2010/10/27

MacBook Air 追記3

ああ…またやっちまった。

新しい道具を手に入れると、いろいろといじくりまわした挙句、
普段は自省を利かせて仕事に戻るようなことでも、いろいろと書いちゃう。

しかし読者のみなさん、
文字ばっかりの、やたらと批判めいた、堅苦しい論文調の、こんなBlogをよく読むね。
変わってるって言われませんか。

◆◆◆

さて追記3つ目です。
iPadと新Air、一般ユーザーにはどっちをすすめるべきか、というテーマをもう少し考えてみた。

「どっちも買えばいいじゃん!」っていうのは、実はちょっと問題ありなのだ。
というのも、iPadというのは実は、母艦となるMacかPCが必ず必要な製品で、
母艦側にもバックアップが残るために、iPad以上の容量が必須だから。

そうすると、16GBのiPadを買うと、64GBのAirはそれだけ消費されちゃうわけだ。
わたしが今回買ったAirは、全容量64GBのうち、OSが18GBほど確保しているので、
残りの40GBくらいから16GBぶんが引かれてしまう。これはつらいだろう。


そういう理由で、他に母艦となるPCがあれば良いのだが、
iPadの母艦としてAirを買うのはおすすめしない。

◆◆◆

さて、じゃあどちらかとなったときにどっち選べばいいか、というと、
前回も言ったとおり、結局は用途次第、ということになるが、
比べられるところは比べてみた。

まずブラウザの表示。画像をクリックすると、実物大で見れるはずだ。
iPadでの表示

新Airでの表示

ちょっと驚いたことに、表示領域としてはほとんど同じなのだ。
双方ともに、Appleの誇るデザイナー、ジョナサン・アイブのお姿が映るか映らないか、
というところまで表示されている。

ところがこれ、実はAirについては、ブックマークバーとステータスバーを非表示にしたときのものである。
デフォルトではブックマークバーが表示されており、さらに右側にあるDock(アプリケーションのランチャー、アイコンが並んでいるところだ)が下側に配置され、場所をとっている。

これを見ると、新Airでの画面の手狭さというのは、画面の小ささと、アスペクト比率が従来の16:10とは違った16:9になっていることからきていることがわかる。

MacOS Xの次期バージョンでは、アプリケーションの設計が、iPadのような全画面表示を前提としたものへと変えられてゆくようだが、PCにおける画面比率が、どんどんワイドになっていっていること、言い換えれば縦の長さが少なくなっていっていることとも関係がある。
(iLife '11のiPhoto ’11などを使ってみると、全画面表示を体感できる)

◆◆◆

では、PC業界は、なぜにそこまでしてワイド化を進めているかといえば、
そこで想定されている用途が、「動画」に類するものだからである。
単純化していえば、アスペクト比率4:3のノーマルサイズであったものが、
人間の視野と同じだけのサイズをより確保するために、16:9のワイドサイズになっていった。
これは映画業界が推進したビスタ・サイズが家庭内にもDVDといった形で普及してゆくのに伴って、家庭で用いられるテレビもが、ワイド化する必然性が出てきたためだ。


その流れを受けて現在出回っているPCは、ほとんどが16:10、最近では16:9が主流になってきつつある。
そこで目指されているものは、「動画」、そしてまた「映画」ということだ。


それにたいして、iPadといえば、4:3の画面比率を採用している。
これは、9.7インチもの画面をタッチパネルで作るという必要のために
既製のパーツが使えなかったということ以上に、
そこで目指されているものが、「紙」、そしてまた「本」だということだと推測できる。

手持ちのA4用紙は、いくら半分に折っても、常に同じ比率が維持されるようになっている。
これは、その比率が√2:1(約4.24:3)だからだが、iPadの画面比率はこれに近い。


文庫本などではより縦長のサイズもあるが、iPadがそれでも4:3を採用したのは、
横画面にしたときにも、「本」らしくなるように、とのことだと思う。

◆◆◆

そういうわけで、iPadとAir、どちらを選ぶべきか、となると、
歴史的にそれぞれが目指してきた過程を考えてみると、一般的には整理ができる。

iPadは「本」、Airは「映画」である。
選び方も、それに伴ったものになるはずだ。


事実、わたしはiPadをジップロックに入れて風呂に持ち込み、「i文庫HD」を常用している。
これは青空文庫をアプリ化したもので、Appleの公式BookStoreが日本上陸の目処さえ立ちそうもない現在においては、iPadの面目躍如、といったところだろう。
学術書のPDFやマンガビューアーとしても、これ以上ないアプリだと思う。


そうしてiPadは縦型をベースにしていることから、ブラウザの表示も、PCより遥かに快適だ。
上で比較した画面を縦向きにすると、こうなる。


雲泥の差である。

横書きという形態しか持ち得ない英文というものの制限から来ているとは言え、下へのスクロールを想定したWebページが、本来の用途であるPCではむしろ見づらいものになっているとは、なんとも皮肉である。
Webでも日本語の縦書きのフォーマットがしっかり整備されていたなら、英文よりもはるかにワイドスクリーンとの親和性が高かったはずだ。

◆◆◆

こうしてみると、キーボードというしがらみに捕らわれることのないタブレット型の機器は、
「縦にでも横にでも使える」ということが、いかなる利点になっているのかがわかってくる。

携帯電話業界でも、いわゆる「ガラケー」が、テンキーの存在に縛られ、
縦型の画面をベースにせざるをえないことは、論理的には同じ苦しみを抱えている。
iPhoneは、そもそも本体を縦にも横にもすることが容易なことで、この問題をやすやすと打ち破っている。

日本メーカーは、ガラケーからの類推で、画面がガチャガチャ回転して、
縦長の画面にできるノートPCなどでも出しそうなものであるが…
わたしはああいう小細工はバカバカしくて、どうしても好きになれないけれども。

◆◆

というわけで、ずいぶん話が遠くまで来てしまったけれど、
PCをこれまでにずっと使ってきた人や、積極的に創作活動をする人以外には、
実はiPadのほうがずっと使いよいのではないか、とも思うのだ。


平成生まれの学生さんたちを見ていると、「PCでどうやってメールアドレスを取得すればいいのかわかりません」といった人たちもたくさんいる。
そのうち、調べ方すらわからない、調べる気がない、という内に閉じこもりがちな人間も多いのは、教育における大問題なのだが、少なくとも彼らは、携帯電話でなら、けっこうな調べ物ができるのだ。
中には卒論まで携帯電話で書いた、なる人物もいるくらいである。あれにはさすがにたまげたが。

そういった人たちは、当然ながらタッチタイピングなどできるはずもないのだから、
そうなると、キーボードがないことの悩みなどもともとないのである。


情報を受け取ることがメインのタブレット型が、
彼らの創造性をさらに閉ざすことになるのでは、
という危惧もないではないが、そこは使い手の心がけに委ねたい。

もとより認識へ外界の反映を強いものにしようとすれば、
手を動かして直接文字を書くしかないのだから、
やっぱり万年筆で紙にバリバリ書きまくるに越したことはないのだし。


わたしのBlogも、手書きをスキャンすることにしようか、どうか。

2 件のコメント:

  1. 一番は手書きでしょうか

    双方うまく使えるように頑張ります。

    返信削除
  2. 確かにipad便利だわ!!

    返信削除