2011/10/26

作家がペンを手放してはいけないのはなぜか:原則と実践の問題 (2)

(1のつづき)


前回の節では、表現過程についての原則を取り上げました。

それは一般的には「対象→認識→表現」であり、以前からの読者のみなさんにとってはもはや常識と言ってもよいほどの事柄ではあると思います。

ただ今回の一連の記事では、そういった原則を本当の意味でわかるとはどういうことなのか、というところに力点が置かれています。

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そもそもなぜに原則というものが必要とされるのかといえば、登山に例えて言うなら、それが山頂まで間違いなく辿り着くための道しるべになってくれるからです。

やる気を出せばなんとかなる式のやり方で学問という山を登ろうと志しても、その時に問題となるのは、「頂上までたどり着くことのできない道もある」ということであり、歴史を見れば、そういった無謀な試みは星の数ほど散見されることがよくわかります。

歴史の中には、あらゆる試みがあるのは確かながら、では現在でもなお色褪せない「古典」が、確かに残っているのはなぜでしょうか。
時代の寵児と言われながら歴史の風雪に耐え切れずその名を残すことがなかった作品と、その時代には評価されずとも現代にはその名を残している作品とは、どこが違っていたのでしょうか。

学問の世界では、そこでのはたらきを、「歴史性」と呼んで理解します。
古典的な名著は、歴史性を宿していたからこそ、そう呼ばれることになっていったのだ、ということです。

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ここで余談ですが、するどい一般の読者のみなさんは、「おまえは『古典に歴史性が含まれている』と言うが、事実的に古典的な名著とされる作品は誰でも挙げられるのであるから、それが残ってきた理由を云々したところで、結局恣意的な意味づけにすぎないのではないか」と思われるかもしれません。

言い換えれば、「歴史性が含まれているから古典となった」のではなくて、「古典として残った作品を歴史性を含んだものとして解釈しているだけ」なのではないか、ということですね。

とても良い質問です。

論理とは歴史的に生成されてきたものであり、歴史的な流れの構造をふまえることこそ論理なのであるという一事を押さえる場合でなければ、結論だけを言われてもなかなかピンとこない、という思いは(論理的にはともかく感情的には)とてもよく理解できます。
そしてそれは、学問の構築論にとって本質的な問いかけです。

わたしも学問の道を、経営学史研究からはじめて、学史一般学というものがありうるはずだと仮定したところで、数年間立ち止まって考え続けた人間でもある(思い返すと目頭が熱くなるほどにとても、とても長い年月でした…)のですが、ここではその疑問はそれを持った読者のみなさんが本当に納得するまで決して離さないで持っていてほしい、ということしか言うことができません。
それは、この部分の説明は、Blogなどではとても触れることのできないレベルの広がりと精確さを必要とされるからです。

ここでの記事を数年間読み続けてもらえれば、おぼろげながら歴史性についての像を描けるのではないかと期待しますが、それを待つよりも、最高の疑問を持つということはすでにもっとも答えに近いところにいることでもあるので、ご自分で専攻分野の歴史を歩まれてみて、そこでの歴史的な論理性(歴史性)がいかなるものなのかを探求することを強くお奨めしておきます。
問いかけそのものは正しいので、決して捨てないでください。

とりあえず、というところで、論理のレベルではなくて事実的な証拠に限って言えば、大哲学者ヘーゲルの哲学が、一般には「歴史哲学」と呼ばれていることや、ニュートンやアインシュタインなど歴史に名を残すことになった科学者が、例外なく科学の歴史に強い関心を持っており、科学の歴史についての書籍を書いていたことを想起されれば、十分な事実を確認できるはずです。

余談はここまでです。

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さて文芸の世界はさておくとして、少なくとも人類最高の叡智の結晶であるところの「学問」を扱う世界では、かつての偉人たちが創り上げてきた山を自分の足で登りきった上でなければ自分があたらしい歴史を創ってゆくことすらかなわないという重大な一事であったので、歴史性についての探究は、他の分野よりもよりいっそう強い形で自覚され、また深められていったということです。

そもそも、世界の根底に存在している真理を探求することが学問の役割であるとするならば、人類文化のひとつの形態である文芸についてもその射程内に収まっていることは当然というものです。

それでも、決して歴史は浅くない、どころか学問よりもはるかに歴史の深いはずの文芸という人類の営みについての「山頂までの登り方」が闇に包まれていたというのは、文芸側のそんな単純に割り切れるものではないといった自負を含んだ想いと、学問の側の実力不足の両面が原因となってきていたのでした。

前者の問題について言えば、たしかに文芸一般における歴史的な作品を見わたすときには、属人的な要素がとても強いように思われて、その歴史はあたかも、突如として現れた天才の手によって彩られてきたようにも思えます。

英文学に造詣の深い夏目漱石、科学的な素養のあったレオナルド・ダ・ヴィンチや、仏人思想家と交流のあった岡本太郎などはともかく、他の文筆家や芸術家の作品のなかに、歴史性なるものが含まれていたかと言われれば、必ずしもそうではないとも思えてきます。

しかし、「文芸は論理で単純に割り切れるものではない」という感触は、なにも文芸と言わずとも、高度に発達した感情を持つ人間という存在を論じるときには、ごく一般的に提出される反論のなかにも含まれています。

「人間は感情の動物である」と言われたり、パスカルが「心情は理性のあずかり知らぬところにある」と言ったり、果ては坂本龍馬が「人間は理ではなく利で動く」と言ったからこれが真理なのだとか、人間心理のうちの感情を強調したことばというものは、あらゆるところで人間の究極的な駆動要因として扱われていますが、これらは、感情と理性とが相反するものであるという前提に基づいているのであって、実のところ感情と理性というものは、あれかこれかと扱われるべきものではないのです。

現実が複雑であって理解の難しいものであればあるほど、その原則に降りて考えてゆくという姿勢と考え方、つまり学問や原則が必要なのであって、難しいからという理由を盾にとってわからなくてもよいというのであれば、それらは必要ないわけです。

学問は、複雑な人間心理であればこそ、論理的に理解しようとし、そのやり方を深めてきました。
そして同様に、そこでの認識論を踏まえた表現論は、文芸を志す人間にも、「頂上まで登りつめる」ための考え方をも提供するところにまで到達しつつあります。

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そういう理由があって、わたしのやり方も、単なる思いつきや経験主義的なやり方、また人生論のレベルではなく、学問のやり方に倣っているものですから、その目指すところもやはり、「頂上まで登りつめる」というところにしかありません。

一流という言葉は、頂上まで登りつめた上で、さらに次なる時代へ向けての道を創り上げてゆくことのできた人物だけに与えられるのであり、それ以外ではないのであって、この厳しさは、二流というものを許さず、それ以外は三流と呼ぶしかないほどに明確な区分があるほどのものだと言うべきです。

原則を押さえるというのは、おおむねこのような意味合いを含んでいるものであり、それが必要とされる理由は、それがなければ「頂上まで登りつめる」ことが叶わぬからに他なりません。

手前味噌に聞こえるかもしれませんが、わたしがあたらしい分野の基礎的な理解を、3ヶ月をめどに目標を立てて、知識的・技術的に、実際にある程度の段階にまで達していることを、身近にいる人は見てきていると思います。
これがなにもこのblogを書いているひとつの身体を持った個人の自慢などではないことは、この方法が、これまでの歴史を創り上げてきた人類が、星の数ほどの失敗の中で掴みとってきた学問的な方法を踏まえているからこその近道でしかないことからもわかります。
これはいわば学問の力が、歩むべき道を照らしてくれているだけにすぎないのであって、わたし個人の特殊な才能などでは決してないことと理解すべきであり、それはとりもなおさず、読者のみなさんも同じやり方を持ってすれば同じように進んでゆけることを意味しているものと理解してください。

一般の人たちが像として描いているような個人の「天の才」などは、人類総体としての叡智から見れば大した力を持ってはいません。
子供の頃には文字の読めなかった人間が、今では一日に200ページの学術書を読み、2万字の文章を書き、能力の高低を度外視して志だけを見て人を選び一定の段階まで指導していることを、学問の力を抜きにして説明できますか。
正しい方法が理解されたのであれば、あとは努力を重ねるかどうか、単にそれだけのことではないでしょうか。
生まれや育ちを言い訳にするのは、もう止めにしましょう。


(3につづく)

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