2011/12/31

年納めのごあいさつ

読者のみなさまには、


今年もお世話になりました。

ひとつの道を目指そうと決意した人間にとって、あれもこれもとなにもかも、人並みのやりかたでの生活上の幸せというのは、なかなかに満たしにくいものがあります。

自分の身体や時間やといったもろもろの制限を考えたとき、最終的な目指すところを見据えれば見据えるほど、家族との時間よりも仕事を、友人との約束よりも人の手助けをと、通常であれば人倫に悖るとも思われる選択をしなければならないことがでてきます。

そういうわけで、わたしは師やきょうだいや友人がしてくれることにたいして、あまり満足にお返しができていると思えたことはありません。

それでもひとつ言えるのは、そのために使えたはずの時間や力を、先につづく道のために、本質的な前進のために使おうということだけは、いつも心に誓っているということです。

◆◆◆

ここでの記事は、直接的には志をともにする友人たちとのやりとりを記録しておくための場所ではありますが、間接的には、それをとりまき見守ってくださる読者のみなさまへのご報告の場にもなってきつつあることは、そういう自分にとってはとても、とても嬉しく思われるところです。

引き続きのご批判を。

本年はありがとうございました。

◆◆◆

さいごに、わたしが師から賜ったことばを戒めと記して、擱筆とさせていただきます。

体当たりに 必ず骨を断つべしと
家伝一系 野武士剣法
 
   詠人不知

2011/12/24

文学考察: 牛乳と馬(修正版)

ハレの日だろうが変わらず修練に打ち込む学生諸氏の姿を見ると、


とても嬉しく、心の芯が暖かくなります。

その熱意に応えるべく、また負けじと思えばこそ、前進するための張り合いが出てくるものです。
年末でも年始でも変わらぬ熱意で連絡をくださるみなさんの内容には、いつも心を打たれるばかりで、なかなかにまともな返事をできないかわりに、ここでお礼を言いたいと思います。

ただ、季節の移り変わりを肌で感じることや、節句に主体的に取り組むということについては、どれほどに時間が許さない場合にも残り香に触れるということくらいはしてもらいたいなと思っていますから、ひとりの自立した<人間>として、メリハリをつけて毎日を大事に過ごしてくださるようにお願いしておきます。


◆ノブくんの評論◆

文学考察: 牛乳と馬(修正版)
ある日、秋子は軍馬とぶつかりそうになったことをきっかけに、その馬の主である小野田という男と知り合いになります。そして、この出会い以来、彼は何かにと理由をつけて牛乳を彼女の家まで届けることとなりました。そしてこの謎の男との出会いは、秋子の家族に異変をもたらします。特に彼女の姉である夏子は、彼が運んでくる牛乳は馬の臭いがする、夜、何も音がしないにも拘らず、馬の足音が聞こえてくる等と言い、小野田を意識している節がありました。
ですが、このような生活にも、別れの時が刻々と近づいていました。秋子の一家は今住んでいる土地を去り、東京に帰ることになっていたのです。そこで夏子と母は、彼をお食事に招こうという事を話し合っていました。これに関して、秋子は内心反発していましたが、結果的に自分から、彼を招いてしまうこととなってしまいます。
翌日、彼は彼女の家を訪れました。ですが、夏子の様子がいつもとは違い、妹の秋子ですら、姉から氷のような冷たいものを感じとらずにはいられませんでした。やがて姉は冷たい口調で、「わたし、小野田さんに伺いたいことがありますから。」と言って他の者を追い出してしまいます。そしてその内容とは、そもそも小野田は夏子の恋人の友人ではないのか、ということです。姉は彼の正体について薄々感づいていたのです。更に彼の方でも、その恋人から夏子に向けて、「愛も恋も一切白紙に還元して、別途な生き方をするようにとの切願だった。ついては、肌身離さず持ってた写真も返すとのこと。」との伝言を依頼されていました。しかし、この伝言を聞いて夏子は倒れてしまい、それが災いしたのかやがて死んでしまいました。
 
この作品では、〈事実を伝えようとしないこと、知ろうとしないことがいい事もある〉ということが描かれています。 
はじめに、秋子は、姉が死んでしまったことに対して、下記のような憤りを述べています。
「わたしは小野田さんを憎む。あのひとは本質的にはまだ軍人だ。軍馬種族だ。それについての憤りもある。わたしたち、お母さまもお姉さまもわたしも、まだ甘っぽい赤ん坊だ。ミルク種族だ。それについての憤りもある。」
では、これらはそのぞれのどのような行動、または態度を見て避難しているのでしょうか。まず、上記の憤りは、「結果的に」姉が死んだことに対して、彼女が事実を知ったために死んだのだと考えている事から感じているものなのです。そして小野田に対しては事実を告げようとした、その態度を非難しています。彼は姉が病気であると知り、恋人の伝言を伝えようか否かを迷っていました。ですが、それでも最終的には姉にそれを伝えてしまった為に、またそこから、軍人が上官の命令に対して、苦悩しながらもそれを実行する様を彷彿した為に、秋子は彼を「本質的には軍人」なのだと評しているのです。
では、一方の秋子達達、一家の態度についてはどうでしょうか。それについても、やはり彼女は憤りを感じています。姉は小野田が何か隠している事は知りつつも、その中身に対しては深く考えていませんでした。母は何も考えず、彼を招いてしまいました。秋子は秋子で、彼に心を許して小野田を家に入れてしまいました。これらの警戒心のなさから、自分たちを「まだ甘っぽい赤ん坊だ。ミルク種族だ。」と称し、避難せずにはいられなかったのです。


わたしのコメント◆

「秋子」の視点から紡がれたこの作品は、偶然知り合った「小野田」が、秋子の「姉」に、彼女の恋人が戦死したことを告げるまでを描いています。

おおまかなあらすじは論者がまとめたもので把握できますが、全体の構成について補足しておくと、「小野田」が「姉」に恋人の戦死を告げるまでには、相当な月日が流れており、この作品の文量のほとんどが、その付き合いがしだいに深くなってゆく描写に当てられています。

この作品を大きく分けたとき、
1.偶然知り合った「小野田」と「秋子」の家族との付き合い、
2.「小野田」の告白、
3.「姉」の病状の悪化と死、
という構成になり、紙数のほとんどが1.に割かれているわけですね。

この構成が作品内容に多大な影響を与えているのは、ひとえにその構成が、「小野田」の心情の揺れ動きを表しているからであり、彼が戦友の遺言に従い、偶然を装って「秋子」の家族に近づいてから、「姉」が病弱であることを知り、実際に彼女に恋人の死を告げるまでにはそれだけの逡巡があったということを表してもいるのです。

さいごの小野田の告白についても、秋子の一家が家族揃って転地するという前日に、姉に問いただされる形ではじめられるのですから、小野田の胸中いかほど、と察するに余りあるものがあります。
作中には、小野田がなにを考えて一家を探し、戦友の遺言を伝えるべきか否かを迷ったのかという表現は、「直接には」ほとんど出てきませんが、そのことがかえって、この作品を再読に値するものに仕上げているのです。

◆◆◆

作品の内容を結論から触れることにすると、感受性の強い秋子は、小野田が心の底に一物を抱えていることを見抜き、彼に最後まで心を許しませんでした。
それでも、彼女は小野田の逡巡を知らなかったわけではありません。
一家が転地をする予定であった前日に、姉と小野田がふたりで話したあと、姉が気を失い広縁に倒れている傍らで、彼女自身の写真が引き裂かれているのをみて、それまでの小野田にたいする疑惑が現実のものであったことを知り、すべてを悟っているのです。

ところが彼女はどうしても、それを受け入れることができません。
小野田が姉のことを気遣い、戦友であり姉の恋人でもある人間の死を隠していたことを知っても、それを打ち明けるようにほかでもない姉が迫ったことを知っても、それでもどうしても、小野田のことを許すことはできないのです。

秋子にとっては、姉の心情や体調がどうであるかがどんなことよりも優先されるのであって、実のところ小野田の逡巡がどうであるかが判明したあとにも、そのことが彼を許す気持ちにはまるで繋がってゆかないのです。

秋子の姉にたいする強い思いがあったればこそ、秋子の「小野田にたいする理解」が深まることと裏腹に、それがまるっきり「小野田を許す気持ち」には繋がらないどころか、彼への憤りへとさえ繋がってゆくところが、この作品の終焉をしこりを残したまま迎えることになる必然性を生み出しているわけです。

◆◆◆

通常の人間ドラマの描き方であれば、たとえば自分の家族を殺した犯人を追い詰めた場合にでも、当人の事情を深く知ってゆくにつれて、主人公の心の中に得体の知れないわだかまりが生まれ始め、あれほど憎かったはずの家族の敵を討つことへのためらいへと繋がってゆくことがあっても何らの不思議でもありませんね。

ところが、この作品はそうではない。そこが、この作品をこの作品たらしめているところであると言えそうです。


これを形式面から整理して言えば、論者の言うとおり、秋子はあくまでも姉の死という「結果」から、小野田当人も憎んでいますし、彼女の一家の防衛能力のなさについても憤りを感じることになっているのだ、という説明になってきます。

秋子はどんなことがあっても、結局は彼女の世界観から一歩も出ることはなかったのであって、そうだからこそ彼女の一家の世界観に、異分子である小野田の闖入を許してしまった自分たちの情けなさ、そして小野田本人への憤りがさいごまでくすぶり続けたのです。

では試みに、秋子が小野田になにを望んだかを考えてみるのなら、「いくら戦友の頼みであるとはいえ、病弱の姉を見ればその報がいかに姉を傷つけるものであるかは理解してくれて当然なのだから、どれほどに彼が自責の念に苦しめられたとしても、心に抱えて墓場まで携えていてほしかった」ということなのであり、もっと言えば、「彼女の一家に関わりすら持ってほしくはなかった」のだ、ということになりそうです。

◆◆◆

秋子の、小野田への恐ろしいまでの不酌量、しかもそれが不理解ではなくむしろ彼への心情理解から沸き上がっているところに、この作品の不気味さ、とともに特質があるという点からすると、論者の引き出した一般性〈事実を伝えようとしないこと、知ろうとしないことがいい事もある〉は十分な妥当性を持っていると言ってよいでしょう。

ほかにも、より低い観点から見れば、つまり論者の形式寄りの一般性よりも、より内容寄りの一般性としてならば、秋子が彼女の主観側から述懐していたように、秋子一家の「ミルク種族」と、小野田の属する「軍人種族」とが、決して相容れぬ世界観を秘め続けているところを、タイトルである『牛乳と馬』とからめて、<異なる世界観を決して受け入れることのなかった一人の女性の物語>などとしてもよさそうです。

もっとも論者にたいしては、かねてから「一般性を引き出すつもりで主体を探し回るのを止めよ」と厳しく言ってきましたから、そのことを念頭におけば、論者が今回の回答にたどり着いた過程も、実に理解できるところです。

ここについて付言しておくならば、上述の指導については、あくまでも一般性のすべてを登場人物の主体に帰することではいけない、ということですから、作品ごとの本質を一言で引き出そうとしたときに、それが自然と主体に近い表現となったときには、そのように明記してもかまわないのです。
あくまでも一般性とは、作品の本質を過不足無く一言で引き出したものである、というのが大原則ですから、本質さえ捉えられているのならば、表現は作品によって移り変わることも十分にありえるのですから。

もっとも、本質ありきの表現、という相互浸透については自分なりに理解してくれているものと思っています。

論者は今回、訓戒のような形で一般性を引き出してきて、それがこのような良い結果に繋がっているわけですが、だからといって、毎回訓戒風に書き抜けば一般性になるのだ、というふうな短絡には陥らないようにしてほしいと願っています。

本質のつかみ取り方がはっきりと自覚されれば、つまり文学作品の特殊性における本質というものの像が、自分のなかではっきりと掴み取れるようになったときには、その表現がどうであるかに自分の自信が揺るがされることは無くなります。
そのときまで、自分のなかでの「ああでもない、こうでもない」という過程を大事に、大事にしながら、自らの認識のありかたそのものを質的に転化されるまでの修練を続けてください。

◆◆◆

今回の評論を全体的に評すると、あらすじは悪くなく、一般性についての理解は十分であるものの、評論の質が安定するまでの一時的な措置であると読み取れるが、やはり論証部こそが評論の命であるからには、その中の身近な例示による論証をぜひ読ませてほしかった、ということになるでしょう。誤字脱字の多さについて指摘せざるをえないことは残念ですが、厳しく指摘しておきます。

文中に、「上記の憤りは、「結果的に」姉が死んだことに対して、彼女が事実を知ったために死んだのだと考えている事から感じているもの」だと、括弧付きで表現したことから察するに、そこに自分なりの力点が置かれていることはうかがい知れたため、そこをふくらませる形で今回のコメントを書いてきましたが、そのことが、論者が認識としてはおぼろげにあったものの表現にまで至らなかった内容についての手がかりになるのではないかなと考えています。

「認識→表現」に至る矢印は、学問でいうところの認識の実践的な適用である「技術」に当たる部分ですから、ここを伸ばしてゆくには、とにもかくにもアタマのなかにあるものをそのままにしておかずに、表現して、表現して、表現し続けるのみ、ということになります。
そのような目的意識をもって、修練に当たってください。


【評論中の正誤】
・では、これらはそのぞれのどのような行動
・または態度を見て避難しているのでしょうか。→非難
・では、一方の秋子達達、
・避難せずにはいられなかったのです。

2011/12/22

師事するとはどういうことか

以前の記事、


「構成とはなにを意味するか」は、5つめの節がまだ公開されないままになっていましたね。

(1)〜(4)までが一般的な意味合いの構成について書いたあと、(5)で、文学作品という特殊性に照らして書き進めてゆく予定でしたが、時期尚早の感があり公開を控えているのです。

今回の記事は、一昨日公開の記事で書きかけていたことを独立させたものですが、構成についての考え方をすこし含んでいますから、「構成とはなにを意味するか」の5節目の内容を先取りする形になっているかもしれません。

ただこの記事が書かれた理由というのは、日々自らの専攻する分野の修練に余念が無いはずの人たちが、いつまで経っても監督者に見張られていないと、だんだんと手を抜きがちになってしまうということを目にしてきたからです。
そうして、そういう自分の性質をいちばん不甲斐なく思っているのが、他でもない本人たちであることを見てきたからです。

ここには、その時々でこまめに連絡をとってモチベーションを維持するのが後進育成の秘訣なのだ、などといった自己啓発本レベルの根性論などではどうにもならない大きな問題があるのであって、そもそもこれが根本的な欠陥であるのは、どんな指導者でも後進の人生を代わりに生きてやることは絶対にできないからこその問題なのです。

そういうわけで、ひとり修練がどうしてもうまくいかない、いつまで経っても誰かに見ていてもらわないと横道に逸れてしまう、やれと言われたとおりにやっているのになぜか評価してもらえない、という人には、ほんの触りですがすこしは参考になる記事なのではないかなと思っています。

ただいちおうは前回の評論へのコメントの続きとして書かれているので、まずは文学の評論について触れさせてください。

◆◆◆

本題を始める前に、作品に忠実な評論を書く手順をおさらいしておきましょう。

まずは一読する中で作品に忠実に一般性を引き出してきたあと、それを仮説として持ちながら作品にふたたび向き合い、その一般性で作品全体が鮮やかに解ききれることを確認しながら表現を修正し、否定の否定の段階を経た本質的な規定である<一般性>として提示する、ということが基本線なのでした。

認識そのものをきちんとした論理的なものとして完成させてほしいわたしとしては、細かな表現はさておき、論者が認識している論理性をこそ確かめたいと考えていますから、実のところこの<一般性>を一目見て、的確であると判断できれば他の論証部については提出してもらわなくともよいとも思っています。

それでも、文章というものの評価には、最終的には全体の構成のほかに、細かな表現までもが厳しく問われることになりますから、毎日のように自らのアタマを働かせ、手を動かして文字を書いて修練に当たってもらうことがどうしても必要なので、「あらすじ」と「論証」部も、その意味において重視しています。

ただそうはいっても、<一般性>が正しくなければどうしても全体の評論としての質が引きずられてしまいますから、ここが過不足無く引き出せているかどうかについては、もっとも力を注いでもらわなければならないということをふまえておいてください。

◆◆◆

わたしは、文学の読解であれば、その作品の本質を一言で言うとしたらどうなるかと、作品を<一般性>として把握しなさいと言いますし、他の分野を専攻する人にも、乗り越えねばならない本を取り上げて、その本の節ごとにタイトルをつけなさい、主張を一言で言いなさい、と言うことにしています。

これは、全体を過不足無く一言で表現するとき、つまり極めて単純な形で要約するときには、当人のアタマの中で、「ああでもない、こうでもない」という議論が闘わされるからです。
そこでの正しい答えがほとんどひとつのところに収斂してゆくというのは、ギリシャ時代に哲学者たちが、「ああでもない、こうでもない」と議論をするなかで、ことばの意味内容が埋められていったのと同一の過程を踏んでいるのです。
それが、弁証法のもっとも初期の段階としてあったのでしたね。
また実利的にも、答えが一つになるので答え合わせがとてもしやすい、という利点もあるのです。

こう言うと、いくつかの正しい答えがありうるのではないですか、と言われることもありますが、小規模な文章を一言で要約するときには、まず答えは1つになると言ってもよいでしょう。
なぜなら、最終的にふたつの一般性が答えとしてあり得るとなったときにでも、それぞれの一般性を鍵にして作品に向き合いなおしてみたときには、「ここは解けないのではないですか」、「いやそこは、行間をこう読めばぴったりくるのでは」、「なるほど、でもここはどうですか」、というふうに、その一般性で作品全体が鮮やかに解ききれるのはどちらかと意見を出し合うなかで、やはりどちらかの一般性のほうが優れているのだ、という合意に辿りつくからです。
(もっとも、自分の意見を正しいことにしたい、という人間が相手である場合はこの限りではありませんが…幸いなことに、わたしのそばにはそういう人間は一人もおりません。あくまでも、それが正しい意見なのならば、もともとの出所が誰のものであろうとも等しく尊重しようとする人たちばかりです。だって、そのほうが誰にとっても成長しますから。一歩でも先に進みたくて集まっているのですから。)

◆◆◆

そうして議論を尽くしたときにはひとつのところに収斂されてゆくはずの<一般性>について、いくら<一般性>に力を入れましたと言われても結論としてガッカリせざるを得ないというときがあるのは、そこで書かれている一般性が、あまりに議論が尽くされて「いなさすぎる」ことを目の当たりにしたときです。

議論というのは、現象ばかりに目を向けてしまう人にとっては、複数人であれやこれやと話し合うというイメージしかないかもしれませんが、これはなにも、実体を持った人間が膝を付き合わせて話し合うことを指すばかりではなく、アタマの中に、観念的に置いた人物との対話でもよいのです。

ところで、議論する相手を、自分の妹に設定するか、乗り越えたいと思う偉人に設定するかは、実践上の必要性によって選ばれます。
議論の必要性はなにも、自分よりも実力が上の人間だけに限ることはないのですが、一言で言えば、「観念的な人物が誰でも良いかといえばそんなことはない」というのは言われなくてもわかってもらっているはずのことですね。
でももし本当にわかってるのなら、提出するレポートに厳しい評価をせずにすんでいるはずでしょう。

わたしたちは、人生の岐路に差し掛かって大事な決断をしなければならない時や、周囲からの不理解に耐えかねて価値判断の基準が揺らいでしまいそうなときには、かつての偉人や自分の人生で直接師事した人のことをアタマに思い浮かべて、「あの人ならなんと言うだろうか」と問いかけてみますね。
もちろん、つい最近知り合った人を観念的な像として持つことは難しいですから、ここには相互浸透的な量質転化、量質転化的な相互浸透の過程が必要なのですが、それでも、多かれ少なかれ誰しもが、こうして他者の考えを手がかりにして自らの歩みを先に進めようとします。

原則を言えば、自分のそれを凌駕する人の認識過程を読み取ることは難しいものですが、それでも、表向きの行動指針や作品について、「あの人ならなんと言うだろうか」という判断は十分にしうるものです。(エドガー・アラン・ポー『盗まれた手紙』中の、「丁か半か」を当てるのがうまい少年の話を参照)
またそうであるからこそ、そうされるであろうと考えられる評価を手がかりとして、「これではまだダメだ、まだ褒めてはもらえないだろう」と、自らの実力をその人の立場から判断し、さらには越えてゆくことができるわけです。
(ここの上達の論理はとても難しいですね。この過程が鮮やかに理解できているのなら、自分の認識が弁証法的なものになりつつあると判断して結構です。逆にまだわからないときには、形而上学的にしか物事を考えられていないということになります。)

◆◆◆

個人的なことですが、わたしは長い間、生身の人間の中に直接師事できる人がいませんでしたから、そのあいだはずっと、アタマの中に残るかつての師の印象をたぐり寄せたり、本の中の偉人たちと向き合い、観念的な師との議論を闘わせる中でその時の自分を乗り越えさせられる形で、己を磨いてきました。
それは今でもなんらの変わりもないのですが、そういう立場から見て、学生(もちろん職業が学生、というだけに限りません)のみなさんに致命的に足りていないと思うのは、そういった観念的な二重化の発想と姿勢です。

余談のように聞こえるかもしれませんが、関西は京都の近くに哲学の道というものがあり、かつての哲学者が哲学書を読みふけったあとに出かけ、そこで思索を巡らせたのだと伝えられていることを知っている方もおられるでしょう。
あれは、文字表現として書き起こされた文章は、あくまでも知識的・論理的に、静的に習得されるのと比べて、尊敬する偉人を観念的にアタマの中に置いたあと同じ方向を見つめながら並んで歩く、という行動が、自分の実践上の問題に照らして物事を動的に解決してゆくためにはどうしても必要だったのではないか、とわたしは思っています。

観念的な偉人と並んで話しながら歩こうとしてみると、その議論を尽くそうとすればするほどに、相手の像がまだ自分の中で明確でないことがわかってきますから、帰宅したときには、新たな問題意識を持ってその偉人の書物に取り組むことができるような準備が整うことになります。

つまり、自分の解けない問題について、観念的な偉人に話を聞こうとしたけれども、「なんと言いそうなのかがまだわからない」という感触があるということです。
これは整理して言えば、「その人の像が浅い」ということなので、その像を深めるべく書かれた書物に向き合うことになりますね。

そうして、「こういう時にはなんと言うのだろうか」という強い問題意識をもって、目的的に読書に取り組むことになると、普段は見過ごされていた箇所が、まるで光り輝くように浮かび上がってきて、「なるほど、行間にはこのようなことが書かれてあったのか、ひとり合点して卒業してしまわなくてよかった、もっと謙虚にならなくては」という姿勢を含めて、その人の像を深めてゆくことができます。

以前に、いつか読書の姿勢について論じたことがありますが、その時その時のあたらしい情報を仕入れることよりも、こうして、この人は、と認めた人の表現を通して、その人の人格そのものとの格闘とも言える長い長い年月を持つことなくしては、情報をどのように考えてゆけばよいのかもわからないのは、当然というべきではないでしょうか。
原則をふまえてこその現象、という構造は相互浸透のひとつのあり方です。

◆◆◆

直接に師事している人間に、何回も何回も怒られても、今回なにか言われれば前回のことを忘れ、次に何か言われれば前のことを忘れ、と、埋めたものを3つしか覚えられない犬よろしく、叱られてシュンとするのはその時だけ、という自分に不甲斐ないという思いをする人もいると思います。

これは決して擁護しているわけではないので心して聞いてほしいのですが、土台ができつつあるかと思えば崩れ、崩れきるかと思えば持ち直し、という過程を幾度も幾度も踏むことによって得られるものも少なくありませんから(それが何かを聞けば安心してしまうので言いません)、怒られてばかりだからもうダメだ、などとそこだけを見て短絡せずともよいのですが、いずれにしても、残念ながら物心つくまでに正しい学び方が自分のものになっていないような場合には、現在鈍才そのものの資質として現象することになっているはずですから、それをまずは認めて、正しい学び方を目的的に創り上げてゆかねばならないことは、一人の人間として独り立ちするにあたっては、どれだけ強調してもしすぎることはないほどの必要性があるのです。

いいですか、鈍才というのが恐ろしいのは、自分のわかっていなさ加減すらわかっていない、という一事に尽きるのです。
それを乗り越えるのは、直接指導を仰ぐ相手だけではなく、その経験から得られた、「アタマの中の師」こそなのだ、ということをぜひともわかってもらわねばなりません。

「ああでもない、こうでもない」という考え方がきちんと出来る人は、ひとりでもどんどん上達してゆくのです。
その時の個別の答えではなくて、「ああでもない、こうでもない」のやり方そのもの(!)を上達させてゆくことができるなら、長い長い道のりを着実に登ってゆくことができるのです。

個別の作品の出来映えの良し悪しについて評価をし、その書き手・描き手の前進を助けるというのは、ともにひとつの道を歩むことを約束した人間として当然の仕事ですから、その意味では地獄の底にまでもつきあう用意はあるのですが、「あまりにも議論が尽くされていない作品」については、叱る以前にとてもガッカリしてしまうことにもなりますから、表現として発表する以上は、自分の仕事にまずは責任を持つことを心がけてほしいと思います。

いまできた作品を見せたとき、あなたが尊敬する人はなんと言うでしょうか?

生まれや育ちなどに関係なく、わたしも向きあう相手を、一人の表現者として尊敬したいですからね。

2011/12/20

文学考察: 破落戸の昇天(修正版ー2)

三度目の正直になるでしょうか。



◆ノブくんの評論◆

文学考察: 破落戸の昇天(修正版ー2)
破落戸(ごろつき)であるツァウォツキイは、妻と2人でとても貧しい生活をしていました。そんな彼は、自身が破落戸であるために妻に貧しい思いをさせている事に関して、日々心苦しさを感じていました。ところが、彼はそうした自分の気持ちを妻に素直に伝える事が出来ず、どういう訳か、それが罵声となって表れてしまいます。
ある時、彼はこうした現状を自分なりに解決しようと、賭博に持っていたお金をすべて使ってしまいます。その挙句にお金は全て騙し取られてしまい、途方に暮れた彼は自らの命を断ってしまいます。
その後、自殺を図ったツァウォツキイが辿り着いた場所は死後の世界でした。そこで彼は自分の中にある、悪の性質を取り除く光線を浴び続ける罰を課せられることとなります。同時に彼はそこで、一日だけ娑婆に帰り、やり残した事をやり遂げる権利を与えられたのです。彼はこの権利を一度は断ります。ですが、罰を与えられ続けた末、生きているうちに見れなかった自分の娘をこの目で見たいと思うようになり、やがて自らそう申し出てきました。こうしてツァウォツキイは、実の娘と対面するチャンスを得ることになります。しかし、肝心の娘は彼の事など知る由もなく、突然現れた見知らぬ訪問者に、彼女は玄関の戸を閉め拒絶しようとします。この娘の行動に彼は我を失い、怒りを顕にし、なんと彼女に手をあげてしまいます。そして、我に返った彼は恥ずかしい気持ちになりながら、もといた世界に帰り、やがてその行動が仇となり、地獄へと送られる事となったのです。
 
この作品では、〈表現の中に何か別のものが含まれている事は分かっているものの、それを上手く言葉で説明できない事への悩み〉が描かれています。 
まず、上記のあらすじにもあるように結果として、ツァウォツキイは他人に優しくすることが出来ず、地獄へと送られてしまいました。ですが、彼自身全く妻や娘に対して、優しさそのものがなかった訳ではありません。事実、彼は貧しい生活をしている妻に対して、不憫にすら思っていたのですから。しかし、それをどう表していいのか分からず、それがどういう訳か罵声や手を打つ等の表現に変わっていったのです。そして、そんな複雑な彼の気持ちとは裏腹に、死後の世界の役人などの周囲の人々は彼のことを、「ツァウォツキイという破落戸は生きているうちは妻に罵声を浴びせ、死んでも尚娘に手をあげるどうしようもない下等な人間」とみなしていました。
ですが、一方で彼の気持ちを「ある程度」理解できた人々もいました。それは、彼に罵声や暴力をふるわれた、妻と娘に他なりません。娘はツァウォツキイに手をあげられながらも、その事に関して「ひどく打ったのに、痛くもなんともないのですもの。(中略)そうでなけりゃ心の臓が障ったようでしたわ。」と、奇妙な印象を持っているのです。そして、それを聞いた彼の妻も、声を震わせているあたり、その人物がツァウォツキイだと直感したのでしょう。まさに彼女たちに起こっているこれらの現象は、彼の気持ちを「ある程度」理解していたからだと考えて良いでしょう。そして、ここで「ある程度」と断らなければ、彼女たちが、暴力(表現)の中にツァウォツキイの彼女たちへの優しさがあった事は突き止めることはできていますが、その中身(何故ツァウォツキイが暴力的にならなければならなかったのか)を特定することが出来なかったからという一点に尽きます。だからこそ妻は、彼の葬式で彼が死んだことを周囲の人々にあれこれと言われても、反論は出来なかったのです。また、娘が手をあげられた事件が起こって以来、彼女たちはその事に関して閉口していましたが、この事に関しても、上記と同じ理由が当てはまります。つまり彼女たちは、表現の中身が特定できず、死人故聞くに聞けなかった為、結局本心が分からず口を紡ぐしかなかったのです。


◆わたしのコメント◆

初出の評論、書き直しから考えると、文章そのものの質はずいぶん良くなりました。
ここでの「質が良い」というのは、丁寧な語り口の中に、作品や筆者にたいする敬意が感じられる、という意味です。

一般的な指摘はあとで述べるとして、まずは個別的なアドバイスからはじめましょう。(記事を独立させました。師事するための認識的な欠陥については、明日公開の記事で述べます)

今回の作品を読解する鍵は、「主人公である「ツァウォツキイ」が、衆目からは破落戸(ごろつき)と見做されていること」に対して、「妻や娘からは感情表現が下手なだけで、心底の悪人ではないことが知られていること」のあいだに、矛盾があることにあります。

ここが、<非敵対的矛盾>であることは前回お話してきたとおりですが、そうすると、この両者はなんらかの形で<矛盾の統一>をはかってゆかねばなりません。
どんなときにも、本質的な前進がなされるときには、一見したところの矛盾を、単に「あれかこれか」と考えて、避けられない対立、二律背反のように受け止めてはいけないのです。

「矛盾とは相容れないものである」という素朴な常識が通用しなくなるのはまさにここにあるのであって、あれもこれもが正しいようだと判断されるとき、つまりそれらが<非敵対的矛盾>であるとみなされるときには、その構造に目を向けた上で、その矛盾を統一する形に持ってゆこうとする発想がなければ、ほんとうの意味での前進は達成し得ないのです。

◆◆◆

今回の矛盾が、いかにして統一されるかを答えから言えば、ツァウォツキイの振る舞いにたいして、衆目はその表現だけを読み取っているのに対して、妻と娘は、その表現の裏に隠された認識や人柄に目を向けようとしているのだ、ということです。

論者はそれを、〈表現の中に何か別のものが含まれている事は分かっているものの、それを上手く言葉で説明できない事への悩み〉と表現しました。
なにやら奥歯にものを挟んだような言い回しですが、これはわたしが、「学問用語を評論中に使ってはいけない」と言っているために、表現が制限されているように考えたせいかもしれません。

前回指摘しておいたような、作品の一般性を、「〜という男」といったような「登場人物の主体」に置き換えて探し回るという誤り方からは、ようやく抜けだす兆しが見えているようにも思うのですが、やはり作品の一般性を「〜という悩み」という「主体が持っている気質」に帰してしまっているように見えることについては、しばし静観して注視せねばならないところです。

一般性は、あくまでも作品全体の本質を取り出したものでなければならず、登場人物がどうであるかや、その者がどんな気質を持っているかなどを書き抜くものではありません。
「表現の中の何か別のもの」という言い方についても、「対象→認識→表現」という、表現における一般構造をあれほどくどくど説明されている側からすれば、「表現の中の何か別のもの」は、表現の受け取り手がとらえた表現者の「認識」なのだと判断できてもよさそうなものです。

◆◆◆

わたしがこの作品について<一般性>を与えるとなったときには、この作品は<ある人の表現は、その本心をそのままに伝えているとは限らない>ことを言いたいのだ、と表現するでしょう。

やや一般的すぎるような印象を受けるかもしれませんが、筆者が冒頭に、こういうときに読んでほしい作品だと書いていることからも根拠付けられていることがわかります。抜き出してみましょう。

「これは小さい子供を持った寡婦がその子供を寐入らせたり、また老いて疲れた親を持った孝行者がその親を寝入らせたりするのにちょうどよい話である。」

小さい子供にとっては、大人から叱られたことをそのままに受け止めてしまい、心から叱った相手にさえもずっと苦手意識を持ってしまうこともありますから、この物語は、その経験を苦いままに放っておかない手助けにもなるでしょう。
また老いて疲れた親が子どもからこの物語を聞かされるときには、「あのとき叱られたことの本当の意味が、今ならよくわかります」というメッセージを受け取るのと同じことなのですから。

ここで引き出した一般性から、「誰かに叱られたときには、その人がほんとうになにを伝えたかったのかを考えてみなさい」といった教訓も、特殊性として引き出すことができますね。
叱り方ひとつとっても、優しさゆえの叱責があり、恋心ひとつとっても、秘す恋がありうることは、いくらわかりにくく、理解できる人間が限られているにせよ、人間にとって見過ごしてはならない事実であり、そのことを鮮やかに描き出すことが文学者としての使命でもある以上、正しく読み取らねばならない構造を含んでもいるわけです。

◆◆◆

さて、一般性についての検討は以上のようなものですから、今回の評論の評価としては、まだ合格点には達していないものの、次回以降については期待が持てるまでに本道には戻ってきつつある、というのがふさわしいところでしょうか。

ただ、先程も言ったように、文章全体にたいする心配りは、少なくとも論者の今いる段階に照らしてよく成されており、一般性を引き出したあと、それに従って全体を何度も繰り返し読んだ上で、細かな表現にこだわりを持って評論に取り組んだという形跡は十分に見ることができます。
たとえば、妻や娘が主人公の表現を「ある程度」は理解していた、としたうえで、「さらにそれはどの程度なのか」というところにまで考えを進めて、納得の行く自分なりの答えを考察しているところは評価できます。

ただし、こんな回りくどい言い回しをしなくとも、前述のように、妻が周囲の人々とは違って、主人公の「表現」だけにとどまらず、「表現」を遡って彼の「認識」にまで立ち入ろうとしたからこその理解なのだ、と言ってもよかったのではないでしょうか。
そこで、妻の、他者の感情に対する認識力と、その人を理解しようとする姿勢を明確なことばで表現できたのなら、その妻が、夫のいない間に娘をどのように育ててきたからこそ、一目も見たこともない父への娘の理解力が発揮されることになったのかという過程的な構造を、さらに深く掘り下げて理解できるようにもなったはずなのです。

次回以降の評論について、期待することにしましょう。

◆◆◆

また評論中には、作品を誤解している箇所がありますので指摘しておきます。

・あらすじ中に「その挙句にお金は全て騙し取られてしまい、途方に暮れた彼は自らの命を断ってしまいます。」とありますが、主人公はあくまでも自分の悪い企みによって命を落とすことになったのであって、人に騙されたというような事実はありません。

・最後の解釈について、妻と娘が、死んだ夫の来訪をそのあと口外しなかったのは、なにも彼の本心をすべて理解できなかったからではありません。細かな表現として、論者は「閉口」という言葉の意味も大きく誤解しているので、辞書をきちんと調べておいてください。意味のわからない言葉は使ってはいけません。

文中に、「その後二人はこの時の事を話さずにしまった。二人は長い間生きていた。死ぬるまで生きていた。」とある後ろの二文は、自殺してしまった主人公と違って、現世に未練のない生活をさいごまで送ったことを指しているのですから、妻も娘も、死んだはずの夫の来訪とそのふるまいについては、自身がわかるようにわかったことで満足していたと理解するのが自然なところでしょう。

冒頭に筆者が、「小さい子供を持った寡婦がその子供を寐入らせたり」するのにもってこいだと言っているのは、この物語の最後が、主人公のふるまいを含めて幸せなものに落ち着いたのだということをもって、安心して眠りなさいね、というメッセージを伝えたかったからでもあるのですから。
最後まで読むと、妻は主人公の葬式で、周囲からの「あんな人間は死んだほうがあなたのためだったのだ」、という発言に(あくまでも発言者の立場に二重化して)一定の理解を示してはいるものの、それでもやはり、「あの人は振る舞いは悪くとも内心は良い人なのだ、最後までなにも言ってくれなかったけれどきっとそうだ」、という一念を捨てきれなかったために、最後の娘の発言に、「「わかってよ」と、母は小声で云って、そのまま縫物をしていた。」と答えるシーンがとても印象深く残ることになっているのです。

ここで、妻は16年も心に抱えていた、「夫は悪人だったのだろうか」というわずかばかりの疑念が晴れたとともに自らの直感が正しかったことを知り、「ああ、やっぱりあの人だ」とわかったことが、論者には鮮明に描けているでしょうか。
だからこそのハッピーエンドなのだと読み取れているでしょうか。

どうですか、まだまだ不明瞭だったところがあるでしょう。
自分のわからなさがわかったのであれば、答えは近いのですから、精進あるのみです。

◆◆◆

また青空文庫に掲載されている作品中に誤りがあります。(こちらは当然ながら、論者の落ち度ではありません)
・主人公の名前は正しくは「ツァウォツキイ」のようですが、「ツァツォツキイ」という誤りが1度、「ツォウォツキイ」という誤りが2度あります。

2011/12/15

【メモ】自然・社会・精神の重層構造について

先日の記事で、弁証法の概念規定について確認しなおしたので、前にレジメにつかった図表を貼っておきます。


それぞれの歴史の区分と時代区分は便宜的なもので、わたしがそれぞれの歴史をA3のレジメ1〜2枚で説明しきれるようにわけたものですが、それなりに合理的だと思っています。(各レジメについては、まだ完成版ができていないので公開するかどうかすら未定です。)


それぞれの歴史のなかの赤い線の長さは、それに含まれている歴史の長さに対応しています。


たとえば、137億年ぶんの「宇宙の歴史」内にある赤い線は、46億年分の「地球の歴史」がそこに入れ込まれていることを示しており、続く歴史も同じようになっていますから、わたしたち人間の歴史が、宇宙や地球の歴史に比べればいかにわずかな歴史しか持っていないことがわかりますね。

もし地球が生まれてから現在までの歴史を1年間のカレンダーで例えると、
・3/4に最古の生命が、夏前に光合成をする生物が生まれ、
・11/19にカンブリア爆発と呼ばれる無脊椎動物種の爆発的な増加が起こり、
・12月の中頃から恐竜が栄えたあと12/26に恐竜が大絶滅し、
・12/31の昼過ぎ12:35には人類が誕生し、
・12/31の深夜23:37に、やっとホモ・サピエンスが誕生したことになります。
(学研の図鑑より)

わたしたちの暮らしている地球は、こういう時間をかけて育まれてきたところです。
こう考えると、地球の資源やエネルギーのことも、少しは身近に感じられるのではないでしょうか。

◆◆◆

専門家が土台なしのセクト主義に走るばかりの現代においては、「一般的に知る」ということを、単なる雑学の寄せ集めや、大雑把な素人知識、といったように考えてしまう傾向は根強く、学問をするにあたっての<基礎教養>の必要性がほとんど無視といってもよいほどに軽視されています。

それでも、身近な例については、土台から考えなおすための基礎教養としっかりとした論理性があれば、なぜそんな論争が起きてしまうのかが客観的に整理でき、核心的な問題を追い詰められることがほとんどです。

たとえば、地球は温暖化しているのか寒冷化しているのか、といった議論があるようですが、地球とはそもそも、火星と共に太陽から振り飛ばされた惑星なのですから、とてもとても熱かったものが、しだいに冷えて固まりつつあるというのがいちばんの基本線です。
それでも地球は、火星と違って月が媒介となって太陽からの熱をちょうどよい具合に受け止めることができたという幸運のために、冷えると共に冷え切らないという運動を持つことができたことによって、現在の生命に満たされた独自の力を身に付けていったわけです。

そうすると、あの問題は、地球は基本的には冷えてゆく運命にあるが、それでも太陽のおかげでとても緩やかなものなのであり、さらには一定の周期を持っているのだ、ということが言えることがわかります。
議論を闘わせている両者は、それぞれ長期的に見た時と、短期的に見た時のデータから自分の主張を引き出してきているのですから、実のところ、どちらも限られた範囲では正しいのですが、ただ弁証法的にあれもこれも、と考えられないために、相手を排斥する向きにエネルギーを使ってしまっているのですね。

◆◆◆


さて脱線しましたが、もし「弁証法は、自然・社会・精神を貫く普遍的な法則」である、と出てきた場合には、一般的にでも上に載せた図のような像が描けていなければなりません。

ここで注意しなければならないのは、現時点から見た時のイメージのまま「自然」と「社会」と「精神」を別々のものとして、すでにあるものとして扱うのではなく、すでに生成して発展してきたその過程をこそ探求して、自然から社会が、社会から精神から生成されてきたところからその流れを、つまり過程的な構造の中から論理性を把握してゆかねばならないということなのです。

言い換えれば、社会には自然が土台となった重層的な構造があり、精神には自然を土台とした社会が土台となった重層構造があり、現在ではそれらのあいだに相互浸透が起きているというわけです。

◆◆◆

ひとつの道の探求というものを、受験勉強よろしく個別的なバラバラの知識のまる覚え的にイメージしてしまうと、あらゆる本を死ぬまで読み続けなければなにもわからない、それどころか死ぬまで読んでも結局なにもわからないままで死ぬのだ、という諦観にもたどり着きかねません。そうでなくとも、今こうしている間にも自分の知らないところで自然も人間の世の中も変化し続けているわけですからね。

たしかに、ゆく河の流れは絶えずして、というように、世の中は変わり続けています。
弁証法でも、すべてのものは変化するのだ、変わらないものは何もないのだと教えますが、それと同時に、それがひとつの河であるということも同じく真実なのだということも教えます。

変わりゆくはずの現象を捕まえて、ひとつの名前を付けられるのはなぜか、明確な概念規定をすることができるのはなぜかといえば、わたしたちは現象の中からその構造や、その本質を引き出して、アタマの中の像として持つことができるからです。

わたしはいつも、現実が複雑で解き明かすことができないように思える時にこそ、その土台にあるものは何か、それが今の形にまで生成し発展してきた過程はなにかと問いかけるように言いますね。
その相互浸透のあり方は、変わりゆく現象があるからこそ変わらぬ本質があるのであって、そしてまた、現象の「変わり方」・「流れ」がどういうものであるかを把握することが、つまるところ歴史性、歴史的な論理性であることを示しているわけです。

専攻する分野の専門知識は当然ながら必要ですが、基礎的なところでもったいない踏み外しをしないように、基礎鍛錬をこそ欠かさぬようにしましょう。
学問をとおして人を幸せにしたいと望むなら、それがいちばんの近道です。

2011/12/14

文学考察: 破落戸の昇天(修正版)

来ました。



◆ノブくんの評論◆

文学考察: 破落戸の昇天(修正版)
街中で道化方として生計を立てているツァウォツキイは、喧嘩っ早く、他人には暴力を振るい、窃盗や詐欺などもする、どうしようもない破落戸(ごろつき)でした。そんな彼は妻と二人暮しをしていましたが、夫である彼がこのような調子なので二人は非常に貧しい生活をしていました。そして彼は、自身の妻にそのような生活をさせていることに心苦しさすら感じていました。ですが、そういった事を彼女にうまく表現できず、どういうわけか彼女を怒鳴りつけてしまう始末。そして彼はそうした生活を自分の力でなんとか打破しようと、賭博に有り金を全てはたいてしまいます。しかし結局は負けてしまい、その絶望の挙句、自らの命を断ってしまいます。
その後、彼は死後の世界へと連れてこられ、そこで自らの命の浄火(極明るい、薔薇色の光線を体に当てて、悪の性質を抜き取る作業)を強制されます。またそれと同時に、彼はそこで役人から一日だけ娑婆に帰れる権利を得ることになります。はじめ彼はこの権利を拒みましたが、16年間の浄火の末、自ら「生きている間に見ることの出来なかった、自分の娘の姿を見たい」と申し出てきました。こうして彼は自身の娘と対面する機会を得ることが出来たのです。ですが、娘の方は当然父の存在など知る由もなく、全くの他人だと考え玄関の戸を閉めようとします。それに彼は怒りを顕にして、娘の手をはたいしてしまいます。そして、我に返った彼は恥ずかしい気持ちの儘、死後の世界へと帰り、やがて地獄へと送られてしまいます。
そして彼が地獄に送られている一方、娘は母にその出来事を話して聞かせました。その中で娘は、読者である私達が想定していなかった驚くべき感想を述べはじめます。それは一体どのようなものだったのでしょうか。
 
この作品では〈ある気持ちを隠すため、別の気持ちを相手に見せなければならなかった、ある男〉が描かれています。 
まず、上記にある、父に手を打たれた娘の驚くべき感想とは、「ひどく打ったのに、痛くもなんともないのですもの。ちょうどそっと手をさすってくれたようでしたわ。」というものでした。では、彼女は父であるツァウォツキイの、一体どのような性質を感じ取り、このような感想をもったのでしょうか。
それを知るために、彼が妻を怒鳴っているシーンをもう一度確認してみましょう。この時、彼は何も妻が本当に憎いだけで怒鳴っていたわではありません。上記のあらすじにもあるように、彼は妻に苦しい生活をさせている事に対して、気の毒にすら感じています。ですが、彼はそのような気持ちを一切妻に見せようとはしませんでした。むしろ、それを隠そうとして彼女を怒鳴ったのです。そして、草葉の陰でひっそりと泣いている辺り、彼が妻に自分の気持を素直に表現しなかったのは、「もしも、妻に見せてしまったら、妻は自分に……」となんらかの形で彼女が彼に気を使うだろうと考えたからではないでしょうか。だからこそ、ツァウォツキイは妻に対して自身の怒りを持って接していかなければならなかったのです。
そして、こうしてツァウォツキイの気持ちをひとつひとつを読み取っていくと、彼の怒りという感情が、実に複雑である事が理解できます。すると、物語の終盤で娘の手を打った、彼の怒りには一体何が含まれていたのでしょうか。そこには、16年間娘を思い続けていた苦しさ、その娘にやっとの思いで出会えた嬉しさ、しかしその娘に戸を閉められる悲しさ。こうした娘への強い思いがそこには含まれているのです。ですが、彼は死者という現在の立場から、それを素直に表現することが出来なかったために、手を打つしかなかったのでしょう。また娘は娘でそうした彼の気持ちを受け取ったからこそ、ツァウォツキイに手を打たれた事に対して、あのような感想を持つことが出来たのです。
また、これらの事を踏まえた上で、作者が「小さい子供を持った寡婦がその子供を寐入らせたり、また老いて疲れた親を持った孝行者がその親を寝入らせたりするのにちょうどよい話」と、何故読者を限定するような事を冒頭で述べているのかが理解できるはずです。例えばあなたが子供だった頃、親に叱られた時、あなたは怒っているという表面だけを読取り、親がどうして自分を叱るのか、理解出来ずに泣いたことはないでしょうか。そんな時、この作品を予め読んでおり、人間のある気持ちというものは複雑なもので、そこには様々な気持ちが含まれれいる事を感性的ながらにも知っていれば、自分を叱る親に対する見方も違っていたのかもしれません。まさにこの作品は、親の気持ちを知る為に描かれたものだと言っても過言ではないでしょう。

◆わたしのコメント◆

前回のアドバイスを受けて書き直してくれたようです。

指摘しておいたのは、次の欠点でしたね。
1. <一般性>は正しく把握できているか
2. 読者の立場に立って表現を工夫できているか

そこが補われているかどうかを見てみましょう。

◆◆◆

ひとつめの一般性を、論者は〈ある気持ちを隠すため、別の気持ちを相手に見せなければならなかった、ある男〉と書き換えてくれていますが、これでもやはり、間違いです。

前回のコメントで、一般性とは、その作品の本質を抜き出したものを一言で表したもの、という言い方をしておきました。
あえて明確な書き方を避けたのは、これまでの修練とそれにたいするコメントを見なおして、自分自身の力で、論者本人のアタマに、改めて一般性についてのしっかりとした像を持ってほしかったからですが、残念ながらそれは叶わなかったようです。

一般性は、作品全体をとおして筆者が主張したかったことを、自分で作品全体を把握した上で書き出してこなければなりません。
ここは、作品に目に見える形で現れている表現を「抜き出す」のではなく、あくまでも作品を自分のもののように噛み砕き、わが一身に起こったことのように観念的に繰り返すことを通して、その内容を掬いとってこなければならないからこその、「書き出す」、「引き出す」などという表現がふさわしいことになることを是非ともわかってもらいたいと思います。

ところがそう言ってもわからないから困っているはずなので、より浅い段階までいったん降りてから登りなおしてみましょう。
そもそも、という話ですが、作品全体が持っている構造を見なおしてみるときに、ひとまずこの作品上の最大の見所は、以下の点にあることがわかります。

相手にたいする愛情を素直に表現できない「ツァウォツキイ」の内面を、彼と一度も会ったことのないはずの彼の「娘」が一目で理解できたこと。

ここは論者も少しはわかっていますね。

◆◆◆

この作品の流れを大きく捉えると、主人公であるツァウォツキイは、その不器用さが災いして、妻に辛く当たるしかなかったどころか命を断つことにまでなり、あの世で命の浄化さえ受けたにも関わらず、娘と会って詫びることのできる最後のチャンスを、やはりみすみす逃してしまった、という展開になっていました。

これを表面上だけで読み取ろうとして、主人公は、妻にたいしてと同じ過ちを、娘にたいしても繰り返してしまっているのですから、「結局主人公はなにも変われなかったのだ」としてしまえば、作品そのものの主張がなかったことにもなりそうです。
ところが最後に、娘は、「彼に手を打たれたにもかかわらず、彼の気持ちを理解することができた」、ということをもって、この作品はひとつの教訓を残すことになっているのですから、どうしても(=論理的帰結として)、そこに着目しなければならないことになります。

ここには矛盾があり、論者もいちおうはそれに着目しているようです。

(余談ですが、この矛盾は、弁証法で2つに区分される矛盾のうち、<非敵対的矛盾>です。一見すると相反しているように見える事柄が、実はその矛盾があるおかげでそれを含む実体が成り立っていると見做されるときに、それを<非敵対的矛盾>と呼ぶのでした。細胞が死ぬから個体としての生がある、そこにあるとともにないということが運動の本質である、などがこれに当たりますから、<対立物の相互浸透>とも関わりが深いことがわかると思います。
文学作品の場合は、一応は物語としての態をなしているものであれば、そこに含まれる要素は、ほとんどの場合が「非敵対的矛盾」であると仮定してもよいのであり、むしろひとつの作品の中に<敵対的矛盾>が含まれていることが読者にとって明らかな場合などは、その作品そのものの質が傷つけられているのだと判断すべきところです。たとえば、ひとつの物語を読み進めていて、登場人物の言動がなんの脈絡もなしに大きく変わったりすると、わたしたちはその作品を三流だと見做しますね。
もしある作品に、互いに相入れることのできない矛盾、つまり<敵対的矛盾>があると判断した場合は、はっきりとそれを指摘しておくことも、文学作品と真剣に向き合う者としての責務です。作品についての謙虚な、時には信仰心に近いまでの、読み込む探究心というのは作品理解には欠かせませんが、作品にどんな粗があっても擁護するというような意味での信仰心は、本質的には誰にとっても益することがありませんから棄ててください。)

ただ「いちおうは」と断らねばならなかったのは、とりもなおさずそのことが、他ならぬ<一般性>として正しく表現されていない、という一点につきます。

◆◆◆

前述したように論者は、この作品の<一般性>を〈ある気持ちを隠すため、別の気持ちを相手に見せなければならなかった、ある男〉としていますが、これは<一般性>ではなくて、「作品の主人公」を一言で書き抜いたにすぎません。

ひとつの作品の本質的な理解に必要なのは、「この作品の主人公はどういう人か」ではなくて、「この作品とはどういうものか」でなければならないのですから、作品の一般性を問われたときに、何らかの主体を挙げることに血道をあげるような姿勢では、どうあがいても本質的な理解に辿りつけるはずがないのです。

論者は、『走れメロス』の<一般性>を、「友人との約束を守るために走る、ある男」とでも表現し、『人間失格』の<一般性>を、「快楽に明け暮れたある男」と表現するのでしょうか?

やりかたが間違っている場合には、どれだけ苦しんでのたうちまわってどれだけの時間をかけようとも、絶対に正しい答えには辿りつけないのです。自分が気づかずに間違ったやり方を採用してしまっていることを認識した上で、間違ったやり方を、できるだけ早くに棄ててください。

「作品の本質」を引き出す代わりに「作品の主体」を探し回るというやり方でどつぼにはまっていたことは以前にもあり、その時も厳しく指摘したことがあるので繰り返しませんが、表面上のわかりやすい表現に囚われることを辞めて、もっと背筋を伸ばして作品全体を見渡した上で、しっかりとその全体の構造を掴みとる修練をしなければなりません。

(また余談になりますが、わたしがこうやって厳しく指摘することについて、「なにもそこまで厳しくなくとも…本質を主体と違えることは、とくに子どもならばよくあることではないか」と、小学校教師、とくに国語教育をずっとやっておられたような方は同情をくださるかもしれません。
ところが、この同じ誤り方は、個別研究に突入して学問に帰ってこない研究者や、逆に世界には構造しか存在しないというところまで極端に振れてしまうような構造原理主義者は論外ながら、名のある学者にもよく見られる欠陥なのです。マルクス以前の経済学者や、光を扱っている宇宙物理学者、色素なる概念を提出せざるを得なかった色彩学者がどのようなドツボにはまり込んで身動きがとれなくなっていたか、また現在そうであるかを調べてみれば、ここはとても人事だとは言っていられない重要事であることがわかります。
ひとりの母は、母であり娘であり叔母であり祖母であることもあるのであって、そのうちのどれかでなければ困るというようなものではありませんし、逆に構造の糸なるものを手繰り寄せなければ実体が掴めないような幽霊でもありません。
こんなたとえ話では当たり前の話なのに、その常識を自分の専攻する世界では発揮できないというアタマを作ってしまうのは、基礎的な学問の土台を持たないからです。その修練を何度も何度も繰り返し、叱られて叱られて築きあげていないから、認識のしかたそのものがダメになり、自分の踏み外しに気づけないようなことになるのです。認識の仕方がダメだというのは、本人は黒だと信じきっていることが、本質的には白だったり光の反射であることがありうるだけに、とても恐ろしいのです。だからわたしは、どんなジャンルで一流を目指すにしても、弁証法という論理学を学ばなければならないと指導に必死なわけです。)

◆◆◆

論者が引き出してきた仮説としての一般性が誤りであることは、論証部で、「子を叱る親の気持ちをわかってもらいたいがために書かれた作品」と、他でもない論者が引き出してきた「ある男」という一般性が、なんらの強い関連性も感じられないところからも、これは<敵対的矛盾>であるからどこかがおかしいのだと、論者自身の手によって修正されなければならないはずのところでした。
親は子どもに、「ある男」その人をわかってもらいたいのですか?そうではないでしょう。

作品によっては、一般性を主体の形として引き出すのがふさわしいこともありますが、無理に主体として一般性を挙げなくとも、論者は、すでに本質の近くにまで歩みを進め、自分の言葉で述べているではないですか。
例えばあなたが子供だった頃、親に叱られた時、あなたは怒っているという表面だけを読取り、親がどうして自分を叱るのか、理解出来ずに泣いたことはないでしょうか。そんな時、この作品を予め読んでおり、人間のある気持ちというものは複雑なもので、そこには様々な気持ちが含まれれいる事を感性的ながらにも知っていれば、自分を叱る親に対する見方も違っていたのかもしれません。まさにこの作品は、親の気持ちを知る為に描かれたものだと言っても過言ではないでしょう。
(誤字の修正:「読み取り」、「含まれている事を」)
あなたは、大きく言えば、「人の内面と表現には隔たりがあり、相手の表現だけを見ていては大事なことを見落としますよ」、と筆者は言っているのだと理解したわけですね。

では、ここを作品になぞらえる形で<一般性>として表現すれば、どうなりますか?

次に、その<一般性>に照らして評論全体を整えたときには、どのようなものになりますか?

◆◆◆

ここまでがしっかりと踏まえられ、さらには表現できるようになってはじめて次の段階に進むことができます。

それは、「2.」の「読者の立場に立って、細かな表現を工夫してゆくこと」ですが、次の修正版を待って、歩みをすすめることにしましょう。

2011/12/11

文学考察: 破落戸の昇天ーモロナール・フェレンツ(森鴎外訳)

【注意】


ここから先は、最近このBlogの読者になった方が読まれると面食らうこと受け合いの内容なので、胃がキリキリ痛むのが嫌な場合は読まないほうがよいと思います。(今日の記事からは、胃の痛くなる記事には「千尋の谷」画像を使うことにしますので、一般読者のみなさんはスルーの目安にしてください)

わたしとしても叱るのが楽しいわけはないのですが、ひとつの道を見据えてもらうための「叱る」という振る舞いは、一般に考えられているような感情的に怒鳴りつけることではなく、本質的に言えば論理的な認識に基づいた技術ですので、どうしても避けて通ることができません。
どんな指導者でも感情のない人間はいませんから、内心に限れば後進の振る舞いに対して怒りを覚えてもかまわないのですが、そのような場合にでも、それをいちど飲み込んで冷静に分析してみたあと、「ここはどうしても叱りつけねばならない」と考えた(感じた、ではなく)のならば、その表現は、感情を込めたような叱り方をすることをも含めて、どうしても必要なことなのです。

そういうわけで、お目汚し御免。


◆ノブくんの評論◆

文学考察: 破落戸の昇天ーモロナール・フェレンツ(森鴎外訳)

町なかの公園に道化方の出て勤める小屋があって、そこにツァウォキイという破落戸が住んでいました。彼ははえらい喧嘩坊で、誰をでも相手に喧嘩をする。人を打つ。どうかすると小刀で衝く。窃盗をする。詐偽をする。強盗もするような、どうしよもない人物でした。ですが、そんな彼も自分の妻の事はその身を案じており、銭が一文もなくなった時などは、彼女がまたパンの皮を晩食にするかと思うと、気の毒にさえ思うというのです。しかしその一方で、ツァウォキイはそんな自分の気持を素直に表現することができず、逆に気持ちを隠そうとして、彼女に辛くあたってしまいます。そしてそんな彼は、やがて財産を全て失い、銭を稼ぐ術をも見いだせなくなった挙句、小刀を自分の胸に突き刺して死んでしまいます。
死後、彼は役人たちに緑色に塗った馬車に乗せられて、罪を浄火されるべく糺問所へと連れていかれます。そして、そこに連れてこられた人々は同時に、一日だけ娑婆に帰れる権利を与えられます。これをツァウォキイは、一度は拒否するも、徐々に自身の心が浄くなるにつれて、娑婆にいる自分の娘に会いたいという思いを強めていくのです。ですが、彼はやがてこの権利を行使するも、自らこのチャンスを台なしにしてしまいます。一体彼は何故、折角のチャンスを台なしにしてしまったのでしょうか。
この作品では、〈怒りでしか、自分の感情を表現出来なかった、ある破落戸〉が描かれています。
まず、上記にもあるように、ツァウォキイは娑婆で実の娘に会う機会を得ることができます。しかしいざ実の娘と対面し、「なんの御用ですか」と尋ねられ、上手く反応できず「わたしはねえ、いろんな面白い手品が出来るのですが。」と、誤魔化す事しか出来ませんでした。これに対し、娘は当然の事ながら、「手品なんざ見なくたってよございます。」と父をあしらってしまいます。そこで、ツァウォキイは怒りを顕にして右の拳を振り上げて、娘の白い、小さい手を打ってしまいます。こうして、彼は娘との折角の対面を失敗に終わらせてしまいます。ですが、これは完全な失敗と言えるのでしょか。というのも、父にぶたれたことに対して「ひどく打ったのに、痛くもなんともないのですもの。ちょうどそっと手をさすってくれたようでしたわ。真っ赤な、ごつごつした手でしたのに、脣が障ったようでしたわ。そうでなけりゃ心の臓が障ったようでしたわ。」と、あまりひどい事だとは思ってもいない様子。一体どういうことでしょうか。
さて、こうした怒りに関する複雑な感情は、現実を生きる私達にもしばしばあります。例えば、過去に父や母に怒られた事を思い出し、その時は分からず、苛立ち、悲しく思っていても、大人になるにつれてそれが有難いことだったと感じることはなかったでしょうか。私達がこのように思えるのは、こうした親の怒りの中に、私達に対する思いが含まれているからに他なりません。
そして、物語に登場するツァウォキイに関しても同じことが言えるのです。そもそも、彼が怒りを顕にした理由が、娘を思うあまり、辛くあたられた事にあるのですから。
こうした私達の感情は、私達が思っている以上に複雑で、その表現の仕方もそれと比例するように同じく複雑なものへとなっているのです。

◆わたしのコメント◆

この評論を評価するにあたって、結論から言っておきます。
これではダメです。

ここ一ヶ月ほど、なにもコメントをせずに修練の様子を見ていましたが、11月に入ってからの評論内容は、どれもあまりに不出来なものです。

わたしが最も重視しているのは、表現はともかくその根底にある論理構造ですから、細かな表現の不味さには、いつものとおりそれほどきつく当たるつもりはありません。
しかしそれはまだそのことを指摘するべき段階にまで達していないという一事をもっての見逃しにすぎない、ということを覚えておいてください。

◆◆◆

さてそう断った上で、ここ一連の評論について、本質的な欠陥を2つ挙げることにします。

ひとつめに大きな問題なのは、筆者が抜き出している<一般性>が、とても一般性だとは呼べない代物だ、ということです。

筆者は、今回の作品の一般性を〈怒りでしか、自分の感情を表現出来なかった、ある破落戸〉としていますが、果たしてこれが、作品全体の本質を抜き出したところの<一般性>でしょうか?
一般性を引き出すとは、作品そのものをその作品足らしめている本質的な核の部分を取り出して、過不足なく一言で表現することでした。
そこが把握されてさえいれば、たとえば友人に面白かった文学作品を説明するときに、「この作品を一言で言えば、●●ということになるね」とはじめに断った上で詳しい説明に入れますから、それにつづく説明も、理路整然としてくるのです。

これは学問の世界で言えば<概念規定>をすることと、難度はともかくその過程としては、論理的に同一です。
たとえばこころみに、わたしがどんなジャンルを専攻するにしても読むべき本としていつも挙げている三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を見ると、彼は科学の歴史をざっとおさらいしたあと、弁証法は「世界全体の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学」(p.23)だと明確に表現しているでしょう。
これは、論者があらすじ、一般性と書き進めているのと同じ構成であることがわかりますか。

◆◆◆

ひるがえって論者の文章の展開を見れば、そこでは一般性という土台のまずさに引きずられて、すべてが混沌の渦へと巻き込まれていってしまっています。

三流思想家よろしく、つづく論証部でまずい一般性への帳尻合わせすらしていないというのは、潔いというかなんというか、というところなので、あえて「論者の論理展開は」という表現を使いませんでした。

とにかく、<あらすじ>そのものからはじまって、その最後の<問いかけ>、その答えを結論から示しているはずの<一般性>、さらには評論を書く意義そのものである<評論>部がすべてにわたって何の連関も貫かれずに点在しているのですから、これでは読者は、とても論者の認識など読み取る気にはならない、というのが正当な評価です。
この文字列の中で唯一評価できることがあるとすれば、それは全体としての順序を言いつけ通り守っていることくらいしかないのですから…。

◆◆◆

もし正しい一般性をふまえることができれば、冒頭のあらすじは以下のようなものになるでしょう。

 「ツァウォツキイ」というひとりの破落戸(ごろつき)は、「妻」と二人で、とても貧しい暮らしをしていました。彼は彼で、そういう暮らしを妻に強いていることは心苦しく思っていますが、それをうまく優しさとして表すことができません。あの小さい綺麗な女房がまたパンの皮を晩食にすることになるのか、と思えば思うほどに、その気持ちはどういうわけか、妻への罵声となって口をついて出てしまうのです。そんな現状をなんとか切り抜けようとした彼は、ある日その目論見が裏目に出て博打で有り金をすべて擦ってしまい、あまりの失望に、妻の名を口にしながら刃物を胸に突き立てて自害してしまうのでした。
 死後の世界に逝った彼に、「役人」はこう言います。「自殺した者は、一日だけ娑婆に出ることが許されるがどうするか」と。一度はせっかくの申し出を断った彼ですが、十六年も経つころになったとき、自分が死んだころ妻のお腹にいたはずの「娘」のことを思い出します。そうして彼は地獄から現世に這い戻り、緊張の面持ちで自宅の戸を叩きます。ところが、扉を開けた娘は、彼の気持ちをよそに、見知らぬ者の来訪に戸を閉めようとするのでした。それを遮るような形で、ツァウォツキイは、思わず娘の手をはたいてしまいます。我に返った彼は、ひどくはずかしい気持ちを抱えたまま、地獄に帰ってゆくのでした。

正しい一般性はあえて明記しませんが、この作品は、登場人物の内面と表現のあいだの矛盾を、ドラマとして描いたことにあります。
そのことを把握することが直接的に、冒頭と終わりに、「この作品を児童にたいして読み聞かせることを望む」、と付言した作者の意図を汲み取ることにもなるのです。

◆◆◆

さて正しい一般性が把握できると直接に作品の意義をまともに受け止められたのちには、論者の書いたあらすじと、わたしの書いたものを比べてみてください。
わたしの書いたものは、とても一般的な、普通の言葉で書かれていることがわかるでしょう。

“それは、一体なぜですか?”

これが、2つめの欠陥についての指摘です。これは絶対に、明確な答えを出して、肝に銘じて日々の修練に当たらねばなりません。

これら2つの大問題については、答えだけならば「Buckets*Garage: どうでもよくない雑記」の記事で確かめられます。
この記事の日付をみてください。恥ずかしくなりませんか。

このこをふまえて、たとえばわたしは、「破落戸」という言葉に振り仮名を振りましたが、これは読者の立場にたてば、これほどの熟字訓ともなれば、一般読者にその知識を要求することはあまりに無謀だと判断したからです。
このレベルの漢字知識は、出題範囲としては、たとえば漢字検定の1級(最上級)にもなるわけで、一度でも試験会場に足を運べば分かるとおり、受験者はほとんどがいかにも作家!という出で立ちであるほどの、場違いな難しさなのです。

論者は、いったい誰にたいして文章を書いているのでしょうか。
いったい、表現を何だと思っているのでしょうか。

◆◆◆

失敗の構造に照らして今回の大失敗を整理しておくなら、一般的には論者のものごとの学び方が狭隘で、歪であることが原因となって、これらの失敗は論理的帰結としてどうしても発生せざるを得なかったのだ、と言えます。

ある程度の認識・技術を持っている者が、たとえば数ヶ月山ごもりをして作品をものすことは、実に有意義な成果をもたらすことが知られていますが、それはあくまでも、「ある程度の実力があってこそ」なのです。
それを現象的に真似して、物理的に原稿用紙に向かって背中を丸め込むようにして、精神的にも自分の世界に閉じこもってしまってはいけません。(もっとも、物理的にも背筋を曲げるべきではありませんが)

何回も指摘しているとおり、論者の認識力、論理力はこれほど長くの間の修練にもかかわらず、未だ土台が作られてきているかと思えば気を抜いて崩れ去ることを繰り返している段階でしかないのですから、お手本は常に、机の前に貼っておいて毎日確認するくらいでなければなりません。(わたしがコメントで数回、「驚いた」と率直に評価したものがありましたね。あれはなぜ褒められたのでしたか?もういちど確認してください)

これをたとえて言うなら、論者の誤り方は、習字をするときに先生の手本を毎度毎度見ながら、何百回も何千回も繰り返し腕を手首を動かすことをとおして、その筆の運びが自らのものとなるように技術面を修練すると共に、その表現に込められた意図をさえ汲み取ることのできる感受性と、最終的には作品の根本となる先生の認識の在り方そのものをも身につけてゆくべきところを、論者は、毎度毎度、先程書いた自分の下手な文字をなぞるようにして、結局のところ自分の下手な実体技と認識のままにお手本を矮小化してわかった気になってしまっている、ということなのです。

ここが天才肌の人間ならば、道を踏み外した表現技法、武道で言えば喧嘩殺法のような素人芸でも数年間は目立つことができますが、それも所詮数年なのであり、そもそも一流とは、といえば、自らの心技体を、歴史性を捉え返してその極端である現在に受け継いでゆくことのできた者だけに与えられるラベルであるだけに、一個人の自然成長に任せていてはとてもたどり着けないものなのです。

大原則をふり返るならば、人間は個としての生を生きながらも、全体としてしか人間足り得ない存在である、という一事をしかと胸にいだき、一時も忘れることのないように生きてほしいと思います。

たとえ論者本人に悪気がなくとも、結果から判ずれば、歴史に冠たる作家と、その作品を矮小化して受け止めてしまっていると見做さなければならないのですから、彼らの足跡を土足で踏みにじったと断じなければならないことにもなるわけです。
学ぶためには必須の謙虚さというものの欠如は、なにもその精神性だけに由来するのではなく、認識の土台や意志の力が欠如しており、そのことが間接的に謙虚さを欠いていることを導いているにすぎない場合にも、絶対に見過ごすことはできない厳しさがあるのです。

だから、わたしはどうしても、叱らねばならないのです。
この必然性を、そこに止揚されている感情と共に読み取ってもらえるでしょうか。

◆◆◆

今年度はあと2週間ほどで終わりますから、この期間のあいだに、これまでのアドバイスをすべて取り戻すつもりで修練に取り組んでください。
これまでの記事を「一般性」で検索すれば、30件ほどは同じ失敗への指摘は見つかりますから、それらをしっかりと読んで受け止めた上で、年内には合格点をもらえる評論(単なる文字の羅列ではなく!)を提出してください。

繰り返しになりますが、気の抜けた素振りなどいくらやっても無駄です。
それどころか、形・型が悪いということは、やるだけ無駄どころかやればやるほど下手になるだけに、むしろ寝転んでいたほうがいくらかましというほどの恐ろしさを持っていることを、今回の失敗からしっかりと学んでください。

2011/12/10

本日の革細工:ペンケース003&004

革いじりは年内に残りひとつ、と言ったけども、


もう一つ忘れてました。

ずっとまえに作ったタバコケースのオーナーが、実はまだ取りに来てないのですが、先日唐突に電話があり、「取りに行くついでに筆箱も頼む」と言われていたのでした。

◆◆◆

筆箱は、この前の蝶番式がたぶん2つめだから、今回で3つめか、ここまでくればそんなに時間はかかるまい、と構えていたら、いまいちな出来映え…。


…ファスナー部が曲ってしまいました。ほかにも、あちこち気に入らない。

もともと依頼された品の条件はといえば、「ペン3本くらい入ればいい」といういい加減なもので、わたしとしてはペン3本しか持ち歩かないなら、3色ボールペンを鞄に放り込んでおけばいいじゃないか?という言葉を堪えて電話を切ったものでした。
そういう理由があって、「じゃあホントに3本「しか」入らない」やつを作ってやろうと思い立ったのが運の尽き。

革細工って、小さなものをつくろうとすると極端に難しくなっちゃうんだよねえ。

◆◆◆

わたしは出来映えの気に入らないものは、目に入るところに置いておくといつまで経っても気になって仕方がないのですが、だからといって人にやってしまったりしたらしたで、「ああ、せっかくなんだからもっと良いものをあげればよかった」と後悔してしまうのです。
わたしにとっては、「タダほど怖いものはない」と言うのは、タダであげた、という気持ちの中に「タダだしいいや」という甘えがあったことをあとで思い出してとっても嫌な気分になる、という意味です。

ダメな道具を作ったり、使ったりするのを見て見ぬふりをするというのは、人間として失格だと、どうしてもそう思えて仕方がありません。
ひとりの人間として生きるというときには、ものの選び方や買い方は、資源や他の人たちのはたらきのつながりを抜きにしては語れません。

もともとひとつの道具というのは、ある材料から作られるわけですね。

そのときに、たとえばひとつの革素材と向き合ったときに、ある人間は、大して素材と向き合ったりせずに、とりあえずいい加減に切り出してみてやっぱり大きいからと切り刻んでいったら結局尺が足りなくなって新しく切り直した、としましょう。
それに対して、同じ筆箱を作るときにでも、もう一人の人間は、一枚の革を前にして、これをもっとも無駄のないデザインで、無駄のないやり方で一ミリも無駄にせずに、頭の中も型紙も完璧に整えてから取り組もうと考えたとしましょう

このどちらもが、それほど大きな差がなく使える筆箱なのだから、そこに込められた思想性などはあろうがなかろうが使えりゃ同じ、ということになるでしょうか。

◆◆◆

地球にある資源やエネルギーというものを考えるときに、すくなくとも、藻類から石油が作られたり、炭素からダイヤモンドができたりすることをわたしたちは知識的に知っています。
ところが、それを人間が必要なだけ作ろうとしたときには、とてもとても難しくなってしまいます。そうして希少性が高まると、いろいろとややこしい経済的な要因がからんできて、オイルマネーやらブラッドダイヤモンドなどといった、人間の暗部ここに極まれりといった嫌な響きの言葉が生まれることになるわけですが、ああいう醜さが出てきてしまうのも、もとはといえば、人の手で作るよりもすでにあるものを掘り出して使ったほうがはるかに効率が良いからです。

たしかに、行く河の流れは絶えることがなく常に移り変わっているけれどもそれがひとつの河であることに変わりはないのと同じように、地球上の物質は基本的に姿を変えながらも一定であり、それは間違ってはいないのです。
それでもなお、一度使ってしまってはそれが巡り巡ってもう一度使えるようになるには気の遠くなるほどに長い時間と、人間ではとても生み出し得ない大きな圧力が必要になってくることもまた然りなのです。

そうすると、もし同じ素材とエネルギーを使ったときに、ばりばりムダを垂れ流した挙句、使い手にとってもイマイチなものを作るのと、商品化する前の飽くなき試行錯誤のなかで、「もはやこれ以外ありえない」というまでに作品の質を高めたものを作るのとでは、とても大きな差があるとは思えませんか。

それはなにも、ダメな商品を作っている作り手側だけの責任なのではなく、ダメな商品を買う側との関係性において論じられなければならないのですから、ものを選んで買う立場から言っても、同じ機能を持っているからといって半年でダメになるような商品を買っては捨て、買っては捨てするというのは、わたしはとても恥ずかしいと思うのです。
わたしたちが使わない日のないお箸も、もとの素材は想像しにくいものの携帯電話などの精密機械でさえも、もとを正せば地球にあったもので、それ以外ではないのでした。それを切り出したり組み合わせたりするために必要なエネルギーも地球のもので、工場や物流を支えている人たちが昨日も今日も命を保ち働けるのは、もとは地球から得たものを摂取しているからです。

さすがに「道具一つ選ぶのも地球の重みを考えろ」みたいなことを言い出すとエコ宗教の体を醸しだしてきますが、少なくとも値段が安いからといって、「とりあえず買っておけ」というようなものの選び方は、環境とも他人ともつながっていることを自覚するひとりの人間としては、ひとつも褒められたところはありません。

◆◆◆

これはさらに、人間の認識をいつも目的的に見続けているわたしたちにとっては(そうですよね、みなさん)、買い物をはじめとしたものの選び方は、選んだ道具を自分の目的とする用途にどれだけ合致するかという問題意識をとおして、自らの認識の力を質的に向上させる契機となるものであり、さらには身の回りの道具が自らの心身に浸透するとあっては、その選び方一つといえど、蔑ろにできるわけもない、というのが正しいものごとの見方です。

同じ靴を買った友人と、1年後に靴を比べあってみればわかるとおり、そこには大きな差があることがわかるでしょう。
靴底の減り具合もまったく違いますし、保存場所では色味も、履き方によっては踵が潰れてしまったりもしているはずです。

さらには、たとえば靴の在り方がわたしたちの人間の足の形、足腰の強さ、姿勢や歩き方に影響を与え、それが量的に蓄積されたときにはどのような質的な現象として顕れてゆくのか、ということに着目して、弁証法は対立物が「相互に」(一方向ではありません!)浸透する、という構造をとても重視していたのでしたね。

直接的に自らの身体や生活を形作っている食料と違って目に見えにくいところですが、わたしたちが選んでいる道具についても、それがわたしたちにとってどのような位置づけにあるものなのかと一歩進めて、一歩深めて考えてみてほしいと思います。

◆◆◆

さて、どうでもいい話ばかりをしてしまうのがいけないところですが、かくかくしかじかそういう理由で、わたしは昨日の晩はぐっすり眠れませんでした。
自分がダメな側に回ってしまったような気がしたからです。


そういうわけで、タイトルにもあるとおり、結局4号も作ることになったのですが、まずは3号から反省。

横幅は、定規(手持ちの)が入るぎりぎりの30mmちょい。


時間がないなかで急いで型をつけたら、ちょっと右に傾いてしまった。

あ〜。

正方形のつもりで作ったら、ぜんぜんそんなことなかった。


ああ〜…。

◆◆◆

写真だと比較物がなく遠近感が掴みにくいので鉛筆よりも小さく見えますが、実際には収納できます。


もしデッサン用に使うとしたら、あたらしい鉛筆が6本、短くなったのが3本と練り消しくらいは入るから悪くないかな、とは思います。ただ細かなところがやっぱりよくない。

◆◆◆

というわけで、結局リベンジ。

ペンケース004(右側)。


◆◆◆

接着剤をつけてから縫うので、どうしてもファスナーが波形になりますが、003よりもずいぶん良くなりました。


分断されていた縫い目も繋げました。

◆◆◆

柿渋染めに色もちゃんと付いたし、やっぱり焦って作ったらダメなんだよねえ。
作り手の精神状態がモロに反映されてしまうのは、料理と同じです。


あー、やっと人間としての責務を果たした…。

これでぐっすり眠れる。おやすみなさい。

2011/12/06

本日の革細工:蝶番式ペンケース

年内に作る予定の革作品について、


残すところあと2つ、というところまで来ました。

最後のものについては素材自体がいつ手に入るかにも左右されるので、追加でなにか作ることにならなければ、年内はこちらが最後ということになるかもしれません。

◆◆◆

今回は、昨日公開したG3Tで採用した「蝶番」を使ったペンケースです。

完成した作品に触れる前におさらいしておきますと、蝶番については、すでに以下の作品で採用してきたという経緯があります。

・自転車フロントバッグG3の固定部


・自転車ツールバッグG3Tの開閉部


昨日の記事でこれは、わたしの友人の発想によるものともお伝えしましたが、今回のものはその人に向けたものです。

蝶番式については、すでにすこしばかりは技術的な(認識の実践への適用という意味での理論的な<技術>ではなく、革細工としての実際的な技術という意味ですが)蓄積もありますので、図らずもうまいタイミングでその人に恩を返すときが来たようです。

◆◆◆

これまで作業してきて、蝶番式を採用するにあたっての問題というのは、ざっとこれくらい見つかりました。

・棒を包むための革の長さがどれくらい必要になるかがわからない。
(直径10mmの棒を2mmの革で包むことにすると、合計で14mmの円の外周を考えればよいが、14*3.14≒44mmの長さの革ではとてもスムースに出し入れできないことがわかりました。)

・天板に某屋根を採用した鞄の、実際的な全高がいくらになるのかがわからない。
(こちらについては、G3Tを作ったことで、理論値と実際値の差をおおまかに推定することができるようになりました。)


とくに前者については、理論値に少しの余分をみて作ったとしても、革の状態によってかなりのばらつきが出てきてしまいます。

なぜ「革の種類」ではなくて「革の状態」と曖昧に書かざるを得ないのかといえば、革というものは、種類の差はもちろんのこと、どういう方法で鞣されたか、どういう染料で染められたか、どういうオイルで仕上げたか、はてはどこの部位を使ったか、などによって摩擦力が変わってきてしまうのです。

まとめていえば、摩擦係数は定数として規定されていますが、それでも実際的にはごく限られた範囲でしか理論値を使うことはできないのが現実だということです。

◆◆◆

こういった、理論的には完全に解明されてはおらず、わたしのようにずっと革を扱っている訳にはいかないという制限によって経験の蓄積を待てない場合には、木の棒と革の浸透のあり方をどのように扱えばよいのでしょうか。
ここでいつものように、複雑な問題にぶち当たったときにこそ原則に立ち帰る、という学問のやり方を使うことにしましょう。(複雑な実際を解くためにこそ理論が必要、対立物の相互浸透)

一般的に、蝶番式を採用する場合には、革のコバ面(いわゆる裏側、です)と木の棒との関係がうまいぐあいに保たれていなければよいのです。(ものとものとのつながり方、対立物の相互浸透)

これはつまり、自転車バッグならば走行中に棒が抜けないこと、ペンケースならカバンの中で棒が抜けて仕舞ったものが飛散しないこと、といったように、「いつもは引き抜けないが必要なときには無理なく抜ける」という矛盾を統一するやり方がどのようなものであるかをその特殊性にあわせて考えてゆけばよいということです。(矛盾の統一)

この原則を実際に適用しようとしたときに、革の摩擦面の状態が経年やその時々の環境によって違ってきてしまうことが今回には問題なのですから、それが問題にならないか、なりにくいところに工夫を凝らせばよいわけです。

◆◆◆

わたしはそこまで考えて、「革のコバ面の摩擦に頼る」という発想を捨てることにしました。

鞄全体で、棒との矛盾の統一を保つ形を考えれば良いのです。

前回のG3Tでは、Dカン(金具)の取り付け位置に規定されて、蝶番の中央部の長さが決まっていました。(右の写真で、Dカンの間の棒を渡していない右側の蝶番部がそれです)


そこで前回は、その形に合わせて蝶番部を作らざるを得ず、次にそこからできた蝶番部に合わせるように木の棒を少しずつ削ってゆき、ちょうどよい状態が得られるまでその作業をするという繰り返すことになりました。

◆◆◆

それを今回は、「蝶番部全体の形状」によって、一定の摩擦を保てる方法を考えました。
下の写真がそれです。


蝶番の中央部が長めにとられており、両サイドの蝶番が相対的に短くなっています。

そのことと共に、両サイドが少し上向きの、神社にある「鳥居」のような形になっているのがわかってもらえると思います。

こうして、コバ面との摩擦に頼ることができないのなら、全体としての形状によってテンションをかければよい、という至極真っ当な結論に到達しました。
わたしは問題をあまりに小さい場面だけで考えていて、大きな視野に立てていなかった、つまり「木を見て森を見ず」だったことが、ここまでたどり着いてはじめて明らかになったというわけです。(否定の否定。過程にこそ質的な前進が含まれる、量質転化)

あまり長々と書くのもつまらないですから、実際にできたものをみていくことにしましょうか。

◆◆◆

先ほどの写真とは反対側。


蝶番の隙間が1mmずつ開くようにして、かみ合わせが丸みを帯びた一つの線を描くようにしました。G3Tの製作経験があってこそです。

◆◆◆

側面。


G3Tの作成によって、図面と実際にどれくらいの差があるのかがつかめたため、蝶番を閉じたときに、底面から延びた斜めの線が木の棒の中心に向かってゆくというきれいな三角形が描けるようになりました。

◆◆◆

開けたときに、蝶番部が邪魔をして仕舞ったものが取り出しにくくなることも想定できたので、マチを広めにとってあります。

前回のG3Tのときは、型紙として起こしていたマチでは狭すぎることが作りかけでわかったため、急遽、iPhoneケースにするつもりで一緒に柿渋染めをしていた革を潰してマチにすることにしたのでした。


開けた時のフチの曲線がなかなか可愛いですね。
こういった曲線美には、なんらかの意味合いが潜んでいるのでは、と感じています。

もし次回があるなら、この曲線がいちばん綺麗になるように(今でも気に入っていますが、感性的にだけではなく理論的に)設計したいところ。

作品をオーナーに渡す前にじっくりと観察しておきます。

◆◆◆

側面(マチ)は、前回と同じく揉みシボです。



マチのコバ部は、耐水性のサンドペーパーを使って、目の粗いものから3種類くらいを使い分けて、少しずつ整えてゆきます。

ちなみにわたしの使っているのは、番手#180→#400→#1000の順です。(革のコバ磨きには、2倍以上の差がなければあまり意味が無いようです)
コバ面に綿棒で水をつけてこすったあと、最後にストッキングで磨いてゆくとピカピカになります。

コバ面どうしをもっと強く圧着したりするとつなぎ目を消したりもできますが、専用の工具は持っていませんし、接着剤もできるだけ使わないのがメンテナンス上よいと思ってそうしていますし、コバ面に色をつけるのもせっかくの革の風合いを乱しそうな気がして、いつも素仕上げです。

◆◆◆

ただ、この1年革をいじくりまわしてきて、もっとも作品の質に影響をあたえるのがコバの処理だとも思っていて、いまのわたしの姿勢は「障らぬものにたたりなし」、といった消極的な姿勢でしかありません。

それほどにここについては突き詰めた探究が必要なところだと実感してもいるわけで、わたしにとっては革細工がメインの探究事項から外れる来年度以降においても、向き合ってゆかねばならない大きな課題です。

事ここに至り、「神は細部に宿る」とはまことに至言であり、理論的にも大命題だと捉え返すことになりました。

しかしこの極意だけを振りかざしていても、当人にも人類全体にとってもなんの意味も持ちませんから、わたしたちは、ここを実際のものづくりや表現をする中で、その過程における構造を探求してゆかねばなりません。前に進みましょう。

2011/12/05

本日の革細工:G3T(G3と合わせて使うツールバッグ)

みなさん、ご無沙汰しています。


身体など壊されてはおられないでしょうか。
わたしは気持ちとしては元気そのものですが、秋ごろから計画を前倒しして生活のペースを上げたので、ここでの更新がなかなか思うに任せないところがあり、心苦しいと思っています。

学生時代から、一年に知力・体力ともに前年比で1.1倍になるように計画を立ててきましたが、なにも毎年同じだけ上げてゆかなくてもよいと気づいたのです。
なんだそんなことか、と思われるかもしれませんが、わたしにとっては、今この目標の立て方を振り返ってみると、なんとも形而上学的な考え方をしていたのだなあと思われたからです。

最低限達成すべき目標は目標としておいたとしても、結果としての到達点だけで成否を云々するのではなく、その過程に目を向ければ、計画の達成度合いではなくて計画の進め方そのものにこそ注目すべきでした。

今年の秋にひとつ歳をとったことをきっかけにして、そこをちゃんと見つめて、より本質的な前進をなしうるようにせねばと考え、毎日を大事にするという、その仕方を磨いてゆこうと思っているところです。

◆◆◆

さて、どうでもいい話はともかく、こっそりと進めてきたことをお披露目する時が来たようです。

最近は一から文章をまとめる時間がないせいもあって、革細工ばかり紹介してしまっていますが、扱う素材としては今月いっぱいでいったん修了するということもあって、わたしとしてもラストスパートという時期なので、もうちょっとお付き合いくださいね。

以前に作った自転車用フロントバッグ"G3"の派生として、ツールバッグを計画していました。
オーナーさんにとって、G3のサイズぎめで色々と逡巡がおありだったようなので、もしもの時に容量を補うことのできるものを作って少しでも掬い上げたいと考えたからです。
今日はG3をオーナーさんに受け渡しするという約束がありますので、目標は今日その日でした。(この記事は予約で更新されています)

はたして、今日の仕事に行く前になんとか完成させることができました。

◆◆◆

正面から。



以前に試作したツールバッグはファスナーを使っていましたが、今回は蝶番(ちょうつがい、ちょうばん)式です。

背面側から。てっぺんに横の棒が刺さっています。


◆◆◆

実はこの蝶番という仕組みは、ある友人と、バッグの開閉方法について議論しているときに、その人がふと提案してくれたものです。
それを、以前のG3を自転車キャリアに固定するときの方法として使わせてもらったので、今回はその派生として、フタを閉めるときに同じ仕組みを採用したのでした。


ファスナーはたしかにとても優秀な部品ですが、わたしたちがどうしたって自分の手で作り出すことはできません。
それに比べて、蝶番は、それより自然で無理がなく、なによりメンテナンスも楽であるなどという利点があり、わたしはとても気に入っています。
とても自然で昔からある方法ですが、ひとりで考えていては、鞄にそれを使うという発想はありませんでした。

いつもおそろしい距離を長々と散歩しながらあれやこれやと議論してくれる友人に、この場を借りて感謝します。

◆◆◆

サイドから。


蝶番式のいいところは、天井がすぼまる形になるので、とてもすっきりしたシルエットになるところです。

ところが欠点もあり、木の棒を通す革の部分が邪魔をして、中身を確認しにくくなるのです。



 そういうわけで、マチの上部を広めにとってあります。
ここを広めにとっても、ファスナーと違って上部が締まりぼんやりした表情にはならないことも、うまく作用しました。

◆◆◆

ところでこうするにはひとつの障害があり、今回のG3Tは、G3と同じく柿渋染めをしたために、革がとても硬くなってしまっていたのでした。


このままにしていると、マチが硬すぎて柔軟に広がってくれないので、手揉みで革を柔らかくするという作業をしています。
銀面を谷折りにして、少しずつ指先で揉みほぐしていきますが、ふだんは慣れないところに力点がかかるせいで、指全体がぴりぴりしてきます。

こうしておくと、とても革が柔らかくなり、それとともに革にシボがつきますから、正面と側面で表情の違いを明確に出せることにもつながるわけです。

◆◆◆

G3のインナーポケットとしても使えるサイズにしてありますから、その場合にはフタを開けたままにしておいてもいいかもしれません。


この仕組みはいろいろと応用が効きそうですね。
固定部と開閉部を統一させてリバーシブルにしたり、異なるバッグを無理なく連結させる、ということもできるかもしれません。
そういった利点を発揮できるようになると、単なるアイデアの枠を超えて、明確にファスナーに対する優位性を見出すことができますね。

今回は金具をDカン2点しか使わなかったので、既製の部品をできるだけ使わずに作品を仕上げる、という方面の進め方もありえそうです。