2010/12/08

文学考察: 巨男の話―新美南吉

文学考察: 巨男の話―新美南吉


◆ノブくんの評論
 ある大変遠くの森の中に、巨男とその母親の恐ろしい魔女が住んでいました。ある月夜のこと、そんな彼らの家に二人の女と一人の少女がやってきました。彼女たちは王女とその侍女で、森に遊びに来たところ迷ってしまったので、一晩泊めて欲しいというのです。魔女はやさしく彼女たちを受け入れました。ところが、巨男が目を覚ますと三人は魔女によって黒と白の三羽の鳥に変えられてしまったのです。やがて彼女たちは何処かへ飛び立っていきましたが、どうしてだか白い王女様鳥だけが魔女の家に戻ってきました。巨男は不憫に思い、彼女をこっそりと飼ってやることにしました。
 そうして時が経ち、魔女もやがて老いていきます。それにつれて彼女自身の魔法を息子に徐々に教えていき、そして白い鳥を不憫に思うやさしい巨男はある時、王女を元に戻す方法を知ることになるのです。果たして王女は元の姿に戻れるでしょうか。
 この作品では、〈自分のことも省みず、ただ相手のことだけを案じていた巨男の姿〉が描かれています。
 まず、王女の魔法を解く方法とは、「彼女が涙を流す」ことにあるのです。これを知った巨男は彼女にどうにかして涙を流させるかを常に考えていました。例え、自身がどんなに理不尽な目にあおうとも、どんなに苦しくても巨男は王女を肩に乗せて彼女のことだけを考えていました。この姿こそが私たちに感動を与えるのです。何故なら、自分の命を賭してまで王女を元の姿に戻そうとした彼の心情を私たちは考えずにはいられないはずです。ましてや、現実の世界でこの巨男のように全うに生きている人間にとっては尚更考えてしまうはずです。だからこそ彼の姿は、私たちを感動させるだけでなく、何か一物を抱えて生きている人々を励ましているようにも見えてくるはずなのです。

◆わたしのコメント

 あらすじの部分は悪くありません。
 しかし、論証の部分では、評論の読者に、共感を呼びかけるような文章が続いているだけで、なんらの評論にもなっていないことは残念です。

 「巨男」が、自分の母親の手によって白鳥に化かされた「お姫様」の<幸せ>を想い続けていたことは事実です。それは、彼をして自らを死に至らしめるほどの強さを持っていました。ところが、彼の死によって魔法を解かれ、元の姿に戻ることのできた「お姫様」は、王様たちにこう言っています。
 「私は、いつまでも白鳥でいて、 巨男の背中にとまっていたかったわ。」

 そうすると、彼女にとっての<幸せ>とは、いったい何だったのでしょうか。


 わたしは、<幸せ>ということばを、キーワードとして特別な括弧書きで扱いました。それは2箇所あったのですが、それらはまったく等しい意味で使われたものだったでしょうか。もし違うとしたら、それは<矛盾>なわけです。弁証法という論理は、たとえば同じ事象について論じたときにでも、そこに矛盾があることに着目して、その構造に深く分け入るためのものだったのですから、それを踏まえれば、続いてどういう論じ方をすべきだったのかが見えてくるのではないでしょうか。
 児童文学では、生身の人間のあり方を抽象した人物が物語を演じますが、だからといって、そこに人間にとっての深い感情が含まれていないことにはなりません。むしろ物語の構造が単純なことが、その物語の主張を明確に浮き上がらせてもいるのです。その事情を踏まえるならば、その物語について、ある確信を持ってキーワードを見つけ出さなければ、それを本当に理解したことにならない、ということになるでしょう。再読をお願いしておきます。


正誤
・これを知った巨男は彼女にどうにかして涙を流させるかを常に考えていました。
 →これを知った巨男は彼女にどうにかして涙を流させようと、常に考えていました。
 または、
 →これを知った巨男は彼女にどうすれば涙を流させることができるのかを常に考えていました。
・全うに生きている→真っ当に生きている

2 件のコメント:

  1. 自己犠牲と幸せ、この二つの正しさは判断しかねます。

    返信削除
  2. 自分の求める相手の<幸せ>と
    相手の求めている<幸せ>、

    自己の自分化では無い、
    的確な自己の相手化の努力、

    現在の自分にとっての<幸せ>と
    将来の自分にとっての<幸せ>…

    <幸せ>色々なのですね♪♪♪
    では~人間にとって真の<幸せ>とは?

    返信削除