2012/10/01

人の出会いは偶然か、必然か

今日から新学期ですね。


ここだけの読者のみなさんには、ずいぶんお待たせしてしまったことをお詫びします。
喉の方も、記事をお休みしたぶんの時間で毎日の走る時間を増やせたため、ほぼ完治しました。

それにしても今年の夏休みは、毎日のように誰かと会って議論したり指導したりしていたので、いつもに比べるとずいぶん賑やかで合宿のようでした。

基本的に何をするのでも一人の時間を作って取り組むことが多く、それが自分に染み付いた性質だと思っていた期間が長かったので、学生時代に今の自分の姿を予言でもされたら、とてもではないが信じられなかっただろうと思います。

ただわたしと出会って付き合いが深まっていってしまったがために(?)、学者・研究者や理論的実践家、実践的理論家の道を歩むことになった人たちが、少しずつ、少しずつ身の回りに出始めたことで、結果としてわたし自身にも大きな変化があり、今年はこのような過ごし方になったのでした。

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ちょっと昔話になってしまって退屈かと思いますが、これから同じような立場になるであろう学生さんもおられますし、参考になりそうなところをかいつまんでお話しておこうと思います。

ちなみに、先ほど「学生さんと出会うことで自分にも変化が…」と述べていたことは、「この記事では<対立物の相互浸透>を主に意識しながらの表現になっていますよ」ということですから、以下の文章のどこに<相互浸透>があるのかな、という目的意識をしっかりと持ったうえで読み進めてほしいと思います。

前からの読者のみなさんは、言われなくともわかってくれているものと思います。
ただ若い頃に認められずに苦労した人間が最終的に歴史に残る成果を上げるという事実を、評価されない時期が長く続いただけに基礎修練の期間も長くならざるを得なかった、という過程にはしっかりと着目して、自らの道を歩むための手がかりにしてほしいと思います。
逆に言えば、基礎修練を軽視して手を抜いたり、基礎修練の何度も何度もの繰り返しに耐えうるだけの認識力を身につけられなかった人たちは、歴史という車輪にあっけなく踏み潰されてしまったのだ、とわかってほしいと思います。

さてそうことわったうえで、わたしの学生生活がどうなっていたかといえば、現在やっていることの面影は、まったくといっていいほどなかったものでした。
当時のわたしは、表向きの専攻分野のほかに、学史研究(学問の一般的な歴史・歴史性を論じる学問です。西暦何年に誰が何をした、という個別の知識でなく、歴史を大きくつかまえたときにそれがどういう流れになっているのか、を探求する学問であると考えてください。)という自分で決めた専攻をしようという思いで、時間割の空いたコマには他学部、他大学の授業をつめ込んで、ひたすら聴講する日々でした。

そういうわけで、他の学生のように空き時間というものはなく、授業が終われば図書館で30分でも集中してレポートを書き、放課後にはアルバイト、帰宅後は創作活動の仕事、土日はそのミーティングと資料集めの旅行、という過ごし方だったのです。
おかげで大学時代には、少なくとも大学の中ではほとんど友人ができませんでした。
試験前にもなると、最前列で授業を受けていたわたしのところにノートのコピー目的で人が集まったりもしていましたが、なにしろ価値観がまったく違うもので、心情的には周囲から距離を置かれ、時間的にも深まる見込みもないものでしたから、周りから見ればとっつきにくいガリ勉(?)、という印象だったのではないかと思います。

そもそもを言えば、わたしが大学に入った理由というのは、「まともな人間になる」というものであったのです。
とはいえ事実を言えば、その漠然としすぎて目標だかなんだかわからないものを、しかしそれでも、「自分の責任で絶対にならなければいけない」という頑なな志のようなもので塗り固めてなんとか目的意識として持っていたくらいのものでした。
今から考えればなんとも滅茶苦茶な、やり場のないエネルギーだけは売るほどある、というような状態で、そのエネルギーというものが、研究と仕事に振り切って向いていたので、友達付き合いをまともにする、という発想そのものがなかったのです。

必要があれば人とも話すのですが、自分の役割以上のことはやらなかったしやれなかったので、1年に2、3日ほどたまたまできる休みの日になっても、いつもの遊び相手などもおらず、というわけで、仕事をしていない自分には価値がないかのように思え、不安で仕方がなかったのを覚えています。

なんともいびつな学生生活だと言われるかもしれませんね。わたしもそう思います。
この時はそうでしたので、今から振り返ると大きな変化があった、指導と教育から多くを学んだ、と思えるのです。

いまから考えてみればこのときには、人間というものは育てられてはじめて人間足りうる、という人間にとっての原則すらまともにふまえられていなかったのだな、そうすると当然に、人間というものは好む好まざるにかかわらず社会性を帯びており、労働というものもそれ以外ではないのだということもわからなかったのだ…と、自分の呆れるばかりの、人間としての未熟さをずいぶん昔のことのように思い返すものです。

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ともかく、当時のわたしはそのようであり、大学を出るころ研究者の道を歩むとなったときにも、さあいよいよ自分だけの時間を持ってひとつのことに没頭できるぞ、という思いしかありませんでした。
ところが、このとき所属した組織の特殊性が、思いもよらず、自分にとってはとても大きな転機になりました。

わたしが自分の好きなことをコツコツやって、ずっと残る仕事をしよう、という思いで入った研究科は、当然ながら指導教官がおられたのですが、この人がメディアによく出る人であるというのでそちらに時間をとられがちであり、指導教官が指導しなければならないはずの学生ゼミというものが、実質的に助手であるわたし一人が切り盛りしなければならない、ということになってしまったのです。

大学を出てすぐに大学生を教える、という事実だけでも恐れ多いことであるのに(なにしろ、自分よりも年上の人間もいるのですから…)、「自分の時間を全部研究に充てられるはずだったのに…」という目論見が崩れたこととが入り交じって混乱したアタマで、それでも役割上の必要性からゼミの90分という時間をどうにかしてまともな密度でやりくりしなければならないために、必死の思いをしていました。

研究科に入れば、ただでさえ毎週卒論を書いているようなペースでレポートを書くことを要求されるときに、青天の霹靂でいきなり実質的にゼミを受け持つことになったので、「これだけの準備で、明日90分間も話すことが持つだろうか…」と、研究者としての素質の面での不安が大いにありました。
そしてまた、人の将来を預かる教育というものの重圧をもまともに受け止めざるを得ず、前日は寝るに寝れない状態だったという現実がありました。

そんな中で、授業内容の予習とともに、なにか確かな手がかりはないかと藁にもすがる思いで教育論の文献を読みあさり、その中でも『哲学入門』、『学生に与う』、『教育とはどういうものか』などの本に学び、「いやしくも学者を自認するのならば、研究者であるとともに教育者であらねばならない」ということを何回も何回も噛んで含んで聞かされるように教示されるなかで、またそれを実践に生かしてゆくなかで、自分でもそのように生きたほうがよいであろう…そうすべきである…いやそうせねばならない、と、しだいしだいに強く感化されていったのです。

◆◆◆

毎月1回は過労で倒れていたのもこの時期ですが、そのかいあってか数年ならずして、なんとか自分なりにではあっても、それなりに確かな根拠を持って、それと同時に心情的にも地に足のついた状態で、研究と教育の道を目指すことができるようになりました。

そんなときでした。一人の学生が、わたしのところにやってきて、こう言ったのです。
「あなたに弟子入りしたい。何か教えてください。」

話を聞いてみると、ゼミでの研究と講義内容を評価してくれているというよりも、人柄や人格に興味がある、といったふうでした。
わたしとしては、学者たるべく研究と教育という目的意識を持って毎日を過ごすだけでも精一杯なところに、時間的にも経験的にもこれ以上なにをできることがあるか…ゼミ生の前でなんとか恥をかかずにやれるようになったくらいだというのに…という思いがあり、やんわりと断るつもりでこう言ったのです。

「あなたは、「私淑」ということばを知っているかな。わたしは本の中の、今はもう会えない偉人たちにたいしてもそういう姿勢でやってきたつもりなので、あなたがわたしのことを評価してくれているとしたら、きっとそういうところに響くものがあってのことでしょう。だから、あなたもそうするとよいと思う。」

そうすると返ってきたことばが、
「わかりました!じゃあ明日自宅へ伺ってもよいですか!」

私淑ということばも知らないのか…というのにまずは驚いたのですが、結局はその押しの強さに押し切られることになり、大学を出てからは研究「だけ」に没頭するはずの自分の歩みが、ずいぶんと変えられてゆくことになったのです。

◆◆◆

結論から言って、わたしはこの出会いがなければ、大きくは指導や教育のためには認識論が絶対的に欠かせないこと、唯物論を抜きにしては実践を導く理論など到底導き出せず観念論的な訓示にとどまってしまうこと、また、教育はある意味で教育される当人の可能性を阻害することでもあるのでは、という問題をいかに答えるかや、弁証法を抜きにしては過程と浸透の理解が現象論的になり押し付けるだけの教育になってしまうこと…などなど、教育というものの持つあらゆることがわからないままになっていたかもしれません。

実践的理論家、理論的実践家を目指すみなさんに、機会があったら是非にとも、機会がなければ自分で作ってでも、誰かを教えるということをやってほしい、と言っているのは、わたし自身にこういう偶然の出会いがなければ、学者として大きな欠陥をはらんだままに前進しなければならず、またそれを意識し得なかったであろうという思いがあるからです。

しかし出会いといっても、結局偶然にすぎないものではないか。それを人に強く推すのは根拠に乏しいのでは…という疑問が残る方もおられるかもしれませんね。もっともであると思います。

ただここでひとつわかっておいてほしいのは、ひとつのものや人物との出会いというものは、それが後から振り返ると、「あのとき傘を忘れて家を出なかったらこの人と結婚することにもならなかったんだなあ」とか、「手持ち無沙汰でたまたま入った展覧会であの作品と出合っていなければ、今の自分がこういう仕事に就くこともなかったんだなあ」といったふうに思えるために、勢い余って出会い・出合いというものに奇縁や僥倖を感じ取り過ぎるあまりに、それを偶然という面からしか見れなくなってしまうことがあるということです。

しかしそれでもその一方では、運良くその時その場所で幸せなめぐり合わせがあったのだとしても、その時の相手に何らの響くものも見いだせなかったのであれば、また自分のほうに何らも響きあえるだけのものがなかったのであれば、その物・者との関係は、そこでおしまいになっていたはずなのです。

わたしたちは人間ですから、そこでの出会いは、水素が酸素と出合ったり、狼が兎と出合ったりするのときの反応とは質的に違います。
一人の人間と向き合って、この人はどうやら信頼できそうだとか、ひとつの作品と向き合って、背後にその作り手が不理解の中で努力を続けてきたという人格を読み取ったりということが、直接眼には見えなくても過程としてふくまれていることを感じ取れるのであり、必ずそこには、お互いの人格といった主体的な条件が、その得難い出会いを本質的に規定していることがわかります。

ですから言い換えれば、ひとつの出会いというものには、偶然という側面といっしょに、必然という側面も併せ持たれているわけです。
このことをふまえた上であれば、ひとつの出会いを契機として捉えて、その必然性をもより良く伸ばしてゆくにはどうすればよいか、という観点も持つことができるようになってゆきます。

たとえば、一人の人間を教えるということは、一人の人間を少なからぬ自分の影響下に置くということであり、その後の人生を大きく左右するということでもあるのですから、これはまともに考えれば考えるほどに、大きな責任があることがわかります。
そのことを正面に据えてまともに捉えてゆくのであれば、何らかの根拠を持って、実践に取り組んでゆかねばなりません。
昨日やったことと今日やったことがまったく系統立っていなかったり、もっと悪くは効果の相反するものであれば、教育される側を狼狽させるどころか、教育などしなかったほうがよほど良かったということにもなりかねないからです。

そうすると、自分の少ない経験に頼るばかりでなく、実践を導く論理、理論に目を向けざるをえないでしょう。
個々の指導内容がバラバラのものではなく、それらが互いに繋がりあった立体構造を持っており、対象にもっともうまく働きかけるものでなければならないでしょう。
あらゆる道は学問に通ずる、と言われるのは、どういった分野のどういった出会いからはじめても、せっかくの出会いなのだしできるところまでやってやろう、と思い切りよく開き直って気持ちを入れ替え、それをどうせやるならと無上の高みに高めようとするところに、実践を導く論理と理論という普遍性が顔を出さざるをえないからです。

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ともかく大学時代のわたしはといえば、こんなふうでした。とても真人間とは言えないものです。もし今でもあのままであったとしたら、弟子などとるどこか…というところでしょう。

いまわたしのところに来ている学生さん、とくに歳の一回り以上離れた学生さんからすれば、現時点で目に見える本人しか知りませんので、「なるべくしてなった」というような必然性としてだけ映るようですが、それは違うのです。

誰にでも初めてというものはあり、誰でも学問を持っておぎゃあと生まれてくるわけではないのですから、職場や旅先、人生のあちこちであれやこれやのタイミングで偶然的に出会ったものに対して、その出会いをどのようにして受け止めるか、という心の持ち方が、しだいしだいに自らの人格というものを自分でもわからないうちに変えてゆくことが、結果から見れば必然性として現象しているにすぎないのです。

出会いというものは単なる偶然で運次第だからただひたすら待つしかないというのも、ひとつの出会いを前世から決められていた必然的な運命だと見做すのも、ともに間違っています。

人が変わるということは、まったくの偶然でもまったくの必然でもないのであって、それらを統一して捉えねばならないことなのであり、さらにわたしたちが人間である以上、そこに主体的な条件の力が働いているということを覚えておいてほしいのです。

みなさんの立場に立って言えば、あなたたちが偶然の出会いという機会を得たとき、それを最大限に生かして必然性を持ったものとしうるか否かというのは、その出会いをどう捉えて、主体的なはたらきでどう生かしてゆくか、ということにかかっている、というわけです。

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