2012/07/22

弁証法習練のための参考書はどう選ぶか

先日、いただいた質問に簡単に答えておきました。


ただそれでも、その方針にしたがって具体的に実践してみるとなるとなかなか難しく、「本当にこれでいいのかな?」と不安になってくる、ということがありますね。
今回は「質問へのお答え 1~3」を受けて、参考書の選定について、ひとつの例示を挙げて具体的に考えてみましょう。

ともあれ、実践上の不安というものがまったくなくなるということもないことはよくわかります。
とくに、ひとたび誰かを指導する立場になったならば、突き詰めるものごとの確からしさのみならず、その突き詰め方、という過程にも細心の注意を払わねばならなくなりますから。

しかしそれでも本来ならば、その不安さがあるということは、未だ過程における探求の至らざる証拠である、と捉えなければならないのです。
ここは実体的に言えば、痛みというものがあるからこそ故障の箇所や具合がわかるのであり、またそれにいかに対処するのかもわかってゆく、ということです。



こと精神上の不安というものが無くならないということについては、当人の論理力の有無というものも含めて考えておかねばなりません。
感性と理性をごっちゃにするとはなんという暴論か、と言われる向きは、下の例をいっしょに検討してみましょう。

たとえば、あなたが乗車中に、誤って海に転落したときのことを想像してみてください。
車内の空気が抜けてゆくとともにずぶずぶと車体は沈んでゆきます。
後部座席に座っている友人たちが金切り声を上げ慌てふためいているのを知ると、とても落ち着いてなどいられない、というのが一般の心理というものでしょう。
となれば、この先あなたがたにどのような運命が待ち受けているかは、言うまでもないことです。

しかしもしここで、あなたの認識が実践に使えるほどに科学化されていればどうなるかも確認しておいてください。
ですからここでは、「もともと映画のヒーローや武芸者並の精神力があった」という前提はとりません。
さて万事休すかと思ったそのとき、「それでも最後までなにかできることを探さねば」というところに思いを致すことができて、また、わずかにでも冷静さを取り戻して、使える知識や考え方はないものかというほうに考えを向けられたとしましょう。

もし中学生レベルの科学的な知識さえあればあなたは、すでに水面から、身長ほどの高さくらいに車体が沈んでしまっているということから数トンの水圧がかかっているために、このままでは内側からドアをあけることは絶対的に不可能であるということがおおよそ推測できます。
だからこそ、他の乗客はこれほどまでに狼狽しているのだということも、それなりに受け止められるはずですね。

しかしここで、いま問題なのは、車内の気圧とそれを押し付けている水圧に差があるからこその問題なのだと、少しばかりの論理でもって考えることができるのであれば、どうすればよいのかもわかるのです。
実は、車内の空気がほとんど抜けてしまい、ほとんどが水で満たされてしまえば、自然とドアは手で開けられるようになるからです。

そうするとあなたは、同乗者の狼狽をなだめて、車内が水で満たされたらドアは開けられるから心配するな、それまで落ち着いて機を待ちなさい、ということができます。



ものごとというのは、その先に待っているものを一般的にでも見通せる者にとっては、
「(実際的にどうなるかは経験がない以上わかりかねるけれども)少なくとも理論的にはこれでうまくいくはずだ」
という見通しが立てられることから、精神上の安定にも大きく一役買っているのです。

ですから、準備はやっているはずなのに発表ともなると不安で仕方がない、という場合には、その原因を「精神力の無さ」とか、「胆力の無さ」などといったものにいきなり解消して遺伝子やら運命のせいにしたりせずに、これから自分がやることについて、論理的に見通しが立てられているか、ということを考えてみるのも、大いに意味のあることなのです。


◆参考書の選定について◆

さて、雑談をしているとまたまた前に進まなくなりますから、本題です。

「自分自身の弁証法習練のために、社会と歴史の基礎についての参考書を選びたいのだが」ということでした。

質問者さんにお尋ねします。
あなたが本屋さんの店頭で、ページをペラペラめくりながら、どの参考書が良いものかと思案しています。
そのとき目についた箇所を比べた時、下に挙げた参考書は、どちらのものがよいでしょうか。
理由を挙げて、どちらかを支持してください。

なお図表は引用していませんが、なくても答えに変わりはありません。

『新しい科学の教科書 Ⅰ 第3版』
・水の不思議
水をコップに入れて冷凍庫で凍らせると体積が増えます。どうしてでしょう。
氷では、たくさんの水分子たちが集まって、互いにがっちりとスクラムを組んでいます。しかし、水分子たちはすきまの大きい集まり方をしています。液体の水では、水分子は互いに引き合いながら動きまわるようになり、すきまが小さくなります。そのため、水が氷になると、すきまの分だけ体積がふえるのです。
同じ個数の分子がつくる水と氷では、重さは同じです。しかし、体積は氷のほうが水よりも軽くなります。氷の密度は、水の密度よりも小さいのです。ですから、氷は水に浮くのです。これは特別なことなのです。
水とはちがい、ほとんどの物質は、液体から個体へと変化するときに体積が減ります。液体の水銀を冷やして個体にしたときのことを思い出してください。液体から固体になると、物質をつくっている分子のすきまが小さくなり、ぎっしりつまった状態になります。ほとんどの物質は、個体のほうが液体よりも密度が大きいのです。
『ブルーバックス 発展コラム式 中学理科の教科書 第1分野 物理・化学』
・氷が水に浮かぶ不思議
私たちは水に囲まれて生きていますが、水をよく観察してみると、不思議な性質をもっていることに気づきます。
温度が下がるとその体積が減少するのが物質の一般的な性質です。ですから、個体の状態は液体の状態よりも体積が小さいのが普通です。しかし、1gあたりの氷と水の、温度による体積変化は、不思議なグラフの形を示しています。氷が水に変わる0℃で体積が急激に変化しており、しかも個体の状態のほうが体積が大きいのです。
これは氷と水の構造に関係しています。水は氷になると、水分子がきれいに配列してすき間の多い構造となります。氷になると体積が増えるのはこのためです。ついでにいうと、水分子と水分子との間には結びつき(水素結合)がありますが、水分子をつくっている結びつきよりも弱いので、氷を砕いても水分子自身が壊れることはありません。


「どちらも同じようなことを書いているようだが…個人の好き嫌いで選べば良いのではないだろうか。」と考えたが、答えを出せと言われるのでどちらかを選ぶことにした、というあたりでしょうか。

でも、それではいけないのです。
良い参考書がどちらなのかという問いは、読み手がものごとをどのように理解してゆくべきなのか、という尺度に照らせば、ちゃんと答えが出るのです。

「そんな、認識論もまだわからないのにできません」などと、しっかり検討もせずいきなり無理だと結論しないでください。
「無理なように見える…でも、自分にできることはまだなにかあるはずだ」と考えなければ、何事も前に進みませんし、論理の力もつきません。
ましてや後進を指導する者としては立てませんからね。続く者のために、と踏ん張って、努力の姿勢をぜひとも自分のものにしてください。

ここでもし、「読み手がものごとをどのように理解してゆくべきなのか」、つまり、一般的なものごとの理解の仕方がわからないのであれば、もっと具体的に問題を置き換えてみればよいのです。
たとえばあなたが中学生の後輩をもって、その人にいちばん正しく無駄のないやり方で理科を教えるためには、と考えてみればよいでしょう。
そのときにふさわしい参考書はどちらですか?もう一度考えてみてください。



では、ということで2つの参考書の検討に移ることにすると、両者ともに、検定教科書と違って、「分子」の考え方を指導に取り入れていることがわかります。
たしかにこのほうが、熱やイオンなどに学習が進んだ時にも、すでに習った事柄を基礎にしながら考えを進めてゆけますから合理的です。

さてそういった大まかな方向性は似ている両者が、水分子について論じています。
水分子というのは、ほかの一般的な物質と違って、個体の状態のほうが液体の状態よりも体積が大きいのです。
だから、両者ともに「水は不思議である」という意味を込めた節題をつけているわけです。

これらの把握については、科学的な基礎知識であるだけに、両者ともに差はありません。
しかし、その「論じ方」は、大きく違っているのです。
その違いがわかりますか。
論理の力を実践に使えるくらいまでしっかりと伸ばしたい方は、論じ方の順番に着目しながらもう一度考えてみてください。



ここまで書けば、「あっ、わかった!」となる人も多そうですね。

そうです。
順番が違うのです。
物質の一般的な性質と、そのなかでの水の特殊的な性質の記述の順番が、です。

『新しい〜』は、水の状態変化が持っている性質は特別だ、と述べたうえで、最もさいごの行になってはじめて、一般的な物質はそうではない、ということに言及しているでしょう。
それに対して『ブルーバックス』は、一般的な物質の性質について述べたあとで、それらと比べるかたちで、水の特殊性について言及していますね。

まとめていえば、前者はまず水の特殊性から物質の一般性へと進み、後者は物質の一般性から水の特殊性について進んでいます。

さて問題は、このどちらの記述方法が読者の体系的な理解を助けるのか?ということでした。
あなたはもう、答えがわかったのではないでしょうか。
これは、どうしても後者のほうが良い、ということになるのです。



「なにも知らない人が読んだときにはどちらが理解しやすいだろうか」と考えたときに、自分なりの答えが出せましたね。
これこそが、認識論の習練になるのです。
一見するとわからないことでも、自分のできることから考えを進めれば、きちんとした答えが出るでしょう。もっと、自分こそを頼みにすべきです。そうしてそれを積み重ねてゆくべきです。

それでも、なぜに一般性から特殊性を論じるのが正しいのか根拠を述べよ、という人がいるでしょうか。
たしかに、部分的な引用で判断をするのは強引過ぎる、と判断したためにかえって答えが出せなかった人もいるかもしれませんので、もう少しつっこんで考えてみましょう。またこの確認をしておくことは、認識論的な観点からも重要です。

もしあなたが、理科についてまったく詳しくない人間だったとして、水と物質についてどのような像が描けるかを確認しながら読みなおしてください。

前者の論じ方といえば、水は不思議である。なぜなら個体のほうが液体よりも体積が増える。これは特別だ。それとは違って一般的な物質は〜、という流れです。
それに対して後者は、物質は一般的にこうだが、水はこのようである。なぜなら水分子の構造は〜、という流れです。

どのような像の描き方がなされたかがわかるでしょうか。

前者で水が不思議だと言われたとき、あなたのアタマの中の水の像は「???」となっています。次に特別だと言われても、なにがどう特別なのかがわかりません。なぜかというに、比べるものがなければそれが特別であることもまたわからないからです。そうしてやっと、最後の一行で、物質の一般性が登場します。しかし水の像が「???」のまま読み進めてきましたから、物質の一般性を提示されてもピンときません。そういうわけで読者は、物質の一般性をアタマに描きながら全文を読み返し、「ああそういう意味で、この著者は水を不思議だ特別だと言っていたのだな」と、やっと、水の特殊性について改めて理解することができるというわけです。
後者については、説明するまでもありませんね。
だから、後者のほうが良いのです。



もし学校の実際の授業が、実験を中心としたものであるなら、水についてあれやこれや調べたあと、他の物質についても調べてみて、実は水のほうが特別だったんだよ、と、次第次第に物質の像を描かせてゆく、という方針で進めてもよいのです。

しかし、読みながら理解を進めるための教科書が、基礎的なところでさえも再読を要するものであっては、選ぶのに躊躇してしまうというものです。
この記述がさらに応用知識でも採用されていると…と考えると恐ろしくなりませんか。

わたしはこのBlogでは率直にものごとを言いたいこともあって、名指しでの批判はしないことが基本的な方針です。
しかし前者については、検定外の、よりよい教科書を作ろうという志は日本の義務教育にもよい刺激を与えるものと思うだけに、表現についての粗がどうしても目につくのです。
それは上で指摘した、子供たちがいかにものごとを理解してゆくかという認識論的な観点の欠如に加えて、あまりの落丁の多さ、です。

一般に教科書といえば、論理的にはともかくも知識的には現代という時代にまで発展した社会の構成員として、必須の知識を得るためのものであるがゆえに、落丁があってはいけないものです。
学生が、ここはもしかするとまた間違っているのではとビクビクしながら学ぶのであるなら、教科書としての役目を果たせるものではないと心得るべきでしょう。
すでに10箇所前後の落丁を見つけましたが、ウェブサイトにも正誤の一覧がないところを見ると、どうしたものか、という思いがします。

前者の編者は、実は後者ブルーバックスの高校編の編者をしているので、このあたりは出版社の校正体制に問題があるのかもしれません。
しかしともかく読者にとっては、世に出た表現こそが全てです。

認識論的な面についても、参考文献には「仮説実験授業」で、科学教育に認識論を取り入れた板倉聖宣の名が見えるだけに、当人から何を学んだのだろう、あの人の研究の偉大さは科学史から人類の認識の発展過程を学び、それを個人の認識の発展過程につなげたところにあるはずなのに…と、苦言を呈さざるを得ないのは残念です。



さて、またまた余談が過ぎましたが、参考書の選び方は、大まかにはこのようになされるべきものです。
一言でいえば認識論的な観点を持つべきである、ということになりますが、弁証法の習得過程ではいきなりは難しいですから、上で述べたように、自分の出来る範囲で、「ものごとを全く知らない人でもわかるかな」という視点で比べてみて、認識論的な実力も共に養ってゆくとよいでしょう。

また良い参考書を選んでおけば、弁証法の習得の助けにもなりますから。

ここでは一部しか比較しませんでしたが、経験から総じて言えば、一部であっても明らかな優劣がつく場合には、他の箇所で盛り返すことは難しいものです。

わたしも新しい教科書が出るたびに手にとって楽しみに読んでいますが、科学という分野では、検定教科書についてはあまり大きな違いはないようです。
知るかぎりではブルーバックスシリーズは一般図書として店頭でも手に入りますし、構成についても良い本だと思います。

同様に考えて、他の分野の参考書についても検討してみてください。

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