2012/10/16

日常生活での「相互」の浸透のあり方:「やる気があったらなんでもできる」は本当か (3)


(2のつづき)


前々回と前回では、ひとつの、弁証法を実践への適用の問題としてどう考えるべきか、ということをおさらいしつつ述べてきました。

そこでは、弁証法という法則性は、たしかに人間の身体と精神に働いているものではあっても、わたしたちが人間である以上、あくまでもその法則性を認識の上に捉え返して、さらに目的意識を持ってそれを現実へと適用してゆくことを繰り返すなかで、しだいしだいに技化してゆく、という過程がどうしても必要なのだ、ということを言いました。

◆◆◆

ところで、ここまでを結論的に無理矢理整理してみることにすると、「人間には弁証法性が働いており、弁証法を実践に活かすにはそれを認識し続けることが重要である」ということにもなりかねません。
弁証法を使った文章や論文を読んだとき、全文を読んでも、そこで描き出されている<構造>を見るだけの力がないと、当たり前のことから話し始めて、当たり前の結論で終わる、というようにしか感じられません。
そのため読後感としては、「それはそうだろうが、だからどうしたの?」といった感想になるでしょう。

実は今回の質問をくれた人が自身の友人に、ここのBlogで書かれている文章を読んでもらったところ、「当たり前のことしか書いてなくてつまらん」との感想をこぼしたと聞き、それはそうでしょうねと二人で笑いあったものでした。まったく無茶をしたものです。

それに対してこの質問者が、質問への回答をなるほど、と聞くことができるのは、そこに実践への強い関心があるからです。
自分自身が自分自身の役割や責任を果たすために、どうしても解かなければならない問題にぶつかったときには、行動のための指針というものがどうしても欲しい、となるのは当然のことです。
しかもこの行動のための指針というものは、「こうしたら」→「こうなった」を直線的な矢印でつないだ単なる経験則ではなくて、その根底に働いている、対象の持つ構造を描き出すものでなければ、どんな場合にでも通用する指針にはなりえないものなのです。

読者のみなさんが駅の本屋に行けば、恋愛やビジネス、金儲けについてのハウツー本が、店頭にうず高く山積みになっています。
そこには、「私はこうして年収1000万円になった」だとか、「私はこうして運命の人と出会った」などとあります。
しかしそれを手に取る人は、その筆者の経験談をそっくりそのまま聞きたいというのでは、実はなくて、実際には、その経験談から自分の実践の指針となる手がかりを得たいはずなのです。
しかしああいったたぐいの本をいくら読みあさっても、実際にそれを実践に移そうとしてみた途端、現実は冷たくもそのハウツーなるものを拒絶します。

この理由はといえば、それが個別の経験則の域を出ないものでしかないだけに、その他の場所や時間、それとは違った対象に向き合う時の指針には、どうしても使えないものだからです。
著者ご本人が、ビジネス思想や恋愛哲学などといかなる大仰な言葉で自説(?)を呼んでみても、実のところ、個別の現象から「論理」を引き出せていない、論理と呼べるレベルにはとても達していない、ということなのです。

ここで大事なのは、どのような経験をしたのかという個別の経験よりも、そこからどのようなことを学んだか、どのような論理を学んで、次の実践に活かす指針にし得たか、という論理の問題なのです。

ああいった個別の経験をいくら集めても、論理というものは絶対に出てこないので、眼の前の問題に根拠を持って取り組みたい実践家は、著者たちの口吻を真に受けるかたちで、「所詮“論理”などというものは実践とは無縁のものなのだ…」と溜息をつき、彼らの人生は、「論理」と名のつく言葉から絶縁することになってしまいます。

しかし実際には、高度の実践を確かに導くものは、高度な論理とその体系である理論、という他にはあり得ないのです。
そこでは個別の現象は捨象されて止揚されていますから、個別の社名や個人名は直接は出てきませんが、人間の経済活動や人間の認識のあり方が、その構造に立ち入るかたちで論じられているために、新しい問題にぶつかるときにでも、それを解くための導きの石になるものなのです。

繰り返しになりますが、この質問者が実に熱心に回答を聞きうるのは、その問題意識の高さによるものなのであって、しかもそれが、あくまでも実践に照らした問題意識であるから、なのです。
こういう、実践のために論理を学びたいという人にとって、「当たり前のところから論じ始めて当たり前のところにたどり着いた」という結論というものはさほど意味を成さないのであって、より重要なことは、そこにどのような過程的な構造が明らかにされているか、ということになるわけです。

対象がどのようなものであっても、それに向き合う当人が、個別の現象を一般化して、論理を引き出す習慣がなければ、たとえば構造面に触れている文章であっても「当たり前のことしか書いてなくてつまらん」となったり、「論理を振りかざす人間は現実を知らないだけだ」といった感想となってしまいます。

◆◆◆

それでも、なかなかに、「実践」と「論理」というもののあいだに、水と油のように絶対的に相容れ難い区分を設けてしまう人が跡を絶ちません。
ビジネス書はともかく、研究書と呼ばれるものであっても、ほんとうの意味での論理が提示されてこなかったという研究者側の責任もあって、実践と論理というものは、一般の人たちの常識としては、実に中の悪いものになってしまいました。

そのせいで、人の命を預かる立場にいるのに理論の助けを借りることができなかったり、低いレベルの論理を現実に押し付けようとして専門馬鹿と呼ばれ軽蔑される人たちが出てきてしまいます。

そこで、というわけで、実践から論理を引き出す必要のある人たちに、簡単な文章をたくさん読んでもらい、そこから論理を実際に引き出してみる、ということを繰り返し繰り返し、やってもらうのです。

質問者に見てもらったのは、以下の文章でした。
この引用では、マラソンランナーである浅井えり子さんが、ご本人を直接指導した監督の指導を受け入れるまでの事情が、自分自身の率直な感情を交えて書かれています。

ここには、タイトルの副題に挙げた問題、「やる気があったらなんでもできる」は本当か、を解く鍵が隠されているのですが、読者のみなさんにはそれを以下の文章から取り出すことができるでしょうか。次回までに考えてみてください。

「LSDをやり始めたばかりのころのことです。佐々木監督から、2時間、ゆっくりと走るように指示されたのですが、時間がたつにつれて苦痛になり、ギクシャクした走りになってしまうのです。2時間という時間がとても長く感じられ、連日のLSDは苦痛にさえ思え、仕方なく走っているような状態でした。そんな私に佐々木監督は何も言いません。次の練習のときも同じように走っても、それでも佐々木監督は怒りません。そんな練習を続けていくうちに気づいたのです。どんなに遅くても構わないのだと。どんなに遅くてもいいのなら、無理しなくていい。そんなふうに思えるようになってから、なるべく2時間を楽に過ごそう、という気持ちで走るようになったのです。楽に、という気持ちがフォームにもよい影響を与えたのでしょう。肩の力が抜けて無駄な動きがなくなり、ゆっくりの中にもリズムが生まれて、リラックスした無駄のないフォームに変わってきて、2時間という時間が苦にならなくなっていったのです。 
 このように、ゆっくり長く走ることが、苦痛から楽しく感じられるようになるには、数ヵ月の時間がかかりました。さぼりの精神から、ゆっくり走れるようになっただけですから、LSDをきちっと理解できたわけではありません。でも、頭では理解できなくても、身体は自然と覚えてくれます。考えすぎてしまう人が多いのですが、わたしの経験から、考えるより身体で覚えていくことが大切だと思うのです。」(浅井えり子『新版 ゆっくり走れば速くなる』p.29)

(3につづく)

2012/10/15

日常生活での「相互」の浸透のあり方:「やる気があったらなんでもできる」は本当か (2)


(1のつづき)


前回では、ご質問を受けて、人間の身体と精神が弁証法的な性質を持っている、ということについておさらいしたのでした。

一連の記事全体としての位置づけから言えば、今回の記事もおさらいなのですが、そのことを受けて土台とした上で、次回ではタイトルにある問題を考えてゆくことなります。

弁証法的にものごとを考えるためには、何回も何回も、耳にたこができるほど、ものごとの生成からその歴史性をたどって現在の形態へと至った筋道を論じなおさなくてはならないので、読者のみなさんにもある程度の努力を要求してしまうことは否定できませんが、意図して述べる繰り返しを倦まずに、ついてきてもらえれば嬉しく思います。

では、本文です。

◆◆◆

前回の一文め「弁証法や個人と万物のつながりは人生の一般性(普遍性)としてどの人間の根底にも存在する。」を受けて、質問内容にあった二文めはこうだった。
「しかしながらそれを認識しながら(出来るかどうかより意思を持って)生きるか、物事・現象と向き合うか否かが重要である点が極意論の所以である」
ここで、文章の展開を一時停止して、読者のみなさんに問いたい。

質問者はここで、「人間には弁証法性が働いている」、「それを認識し続けることが重要である」という自分の把握が正しいかと問うているわけだが、ここに来て間もない読者のみなさんの中には、「だからなんだというのか?人間存在の根底に弁証法性が働いているなら、我々が人間である以上ほうっておいても弁証法的になってゆくのでなければおかしいのではないか。何を確認しているのかまったくわからないが…」といった向きがあるかもしれない。

結論から言って、こういう考え方こそが、「非弁証法的」、つまり「形而上学的」なものであると言わねばならない。
この考え方のなにがいけないかといえば、実体やその機能と、技術というものをごっちゃにしてしまっている(直接的に同一のものとして誤って捉えている)、ということなのである。

これは例えて言うならば、わたしたち人間のうちには、ピアニストという職種の人たちがいる。
そうである以上、わたしたち人間という存在には、そのような仕事ができうる可能性が含まれている、と言うことはできるであろう。
しかしここで問題なのは、わたしたち人間がピアニストになりうるだけの運指や暗譜、作曲家との二重化の能力を持っているはずだからといって、寝転んでいれば誰でもそれを身につけうるか、といえば、そうではないはずである。

このことからわかるとおり、いくら実体のなかに可能性が含まれているからといって、それを自らの能力として身に付けるためには、数限りない修練が必要なのであって、しかもそれは、箸すら満足に持つことができないという指の働きのレベルから、できないなりにも繰り返し繰り返しの習練のなかで、数十年という年月をかけてしだいしだいに身に着けてゆく、という能力なのである。

さらにこの前提として、「自分がピアニストになりうる」という発想や、それを自覚して自らの確固な自由意志として堅持しうるレベルへの転化、つまり夢や志といった観念が必要であることもわかってもらえるであろう。

可能性が実体に潜んでいるのなら寝転んでいてもそれは発現しうる、などといった発想は、いくら形式論理学の教科書に例示されてあろうとも、実践に耐えうるような現実の構造の理解では決してないわけである。


ここまで見てくればわかる通り、質問者の問題意識というものが、あくまで「実践」に焦点が当てられていることがわかってもらえると思う。
これはおそらく、実践でぶつかった問題を解くために、なにか良い方法はないだろうか…と探していたところ、弁証法というものに突き当たった、ということなのではなかろうか。


◆◆◆

質問への回答に戻ろう。

質問を整理して言えば、一文めで、「弁証法という法則性が森羅万象にあまねく働いている以上、人間の心身にも働いていると考えてよいはずだ」との旨を述べてあり、二文めでは、「しかしそういう客観的な性質があるからといって、誰にとってもその客観的な法則性を意識したうえで、目的的な技として使いうるとは限らないはずだ」、という内容のようである。

さて文面中、あなたが「出来るかどうかより…」とことわったのは、「現時点において、ものごとを実現する能力が自らに備わっているかどうかはいちおう棚上げして目的意識をしっかり持たねばならない」ということを言いたかったのであろうか。
そうならば、そのとおり、である。

実践的に考えるときには、わたしたちはその時点での自らの論理・論理の不足を押してでも、少なくともかたちの上では、対象に弁証法的に取り組まねばならない。

なにしろどんなピアニストも、「ピアノが弾け「無い」」から、「ピアノが弾ける自分で「在る」」へと量質転化してゆくのであるから、その過程は極めて弁証法的だからである。

今の条件がいかに整っていなくても、自らが置いた夢、大志、といった目的意識の高みに照らして人格は創出されてゆくものであるから、現時点での力不足を固定化して、「ないものはないままである」などと物怖じしたり、「今わからないから真理は永遠にわからない」などと相対主義に落ち込んでしまえば、出発当初から形而上学に転落しているわけである。

そういうわけで、繰り返しになるが、たとえば人を教える、ということをひとつとっても、「まだまだ勉強が足りないから…」などといって、いつまでもいつまでも爪を隠しつづける(?)というのでは、実力をいくらつけたくてもなにも始まらない、ということになってしまう。

教育についても、あくまでも実践の中でそのやり方を高めてゆくわけであるが、実践的に言えば、その時に絶対的に不可欠であるのは、「この者を一流にせねば気が済まぬ、人生の恥であると思う」という、後進の人生に影響を与えることについての、自らの全存在をかけた責任感、というものである。

その志をしっかりと、まともに持っているのならば、行きあたりばったりで「あれをやったりこっちに手を出したり…」というかたちで指導方針が右往左往してしまうことは己が恥、となるわけであるから、「弟子とともに頂上にまで上り詰めることのできる道はどれであるか(世界観の選定)、その歩み方はどういうものであるか(論理の選定)」という目的意識が、あらゆる対象と向き合う際にも発揮されないわけがない。

大志と論理性、というと、理性と感情のような水と油をごっちゃにするとは語るに落ちた、のような反応を示す人間がいるが、彼等というのはやはり、まともな責任感を持って教育という実践に携わったことがないのであろう。
大志と論理性は、実践的な側面に照らせば、極めて強い関連性を持っていることがわかってくるものであるが。

◆◆◆

ともかく、ご質問をおおまかにつかまえるならば、あくまで論理というものは、自らの専攻と定めた対象を、正面から向き合うことをとおして次第に次第に引き出されてくるものなのである。

そうであるからには、まずは出発点として、三浦・エンゲルス的な弁証法の三法則をアタマの中にいつもいつも強く持って、それに照らしながら対象とじっくりと向き合い、それらがひとつの像となって自らの認識そのものとなってゆくよう自らの人生を、目的的に生きてゆかねばならない。

わたしたちが「こうなりたい」「こうでありたい」とアタマの中に描く理想像というものは、当然ながら、未だ現実に実在するものではない。
しかし、素材となる生活経験を出発点として、それとは相対的に独立に、時には絶対的に独立なものとして、自らの作品の構想、夢、大志、というものおぼろげながらでもアタマに描くことのできる実力というものは、人間にしかない、他のものには代えられぬ、特殊的な能力なのである。
わたしたちはそのアタマの中の像を正面に据えてそれに向かうようにして、それと現時点での自分の立ち位置とを比較しながら、理想像を現実化しようとして日々を生きるものである。

わたしたち人間個々人が弁証法的な存在であるということは、わたしたちの身体と精神が、自然・社会の構造を土台として持っているという事実からすればそのとおりであると言えなくもないが、だからといって、ただ漫然としていれば弁証法的に高まってゆくかといえば、絶対にそんなことはないのである。
人類が持ち得た最高の認識の体系を学問といい、弁証法はその上に置かれた冠石である以上、わたしたち一人ひとりが自らの努力でもって、その認識をこそ、弁証法的に技化してゆかねばならない。

まわりのものごとを見るときに、弁証法的に見れる者から見れば弁証法的であり、形而上学的にしか見れない者から見れば形而上学でしかないのであるから、ものごとの弁証法性を引き出しうるかどうかということは、その意味で、それを観る者にかかっているわけである。

三浦つとむがその本の中で、「人々は議論を闘わせる中で弁証法を「意識」するようになり…」といった言い回しをしていたのは、古代ギリシャにおいて、議論の中で「こうすれば正解に近づいてゆく」というおぼろげな像が、明確なかたちをとりつつあるようになったときにそれに名前が付けられ、弁証法という名が与えられてからはそれを「意識」的に使えるようになっていった…という過程を述べての一言であるわけである。

わたしたちがやるべきなのは、古代ギリシャから現代に至るまでの、この壮大な論理の生成と発展を、なんらの弁証法性もないところからそれを自覚し、意識的に習練・修練し、発展させてゆく、ということなのである。

現実にはまだない目標・夢をいだいてそれを実現しようとする、これらのことがらを要して、「人間は認識的な実在である」と言うのであるが、これまた極意論である。
大事なのは、その概念規定を過程性を含めて捉え返した上で、さらにそれを自分の人生に直接的に関係のあるものとして、実際に自らの人生を歩んでみることが出来るかどうか、という一点にかかっている。


(3につづく)

2012/10/14

日常生活での「相互」の浸透のあり方:「やる気があったらなんでもできる」は本当か (1)


夜風が涼しくなってきましたね。


今年の夏は、後進たちだけでなく周りの人たちにも走ることを勧めたので、生真面目に取り組んでくれている人は、この数カ月でずいぶんと実力がついたことがわかってきたのではないかと思います。
事実、新しいことに向きあいはじめた数ヶ月というものは、自分の心身に眠っていた可能性の開花が自分でもよく感じられるために、その実感だけで意欲を維持できるものです。

自分でスケジュールを組み身体を動かすことで実力がつくという量質転化、身体を動かすことで精神面が整ってゆくという相互浸透の過程は、実践のなかで実感として掴んでいってもらうのがよいので、数ヶ月と言わず、ずっと継続していってもらえればと思います。
(残る法則性である「否定の否定」は?という質問がありそうですが、たとえばものごとの上達における「故障」がどういう位置づけのものであるかを、まずは考えてみて、その考えを聞かせてください。)

ただそのとき、わたしたちの、そうした目的意識を持つ人間としての特殊性の土台には、やはり生命体としての一般性があるので、環境との相互浸透というものもふまえておく必要があります。
ランニングに関して言うならば、暑い季節が全体としては寒くなりつつありながらも個々としては寒くなったり暑くなりなおしたりを繰り返すという今の時期には、それ相応の心身ともへの影響が避けては通れない、ということになります。

わたしがここで、秋、という一言で済むはずの季節を迂遠に見える表現で述べたことは、とりもなおさず秋とはどういう季節かを、弁証法的に(=ここでは、重層的な過程と、対立物の統一の構造を踏まえながら)考えてほしいからなのですが、それはともかく、結論から言うならば、この時期には、心身が環境の変化に浸透しきれず疲れやすかったり、また寒さによって故障を察知する機能もが低下してしまったりといったような落とし穴がある、ということなのです。

「最近、なんだか走りこんでも疲れなくなってきたな」という実感による嬉しさのあまり、かえってバランスを崩したり故障として転化してしまうことのないよう、心身のあり方をしっかりと見ていてくださるようにお願いします。

念のため整理しておけば、「疲れなくなった」という現象が自らの実感としてあるとき、その原因を「あれだけ走ったから」という主体的な原因「だけ」に帰することなく、それを環境の変化を考慮に入れて、実体と環境との浸透においてあらわれた現象であると考えてください、ということです。
なぜにここまで当たり前の現象についても、その構造を述べているかといえば、たとえば生物の進化を考えるときにでも、<「相互」浸透>だけでも意識できているのならずっとよい研究になるのに…というものが目に付くから、ということがあります。

さて、この数行の前書きからしても、ずいぶん難しくなってしまっていることもあり、今回は寄せられた質問に答えたものを例に引きながら、これまでの簡単なおさらいと、実践から掴みとった実感をいかに論理的に見てゆくか、ということについて考えてゆくことにしましょう。
今回はそのなかでも、実践の中から「相互浸透」見つけるとき、それがしっかりと「「相互」の浸透」として捉えられているか、という問題意識で読んでくださると嬉しく思います。今回のタイトルは、そのような思いを込めて、「相互」の、と、括弧書きをしたものです。

実際のやりとりの流れを損ねないように表現を修正し、回答については加筆しました。
メールでの回答の際、文体を引き締めたいと考え、敬体ではなく常体(である調)を採用したため、以下の文章はその表現に変わります。

◆◆◆

いただいた質問は以下のものであった。
以前送っていただいたメールについてですが、私があなたから得た情報に照らし合わせて考えて出た結論は、 
「弁証法や個人と万物のつながりは人生の一般性(普遍性)としてどの人間の根底にも存在する。しかしながらそれを認識しながら(出来るかどうかより意思を持って)生きるか、物事・現象と向き合うか否かが重要である点が極意論の所以である」です。 
あなたの認識と比較してどのような差異(未熟さ、誤りを含む)が有りますか?
概念についてやや誤解があるようなのではじめに断っておきたいのだが、わたしがよく言う「極意論」というのは、こういうことである。

ひとつの対象と取っ組み合って、その過程における構造を引き出した結果、最終的にひとつの結論に達することがある。
たとえば、「人間とは認識的な実在である」や、「弁証法とは自然・社会・精神における一般法則である」など。

しかしこれらの文言、学問的に言えば概念規定というものは、それ自体を丸暗記して他の学説と組み合わせたとしてもなんらの意味もなく、これを「習得する」という場合には、必ずその概念がいかなる成立根拠を持っているか、つまりいかなる過程的な構造がその一言として要されているか(止揚されているか)、という<過程性>をこそ、自らの脳裏にたどってみることでなければならない、ということである。

そういうわけで、目の前にある概念に含まれている過程をたどり、<過程性>を自らの脳裏に捉え返すことを促す意図を込めて、この論理は「極意論」である、と述べるわけである。
逆にいえば、「これは単なる結論、単なる極意でしかないのであるから、これだけをまる覚えしたり、金科玉条のごとく崇め奉るだけでは何の意味もありませんよ」ということなのである。

◆

そう断った上で、あなたからもらった把握を検討しよう。

まず一文目。
「弁証法や個人と万物のつながりは人生の一般性(普遍性)としてどの人間の根底にも存在する。」
おおまかに言って今回のご質問は、「目的意識が人生に与える影響や如何に」というものであると理解した。
つまり弁証法性は、意識せずともわれわれの物質的なあり方、つまり身体の実体と機能と、精神的なあり方、つまり認識のあり方に宿っているが、それをなんとなく捉えておくか、またはそれを強く自覚して、目的的な技として高めようとしながら生きるかで、どのような差異が出るか、ということであろうか。

以下は質問をそのように理解して答えてゆくことになるが、これは結論から言えば、最終的にはサルと人間くらいの違いが出る、と思ってもらってよいと思う。

まず本題に入る前に、「弁証法は森羅万象における一般法則である」という論理について、今一度確認しておこう。

森羅万象はおおまかにわけて、自然・社会・精神という順番で発展してきた過程的な構造を含むものであった。

ここでは、そもそもの「自然」から生まれた生命現象が、単細胞生物として実体を得た後、地球との相互浸透によってカイメン、クラゲ、魚類、両生類、サル、ヒト…と発展してゆくにつれて、「社会」と呼ばれる集団生活を営むようになっていった。そのなかでヒトは、互いに関わりあうことをとおして、その社会生活のなかで人間たる「精神」を育んできた、ということである。

ここでしっかり把握しておかねばならないのは、自然・社会・精神という順序を誤ってはいけないことと、それらをいま目の前にあるものだけを捉えてイメージしてしまってはいけない、ということである。一言で言えば、<過程性>に着目しなければならない。

たとえば、太陽から振り飛ばされた地球は、同じく太陽を起源とする月によって太陽のエネルギーを媒介的に受け止められることをもって、物体は必ず冷える、という物理現象に抗うかたちで、冷えてゆかない、という化学現象を引き起こすことになった。

全体としては冷えてゆく、という物理的な一般性がありながら、その土台の上に、冷えるかと思えば冷えない、冷えないかと思えば冷える、という運動が、特殊性として起こり始めた、ということである。

この大きな対立物の統一の構造のうち、後者のなかにも見られるまたもやの対立物の統一の構造である、「冷えると共に冷えない」という現象こそが、波をはじめとする運動の形態となったのであり、それはわたしたち人間の身体の性質にも受け継がれている、ということは以前にお伝えしたとおりである。

◆

だから、「弁証法は〜」という概念規定で意味されているのは、いまここに立っているわたしのなかに精神があり、社会があり、見果てぬ宇宙をはじめとした自然がある…などといった場所の拡がりなのではなくて、自然・社会・精神が、どのように生成され、そして発展してきたのか、という歴史的な過程のことなのである。

弁証法では、すべての森羅万象をこのように、その生成段階にまで遡って原理的・本質的に理解することを要請するのであるが、ここでもやはり<過程性>を重視して、自然という構造の上に社会の構造があり、その上に精神の構造がある、というふうに理解しなければならない。
繰り返すが、ここを、森羅万象のなかには自然と社会と精神があり…と、あたかも並列的な三要素として受験勉強的にまる覚えしてしまうと、いともたやすく形而上学(=非弁証法的な論理)に陥ってしまうことを覚えておいてほしい。

こう断った上で、人間の身体の生理構造と精神の認識構造というものの根底にも、自然と社会の構造が一般的に土台として存在するのか、といえば、それはそのとおり、である。


(2につづく)

2012/10/02

土台論を踏み外しは何を招くか:「文学考察: 童話における物語性の喪失ー新美南吉」を考える

この作品は、


論者だけでなくほかの読者のみなさんにも批判的に検討しておいてほしいところです。


◆文学作品◆
新美南吉 童話における物語性の喪失

◆ノブくんの評論◆
文学考察: 童話における物語性の喪失ー新美南吉
 この作品では著者が昨今の新聞社やラジオ局の物語の作品募集のやり方について、物申しています。というのも、それらのあるやり方が物語の面白さを失わせ、物語でなくしているというのです。では、それらの具体的にどのようなやり方が、そうさせているのでしょうか。
この作品では、〈あらゆる物語の重要性は、形式よりも内容にある〉ということが主張されています。
上記にある、著者が物申したいあるやり方とは、作品に対する制限、特に文字数に関して物申しています。そもそも書き手の側からすれば、作品の重要性は文字数などといった形式にあるわけではなく、言うまでもなくその内容にあります。それを文字数を制限される事によって、その内容の重要性が希薄になり、結果として作品自体が面白くないものになっていると著者は主張しているのです。
例えば原稿用紙3枚の作品を10枚にしてしまうと蛇足ばかりで退屈になってしまいかねませんし、10枚の作品を3枚にすると今度は内容が薄くなりこれも退屈なものになってしまう、ということです。
こうした主張は至極当然な主張と言っていいでしょう。ですが中には驚くことに、物語の重要性は内容ではなく形式にあると考えている人物もいるのです。ある児童文芸家はこうした著者の主張に対して、「ストオリイの面白味なら実演童話に求めたまえ。われわれの創作童話にそれを求めて来るのはお門違いである」と反駁したというのです。しかし、当然これは誤りです。あらゆる芸術は表現する事を目的とするからには、必ず鑑賞者の存在を意識しなければなりません。文学作品もその例外ではありません。ですから、鑑賞者を退屈される事を前提とした作品など、あっていいはずがないのです。
いかなるジャンル、いかなる目的があるにせよ、作品というものは内容を重視し、鑑賞者を楽しませるという目的を常に果たさなければならないのです。

◆わたしのコメント◆
論者は原典に則してなかなかによく整理していると思うのですが、いかんせん、今回扱われている小論の主張そのものに相当の混乱が見られるので、なんとも苦しい論述にならねばならなかったようです。

筆者である新美南吉は、30を迎えずして他界してしまった童話作家ですので、わたしはこの原典にあたったとき、なんだか文学論を書いてきた学生のレポートを添削しているようだなあ…という感想を持ちました。

というのも、彼の主張したいことは、少なくとも気持ちの上ではわからないわけではないのです。
若く、エネルギーもあり責任感もあることが高じて、世の文学の堕落にたいする義憤を抑え切れない感情を、なんとかして筆の運びとして書き留めよう、問題提起しよう、という気持ちはよくわかるのです。

しかしそれにしても、感情の高まりに論理能力と表現がついて来ず、その結論へ持っていくという論述の部分にけっこうな無理があり、主張そのものの正当性が問われる事態になっているのは、もともと優れていたはずのものが対立物へと転化したものとして、二重に残念なことと言わねばなりません。

筆者本人が、もしわたしが実際に見ている学生さんならば、その真っ直ぐな感情を、よりよく活かしうるだけの表現の力をつけられるよう導きたいところですが…まともな感じ方の若い人が、その表現力の乏しさのせいでかえって奇人扱いされることは少なくないのですから。

そういう理由があって、今回は、評論へのコメントではなく、原典となっている新美南吉の小論へのコメント、という書き方になっています。

◆◆◆

筆者の論述を見ると、このようなものです。

昨今のジャアナリズムは、作家たちに、三十分で完結するもの、登場人物は×名位が好都合であるなどと註文をつける。

これはちょうど洋服屋が客の註文に応ずるようなものであるが、洋服屋には各種の大きさのストックがあるのに対して、作家はそうではない。だから作家は次第に、寸法に合ったものを作るようになってゆく。

「ここから文学が貴重なものを失った事実は、容易に首肯される。文章をひきのばす努力のため、簡潔と明快と生気がまず失われ、文章は冗漫になり、あるいはくどくなり、あるいは難解にして無意味な言葉の羅列になった。同時に内容の方では興味が失われ、ダルになり煩瑣(はんさ)になってしまった。これらをひっくるめて物語性の喪失と私はいいたい。」

そうして大人の文学が物語性を失うと、児童文学も、見よう見まねで堕落した。「今日の童話を読んで見るとその物語性の殆(ほと)んど存していないことに人は気付くだろう。自分の子供や生徒に、お話をきかせてやるため、あなた方がストオリイを探そうとして、百篇の今日の童話を読まれても、あなた方はただ失望の吐息をつかれるばかりであろう。」

「小説が口から離れて紙に移ったところから小説の堕落がはじまるのである。」

「童話はもと――それが文学などという立派な名前で呼ばれなかった時分――話であった、物語りであった。文芸童話の時代になっても童話は物語りであることをやめてはならなかったのである。」

◆◆◆

この小論の構成を見て取るために、これらを順序立てて整理してみましょう。すると、こうなります。

・ジャアナリズムが作家に形式を押し付ける。
・作家は次第に形式を前提として作品を書くことを余儀なくされる。
・そうして、大人の文学は物語性を失った。
・次いで、児童文学も物語性を失った。(※)
・童話は、もともと口伝えでその面白さを確かめられていたものなので、童話はあくまでも「物語り」であるべきである。

このうち、おそらく、筆者のもっとも問題としていたのは、「今日の童話を読んで見るとその物語性の殆(ほと)んど存していないこと」でしょう。(※部)
その結論を導く原因を探し、ジャアナリズムに行き着いたのが前半部、そして、ではどうすれば物語性を取り戻せるか、を考えて論じたのが後半部、ということになります。

◆◆◆

こうして全体の構成がつかめると、ではその論証が正当性を持ちうるか、という観点から、この小論を見てゆけることになります。

しかしここでいきなり、問題が起きるのです。
さきほど見たように、筆者が主眼をおいているのは、文学における「物語性の喪失」というものなのですが、この小論のどこを読んでも、この重要なことばである「物語性」というものが一体何であるか、ということが明確には書かれていません。

そのことに関連することとして、筆者が自分なりにでも最も意味を込めたであろう箇所は、以下の引用です。
「ここから文学が貴重なものを失った事実は、容易に首肯される。文章をひきのばす努力のため、簡潔と明快と生気がまず失われ、文章は冗漫になり、あるいはくどくなり、あるいは難解にして無意味な言葉の羅列になった。同時に内容の方では興味が失われ、ダルになり煩瑣(はんさ)になってしまった。これらをひっくるめて物語性の喪失と私はいいたい。」
どうですか、この論証で納得できるでしょうか。

しかもこの引用箇所の前に筆者は、新聞雑誌で「「私に課せられた題目は×××であるが、このような問題は与えられた紙数で論じつくせるものではない云々」」という断り文句から察せられるように、与えられた形式がその内容を書きつくせるほどに多くはないという面で、作家に与えられる制限を論じているにもかかわらず、この段になるとそれとは逆に、今度は、少ない内容をひきのばそうとさせるから内容が薄くなるのだ、などと言い始めます。

なぜこの踏み外しが起きたかといえば、それはほかでもなく、あらかじめ決められている筆者の主張に合わせるように、論拠となる事実を取捨選択しなければならなかったことによる、論理的強制からなのでした。

◆◆◆

ここで筆者の気持ちを汲み取って、形式的な制限が多かろうが少なかろうが、それが制限であることに変わりはないではないか、という意見を聞き届けることにすると――しかしこう認めると、やはり続く論証が成立しなくなってしまうのですが――いよいよ「物語性の喪失」について、筆者の主張を聞ける段になります。

先ほどの引用箇所をもう一度読んでみましょう。
そこには、「文章をひきのばす努力」というのは、形式面では、簡潔、明快、生気を失わせ、冗漫、くどさ、難解さ、無意味さへとつながった。それと同時に内容面では、興味を失い、ダル、煩瑣となった。これらを、「物語性の喪失」と言いたいのだ、とあります。

ここまで読んだとき、文章をひきのばすと内容も煩瑣となる、というところまでは意味が取れますが、それがなぜ直接的に、物語性の喪失であると規定できるのかがまるで書かれておらず、読者としては「とにかくこうなのだ!こうに違いない!」という筆者の思いは伝わるものの、理性として納得できないままになってしまいます。

仕方がなく先を読み進めることにして、筆者が後半部で述べているところを見れば、彼にとっての物語性というものは、いわば「ストオリイの面白味」であり、文学の中の、読者にとって面白さを感じさせる本質的な部分、という位置づけであることはわかるのですが、それでも「長編小説だからストーリーが面白くない」とは言えないのでは…というのが素直な実感ではないでしょうか。

わたしたちがひとつの文学作品を読むときのことを考えてみても、「この作品はこの1000字にも満たない文章表現で、よくここまでの人間心理を描写し得たものだ」とか、「この作品はなんだか長々と続いてはいるが、内容が薄くて読み進めるのが苦痛なほどに退屈だなあ」とかいう感想を持ちます。
これは他でもなく、文量の多寡と内容の面白さは相対的に独立していることを意味しているわけです。

文量が少ないからどうせつまらないだろうとか、これだけの大著ともなれば面白いに違いない、などといった予測は、現実の作品にぶつかってみれば単なるヤブニラミであることがはっきりします。

それは、物語性というものが実のところ、文章全体を広く見渡したときに、「こういう状況ならばこの登場人物もこのように行動するのも無理のないことだな」とか、「あのときの苦労がここで報われたのだな」とかいうふうに、読者にとって各所の部分部分が全体としての繋がりを無理なく保っており、その話が全体として合理性を持っているという、そのまとまりの性質を意味することばだからです。

全体としてのまとまりが合理的であるか否かは、文量が多いか少ないかとは関係がありません。

ですから物語性のありかを、直接に文章の形式に押し付けてしまっては、論証そのものが成り立たなくなるのも無理のないことなのでした。

◆◆◆

これらの問題が、なぜに起きてしまったのかといえば、筆者の文学についての捉え方のうち、致命的に欠けているものがあるからです。
それが何かといえば、筆者は、「認識」と「表現」というものが区別できていなかったために、それらの繋がりもまたわからなかった、ということです。

彼は、ジャアナリズムの要求する制限が作家の用意している素材と食い違っていることを、洋服屋との比較で論じようとしました。
「洋服屋には何呎(フィート)でも服地はある。だから大きい寸法には大きい服地をもって臨むばかりだ。しかし作家にはいつでも、いかなる寸法の註文にでも応じられる大小様々の素材のストックがあるわけではあるまい」、と。

この冒頭でいきなり、認識と表現との転倒が起きているのです。
というのは、作家がアタマの中に持っている素材、いわば作品のタネというものは、物理的な制限を持ったものではないのであって、その認識を表現に移し替える時には、それが1000字で表現されようと、10000字で表現されようと、それなりの柔軟性を持って変化させうるものだからです。

筆者の言い方は、作家があらかじめ用意してすでに完成した原稿を、ジャアナリズムの制限によって厳しく削られたり、文字が足りないからと勝手に付け加えられたりする場合には的を射ていますが、その作家が素材として持っている作品のタネという認識を、物理的に決まった広がりを持つ服地と直接に関連付けて論じることは、そもそも不可能なことなのでした。

また前半部ではジャアナリズムの制限を批判しておきながら、後半部で自らが、「何故口で語られる童話と紙に印刷される童話が全然別種なものとされねばならぬのか。私には紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。」と、形式など物語の面白さには何の関係もないと、当初の論拠をあたかも忘れ去ったような持論を展開してしまっているというのも、この認識と表現を区別と連関において捉えられていなかったことからくる踏み外しと言えるでしょう。

◆◆◆

この小論で筆者がやらなければならなかったのは、素直な直感から、おそらく大きな問題として捉えていた「物語性の喪失」というものの原因を、かたちとして目に見える文章の多寡などといった形式などではなくて、堕落したと見なした具体的な作品を正面に据えてより深く検討することによって、表現過程を逆向きに捉え返し、直接は目に見えない、その作者たちの堕落した認識のあり方にこそ見出すべきだったのです。

それをなしうるのは、わたしたちの言う「弁証法的な論理性」というものに他ならないのですが、文学の成り立ちに関するこういった小論においても、ごく基本的な土台(ここでは表現の過程的な構造)を踏まえておかないのならば、なにを積み重ねても墓穴を掘ることにしかならない、という恐ろしさをまざまざと見せつけられているかのようです。

さきほども認めた通り、おそらく新美南吉のみた問題、文学者の堕落、というものは、その道を歩むまともな人間ならば、看過できないほどのものであったのでしょう。
しかしだからといって、そのときの感情に引きずられて、身の回りにある「キライ・嫌い・好きじゃない」ものを自分勝手に取捨選択し、どうせこれが原因になっているに違いないと解釈して、持論を展開するための論拠として使ってしまうことになると、当初はまともな直感であったはずのものが、かえって明らかな誤りとして世に残ることにもなってしまうのです。

科学・唯物論を自認する人間でさえも、対象に自分の好きや嫌いを押し付けて、無茶苦茶な論証をでっち上げて恥を晒す人間が後を立ちませんが、これはひとえに、大きく言えば論理能力が欠如しているからです。
より具体におろして言えば、自分の感情を否定の否定で見ることができない、つまり客観視できない、自分の感情を一旦でも棚上げできない、ということに原因があるのです。
知識と論理の区別がつかないことは、感情と理性の区別がつかないことと、表裏一体の関係にあるのです。

わたしは常々、文芸を理解するのにも論理が要るのだ、人の感情を理解するのにも論理が必要なのだと繰り返し言ってきました。
はじめてこれを聞いた人たちは、感情を論理で切るとは…人間を機械か何かと勘違いしているのではなかろうか…この人はと見定めて弟子入りしたのに失敗だったか…と、やはり自分の感情を含めた「論理」ということばのイメージのままに受け止めてしまいますが、こういったことを論じてゆくなかで、わたしが何を伝えたいのか、ということも、しだいしだいにわかってきてもらえていると思います。

今回取り上げた筆者である新美南吉さんが同じ世代を生きている人ならば、直接会って互いに学びあいたいとも思いますが、それも叶いません。

ひとつ言えるのは、倫理的・道義的に正しい直感を持っているからといって、それを正しく把握し、正しく表現し、正しく人に伝えるためには、やはりそれなりの学問の土台が必要である、ということなのです。

つまり、認識と表現というものは、つながってはいるが他方ではそれとは別に変化しうる、相対的に独立したものとして捉えなければ、こんなに初歩の段階ですら踏み外しが起きてしまう、ということなのです。
初歩、つまり土台の段階で踏み違えたものに、いくら努力してつぎはぎをしてみても、それは結局砂上の楼閣にすぎません。

これを読んでいるみなさんにおいては、歴史にいちおうの名を残した人でさえこれくらいの理解でしかなかったのだと、自らの身を戒めるように、土台をしっかりと、足の裏の感触で確かめながら踏みしめるように、前に進んでほしいと思ってやみません。
優れた倫理や優れた道徳を持っている人こそ、それにふさわしいしっかりとした論理を身につけておかねばなりません。


※正誤
・鑑賞者を退屈される事を

2012/10/01

人の出会いは偶然か、必然か

今日から新学期ですね。


ここだけの読者のみなさんには、ずいぶんお待たせしてしまったことをお詫びします。
喉の方も、記事をお休みしたぶんの時間で毎日の走る時間を増やせたため、ほぼ完治しました。

それにしても今年の夏休みは、毎日のように誰かと会って議論したり指導したりしていたので、いつもに比べるとずいぶん賑やかで合宿のようでした。

基本的に何をするのでも一人の時間を作って取り組むことが多く、それが自分に染み付いた性質だと思っていた期間が長かったので、学生時代に今の自分の姿を予言でもされたら、とてもではないが信じられなかっただろうと思います。

ただわたしと出会って付き合いが深まっていってしまったがために(?)、学者・研究者や理論的実践家、実践的理論家の道を歩むことになった人たちが、少しずつ、少しずつ身の回りに出始めたことで、結果としてわたし自身にも大きな変化があり、今年はこのような過ごし方になったのでした。

◆◆◆

ちょっと昔話になってしまって退屈かと思いますが、これから同じような立場になるであろう学生さんもおられますし、参考になりそうなところをかいつまんでお話しておこうと思います。

ちなみに、先ほど「学生さんと出会うことで自分にも変化が…」と述べていたことは、「この記事では<対立物の相互浸透>を主に意識しながらの表現になっていますよ」ということですから、以下の文章のどこに<相互浸透>があるのかな、という目的意識をしっかりと持ったうえで読み進めてほしいと思います。

前からの読者のみなさんは、言われなくともわかってくれているものと思います。
ただ若い頃に認められずに苦労した人間が最終的に歴史に残る成果を上げるという事実を、評価されない時期が長く続いただけに基礎修練の期間も長くならざるを得なかった、という過程にはしっかりと着目して、自らの道を歩むための手がかりにしてほしいと思います。
逆に言えば、基礎修練を軽視して手を抜いたり、基礎修練の何度も何度もの繰り返しに耐えうるだけの認識力を身につけられなかった人たちは、歴史という車輪にあっけなく踏み潰されてしまったのだ、とわかってほしいと思います。

さてそうことわったうえで、わたしの学生生活がどうなっていたかといえば、現在やっていることの面影は、まったくといっていいほどなかったものでした。
当時のわたしは、表向きの専攻分野のほかに、学史研究(学問の一般的な歴史・歴史性を論じる学問です。西暦何年に誰が何をした、という個別の知識でなく、歴史を大きくつかまえたときにそれがどういう流れになっているのか、を探求する学問であると考えてください。)という自分で決めた専攻をしようという思いで、時間割の空いたコマには他学部、他大学の授業をつめ込んで、ひたすら聴講する日々でした。

そういうわけで、他の学生のように空き時間というものはなく、授業が終われば図書館で30分でも集中してレポートを書き、放課後にはアルバイト、帰宅後は創作活動の仕事、土日はそのミーティングと資料集めの旅行、という過ごし方だったのです。
おかげで大学時代には、少なくとも大学の中ではほとんど友人ができませんでした。
試験前にもなると、最前列で授業を受けていたわたしのところにノートのコピー目的で人が集まったりもしていましたが、なにしろ価値観がまったく違うもので、心情的には周囲から距離を置かれ、時間的にも深まる見込みもないものでしたから、周りから見ればとっつきにくいガリ勉(?)、という印象だったのではないかと思います。

そもそもを言えば、わたしが大学に入った理由というのは、「まともな人間になる」というものであったのです。
とはいえ事実を言えば、その漠然としすぎて目標だかなんだかわからないものを、しかしそれでも、「自分の責任で絶対にならなければいけない」という頑なな志のようなもので塗り固めてなんとか目的意識として持っていたくらいのものでした。
今から考えればなんとも滅茶苦茶な、やり場のないエネルギーだけは売るほどある、というような状態で、そのエネルギーというものが、研究と仕事に振り切って向いていたので、友達付き合いをまともにする、という発想そのものがなかったのです。

必要があれば人とも話すのですが、自分の役割以上のことはやらなかったしやれなかったので、1年に2、3日ほどたまたまできる休みの日になっても、いつもの遊び相手などもおらず、というわけで、仕事をしていない自分には価値がないかのように思え、不安で仕方がなかったのを覚えています。

なんともいびつな学生生活だと言われるかもしれませんね。わたしもそう思います。
この時はそうでしたので、今から振り返ると大きな変化があった、指導と教育から多くを学んだ、と思えるのです。

いまから考えてみればこのときには、人間というものは育てられてはじめて人間足りうる、という人間にとっての原則すらまともにふまえられていなかったのだな、そうすると当然に、人間というものは好む好まざるにかかわらず社会性を帯びており、労働というものもそれ以外ではないのだということもわからなかったのだ…と、自分の呆れるばかりの、人間としての未熟さをずいぶん昔のことのように思い返すものです。

◆◆◆

ともかく、当時のわたしはそのようであり、大学を出るころ研究者の道を歩むとなったときにも、さあいよいよ自分だけの時間を持ってひとつのことに没頭できるぞ、という思いしかありませんでした。
ところが、このとき所属した組織の特殊性が、思いもよらず、自分にとってはとても大きな転機になりました。

わたしが自分の好きなことをコツコツやって、ずっと残る仕事をしよう、という思いで入った研究科は、当然ながら指導教官がおられたのですが、この人がメディアによく出る人であるというのでそちらに時間をとられがちであり、指導教官が指導しなければならないはずの学生ゼミというものが、実質的に助手であるわたし一人が切り盛りしなければならない、ということになってしまったのです。

大学を出てすぐに大学生を教える、という事実だけでも恐れ多いことであるのに(なにしろ、自分よりも年上の人間もいるのですから…)、「自分の時間を全部研究に充てられるはずだったのに…」という目論見が崩れたこととが入り交じって混乱したアタマで、それでも役割上の必要性からゼミの90分という時間をどうにかしてまともな密度でやりくりしなければならないために、必死の思いをしていました。

研究科に入れば、ただでさえ毎週卒論を書いているようなペースでレポートを書くことを要求されるときに、青天の霹靂でいきなり実質的にゼミを受け持つことになったので、「これだけの準備で、明日90分間も話すことが持つだろうか…」と、研究者としての素質の面での不安が大いにありました。
そしてまた、人の将来を預かる教育というものの重圧をもまともに受け止めざるを得ず、前日は寝るに寝れない状態だったという現実がありました。

そんな中で、授業内容の予習とともに、なにか確かな手がかりはないかと藁にもすがる思いで教育論の文献を読みあさり、その中でも『哲学入門』、『学生に与う』、『教育とはどういうものか』などの本に学び、「いやしくも学者を自認するのならば、研究者であるとともに教育者であらねばならない」ということを何回も何回も噛んで含んで聞かされるように教示されるなかで、またそれを実践に生かしてゆくなかで、自分でもそのように生きたほうがよいであろう…そうすべきである…いやそうせねばならない、と、しだいしだいに強く感化されていったのです。

◆◆◆

毎月1回は過労で倒れていたのもこの時期ですが、そのかいあってか数年ならずして、なんとか自分なりにではあっても、それなりに確かな根拠を持って、それと同時に心情的にも地に足のついた状態で、研究と教育の道を目指すことができるようになりました。

そんなときでした。一人の学生が、わたしのところにやってきて、こう言ったのです。
「あなたに弟子入りしたい。何か教えてください。」

話を聞いてみると、ゼミでの研究と講義内容を評価してくれているというよりも、人柄や人格に興味がある、といったふうでした。
わたしとしては、学者たるべく研究と教育という目的意識を持って毎日を過ごすだけでも精一杯なところに、時間的にも経験的にもこれ以上なにをできることがあるか…ゼミ生の前でなんとか恥をかかずにやれるようになったくらいだというのに…という思いがあり、やんわりと断るつもりでこう言ったのです。

「あなたは、「私淑」ということばを知っているかな。わたしは本の中の、今はもう会えない偉人たちにたいしてもそういう姿勢でやってきたつもりなので、あなたがわたしのことを評価してくれているとしたら、きっとそういうところに響くものがあってのことでしょう。だから、あなたもそうするとよいと思う。」

そうすると返ってきたことばが、
「わかりました!じゃあ明日自宅へ伺ってもよいですか!」

私淑ということばも知らないのか…というのにまずは驚いたのですが、結局はその押しの強さに押し切られることになり、大学を出てからは研究「だけ」に没頭するはずの自分の歩みが、ずいぶんと変えられてゆくことになったのです。

◆◆◆

結論から言って、わたしはこの出会いがなければ、大きくは指導や教育のためには認識論が絶対的に欠かせないこと、唯物論を抜きにしては実践を導く理論など到底導き出せず観念論的な訓示にとどまってしまうこと、また、教育はある意味で教育される当人の可能性を阻害することでもあるのでは、という問題をいかに答えるかや、弁証法を抜きにしては過程と浸透の理解が現象論的になり押し付けるだけの教育になってしまうこと…などなど、教育というものの持つあらゆることがわからないままになっていたかもしれません。

実践的理論家、理論的実践家を目指すみなさんに、機会があったら是非にとも、機会がなければ自分で作ってでも、誰かを教えるということをやってほしい、と言っているのは、わたし自身にこういう偶然の出会いがなければ、学者として大きな欠陥をはらんだままに前進しなければならず、またそれを意識し得なかったであろうという思いがあるからです。

しかし出会いといっても、結局偶然にすぎないものではないか。それを人に強く推すのは根拠に乏しいのでは…という疑問が残る方もおられるかもしれませんね。もっともであると思います。

ただここでひとつわかっておいてほしいのは、ひとつのものや人物との出会いというものは、それが後から振り返ると、「あのとき傘を忘れて家を出なかったらこの人と結婚することにもならなかったんだなあ」とか、「手持ち無沙汰でたまたま入った展覧会であの作品と出合っていなければ、今の自分がこういう仕事に就くこともなかったんだなあ」といったふうに思えるために、勢い余って出会い・出合いというものに奇縁や僥倖を感じ取り過ぎるあまりに、それを偶然という面からしか見れなくなってしまうことがあるということです。

しかしそれでもその一方では、運良くその時その場所で幸せなめぐり合わせがあったのだとしても、その時の相手に何らの響くものも見いだせなかったのであれば、また自分のほうに何らも響きあえるだけのものがなかったのであれば、その物・者との関係は、そこでおしまいになっていたはずなのです。

わたしたちは人間ですから、そこでの出会いは、水素が酸素と出合ったり、狼が兎と出合ったりするのときの反応とは質的に違います。
一人の人間と向き合って、この人はどうやら信頼できそうだとか、ひとつの作品と向き合って、背後にその作り手が不理解の中で努力を続けてきたという人格を読み取ったりということが、直接眼には見えなくても過程としてふくまれていることを感じ取れるのであり、必ずそこには、お互いの人格といった主体的な条件が、その得難い出会いを本質的に規定していることがわかります。

ですから言い換えれば、ひとつの出会いというものには、偶然という側面といっしょに、必然という側面も併せ持たれているわけです。
このことをふまえた上であれば、ひとつの出会いを契機として捉えて、その必然性をもより良く伸ばしてゆくにはどうすればよいか、という観点も持つことができるようになってゆきます。

たとえば、一人の人間を教えるということは、一人の人間を少なからぬ自分の影響下に置くということであり、その後の人生を大きく左右するということでもあるのですから、これはまともに考えれば考えるほどに、大きな責任があることがわかります。
そのことを正面に据えてまともに捉えてゆくのであれば、何らかの根拠を持って、実践に取り組んでゆかねばなりません。
昨日やったことと今日やったことがまったく系統立っていなかったり、もっと悪くは効果の相反するものであれば、教育される側を狼狽させるどころか、教育などしなかったほうがよほど良かったということにもなりかねないからです。

そうすると、自分の少ない経験に頼るばかりでなく、実践を導く論理、理論に目を向けざるをえないでしょう。
個々の指導内容がバラバラのものではなく、それらが互いに繋がりあった立体構造を持っており、対象にもっともうまく働きかけるものでなければならないでしょう。
あらゆる道は学問に通ずる、と言われるのは、どういった分野のどういった出会いからはじめても、せっかくの出会いなのだしできるところまでやってやろう、と思い切りよく開き直って気持ちを入れ替え、それをどうせやるならと無上の高みに高めようとするところに、実践を導く論理と理論という普遍性が顔を出さざるをえないからです。

◆◆◆

ともかく大学時代のわたしはといえば、こんなふうでした。とても真人間とは言えないものです。もし今でもあのままであったとしたら、弟子などとるどこか…というところでしょう。

いまわたしのところに来ている学生さん、とくに歳の一回り以上離れた学生さんからすれば、現時点で目に見える本人しか知りませんので、「なるべくしてなった」というような必然性としてだけ映るようですが、それは違うのです。

誰にでも初めてというものはあり、誰でも学問を持っておぎゃあと生まれてくるわけではないのですから、職場や旅先、人生のあちこちであれやこれやのタイミングで偶然的に出会ったものに対して、その出会いをどのようにして受け止めるか、という心の持ち方が、しだいしだいに自らの人格というものを自分でもわからないうちに変えてゆくことが、結果から見れば必然性として現象しているにすぎないのです。

出会いというものは単なる偶然で運次第だからただひたすら待つしかないというのも、ひとつの出会いを前世から決められていた必然的な運命だと見做すのも、ともに間違っています。

人が変わるということは、まったくの偶然でもまったくの必然でもないのであって、それらを統一して捉えねばならないことなのであり、さらにわたしたちが人間である以上、そこに主体的な条件の力が働いているということを覚えておいてほしいのです。

みなさんの立場に立って言えば、あなたたちが偶然の出会いという機会を得たとき、それを最大限に生かして必然性を持ったものとしうるか否かというのは、その出会いをどう捉えて、主体的なはたらきでどう生かしてゆくか、ということにかかっている、というわけです。

2012/09/26

本日の革細工:iPhone 5ケース

またもやご無沙汰してしまいました。


わざわざ遠方から来てくれる学生さんに、少しでもたくさんのことをお伝えしておきたいという一心で夏休み…ならぬ夏合宿を過ごしており、なかなかにこちらまで手が回りませんでした。

芸術や武道やスポーツの実技を修得する、というと、一人の指導者に、時間的にも場所的にも密接な関わりを持ちながら学ぶ、ということが誰にとってもイメージしやすいと思います。

しかし残念なことに、学問についてはこれが周知ではありません。
実技として修得しなければならないのは実のところ、学問においても同じなのです。

学問のうち、過去の文化遺産の知識的な習得については、独学でも不自由なく学ぶことができます。
日本という国は国会図書館を2箇所に構えており、訳書も多数あり、古書についても全国的なネットワークがあり、名家の蔵の古文書などの個別史料を除き、手に入らない資料はほとんどない、と言ってもよいほどです。
これはたいていの資格試験が、参考書さえ揃えば努力次第で取得できうる、というレベルで考えてみてもわかってもらえると思います。

ところがもう一方の――現在の大学ならびにおおよその学界では失われているといってよい――論理的な習得・そして修得に関しては、環境としても、発想そのものとしても、それが覚えてどうにかなるものではなく、自らの「技」として身につけなければならないことを要請するだけに、独学ではその習得・修得がとても難しい、不可能に近いほどに難しいのです。

◆◆◆

ここのBlogを十分に読みこなして来られたひとりの学生さんは、自然・社会・精神という歴史を一般的にとらえるために述べた、15分ほどのお話のあと、「観念的な物言いで申し訳ありませんが…」と前置きしたうえで、率直にこう述べられたのでした。

「いま、私の全身に、なんというか、激しい大風のようなものが吹いてきました。私は自分なりの真剣さで、その風を全身に受けて、手でつかみ五体で受け止めようとしました。しかし、掴んだと思ったときにはそれはその姿を変えては、姿を変え、を繰り返しその都度するりと抜け出ていってしまうので、お話が終わったときには、何も手元に残ったような感触がありませんでした」。

弁証法というものを、三法則を身の回りの出来事にあてはめること1年ほど、ようやく個々ばらばらの像として持てたくらいの段階の方にとっては、弁証法は、「こういう時にはこう使い、ああいう時にはああ使う」、というもののはずです。

これは、いわば意識的に適用している段階なので、その当人にとっては、目の前にぶつかった対象を、弁証法的に見よう、弁証法的に見よう、と努力してはじめて効力を発揮するものです。

しかし学問の本質というものは、知識以上にその論理性が問われているものである、ということからすると、その論理性は現象(直接目に見えるかたち)としては、駆使される技、として現れてくることになります。
個々別々の知識は、それなりに知っているはずであるのに、全体としては「掴みどころのない大風」であると実感されるのは、そこで使われているのが技、だからです。

武道の達人に桜の木の枝で叩かれた時には、腕がしびれて上がらない、という結果だけが大きな衝撃とともに経験されますが、そのとき、「いまいったい何が起こったのか???」という感触だけが残るのであって、そこにどのような過程があったのかはまるっきりわからないでしょう。

わたしは学問的な観点から言えば、まだまだ歴史上の達人から学び続けている途上ですが、それでも、技として自然に心身に身についているということと、やっと覚えた、という段階ではとても大きな差が、どうしてもあるということなのです。

弁証法というものは、人類の認識の、その時代、時代の最高であり頂点の論理性に冠されることばである、と言われる通り、それは、日々の高度な実践を通してしだいしだいに高められてゆくものなのです。

◆◆◆

長くなるのでここらへんで前書きを終えますが、注意しておいてほしいことをひとつ述べさせてください。

わたしはここでの文章も、直接お話しするときも、個別の知識にはほとんど立ち入らないようにことばを選んでいるつもりですが、それでも学問の道を踏み出した学生さんにとっては、なんだか色々知っているなあ…という感想が浮かぶかもしれません。

たしかに、わたしは経営学史の研究から出発して、各学問が持っている「学史」を総合したところに、「一般学史学」とでも言うべきものがあるはずである、なければおかしい、という問題意識で世にある学問の歴史を学んできた過去があります。

そういうわけで、専攻分野といえば、経営学者ではなくむしろ、「学史研究者」や「論理学者」と言ったほうがより正確かもしれません。

そのことが現在の、他の分野を専攻する学生さんへの指導にも繋がっていることは否定できない事実なのですが、それでも、「色々知っているなあ」という知識面についての感想に目眩ましされることのないように、お願いしておきます。
そもそも個別研究ならば大学でいくらでも教えてくれますが、わたしが是非に学んでほしいと常に心を砕いているのは、そういった知識ではなく「論理」というものなのですから。

ちなみに言えば、「学史」を総合したところの云々、という発想、つまり、各学問の歴史をすべて押さえて総合すれば学史一般がわかるという発想についてですが、これは結論から言って、完全な誤りではないにしろ、これだけでは本質的な段階には達することのない、現象論的な発想でしかありません。
ですから、わたしの学生時代の探求過程を「そのままには」真似する必要はない、と考えてください。

ここに何が欠けているのか、と言うものこそが、「弁証法」、というものであったのです。

たとえて言うなら、人間の身体の各部分を、個々別々に探求してみたときに、人間そのものが理解できるのかといえばそうではない、ということなのです。
全身の身体を総括し、また「統括」するものが何かといえば、頭脳のはたらき、ということになるでしょう。そういうことです。
弁証法というものは諸学問の冠石である、と考えたプラトンの偉大さが、しみじみと感じられる事実です。

◆◆◆

さて、この1ヶ月でお話したいことは膨らみに膨らんでしまっているのでどうしたものか…と思わないではないですが、いつものとおりマイペースでやりましょう。

新しいiPhoneが出たので、さっそくケースです。

紹介するからには、なにか新しいところ、本質的な前進が少しでもなければいけないのですが、今回は一つばかり、見てもらえることがあります。

今回できたのは、これです。


今回のiPhoneは、イヤフォンジャックが下部にきているので、それに伴い、本体の取り出し口は下からになりました。

取り出すとこんなふう。


イヤフォンをケースに巻きつけたまま本体を取り出せます。

◆◆◆

ただここまでは、前回と同じようなことです。
今回、見ていただきたいのはここ。

ケースの断面がどうなっているか、わかってもらえるでしょうか。


外側がブラウン、内側がキャメル色になっていると思います。
これは実は、薄く剥(す)いた2枚の革を張り合わせた仕組みになっているのです。
これが、今回新しく採用したことなのでした。

新しく採用、と簡単に言っても、2mmや3mmの革の裏地を、革包丁で薄皮を剥ぐように削ってゆかねばなりませんから、このやり方の存在自体は知っていても、これまではできなかったことなのです。

それが今回、手持ちの安物の道具でなんとかできるところまで来たので、2年ぶりのメジャーアップデートのiPhone 5に間に合わせよう、ということになりました。

下の写真は、それぞれ作り方の違う3つのケースを並べています。


まず左のiPhone 4ケース。
これは、2mmの革を切って縫っただけです。誰でも作れます。

それから中央のiPhone 5ケース。
これは、2mmの革を薄く剥いて、0.8mmにしたものに、ピッグスエードと呼ばれる薄い豚革を貼りあわせたもの。
実験としていろいろな接着剤を試しましたが、これは接着剤自体が0.1mmほどの厚みを持っている上に使っているうちに剥がれてきたので失敗です。

さいごに、今回完成したiPhone 5ケース。
0.8mmほどに剥いた、馬の鞍に使われる丈夫な革を、オイル鞣(なめ)しされたものと、生成りのままのものの2種類で貼りあわせてあります。
0.8mmといえば、革を注文するときにもギリギリ剥いてもらえる最低の分厚さですが、今回は自分で仕上がりを確かめたかったことと、相応しい接着剤を選定したかったこと、またこれ以上の薄さにするには手間がかかりすぎることから、これ以上の工程には進まなかったものでした。

◆◆◆

日本で数人の革職人さんは、これを0.5mmほどにまで剥いたうえで、おそらく自前で調整された接着剤と、圧着機を使って、合計で1mm以下の薄さを達成しています。

わたしもそうして作られたものをいくつか持っていますが、重さを感じないほどに軽く、また丈夫です。
これを「ベタ張り」といいますが、日本製でしかお目にかかったことはありません。
革製品に関しては、日本の卓越した製法のものを見てしまうと、それ以外の国のものは、失礼ながら雑、に見えてきます。



よい接着剤がまだ見つからない、などの欠点はありますが、これからはこういったやり方も使って、頼まれた革細工をしてゆくことになりそうです。
なにしろ、仕上がりがめちゃくちゃ綺麗です。
これを一度見てしまうと、これまでの革細工を全部やり直したくなってくるほど、です。

ただ欠点というのは、革を剥くのにめちゃくちゃな時間がかかる!ということに尽きます。
なにしろ、わたしの持っているのは300円のホビー鉋(かんな)と圧着(?)のための木の棒だけ、なのですから…。
刃を丁寧に砥いだ上で、ゴム手袋を切ったもので固定しながら革剥きをしてゆかねばなりません。
圧着に関しても、前体重をかけて押さえたあとは、ヘーゲル全集の重みに頼るほかありません。
これだけ時間がかかると、わたしも研究がありますから、製作時間が工賃に跳ね返らざるをえないことも問題です。

ここまでできるようになってから、すでにある優れた作品を再び考えると、日本の職人さんは、あの値段であの品質のものをよくぞ…と、これまで以上に深い尊敬の念を抱かずにはおれません。

2012/09/02

どうでもいい雑記:咳き込む<から>走るとはこれ如何に

ご無沙汰しておりました。


週明けからいつもの更新ペースに戻れそうです。

ここのところ研究会を連続で開くという無茶をやり、さすがに喉がまいっていました。
そういうわけで、今日はひとり山を走ってきました。
といってもヒルトレーニング(丘の走り込み)ではなく、コンディションコントロール目的ですから、始発で出かけて日が暮れるくらいまで、8時間前後、ゆっくり走り続けます。

わたしのこういう行動を見て、親戚は、「咳き込む<から>走るとはこれ如何に?また出たか根性論!」といって呆れ半分に楽しむのが通例になっているようで、わたしがそれを見てまた笑う、というのもまた通例なのですが、実のところ、理由というのはちゃんとあるのです。ただ、話を聞いてくれない相手にはニコニコしているだけです。

事実この1週間は咳が止まらず、常時のど飴を服用していなければならないというような状態でしたが、咳き込みながらでも2時間ほど走り続けたところで、咳がほとんど出なくなっていったのです。

動きを止めてしまえばまた出てくるのですが、それでもはるかに緩和されました。
長い座学でこもっていた身体の熱が、汗とともに流れていったことは効果が大きかったようです。
いま風邪を引いて病院に行くと、今のお医者さんは解熱剤、というものを昔ほどには処方しなくなっていますが、発汗や発熱、というものについての理解は、ここ数十年で見直されてきていることのひとつです。

ともかくそのおかげで、機能低下を起こしている箇所がよくわかるようになりました。
もっともそれと一緒に、やっぱり楽しいことでも無理し過ぎはダメ、ということもよくわかりましたけども…。
明日からの1週間は、走り続ける、という休養です。

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ただこのようなことは、たとえばインドでは、子供が風邪を引いたら外を走らせる、といいますし、喘息持ちを押して全国巡遊の旅に出た自転車乗りが、いつのまにか完治していた、といった実例もあり、身体の機能が低下しているからといって患部をまるで機能させないほうがよいか、というと、そうでもないのです。

わたしが故障しまくっているのにケロッとしている(…ように見えるらしいです)というのも、故障したな、と思ったときには、ゴロゴロ寝ている、患部をまるで動かさない、といったような消極的な休養をするのではなくて、故障した時こそ時間をかけて自分の心身と対話し、調子を整えるために、長くゆっくり走っているから、という理由もあるのです。

もっとも患部を動かすとカミナリが落ちたような激痛がある、という場合には、筋肉が断裂したりしている場合もありますので要治療ですが、こと筋肉についての軽い痛みであれば、動かしているうちに痛みが引いてきたりすることも少なくありません。

それに、動かしてみていつもの身体運用をしようとしてみたときには、「ここらへんがとにかく痛い」という漠然とした印象がより具体的になり、「ここに負荷がかかりすぎているようだ」、「フォームが乱れているのかもしれない」といった予測も立てやすくなる場合もあります。

故障した器官を休ませすぎて、かえって機能が質的に低下してしまった、という<対立物への転化>は、こういった生理学的な観点からいうことにすると、ほかにも毒をもって毒を制すこと、また種痘の発見、などからも見て取ることができます。

人体の生理現象を調べるときにもやはり「あれかこれか」という考え方をしていては、いちばん近いところにあった解放を素通りしてしまう、という灯台下暗し、になりかねません。

誰かさんのように、故障してみなければ本質的な理解にならない、とばかりに進んで故障しまくる、というのはあまり真似しなくてよいですが、少なくとも、自分の心身としっかり対話し、論理の光を当てて見る、という姿勢とそのための方法論は持っておきたいものです。