べている(本書末尾の「サリバン女史の論文からの引用」内)ことからもわかるとおりです。ここを勘違いしていると、本書を読み進めるにあたっての大きな障害となりますから、正しく押さえておいてもらいたいと思います。


説教は続きますがあとに回すとして、ひとまず彼女が続けるところを見ておきましょう。
ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。
さきほどサリバンは、出会ったその日のうちにヘレンが「正しくしつけられていない」と見ぬいたわけですが、これはケラー宅で過ごすうちに後になって、ヘレンがその障害のせいで大目に見られ、甘やかされて育てられているという裏付けによって確信に変わってゆきます。

これを見たみなさんは、では、これほどまでに彼女が初対面の少女の本質を見ぬきえたのはどうしてなのか?と考えておかねばなりません。そして本書を検討してみたとき、サリバンが、正しい人間観を持っており、また、個々人としての人間の発達段階における少女期というものの位置づけ(=特殊性)をわかっていたことが非常に大きいのだ、とわかってもらいたいと思います。だからこそ、その観点に照らしてヘレンの状態を見たとき、一般的な6歳の女の子としては未発達の部分が見え、さらに、このままの状態を積み重ねてしまってはひとりの人間としての可能性が閉ざされたままとなってしまうというところにまで意識を向けることができたのです。

原則をしっかりと持っているからこそ現象が正しく理解できるのであって、現象なしの原則は空文であり、原則なしの現象は雑多な事実のモザイクでしかないことを示すのは<弁証法>ですが、その論理を土台とし、現実を生きる人間を正しく見る方法を教えるのは<認識論>です。

さてその、認識論の観点から見れば、この引用部はどのように読めるでしょうか。

ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしてい」ないのはなぜでしょうか。「さわる物は何んでもこわしてしま」うのはなぜでしょうか。何がヘレンをそうさせて、どうすれば正しい道へと導いてゆくことができるのでしょうか。この本を全体として読んで、この日サリバンがヘレンについて気づいたことと、そこにどう働きかけて訓練してゆくかを計画したことを、大きな流れとして位置づけることができたのであれば、この本から学べたことになるでしょう。




論者のレポートだけでなく、これまでに見せてもらったどのレポートにも言えることですが、あまりにも、この本を簡単に済ませてしまおうという姿勢が目についてしまいます。わたしはこの本を読むことに決めたとき、思っているよりもずっと難しいからじっくりと読んでくださいとお伝えしていましたが、もし「あれ、意外と簡単だな。もう読めてしまったぞ?」と思ってしまっているのだとしたら、それは能力が高いからではなく、自分自身がわかっていないということがわかっていない、と言うべきなのです。

わたしはこの本を今回の課題のために読みなおしたとき、マインドマップを作りなおして全体像を掴み、そこに本書に書かれている「サリバンの得た教訓」と、「彼女が見たヘレンのその日の状態」のふたつを適宜書きだしてみたあと、全体の流れを自分がその場にいたら同じことができたであろうか?と問いかけてみて追ってみましたが、「エッ、ここはどうしてこしたの?」という場面の連続であり、あまりにもわからないところが多すぎて、自分の認識論的な実力の無さに少々呆れたものです…と言うと、あまりに卑下しすぎに聞こえるでしょうか。

しかしたとえば、その日、その日のヘレンの現状が書かれている箇所を読んだあと、サリバンが導き出した方針や指導内容の箇所を「隠して見えなくしたとしても」、「同じことを根拠をもって脳裏に描き出せたであろうか?」と問うてみて、それができる!という状態になってはじめて、本書を本当に理解した、と言うことができるのです。

認識論の素材は、われわれが生きているこの社会のなかにいくらでも転がっていますが、そこで学び得るか否かということは、わたしたち自身の志こそが決めていることなのです。それを格好の素材としてみなすことができるかどうかは、それを見る者が自分の人生をどのようなものにしたいか、という原則に照らされて浮かび上がってきているのです。だから、人の気持ちがわからない人は何歳になってもわからないのであり、わかろうとする人はこの若さでお見事、と言える経験を日々積み上げ、それにふさわしい人格を創りあげていけるのです。アン・サリバンその人は、大学を出たばかりの年齢で、ここまでのことをやり遂げたのです!この大事さ、恐ろしさが本当に、わが身に直接関係のあることとして、捉えてもらえているでしょうか…。内容に立ち入って議論する前に、そこをしっかりと確認してもらいたいと思います。




ところで、苦言だけでは先に進めにくいでしょうから、基本的なことを押さえておきましょう。まずは、一般的に、ひとつの書籍を本当に理解するためにはどうすればよいのか?という問題から振り返りましょう。

一般的に言って、対象となる事物・事象のあり方を正しく押さえるためには、まずは全体を見渡しその一般性を押さえた上で、それに照らすように各部分の特殊性を明らかにしておかねばなりませんでしたね。たとえば生物の身体を調べるときには、それが全体として生きている、つまり代謝しているということを見て取った上で、呼吸器系とは何なのか、消化器系とは何なのか…と、各部分・各器官がそれぞれ個々別々・特殊的に働きながら、それにもかかわらず全体としては調和がとれている、というかたちで、矛盾が統一されているものと見なければなりません。

ですからこの本も、全体を貫くサリバンその人の指導方針と、日々それぞれの指導内容が、「サリバンの中にはこのような大きな見立て・大きな絵地図があって、そこにまでヘレンを導いてゆくためには、この日こういうことをしなければいけなかったのだな」というふうに、読者の頭脳のなかに統一されたものとして体系立てられていないのなら、彼女がいかなる奇跡を起こしたのかは到底見て取れないことになるのです。

それなのにあたかも、本書をはじめのページからめくっていって、片っ端から要約でもすれば全体を理解したことになるかのような姿勢は、あまりに寂しいばかりの思い違いであると言わねばなりません。教育、とくに変化の激しい子どものそれは、毎日の積み重ねがその個性という質として現象してゆくのですから、日々の記録をばらばらに理解するのでなく、一日一日が刻一刻と積み重なることで重層的な構造を作り上げながら現象してゆくという大きな流れをしっかりと掴んでおかねばなりません。これは、その日の出来事がその日に起こっていなければならない、という必然性を伴うものであって、あの日とこの日が入れ替わっても大して違いがない、といった生易しいものでは決してありません。

みなさんに足りないのは、その、<必然性>という観点です。全体としてこのような到達点があったのであるからには、そこにまで至る過程において、このような積み重ねがあったからなのだな、ないといけなかったのだな、とわかるということが、必然性を把握する、ということです。とても難しいとは思いますが、まずはそこを意識しながら書いてみてほしいと思います。それが書けるというのは、ヘレン・ケラー教育の2年間の過程のうち、この日の特殊性はこのようなものであった、という、全体の中でのその日の位置づけ、その日が積み上がることでの全体、というものが言えていることでなければなりません。

こう書き置いただけでも、「えっと…それで…これからなにをすればいいのかな…??」と、はてなマークが頭のなかを飛び回っているかもしれませんので、念押しのために、サリバン女史がのちに、ヘレンへの訓練を振り返って書き残してくれている箇所を引用しておきましょう。



さまざまな現象を観察する範囲が広くなり、語彙が豊富さと微妙さを増してくると、彼女は自分自身の考えを表現することができ、また他人の思想をも理解できるようになり、やがて人間を創造した力について考えるようになり、何か人間のではない力が地球や太陽や彼女のよく知っている数多くの自然物を創り出したとうことを感じるようになった。
(「サリバン女史の報告書からの抜粋」より)

「最初、私の生徒の心はまったく空虚であった。彼女は理解できない世界に住んでいた。…ヘレンがすべての物は名前をもっているということに、また、指文字を使ってこれらの名前を人から人へ伝えることができるということに気づくや否や、私は彼女が喜びながら名前を綴ることを覚えたその対象について、さらに深い関心を目覚めさせるようにした。」
(巻末「サリバン女史の論文からの引用」より)


さて、次回は本書の内容に立ち入って議論ができるでしょうか。

まずは1887年の3月6日その日が、ヘレンの訓練全体のうちでどのような意味を持っていたのか、を鮮やかにとらえたようなレポートが出てくることを願ってやみません。「こういうことかな?」というものができたら、恐れず飛び込んで見せてもらいたいと思います。

わたしが「長い道のりになる」と言ったのは、なにもサリバン女史の手紙の数が多い、といった表面的な意味だけではなかったのでした。じわりじわりと、理解すべきことの重みが、みなさんにも浸透してきたでしょうか。


(3につづく)

2013/07/29

サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』はどう読むか (1)


長い記事になりそうですが、


よろしくお付き合いください。

今回からはじまる一連の記事の中での参考文献は、以下の書籍です。

サリバン(著)/遠山啓序・槇恭子(訳)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか サリバン先生の記録』(明治図書)

◆◆◆

そもそもこの本を参考書に選んだのは、学生のみなさん、とくに将来、人を教えたり導いたりすることを目指している人たちに、目の前の被指導者たちのあり方のどこに問題があり、それはどのようにすれば改善させてゆけるのかを考えるにあたって大きな指針となるものであるはずだ、と考えたからです。

ジャンルで言えば、認識論や、指導論のおはなしが中心となってゆくことでしょう。

これからの記事では、この書籍をいかに読むべきか、ということをみなさんとともに議論しながら書いてゆくことになります。

そのときに注意していただきたいのは、これを単に障害児教育の類い稀なるケーススタディであるということとして読むのではなく、「目の前の人物のあり方に問題がある場合に、いかにして働きかけるのか」という、教育・指導・コミュニケーションにおける<論理>を掴み取るためにこそ読んでもらいたい、ということなのです。

この、いわば教育実践における論理を引き出す際に必要なのは、やはり弁証法的に読んでゆく姿勢である、ということになります。しかもそれは、現実から考え始めるという唯物論の立場によってなされるべきだ、ということになります。

この前の一連の記事で、弁証法と形而上学、唯物論と観念論の違いについて例をあげながら述べましたが、この本においても、唯物論的弁証法の立場において読んでゆくことで、サリバン女史がヘレン・ケラーをどのように見て、どのように働きかけたのか、を、自分自身がその場で指導者であったなら同じことができたであろうか、とわが身に捉え返して考えていってほしいのです。



ここで念のため、すこし確認をしておきましょうか。わたしが先ほど、
「目の前の人物のあり方に問題がある場合に、いかにして働きかけるのか」
と述べた時に、アレ?と感じたり考えたりした人はいないでしょうか。

たとえばこんなふうに、です。
「『問題』と言っても、見る者によってどこをそういうものとして見るかはずいぶんと違うではないか」とか、
「『働きかける』といっても、結局のところ子どもの主体性に任せるのが最良ではないか」といった意見がそれにあたります。

こういった考え方は、一見すると常識的かつ穏当・良識的なもののように映るのですが、いざこれらを実践のための指針とする段になると、その過程・結果において、どうしても問題が起こってこざるを得ないという現実が待っているのです。

これらがなぜダメなのかは、サリバン女史の認識をわが身に捉え返しながら本書を読むことを通して、次第しだいに明らかになってゆくことではあります。

ここでは結論から簡単に述べれば、わたしたちが育てる対象は、決してサルではなく人間でなければならないのであり、そうであるからには、「人間とはどうあるべきか」という原則を絶対に持たねばならないのであり、またその原則に照らしてこそ対象が鮮やかに見えてくるのであり、さらにそれに従って相手を導いてゆかねばならないのだ、ということなのです。

それでも、そんなものは大人の勝手な言い草で、子供はとにかく自由に振舞わせるべきであり、食事だけ与えておけば勝手に育つものであり、それが最善である、といった反論が出てくる場合には、そもそもの目指しているレベルが違うのだ、と言わねばなりません。

自分が指導した人間が将来的に、誇るべき人格を持ち得ないような人物に育ってしまったり、果ては救いようのない理由で犯罪を犯したり、歪んだ人間観の持ち主となった場合に、「あれは生まれつきおかしかったのだ」と言い訳をすればよいと考えている、人を育てるということを「そういうレベルで捉えてしまっている」のであれば、やはりここで強調していることは、同じレベルでは把握してもらえないことになるでしょう。

もしそれでも、どうしてもこの穏当・良識的な考え方で指導論を展開したいという場合には、もし仮に、その考え方でヘレン・ケラーの教育にあたったとしたら、あなたのもたらした結果が、サリバン女史の達成とはいかにちがったかたちとして現象したのか、と考えてみられることは決して無駄ではないと思うのです。

このことは、ここまでの記事、最低でも今年に入ってからの記事を、先入観なしに読んできてくださっている方には基本的な方針としては理解してもらえることと思います。

ともあれ、賽は投げられました。
他の記事をはさみつつ、長い道のりになりますが、倦むことなくともに歩んでくださるようお願いいたします。


(2につづく)

2013/07/22

【メモ】サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』のマインドマップ(※7/25更新)

※7/25に、本書の落丁を追加しました。

表題の書籍のマインドマップです。

より解像度の高いPDFファイルはこちら(Google Driveへのリンク)

プリントアウトしたあと、コピー機でA4→A3へ拡大(141%)しておくと便利です。

◆◆◆


◆改版(オフセット印刷版)の落丁

・p29 一八九七年 四月三日→一八八七年 四月三日

・p51 teacher wil cry→teacher will cry

・p92 「ヘレンに関する報告の中で〜」の段落中
 なぜならヘレンは興奮して「何を見たの?」と尋ねた。
 →なぜならヘレンは興奮して「何を見たの?」と尋ねたからだ。

・P111 「彼女は、手を使う作業よりも〜」の段落中
 何にでも加わりたがった、習字式タイプライターの
 →何にでも加わりたがった。習字式タイプライターの

・P145 「ヘレン・ケラーの著作を読むと、〜」の段落中
 感情が裸のまま飛び出る小さいな野生児が
 →感情が裸のまま飛び出る小さな野生児が

2013/07/18

『道は開ける』の一般性はどのように引き出されたか (4):議論の内容

(3のつづき)


前回の記事を公開してから、色々と意見をいただいたのですが、その印象としては、わかる人にはちゃんと伝わるものだな、というものでした。
(逆から言えば、「わからない人は、悪気はないながら、わかっていないということがわからないのだな…」ということでもあるのですが)

いちばん印象に残った感想を簡潔に書くと、「あなたは学者として(の目的意識に照らして、引用者補足)こういうものごとの見方をしようと決意し、常々そうしてきており、またそうできてきているから、学生さんが自分では意図していない踏み外しをしているときには一瞬でそれに気づくことができ、また引っ張りあげてゆくことができるのだとわかりました」というものです。

指導について、結論として出てくる叱咤激励がどういうものになるかということではなく、その過程について着目しようとしてくださるこのご意見は、とても嬉しく受け止めたものです。わかってもらえないほうのご意見にこそお返事をしたいと考えていますので、わかってもらえている方へのお返事はこのとおり遅くなりがちですが、ご容赦ください。

さてご指摘のとおり、ある指導方法を決めるときには、以心伝心があり得ない以上、ひとりの学生の表現からその認識をたぐり寄せて考えてみて、「その考え方は間違っていますよ、こうしなければ踏み外しますよ」ということを、その学生の感性・理性のあり方に照らしてひとつの指導的な表現として伝えてゆくことになります。

一般の書店にあるリーダーシップの本には、概念は難しくともその内容として、結局は「飴と鞭の使い分けが大事だ」などとあったりしますが、事実を言えば、叱った後はなだめる手間を惜しまなければ学生に最高の認識のあり方を植え付けることができるのかといえば、絶対にそんなことはありません。

鞭のあとに鞭が続くこともあれば、同様の解答を出した学生それぞれに対する反応が飴であったり鞭であることだってあります。しかしこれらは、相手の目指すものがどのようなものであるか、その人格がどのようなものであるか、そこへどう働きかけるのがその目的をもっともよく叶えるものか、といった指導上の必要性によって決まってきます。あれが来たから次はこれ、というような内容を無視した形式主義を採用し、また期待させてしまっては、正しい道がどれであるかということなど伝わりようもないのです。



ものごころつく時には必要以上に恐怖を感じさせてはいけない、などということであればいざしらず、一人の人間として新しい一歩を人類の歴史に付け加えたいなどというあまりに大それた志を持った相手に対しては、当然にそれにふさわしい導き方というものがあってしかるべきですし、その志に応えることを考えればよりいっそうそうあらねばならないというべきです。

傍から見ている人たちからは、叱ってばかりいると恨まれるぞとか、人格を否定するつもりか、お前はそんなに偉いのか、などなどといった温情主義(?)的な意見が出されるものですし、それはそれで感情的にはわからないわけではないのですが、そこだけを切り取って非難されたとしても、ひとつの意見として聞き入れようもありません。

どうしても断っておきたいのは、自ら立てたひとつの原則によって目の前の対象のあり方(学生の人格や実力)を、その生成の段階から過程的に照らして、つまりその時の必然性をこそ考える場合に、指導者としての立場からして絶対に言わねばならないこと、やらねばならないことがあるときには、わたしは何を言われてもそれを真正面に据えて逃げるつもりはありません、ということです。

漫画『ブラック・ジャック』のある物語のなかに、主人公であるモグリの医師、ブラック・ジャックその人が危険度の高い手術をすることを決めたとき、周囲から「お前は人間の身体を使って実験でもするつもりか?」となじられるシーンがあります。そのとき彼が応えたことばは、このようなものでした。
「じゃああなたがたはカケていないのかっ
あなたがたはいつも患者がかならずなおると保障して治療をしているのですかっ
そんな保障のできるものは神しかいないっ
…われわれは神じゃない…人間なんだ!!
…人間が人間のからだをなおすのは…カケるしかないでしょう…?」
この言葉は、単なる(実態よりも低く見られがちな)漫画というメディアの中の、単に聞こえの良いだけのことばではなく、筆者である手塚治虫が漫画家としての進路に迷ったとき、この作品に「カケた」想いであるとしてよいと考えての引用です。

指導をするということも、これと同じなのです。

最終的にうまくいくかいかないかということは、究極的には手探りの中で掴んでゆくしかない。それでも、博打に賭けるということと決定的に違うことは、一人の指導者がつぎ込むのは自らの指導者としての人生そのものであり、また、「こうすればこうなってもらえるはずだということは、今現在の自分の人格と判断力にかけて言える、厳しい道になるだろうし一時は恨まれることになるだろうが、この学生にあっても自らの志に照らして見事に耐え切って、いつの日かその指導内容に根拠があったことをわかってもらえるはずだ」、という現時点でのこれ以上無い見通し(=論理)にカケる、ということです。

対象の過程をふまえ、その必然性を把握した上で考え行動するということは、考えるのが面倒くさいからこのくらいでいいや、と決めた方向性に博打よろしく「賭ける」ということや、良くないことと知りながら開き直って何かをするということとは違います。前者で得た意思決定の強度は覚悟と呼んでもよいでしょうが、後者は単なる犯罪者の論理と呼ぶべきであって、この場合、あれに転ぼうがこれに転ぼうが、うまくいこうがいくまいが、運任せになるのは当然です。

同じ「カケる」という場合にも、人生がけと博打的に賭けるのとを平面的に受け取ったり見えてしまうという印象をいったん棚上げして、どういう根拠(=認識のあり方)に基いてこの人間はこうしているのかな?と考えてみてほしいと思います。この姿勢の必要性をここで書かねばならなかったことは、いただいた意見を見ていると、「ワタシも前からそう思っていた!つまりこういうことですね?」と言う方に限って、結論のところにのみ着目し、自分のわかりかたの段階にまで引きずり下ろしたうえで、論理的に理解するのでなしに感情的に同調していることが、あまりにも残念に映るからです(だからといって、意見を出すことを躊躇する必要はないのですが…)。

ともあれその時点で自分が得た印象をひとまず棚上げして、そこに潜んでいる根拠や必然性を過程的に追ってみるということは、客観視という認識のあり方を学ぶための第一歩です。思い当たることがある方は、ぜひに前回までの記事を読みなおしていただきたいと思います。また同じように、自分で身近な問題を作ってみて、それぞれの世界観・考え方であればどのような答え方になるのか?、を考えてみてください。その4つの区分のうち、あなたのいつもしている考え方はどこに属しているのかというふうに考えてみて、まずは自分の立ち位置をしっかりと確認してほしいのです。

そうしなければ、毎日毎日、あらゆる表現をする際に踏み外しをしまくることになり、数年で帳尻が合わなくなった挙句、妙な言い訳を考えつかねばならなくなりますから…。

さて、ではいよいよ本題です。
ここでの議論では二人の学生さんが主に登場しますが、わたしが彼らのことを、どのように導きたいから、どのような踏み外しをしてもらいたくないから、そのような指導になっているのか、というところを考えていってください。<>で強調した括弧書きは、文字として書き起こす際に加筆したものですが、わたしのところに前から出入りしている学生さんは、こういう断り方をしなくても、わたしの言い方の中に、こういう概念と論理構造が含まれていることをわかっていますし、そのための訓練を熱心に積んできています。そういうわけで、実際には日常言語でのやりとりとなっていたところを、独学する読者のみなさんのために補助してあるのだ、この補助がなくても読み進められる実力が求められているのだ、ということをおさえておいてください。

◆◆◆

◆1◆学生たちの一般論を検討する

わたし:今回の課題は、D.カーネギー『道は開ける』の一般論を出す、ということだったね。二人に準備してもらっていたと思うので、まずそれを聞きましょうか。いちおうおさらいをしておくと、科学的看護論における看護一般論は、「生命力の消耗を最小にするよう生活過程をととのえる」ということであり、それぞれが対象論・目的論・方法論であるのだったね。

ノブくん:はい。僕がその看護一般論を参考にしながら出したのは、
「問題を、悩まず解決する為に、心身を整える」
というものです。

Oくん:私はこうなりました。
「人生を前向きに生きるために自分の世界との向き合い方を考える」
、です。

わたし:なるほど。この一般論が出てきたのは、本書をどういうふうに読み取ったからなのか、簡単に説明してもらえるかな?

ノブくん:わかりました。僕がこう考えた理由については、私達が最終的に取り組まなければならないのは、自身の頭の中にある悩みなのではなく、現実に存在している問題そのものであり、それらを悩まずに取り組むというところに本書の目的が存在しているのだ、そうしなければ「道は開け」てこないのだ、という考えに基づくものでした。

Oくん:私の場合、目次と序論を基に、いったん仮説として、「悩みを克服するために人生の問題をどの様に考えるかを示す(こと)」と置いてみました。
そうした上で、その仮説的な一般論にしたがって一度全体を読んでみた結果、対象論が「悩み」では一般論たりえず、目的論が「克服する」では悩み以外を対象とした時に意味が不明になると判断したので、このような表現として落ち着いたのです。

ここでは、まず対象論をより大きなくくりである「人生」に変更し、目的論を他人からの批判や自身の精神状態についても言及できる上で「人生」に合致するであろう「前向きに生きる」に変更しました。次に方法論を「自身と自身の周囲を含む、『自身の認識する世界』との向き合い方、考え方について記述しているであろう」と考え、「自分の世界との向き合い方を考える」に変更したものです。

◆2◆「悩み」とは何かから対象論へ

わたし:なるほど、ではふたりとも、表現がどのようにまとまるかによって扱い方が変わるけれども、本書の内容としては「悩み」というものを扱っており、現実的な生活の上での問題を解決し「道を開く」ためには何らかの方法でそれを取り除くべきである、というふうに見たわけだね。それは正しい指摘でしょうから、まずはそこから考えてゆきましょうか。ところで、ここでいう「悩み」とはどういうものか、考えてみましたか。

ノブくん:…頭の中にあるもの…でしょうか…。

わたし:一般的に言えばそういうことになるでしょう。しかしここで<唯物論>の立場に立って探究を続ける時に大事なのは、あくまでも目の前の<事実>から考え始めること、つまりあくまでも本書の内容を正面に据えて、そこに忠実に一般論を引き出すということなのであって、本書を外れたところにある一般的な意味、というものではなかったはず。本書中に、カーネギーが考える「悩み」がどのようなものであるか、は書かれていなかっただろうか。

ふたり:(本書にあたりながら)うーん…。

わたし:本書の目次を見たとき、「悩み」ということばが何回も出てくることから、いちおうはそのことについて注意しておかねばならないことは、ふたりともわかったとおりだね。一般的に言って、ひとつの概念を本質的に考えようとするときには、必ずそれがどのように出てくるのか、という<生成>の段階にこそ着目しなければならない、ということだね。

たとえばひとつの病気であれば、どのような生活によってその(悪い)環境が用意され、実体にどのように働きかけることによって域値を越えて病気という質的な状態として出てくるのか、を追わねばならない。そういう観点から言えば、本書は、「悩み」がどのように生成されるものとしてとらえているのだろうか。

ふたり:…。

わたし:そういう観点はまだ持てていなかったようなのでやや残念ではあるが、答えを言ってしまうと、81頁にある引用を読んでもらいたい。筆者が知り合いのことばを引用して、こう書いているね。『私が思うに、問題をある限度以上に考え続けると、混乱や不安が生じやすい。それ以上考えたりすれば、かえって有害となる時機がある。』

いいだろうか、繰り返しになるがふたりとも、<弁証法>的に考えてゆくときには、必ずこの<生成>の段階に着目しなければいけないよ。どんな本を読むときにも、どんな表現を受け止めるときにも、いちばんのそもそも、いちばんのはじめの段階、どういった環境のなかからそれが生まれでたのか、という0から1について語っている箇所があるなら、必ずそこに注目してよく検討すること。それを鮮やかに論じられる人ならば、まずはホンモノと考えてよいと思う。

ふたり:はい、わかりました。心に留めておきます。

ノブくん:ひとつここでわかったのは、対立物への転化、ということであると思います。ここで書かれている生成過程というのは、問題というものがあるときに、それがある限度以上に考えられてゆくことになると、かえってそれが有害となる、ということですね。

Oくん:問題というのは客観的にあるけれども、それを受け止める人間が限度を越して考え続けると悩みになってゆくということか…。

ノブくん:質的な転化…。なんだかわかってきそうなのですが…。

Oくん:問題は客観にあり、悩みは主観にあるということは…。

わたし:みんな、ちょっといいかな。さきほどからずいぶんとうなっているけれども、<唯物論的弁証法>の立場と考え方をしっかりと押さえながら考えているだろうか。わたしたちの立場からすれば、ひとつの概念をアタマの中のイメージを整理したりくっつけたりするのでなしに、あくまでも対象を正面に据えて考えてゆかねばならないのだったね。客観と主観ということばがまだ手に負えないのであれば、もっと明確な像を描けるように、具体的に考えてゆけばよい。

たとえば、部屋の中に蜂が入ってきた時に、母親はあわてふためいて殺虫スプレーを探しまわっている一方、父親は蜂を刺激しないようそっと窓際に行って窓を開け、そばにあった新聞紙でやさしく外へと導いていった、というような場合があるね。こういったときに、「蜂が侵入してきた」というのは確かにひとつの問題であるけれども、それをどう感じるか、どう考えるかは人によって大きく違ってくる。受け止める人間の許容量を越えていればヒステリーになって、考えるどころではなくなるし、それが十分であれば、力関係をしっかり把握して、お互いが住む環境の線引きがうまくできる。

ノブくん:そうすると…客観的な問題はたしかにある種の問題ではあるけれども、それを悩みとして抱え込んでしまう人もいるし、悩みにせずに笑い飛ばしておしまいにできる人もいると…。そうするとこの本は、問題を認識することが度を過ぎるあまりに悩みに転化しがちな人に、処方箋を与えているのだと考えるとしっくりきますね。

Oくん:なるほど、明確に整理できてきているように思います。

ノブくん:この本は、現実にある問題とどう向き合うのかという問題意識を養っていく目的で書かれたものではなく、自身の頭の中で膨らんでいる混乱や不安を取り除く事で、悩みを取り除いたり予防したりするために書かれているものなのだということですね。ですから、本書で扱っている対象とは、「問題」ではなく、「悩み」なのだということになります。当然に対象論には、「悩み」が含まれてくることになりますね。

Oくん:そうすると、我々の対象論は考えなおさないといけませんね…。

ノブくん:目的論や方法論も変えないと…。少し時間をください。
「悩みを××にするよう○○をととのえる」
、というところからもう一度考えます。

◆3◆悩みによって失うものは何か、から対象論へ

Oくん:…目次を見ると、ハウトゥ本らしく、気持ちを整理する方法のことはたくさん書かれているようなので、そこを一般化できれば方法論になると思うのですが、「なんのためにそうするのか?」という目的論がないような…。

わたし:「悩みを解消すれば何が得られるのか?」という向きでは、直接の答えが提示されていない、ということだろうか。みなさんにはよくたとえとして出しているように、月が明るく輝くのは暗闇があるからであり、生があるのは死があるからであった。同じようにたとえば、下宿を始めた時に両親や家族のありがたみがわかったのではないかな。

ノブくん:はい、大事なものが見えにくいときには、「それがなかったらどうなるだろうか」と考えてみるとよい…つまり、<対立物の相互浸透>で考えてみればよい、ということですね。

わたし:そうだね。では本書の中で、何が悩みのもたらす最悪の状態であり、その状態に陥ることで何が失われていくのかを考えてみるとよいのではないかな。ここでは直接的に何を得るのかを目的においているというよりも、「何を失わないようにするのか」という観点があるのではないだろうか。

ノブくん:悩みのもたらす最悪の事態ですか…。

Oくん:…「悩み」によって失うものは、「自分の資産」、と言えるのではないでしょうか。

わたし:なるほど言いたいことはわかるけれど、資産、という言葉の響きが、経済性に重きをおいた意味合いにとられてしまうのではないだろうか。無理なところまで一般化してしまってはやはり誤りという<対立物へ転化>してしまうから、本書に即したかたちでまとめておけば、複数の同じレベルのことばを併記するというのでも良いと思うよ。

ノブくん:わかりました。いきなりはまとまらないので、いくつか思いつくところを挙げてみます。「小事に食いつぶされること」(3-7)、「生活の安らぎや喜びが失われること」(4-12)、「精神的・情緒的態度を失うこと」(7-24)、といったことでしょうか。悩み続けることで、これらのことを失うことになる、と。そうすると、これを<対立物の相互浸透>的に裏返してみれば、悩みを断つことによって得られるものも見えてきますね!

本書で扱われている最悪の状態とは悩み続けることであり、それによって時間、精神、身体といった日常生活に必要な要素が失われていく事が最大の問題なのである、ということになりましょうか。なので、ここでの目的論とは、「健康や時間を損失させない為」ということになります。

わたし:ではここまでを一度整理すると、対象論と目的論は仮説として固まってきたわけだから、
「悩みによって健康や時間を損失させないために○○をととのえる」
ということでいいかな。

ふたり:はい。

◆4◆ハウトゥ本としての内容から方法論へ、まとめて一般論へ

ノブくん:じゃあ、残るは方法論ですね。目次を見るだけでも、本書はハウトゥ本らしい構成ですし、事実中身もそうなので、言ってみればそういう話に始終してはいるのですが…なんだか、コレ!といったものがなくて、雑多なケースをたくさん書いてあるだけにも見えますね。

わたし:そうだね。それを一般化するのが、ふたりの力の見せ所ということになるでしょうね。先ほど、「悩み」とはどういうものか、を本書に即して考えてきた君たちであれば、どうすべきであるのかを推測できそうだとも思うのだけど。

ノブくん:第3部は、「悩みの習慣を早期に断とう」とありますから、まさに本書で最もハウトゥ的な部分、私たちにとっては方法論として見据えるべきところと言えると思います。ここで悩みを断つための方法論らしきものは順に、「仕事に没頭する」、「力点を変えてみる」、「確率を出してみる」、「運命には従え」、「悩みに歯止めを設けよう」、「過去の失敗を冷静に分析したら忘れよう」、となっています。

Oくん:これと先ほど整理した、「悩みとはどういうものか」を考え合わせると…本書では、問題について考えることは否定していないながら、それが度を過ぎるといけないと言っているのですから、考え方を整えよ、といったことを言っているのではないかと。

ノブくん:たしかに。僕も、「ものの見方を整える」というようなことが方法論であると考えました。ここまでをまとめると、
「悩みによって、健康や時間を損失させない為、ものの見方を整える」
、となるように思います。

わたし:ふたりとも、それでいいかな。二人ははじめそれぞれ、
「問題を、悩まず解決する為に、心身を整える」、
「人生を前向きに生きるために自分の世界との向き合い方を考える」
という一般論を出してきていたけれども、それと比べていま作ったものはどう変わっただろうか。

ノブくん:まず「悩み」というのを対象に据えられたことで、対象論以外も組み立てやすくなり、目的論・方法論も明確になりましたね。とくに目的論については、僕が当初出した一般論のなかには含まれておらず、今思えば良くなかったなと思います。

わたし:そうだね。それぞれの論理のあり方がしっかりと組み合っていることが、体系化というものにとっては最も大事だから、今回の課題をとおしてその感触を掴んでもらえるといいと思う。

Oくん:ノブさんと同じで、対象が「悩み」とわかったときに、うまく議論が運び始めたように思います。また私のはじめに出した一般論は、今見るとあまりに一般的すぎて、どんな本についてもこう言えてしまうような…。

わたし:そのとおり、一般論を出すときには、そこをうまく掴んでほしい。一般論といっても、あくまでもその書籍がその分野でどのような位置づけにあるか、ということ、つまりその分野での特殊性が提示されていなければならないから、あまりに一般的すぎるものはかえって一般論ではなくなるという<対立物への転化>が起きてしまうことを覚えておいてほしい。論理に振り回される人というのは、この誤りがいちばん多いから…。

さて議論する中で、このように一般論が明確になってきたね。いちおう、わたしの前もって出しておいた一般論を見てもらうことにすると、それはこのようなものだった。
「悩みによる時間・精神・身体の消耗を最小にするよう正しい考え方を選ぶ」こと。
これはみなに、巨人の肩に乗る=科学的看護論の一般論から学ぶ、という姿勢をわかってもらうために、その表現のあり方に似せて書かれてある。

学問的な段階で概念規定をする場合には、こうしてお互いに出してきた一般論などをより議論しぶつけあって、互いにより高い高みの認識に到達してゆく、ということをやるのだけれども、今回の課題にあってはとりあえず、ここまででよいとしておこう。

扱った本書の内容についてよりも、君たちには取り組まねばならないことがあるでしょうから。ただ今回議論して、その中で互いの認識が高まってきたという過程については、しっかりと押さえておいてほしい。次の課題は、唯物論的・論理的に見るという姿勢はそのままに、認識論寄りの課題について取り組んでゆきましょう。みなさん、がんばってください。



以下は、MindNode ProというMac用のアプリケーションで作ったマインドマップを手元に置きながら、本文を読んで要約を書き加えていったものです。


(了)

2013/06/28

『道は開ける』の一般性はどのように引き出されたか (3):それぞれの<世界観>・<論理性>から、日常の問題はどう見えるか

(2のつづき)


今回の一連の記事では、「観念論に滑り落ちずに唯物論的な世界観を維持すること」と、「形而上学的な考え方に落ち込まずに弁証法的な論理性を維持すること」に主眼を置いて、どういう心がけが学問的な段階を維持するために必要なのかを説明してきたのでした。

そして前回までで、世界の見方が、<世界観>と<論理性>の立場と考え方においてそれぞれ大きく二分されてきていることを書きましたが、今回は、日常的な問題を考える時に、これらの立場と考え方においてはどのような解き方になるか、を確かめてみるお約束でしたね。


◆それぞれの<世界観>・<論理性>では、日常の問題はどう見えるか


以下の説明は少々強引なのでまる覚えされてしまうと困ったことになりますが、それぞれの立場・考え方についてのイメージがどうしても湧かない人に、「なるほどこんなものか」という印象を持ってもらえることを願ってのものです。

すでに理解が進んでいる方は、この例えが「ほんとに強引だね」と感じられるでしょうが、その場合にでも言わんとしていることは汲み取ってくださるはずです。

さて今回たとえとして取り上げるのは、
「個々人の持つ好きや嫌いは生まれつきかどうか」
という、わたしたちがふつうに生活を送っていてもよく取り上げられている問題です。

これをどうのように解くかは、前回までの記事で述べてきた立場と考え方のどれを採用するか、によって異なってくるはずです。それぞれ順を追って、どうなるのかを考えてみましょう。


◆1. 世界観による立場の違い

まず<世界観>による区分から。

◆1-a. 観念論の立場から見る問題

<観念論>の立場であれば、この世界はあるときなんらかのきっかけによって生み出されたものとみなします。そうであるからには、世界を生み出した主体を認めねばならないことになるために、それが物質ではないとするなら精神である、とするのです。ですから精神を、物質よりも先行する存在であるとみなす立場がこの観念論です。

詩などで「あなたが見ている世界はあなたがいてこそ(=あなたという精神があってこそ)」といった思想が展開されることがありますが、あれもひとつの観念論的な考え方と言えるでしょう。そこでは、あなた、つまり世界を見る精神がいなくなれば世界も消えてなくなる、というようなものとして世界を見ていることになります。

この場合、極端に言えば、あなたの気持ち次第では、世界は希望に満たされ歩くたびに幸運が舞い降りる楽園にもなりますし、また別の気持ち次第では、あなたの一挙一動は不幸に見舞われており苦しみにあふれた地獄のような世界にもなりえます。

このように精神に、物質よりも優位な地位が与えられているときには、ものごとを決めるのはそれを見たり感じたりしている精神如何、ということになります。そこでは現実は精神の映しだしたところの写し絵のような位置づけとなり、好きや嫌いというものは、好きだから好きであり嫌いだから嫌いなのであって、そこには物質的な条件は介在せず、好きや嫌いも「ただ精神によって決められているもの」としてとらえられることになるでしょう。

また精神が優位であることから、物質である身体は従属的な関係に置かれます。この場合、好きや嫌いも生まれつきだとみなされたり、もっと進んでは生まれる前からの魂のあり方が好きや嫌いを規定しているのだ、ともなってゆきます。

実践的に言って、もし気持ちが病んだ人物がいる場合に、「気持ちが上向きになるまで待つ」、という対処法をとる場合には、精神のあり方は精神によって整えるべきだと見ていることになりますから、これは観念論の立場でものごとを見ていることになります。


◆1-b. 唯物論の立場から見る問題

これとは逆に<唯物論>の立場であれば、あなたや、ひいては人間の精神が生まれる以前から世界は存在してきたのであり、わたしたち人間がそれぞれアタマの中に持っている精神というものは、頭脳という器官のはたらきであるとします。つまり唯物論では、物質を、精神よりも先行する存在としてみなすわけです。

ですからそれを担っている個体が死ねば当然に、そのはたらきも止まることになり、精神もその時点で消滅することになりますが、あなたの心身が消滅した後にも、世界は存在し続けます。

この立場にとっては、精神でさえも物質的なところから考え始めます(「精神を物質であるとして」考える、のではありません。これはタダモノ論です)ので、あるひとりの人間がおぎゃあと産声を上げて生まれたときから、お母さんの胸に抱かれてお乳をもらって産婦人科を出て、家族のなかや友人関係を結びながらいかにしてその精神を生成させ発達させてゆくのかを探究してゆくことになります。

ですからこの、物質を精神よりも優位に置く立場から先ほどの問題に答えるとするならば、「物質的な条件、たとえばあなたの身体のあり方やそれを作っている大本の食事や生活のあり方によって好き嫌いという感性のあり方が決まっている」という答え方になるでしょう。ただだからといって、好きや嫌いも遺伝子によって決定されている、と言っているわけではありません。

もし実践的に、気持ちが病んだ人物がいる場合、「身体を(少しずつ)動かすことで気持ちを整えてゆく」という方向性を示すとするならば、精神的な問題が起こる原因を物理的な土台に帰しているわけですから、これは唯物論の立場に立っていることになります。


◆2. 論理性による考え方の違い

では次に、同じ問題を<論理>の問題として捉えてみましょう。

◆2-a. 形而上学的な考え方から見る問題

まず<形而上学的>な論理によって考えるときには、「あれかこれか」と、あれとこれを乗り越えられない区分としてみなすのですから、答えは簡単です。

たとえばある人の好きな食べ物が卵焼きであるという場合を考えるときには、「生まれつきそれが好きだったのであり、死ぬまでずっと好きなものである」というふうにみなされます。この考え方によれば、食わず嫌いは固定化されたものであり治すことができません。

なぜならこの立場から言えば、あるひとつの性質は別のものに変化したり互いに移行しあうということを認めないからです。

他のたとえとして、あなたがもし、ある異性が自分についてどう感じているかを確かめてみたくなり、「私のこと嫌いなの?」と聞いた時、「嫌いじゃないよ」という答えが返ってきたとして、「嫌いじゃないなら好きってことね!」と、「あれじゃないならこれだ」式に判断するのであれば、あなたは形而上学的に考えているということになります。


◆2-b. 弁証法的な考え方から見る問題

さてこれとは逆に、<弁証法的>な論理によって考えるとするならば、個々人の好きや嫌いというものは、互いに移行しあう、という運動法則を認めます。

大好きだったイチゴも食べ過ぎて吐き気をもよおせば嫌いになることもありますし、あれだけ好きだった煙草も、いったん禁煙が成功してから人の煙を吸うと「こんなに嫌なものだったのか」と、以前とは一転して嫌いになっている自分に気づくことがあるでしょう。

ですから、好きや嫌いは「習慣や体調、気の持ち方を整えたり崩したりすることによって変わってゆく」ということになります。

もし「私のこと嫌いなの?」と聞いた時、「嫌いじゃないよ」という答えが返ってきたとするならば、「完全に嫌いではないのだとしてもどのくらい好きだと思ってくれているのかな?」と、好きと嫌いのあいだには一定の範囲があることを前提として考えます。また、一個人の中でもある部分は好きだが他の部分は嫌いだとされることも認めますし、ほかにも一つの性質について、誰とでも仲良くなれるという長所を別の側面から見れば八方美人という短所にもなることも認めます。あれかこれかではなく、「あれもこれも」と見るわけです。

好きなものが嫌いになったり、嫌いなものが好きになったりを認め、その過程性を追おうとするのが、この弁証法という考え方です。もっと言えば、好きや嫌いも、ひとりの人間が生まれ育てられる過程で決まってきたものであり、今後も変わってゆくものである、というふうに考えます。

現実の物事をうまく運びたいと考えるのであれば、その運動の仕組み(=過程的な構造)がどのようになっているかを確かめて、その認識になぞらえた実践を現実的に取り組んでゆかねばなりません。たとえばあなたの子供の食わず嫌いを直したいというときには、嫌いなものを好きになるように働きかけてゆかねばなりませんから、この場合も当然に、対象が変化することを前提として、弁証法的に考えることを求められているというわけです。


◆<弁証法的唯物論>から見る問題

さてそうすると、ここまで整理した2つの<世界観>と2つの<論理性>は、対立しながらもそのうちのそれぞれは互いに移行しあう関係にあるために、わたしはその転落を防ぐようにこそ厳しく指導する必要があることがわかってもらえてきたことと思います。

では、<世界観>と<論理性>同士であれば両立しえないのか、ということになると、これは当然にそうしえる、のですし、実際的にはそうでなければ存在し得ないからこそ、以上の例えが強引なものになっているのでした。

これらは、おおまかに、<形而上学的観念論>、<弁証法的観念論>、<形而上学的唯物論>、<弁証法的唯物論>に分けられます。
(2×2の表にまとめてもかまいません。先述したように、読者のみなさんが独力で我がものとしてもらうために、わたしのほうではあえてまとめません)

(ではたとえばこの一番はじめのものを、<観念論的形而上学>というふうにひっくり返すとどうなるのか?と聞きたい方も出てくるかと思います。答えとしては、これでもおかしくありませんし、ほかの3つもひっくり返すことができます。ただ先ほど述べた言い方が世界観を中心に据えたものであるのに対し、これらの4つは論理性を中心に据えて世界観を加味した言い方であるというだけです。たとえば<形而上学的観念論>は、形而上学の論理性を用いた観念論の立場を示したものですし、<観念論的形而上学>は、観念論の立場に立った形而上学的な論理、ということです。)

ここで4つのカテゴリがおおまかに浮かび上がりましたね。

わたしがはじめに以下の展開は強引なものにならざるをえない、と断ったのは、ひとつの<世界観>を決めたとしても、それをどのように考えてゆくのかという<論理性>が定まらないことには、精確に言えば現実の問題にも答えようがない、という理由があったからです。一口に唯物論の立場に立つといっても、そこには形而上学的な段階もあり弁証法的な段階もあり、これらの幅はとても大きな広がりを持っていますから、たとえば物理学的な物の見方を押し付けて人間の精神のあり方を論じようとするならば、わたしたちが抱く恋や恐怖といった感情も、電気信号や遺伝子のせいにされかねません(これを揶揄して、タダモノ論と呼びます)。

しかしともかく、当人が意図していようが意図していまいが、ある人がひとつの意見や考えを文章や口頭で表現するときには、これらのどこに位置づけられるかが決まってきます。「人は死んでも魂は残る」とすれば観念論ですし、「魂などありはしない、死ねば塵となるのみ」とすれば唯物論です。いったん告白したのに振られた相手でも諦めず、何度も何度も立ち向かって関心を引こうとするのなら、経験的につかみとってきたとはいえ、いちおう弁証法的にものごとを考えているということになります。

ですから、わたしはそれがどのようなものであるか、どのような段階のものであるかを判断します。その上で良い評価するときは、唯物論から滑り落ちずによく歩み切っているなあということか、弁証法をしっかり意識しながら発揮できているなあということが当人の表現から見て取れる時、というわけです。

何をやってもちっとも評価されないという場合は、ただ単にそれらを満たせていないからであって、ご当人と気質が合うか合わんやといったつまらないことでは絶対にありません。そもそも弁証法的に考えられるのであれば、気質は合わせてゆけるもの、ですから。

さてまとめの最後になりましたが、わたしたちの研究の立場・考え方は<弁証法的唯物論>です。世界は、物質を土台とした過程の複合体として把握されます。

もしこの立場と考え方でさきほどの問題を考えるとするなら、好きや嫌いは「あなたがおぎゃあと生まれた瞬間から生成をはじめる精神がそこを土台として、その後どう育てられてきたかという周囲の物質的な条件によって折り重なりあうように発達してきており、これは人間として育てられてきたあなたの身体のあり方やそれを作っている大本の食事や生活のあり方によって決められてきているが、その法則性を目的的に適用してゆくのならば自ら変えてゆくこともできるもの」として扱われます。

さきほどの、世界観としての<唯物論>と論理性としての<弁証法>を加味して、それぞれがバラバラであったときとはどのように問題の解き方が変わっているのかがわかってもらえるでしょうか。何を必死になって指導してきているのか、だんだんわかってもらえてきたでしょうか。それがわかってもらえれば、ここまでの記事は修了です。

次回ではようやく本題に移り、『道は開ける』の一般性についての議論を見てゆくことにしましょう。


(4へつづく)