わたしは秋生まれだと思っていたのだけど、ちかごろの日本は、春、夏、冬!というような季節感だったので、もしかして夏生まれだったのかしら、と思い始めていたところである。
去年の今頃といえば、半袖で過ごしていた次の日にいきなり木枯らしの吹くような季節になっていて、心底残念な思いをしていたのではなかったか。
わたしは毎日外を走りに行くし、天気のいい日にはベランダで寝袋を使って寝たりするので、季節の変化には人とは比べものにならないくらい敏感なのだと思う。
季節の変化を、目から、耳から、口から、足の裏まで体全体で感じ取りながら生活することを心がけることは、大きな意味で地球環境との浸透を図ることに他ならない。
地球から独立した活動を行うようになった生命体は、地球の環境と繋がりつつ繋がってはいないという矛盾、つまり運動の形態として、「代謝」というはたらきを創り上げた。
環境から取り込んだものを自分化するとともに、それらを違った形に変えて環境へと戻すことで、自己の運動が直接に環境の運動を作り出している活動がそれであるが、そこでの独立というものは、あくまでも「相対的な独立」でなくてはならないところに、地球で育まれた生命体としての本質がある。
地球とのつながりが希薄になるような過ごし方、たとえば数百メートルもある高層ビルの屋上で引きこもって生活したり、スペースシャトルでの生活を行ったりすると、人間の身体というものは人間らしい生命活動を維持できなくなってゆく。
地球で生まれて地球で育ってきた生命体という歴史性を持ったわたしたちの身体は、大地を離れては生きてはゆけないわけである。
ついでに言えばだからこそ、地球の外に生命体を探すなどという試みが徒労に終わってしまうことにもなるのだ。月を媒介にした太陽との相互作用によるという極めて特殊な条件のもとで育まれることになった地球の生命現象を、あたかも普遍的に存在するもののように扱って、度外れに押し付けるというのは誤りである。
宇宙のことを調べてみるのも大いに結構だけれども、わたしたちは人間であるから、足元のことからしっかりと始めなければならない。身の回りの生活も、それと同じである。
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わたしはこの前から、いつものランニングを朝起きてすぐの時間に変えて、生活全体をそれにあわせたものへと整えてきたけれども、朝から身体を運動形態に整えておくと、いろいろなことがとても楽に進められるようになってきた。
朝の空気を吸い込みながら走るのは、時間が許せばもっと走っていたいなと思わせられる気持ちの良さがあり、今日はあれもしたい、これもしたいと思いを巡らせてみて、その日にできるぎりぎりの目標を組み立ててみる。
もっと走りたいけど時間も時間だし、あしたもまた来ようという思いを残して朝日が昇り始めるのを眺めながら自転車をこぐと、交通が動き始める頃に帰ることができるから、行き帰りで15分くらい時間が浮く。もうひとつ語学でもできそうである。
できれば裸足で、季節の彩りを眺めながら走ってみたいという気持ちもあるけれども、環境そのものの制約もあるから、いまのところはこれが限界のようだ。
しかし大人はまだしも、その都合に振り回されて都会のど真ん中の高層ビルで育てられている子供たちというのは、なんとも不憫としか言いようがない。
育ち盛りのころに、下の階に響くからと廊下も走らせてもらえないのであれば、心身ともにどれだけの歪さを備えて育ってしまうのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
生活というのは、人生をとおしてゆるがせにしてはならないもの、人間の本質を見据えてはじめて必要とみなしうる過程なのであって、生活が先に立つようでは「人間」の居場所などなくなってしまう。
日本人は、それを見据えるのが、実に下手である。
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さて、この文字ばっかりのBlogに来ちゃうような読者のみなさんは、本質を見据えすぎて爪弾きになり始めているころかもしれないけれども、やっぱり秋というのは、あれもしたくなり、これもしたくなるという季節のように思える。
事実この過ごしやすい時期には、新しいことをはじめるにはもってこいだと思うのだが、読者のみなさんはなにか新しい計画をお持ちだろうか。
わたしは来年から、いくつか動かしたいことがあるので、時間の合間に計画を練るのが楽しみなのだけども、とりあえずはいま取り組んでいることをきれいに終わらせてしまうのが先決である。
こう書いて思い出したけれども、先日の自転車用サイドバッグについて、サイズ感のわかる写真を載せろと言われたので、ついでに載せておくことにする。
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後ろにあるのは、Herz(ヘルツ)製の「ソフトダレス(Mサイズ)」。 |
無印良品製のA4バインダーを入れたところ。 3冊いれるとぱつんぱつん。 |
それからもうひとつ、サイドバッグを自転車に備え付けて走っていたら、鞄が落ちた。
こんなもんを人に使わせるわけにはいかないどうしたものか、と思っていたら、原因が判明。
ずっと前に作った革ベルト |
下のベルトがそれだ。
写真の金具部分を見ればわかるとおり、薄い革でベルトを作ると、ヒネリ(金具)の頭が斜めになっている。
これだとはまり方が緩いから、運転中に振動を受けると頭の部分が飛び出して抜け落ちてしまうんだね。
今では上のものに作り変えられているから、こんどはこれと同じものに、もう一重のロックを重ねたものを作って試運転を重ねてみる。
ただ試運転するのも時間がもったいないので、20kmほどサドルに載らずにずっとダンシングで乗っているのだが、これが下半身だけでなく上半身も全部使って乗れるからけっこう楽しい。
サドルを取っ払ってもよさそうだけど、サドルのない自転車に乗っていたら捕まるのか、どうか。
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