2010/10/27

MacBook Air 追記2

・友人からのメール

曰く、
古いMacBookを使っているし別に潰れてもいないのだけど、お前の浮かれた記事を見ているとAirも欲しくなってしまったじゃないか、どうしてくれるのだ。


…うん、気持ちはよくわかる。

自分でなにか明確な目的があって、なにか道具を作るならまだしも、こういう新しい既製品がポンと出てきてしまうと、それを買うに当たってはやっぱりなにか理由が欲しくなる。
家族を持つと、白をグレーとすっ飛ばして黒にするくらいの、とんでもないレベルの理由付けが必要だというし…。

で、この友人はMacBookの黒モデルをお持ちなのだが、実はスペックを探し出してくるほどのことでもないのだ。
というのは、今回の新Air、ノートブックに見えて、実はそうではないのである。


実は同じ88,800円のMacBookとAirを比べると、Airはスペックではほとんど負けている。
CPU、ディスプレイ、容量を比べると、こうなる。
・前者:2.4GHz、13.3、250GB
・後者:1.4GHz、11.6、 64GB

それなら、なにがそんなに違うかといえば、やはりハードディスク(以下HDD)を搭載していない、というところが、最大の要因なのだ。


馴染みのない人に説明しておくと、「HDD」というのは、レコードを何枚か重ねたような仕組みのもので、データを格納しておく場所である。
パソコンがスリープから覚めると、レコードの針が盤面へ向い、蓄積してあるデータを取り出してきてくれる。

こう書くとイメージがわくと思うが、想像の通り、この処理がとっても遅い。

そういうわけで、データを一時的に利用するために、読み出しの早い「メモリ」というものを用意して、体感速度を上げる工夫を随所に凝らしているのだ。
「CPU」に搭載してあるキャッシュというのも、少しでも早く、を実現するためのもの。


イメージとしては、
HDDは引き出しの数、メモリは作業場の広さ、CPUは作業員のかしこさ、と思えばいい。

◆◆◆

ここまで書いてくると、PCメーカーというのは、「少しでも早く」を実現するために、いろいろと工夫をこらしてきており、モデルチェンジのたびに「スペックが上がった」といえば、ここの数字が上がった=早くなった、ということだった。

今までは。


ところが今回のAir、ハードディスクという、コンピュータの足を引っ張っていた部分を、「メモリ」と同じような性質の「フラッシュメモリ」に変えてしまったから、話が変わってきた。


これまでのノートパソコンを、「馬力はあるが初速がとっても遅いクルマ」だとすると、
Airは、「馬力はそれほどでもないけど初速からフルスピードの出るクルマ」、ということになる。

ぜんぜん違うものだっていうことがわかるでしょ。


「でも馬力を出してからはこれまでのほうが早いんでしょ」と言われば、たしかにそうなのだ、ただし、パワーの必要な同じ作業をずっと続ける場合には、である。

PhotoshopでA1サイズのモデルさんのお肌をスベスベにレタッチしたり、
保育園での学芸会のわが子の様子をビデオ編集したり、
浮動小数点演算を一晩中続けたり、
創作活動に没頭するタイプの作業では、やはり馬力があったほうがいい。

ただ、メールをチェックしたり、Webで調べものをしたり、レポートを書いたり年賀状を印刷したりするのに、それほどのパワーが必要かというと、やはりそうではない。


事実、iPadには1GHzのCPUと256MBのメモリが搭載されているけれど、遅い、と言われることはまったくない。
ところがこれを、同じスペックのPCに置き換えたら、とても常用に耐えない、と思われること必至である。(5年前のノートパソコンはこれくらいだった)
 
これらがすべて、HDDを排除し、フラッシュメモリを採用したことで、新しいステップに上がることになったのだ。
AppleのCEOが新Airの発表時に、「iPadから学んだ」と繰り返し述べていたのは、ひとつにはこのことを指している。
 

結果として、スペックは見劣りするものの、ユーザー体験としてはこれまでにない快適さを、新しいAirは確保できているということだ。

これが、Appleをして「ノートブックの再発明」と言わしめる所以である。
(iPhone発表時は、「携帯電話の再発明」だった。同様の重みがかかっているのだ)

 

さて、ここまで説明しておけるようにしておけば、なんとなく決心がついてきたのではないかと思われるのだけど。

とりあえず、
「こここれは見た目はノートパソコンだけど、実は違うんだって!」
という言い訳はどうでしょうか。浮気したときの言い訳よりも、たぶんずっと楽です。

◆◆◆

さて、とにもかくにも、この4,5年でのこういう道具の進歩はめざましすぎると言ってもいい。
iPhoneに続きiPad、新MacBook Air。

これからの未来に脈絡と続くはずの製品群が、互いの高めあいとともに、お互いがそれぞれの形を確たるものとし、渦を巻いて噴出するかのごとく一気に花開いたように「見える」。
大げさではなく、これらすべての仕事が単一の組織によるものなのだから、驚きということばでは足りなさすぎるというものである。

わたしたちは、歴史の転換期を目の当たりにしている。

何度も言うが、決して大げさではない。
与えられたものを享受するだけの人間や、見た目の変化にだけしか目を向けられない人間には、決して読み取れない数えきれないほどの試行錯誤の積み重ねが、あたかも「突然現れ、たまたま成功した」ように見えるだけだ。

2 件のコメント:

  1. PCのこと詳しくないけれど、例えがわかりやすくて頭になじみます。
    PCを再検討したくなりました。

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  2. 馬力と初速度の違いか。使い分けか。

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