2016/01/01

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。



こちらのBlogの更新も、昨年はすっかり滞ってしまい、直接の弟子や学生たち以外の読者のみなさんには不便な思いをさせてしまいました。

直接の面識がある方はご存知のことなのですが、現在わたしの研究および指導の内実が、その内容の進展とともに、一時的ではあっても、非常に個別性の強いものになっているために、不特定多数の人たちにお見せできる記事がとても書きにくいこととなってきているという問題があるのです。

加えて指導の中身というものは、時には厳しい現実を当人に突きつけるというかたちの叱咤激励ともなっているだけに、叱られている学生のことを考えれば、こういった公の場でその内容を公開するということは、当人のためにも、わたしの心情としてもあまりにも憚られるものでした。

とはいえ、厳しい指導の甲斐あってか昨年末ごろから、数人の問題児もなんとか前を向き始めたことでもありました。
そこでのやり取りのうち、当人の事情を伏せつつお見せできるものに関してはこちらの記事として手直ししたいところです。

はっきりとしたお約束ができないのは心苦しいですが、そういった事情があっての更新停滞です。研究が滞っていたわけでは決してなく、むしろ、これまたその厳しさの甲斐あって、学生だけでなくわたしにとっても少なくない発見があったものです。

時間を経るにつれて、自分と話を真正面から交わせる人物は減ってゆくというのが常ですが、それとともに議論しうる学生たちを何もない地点にまで立ち返って、そこから改めて育てられる(育て直しうる)だけの能力がついてきていることもまた事実ですから、今年度もその思想性と方法論を把持して、しっかりと歩みを進めてゆくつもりです。

世の中の片隅で生涯がけの研鑽をされている方々との、切磋琢磨を祈念して。

2015/03/10

志を込めて表現するとはどういうことか (1) 「文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版4)」を中心にして

前回の記事では、


取り上げた評論について、<過程性>という観点が欠如しつつあるということを指摘し、なぜそれが無くては作家としての大道から外れてしまうのかを考えてきました。

その失敗の構造としては、わたしからの指導と互いの議論によって作品の理解が深められたところまではよかったものの、そのことに引きずられるかたちで、いわば「わからせられてしまった」ことをも自分一人の実力であるかのように錯覚し、過程的な鍛錬を怠ってしまった、ということになります。

身近な例を挙げても、人のつくった公式に数字を当てはめて答えを出すことと公式そのものを導き出すことは違いますし、ひとつの漢字をキーボードで入力することとそれを自らのアタマにしっかりと像を思い浮かべながら手を動かして万年筆で書き付けることとは違います。
いったい何が違うのか?それが、<過程>というものなのです。

ある問題に対して、誰かに手を引かれたり背中を押されたり事細かにヒントを与えられたりしながらその答えに辿り着いた場合であっても、問題がほんの少し変わっただけで途端に解けなくなるようでは意味がありません。
ましてや、森羅万象は「変化するという性質だけは不変」であるだけに現実の問題は常に変化し続けていますから、過去の問題がいくら解けたとしても、そのことだけでは一歩も先へは進めないことになります。
変わり続け、また無限の広がりを持っている事物や事象から、自らの頭脳活動において問題そのものを浮上させ、さらにまた自らの頭脳活動においてそれを解く、ということができなければ、文化に携わる仕事をしたことにはならないのです。

ですから、過程がわからなくても問題が解ければいいじゃないの、という意見がありうるとするならば、それは自分で問題を解いたことのない人のそれだということができます。
文化人が最後まで手放してはならないのは、誰かの出してきた結論を自分のことのように言いふらすことでもなく、またそれを組み合わせて自分のオリジナルであるかのように吹いて回ることでもなく、あくまでも自らのアタマで現実の問題を解く、ということです。
過去に解かれた問題とその答え、また解法は、新しく浮上した問題を解くための手がかりにはなっても、決して答えそのものではありません。
厳しくココロに刻んでもらいたいと思います。

さて今回は、「自らを作家として規定すること」の、いわば志レベルの不足、についてお話しするところでした。
まずは前回に転載した評論である(修正版3)と、それにたいする<過程性>と志についての指摘を受けて書かれた、今回の(修正版4)を読み比べてもらいたいと思います。
いったいどこに違いがあるでしょうか。


◆ノブくんの評論

山男の四月ー宮沢賢治(修正版4)
 この作品は差出人不明の、「守山未亡人千賀子さん」宛の3通の手紙から成り立っています。
 
 1通目においては、差出人と千賀子についてと、選挙への出馬の事が綴られていました。
 千賀子はどうやら差出人を見ると、「擽ったいような表情」をされて、差出人は戸惑うことがあるというのです。しかし千賀子自身は差出人への身の振り方を考えなければ、その存在が千賀子を破滅される恐れがあるといいます。
 また彼女はその時、猫のように居眠りをしたり猫を擽ったりしながら、秋山という人物から50万円という大金が届く知らせを待っていました。その大金を政治資金にして、千賀子は出馬を考えていたのです。そしてその姿は、差出人から見れば幾らか醜いものに見えていたようでした。
 2通目では、息子の友人である「高木」が家に遊びに来た時の事が綴られています。
 出馬を考えはじめた千賀子は、次にこの「高木」という人物に政治の勉強をさせて、自身の政治活動に役立てようとしたのです。ですが高木は彼女に恋慕していた為に、政治に利用されようとしている事が見抜けません。
 更に高木よりも15も年上の千賀子は、恐らく以前から高木の気持ちを知っており、政界への前途が開けた事に気を良くして、彼で遊んでみようと考えはじめたのです。彼女は「肩がこった」と言って服をずらし艶かしい素肌を露にして、彼に肩を揉ませてみました。そうして彼女は彼の純粋無垢な反応を楽しんだのです。
 差出人はこれにも矢張り呆れていました。ですが息子が帰ってきて政治の話をしたのですが、沈黙の合間に「冷たい微風に似た静寂」を感じた事については幾分か評価しています。
 3通目では、その翌日の事が綴られています。
 その前夜で家の者達に選挙への出馬を表明した千賀子は、手始めに夫への墓参りを決意していきました。これは差出人も意外だったと述べています。そしてその彼女の墓参りの姿を、差出人は高く評価したのです。曰く、彼女は「白痴」のように何も考える事を持ちあわせておらず、未亡人のようないやらしさがなくなり、1個の女になっていたというのです。
 やがて墓参りを終えた千賀子は、活動活動の日々に追われる事となり、「瞳を複雑に濁らせていく」のでした。
 一体差出人は何物なのでしょうか。一体千賀子のどういったところを具体的に非難しているのでしょうか。
 この作品では、〈野望も希望もない未亡人が政治に出馬し暇つぶしをする様に、自分自身に呆れられる様子〉が描かれています。
 上記の問題に答えるにあたり、物語をもう一度、差出人と宛先人の、各場面での心情を整理してみましょう。
 1通目において、宛先人は差出人を見ると擽ったい表情をしますが、その差出人が彼女を殺すことだって有り得る、という風な事が書かれてあります。それは決して差出人が直接手を下すというような事ではないでしょう。差出人は、自分の存在そのものが彼女を破滅へと追いやるかもしれないと考えているようです。
 では差出人とは一体何者で、宛先人にとってどのような存在なのでしょうか。思えば、差出人はあたかも宛先人の傍をピッタリと張り付いているかのようにその行動を把握しており、また行動どころか、その心情すらも、「他人であるならば」憶測で物語るしかないところすらも断言し綴っています。ですから、こうした心情すらも断言して述べているあたり、他人ではなく本人、と考えるのが自然と言うものです。
 つまり差出人と宛先人は、同一人物でありながらも、対立した、それぞれ別の人格であると言えるのではないでしょうか。(因みに作中では、「ーーいいえ、それはきまっていました。」「ーーわたしは人間ですもの。」というように、手紙であるにも拘わらず宛先人の台詞らしきものが書かれてありましたが、2者が同一人物ということになると、これにも説明がつきます。)
 すると、同一人物で差出人たる彼女が、一体何故、その存在が身を滅ぼすことになるかもしれないと考えているのでしょう。それは差出人が宛先人の何を非難しているのかについて理解できれば、おのずと見えてきます。
 彼女は宛先人が猫を擽ったり昼寝をしていた時、選挙の出馬を決めた時、高木を弄んだ時に、厳しく自分を非難していました。何故ならそれらは全て、彼女の本音や本当にしたいことではなく、ただの暇つぶしに過ぎなかったからに他なりません。猫を擽りながら昼寝をしていた時は、その裏で50万という大金を待っていましたし、選挙への出馬を決めた理由についても、なんとなく神々しくその将来に惹かれていったからに過ぎないのです。(「本文中には、「厚生参与官という言葉は、あなたにとっては、何等の内容もない架空のもので、またそれだけに一層光栄あるものと見えたでしょう。」と書かれています。)そして高木に関しても、本当に高木の事を想っていたのであれば良かったものの、そうではないどころか、寧ろそれを弄ぼうとしたところに差出人は愚劣さを感じずにはいられませんでした。
 こうした事を非難しているところから察するに、おそらく宛先人たる千賀子というものは、彼女の本音、或いは暇つぶしをする前の彼女と言うべき存在なのでしょう。ですから彼女は、息子と政治の話をしている最中に無意味な空論にふと寂しさを感じたこと、墓参りの際に何も祈ることがなかったことに対し、ほんらいの自分と向き合ったと見なし、評価したのです。
 しかし、墓参りを終えた後、再び宛先人千賀子は活動という暇つぶしに明け暮れる事となり、差出人たる彼女はより一層自分の首を絞める事となるでしょう。
 つまり自分で自分の身を滅ぼすとは、人生において暇つぶしや嘘をついている彼女が、別の人格の自分によって攻撃されて、自らによって息の根をとめられるという事だったのです。
 しかしここまで読み進めてみると、ひとつの人物から違った2つの人格が生まれて、自分を養護したり攻撃したりする、というのは何か奇妙なことのように思われる事でしょう。ですが、私たちにもこうした出来事はあるはずです。
 例えば意中の女性の気を引きたいが為に、彼女の気に入りそうな言葉を並べ立てる一方で、「僕ってこんな人間だっけ?」、「かえってこの人に失礼なことをしているのではないか」という思いをしたことは誰にでもある経験ではないでしょうか。
 そして物語に登場する守山千賀子も同じです。未亡人で夫がおらず退屈し、世間から憐れみの目で見られ、ある側面からは優遇されているようなところもあり、これを面白がって政治活動したい気持ちに彼女は駆られていきます。しかしその一方で、ほんらいあったはずの彼女がこれを許さず、自分からは離れすぎた行動であるとして戒めようとしているのです。
 そしてこの両者の思いというものは、彼女の中で拮抗しており、絶妙な力関係を維持しながら長い間ひとつの精神に宿っていたのでしょう。やがてある時点からは、それがあたかも独立した、別の人格であるかのように両者は独立し、一方が手紙を宛てて自分を強く戒めようという考えに至ったのです。
 まさに千賀子の悲劇は未亡人になったことそのものであり、それが自分で自分の首を絞めるきっかけとなっていったのでした。

◆わたしのコメント

どうでしょうか。読者のみなさんのアタマにも、その違いがはっきりと映ってきたでしょうか。

まずわかりやすい点として、今回のものは前回のものよりも作品の流れを細かく追いながら、この作品が、なぜ「謎の人物から届く手紙」のかたちをとっているのか、そして未亡人の身辺を詳しく知る「謎の人物」とはいったい誰なのか、について考えを進めていっています。

前回指摘しておいた、<過程性>が、今回はしっかりと含められていることがわかるのではないでしょうか。
もし自分が誰からの指導も受けずに、独力で現象から問題を引き出し、さらにその問題を解こうとしてゆくのならば、必ずこういった解き方になるはずなのです。
そうして、自らが問題を「解いた」結論のみならず、「解いていった」過程をこそ描き出し論証してゆこうとするならば、読者にとってもそれはわかりやすい表現になってゆくはずなのです。

指導されて答えをすでに聞いてしまった、というのはひとつの事実ですが、それをいったん棚上げしたのちに、自分自身の頭脳活動によって、なにもなかったところから一歩一歩を積み重ねることでひとつの結論を出し、その結論を出してはじめて、すでに聞いておいた答えと照らし合わせる、という<過程>こそが、頭脳活動を高めるためには必要不可欠なアタマの働かせ方になってきます。
またここでいう<過程>が、ほかならぬ<否定の否定>であることもわかってもらえているとよいのですが、どうだったでしょうか。

そこからさらに進んで、人間の頭脳活動を過程的にしらべてゆく認識論という学問分野においても、その下敷きには<弁証法>がなければならないのだな、とか、今度は具体的に、こういう法則性を何度も何度も意識して繰り返しておくことが、わかりやすい指導のためには必要なのだな、とかいうふうに、他の論理や具体例としっかりと関連させて確認しておいてもらいたいと思います。「独学」というのはそういうもの!なのですから。



さて、今回の評論で変わったこと、のお話に戻りますと、その他にもう一点、前回から大きく修正された箇所があります。
「箇所」といっても、この変更点は目に見える明確なかたちを持った表現としては現されてはいない論理性であるために、「ものごとの見る目」を高く持とうとしなければ少しわかりにくいのでは、と思います。

その鍵となる部分を引用するならば、次になります。
 しかしここまで読み進めてみると、ひとつの人物から違った2つの人格が生まれて、自分を養護(コメント者註:正しくは「擁護」)したり攻撃したりする、というのは何か奇妙なことのように思われる事でしょう。ですが、私たちにもこうした出来事はあるはずです。
作中の柱として扱われているように、わたしたち人間は、そのそれぞれの存在としてはひとつの個体であることに間違いはありません。
そうであるだけにアタマのはたらきの物理的な基盤となる頭脳も、ひとつしかないはずです。ここまではそれはそうだね、とわかってもらえますね。

ところが問題は、そうであるにもかかわらず、人間というものは、常日頃から、思い悩みや自問自答をする存在でもある、ということです。
これはよく考えれば、少々不思議なことではないでしょうか。

一つのアタマの中であるのに、なぜか相反する思いや考えがある、というのが<敵対的な矛盾>であるとしか映らない頭の硬い人(=形而上学的な論理しか持たない人)にとっては、これは永遠の謎!となってもおかしくないほどのことだとは思いませんか。

ですが論者の言うとおり、これが現実にある、ということは揺るがし難い事実です。
ついでに言っておけば、なにもこれは分裂症でない健常者でもあるものです。

たとえば、あなたが数十年来のヘビースモーカーであるとしましょう。
休憩時間にも仕事の合間にもタバコ、タバコ。気づけばタバコを吸っていないと頭がはっきりしない、という状態にまでなっていました。
そんなとき身体を壊し医者にかかったところ、「このままの喫煙を続けていては間違いなく肺がんになります。あと10年持つかも怪しいですよ。ご家族のためにも今すぐ止めてください」と言われました。

あなたの頭には、お医者さんの言葉が重くのしかかります。「あと10年か…」
落ち込む気持ちをなんとか振り払おうとして、病院を出てすぐ自然にライターに手が伸びる自分の現状を見て、ことの重大さに気づきます。

さて、ここでのあなたのアタマの中はどうなっているでしょうか。
一方では、これまでの習慣で身についたアタマの働きとして、「タバコを吸いたい!」という欲求が強烈に浮上してくるでしょう。
しかし今やもう一方からは、「このままでは死ぬぞ!」というお医者さんのことばがアタマの中に響きわたるようになってもいます。

まずはこの具体例について、この先あなたのアタマの中はどのように変化してゆくだろうかと考えてみてください。
そのとき、ずっとこのままの状態ではいられないだろうな、という素朴な実感がひとつの手がかりです。

このことは評論の中でも(少々言葉足らずであることは残念ですが)指摘していることであり、さらにそのことをあくまでも作家の流儀に従って、そこにこだわって書き出そうとしているところに今回の評価できる点、つまり「志」があるのです。

記事を分けて考えてゆくことにしましょう。


(次回へつづく)

2015/02/17

過程性を捉えるとはどういうことか 「文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版3)」を中心にして

元旦にごあいさつしてから、


一ヶ月以上もの時間をいただいてしまいました。

元旦を明けての1月、その一ヶ月間という期間は、一般的にも一年のうちの大きな節目ではありますが、生涯をかけての文化人たろうとする人間にあっては、その後の一年間の成果を規定しつくしてしまうほどに大事な位置づけにあるものです。
というのも、この時期に、その年のいっぱいまでの目標と、それを達成するための研究計画を完成しておかねばならないからです。
それゆえ、学生諸君の研究計画を評価するというこれ以上無く大切な時期だったのでした。
この時期は卒業論文や発表などと重なるため、日本の学期構成に合わせて4月期を境としても良いのですが、ああいった提出物は前もって準備しておきさえすればどうにでもなり、そのための計画であるとも言えるだけに、それよりも年初という季節感の中で心機一転するということを、より優先してきています。

さて目標がなぜそんなに重要なのか?と問われれば、我々が他でもなく人間だから、というのが答えということになります。
「えっと…?」というみなさんでしょうか、それとも「それはそうだよね」というみなさんでしょうか。
後者であることを願いますが、ここは基本的なことながら大事なことなので、その答えではなく、そういう結論を出さざるをえないその過程について、いまいちど確認しておきましょう。

人類は認識的実在であると言われるとおり、動物がその形態と運動のあり方を「本能」と呼ばれる脳のはたらきによって統括されているのに対し、人類は、それとは相対的に独立したところの「認識」によって統括してきています。
動物の本能は、脳という器官において外界を反映した像を描き、それと直接に運動するためのはたらきですが、人間の認識は、感覚器官をとおしてその頭脳に外界をただ反映するのみにとどまらず、それとは相対的に独立した像すら創りあげてゆくという質的な違いを持っています。

このことによって我々人類は、現時点での外界の状態を「このようである」と反映することから進んで、「このようであったら(もっと)いいな」という認識を創りあげることさえできるようになってきているのです。
そうであるからこそ、人間はその特殊性として、「こうならいいな」という認識を絵地図として(この認識は「未だ現実化されていない」、という点に注意してください!)、それを実現するべく外界へと働きかける「労働」をなしえるのだ、ということです。

ここまで述べれば、冒頭の「目標」というものがなぜ必要なのか、ということが<過程的>な流れをもって頭脳に描けてきたのではないでしょうか。
今回の場合で言えば、一年間という期間を「人間らしく」過ごすためには、必ずそれをどう過ごすか、という絵地図を頭脳にもっておかねばならない、ということが言えるのです。

文化の仕事をしようとするならば当然に、食いっぱぐれずに生活ができ、周りからそれなりに評価される、という立身出世のレベルにとどまっているわけにはゆかず、時にはそれを度外視したり場合によっては逆行する危険性を乗り越えてでも、このことを人類の歴史性を正面に据えた<人間>のレベルで捉え返さねばならなくなるのが必然性であるというわけです。

目標なくして人間足りえぬ、という一事がじわりとココロに伝わってくる感性のある(残っている)、読者のみなさんであればよいと願っています。

さて、そのような「人間観」、そしていわば「文化人観」に照らして今回は評論を扱いますが、それだけに厳しく評価されねばなりません。


◆文学作品◆

豊島与志雄 未亡人


◆ノブくんの評論◆

文学考察: 未亡人ー豊島与志雄(修正版3)
 この作品は、生前は有力な政治家の妻であった「守山未亡人千賀子」宛の、差出人不明の3通の手紙から成り立っています。その3通はどれも未亡人たる千賀子の一挙一動を非難するものばかり。と言いますのも、未亡人となった彼女は、その性質を活用し、人々の同情の眼差しを集め政治家になろうとしたり、男を知った女特有の艶かしさで、年下の男の気持ちを弄んだりしていたのです。
 またその手紙には少し奇妙なところがあり、
 ーーいいえ、それはきまっていました。
 ーーわたしは人間ですもの。
 といったように、あたかも彼女の答えを想定しているかのように、彼女と会話しているかのように、千賀子の台詞らしきものが書かれています。
 そんな手紙の差出人ですが、唯一、彼女が選挙の出馬を決めた後に夫の墓参りをしている場面において、彼女自身が「白痴」のように何も考える事を持っていなかったところについては一定の評価をしているのです。
 一体差出人は、何を評価したのでしょうか。何故彼女の挙動のひとつひとつがそうも気に入らないのでしょうか。
 この作品では、〈ある政治家の妻が「未亡人」になってしまったが故に、世間に対して画策するつもりが寧ろその言葉に振り回されていく様〉が描かれています。
 上記の問題を解くにあたって、はじめにこの手紙の差出人は誰なのかを得敵せねばなりません。差出人は少なくとも千賀子の生活を事細かく知っており、また手紙の中で彼女と問答している事を考えると彼女自身についてもよく知っているようです。恐らくこの手紙の主は、守山千賀子の別の人格が彼女自身を非難しているのではないでしょうか。そのように考えると、この2つの疑問に対しても一応の説明はつきますので、そう仮定した上で話を進めていきたいと思います。
 差出人たる千賀子はあらすじにもある通り、どうやら自分が夫に先立たれ、哀れで妖艶な「未亡人」としての社会的な付加価値のようなものを利用し、選挙に出馬しようとしたり、年下の男で遊んだりしているところを不純なものとして強く非難しています。
 では、何故そんな彼女は、墓参りに行った時自分を評価したのでしょうか。それは、まるで「白痴」のように、そうした不純な考えを少しも持っていなかったというところにあります。恐らく、夫が行きている頃の千賀子は、現在のように身の回りにあるものを使って世間の人々に対して画策を企てるような人物ではなかったのでしょう。ところが「未亡人」なってしまってからは、彼女を見る世間の人々の目が急に変わったことを面白がり、自身の性質でいろいろと小賢しい事を考えるようになっていってしまったのです。
 以来、彼女の中には、「未亡人」としての魅力で世間を惹きつけたいという欲求と、「未亡人」などといういやらしいものに負けてそれまでの自分を見失いたくないという、2つの相反した感情が葛藤するようになっていったのでしょう。ですから墓参りを終えた後の彼女は、政治家としての華々しい人生を期待しながらも、心の内では「これで自分はいいのだろうか」という不安を抱いており、瞳を濁らせていたのです。

◆わたしのコメント◆

この文学作品は、去年から度々取り組んでもらっているもので、直接の講義もあわせれば三訂版ではすまないほどの議論を重ねてきているものです。
ここでの指導の目的は、わたしが読めている構造的な把握に、論者の認識をいかに近づけてゆくか、というものですから、その議論は、徐々にではあっても論者のこの作品についての認識が質的に深まってゆくような内実を持つものでなくてはなりません。

今回の評価が厳しいものになるとことわったのは、残念ながらそのことの意味を論者が大きく勘違いしているのでは、と思わされる記述になってしまっているからです。

論証部で、論者はこう切り出します。
 上記の問題を解くにあたって、はじめにこの手紙の差出人は誰なのかを得敵(コメント者註:「特定」の誤り)せねばなりません。差出人は少なくとも千賀子の生活を事細かく知っており、また手紙の中で彼女と問答している事を考えると彼女自身についてもよく知っているようです。恐らくこの手紙の主は、守山千賀子の別の人格が彼女自身を非難しているのではないでしょうか。そのように考えると、この2つの疑問に対しても一応の説明はつきますので、そう仮定した上で話を進めていきたいと思います。
読者のみなさんがこの箇所を読んで、どういう感想を持たれるかはわかりませんが、この指摘というものはわたしが数度の講義をとおして、問いを立てながら(=答えそのものを伝えてしまわないように工夫して)論者がその頭脳活動において、あくまでも「自らの独力で」辿り着くよう苦心して指導してきたものでした。
そうであるだけに論者にとっては、この「手紙の主が『千賀子』のもうひとつの人格である」という前提は、すでに自明のものとなってしまっているのです。

ここで一般のみなさんの中には、「知っていることを書いてなにがダメなのかな?」と思われる方もおられるかもしれませんね。
たしかに、知識的な習得が問題である場合には、答え自体が問題になる場合もありえます。
しかし、こと歴史性を掲げて文化人たろうとする人間にあっては、そのような姿勢を続けては百害あって一利なし、ということになるのです。
なぜならば、そこで絶対的なレベルで厳しく要求されるのは、大きく言えば<過程性>というものを何よりも重視する、という姿勢でなければならないからです。

歴史的なひとつの作品を正面に据えてしっかりと学びたいという時には、その時代を生きたその作り手が、それをどうやって表現し得たのか、という観点がなければ、上っ面をなぞらえただけになるのであって、そのものを正しく学び切ることはできません。
学問においても芸術においても、その著作や作品というものはかたちとして、物理的に目に見え、手に取れる状態で残ってきています。
ですが、肝腎の、「なぜその当人が、それほどのまでの作品を残し得たか」ということについては、決してすべてが微細にわたって詳らかにされるということはないのです。
ではそれをいかにして読み取り、読み解き、さらには現代的な創作へと活かしてゆくかということは、現代を生きる我々が、その論理と認識の力にかけて、自らの頭脳に捉え返すかたちで追ってゆかねばならないことなのであって、これは極めて論理的な問題である!といえるのです。



このためには、当人の自伝を読むということも必要であるとは言えますが、そうはいっても自伝をしっかりと残している人ばかりではないですし、作者との観念的な二重化をはたすために必要な情報が自伝だけで賄われると考えるのも間違いなのです。
当時の時代的な背景、当時の人間のものごとの感じ方や考え方がわからなければ、歴史的な読み物というのは、「当たり前なことばかり言いやがって」、と無味乾燥なお勉強となってもおかしくありません。
過去の偉人から、人類の文化遺産から正しく学ぶために大事なのは、あくまでもその時代性にありながら、つまりその時代的な制約の中に身を置きながら、しかもそれだけの業績を残しえたという当人の努力、覚悟、後世から見るところの先見性をこそ、正しく学ばねばならないのです。

歴史上の偉人とされる人物は、当時を生きる人々の誰もが気づきえなかったことに目を向けることができたり、辿りつけなかった場所へと歩みを進めることができたりしたからこそ、そう呼ばれることになったのではなかったでしょうか。
このことを現代に置き換えるならば、現代人の誰もが気づきえなかったことに「なぜか」気づくことができ、そのことを(時には狂人扱いされながら!)生涯かけての努力でもって持ち続け実行しえた人間が、歴史に残ることになってゆくのだ、とわからなければなりません。

見えないものを見なければならぬというのはひとつの矛盾ですが、そのことを達成するための「ものごとを見る目」は、大きく、この<過程性>というものが身にしみてわかり、その重要性にしっかりと着目できていなければ、それを身につける端緒につくことすらできません。
今回の評論の場合で言えば、論者その人が、わたしが提示した答えをあたかも自明のものとして提出したとき、そのことをはっきりと意識していたかどうかが問われねばならない、ということです。

今回の指摘は、数層の構造からなる問題を見て取ってのものですから、そのほかのご説明は後日に譲るとしても、結論から言ってこれはもはや言い逃れしようのない欠陥としてわたしの目には現象しており、そのことは論者には直接指摘していることでもあります。

論者が<過程性>にしっかりと目を向けながらこの作品を正しく理解してゆくためには、この作品は「千賀子」が自問自答する構造を持っているという結論だけでなく、その結論に至った論理的な経緯をこそ、しっかりと書いてゆくことが絶対的に必要です。
その営みはほかならず、歴史上の作家の仕事を正しく評価し受け継いでゆくための正道ともなっているのです。

この作品に則してさらに言うならば、あくまでも作品そのものをつぶさに追ってみることをとおして、わたしの指導内容を手がかりにしながらも、作品の構造がいわゆる<自由意志>と<対象化された観念>のやりとりなのであるという論理を改めて独力で!引き出すことができなければならない、と言えるでしょう。
繰り返し念押ししますが、これはあくまでも「作品そのものを正しく理解しようとしてはじめて」、ごく自然にそのような概念が浮上してくるということなのであって、「コメント者に<対象化された観念>に着目しろといわれたので探してみるか」という姿勢では絶対にダメ!ということが厳しくつきつけられているのです。
この観点こそが、<過程性>というものなのだ、とわかってもらえているでしょうか。


これと類する欠陥として、「自らを作家として規定すること」の、いわば「作家としての志」の不足については、次回以降みなさんにも考えてもらうことになると思います。


※評論中の誤字訂正については略。

2015/01/01

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
(※執筆用Macの不調により正しく公開されておりませんでしたので、機種を変えて公開しました。)


前回の記事の日付を確認してみると、ずいぶんと間が空いてしまったものだと思います。

この理由は、以前にすこしお伝えしておいたとおり、ひとつにわたしのところで研究している学生たちの研究対象が深まりを帯びてきたため、こちらではなかなかにご紹介できにくくなってきていること。
ふたつめには、わたし自身の研究生活の変化によって、Blog記事の更新に時間が割きにくくなっていたこと、です。

後者に関わることとして、わたしのBlog更新のスタイルをご説明しておくことにすると、それはまず移動中や雑談中にアタマの片すみで記事を練り、それを今度はアイデアノートに書き起こしたあと、それをさらにコンピュータ上に打ち込みなおす、という三段階の過程があるというものなのです。
そのため、現在のように執筆用のMacが絶不調であったり移動手段が変わってしまったりするだけで、ほとんど記事執筆のための時間がなくなってしまう、ということになります。

それなら考えたことをいきなりPC上に書いてしまえば時間が省けるではないか、という指摘もありますが、認識論的に言えば、この手法で執筆活動に励むことになると、アタマの中の言葉や文章を、キーボードとPC画面という反映の少ない表現手法で移しかえ続けることになり、これは言語の像が浅くなることによって、とりもなおさず頭脳活動が必然的に低下してゆくことになってしまうのです。

ですから、執筆活動の際には、必ず自らの五感をしっかりと働かせながら、あくまでも手でペンを握り、志を込めて紙に書き連ねてゆくことでなければなりません。
キーボードだって手を使うではないか、という方もおられそうですが…いずれしっかりとご理解していただけるよう書いてゆきたいところです。

さてそういうわけで、ここでの記事は、読者のみなさんのために書き下ろされたものであることは確かなのですが、そういうことを自負するためにも、書き手の認識が確かに向上していっているということが土台としてなければならないと考えているのです。その旨、ご了承を請いたいところです。

現在は、ふたたび少しずつ時間が取れるようにスケジュールを管理できるようになってきつつあり、また執筆活動用のMacをお借りできることになったので、また少しずつペースを戻してゆきたいと思っているところです。記事の内容については、先述したように個別研究を公開するのは難しいのですが、現在ある学生に、論理レベルを引き上げるための日記をつけてもらっていますので、それを一般読者の方のために検討してゆく、ということをひとつ考えています。
それもこれも、学生諸君の文化的な献身と奮闘にかかっているところもありますけれども。



さいごに冒頭の写真について。これはわたしが学生と議論しながらよく歩く公園からの初日の出、です。
日の出の時間は朝7時過ぎ、ということでしたが、山にかかる雲のため時間から15分ほど待ちました。寒空の中しっかり立って朝日が昇るのを待つ、というのもなかなか良いものです。

わたしは私生活の悲喜こもごもや研究上の思案やスランプ、学生問題などなどで頭がいっぱいになると、どれだけ心身が重かろうと外を走りにゆく中でそれを整えてゆくのが日課なのですが、地元のこの公園は、それだけに色々と思い出のある場所でもあります。

山でも海でも地元でも同じですけども、早朝から活動をはじめて、歩いたり走ったりしながら、景色のはるかかなたに次第しだいに射してくる朝焼けというのは、これは実際に見た者でないとなかなかにわかってもらえない良さがあるもので、これを見るために毎日やってきているのだとさえ言えるくらいの、無上のごほうびです。

こういう、たったひとりきりで、目に映るすべての景色を独り占めにしているかのような情景に身をおき、胸のうちから沸き起こってくるような高揚感とともに、豊かな精神的時間を過ごすということが、いかに人格に深く刻まれてゆくかは、現代においては軽視されがちのようです。

さきほど述べた、ペンを使って文字を書くのと、キーボードを使って文字を書くのとでは、どのような違いがあるのかという問題についても、感性が見事に作られている人間にとっては、論理的・理論的にはともかく、素朴な実感としてはごくふつうに、「それはそうでしょうね」と首肯できるものであると思います。

こういう精神活動は当然に、創作活動においても根本として大きく働いてくるだけに、自らの定めた道を目指す学生諸君にあっては経験的ならびに論理的にぜひにおさえておき、目的意識性として、文化的な生き方をしてもらいたいものだと思います。

本年も悔いのない生き方を。どうぞよろしくお願い致します。

2014/03/01

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(8):1887.03.06-04.03 (II)

(7のつづき)


わたしが今回出しておいた課題については、前回の記事にも書いたとおりですが、もう一度引用しておきましょう。
サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んで、まずは1887.03.20の日記に注目してください。
その冒頭に、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。」とあります。
では、サリバンがヘレンと始めて出逢った3/6からの数日間と、この3/20以降では、一体何がそれほどに違っているのでしょうか。
それを、3/20の前と後の期間を、それぞれ数日に区分して、「XXの期間」と「XXの期間」というふうに名前をつけるとともに、その内実および変遷について説明してください。その時、この本全体の、そのそれぞれの期間の位置づけをしっかりと確認しながら、<概念規定>するつもりでやってください。
そして、提出されたレポートを検討しながらコメントしたのは、各段階の変化のあり方を弁証法レベルの論理として、とくに量質転化的に、過程的に把握し、また文章として適切に表現してもらわねば困る、ということだったのでした。

いくつかレポートを受け取りましたので、まずは再提出した本人のものを見ましょう。


◆1. ノブくんのレポート◆
ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日〜3月20日(修正版)
 今回は、3月20日にある、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。全てが変わりました。」という2行を中心にして、その前後で、ヘレンの内面がどのように変化していったのかを中心にして、本書をまとめていきたいと思います。というのもそれらの言葉通り、彼女はこの日を堺に自身とその周りの環境全てをかえたのであり、それを考える事はサリバンの教育論を考える上で避けては通れない問題とも言えます。
 そこでここでは、その2行の前後の期間をそれぞれ規定し、どうのような必然性があった為にヘレンはそう変わらざるを得なかったのかを考えていくつもりです。
 そもそも私の以前のレポートにも書いてあった通り、ヘレン・ケラーという少女の教育における問題というものは、身体ではなく精神の方にありました。つまり目が見えない、口がきけない、耳が聞こえないということ以外、私達と何も変わらなかったのです。
 ですが、彼女の両親はそうした障害に同情しているが故に、ヘレンの言うことをなんでも聞いてしまっていました。その為、性格はとても我儘になり、不満があると苦い結果を残すまで争うことをやめようとはしません。
 また両親はヘレンとまともに会話、意思の疎通をはかる術を持ちあわせてはおらず、彼女との関係は常に彼らの努力のみによって成り立ってきました。ですから、彼女は自分から何か訴える事があっても、何かを受け止める事はありません。サリバンが文中において、「彼女の愛情や思いやりや他人の賞賛を夜転ぶ子供らしい心に訴えるすべが一つもありません。」と書いてあったのはこのためです。
 私はこの期間を、欲求を抑えず常に放出し、愛情(ここでは物理的な接触や言葉によって精神が満たされること)に訴える心を持ちあわせておらず、ただ自分から何かを訴えているばかりの状況から、「欲求放出期」と名付けることにしました。
 そこでサリバンは、その原因となった両親から引き離し、全く違う環境で、彼女を征服することでこの期間からヘレンを脱出させようとしたのです。
 それではそうした環境に追いやられた事によって、ヘレンはどのように変化していったのでしょうか。
 サリバンに征服された事によって、ヘレンはこれまでのように欲求を好きなように放出する事ができなくなっていきました。そしてこれまでのように、両親のように彼女の我儘を許してくれる存在がいないのもその一因となっていることも見逃せません。ですから、彼女はサリバンに服従する中で、それなりの発散の仕方を見つけるしかなく、自然と指文字や言葉に興味を向けていったのです。
 またサリバンの教育スタイルとしては、征服というぐらいですから、当然サリバンからヘレンへ、何かしらの強制力が働くことになります。つまりそれまでの、ヘレンから誰それへ何かを訴える流れとはまるで逆なのです。ですからヘレンは、他人の思いやりや愛情を受け止める器というものを形成せざるをえなくなっていきました。だからこそ彼女は、3月20日のその日には、サリバンの傍で、晴れやかな顔をして編み物をしていれたのです。
 上記のように、征服によって強制的に欲求を抑えられたこと、そしてその強制力から相手の征服や大まかな感情を受け止める器を形成していった事から、この期間を、「欲求制御期」と規定することにしました。

◆誤字◆
・堺…この指摘は2度めです。重く受け止めねばなりません。
・どうのような
・夜転ぶ


◆1. わたしのコメント◆

はじめに断っておきたいことは、この論者は今回残念ながら、顔を突き合わせての議論の場に参加できませんでしたので、わたしの求めている<過程性>というものについて、各種の運動法則を引き合いに出しての生き生きとしたダイナミックな像を描きにくかったであろうという点です。
といっても、だからといってクロがシロになるわけはないのでやはり率直に評価することになります。

論者は、「欲求」というものを起点にしながら、1887年の3/20を境にした、ヘレンが彼女の内面のそれを内側からただただ押し出すだけの時期と、服従というものを学びそれを抑えられた時期、と質的に区分しています。
この理解にはいくつかの大きな問題があります。


◆世界観の問題…唯物論の立場に立てているか

まず一つ目の問題は、論者が、この書籍で扱われている一つの現象を、ありのままに正面に据えて理解するのではなく、いわば自分があらかじめ用意した価値観やキーワードに基づいて「解釈」しようとしているという点です。
本質を先天的(ア・プリオリ)に規定して対象を見ることを観念論と言い、さらに身勝手な解釈を展開することを、哲学になりきれないできそこないという侮蔑的な意味合いをこめて「思想」と言うことがありますが、これはまさにこれらに該当する理解の仕方であって、ここまで勉強しておきながらこの状態に留まっているというのは、残念だと言わざるを得ません。

どこまでが対象のありのままの理解であり、どこからが解釈となるのかは学問にとって非常に重要な問題ですから、大きく疑問に感じる方がおられてもおかしくないですし、それどころか絶対的に必要な問いかけなのですが、ここで詳しく立ち入ることは今回の論点をぼかすために次の機会にゆずるとして、ここではひとつ常識的に考えてみてください。
はたして論者の言うとおり、「征服によって強制的に欲求を抑えられたこと」が、「相手の征服や大まかな感情を受け止める器を形成してい」くことに繋がるのかどうか、と。
これではあたかも、「サリバンがヘレンを力でねじ伏せた」ことが直接的に、「ヘレンが愛情を受け止められるようになった」という結果を招いたかのように読めますが、本当にそうでしょうか。

サリバンはヘレンと出逢った初日に、こう言っていますね。
「ヘレンの気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけでは彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。」
この点の批判をまだ続ける必要があるでしょうか。もっともサリバンが、初日に言っていたとおりのことをまるでできていない、というなら話は別ですが…。
さて、論者がこのような誤りに陥った原因は、さきほども指摘したとおり、論者がその世界観として<唯物論>の立場を堅持できていないということ、いったん規定した欲求云々という、悪く言えば似非心理学的な用語をどうしても変えたくなかったことのほかに、もうひとつ大きな問題がありました。それが、<論理>の問題であり、これが2つ目の大きな問題なのです。


◆論理の問題…弁証法的な論理をつかめているか

そもそもを言えば、わたしがこの書籍を認識論の題材に選んだのは、この本が、というかサリバン女史の教育方針とその土台となる世界観が唯物論的であり、またその論理が弁証法的であるからです。
アン・サリバンが唯物論やら弁証法やらを使えたとは…?そんなことは初耳だが、といぶかしがる向きもあるでしょうが、唯物論も弁証法も、「私は唯物論的弁証法の立場に立って研究している」と宣言すれば満たせるような生易しいものではないものですし、また逆に、そう明言しなくともそのように考えられている人もいる、ということを改めて確認しておきたいと思います。サリバンがヘレンと出逢った初日に何を言ったかをさきほど引用しておきましたが、その箇所をもう一度読んでみてください。
さきほど見てきた論者の理解と、どう違いますか。

論者にあっては、「あれをすればこうなる」式に、「あれ」→「これ」と、直接的に結びつけようとしたために無理が生じ、かえっておかしな解釈をつくりあげることになっていることを見てきました。書店の店頭に並ぶハウトゥ本やビジネス書が単なる解釈のでっち上げに終わって、その解釈というレベルでは、書籍が主眼に置いているはずの、論理の現実的な適用がむしろ成し得ないのはこの点です。とても大事なことですから、じっくり考えてください。
ここをサリバンその人は、どう言っていますか。征服→訓練だとか、征服→愛情だとか考えていますか、決してそうではないでしょう。

ではどう書かれているかといえば、これからの指導にあたっては、大きな方針としては、あくまでもヘレンの気質をそこなわずに彼女を訓練してゆくことであると、まずことわっています。
その大きな方針から導き出されることとして当然に、力づくでヘレンを征服するようなことは彼女の思うところではないのですが、それでも、それが必要な場合があるであろうことも認めており、それというのが、ヘレンが「正しい意味での従順さ」を発揮してくれない時である、というわけです。

こういう論理的な文章が目の前に現れた時、「この人はああ言えばこう言う、こう言えばああ言うものだな。結局のところ、教育において相手を征服すべきなのかしてはいけないのかどっちなのだ!?」という、あまりにも寂しい自らの低い論理レベルに押し下げて読んでしまう人が大の大人の中にもたくさんいますが、ここにいる読者のみなさんはぜひとも、それだけは避けてもらいたいと思います。
ここに書かれているのは、そんな頭ごなしの感情的な反発や、論理の高い文章を手も足も出ないからとダブルスタンダードだと決め付けるような低レベルの非難で片付けてしまって良いような内容では決して無く、大きくひとつの原則を立てられているからこそ、今回の場合であれば正しい人間観に立脚できているからこそ、各所・各所での複雑な現象を、はっきりと切り分けて、「ここまではやっても良いがこれ以上はダメ」だ、というふうに判断できるということ、なのです。

これは現実が複雑だからとそれにあわせて右往左往することが生きることであったりビジネスであったりと捉えてしまうまでに忙しい社会に身をおく人たちにとっては、なかなかに理解し難いことのはずです。
それでも、その困難を押しのけてどうしてもわかってもらわねばならないのは、複雑な現実の中の各場面において、一本の筋の通った判断をしようと思えば、そう思えば思うほどに、そこには大きく根を張る原則を持っていなければならない、ということです。
明確な原則があるからこそ、その光に当てられて複雑な現実を正しく見ることができ、また問題を正しく処理できる。この論理を、弁証法では、論理を排除して実践だけをとるのではダメで、論理があるからこそ正しい実践が導け、正しく実践を繰り返すからこそ正しい論理が導けるのだと、どちらが欠けてもどちらも成り立たなくなるという関係性において捉えるところから、それを<相互浸透>というのでしたね。

もちろんサリバンは、自らを唯物論的弁証法の立場に立つ実践的研究者を自任していたわけではありませんが、彼女の行動や記述の中には、このような論理があまりにも豊かに含まれていることを見逃してはいけません。


◆以上をふまえて本文を読む

さてでは、以上で述べてきた、唯物論と弁証法という世界観と考え方をしっかり持った上で、あらためてもう一度引用箇所を、より具体的に見ておきましょう。
「ヘレンの気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけでは彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。」
サリバンはヘレンと初めて出逢った時、サリバンが当初想定していた人物像とは違っていたのでした。
それはその時点で、そのままの状態ではヘレンに「教育」を与えるのは不可能、より正しくは、歪んだ土台の上に教育を与えても悪い影響しか与えることがないであろう、という見通しが立ったということでもあったのです。
ですからサリバンは、ヘレンと出逢ってから3/20までのあいだ、「教育以前」の問題に取り組まねばならなくなったのであって、それが、この引用箇所に決意表明されていることの内容であったのです。

ここをしっかりと覚えているのであれば、1887年の3/20に、サリバンがありったけの喜びとともに語ったことの意味が、その気持ちが、自ら経験したかのようにつかめてくるはずです。引用してみましょう。
「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。
 二週間前の小さな野生動物は、やさしい子どもに変わりました。私が手紙を書いていると、彼女は私のそばに座って、はれやかで幸福そうな顔付きをして、赤いスコットランドの毛糸で長い鎖編みをしています。彼女は今週、ステッチを覚えました。そして、しあげることをとても自慢にしています。部屋の向こうまで届くほど長い鎖を編むのに成功すると、得意になって、自分で作った最初の作品に愛情をこめて頬ずりしました。
今では彼女は私にキスもさせますし、ことのほかやさしい気分のときなら、私の膝に一、二分のあいだ乗ったりします。でも、私にお返しのキスはしてくれません。大きな進歩−−価値ある進歩−−をしました。この小さな野生児は、服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づきました。今や、この子どもの心の中で動き始めている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。」
わたしとしては、この2つの引用部が、すでに今回の課題において、ほぼ直接的に答えになっていると思えてならないのですが…。
さきほどの引用箇所と同じようにこちらも説明してしまっては、もうそれは解答そのものと言ってもよいほどになってしまいますから、もう一つ念押しの意味も込めて、論者の妙な思い込みについて批判をしておきます。




今回、もはや繰り返す必要もないはずの、世界観と論理の問題を振り返らざるを得なかったのは、ほかでもなく今回のレポートが、前回のレポートと比べて、論理のレベルをまるで高めることができていない、という一点が気がかりなためです。

論者はどうも、わたしの出しておいた課題の採点基準について、さも「答えが合っていれば合格をもらえる」かのように思い込んでいるようですが、勘違いも甚だしいとはこのことです。

弁証法的な論理が形而上学的な論理と決定的に違うのは、前者が過程をこそ正しく把握しようとする点においてです。
前回も説明しておいたとおり、たとえば前者においては、ひとりの人間という一個体の生育段階を、各過程がそれぞれ、人間一般に照らした必然性において折り重なるように発展してゆくものととらえます。
しかし後者にあっては、各段階をそれぞれバラバラにとらえるという踏み外しをし、さらに進んで、結果として発展しきったところの成人のあり方に焦点を当てすぎるときには、「どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのだから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうが合理的」とまで錯覚してしまいかねないほどの論理の低さとなってしまうのです。

わたしは以前、歴史を考えるときにはいくらそれが曲がりくねった道をたどっているように見えたとしても、一見して特殊に見えるものを安易に例外であるとして片付けてはいけない、ときつく言ってあったはずです。
あれは、そうでなければ過程を正しく追うことはできないからこその忠告であったのだ、と思い返せているでしょうか。
三浦つとむがものごとが発展するというときには「ジグザグな道を通る」と言っていた理由がはたしてわかってもらえているのでしょうか。
あの本を弁証法的に読むということは、こういった各所各所も含めて全体を、弁証法的に読んでゆくということでなければならないはずですから、この箇所も相互浸透的に、「ではなぜ発展はストレートな道であるとしてはいけないのかな?」と読んでみることを通して、「自然に弁証法的な考えかたができる能力をこそ(!)」、培ってゆくのでなければ、いくら法則をまる覚えしても「なんの意味もない」、ということなのです。

というわけですから、どのような答えを出すかということ以上に、問題をどう過程的にとらえたか、ということを描き出す努力をしてほしかったものでした。
今回の課題の場合であれば、サリバンがヘレンと出逢ったその日に、それからの一定期間を「教育以前」、つまり「しつけ」の段階としてとらえたのはなぜなのか?
そして、そこを早まって教育に突き進んでゆかなかったことによって、ヘレンは一体どのような土台を獲得したのか?
と考えてゆけば、「教育以前」・「しつけ」の段階には必ずしも明確なかたちをとりえなかった大きな意味が、その次の段階では大きく浮上してくるということが、大きな感動とともに読み解けてゆくはずだと思うのです。

ひとつ大きな手がかりを指摘しておきましょう。
サリバンは3/20の感動を、このように書いています。
「今や、この子どもの心の中で動き始めている美しい知性を方向づけ、形づくることが、私の楽しい仕事となりました。」
この箇所は実践の中で導き出してきた弁証法が含まれているのです。しっかり読めていますか。

さて、論理が発現している文章や口頭での表現におやっ?と気付き、さらにその高低を推し量ることができたとしても、そこをなお弁証法的な文章として書ききるまでには、思っているよりも遥かな隔たりがあるものです。

このサリバン女史に胸を借りるつもりで、まずははじめからじっくりと、彼女がそこでそのような行動をとった、またとりえたのは、その根底にどのような人間観・また教育観があったからなのかとつぶさに追い、過程的にまとめてみることが大事です。


(8につづく)

2014/02/21

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(7):1887.03.06-04.03 (I)

このBlogの読者の方に向けての文章は、またもや久しぶりになってしまいました。


定期的な更新がなかなか軌道にのらないのはいくつか理由があるのですが、わたしのところに学びに来ている学生たちに、彼や彼女らが学生でいるあいだに、できるだけのことをできるかぎりの体系性と過程性を確認しながら伝えておきたい、という事情がその最も大きなものになっている事情があるのです。

砂上の楼閣ということばがあるとおり、砂で出来た土台の上にいくら高度な建造物を築こうとも、それはそう遠くないうちに崩れ去ってしまいます。そして、それは体系性・過程性を何よりも重視する学問という分野においてはなおのことしっかりと押さえておかねばならない点なのです。

ただこのような、高みに昇ろうとすればするほど土台作りが大事である、ということを述べると、「それは学問の場合であれば、しっかりとした基礎教養の上に専門知識が載せられているかどうかということですか」と聞き返されることがあります。
それはそれで間違いではないのですが、その言葉通りの理解では論理のレベルが低いのだ、ということも併せて指摘しておかねばなりません。

それというのが、今回扱う<過程性>の問題なのです。


◆ノブくんのレポート◆

レポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたか1887年3月6日〜3月20日

 レポートの数も大変多くなってきましたので、今回はこれまで私が書いてきた、3月6日から20日までの出来事をおさらいしてみようかと思います。おさらいとは言いましたが、単に整理していくのではなく、3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのかを論じていくつもりです。というのも本文にある、「知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。」という一文からも理解できるように、この日からヘレンは教育において質的に次の段階へと進んでいった過程が潜んでおり、これを論じていくことは本書を理解していくことにおいて避けては通れません。そこでまずは3月20日以前と以後の彼女を比較し、それぞれが教育においてどのような段階にあったのか、どのような期間であったのかを規定し、前後の違いを論じていきます。

 私は以前、自身が書いたレポート;ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版5)において、ヘレンは普通の7歳前後の子供達と比べて身体面に異常はなく、その問題というものは、「好奇心を抑えられない、社会性が乏しく誰がきても自分の我儘を通そうとする精神的な気質にある」と述べていました。
 そしてそれはどのようなものであったのかというと、食事の作法と言えばナプキンも付けず、辺りにあるものはナイフやフォークを使わず手づかみで食べ、お客さんが来るかと思えば勝手に鞄の中を覗こうとし、そうかと思いそれを制止しようとすれば暴れてしまう、というものだったのです。これらの行動からこの期間の彼女の特徴は、下記のような事になるでしょう。

◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。

 私はこの期間を、欲求を抑えず常に開放し、社会性を無視した行動をとるために、「欲求開放期」と仮に名付けることにしました。
 そしてこの「欲求開放期」のもう一つの特徴として、「愛情を受け取る器がない」という事が挙げられるでしょう。ここでいう「愛情」とは、一般的な、誰かが誰かに好意を寄せる時にとる行動等の事ではなく、物理的な接触や言葉によって精神が満たされる現象を指す事を意味します。これまで好き勝手に欲求を満たしてきたヘレンにとって、「愛情」などというものの存在など無縁であった事でしょう。そしてサリバンはこれこそが自身の教育において大きな障害になるだろうと考えていきます。
 そこで彼女は「征服」という手段によって、それをヘレンに植え付けようとしたのでした。ここで注意して頂きたいのは、ここでいう「征服」とは、人として倫理的、道徳的に外れた行動を強制的に正していくという意味を指すということです。(詳しくは3月月曜の午後、3月11日のレポートを参照)やがてこの彼女の試みは成功し、3月20日以降のヘレンの行動は劇的に変わりました。
 服従を学んだ事で、彼女はサリバンが監視している範囲では、ある程度欲求を抑える事ができはじめてきました。(ですが彼女と同年代の子供達に比べると、その効力はまだまだ薄いものであると言えるでしょう。7歳前後であれば、ある程度、大人から離れていても、自らの欲求を抑える術をある段階までは身につけているはずですから。)またサリバンのキスを許したり、サリバンの膝の上に乗ったりと、形式的ではあるかもしれませんが、愛情の存在を感じつつあるようにも見えます。ですからこの期間を「愛情獲得期」と呼ぶことにしましょう。

欲求解放期
◯社会性がまるでない。
◯欲求を抑えることが出来ず知らず、ただ、したいかしたくないかのみで行動している。
◯愛情を受け取る器がない。

愛情獲得期
◯愛情を感じつつある。
◯サリバンがいれば、欲求を抑える事ができる。

 この2つの期間を比較すると、その違いはやはり欲求が抑えられるか否か、相手の精神的な好意を受け止められるか否かにあるのです。


◆わたしのコメント◆

参考書をひと通り読み終わった論者に、わたしが今回出しておいた課題は、以下のようなものでした。
サリバン(著)『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』を読んで、まずは1887.03.20の日記に注目してください。
その冒頭に、「今朝、私の心はうれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心を照らしました。見てください。すべてが変わりました。」とあります。
では、サリバンがヘレンと始めて出逢った3/6からの数日間と、この3/20以降では、一体何がそれほどに違っているのでしょうか。
それを、3/20の前と後の期間を、それぞれ数日に区分して、「XXの期間」と「XXの期間」というふうに名前をつけるとともに、その内実および変遷について説明してください。その時、この本全体の、そのそれぞれの期間の位置づけをしっかりと確認しながら、<概念規定>するつもりでやってください。
ここでわたしがさきほど前置きしていたことを思い出してもらいたいのですが、土台がしっかりと出来上がっていないところにどんな立派な建造物を建てても早晩崩れることになるということを、基礎と応用にだけ区分したのでは論理のレベルが低い、と言いました。
このように言うと、「では基礎と応用をそれぞれもっと細かく区分すればいいのですか?」と聞かれる方もおられそうですが、これはことわざを引き合いに出して建造物でたとえているから、かえってわかりにくくなっているのかもしれません。

いまお話しているのは論理の問題ですが、そもそもわたしたちの目指しているのは事物や事象を低い論理の段階でとらえるのではなく、弁証法的な論理の段階でとらえる、ということでした。

弁証法を身近な題材を使って解くときにひとつ覚えておくと良いと思うのは、たとえ話の題材には、人工物よりも自然物を用いたほうがわかりやすくなる、ということです。

ですからここでも、建物ではなしに動物にたとえを変えて考えてみてください。
たとえば、私たちは人間は、母親の母体の中で受精卵が次第次第に成長を遂げ、赤ん坊としておぎゃあと生まれることになりますが、そのとき、その過程としてはいきなり私たち成人のような、五体が備わっているような状態で生まれてくるわけではないですね。
そこには、オタマジャクシのような段階もありますし、手足が生えた両生類のような段階もありますし、ようやく人間らしいかたちをとるようになってもやはり尻尾が生えたままであることは、我々成人の体つきとは異なっています。

ではなぜ、いきなり、いわば「小さな大人」のような状態で生まれてこないのかな、と考えたことはありませんか?
どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのですから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうがある意味で合理的なようにも思えます。



ここまでご説明したとき、さきほどの「土台がしっかりと出来上がっていないのなら…」というお話と、通じる論点が見えてきた人もいるのではないでしょうか。
その人は、科学史なり哲学史なり生物の歴史なり、なんらかの歴史的な書物か、または犬猫などの動物の飼育という実地に、じっくりと向き合ったことがあるのではないかと思います。
この「なぜ人間は「小さな大人」のまま生まれてこないのか?」という問題は、できればその人に答えてもらいたいのですが、今はわたしが代わりにお答えすることにしておきましょう。

それは、人間にとって母親の母体で過ごす、オタマジャクシの段階、両生類の段階、哺乳類の段階、サルの段階というものは、最終的にはそのかたちをそのままに留めるのではないにしても、その段階、その段階をその形態で過ごすという意味において、必然性を持っているのだ、ということなのです。
言い換えれば、わたしたちが今のような身体に育つことができているのは、オタマジャクシ、両生類、哺乳類、サルという道筋をしっかりと辿れたから!なのであって、それ以外ではない、ということなのです。

ですから、もしオタマジャクシの姿を十分に取らずにいきなりサルになってしまえば(これは単なるたとえです、ありえないことですから)、それだけの歪みが生じざるを得ない、ということが言えるわけです。
ここからさらに進んで、おぎゃあと生まれてお母さんの胸に抱かれてすくすく育ち、大の字になって寝転び寝返りをうつようになり、ハイハイを経てつかまり立ち、さらにはひとりで立つということができるようになってゆくとき、その段階、その段階はどういう必要があるのか、必然性があるのか、ということも、ここでお話している<過程>における必然性の問題、ということになります。



さてここまで説明すると、なぜレポートの添削をせずに長々と過程などというものについてしゃべっているのか…?と、論者は疑問に思うでしょうか、それとも、「あっ…!?もしかして、これはレポートの不足を補うための話なのか…?」と思ってくれるでしょうか。

さきほど、赤ん坊の生育を例に取りながら、過程における一つの段階は、一見するとその最終的な段階とは似ても似つかないものでありながらもなお、次の段階を支える関係になっている、ということをお伝えしました。

事物を、最終的に出来上がった、結果だけの形態や状態でとらえるのでなしに、各段階、各段階が折り重なるように積み重なった過程の複合体としてとらえることを、弁証法的にとらえる、と言うのです。
このことは、課題を出すたびにことわる必要がないはずのことだと思っています。

さきほどわたしが述べたことの中に、
どうせ成長してしまえば今の我々のような身体になるのですから、「小さな大人」のまま生まれてしまったほうがある意味で合理的なようにも思えます。
という部分がありましたね。
この考え方でいうところの「合理性」というものは、最終的な結果だけしか主眼に置かないために、過程における必然性が読み取れていないので、これを弁証法的な論理ではなく、論理のレベルが低い、と言ったわけです。

論者は確かに、生真面目に課題をこなし、ひとつめの段階、次の段階、というふうに規定しつつ一定の説明をしてくれていますが、それらは、各段階をそれぞれの過程的な必然性を把握しながらの説明になっているでしょうか?そのことを、もう一度考えてみてもらいたいと思います。それが、弁証法的に考える、ということなのです。



参考書で扱われている問題に従って、より課題に即していうのならば、サリバン女史がヘレンとはじめて出逢ったとき、ヘレンの状態は、サリバンの想定していたものとは違っていました。

そこでサリバンは、当初出逢ってすぐにはじめようと考えていた教育の段階からいったん降りて、よりヘレンの基本的・根本的・基礎的なところに働きかけるように教育をし、そのことによって一定の土台をつくろうとしたのでしたね。

このことが、オタマジャクシ(魚類)の段階がなければ両生類の段階はなく、両生類の段階がないのであれば哺乳類の段階もないのだ、ということと論理的に同様のものとして類推しながら捉えられているでしょうか。

論者の今の書き方では、各段階、各段階が、それぞれ質的に違ったものとして捉えられつつはあっても、あたかも「順不同」であるとみなされてもおかしくないような状態ではないでしょうか。これでは、<過程性>をふまえたことにはならないはずです。

サリバンが考えたヘレンのあるべき成長過程というものは、やはりひとつひとつの段階には、その順番がそうでなければならない必然性があるのであって、これはやはり、人間の一般的な生育過程をふまえるものでなければなりません。その点に注意を払いながら、もう一度、考えてみてもらいたいと思います。

また、各段階の名称について、「概念規定するつもりで」と言っておきましたが、これはなにも、「小難しく考えろ」と言ったわけではありません。
各段階の名称は、文中に出てくる日常言語レベルの字句を使ってでも十分に表現できますから、こちらも肩の力を抜いて考えてみてほしいと思います。


◆正誤◆
・3月20日(※1)を堺に彼女がどうのように変化していったのか
→3月20日(※1)を境に彼女がどのように変化していったのか


(8につづく)

2014/01/01

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。


去年は、一昨年から進めていた研究組織の移動のためもあって、夏の終わりからの更新がかないませんでした。

その間、研究仲間や学生さん、活字中毒の友人たちからたびたび更新の催促があったことは、とても勇気づけられたものでした。

学問は、直接的に経済的・社会的な即効性を持ちうるものではありません。
そのために、学問・論理・理論が役に立たない、金にならない、だから棄ててしまえ、といった非難にさらされることにもつながってしまいます。

しかしそれでも、論理がなければ、我々人間がそれぞれに体験する経験は、その個別的な経験のままで終わります。
そして論理がなければ、他者の経験や知見を自分の実践のために、また将来のために活かすことができないままになります。
さらにまた学問がないのなら、人類の文化が、その根拠を失うことになるのです。



わたしたち人間が、両親から生まれ育てられて、今のような独自の身体と精神を持つ存在となった時、その恵まれた境遇に感謝したり、また逆に、他者のそれと比べて不足を嘆いたりすることがあります。

たしかに器量や背格好などをはじめ、物質的な諸条件は、職業や人生における助けになりますし、それをより活かす方向に進めることは時には必要でしょう。
しかし生まれ持った条件を、後生大事に保持し続けるだけで人類文化の担い手になりうるかといえば、それは違います。

とくに学問は、その構造として確かな論理が体系として張り巡らされていなければならないために、生まれ持った条件、つまり運任せで人生をどうにかやりすごせばいいと考える向きには、決して本質的なものになってゆかないという性質があるのです。

もしみなさんが生まれつきの鈍才であったり、それとは逆に天才肌の人間であった場合には、それがなぜそうだったのか、より正しくはなぜそうでなければならなかったのか、もっと正しくはなぜそうでなければならなくなってきたのか、を、過程的かつ客観的に観る努力をしてもらいたいと思います。

天才は、自分が一足とびにたどり着いてしまう結論が、どうして導き出されたのかの過程を考えてみることで、また鈍才はなぜ人並みにわからないのか、どこまで基本的なところから説き起こしてもらえればわかるのかを考えてみることで、それぞれ逆向きに、対象の持っている性質や因果関係が、どう人間の認識として移し替えられてゆくのかを探究してゆくべきなのです。

ですから学問にとっては、わかるということはどういうことか、わからないということはどういうことかなどという人間の認識についての理論、教えるとはどういうことか、教えられるとはどういうことかの人間の教育についての理論、対象を理解し、それを教え教えられわからないことがわかってゆくという論理についての理論、というものが、極めて密接な関係にあることになるのです。

これはそれぞれ、認識論、教育論(指導論)、論理学(弁証法)、と呼び習わされているものというわけです。



みなさんが天才であろうと鈍才であろうと、どんなに複雑な現象が目の前にあるときでも、それを誰でもわかるほどに基本的な原則から、解き起こしてゆくことのできる力を養ってゆかねばなりません。

それが、人類文化の担い手になるということであり、理論的実践家として仕事をするということです。

わたしも立場を同じくする者として、当人が努力をしたのならばそれだけの成果を、しっかりと身につけてもらえるだけの指導を実践してゆきたいと考えています。

今年一年の本質的進歩を祈念して。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

次回の更新は、今週末あたりになりそうです。

2013/09/25

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(補1):1887.03.06 (I)

今回は遠回りをしてすみませんが、


学生さんが自主的に提出してくれたレポートの再提出ぶんを見てみることにします。
ナンバリングがわかりにくくなるので、今回は本編とは違った補足編として書いてゆくことにしましょう。

せっかくの再提出ですから、論理的に人の認識を読むということはどういうことなのか、という問題意識に照らしつつ検討してゆきます。



ここまででサリバンの本について書かれた記事は、以下のようになっています。

【本編】
【メモ】『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』のマインドマップ(※7/25更新)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』 (1)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(2):1887.03.06 (I)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(4):1887.03.06 (III)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(5):1887.03.06 (IV)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(6):1887.03.07 (I)

【補足編】
・この記事


◆ノブくんのレポート◆

ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版2)

 サリバンがヘレン・ケラーとはじめて出会ったのは、3月3日の事でした。驚くべきことに、彼女はこの日のうちにヘレンの教育に対する重大な欠陥を見つけ出し、多くとも数日のうちに大まかな方針を決めていったのです。

 そしてその重大な欠点とは、精神的な部分にあるのでした。というのも、彼女は他人の荷物を勝手に覗く、触れる、触るものはなんでも壊す、その表情は魂みたいなものが抜け出ている、虚ろである等といった、とても7歳前後の少女とは思えない奇行をとるのです。
 こうした事実からサリバンは、彼女が「子供特有の内から湧き出る衝動」によって振り回されていることを指摘しました。通常、彼女のぐらいの年齢の子供達は、世界のあらゆるものごとをその小さい身体で力いっぱい感じ取る事ができます。例えば、広々とした公園や学校のグラウンドを駆けまわったり、ブランコを大空へ飛び込むように大きく漕ぐことによって、世界の大きさを体感しようとします。まるで、彼らの小さな身体に潜む、大きな何かに突き動かされるようにエネルギーを使い果たそうとするのです。ところがヘレンの場合は、そうした衝動が他の子供達と同様にあるにも拘わらず、それをうまく発散することができません。またそれを知る術もないのです。ですから「彼女の休息を知らない魂は暗黒の中を手探りする」しかありません。それがどのようなものか、なんの為に使うのかを知る事もできないままに……。ですから、彼女は空虚な表情で、あらゆるものを手で触り、壊すことしかできないのです。

 そこでサリバンは、ヘレンの「内的な衝動を失うことなく、効率よく発散させていく」(※)という目的論を立てて、問題の解決に取り掛かっていったのでした。そしてその解決方法が下記にあたります。

 私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

 彼女は上記での目的論に対して、「ゆっくりやりはじめて愛情をかちとる」という方法論にたどり着きました。そしてその方法論の前提として、ヘレンの従順さ、服従する事が要求されています。
 ここで注意しなければならないのは、この「服従」という言葉に含まれれる「認識」というものは、普段私達がイメージしているそれとは異なった内実になっている、ということです。ここ述べられている「服従」とは、虐待している親たちのような、全面的な降伏を意味するのではありません。あくまでも、人間の社会的なルールに逸れた場合、それを強制するといった意味で使われています。ですから彼女の「服従」とは、暴力や支配が目的になっているのではなく、最低限の社会性をヘレンに持ってもらうことが目的になっているのです。
 そうして培っていった社会性は、彼女の人間的な感情の土台にもなっていきます。何故なら、私達の感情というものは、社会を生きていきた中で育まれてきた、経験的なものなのですから。例えば、ある時点までは、「子供を大切だと思っている親が、自分を叱る」という事ができなかったとしても、何度も親に叱られ続けたり、自分がその当時の親の立場を経験していく中で、「大切であるからこそ、かえって叱らなければならなかったのだ」ということに気づいていくはずです。そしてこのヘレンも、はじめはサリバンが叱ったり、征服する理由がわからずとも、正しく社会性を身につけていく中で、自身への愛情が裏に潜んでいた事が理解していく事でしょう。

 しかしここで気をつけて頂きたいのは、ここではヘレンを征服することよりも愛情をかちとることが積極面として表れている、ということです。
 この日以降の手記を見ていただければ理解して頂けると思うのですが、ここでのヘレン・ケラーを取り巻く環境というのは、サリバンとヘレンの兄のジェイムズ以外、彼女に逆らうものが何もありません。よって、彼女の身の回りには、彼女の現在のあり方を変えようとする環境と現在のあり方を受け入れようとする環境とが存在していることになります。そしてこの2つの環境のうち、果たして彼女はどちらを選ぶでしょうか。この続きは、3月11日の手記にて論じさせていただきたいと思います。

脚注
※本文中では、「彼女の基質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するかがこれから解決すべき最大の課題です」とある。


◆正誤◆
この「服従」という言葉に含まれれる
私達の感情というものは、社会を生きていきた
「子供を大切だと思っている親が、自分を叱る」→読点の前までが「親の視点から子どもを見た視点」であるのに対し、読点以降が「子どもの視点から自分自身を見た視点」となっており、読者にとっては非常に読みにくい表現となっている。いやしくもことばを使って仕事をしようと考えている者なのであるならば、自分の表現が、その受け止め手にとってどのように感じられ、考えられるのかは必ず検討しておかねばならない。しっかりと反省されたし。正しい表現ではどうなるのかはここでは書きませんが、後日聞くので考えておいてください。



結論から言っておきましょう。
このレポートでは、これまでの議論をしっかりと踏まえられているとは言えません。もっとも、その実力がまるでないというならまだしも、ですが、力があるのに発揮していないのでは問題です。

レポートの表面をなぞらえるだけならば、サリバンが初日の手紙に書き残したことが半分は触れられているように思います。(残り半分の、ヘレンの言語能力についての考察も期待していたところですが…これについては難しすぎるかもしれないとは思います)

これは、以下でわたしが書いておいたことをふまえようとしたわけですね。そして、事実そうできているとまでは言えるのです。
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)

ところが、前回紹介した良い出来栄えのレポートについて、そのレポートを読みながら確認しておいたことがあったはずでした。そのことについてはどう理解したのでしょうか。あのレポートが評価されるべきだったのは、知識的な内容を深堀りしたからなのではなくて、サリバンの高度な実践の中の重層構造を浮き彫りにしえたからこその評価だったのでした。(この<重層構造>については本題ですから、説教のあとで述べます)

もしあなたが一流の道を歩もうとするならば、同じテーマや素材を扱うにしても、前回触れた触れ方よりもより高いレベルで、つまりより深い論理構造を引き出すことによって、それを乗り越えてゆかねばなりません。もしすぐにはそれがかなわない場合にも、その姿勢だけは諦めてしまってはいけません。誰が何と言おうと握りしめて、粘り強く取り組まねばなりません。ここをほとんどの自称・一流の人たちは、「知識を広く集めることで」乗り越えようとするから、晩年は雑多な作品や研究に始終してしまい、結局は最初期の研究や処女作品が一番良かった、ということになってしまうのです。とくにここで「一番良かった」と評価されるのも、それがコンパクトにまとまっていながらも一本の芯が通っているように映るからこそ、なのですが、この好評価こそは、知識の少なさゆえにかえって主題や本質が浮き彫りになっていたからなのだ、と彼らはわかっているのでしょうか…。

もちろんだからといって、知識を集めるなと言っているのではありません。知識をいくら集めてもそれは勝手なのですが、それをどう見るか、という「物事を見る目」を日々鍛えているのでない限り、かえって膨大な知識に押しつぶされることになり、構造や本質がいつのまにか見えなくなってしまう、ということを言っているのです。その段階に至るとほとんどの人たちは、結局真理などというものはなかったのだ、追い求めること自体が間違っていたのだと、“真理など何もない”極端な相対主義者となって、知識の海に埋没することをむしろ居心地が良いことのように感じる歪んた感覚を身につけていってしまうのです。しかし実のところ、真理は「なくなった」のでは決してなく、ただ「見えなくなった」だけ!なのです。

このことは以前から何度も伝えておいたとおりですが、それも、今のあなたの表現からは、なんとしても一流になるのだ、という気概をまるで感じられないからの念押しなのです。



さて、ここで「物事の見る目」の大事さを思い出せ、「論理」的に見よ、などといっても、それを念頭に置けてはいてもなぜか実践ではうまく働かない、力んでかえって空振りしてしまう、といういわゆるスランプは誰にとっても起こることですから、もう少しともに考えておきましょう。

まず気持ちの面での問題から触れておきます。少々下世話になりますので、見る人から見れば占いか三流宗教まがいに聞こえるでしょうが、いつもどおり誤解を恐れずに率直に指摘したいと思います。

まず、今アタマにうずまいている焦り、というものをしっかりと見つめてください。数年も先に始めていることなのに、新しく始めた人たちの頑張りを見ていると、もしやこれは近いうちに追いぬかれてしまうのでは、という思いが拭い切れないのではないでしょうか。その思いを見ないようにしようとすれば、かえってどんどん触れたくない、触れられたくないわだかまりが、あたかもアタマの中の実体であるかのようなレベルにまで膨らんでゆく(<量質転化>)ことでしょう。

しかし率直に言って、これは単なる思い過ごしであって、そんなものは客観的には存在しません。思い返してみてください。「自分がわからないところをもっと探してきなさい」、「鈍才としての努力をこの先も続けなさい」、と常々言われてきて、また実際そうすることで実力を伸ばしてきた自分のことを。自分の馬鹿さ加減を率直に披露すればいちばん評価され、また本当の実力がつくということが明らかになっている時に、何を偉そうに先輩面をし続けることがあるのでしょうか。若輩たる自分に一体どれほどの蓄積があると言うのでしょうか。人間にとって人間としての誇りは持っておかねばなりませんが、本質から外れた、自分のことを実力以上に見せようとする虚栄心は何の役にも立たないどころか成長の可能性を奪い去ってしまうものですから、捨ててしまって結構です。

本当の意味で人の役に立てる仕事ができるだけの賢さを身につけたい、人格を養いたい、文化を残したい、そう本心から思い考えるのであれば、たとえ馬鹿にされてもその内容に客観性があるのかどうかを検討できねばなりません。「なるほど、たしかにそういう意味ではまだまだ自分も馬鹿だな」と、どうして笑っていられないのでしょうか。これは他人からの評価を無視しろとか卑下しろとか言っているのではなく、いったん自分のことを棚上げした上で相手の立場に立ってみて、「なるほど(あなたから見れば私は)そう見えないこともないな」と<否定の否定>的に認めることなのです。いわゆる気が小さい、と言われる人は、こういうことができないだけなのだ、生まれつきそうというわけではないのだ、正しく論理的な技を身に付ければ客観視もできるようになってゆくのだ、とわかってほしいと思います。

それでもまだ他人にどう見られるかが気になってたまらないというのであれば、日々の努力を怠っている自分を、他でもない自分が見てきているということなのですから、それはまた別の問題として反省すればよいし、そうすべきなのです。繰り返しますが、他人の評価は検討した以上のことは気にしないことです。衆目というのは、どんなに親しい人間であっても、結果にしか向けられないものですから、まだ目に見えるかたちで現れていない努力をしている段階では評価されないのは当然です。場合によっては狂人扱いされるのもやむなし、と考えるべきです。わたしも研究会を始めた頃は、「そんな三流大学の馬鹿どもしか集まらないとはお前の実力もその程度か」と陰口をたたかれたものでしたが、数年して同じ人物に、「お前は優秀な学生ばかりを選り好みしているから結果を出せるだけだろう」と言われたものでした。こんなことはいくらでもありますが、でも、どれも怒ったりはしませんでした(まあ、呆れはしましたが…)。これは、そういうもの、だからです。こうわきまえておくのなら、愚図ついてどうしようもない自らの上達過程も見てもらえる環境が、いかに恵まれているかも<相互浸透>としてわかってくるでしょう。

せっかく認識論をやるのですから、自分自身の心が抱えている問題をはじめ、スランプといったものも、ひとつの問題として正面に据えて解明してゆくのだ、と考えてみてはどうでしょうか。こういう姿勢が少しでもあるならば、「いったん棚上げする」(第一の否定)ということもわかってきますし、客観視するということにふくまれる<否定の否定>の構造も実践の中でしっかりとわかってくるものです。それがわかれば、たとえば実力があるのに本番で力を出せないアガリ症という現象も、どこに問題があり、どうすれば解消できうるのかがわかってくるはずです。まだ経験の少ない学生さんから見れば、「この人は何があっても落ち込まない人だな、まったく羨ましいものだ」と思われる人ほど、こういう過程を経てきているのです。雑念を払って、替えのきかない場面であればあるほどに、自分の実力を発揮できるだけの認識を創りあげていってもらいたいと思います。



さて、小言(もはや大言、に聞こえるかもしれませんが)はここまでとして、本題に戻りましょう。

先程もお伝えした通り、このレポートを論者の実力がどれだけ発揮されているかという観点から評価することにするならば、やはり良い評価はあげられない、ということになるのです。

ではどこが不足しているのかと言えば、これも先ほどことばだけ出てきたとおり、サリバンがヘレンを見る目の中にある<重層構造>についての理解と、それを理解しようとする姿勢、です。

わたしとしては、前回Oくんが提出してくれたレポートの水準を守りながら、今後の展開を果たしてゆきたいと考えているので、前回の記事を読みなおしてみてください。そうして、たとえばここに何が書かれているのか、わたしがなぜそれを評価したのかを理解しようとしてください。

―――――


それが、4段落目です。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。
サリバンが、どうしてヘレンに正しい食事のあり方を学ばせようとしたのかが、過程的構造を意識しながらはっきりと書かれていますね。

そのとおり、人間が人間であるからには、同じ栄養価を満たせばどんな姿勢のどんな食事作法でも良いというわけにはゆかない、という人間観がサリバンの脳裏にはっきりと描かれていたから、彼女は譲らなかったわけです。

そしてまた、幼少期の日常生活の毎日毎日の繰り返しの中で、ひとつの個体は人間らしく「創られて」ゆくのですから、日々のふるまい方が間違っていれば、その感覚すら間違って創られていってしまうのだ、という指摘も正当です。不潔な環境で育ってしまっているのなら、家の中が髪の毛やホコリだらけであっても平気になってしまうどころか、それが好ましいとさえ感じられる感覚を身につけてしまうのであり、食事の前に歯磨きをすることや、髪の毛を濡れたままで放っておくなど、良くない生活習慣も同じようにして身についてしまったものなのです。


―――――

ここでは、サリバンがヘレンに、着席して食事を摂ること、手づかみで食べずにスプーンを使うこと、食後にナプキンをたたむことなどのテーブルマナーを教えようとして苦労しているさまが描かれています。

ここでわたしは、Oくんが、サリバンの認識を自らのように二重化してみて、サリバンがヘレンを指導するに際して正しい「人間観」をしっかりと持っていた、ということを見抜いたから、それを高く評価したのでしたね。

これは、レポートが目の前に提出されてしまったあとでは、「それはそうでしょ」という感想しか起きてこないでしょうが、これを引き出し得たのは、彼が、しっかりとサリバンがヘレンの指導にあたっていたその日、その時その場所での情景を思い描きながら、いったいそれはどのような苦労であったのかと我が身に捉え返しながら理解していったから、なのです。



今回のレポートの論者は、もし自分がその時その場所にいたとしたら、サリバンと同じことができたであろうか?というふうに、まだ想像してみることができていないのではないかと思えてなりません。あなたがこんな状況の中に放り込まれたら、それこそ裸足で逃げだしたくはなりませんか。こんなことならもっともっと勉強をしておけばよかった、と後悔の念が沸き起こってこないでしょうか。なにもわからない状況の中で、何を手がかりに指導を続けてゆけばよいのか藁にもすがる思いにならないでしょうか。

それでも、サリバンはこれだけの力強い指導をしたのです。それを結果で示したのです。だとすれば、「彼女のなかには、何らかの行動の指針となるものがあったのであろう」と考えてみるのが自然な流れとなるはずです。

さてそうして、ヘレンがサリバンのバッグを取り上げようとしたときには腕時計を代わりに渡すことでやんわりと興味を逸らしたのに、テーブルマナーについては頑として甘えさせなかった、という事実を見るならば、ここには何らかの判断の基準となるものがなければなりません。



Oくんがここまでの流れを明確に意識していたかどうかはともかく、あのレポートはたしかにそう読める、というレベルに達しているから、評価すべきであったのです。

わたしたち人間は、目の前の実践が多様で複雑であればあるほどに、それらを照らす一つの判断基準、ぶれることのない立ち位置、揺るぎない原則を持っておきたいと考えるものでしょう。それをサリバンのように高度な実践として実現してきた人物のなかには、やはりなんらかの「物事を見る目」がなければなりません。このうちの、複雑な現実を照らす見る目のひとつが、ここで挙げた「正しい<人間観>」というものなのです。

ですからこれらの構造としては、正しい人間観に照らして、ヘレンのあり方を見、その時その場所でそういうふるまいをやっても善いか悪いか、見逃すべきか叱るべきか、ということを判断していたのですから、「人間観」と「個別の判断」を、サリバンの認識の中の重層構造、と呼ぶことができるわけです。

もし自分の脳裏が単層構造でできており、つまり確固たる人間観もなく個別の判断がポツポツと浮かんでくるだけの人物であるならば、ヘレンを一本の筋を通した人物へと導き育てることなどできるはずもないことです。こんなことをすれば、当然に指導内容は行き当たりばったりの、昨日はこう言ったのに今日はこう言う、あの子には優しいのに私には辛く当たるということになり、子どもからしてみれば、指導者の顔色を伺うだけになってしまうでしょう。教育論と名のつく書籍を開いてみれば、「『ならぬものはならぬ』ことを子どもに教えよ」といった文言が出てきます。あれも本来ならば、こういった重層構造として理解すべきなのであって、あの文言だけをふりかざすのであれば、「自分の嫌いなものは『ならぬ』」であるとし、教師の強制力を増すだけの役目しか果たさないことになってしまいます。



わたしが求めているのは、サリバンの立場に立って、もしその時その場所に自分がいたならば、きっと逃げ出したいくらいに困り果てていただろうな、彼女はなぜあんなにも確かな指導ができたのだろうか!?と、驚きと賞賛の感情をもって、深く深くこの人から学びたい、自分もこういう実践ができるようになりたい!と、感じ、考えてもらうことなのです。

それができるのであれば、実のところ、論理や重層構造、正しい人間観、労働観などといった問題は、あとでいくらでも整理してしまえることなのですから。

まずは初心に還って、もっとしっかり、しっかりと深く読み込むことです。
そうして、「えっ、ここはなぜこんなふうにできたの!?」と、驚いてみることです。
それをとても生真面目で実直に、いつもやってきたように、全体のうちの個別としての位置づけを「あらすじ」に、次にそれを一語で規定するならばどうなるのかという「一般性」、最後にその確からしさを説明する「論証」、という構成で書いてゆくことです。

今回のレポートを一目見て、サリバンの指導初日にふさわしいだけのあらすじもなく、まえに書き損じたレポートの継ぎ接ぎが散見されるという有り様であっては、まともに評価する気もおきにくかった、というのが実のところでした。気持ち新たな再提出を求めます。

2013/09/15

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(6):1887.03.07 (I)

(5のつづき)


前回までで、学生のみなさんが「自分自身のわかっていなさ加減をわかる」という段階までは進められてきたので、ようやく次の手紙の内容に進むことになりました。

ただそれでも、まだ解けていない問題も含めて、初日の手紙については、これから残りを読み進めていくうちに折に触れて参照しなおしてゆかねばならない内容を含んでいます。

本心から認識論の実力をつけたいのであれば、ここも通常の授業とは違って、「提出したらおしまい」という姿勢ではいけないのだ、と、強制などされなくともしっかり自分の頭でわかってもらいたいと思います。

結局のところ、さいごまで「わからない、わからない」と言っていた人間が、いちばん進歩するのです。いいでしょうか、「わからないとわかる」のは、誰かに言われて気づけばいいのでは決してありません。また、誰かに勝ったからそれでおしまいというものでもありません。最終的には、自分でわからないことに気づいた上で、自分自身のアタマでその問題意識をいつも離さず持っておき、折にふれてその問題を考えてゆけるかどうか、という「アタマの中の見る目」こそが問われているのです。それを自分だけの力で持てているかどうかで、あらゆる能力を養えるかどうかが決まっているのです。

こう言うと、「わかってもわかってもわからないと言い続ける姿勢を求められるのであれば、いつも自分が間違っているのではないかとビクビクし続けることになるのではなかろうか」という質問があるものです。悪意のある場合はさておき、本心からこういう疑問が残っている場合は、まだ「わかる」ということの構造がわかっていない証拠ですから、前回の記事も含めて考えてみてほしいと思います。さて、では今回のレポートです。



読者のみなさんは、サリバンが初日(1887.03.06)の手紙の中でこう書いているのを覚えておられるでしょうか。

私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。

彼女は、自分がヘレンに教えることのできる、人間にとって本質的なことは「服従と愛」であると考えているのです。この段階まではサリバンはまだ、ゆっくりとヘレンの心を解きほぐすように働きかけてゆけば、その心に自然に愛情を育んでゆけるであろう、必要なときには力をもって言うことを聞かせなければならないだろうが…、と考えていましたね。

ところがこの日、サリバンは、「ヘレンと大げんか」をしたのです。それというのも、ヘレンのあまりにすさまじい食事の作法を正すため、他人の皿に手をつっこんでほしいものをとろうとするヘレンに言うことを聞かさねばならなかったからです。家族の人たちが迷惑を受けて食堂から出て行ったあと、床にころがり駄々をこねるヘレンを椅子に座らせるまでに30分、スプーンをどうにか握らせて食事を終えたはいいものの、ナプキンをたたむ段になってまた1時間もの取っ組み合いをすることになったのです。

この日の記録についても、学生さんのレポートをいくつか引きながら考えてみましょう。


◆ノブくんのレポート(文学考察:1887年3月月曜の午後(修正版))◆


 前回の手記でサリバンはヘレン・ケラーを「知的ではあるが、人間的な感情の機微については他の子ども達に比べて乏しい少女である」と規定し、今回のそれでは上記の理論に基づいた実践面について書かれています。
 結論から述べると、サリバンの試みは成功とはとても言えないものでした。彼女はこれまで甘やかされて育てられたヘレンを、普通の子どもと同じく、自分の食事に手を入れようとすれば叱り、またナプキンをたたませることを教育しようとしたのです。ですが、ヘレンはそうした彼女の試みに対して、強い拒否の反応を示しました。かと言って、それが完全な失敗とも言い難いものがあります。拒否をしたのものの、結果としてはヘレンは彼女の食事を食べることは出来ず、彼女の強制力によってナプキンをたたまざるを得なかったのですから。
 こうして今回の実践では大きな課題を残す事になったのですが、ここでサリバンは末尾に何か秘策があるとも感じられる、ある奇妙な一文を記してあります。

「あとは人間にできないことをうまくやってくれる何かの力にお委せするだけです。」

 一体、「人間にできないことをうまくやってくれる何かの力」とは何なのでしょうか。実はこの言葉については、次の日記に明確に記されていありますので、その説明も次回とさせて頂きます。



まずは誤字脱字の誤りからです。他の学生さんの誤字脱字とはその誤る理由が違っているからこその数度ならずの指摘なのですから、しっかりと自省し客観視を中心にした認識力を高めてください。机に向かう他にも、まず人間としての生活を整えることが大事です。きちんとした生活習慣を身につけ、部屋を片付け掃除し(続けることでしだいしだいに)正しい清潔感を持てるようにすることと、適度な運動と自分で整えた食事を摂ることが何より重要です。人間としてのあり方を整えるつもりがないのなら、そもそも一流を目指すなどもってのほかであるという一事をしっかりと自分の脳裏に養える生活をしてください。


正誤
次の日記に明確に記されていあります

さて、横道から本道に戻りましょう。

結論から言って、今回のレポートはあまりにも現象に引きずられすぎているようです。ヘレンの認識のあり方は、またサリバンの認識のあり方は、この中のどこに書かれているのでしょうか。他の学生さんたちの熱心さに押されて、先行者の自負からかレポートを前もって提出してくれるのは嬉しいのですが、それも一定の質あってこそです。

論者は、サリバンがヘレンに最低限のテーブルマナーを教えることには失敗したが、「彼女の強制力によってナプキンをたたまざるを得なかった」という点においては成功であったと言える、と述べていますが、本当にそうでしょうか。

ここでサリバンは見た目の上では、たしかにヘレンに最低限のテーブルマナーを身につけさせようとしているのですが、そのことそのものだけをやらせたいわけではなく、これはあくまでも、ひとつの目的意識に照らした指導の一環として必要だった、ということです。そんなことはわかっています、と弁護したいのであれば、ではその目的意識というものはどこにあったのか、サリバンはヘレンの内面をどう読み取ったからそうせざるをえなかったのか、ということを論じねばなりません。

このことに答えてくれるレポートがありますので、論者はしっかりと読んでください。


◆Oくんのレポート◆


 今回の手紙ではサリバンがヘレンと朝食をともにする場面が記述されている。ヘレンの食事の作法は凄まじく、他人の皿に勝手に手を突っ込み勝手にとって食べる、手づかみで食事をするといった、おおよそ人間らしからぬ物であった。3月6日の手紙にもあるが、ヘレンの行動を制止するのは兄のジェイムズしかいなかった。おそらくヘレンの家族の中にはヘレンの食事が食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかったのではないだろうか?
 実際の食事に入るとサリバンはヘレンに自分の皿に手を突っ込ませようとはさせず、後に引かぬヘレンとの間で意地の張り合いとなった。その際にヘレンの家族は食事をおこなう部屋から退出していた。この事に気付いたヘレンは大きく戸惑うこととなる。これはヘレンにとって常に自分の頭の中で靄のようになっている衝動を自分の欲求の思うまま発散する事を許容する存在が自分を取り囲む世界からいなくなった事がヘレンの認識に戸惑いを与えたからではないだろうか。
 ここでサリバンがヘレンと意地を張り続けるという事は到着した瞬間に見せた、カバンに興味を持ったヘレンに対して腕時計を用いて興味の対象を変更し、ヘレンの衝動の発散とぶつかり合わないようにしていた事と一見矛盾するように見える。しかしこれはサリバンがこの状況で気をそらすという手段を使ってはいけないと認識をしていたという事である。この事は3月11日の手紙に「服従こそが、知識ばかりか、愛さえもこの子の心に入っていく門戸である」とある事からも伺える。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。




驚きました。素晴らしいレポートです。

どこが素晴らしいのかを前もって指摘しておくと、ひとつに、ヘレンの、他人の皿に勝手に手をつっこみ勝手にとって食べる、という癖について、彼女の認識に立ち入った考察がなされていること。ふたつめに、サリバンがそれを、なぜできれば使いたくないと考えていた「力」で以て言うことを聞かせる必要があると判断したのかを、これまたサリバンの認識に立ち入って考察してあること、です。

しかも後者については、人間が人間であるからには、同じ食事を摂る場合にでも、栄養を満たせばそれでよいというのでは決してなく、そこには社会性が前提としてなければならない、そこが動物と人間との違いであり、だからこそしつけというものが必要なのだ、と読める書き方がなされています。

この問題に自分の力で取り組んでみて、このレポートを読まれた方は、「すごい考察をする人間がいたものだ、負けてはいられない…」とじわりと感じ取られたと思いますが、これで終わらせるのももったいないですから、その論じ方を順に追うことで理解を深めておきましょう。



まず一段落目のうち、この箇所はよく書けています。
おそらくヘレンの家族の中にはヘレンの食事が食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかったのではないだろうか?
正誤
ヘレンの食事が食事をとる時に→ヘレンが食事をとる時に

この指摘はそのとおりです。ヘレンの家族は、人間として全うな倫理観・道徳観と社会性を持っているようです(ここで言う「社会性」の中には一般的なマナーも含まれています)。ヘレンの兄ジェイムズには、ヘレンの悪い振る舞いを制止するだけの倫理観が備わっているのですから、家族のしつけは一般的な意味では悪いものではなかったと推測できます。それでもヘレンにそのしつけが兄ほどにはゆきわたらなかったのは、他でもなく彼女が障害をかかえていたからであり、技術の問題として見るならば論者の言うとおり、「食事をとる時に食欲や衝動を彼女がどの様に発散すればよいのか人間として必要で有効な手段をヘレンの頭の中に働きかける方法がなかった」からです。

つまり、両親は自分自身では正しい認識(倫理観・道徳観)を持ってはいたけれども、それを障害を持ったヘレンが身につけられるようなやり方でしつけるための<技術>を持ち得なかった、ということです。その空白を埋めることこそ、サリバンがケラー宅にやってきた意義があったのでした。

ここで「人間として」とことわりが入っているのは、サリバンの目的意識を代弁しており、簡潔ながら的確な指摘であると言えるでしょう。このことは後に述べます。



次に、2段落目に着目しましょう。
 実際の食事に入るとサリバンはヘレンに自分の皿に手を突っ込ませようとはさせず、後に引かぬヘレンとの間で意地の張り合いとなった。その際にヘレンの家族は食事をおこなう部屋から退出していた。この事に気付いたヘレンは大きく戸惑うこととなる。これはヘレンにとって常に自分の頭の中で靄のようになっている衝動を自分の欲求の思うまま発散する事を許容する存在が自分を取り囲む世界からいなくなった事がヘレンの認識に戸惑いを与えたからではないだろうか。
サリバンがヘレンと、食事のマナーをめぐるけんかを始めてから、他の家族は迷惑を受けて食堂から出て行ってしまいました。ヘレンは物心ついてから、このようなことはこれまでなかったのです。相手が居てこそ暴君として振る舞えるのですし、そうして自分が気に入らないことを表明することで<内発的な衝動>を歪んだかたちで満たしていたのですから、それが発揮できない事態というのは、彼女の想定外であったことでしょう。ですから、「この事に気付いたヘレンは大きく戸惑」った、という理解(=ヘレンの認識を我が事のように繰り返す;観念的二重化)は適切です。

続いて、そのヘレンの認識のあり方について触れた文章、これが素晴らしいですね。
ヘレンの頭のなかでは「靄(もや)のような衝動」が発散できない状態となっている、という指摘がありますが、これは本当にこのとおり!なのです。
赤ん坊が母親という母体からおぎゃあと生まれて泣き始めるのは、「だれでもいいからこの不快な状態をなんとかしてくれ!」という不快感が、一体全体何が何やらわからない状態のまま頭のなかを駆け巡って渦巻いているからです。(参考文献:海保静子『育児の認識学』)

ヘレンの認識のあり方が、同じ年頃の少年少女の段階にまで至っておらず、明確な像を創る状態に達していない、つまり「何が何だかわからない」という状態を見て取って、それを「靄(もや)のように」と表現したのには驚きました。よく勉強していますね。



そして3段落目もこのとおりです。
しかしこれはサリバンがこの状況で気をそらすという手段を使ってはいけないと認識をしていたという事である。
初日の手紙の中にサリバンのバッグをとりあげようとして騒ぐヘレンに、代わりに腕時計を握らせてそれをなだめた、という箇所がありましたが、この食事に関する指導については譲歩的・代替的な手段を取らず、一歩も引かなかったというのは、サリバンはこの点ではどうしても譲ることができない、と考えていたからに他なりません。

それがなぜだったのか、どういう目的意識に照らせば譲ることができないと考えられたのかは、次で明らかにされます。



それが、4段落目です。
 おそらくサリバンはこの食事という場においては食事という動物にとっても人間にとっても日常的に必要とする行動に対して、人間であるヘレンが日常的に動物の様な食事のあり方を蓄積していたのでは、人間として生活していくのにあたって必要な明確な像を頭の中に描くための知性や認識を積み重ねて行く事は出来ないと考えたのではないだろうか。そこでヘレンにスプーンで食事をとる、食後にナプキンを畳むといった人間として服従するべき習慣を体に教える事を通じて他者への服従を要求したのではないだろうか。
サリバンが、どうしてヘレンに正しい食事のあり方を学ばせようとしたのかが、過程的構造を意識しながらはっきりと書かれていますね。

そのとおり、人間が人間であるからには、同じ栄養価を満たせばどんな姿勢のどんな食事作法でも良いというわけにはゆかない、という人間観がサリバンの脳裏にはっきりと描かれていたから、彼女は譲らなかったわけです。

そしてまた、幼少期の日常生活の毎日毎日の繰り返しの中で、ひとつの個体は人間らしく「創られて」ゆくのですから、日々のふるまい方が間違っていれば、その感覚すら間違って創られていってしまうのだ、という指摘も正当です。不潔な環境で育ってしまっているのなら、家の中が髪の毛やホコリだらけであっても平気になってしまうどころか、それが好ましいとさえ感じられる感覚を身につけてしまうのであり、食事の前に歯磨きをすることや、髪の毛を濡れたままで放っておくなど、良くない生活習慣も同じようにして身についてしまったものなのです。


さらにここには、動物的に、つまり本能に任せたやり方で日常生活を送るのならば、「明確な像を頭の中に描」いて対象に働きかける、という人間存在の根本的な条件を満たすことすらもできなくなってゆく、という原則が書かれています。人間と動物を隔てているのは、まさにこの、目的意識をもって対象に働きかける、という、<労働>という観点においてです。動物は本能で行動しますが、人間はまだ現実には存在しない「こうなったらいいな」という目的意識という認識を脳裏に描き出す能力があり、それを満たすべく対象に働きかけるのです。サリバンが論理的・理論的にこのことをふまえていたかどうかは定かではありませんが、少なくとも彼女はそれまでの学習内容やヘレンとのかかわり合いの中から、経験的にではあってもこれらの原則をふまえられていたと考えられるのです。

そうしてさいごに、それらのサリバンの根本的な目的意識をふまえて、彼女がヘレンに、食事はきちんと座って素手ではなくスプーンを使って摂るものであり、食後にはナプキンを畳んでおくことが人間としての社会性にふさわしいものである、ということが述べられています。そのことに加えて、それらは幼少期から自然成長的に身につくものでなく、両親や保護者からわけもわからないうちにまずは身体で覚えこまされたあと、しだいしだいにその中身を埋めるように倫理観が追いついてゆく、という過程についてもおさえることができています。

基本線について、しっかりおさえられています。これだけのことがわかっているのであれば、人間とは、労働とは、教育とは、などの本質論が、大まかな体系として脳裏に出来上がりつつ実感があるのではないかと思います。それで間違ってはいませんので、より精進を続けてください。



細かい指摘は以上のようになりますが、これらを書き得たそもそもの理由というのは、やはりヘレンの認識のあり方をその時その場所の彼女の立場に立ってとらえ返そうとし、また、それをサリバンがどう見たか、というその認識のあり方を、同じく適切に我が身に捉え返してふまえることをやろうとしたからこそ、なのです。

そこには倫理観・労働観をふくめた正しい人間観があり、また、人間として創られる、ということの過程における構造の正しい把握があるのです。


(7につづく)

2013/09/13

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(5):1887.03.06 (IV)

(4のつづき)


このテーマを扱い始めてから、もう5つめの記事になるのにまだ初日ぶんから一歩も進んでいない…いったい、いつまで初日ぶんの読み解きを続けるのだろう…?
と思われる読者もあろうかと思いますが、「できるまでやる」というのが答えになります。

もちろん、隅から隅まで余さず理解し尽くすというのは土台無理な話であり、加えて体系的な理解を目指すのなら尚更、「かたっぱしから」進める、というのは方向性として間違っています。(なぜ間違っているのかわからない人は、たとえば、白いキャンバスに髪の先から書きはじめて全体をうまく捉えたデッサンができるかどうか、を考えてみられるとなんとなくイメージできるでしょう)

ただそれでも、やはり一定の理解に達しているのでなければ、焦って先に進むべきではありません。わたしが今回基準にしているのは、繰り返し述べているように、「自分はまだこんなにわからないところがあるのか…!」と、それぞれの学生さんにそれぞれのアタマで、はっきりと、自分のわかっていなさ加減をしっかりとわかってもらう、という段階です。もちろんこの段階というのは、「わからない、わからない」をかたちの上でだけ連呼することでは決してありません。

一般的に言って「わからない」と言いうるのは、「ここまではわかったが、この先に進もうとしても独力では到底無理である」というふうに、わかったところとまだわからないところとの線引きが、その線引きこそ(!)が、はっきりとした認識として浮上してきた場合だけです。このこともやはり、弁証法的な事実なのであって、わかるということとわからないということを統一して考えてゆかねば、わかるということの構造は決して把握しえないということができます。

しかしともかく、その段階にまで達していないのであれば、どうしても、何度も何度もあらゆる角度から問いかけをして考えていってもらう必要があるのです。辛抱して、ついてきてもらいたいと思います。

さて今回取り上げるレポートは、その点を満たしているでしょうか。

レポートの前に、今一度、参考書の、初日ぶんの内容をふまえておきましょう。前に引用した時は前半部だけでしたが、今回は後半部についても引いておきました。
(引用部として指定するとBloggerのシステムの都合上レイアウトが崩れてしまい、編集作業に時間を取られてしまうので、長文の引用については、今回の記事から色変えのみになっています)


◆『ヘレンケラーはどう教育されたか』本文◆

1887年 3月6日

 ……私がタスカンビアに着いたのは、(引用者註:3月3日の)六時半でした。ケラー夫人と兄さんのジェイムズ君が私を待っていてくださいました。おふたりの話では、この二日間列車の到着するたびに、誰かが迎えに出ていたとのことでした。駅から家までの一マイルばかりのドライブはとてもすばらしくて、気分の安らぐものでした。ケラー夫人が私より余り年上でないくらいお若く見えるのにおどろきました。ご主人のケラー大尉は私を中庭で出迎えて下さり、元気よく歓迎して心をこめた握手をしてくださいました。私は「ヘレンさんはどこですか?」と、まっさきにたずねました。私は熱い期待のために歩けないほどからだがふるえるのを一生懸命おさえようとしました。家に近づいたとき、戸口のところに子供が立っているのに気がつきました。ケラー大尉は、「あれです。あの子は、われわれが誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていました。そして母親が駅へあなたを迎えに行ってからというものずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。

 私が階段に足をかけるかかけないうちに、ヘレンは私の方へ突進してきました。もしケラー大尉がうしろで支えてくださらなかったら、突き倒されてしまったほどの力でした。

 彼女は、私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグをとりあげてあけようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎをまわすまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました。ヘレンの顔は、ぽっと赤くなり、お母さんがバッグをとりあげようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計をもたせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちはいっしょに二階にあがりました。

 そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。たぶん何か食べものが入っていると思ったのでしょう。おそらく友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがあるので、私のバッグのなかにも何か見つけようとしたのでしょう。私は、大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなずかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べるときにする身振りをしてみせ、もういちどうなずきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクのなかにおみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけおりました。数分でもどってくると、私の持ち物を片付けるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで眼が見えるかのように鏡の中をのぞくのは、とても喜劇的でした。

 これまで私はなんとなく青白くて神経質な子どもを想像していました。たぶんローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校に来たときのことをハウ博士が書いておられたものを読んで、そう考えたのでしょう。しかし、ヘレンには、青白くてひ弱なところは少しもありませんでした。大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。彼女は目の不自由な子どもたちによく見かけるような、みじめで神経質な気性をもち合わせていません。彼女は体格が良く、活気にあふれています。ケラー夫人のお話しだと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一日で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。

 彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。

 私のトランクが届くと、彼女はあけるのを手伝ってくれました。そして、パーキンス盲学校の少女たちが彼女に送った人形を見つけて喜びました。このとき、私は今が彼女に最初のことばを教える良い機会だと思いました。そこで、彼女の手に、ゆっくりと指文字で、d-o-l-lと綴りました。そして人形を指さし、うなずきました。うなずくことはあげるという合図なのです。彼女は誰かに何かをもらうときはいつも、その物を指さし、つぎに自分自身を指さし、うなずくのです。彼女は戸惑ったように、私の手にさわりました。私はまた、指文字をくり返して綴りました。彼女は、かなり上手に文字をまねて綴り、人形を指さしました。そこで私は人形を手にとりましたが、彼女が文字をうまく綴ったら人形をあげるつもりでした。ところがヘレンは人形をとりあげられてしまうと思ったのです。たちまち怒り出して、人形をつかもうとしました。私は頭を振り、彼女の指で文字を綴ろうとしましたが、彼女はますます怒ってしまいました。私はヘレンを力づくで椅子に座らせ、おさえつけましたので、くたくたになるほどでした。こういう争いを続けることは無駄だと気づき、彼女の気をそらすようにしなければなりませんでした。そこでヘレンを放してやったのです。でも、人形はわたしません。私は階下に行って、ケーキをもってきました(彼女はお菓子がとても好きなのです)。私はケーキをヘレンの方にさしだしながら、手にc-a-k-eと綴りました。もちろんケーキがほしかったので、彼女は取ろうとしました。けれども、私はまたこの単語を綴って、彼女の手を軽くたたきました。彼女はすぐに文字を綴ったので、ケーキを与えました。ケーキを取りあげられてしまうかもしれないと思っているらしく、大急ぎで食べてしまいました。それから、私は彼女に人形をさし出して、もう一度単語を綴りました。ケーキのときと同じように人形をさしだしたのです。彼女はd-o-lと文字を綴ったので、私がもう一つlを綴ってから、人形を与えました。ヘレンは人形をもって階下にかけ降りると、その日は一日中、どんなに誘われても私の部屋にもどってきませんでした。

 昨日(引用者註:3月5日)は、ヘレンに裁縫練習用カードを与えました。私が縦の第一番目の列をぬって彼女にそれをさわらせ、小さな穴の列がそのほかにもあることに気づかせました。彼女は喜んで仕事をはじめ、数分でやりおえましたが、とても手際よくできました。私は他の単語をためしてみようと思って、c-a-r-dと綴りました。彼女はc-aと綴ると手をとめて考えていました。そして食べる身振りをすると、ドアの方へ私を押しつけ、下の方を指したのですが、それは私がケーキをとりに階下に行くはずだという意味でした。あなたは、c-aという二つの文字が、金曜日の「授業」を彼女に思い出させたとお考えでしょう。でも彼女はケーキが物の名前であるということは全然わかりませんから、それは単なる連想だと私は思います。私はc-a-k-eという単語を綴り終わると、彼女の命令に従いました。ヘレンは喜びました。

 それから私はd-o-l-lと綴ると、人形を探しはじめました。彼女はあらゆる動作を手で追いかけ、私が人形を探していることがわかりました。私は下を指しましたが、それは人形が階下にあることを意味していました。私は、ケーキを持ってきてほしいとき彼女がするのと同じ身振りをして、彼女をドアの方へ押しやりました。ドアの方へ歩きかけて一瞬とまどったようですが、それは行こうか行くまいかどちらにしようかと考えたようです。そして彼女はかわりに私を下に行かせることに決めたのです。私は頭を振って、より強くd-o-l-lと綴ってドアを開けました。でも彼女は頑固に従おうとはしません。まだケーキを食べ終わっていなかったのです。そこで、私はケーキをとりあげると、人形をもってくるならケーキを返してあげるということを身振りで示しました。彼女は顔を真赤にすると、長い間じっと動かずに立っていました。ケーキがほしいという欲求が勝つと、階下にかけおり、人形をもってきました。もちろん、私はケーキを返してやりました。けれども、いくら説得しても、彼女は再び部屋に入ろうとはしませんでした。

 今朝(引用者註:3月6日)、私が手紙を書きはじめたとき、ヘレンはとても手におえませんでした。ずっと私のうしろにいて、紙の上やインク壺のなかに手をつっこみました。この便箋のしみは彼女のしわざです。最後に、私は幼稚園で使うビーズを思い出し、彼女にビーズを糸に通す仕事をさせました。最初に木のビーズを二個とガラスのビーズを一個おき、それから糸と二つのビーズの箱にさわらせました。彼女はうなずくと、すぐに糸いっぱいに木のビーズを通しはじめました。私は頭をふって、ビーズをすべてはずし、二個の木のビーズと一個のガラスのビーズをさわらせました。彼女はそれをじっくりと調べ、再び糸を通しはじめました。今回は、はじめにガラスのビーズを、つぎに二個の木のビーズをおきました。私はビーズをはずすと、最初に木のビーズ二個を通し、つぎにガラスのビーズを通すことを教えました。彼女は、そのあとではたやすくやりました。はやく、事実はやすぎるくらいに、糸にビーズをいっぱい通しました。糸に通し終わると両端を結び、首のまわりにビーズをかけました。私はつぎの糸には、十分大きな結び目を作らなかったので、彼女がビーズを通すとすぐぬけてしまいました。でも、彼女は糸にビーズを通してそれを結んで、自分の力で困難を解決しました。非常に賢い子だなと私は思いました。夕方までビーズで遊び、ときどき確かめてもらいに私のところへ糸をもってきました。

 私の眼はひどい炎症をおこしています。この手紙はとても乱暴に書かれたと思います。お話したいことがたくさんありすぎて、それらをどうやってうまく言い表したら良いか考えている暇がありませんでした。他の方には私の手紙をお見せにならないでください。でも、もしお望みなら、私の友だちには手紙を読み聞かせ下さっても結構です。



そして以下がレポートの内容です。


◆Oくんのレポート◆

 本書はヘレン・ケラーの幼少期の教育を担当したアン・サリバンがヘレンの教育に関してつづった手紙をまとめた物である。アン・サリバンは幼少期に目の病気を患い全盲に近い状態となった後に回復し、1887年に半年の準備期間を経てヘレンの教育に携わる事になる。おそらく自身が視力を一度大きく欠いてしまった事がヘレンの教育者として選出された一因ではないだろうか。また前述の準備期間中にサリバンはハウ博士による盲聾者であるローラ・ブリッジマンの教育に関する報告書による学習を行っている。

 サリバンはこの手紙を書く三日前の3月3日にヘレンと初対面をした。家の玄関に到着したサリバンに向かってヘレンは突進していき、サリバンのカバンをひったくろうとした。この際にヘレンの母親はヘレンに対してバッグに触ってはいけないという合図を行った後にヘレンからバッグを取り上げようとしている。一方のサリバンは腕時計を用いてヘレンの注意を引くことで事態を収拾した。この時に母親もサリバンもヘレンと厄介事を起こしたくないという気持ちは双方持ち合わせていたはずである(※1)。しかしながらヘレンに対する態度は全く違う物であった。仮に自分が同じ場面に居合わせたとしてもヘレンを無理やり押さえつけて服従させるか、「子供には子供の思う所があるのだろう」と看過していたはずである。ところがサリバンは力づくでヘレンを抑える事もヘレンを野放しにすることもなく、ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た。サリバンはこの時点で子供に対しての内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来るという考えをヘレンに対して持っていたのではないだろうか。
 この時点でサリバンはヘレンについて、想像していた青白い顔をして神経質な人間ではなく、活気にあふれた知的な顔をした人間であると評している一方で、めったに笑わず、母親以外の人に愛撫されるのを嫌がり、すぐに怒り出す短気さがあると記述している。(何故活気にあふれていながら感情の表現である笑顔がないのかは自分にはわからない。快感に対する反応である笑顔と不快感に対する反応である怒り、ここでは「暴れる」と言った行為の、出現の差の理由は何だろうか?)その直後にどの様に彼女を訓練し、制御するかが課題であるとして、ヘレンからの愛情を勝ち取ること、そして力だけでの征服は行わないものの、最初からある程度の従順さは要求するとの考えを記しており、この時点でサリバンはヘレンという人間がもつ衝動は、ただ発散する事を看過したり、抑えつける事では人間として必要な教育は出来ず、発散する仕方を整えてやらなければ人間として生きて行くために必要な方向へ発散させる事は出来ないと考えたのではないだろうか?

 続いてサリバンの日記は人形と言う言葉を人形と指で書いた文字を用いてヘレンに教えようとする場面に移る。この際にヘレンが自分の興味の対象であった人形をサリバンに取られるかもしれないという思い違いから激しく怒りだしてしまった。この時にサリバンは一度はなだめるために頭を振り、ヘレンの指で文字を綴ろうとしたが、ヘレンはますます激しく怒りだしてしまった。(このときヘレンが激しく怒りだした理由は母親以外の愛撫を受け付けない事とも関係するのだろうか?)結局この時は別の物で気を引くという考えに至り、お菓子が好きなヘレンにケーキを持ってくることで事態を収めた。(この時の発想も最初の腕時計に近い発想ではないだろうか?)
 その次にサリバンがヘレンに対して人形とケーキを用いて教育を行った一部始終が記述されている。この場面ではヘレンがcardの綴りとcakeの綴りを勘違いする一幕とケーキを用いてヘレンに対する服従を要求する場面が記されている。サリバンがヘレンにcard
という言葉を教えようとした時caという文字の形の記憶からケーキを連想し、サリバンにケーキを催促するのが前者の話である。サリバンはこの時に「連想だと思います」と記述している。この時のヘレンの頭の中は犬が餌を与えられる前に合図を受ける事によって次からその合図を受ける事によって餌の受け入れ態勢を整える犬と同様だったのではなかろうか?
 最後にサリバンが手紙を書いている際にヘレンが落ち着きなく過ごすために、ビーズを用いた仕事をヘレンにさせた事を記している。(この時にヘレンは一度自分が入れたビーズの入れ方が違うという事でサリバンにやり直しを命じられている。この事はヘレンにとって不快ではなかったのか?それともすでにヘレンの中にサリバン、他者に対する服従の心が芽生えつつあったのだろうか?)

 これらを見るにサリバンにとって最初の三日間はヘレンの衝動を人間として正しく発散させる事をその興味を別の物に移すという回り道をしながら教えるとい第一歩だったのだろうか?



このレポートには、かなりの数の「わからない」が含まれています。通常の大学の授業であれば、こんなものがレポートと呼べるか!と叱られるかもしれませんが、実のところ、本質的にはこれでよいのです。他の人間が「へぇ、そんなものか」と、なんとなく像を結んでおしまいになっているところを、「あれ、よく考えたらわからないぞ…?どこがわからないかと聞かれるとそれもわからないのだが、違和感みたいなものがここにあるな」とだけでも「わかって」いられるかどうかは、後々に大きく響いてくる大事な気付きなのです。だからこそ、鈍才のほうが最終的には伸びるのです。「ここがわからない!」と明確なわからなさでなくとも、「あれっ?」という違和感がある場合には、忘れないうちにしっかりとその箇所をマークしておくことです。
(わたしは学生さんに、本のなかで大事な箇所は赤で、わからない箇所は青で線を引いた上で、前者と後者についてそれぞれ上と下に折り目をつけておくことを薦めています。こうしておくと、背表紙を確認したとき、下側が折れたままになっている本は、まだ読み残した部分があるということが一目でわかります。)

さて今回は、読み進めるうちに解けてくる問いかけもありますから、まずは基本的な探究姿勢が不足している箇所を見ておきましょう。論者は、こう書いています。
 サリバンはこの手紙を書く三日前の3月3日にヘレンと初対面をした。家の玄関に到着したサリバンに向かってヘレンは突進していき、サリバンのカバンをひったくろうとした。この際にヘレンの母親はヘレンに対してバッグに触ってはいけないという合図を行った後にヘレンからバッグを取り上げようとしている。一方のサリバンは腕時計を用いてヘレンの注意を引くことで事態を収拾した。この時に母親もサリバンもヘレンと厄介事を起こしたくないという気持ちは双方持ち合わせていたはずである(※1)。しかしながらヘレンに対する態度は全く違う物であった。仮に自分が同じ場面に居合わせたとしてもヘレンを無理やり押さえつけて服従させるか、「子供には子供の思う所があるのだろう」と看過していたはずである。ところがサリバンは力づくでヘレンを抑える事もヘレンを野放しにすることもなく、ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た。サリバンはこの時点で子供に対しての内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来るという考えをヘレンに対して持っていたのではないだろうか。
ここでOくんは、サリバンが、ヘレンが彼女のバッグをとりあげようとしたことにたいして、腕時計を見せることで注意を引き騒ぎを静めた、という箇所についての考察を進めたわけですね。

たしかに、ここに書かれていることは、事実としては誤りではありません。そして、前回までの記事を受けて、「内発的な衝動というものは、ただ悪いものであるというわけではなく、それが正しく発揮されればむしろ大きな意義のあることである」と、ものごとをその両面から、つまり弁証法的につかもうとしているところまでは良いのです。

ただ、その事実の根底にある構造についての理解として見るならば、この理解は表面的・平面的な理解である、と言わなければならないのです。構造を見ようとしてはいるけれども、その見え方が単純である、ということなのです。

弁証法は、世界を常に変化し続けるものとしてとらえ、その運動法則を扱うものでした。つまりこれは、世界を静止したものとして見るのでなしに、過去から変化し続けたことで現在が存在するのであり、それはまた今もなお変化し続けているのだ、と、あらゆるものを変化の過程として見なければならないということです。それだけに、弁証法が扱う構造は、静止した構造ではなく、変化する対象の<過程的な構造>、<立体的な構造>でなければいけない、ということが言えるのです。



ここで論者は、サリバンがその認識において、「(ヘレンの)内的な衝動を抑えつけるのではなく、方向を定めてやればコントロールする事が出来る」と把握していたから、「ヘレンの興味を別の物に移すという行動を起こす事でたちまち騒ぎを鎮める事が出来た」のだ、としています。

しかし、ヘレンの内面で動き、その行動を規定している<内発的な衝動>(サリバンは他に<自発的な衝動>などと表現している)というものは、指導をはじめてから数年後、日々の指導の末にようやくまとめられた概念であることに注意を払わねばなりません。サリバンの指導の過程を追おうとするときには、のちに整理された概念をそのままに受け止めるのでなしに、その時点、その条件の下、サリバンが実践の積み重ねの中からつかみとってきた論理を、しだいしだいに体系化してゆく過程をこそ、自らの脳裏に繰り返してみなければならないのです。

たとえば以下の箇所など、読者のみなさんは深く感じ入るところがあったでしょうか?
そういうわけで、私たちはある一つの課題のために学習し、計画し、準備をしても、いざことをはこぶ段になると、あれほどの骨折りと誇りをもって追求した方法が、その場合にはふさわしくないことに気がつくことがあります。そこで、そうなると、私たちは心のなかにある何か、つまり知識や行動のためにもって生まれた能力を頼りにするほかはありません。その能力は、それが大いに必要となるまで、自分たちが持ち合わせていることに気づかなかったものです。(1887.03.11)
ここでこれからあることを申し上げたいのですが、あなたのお耳にだけ入れておいていただきたいのです。私の夢が必ず成就するだろうと私の内部でささやくものがあるのです。とてもありそうもない、馬鹿気た話だとは思いますが、ヘレンの教育がもしかしたらハウ博士の業績をしのぐことになるかもしれないと私は考えているのです。ヘレンは非常にすぐれた才能をもっていますし、私はその才能を発展させ訓練してやることができるだろうと信じております。どうしてそう考えるか私には言えません。ほんのしばらく前までは、私はどうやってこの仕事に手をつけたらいいか何の案もありませんでした。まるで暗闇の中にいるような気持ちでした。けれど、どういうわけか今ではそれがわかったような気がします。わかったということがわかったのです。それを説明することはできません。でも困難が生じても、途方に暮れたり懐疑的になったりすることはないでしょう。その困難にどう立ち向かったらよいのかわかっています。私はヘレンの独特の要求を見抜くことができます。それは何とすてきなことでしょう。(1887.06.02)

これらは、無我夢中の実践の中でも何か手がかりになるものがあるはずだ、という一念で、何度も何度もめげそうになる自分に活を入れながらひとつの道を歩み続け、その手探りの実践の中でしだいしだいに論理を引き出してきた人間の生きた実感がにじみ出ているとは思われませんか。このような実感を、その決意や喜びとともに、読者も筆者の立場に立って感じられているでしょうか。

もしそれができているのであれば、サリバンがまったくの手探りのまま日々目の前にうずたかく積まれ、また日々積み重ねられてゆく問題になんとか対処してゆくなかで、少しずつ少しずつ論理を引き出してきたのだということもわかるはずです。わたしたちが先人から何かを学ぶときには、当然にその残したものを読んでゆくわけですが、誰かが整理して「しまった」、整理し「終えてしまった」ものを、それが引き出されてきた努力を無視してかたちだけ受け止めてしまうような姿勢ではいけません。




さてやや話が逸れましたが、過程をしっかり見るということを、今回の文章に即して具体的に言えば、「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」という事実を、もっと具体的なところまで下りて、あたかもその場にいるかのように想像しながら、その過程、過程がどういう積み重なり方をしていたのかをしっかりと見てゆかなければいけないということになりますね。

繰り返しになりますが、今回取り上げた論者を含めて、ふだんから考えることが好きで得意な人ほど、「考える」ということを、いきなり「抽象化された概念を組み合わせたり足したり引いたりする」ことと直結させてはいけない、ということを常に肝に銘じておいてほしいと思います。このことを正しく表現するのならば、それは考える、ということでなしに、誰かが考えた結果の、いわば残骸を、かき集めてくっつけてそれなりのかたちにする、ということなのです。これでは、実践においても発揮しうる力を養うことはできません。

ほんとうの意味で考えるということは、誰かの出した結果だけを見るのでなく、その探究過程において、その者がどんな夢を抱きどんな困難に負けずに歩み続けたのかということを、自分の一身に繰り返してみることも含めてのことなのだ、と言っておきたいと思います。

さてその基本線に従って、サリバンの業績を追ってみてゆくことにしましょう。
まずサリバンの卓抜な認識力は、<相互浸透>のかたちにおいてこそ明確なかたちで浮かび上がってきます。一般的に言って、何らかの利点や優位性を調べる時には、それを<相互浸透>の関係に置いてみることが大事です。たとえば、親のありがたみを知るには親から離れて暮らしてみることが大事なのですし、生物にとって月がいかなる影響を与えたのかをしらべる時には、月がなければどうなっていたかと考えることが大事なのですし、自国の特徴を明確にするためには他国のあり方と比べてみることが大事になってくるのです。今回の場合で言えば、それは、サリバンとヘレンの母親の比較によってであるということが言えるでしょう。



まず「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」ことにたいして、ヘレンの母親はそれを遮り、「ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図」しましたね。

ここまでは、表面的な事実であり、また構造の面から言えば、ヘレンの母親の<表現>であるのです。ところで人間の表現は、必ずなんらかの認識に基づいていなければなりませんから、ここで大事なのは、ヘレンの母親の<表現>が、どういう<認識>に基いて表れてきたものであるのか、を考えてみることです。

そうすると、ヘレンの母親は、こんなふうにヘレンの内面を捉え返していたことがわかるはずです。
「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」(ヘレンの表現)

「サリバン先生のバッグをとりあげようとしている…ということは、この子はきっと『サリバン先生のバッグか、その中身がほしい』と思っているのね」(母親の認識)

「ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図する」(母親の表現)
母親は、ヘレンの表現だけを見ていたわけではありません。彼女の認識のあり方を、「…ということは、」というかたちで自分なりに捉え返した上で、ヘレンの認識を『』内のように考えたわけです。ここでは、ひとりの人間が他者の表現を見る際には、それがなぜ行われたのかを、その源泉たる認識に立ち返ってわが身に捉え返している、という構造があることをわかってください。



次に同じように、「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」という同じ場面を、サリバンはどう見たのか、を考えてみましょう。それはこんなふうになるのではないでしょうか。

「ヘレンがサリバンのバッグをとりあげようとした」(ヘレンの表現)

「私のバッグをとりあげようとしている…ということは、この子は『私のバッグか、その中身がほしい』と思っているのかしら…それとも…」(サリバンの認識a)

「(母親がバッグをとりあげようとしてヘレンはさらに腹を立てたのを見て、)それとも、ヘレンの欲求はもっと基本的なところにあって、たとえば『ただ好奇心を満たしたいだけ』なのかもしれない」(サリバンの認識b)

「ヘレンの手に腕時計をもたせてやる」(サリバンの表現)
サリバンの場合も、さきほど見た母親と同じように、ヘレンの認識を我が身のように捉え返している、そのおおまかな構造については同じです。しかし、母親の失敗にも助けられ、その中身が違ってきていることに着目してください。

ヘレンの「サリバンのバッグをとりあげようとした」という行動を見た時にも、母親は、「バッグを欲しがる→バッグかそれに関係するものが欲しいのだろう」と、ほぼ直接的なかたちでヘレンの認識を捉え返したのにたいし、サリバンは、「バッグを欲しがる→もっと根源的な欲求があるのかもしれない」と読み取ったのです。

ここで、ヘレンがサリバンのバッグを捕まえて離そうとしないという表現を見たサリバンが、その表現のあり方に引きずられることなく、「この子はバッグやその中身が欲しいのだ」と短絡しなかった、そのことがまずは大事なのです。

そして次に、ヘレンの欲求が実のところどういうものであるかをより深く検討してみたうえで、それは具体的な個物であるというよりも、抽象的でもやもやとしてはいるが心の底から沸き上がるような、「なにか楽しいことをしたい」、「なにか面白いことをしたい」といったたぐいのものであることを突き止めたのです。

こうしてたどってみて初めて、サリバンが後の報告書で<内発的な衝動>・<自発的な衝動>と呼ぶことになる、ヘレンがその認識の中に持つ欲求のあり方が引き出されつつある過程が自分のものになってゆくきっかけとなるのです。


より深く学習してゆく場合には、以前わたしが書いた記事文学考察: 風ばかー豊島与志雄や、三浦つとむ『認識と言語の理論 Ⅰ』、薄井坦子『科学的看護論 第3版』を参考にすると、人と人とのやりとりのうちに、互いの表現から互いの認識を逆向きに読み取るという二重構造が存在することがわかってくると思います。

現時点で「わからない」箇所にしっかりとマークをした上で、次の手紙の内容に進んでゆきましょう。


(6につづく)

2013/09/02

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(4):1887.03.06 (III)

(3のつづき)


レポートが出揃ったので見てゆきましょう。

それにしても、たいへんなテーマにとりかかってしまったものだと空を仰がんばかりの気持ちになります。
ただそれだけに、これを学生諸君とともに乗り越えられることができれば、いったいどれほどの意義があるだろうかという想いが、一念となって、力強くわたしの歩みを支えてくれてもいます。

今取り組んでいる一連の記事に、これほどに更新を滞らせるほどの意味があるのか?と訝しく思われている読者のみなさんの顔を思い浮かべると、申し訳ない思いもしてくるのですが、なんとしても今取り組まねば…という考えは、日増しに確かなものになってきているだけに、我慢して読み進めていくうちに、少しでもその気持ちを汲み取ってくださったら、と思わずにはいられません。

わたしたちは精神を持った人間です。機械的に切り分けて手を入れれば解明し働きかけ、そして直してゆけるような“ヒト”ではなく、ましてや“サル”では決してありません。
なのに、それなのに、間違った前提に立った実践や研究が、あまりにも目につきすぎるのです。

いいでしょうか、認識論があらゆる実践や研究に「絶対的に」、寸分の言い訳の余地もなく必要であるのは、我々が他でもない人間だから、です。それが必要ないと言い切れるのは、自分が対象としているもののなかに、何らの人間的な要素もなく、人間の手による歴史の蓄積もなく、これからも人間が関わってゆく余地も必要も可能性もない、という場合だけなのです。

あらゆる実践というからには、わたしたちの日常もそこにふくまれるのですが、そこですら踏み外しをしているのにもかかわらず、そのことを反省材料として扱うだけの認識に達していない人間は、到底一人前とは呼び得ないのではないでしょうか。

一人の人間が失敗から学ぶことで成長してゆくためには、「人のふり見て我がふり直せ」ということができているのでなければなりません。また、人が誤るのを実際に目の当たりにしなくとも、我がふりを、自分という聖域のなかに沈めたままでなしに、あくまでも客観的なものとして受け止め、率直に失敗を認めたり、時には自分の立場に反する決定をできうるだけの認識を持たねばなりません。

これらの認識を高めるためには、「人の気持ちを知れ」だとか「謙虚になれ」だとかいう訓示ではまったく不十分なのであって(なにしろ、各人それぞれの認識のレベルで「謙虚」の像を描くのですから)、それにふさわしい研鑽を、それにふさわしいだけの期間じっくりと積んでゆく必要があるのです。何度も言いますが、生まれつき人の気持ちをわかる人間などというものは居ません。それでも現実に、いわゆる「気の利く人」が存在するというのは、生活経験の中で、いわば自然状態の中で(本人もなんら気づくことなしに)、それなりの訓練を経てきているからです。決して生まれつきの天才ではありえず、また世に言う天才レベルでとどまるわけにはいかない我々は、自然成長に任せず自らの目的意識でもって、学んでゆくしかありません。

◆◆◆

これまでの記事(タイトルを短くしてあります)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(1)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(2):1887.03.06 (I)
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)



さて前回では、サリバン初日(1887.03.06)の教育の前半部を取り上げ、やや詳しく見てゆきました。

全体像をつかめと言ったり、詳しく見ることが必要だと言ったり、いったいお前は何をいいたいのだ、と言う方は、「<弁証法>的に」考えてもらうとしましょう。

今回のお題は、サリバンの教育全体のなかでの初日の位置づけとはどのようなものであったか、というものでした。基本的には以降でもそのように見てゆきますので、具体的事実には細かく言及しないことが多くなります。もちろん、必要な箇所についてはその旨指摘しますから、その他の部分についても、そのレベルで行間を読んでおかねばいけないのだ、ということはわかっていってくださることを期待します。

おことわりがすみましたので、まずはひとつのレポートを見てゆきましょう。

◆Oくんのレポート◆

この本を読むにあたって明らかにしておくべきは、この日記に記されているものはサリバンが「ヘレンを彼女の気質を保ったまま教育することを目的として、ヘレンの行動にあわせた教育方法について教師として観察に基づいた考察と行動をとる」ことを一貫していることである。この教師としてのサリバンの考えは「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という文章から見てとることが出来る。 
この手紙が書かれる3日前にサリバンはヘレンを始めて対面する事となる。その時から手紙に書かれている3日間のヘレンは「顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けて」いる、「ひどく短気で、わがまま」であり、「一瞬たりともじっとして」いない、「さわる物は何でも壊してしまう」ような子供であった。
一方でサリバンはヘレンを見て「彼女は体格が良く、活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」少女であると評価している。またサリバンがヘレンの自宅に赴いた際にヘレンはサリバンの到着といった周辺の状況の変化を明確に感じ取ることができ、身振り手振りで他者とのコミュニケーションを必要最小限には取れる事が示唆されている。
ここから人間として成長していくために必要な、周辺との関係を感じ取る能力の土台そのものや眼前の事態に対する疑問、あるいはより良い回答を求めようとする能力とそれらを支えるための身体や感受性が出来ていると読み取ることが出来る。しかしながら同時にサリバンはヘレンには人間が人間同士の関わりの中で人間として生きて行くためには足りない物が有ることをその顔つきや行動から察している。そこでサリバンは前述の通り「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、制御するか」という事が最大の課題と考え、それに対して「彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう」との答えを到着してすぐに出している。そして、3月11日には一週間の間共に過ごした経験から「彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なこと」だと述べている。これは人間として生きて行くためには服従、つまりは他者と生きて行くには何でも自分の思う通りにはいかないという事を洗脳に近い形で習慣として教え込むことが言語やその他の事象よりも優先して教育されるべきとサリバンが考えていると考えられる。
サリバンはヘレンの人間として生きて行くために必要な物、つまり従順さが欠けている原因について、ヘレンの失われた感覚そのものよりも、感覚を失ったヘレンに対する周囲の、特に家族のヘレンの意思には逆らわない態度とそれらの蓄積によって形成されたヘレンの脳内にある連想が大きな原因であることを看破し、ヘレンと家族が別居する事を3月11日に提案し、実行している。その結果、ヘレンはサリバンが到着してわずか2週間後の3月20日には「服従という最初の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づき」、ヘレンの父をして「あの子の静かなこと」というおどろきを与えるまでに変化したのである。
 
 服従という事を学んだヘレンに対してサリバンは言語に関する教育を施すことになる。サリバンが到着してすぐのヘレンの言語の能力というのは「いくつかの単語を知って」いるものの「単語の使い方や、物にはそれぞれ名前があるということはわかっていない」という物であった。これは彼女が単語の形から連想されるものから物事を判断しており、その単語が示すものの「像」を脳内でそれぞれの単語特有の形として作り出すことが出来ないと言える。この問題については4月5日にwaterという単語によって彼女の認識に「すべてのものは名前をもっていること」が生まれたことで大きな前進を遂げた。その上で4月10日というわずか一カ月の期間の中で、「ヘレンにとっては今や物は全て名前をもっていなければなりません」とサリバンが感じるほどの認識の変化とそれに伴う周辺の物事に対する情熱的な好奇心を生み出したのである。そしてここで注目すべきはこの好奇心の源泉は何も存在しない所から生まれた訳ではなく、サリバンの教育によって、人間として欠かすことのできない「服従」を体得した上で、彼女のもともと持つ「活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」気質が人間としてあるべき形で成長した、長所が伸ばされたと考えられる点である。 
 この様にサリバンはヘレンの教育の為には「彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練」するかが教育の軸であるとしつつも、その為にはヘレンに対して「正しい意味での従順さは要求する」ということが人間の土台として必要であることを考え、行動した。
 その結果、彼女は服従を覚え、自身の内側のエネルギーを人間として正しい形で使う事の一歩を踏み出すことが出来たのである。



もしわたしがこのレポートを、「認識論を高める」という目的意識でなしに、「読書感想文の書き方をうまくする」という目的意識でもって添削するとするならば、「きちんとまとまっています、よくできました」という評価をすることになるでしょう。

しかし問題は、このレポートが、ヘレンの状態を目の当たりにしたサリバンの認識のあり方を正しく捉え、そこを自分のことのように捉え返せているかどうか、という点にあります。

その観点から結論を出すならば、これではいけないのだ、これでは読めたことにはならないのだ、ということなのです。なまじ文章としてはそれなりに書けており、事実それなりに読めてしまうだけに、このことがかえって、自らの欠点を自覚することを妨げているようにさえ感じられます。

Oくんへのレポートの添削ははじめてではありませんから、わたしの論調はわかってもらえているはずなので、いつものとおり誤解を恐れず、率直に指摘してゆきましょう。わたしたちのやりたいのは仲良しこよしではありませんから、その意図は正しく汲み取ってくれると思います。

上で挙げた問題点は、結論の部分に集約されて顕れています。
ここで注目すべきはこの好奇心の源泉は何も存在しない所から生まれた訳ではなく、サリバンの教育によって、人間として欠かすことのできない「服従」を体得した上で、彼女のもともと持つ「活気にあふれて」おり、「自分の力で困難を解決」できる「非常に賢い」気質が人間としてあるべき形で成長した、長所が伸ばされたと考えられる点である。 
たしかにヘレンの気質をふまえ、そこにはたらきかけるサリバンの教育のあり方は、このようにまとめられないことはないのです。しかしたとえば仮に、こんなふうにもまとめてしまえるのではないでしょうか。
ヘレンはサリバンと会ってから「めったに笑わず」、「反応がにぶく」、「ひどく短気で、わがままで」あって、彼女が秘めた内発的な衝動は、そのやり場を見いだせず「さわる物は何んでもこわしてしま」います。サリバンが見たように、「彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りして」いる状態なのであって、サリバンの課題はここにこそあったのです。
Oくんのレポートでは、ヘレンがそのうちに秘めたまばゆいばかりの可能性が、サリバンの教育によって見事に開花されていった、というおおまかな流れが、あたかも前提としてあって、すべてがその約束された輝かしい結末へ向かって進行しているかのような描かれ方をしています。しかし、「本文を括弧書きで引用することが、直接的にその論証の正しさを証明する」という暗黙の了解を疑うことがなければ、ヘレンを以上のような、問題が山積みの少女として描き出すことであっても、正しい見方であるということになってしまいます。

通常の大学の講義で提出させられるレポートであれば、この姿勢でかまいませんし、それは一定の評価となり、さらに論者は自らの正しさについての自信を深めてゆくことになるのですが、さてでは、それをいざ実践に移すとなった段に、そこで学んだことがらが正しく発揮されるでしょうか?

自分がヘレンの家庭教師として推薦され、足を運んだこともないような場所にまで列車に揺られ、それまでの勉強をとおしてイメージしていた障害の少女像とはまったく違った少女が目の前に飛び込んできたら、あなたはその少女の認識のあり方、教育のされ方を一見して見て取って、暴れる彼女をおとなしくさせるために腕時計を与えることができたでしょうか?もしそれができそうもないということが自分の力で気づけたのであれば、「サリバンはどうして腕時計を与えたのか?他のものではいけなかったのか?ヘレンの欲しいものが何であると見抜いたからそうできたのか?…」と、考えてゆき、一定の答えを出すことができたでしょうか?

わたしが求めているのは、そういうこと、なのです。それが、認識論を高めるために必要なことなのです。
自分の問題の解き方のどこに落とし穴があったのか、少しわかりかけてきましたか。また文書を引用すれば結論も正しくなる式の形式主義の落とし穴がわかってきたでしょうか。


人の気持ちをわかるようになるための修練というものは、既に出てきた結果をまとめて物語にすればよい、というものではないのです。


あなたがこの本を学ぶために必要な姿勢は、「自分がこの時この場所にいたとしたら、サリバンと同じような教育ができただろうか?」という考えてゆくことであり、それがどうしてもできない!ことを自分のことのように思い知り叩きのめされ、自分のわからなさ加減をわからないものとして認識上に浮上させる、ということなのです。

この初日の手紙の中だけでも、先ほどの腕時計の問題のほか、「なぜ母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないのか?」、「サリバン流のある意味で厳しい教育を通して、なぜヘレンから愛情を引き出すことができるのか?引き出しうるのは拒否の姿勢だけでないとしたらどこがそうさせるのか?」、「物に名前があることがわからないという状態はどのようなものであるのか?すでに概念の存在を知った者はどうすればそれをイメージしうるのか?」などなど、無数の問題が浮上してくるのですし、そうでなければ読めたことにはならない、のです。

「ここがわからない、あれもわからない」というレポートでかまいませんので、また見せてもらいたいものです。

ほかのレポートも見ておきましょう。(以下、註釈についてはリンク先の原文を参照)


◆Aくんのレポート(あずまや、、: #1 『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』1887年3月6日)◆

 アン・サリバン(当時21歳)は約半年間の準備期間を経て、はじめてヘレン・ケラー(当時6歳9ヵ月)とあうこととなった。サリバンが熱い期待のもとこの日を向かえたのと同様に、ヘレンは前々から見知らぬ存在を察し、手に負えないほど興奮していた。サリバンは、興奮したヘレンに気おされることなく、注意を腕時計に向かせることによってその場をおさめた。ヘレンが彼女に与えた印象は、当初想像していた青白く神経質な子供とは真逆であった。気取って帽子をかぶることや、体格が良くたえず活発に動くところから身体的に健康である印象を与えた。事実、ヘレンが聴力と視力を失った日以来、病気にかかったことがないもようだ。一方、めったに笑わず、母親以外の愛撫を拒むような精神的にふさぎこんだ部分や、短気さやわがままさのような一面も兼ね備えていた。これらをふまえ、サリバンは短時間である方針を固めていた。 
課題:ヘレンの気質を損なわずに訓練し、制御すること。
方法:時間をかけ、ヘレンの愛情を勝ち取る。
必要条件:正しい意味での従順さを求める。
 
 以上の3点である。そして、すぐさま行動に移すこととなった。ヘレンが贈り物の人形(パーキンス盲学校の少女たちからのもの)を見つけたとき、彼女の手のひらに、ゆっくりと指文字でd-o-l-lと綴ったのである。このときのヘレンには物の名前という概念は乏しく、連想させる記号という方が近いと思われる。事実、c-aから始まる綴りから条件反射的に彼女に連想させるのが好物のc-a-k-eであった。ただし、これは現状でのヘレンの認識であり、決して理解力の欠如とはつながらない。その例として、ビーズを糸に通す仕事でのできごとがあげられる。それは木のビーズ2個とガラスのビーズを1個置きに糸に通す作業であるが、素材の違い、通す順番をすぐさま理解し、驚くほど早く通し終えた。また、サリバンがビーズが落ちない十分な結び目を糸に作らず、ヘレンにその糸を与えたときは、糸にビーズを通して結び、ビーズが落ちないように問題を自己解決した。このことから、サリバンは彼女の賢さを知ることとなる。 
◯ ◎ 
 サリバン先生の教育方針からすると、ヘレンのよさをのばしていく「導き」という印象を強く受けます。そのために、ヘレン自身のことはもちろん、家族のこともすごくよく観ています。ここでいうヘレンのよさというのは、好奇心旺盛で茶目っ気があり、活動的な気質のことです。たとえ、読み書きや人並みの生活をおくることが目的であったとしても、この気質を失うことはケラー夫妻もサリバン先生も、そしてヘレン自身望むことではないと思います。ですから、方針のひとつ目に掲げたのではないでしょうか。また、ゆっくりやりはじめて、ヘレンの愛情を勝ち取るということは、ケラー夫人の愛情が彼女に届いているということが前提となります。仮に、ケラー夫妻が愛情とはほど遠い「放任」という形でヘレンを甘やかしていたとするならば、サリバン先生が愛情をもってヘレンに接していることが、彼女に伝わるまでに多くの時間を費やすこととなったでしょう。そして最後の従順さをもとめることにおいては、兄ジェイムズの存在が大きかったと思います。彼は唯一ヘレンに対抗する存在であり、彼女のなかに「思い通りにならない何か」という概念を与えたことと思います。ただの暴君ではないということは、サリバン先生の考える「正しい意味での従順さ」を求めることの手助けとなったことでしょう。
 サリバン先生がこのような導きという考えに至った経緯には、彼女がヘレンの「看る世界」を経験したことが、少なからず関係していると思います。サリバン先生自身、子供の頃に目の病気をわずらって、ほとんど全盲になったことがあるのです。このことが、先入観をもたずにヘレンと接し、より多くの感情共有や意思疎通を行うきっかけを与えたのではないでしょうか。



Aくんの書き方も、さきほどのOくんのレポートのように優等生的・模範解答的なところがありますから、この場合もやはり、自分のわからなさ加減をわかってゆく必要があるのですが、最後の二段落ぶんの考察に関しては、その意識は少なからずあるように思われます。

というのも、よくも悪くも、考察のなかに、断言が見られないことからです。
「〜のではないでしょうか」が連続するということは、「これらは仮説の域を出ないが前後関係からするときっとこうであろう」という思いの現れでしょうから、これはこれで、わからなさをわかってきはじめている、とみなすことができます。

しかしこの正直さは逆に言えば、「これはこうである」と断言できないということでもあります。これらは、「幼児教育とはなにか」、「子どもにとって遊びとはなにか」、「言語とはなにか」、という、確かな考えの足がかりとなる原則論を押さえておかねば、なかなかに断言しがたいことでしょう。

それらを一挙に踏まえることは難しいですから、まずは認識論的に考えてゆくことにして、それもあらゆる問題をわからないわからないと言うのでなく、ひとつの具体的な問題だけを取り上げて、じっくり考えてゆく、という向きに進めてゆくとよいでしょう。

言語の問題は難しいですから、たとえば、ヘレンの「さわる物は何んでもこわしてしまう癖」に、サリバンがどう働きかけ、どのように治していったのか、を考えて書いてみてください。この時にも、自分がもし、この時この場所にこの境遇でおかれていたとするなら、同じことができただろうか?と、考えてゆくべきです。


さいごに、次を見ましょう。

◆ノブくんのレポート(ヘレン・ケラーはどう教育されたかー1887年3月6日(修正版))◆

 この作品はタイトルにもある通り、アン・サリバンによるケレン・ケラーへの実践記録(※1)を中心にして、彼女がどのように言語を習得していったのか、またそうした教育を通して、どのように人間としての精神を培われていったのかということが描かれています。というのも、皆さんもご存知の通り、ヘレン・ケラーという女性は幼い頃に重い病気を患ってしまい、以来耳が聞こえず目が目が見えず、よって言葉すらも覚える事が出来ない状態でした。周囲の人々はこんな彼女の様子を見て、きっとそれも仕方のないことであると諦めていたことでしょう。ところが、アン・サリバンが彼女の家に訪問してからたった2年のうちに、その状況は打ち破られてしまうことになるのです。彼女は盲、聾というハンデを乗り越えて、言葉を理解し、更には自分の口で会話する事もできるようになっていったのでした。そしてその背景には、精神的な成長があることも見過ごせない事実のひとつです。ヘレンは言葉を理解する以前は、短期でわがままで自分を抑えることを知らない野生児のような子供でした。それがサリバンの教育を受けていく中で、私達と何ら変わらない、若しくは私達以上の教養ある人々の中の1人として成長していったのです。
 そこでここでは、ヘレンがサリバンの教育を受け、言葉を理解し、自身で使っていけるようになる中で、彼女の精神というものがどのように変化し、人間的なものへと転化していったのかを見ていきたいと思います。
 
 サリバンがヘレン・ケラーと出会いを果たした1887年、3月3日。彼女はこの日から多くとも数日のうちに、ヘレンの教育に関する重大な欠点を見抜いていました。というのも、ヘレンは他人のバッグやプレゼント(キャンディ)を勝手に触る、探す。活発でとどまる事をしらないけれども、人間的な表情とは少し遠いそれをする等、とても7歳前の子供とは思えない(※2)行動や顔つきをしていたのです。彼女には明らかに精神的な欠陥があるのでした。
 通常、子供というものは外を思いっきり走ったり、友達と遊んだりする事によって、自身の内から湧き出る衝動を発散する事が出来ます。ところがヘレンの場合は、自身の障害の為にそれらの事が出来ないどころか、知ることすらないのです。よって彼女は決して解消される事のない内的な衝動を、自身の気の向く儘に少しずつ発散していくしかありません。また、彼女の両親が道徳的な人物でありながらも、ヘレンの障害が彼女へのしつけを困難にさせている事も見過ごせない点として挙げられるでしょう。
 
 そして上記を踏まえた上で、サリバンはヘレン・ケラーの教育において、〈彼女の内的な衝動を失わせる事なく、それを彼女自身に制御させ、いかに効率的に発散させていくか〉という目的論を獲得していったのです。ここで一部の人々からは、「内的な衝動が彼女の教育やしつけを妨げているのであれば、それを取り除いた方が良いのでは?」という声もあるやもしれません。確かにヘレンの場合、子供らしい内的な衝動が裏目に出ていることは明白です。ですが、子供のこうした衝動こそが、彼らを教育する上で欠かせない事も事実でしょう。例えば皆さんのうちにも、子供の頃友達よりも多く漢字を覚えて自慢したいという衝動から手が黒くなるまで字を書いた、或いはなかなか出来ない鉄棒の逆上がりを日が暮れるまで練習したといった経験を持っている方は少なくないはずです。子供の内的な衝動そのものが教育にとって害悪なものではなく、彼女の発散の仕方が悪いから害悪になっているだけなのです。
 またサリバンは自身の立てた目的論を達成する為に、力のみで征服しようとするのではなく(ここには、人間の道に逸れた場合にはそうするという含みがあります)、「ゆっくりはじめて、彼女の愛情をかちとろう」という方法論を立てていきました。(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
 例えば、幼い頃に習い事をした事のある方なら共感して頂けるとは思いますが、はじめは両親や先生から嫌々させられていた硬筆や剣道でも、ある日ふと褒められるようになり、やがては自ら先生に自分の字や技を見せるようになっていったという経験はないでしょうか。嫌々していた事でも、「褒められる」等して子供らしい欲求を満たされる事で、それが快感になっていった、という構造がそこにはあります。そして快感に変わっていく過程の中で、それまで怖いだけの教育者(両親、先生)が自分の欲求を満たしてくれる存在へと転化していったのではないでしょうか。そしてサリバンの場合も同じです。はじめは嫌われ、勉強が嫌いになったとしても、彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待しているのです。



まずは正誤の指摘です。くれぐれも注意してください。

正誤
・短期→短気


書き方として、まず本書全体のあらすじを簡単にでもまとめたうえで、サリバンのヘレンにたいする教育におけるはじめの段階を「野生児から人間へ」の過程として捉えたところは評価できます。

その上で、今回の考察の対象となっているのは、サリバンがヘレンと出会った当初に見出し、のちの報告書の中で「内的な衝動」としてまとめている概念についてです。

論者は、これを単に、子どもの扱いにくい部分として排除する見方を退け、そこと真剣に向き合ったからこそのサリバンの優れた教育があり得たのだ、と、弁証法的に考えを進めていけています。

続いて、わたしが前回指摘しておいた本書の細かな読み方を丁寧にふまえたうえで、「子どもの「内的な衝動」を活かす教育とはどういうものか」と、考えを進め、自分なりの答えを提示しています。

サリバンの初日の後半部にある、ヘレンにたいする言語面での指導内容について一言もないことは残念ですが、「内的な衝動」という、本書全体における重要な概念から逃げずに真正面から向き合っていることはここに評価しておくべきでしょう。

さて、このレポートの核心となっているのは、先程も述べた「内的な衝動」を活かす教育とはどういうものか」という問いについての考察です。その答えについては、仮説として提示されています。
(ここからは仮説でしかないのですが、)これは恐らく、はじめは内的な衝動を抑える訓練ばかりで不満が募るばかりかもしれないが、やがて正しく解消していく事を覚えれば、自然と自分への愛情が芽生えてくるということなのではないでしょうか。
具体例も挙げて説明がなされていますが、これは残念ながら、本書中にある理解から遠ざかっています。

1887.03.11の手紙を見てください。そこにはこうあります。
彼女が私に服従することを学ぶまでは、言語やその他のことを教えようとしても無駄なことが、私にははっきりわかりました。私はそのことについていろいろなことを考えましたが、考えれば考えるほど、服従こそが、知識ばかりか、愛さえもがこの子の心に入っていく門戸であると確信するようになりました。
ここには、サリバンの実践を通した実感として、服従が愛情の前提となっていると書かれています。

ひとまず、「内的な衝動を抑えること」と、「従順になること」、「服従すること」が同様のことを指しているということにして考えてみるとしても、「服従することを覚えれば自然に(=直接的に)愛情が芽生える」とするのは無理があります。

より精確に言えば、このことを<対立物への転化>として指摘したとしても、その過程的な構造についてはわかったことにはならないはずである、ということです。

たとえば、子ども憎しの一心で与えられた体罰によって服従を覚えた子どもが、保護者に対して愛情を芽生えさせるでしょうか。そうではないでしょう。
しかしだからといって、サリバンの言うとおり、どうしても必要な時には力づくで言うことを聞かさざるをえないという場合もあるわけですから、手を出すことそのものが絶対的に悪であるということではありません。しっかりとしつけられた子どもは、やはり愛情を開花させてゆくはずです。
そうすると、この問題をどう解くか、ということが、論者に与えられた課題です。

論者は、「彼女はヘレンの「褒められたい」という子供らしい欲求を満たしていく事で、自身への愛情が芽生え自ら進んで勉強していくようになっていくことを期待している」と述べていますが、この時点では、「(ヘレンが愛撫されるのを拒んだため、)彼女の愛情や思いやりや他人に賞賛を喜ぶ子供らしい心に訴えるすべが一つも」ないという状態(1887.03.11)なのですから、この問題から逃げずに取り組むべきです。やはりこれも、レポートとして提出してもらいたいと考えています。


(5につづく)

2013/08/13

『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(3):1887.03.06 (II)


(2のつづき)


週末の研究会に参加されたみなさん、お疲れさまでした。
猛暑のなかやって来たら、冷房もかけない屋内にカンヅメにされ議論させられたというので面食らったかもしれませんが、外的な環境に惑わされずに頭脳活動をしてゆくということも大事な勉強のうち、と考えてのことですのでご了承ください。
夏の間には、時間が許す時にはメリハリをつけて、河にでも繰り出すこともあるでしょう。

さて、以下はそこで行われた議論のおさらいですが、実際には研究はじめのこともあり、ありとあらゆる事柄に触れねばなりませんでした。というのも、この本を認識論的な段階で読むためには、「個人としての人の発展段階とはどういうものか」、「人類総体の発展段階とはどういうものか」に加えて、「言語とはどういうものか、どう生成されどう発展してきたのか」といったことにも言及せざるを得ないからです。おかげで、たいした文字数もない本の1ページを読むのに軽く1時間以上の時間をかけることになりました。(しかも、残された問題も少なくありません。また、以降の議論でも繰り返し繰り返し、耳にタコができるほどにそれらの過程を聞かされることになります)

しかしそれをここにすべて書き置くことはとうていできませんので、認識論の実力を高めたいと本心から思うのであれば、労を厭わず実際に議論に参加してもらうほかありません。今回の学生さんたちの反応は、「こんなにわからないところがあるのに、自分では気づけなかったのか…」というものでした。自分のわかっていなさ加減に気づくというのは、どんなことでも第一歩です。

今回はまず、本書の一番初め、サリバン女史がヘレンと出会ってすぐのところをじっくり読んでいきますが、これとて必ず、本書の全体像・一般論を仮説的な段階ででもつかんでおかねば本質的には何の意味もないことです。一見すると筋が通った考え方が誤りであったり、時にはかえって害になったりするのは、それが全体としての位置づけを欠いているから、つまり体系性を保持しえず枝葉の部分を議論することに始終しているからであって、科学史や社会史は、その実例をあまりにも豊富に提供してくれます。どんな時にも、ほんとうの意味での特殊性は、一般性に照らすことでしか絶対的に浮かび上がっては来ない(<相互浸透>)のですから、これまた絶対に、手を抜かないようにしてください。

議論で進められたのは1887年 3月6日のうち前半部のみですが、学生のみなさんにおいては、後半部は独力で読み進めた上で、1887年 3月6日その日全体のレポートを提出してください。課題は以前にもお伝えした通り、本書における1887年 3月6日の意義とはどういうものか、ということです。(詳細は以前の記事を参照のこと)

以下は、ただ漠然と読み進めるのでなく、赤字の引用をなんども読み返して、ヘレンの現状と、サリバンがそれにどう対処しようとしたかをまずは独力で考えてください。その上で、説明を読んで答え合わせをしてください。実力がつかないのは、姿勢がダメだからです。環境や向き合う素材のせいにするのは、単なる甘えです。

◆◆◆

1887年 3月6日(前半部のすべてを順に抜粋)
 ……私がタスカンビアに着いたのは、(引用者註:3月3日の)六時半でした。ケラー夫人と兄さんのジェイムズ君が私を待っていてくださいました。おふたりの話では、この二日間列車の到着するたびに、誰かが迎えに出ていたとのことでした。駅から家までの一マイルばかりのドライブはとてもすばらしくて、気分の安らぐものでした。ケラー夫人が私より余り年上でないくらいお若く見えるのにおどろきました。ご主人のケラー大尉は私を中庭で出迎えて下さり、元気よく歓迎して心をこめた握手をしてくださいました。私は「ヘレンさんはどこですか?」と、まっさきにたずねました。私は熱い期待のために歩けないほどからだがふるえるのを一生懸命おさえようとしました。家に近づいたとき、戸口のところに子供が立っているのに気がつきました。ケラー大尉は、「あれです。あの子は、われわれが誰かを一日中待っていることをずっと前から知っていました。そして母親が駅へあなたを迎えに行ってからというものずっと手におえないくらい興奮していました」と話してくださいました。 
 私が階段に足をかけるかかけないうちに、ヘレンは私の方へ突進してきました。もしケラー大尉がうしろで支えてくださらなかったら、突き倒されてしまったほどの力でした。
−−−

この時点でサリバン女史の脳裏には、報告書などで学んだ目の不自由な子どもたちの典型的なイメージがありますから、その類推でヘレンのことを想像してみて、「きっとこんなふうだろう」という彼女についてのイメージも持っています。
しかしこの、ヘレンとのはじめての出会いのとき、そのイメージが彼女の実態とはかけ離れたものであることに気付かされています。

サリバンにおいては、一般像を持っているからこそ、目の前の対象が持っている特殊性を浮き彫りにしえたのですから、その彼女の頭脳活動のあり方に読者は着目すべきです。また、ここにある<相互浸透>の重要性に、改めて読者は気づかねばなりません。


 彼女は、私の顔や服やバッグにさわり、私の手からバッグをとりあげてあけようとしました。バッグは簡単に開かなかったので、かぎ穴があるかどうか見つけようと注意深く探ってみました。かぎ穴を見つけると私をふり返り、かぎをまわすまねをして、バッグを指さしました。すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました。ヘレンの顔は、ぽっと赤くなり、お母さんがバッグをとりあげようとすると、ひどく腹を立てました。私は腕時計を見せて、彼女の注意を引くようにし、ヘレンの手に時計をもたせてやりました。するとたちまち騒ぎは静まり、私たちはいっしょに二階にあがりました。
−−−

ヘレンは初対面のサリバンのバッグを取り上げた上に、彼女にかぎを空けるように促してまでいます。このことを見たサリバンは、同じ年頃の女の子と比べると、現在のヘレンは、さすがにわがままに過ぎる、と感じたのではないでしょうか。

それに加えて大事なことは、「すると彼女の母が遮って、ヘレンにバッグにさわってはいけないと合図しました」とあることです。ヘレンがわがままであることに対して、彼女の母親にあっては、「(人間として)初対面の人にそういうことをすべきでない」という道徳的な観念をきちんと持っていることがわかります。しかしそれでも、ヘレンが母親の道徳をなぞらえるように同様の観念をまるで持てていないということは、ヘレンが育てられている環境のどこかに、なにか問題があるであろうことが浮上しつつあるわけです。

その問題は構造面から言えば、母親は正しい<認識>を持っているものの、それを子に正しく伝え、実際にそうさせられるための<表現>をどのようなものにすべきなのかが明らかでない、ということであり、これは<認識>と<表現>をつなぐ<技術>の問題であると言うことができます。

念押しに注意をすれば、この問題は、母親だけにあるのでもなく、子の側だけにあるのでもなく、子の特殊性に合わせた教育・しつけがどのようなものであるのかが明らかでない、という、互いの関係性にこそあるのだと、問題を<弁証法>的に捉える努力をしてもらいたいと思います。

母親をはじめとした両親に、教育やしつけの能力がまるでないわけではなく、ただヘレンの特殊性に合わせるのが難しいのだということは、兄ジェイムズがヘレンのわがままを制止しようとする姿を見れば、両親の教育・しつけを受けとめているであろうことからもわかります。

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次に、お母さんにバッグを取り上げられそうになったことで腹を立てたヘレンに、サリバンがどう対処したのかを見てください。
このときサリバンは、自分の腕時計で彼女の注意を引き、気分をなだめたとあります。

このことは単純で簡単なように見えますが、サリバンは、ヘレンは決してバッグそのものが欲しかったり触りたかったのではなく、彼女の「内発的な衝動」(「サリバン女史の報告書からの抜粋」、新版でp108)が、その発露を器質的な障害によって妨げられていることから行き場がなくなり、怒りとして出てきているのだと見抜いたからこそ、ヘレンの欲求を満たすだけの代替物を探し得たのだ、とわからねばなりません。

もし同じ状況で別の人物がここにいたのだとしたら、ヘレンからなんとかしてバッグを引き剥がそうとする母親と一緒になって、ヘレンが泣いて諦めるか、大人側が折れるかしなければ、騒ぎは静まらなかったはずです。

相手がなぜそのような行動したのかと考え、行動の源泉に遡り、大本の認識を自分のことのように感じ取った上で、その欲求を満たすことができうるということは、誰にでもできることではないのだ、それだけの訓練を積まねばならないのだ、と受け止めてほしいと思います。生まれつき、人の気持ちがよくわかるという人間など存在しません。そこに到達するまでには、それだけの目的的な実践の積み重ねがあったからです。

自分のわからなさがわかってきた、と言う学生のみなさんにあっては、このことを、それに相応しいだけの重さで受け止めてくれるものと期待しています。



 そこで私がバッグを開くと、彼女は熱心にバッグを調べました。たぶん何か食べものが入っていると思ったのでしょう。おそらく友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがあるので、私のバッグのなかにも何か見つけようとしたのでしょう。私は、大広間のトランクと私自身を指さし、頭をうなずかせて、私がトランクを持っていることを理解させました。それから、いつも彼女が食べるときにする身振りをしてみせ、もういちどうなずきました。彼女はすぐにそれを理解して、力強い身振りで、トランクのなかにおみやげのキャンディがあることをお母さんに教えるため、階下にかけおりました。数分でもどってくると、私の持ち物を片付けるのを手伝ってくれました。彼女が気取って私の帽子を斜めにかぶり、それからまるで眼が見えるかのように鏡の中をのぞくのは、とても喜劇的でした。
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サリバンは1階の大広間にトランクを置いて、ヘレンとともに2階の部屋(サリバンに割り振られた自室でしょうか)に上がりました。

このときヘレンは、おそらく「友だちがバッグのなかにおみやげのキャンディを入れてきたことがある」という経験から、サリバンのバッグにも何らかの甘いものが入っているだろうと思ったようです。
サリバンの場合は、たしかにおみやげは持ってきていたものの、それはバッグにではなく階下に置いてあるトランクに入れていたので、ヘレンが使っている身振りを自分でも使いながら、彼女にその旨をうまく伝えています。

ここで注意すべきなのは、ヘレンの認識のあり方です。
それは、ヘレンは、バッグというものの像を、自分の好きな甘いキャンディと「直接的に」結びつけて認識している、ということです。

わたしたち人間は、感覚器官を通した刺激をきっかけとして、それを頭脳において像(=認識)として受け止めた時には、そこに感情を加味した受け止め方をします。

この感情がどういうものになるのかは、それまで得てきた生活経験によって変わりますが、たとえば「目の前に犬がいる」という場面のことを考えてみてください。
一人の人間は、それを認識したとき、昔噛み付かれて病院へ運ばれた経験を思い起こし、不快感を抱きながら警戒することになるかもしれません。
しかしまた別の人間がそれを認識した時には、昔捨てられていた犬を助けてから、寝食を共にしてきたことを思い起こし、快として受け止めるかもしれません。

生活経験が多種多様であることによって、こういった問いかけ方が違ってゆくことになりますから、人間はそれぞれ、同様の対象を見た時にも様々な受け止め方をする、様々な問いかけをしながら対象を見ることになってゆくわけです。

ですからもし、ヘレンが、目が見え耳が聞こえるごく普通の6歳児であったのなら、「バッグ」の存在が感覚器官によって受け止められた時にも、いきなり直接的に「キャンディ」を連想したりせずに、豊富な生活経験の中から「本」や「衣服」、「おじさんの大事にしている懐中時計」などなど、バッグそのものの一般的な用途に照らしたバッグ像を思い浮かべるのかもしれないのです。

そのことに加えて、ヘレンに器質的な障害があることを気の毒に思った来客が、気を使ってキャンディを持って来、さらにそれがヘレンの好物となると、来る客、来る客がきまってキャンディを持ってくるようになったのかもしれません。

これらのことによって、ヘレンの像の作り方は、このような特殊性を帯びることになり、この場合であれば、「バッグ」と「キャンディ」を未分化のまま直結させた「バッグ→キャンディ」像を創るところまできているのです。

さらにもう一点、これらの原因の大きな土台となっている要因は、この時点ではヘレンが、「すべての物は名前を持っている」ことがまだわからない、ということにもよっているのです。(これをはじめて知るのは、1887.04.05です)

ですからやはり、ヘレンにとっては、「バッグ」と「キャンディ」という概念は、両者が曖昧模糊とした状態にあるのであって、区別がつけられるかと思えばつけられない、つけられないかと思えばつけられつつある、という状態なのです。(物には名前があることがわかった1887.04.24の段階でも、「帽子→歩く」像が曖昧である点に注意。この気付きによって、あらゆる概念が一挙に明確になったと考えてはいけません)


 これまで私はなんとなく青白くて神経質な子どもを想像していました。たぶんローラ・ブリッジマンがパーキンス盲学校に来たときのことをハウ博士が書いておられたものを読んで、そう考えたのでしょう。しかし、ヘレンには、青白くてひ弱なところは少しもありませんでした。大きくて丈夫そうで血色もよく、子馬のようにたえず動いて、じっとしていることはありません。彼女は目の不自由な子どもたちによく見かけるような、みじめで神経質な気性をもち合わせていません。彼女は体格が良く、活気にあふれています。ケラー夫人のお話しだと、聴力と視力を奪われてしまったあの病気以来、一日も病気をしたことがないということです。彼女の頭は大きくて、肩の上にまっすぐにのっています。顔は描写するのが困難です。顔つきは知的ですが、でも、動き、あるいは魂みたいなものが欠けています。口は大きくて、美しい形をしています。誰でも一日で、彼女が盲目であることに気づくでしょう。一方の目は他方より大きく、めだってとび出ています。彼女はめったに笑いません。私がこちらに来てから、彼女の笑い顔を見たのはほんの一度か二度です。また、反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならないようです。ひどく短気で、わがままで、兄のジェイムズの外は誰も彼女をおさえようとしませんでした。
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この箇所については前回も書いておいたとおりですが、サリバンは、ヘレンは器量に恵まれているとしながらも、「動き、あるいは魂みたいなものが欠けて」いると指摘しています。さらに彼女は「彼女はめったに笑」わず、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」ようで、「ひどく短気で、わがまま」である、と続けていますね。

これらの判断は、やはり一般の6歳児または障害を持った6歳児と比べてのものでしょう。サリバンはヘレンのうちに、「内発的な衝動」があるとしながらも、それをいかに表現しうるのか、すべきなのかがわからない状況があることを見てとっています。

これらのことから判断して、サリバンは、まず教育の前段階として、どうしても、ヘレンが自分の指導内容をまともに聞いてくれるだけの素地を、彼女のなかに創らねばならない、と考えていることがわかります。ですからここで、「しつけ」の問題が浮上してきたことになります。

また、上で述べた、サリバンがヘレンについて気にしたところのうち特に、「反応がにぶく、母親以外の人に愛撫されるのが我慢ならない」という点に関しては注意が必要です。

1887.03.11でこの時のことを振り返っているように、「しつけ」の段階において、ひとりの子どもを人間らしくしつけてゆくためには、当人が大人の真似であれ、とにかく社会的に良いことをした場合には、何らかの方法で、それを「あなたのしていることは(社会的に)良いことですよ」と伝えて、この先も同様にしてくれるようにうながしてゆかねばなりません。

それは、たとえば目を見て笑顔で頭を撫でたりするといったかたちで、子どもの「快」へと働きかけることなのです。こういうふうにして、子どもの認識・感覚のあり方を、原初的・動物的な「快・不快」から、人間的な社会的な規範や道徳へとつながるように導いてゆくことを「しつけ」と呼ぶのです。

ところが、ヘレンその人の精神的な発育段階は、こういった働きかけがしにくい状況にあったからこそ、サリバンの苦難があったのです。後日また出てきますので、そのとき改めて考えてゆきましょう。


 彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれから解決すべき最大の課題です。私はまずゆっくりやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しようとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょう。ヘレンの疲れを知らない活動は誰をも感心させます。ここにいたかと思うとあそこというふうにどこにでも動きまわり、一瞬たりともじっとしていません。手であらゆる物にさわりますが、長い間彼女の興味をひきつけておくものは何もありません。かわいい子どもです。彼女の休息を知らない魂は暗黒のなかを手探りしています。教えられたことがなく、満足することのない彼女の手は、物をどう扱っていいかわからないために、さわる物は何んでもこわしてしまいます。
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この日記が書かれているのが03.06で、ヘレンと出会ったのが03.03ですから、サリバンは、驚くべき早さでヘレンの教育についてその方向性を定めつつあることがわかります。ただこの課題に対する具体的な指導方法については、1887.03.11の時点でやや修正を迫られることになり、二人は二人だけで、「つたみどりの家」に一時住むことになります。

しかしともかく、サリバンの教育の基本方針は、あくまでも「愛情をかちと」ることによってヘレンを一人前の人間たらしめようとすることなのですが、それでも、必要な時には力づくでおさえつけることも避けられないであろうことを認めています。

ここで注意しなければいけないのは、一見、目を疑うようなことばが文中にあることです。「征服」というのがそれに当たります。このことばは、続く手紙のなかにあるように、ヘレンからすると「服従」ということなのですが、温情主義的な教育観から見れば、とても容認しがたいことを子どもに押し付けているようにすら映るのではないかと思います。

サリバンの場合には、現在のヘレンの状態を見ていると、ときには力づくでおさえつけて言うことを聞かせることすら必要と見ているようで、事実この次の日の朝には、「ヘレンと大げんか」をすることになってしまったのです。

こういう記述を見たとき、それを学ぶ読者にとって必要なのは、そこでどのような指導方法が行われているかということ以上に、それはどのような指導方針上の必要性に基いて行われたものであるのか、という、指導者の認識のあり方をわが身に捉え返して考えてゆくということ、なのです。

同じ頭を叩くという場合にも、生徒が自分のことを馬鹿にしたからカッとなって(=理性のタガが外れて)そうしたのか、生徒が人間として越えてはいけない一線を越えてしまったからそうしたのかでは、大きく違った理解をしなければなりません。
この認識をたぐり寄せる、という努力を怠ったり不可能であると見なす場合には、「どれくらいの強度で殴ったら体罰なのか」といったように、体罰を数値化しようとする安易で形式的な方向性に逃げ場を求めるものなのですが、これは言ってみれば、「どれくらいの強度で触ったら痴漢になるのか」と問いかけているようなものです。

認識という観点を抜きにしてしまっては、人間というものの本質には絶対的にたどり着けないのだ、と言うと、ほとんどの人はそれはそうだ、と同意してくれるのですが、いざ教育をはじめとした人間関係の問題に向きあう時に、数値化したり極端な実例を元に厳格に規則化しようとするのであれば、やはり、人間の本質を見落としていることになります。

サリバンが、愛と服従をヘレンにどうしても学んでもらわねばならないと考えていることを、「アメとムチ」のような、小手先の使い分けレベルで捉えてしまってはいけません。サリバンが言っているのは、人間が社会の中で営む愛というものについても、その土台には、社会的な基盤がなければならないということです。一個のヒトが社会的な存在、つまり人間になってゆくためには、社会性を身につけねばならず、それを架橋するのがしつけというものであり、その中には社会の成員の言動をわが身に捉え返す、つまり服従が必要になることもある、ということなのです。

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まだまだ書ききれないことばかりですが、この本をどのような段階において読み、読み込むことができれば、本書から学んだといえるのかが、なんとなくでもわかってもらえたのではないかと思います。

わたしたちがこの本から学ぶときには、まずおおまかに全体像を掴んで、大まかなサリバンの教育方針をつかまえておかねばなりません。
次に、そこで得た教育方針を念頭に置きながら、今回のように各部分をじっくり読んでみることで、それぞれの判断や行動の背後に、どのような人間観・教育論が土台となっていたのかを浮かび上がらせるべきです。

これらは、一般性と特殊性というものですが、この全体から個別へ、個別をまとめての全体へと、何度も何度もの、のぼりおりの繰り返しの中で、はじめて全体が体系立ったものとして頭脳のなかに浮かび上がってくるわけです。

ですからレポートを書く場合にも、人間観・教育論と個別的な指導内容とのつながりを考えて、「サリバンはこのような認識を持ち得たからこそ、このような指導が出来たのだ」ということを説明できていなければなりません。


(4につづく)