(3のつづき)
ノブくん:ではこれではどうでしょうか。
「人の心を動かす為には、相手に自分の考えを相手自身に選ばせる」事。
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わたし:さきほどの指摘をふまえて考えてみたようだが、考え方の筋道が違っているので、かえって答えから遠ざかっているように見える。
先に、4つの概念を一般化すべきだとしたところを、行動の前には認識が来るはずだとばかりに、「人の心を動かす」としているが、動かさねばならないのは、心だけだろうか?本書は、他者に自分の意にそぐうようなかたちで、実際に行動してもらうことを主眼に据えているようだが。
もうひとつ、目的論に相手の主体性を加味したようだけども、結果として表現が意味不明になってしまっているのは残念だ。細かな話になるが、「相手に自分の考えを相手自身に選ばせる」という表現を読者の立場になって読んでみると、文中の「自分」ということばが、「自分自身」なのか「他者自身」なのかが不明であるので、何度も読み直さなければ意味がわからないものとなってしまっている。もしこの内容で良い場合にでも、「自らの考えを相手自身が発想したかのように思わせる」とすべきだろうね。
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ノブくん:うーん…(しばし熟考)。
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わたし:…ちょっといいかな。いま君は、<一般化>というものの難しさを身をもって感じているね。この本は、一読すればわかるとおり、内容については、中学生でもひとおりの読書感想文を書けるようなものだ。ところが、一般性を引き出せと言われると、それがなかなかできない。
もし仮に、わたしが今答えを出してしまったとすると、君は、「なぁんだこんなものか、当りまえのことじゃないか…」と感じることと思う。実際に世の人がそう見なしているからこそ、研究職であってもその努力をしていないわけだが、君はそれと同時に、「当りまえのことなのに、それができないなんて情けない…」と感じられてもいる。ここからも、論理化というものが、紋切り型にできる大雑把な要約、というレベルのものでは決してないということがわかるね。この経験を身をもって体験して、自分のわかっていなさ加減をよくわかっておくということは、大きな前進であると捉えてほしい。
さて、論理というものが、誰かに教われば直ちに使いこなせるようなものでは絶対にない、独力で身につけ高めてゆかねばならない技であることをわかってもらったうえで、もう一度初心に戻って整理してみよう。
いま君は細かなところに深入りしすぎているようなので、まずはマインドマップを見て、しっかりと全体像を捉えることが大事だ。そうして考えてゆく。
そもそも、いま考えているのはこの本の一般性だけども、この一般性というのは、あまりに個別的すぎて「この本は、あの州の誰々さんとこの州に住む誰々さんと…のこれこれの経験について書いてある」としてはもちろんダメだが、逆にあまりに抽象的すぎて「この本は、人間の心理について書いてある」としてもダメになる、ということを押さえてほしい。
あくまでも、この本の内容をまずは正面に据えて、それを余さず表現しうる一般性を引き出さねばならないということだ。この<一般化>というのはそういう難しさがある。であるから、巨人の肩に乗る、つまり、看護一般論を参考にすべきだと言ったのだったね。
ここで初心に戻るというのは、まずは『人を動かす』の全体像をしっかり捉えること。それと同時に、その内容を看護一般論に置き換えてみること、ということになる。
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ノブくん:初心に戻って…たしかにそうですね。なんだか、自分ではちゃんと考えているつもりなのですが、気がつくと細かなところを熱心に読み込んでしまうようなところがあって、頭の中がごちゃごちゃしてきて余計にわからなくなるようなことがよくあります。同じ問題を考えるときにもあなたがすぐに答えを出せるというのは、その「頭がごちゃごちゃする」という無駄な回り道をしていないからだとわかってきました。
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わたし:それはとても大事な気づきで、いまひとつの大きな論理が浮上しつつあると考えてよい。いまわかりつつあるとおり、問題意識というものは、毎瞬毎瞬しっかりと持っておかねば、すぐに霧散してしまうものだ。論理的に対象に向き合うということは、一般的に言って、ある原則に照らし「続けながら」対象を見る、ということだから、そのことも論理に関するひとつの技化、ということになるね。小さい子供に「このコップを持っていてね」と言った時、外でクラクションが鳴ったりカラスが視線を横切ったりするだけでも落としてしまうでしょう。それと同じだね。
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ノブくん:僕はまだ、問題意識を強く持っておく、持ち続けるという、いわば把持する力がまだ足りないのですね。目的意識を強く持ち続ける、迷ったら初心に戻る、ということを意識しながらやってみます。
(目次を読み返す)
…まず、各4部の目次(人を動かす三原則、人に好かれる六原則、人を説得する十二原則、人を変える九原則)をおおつかみながらしっかりと、具体的な像を浮かべることで理解を深めながら読み返してみました。
そのうえで、あなたがさきほど指摘した、4つの概念の総合が必要だということを考えて、「人に強い主体性を持って行動してもらう」という、対象論と目的論についての一般性を出しました。
そうすると一般性は全体として、
「人に強い主体性をもって行動してもらう為には、互いにとって益のある選択肢を相手自身に選ばせ行動する」
となるような気がします。
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わたし:良くなったね。さっき2回の迷走が、急がば回れの遠回りになりつつあるようだ。ただ「選択肢を選ばせる」となると、意味を限定しすぎているように思う。
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ノブくん:ではこれでどうでしょう。
「人に強い主体性をもって行動してもらう為には、好きなものを与えて、進んで行動してもらう」。
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わたし:内容はそのとおり。ただ表現はどうだろうか。看護一般論はもっと簡潔に書かれていたように思うけども…。
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ノブくん:…たしかに。
「人に強い主体性をもって行動してもらうよう、相手の欲求を満たす」。
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わたし:これで合格点はあげられるでしょうね。この一般性を仮説として「念頭に置きかつ置き続けて」、本文を読み返してみて、どの個別の経験もがこの一般性で鮮やかに解けることを確認してほしい。そうする中で、細かな字句を修正するのもよいでしょう。
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以上が、ノブくんとわたしとの議論でした。
ただ念を押しておかねばならないことは、ここで出てきた一般論は、まだ仮説の段階であるということです。
看護一般論を見ると、そこには<対象論>、<目的論>、<方法論>があり、実際に『科学的看護論 第3版』中で、それら各論が個別に展開されてゆき、さらに人間観については『ナースの視る人体』などへ…と大きく展開されてゆきます。
ここで大事なのは、これほどまでに基礎が科学的なものとして据えられているからこそ、それを揺るがぬ土台として、その後の展開が破綻なく、しかも体系性を保持しながらのものになっているということ!です。これが、弁証法という論理の凄まじさなのです。
ですからわたしたちのすべきことは、『人を動かす』についても、各章を個別に書きだすまではいかなくとも、各論について一般的な説明をしっかりできるようにしておくことです。
たとえばノブくんの現段階での一般性を例にあげると、その対象となるのは「人」と「相手」なのですから、本書ではその対象となる「人」を、どのように見ているか、ということを<対象論>として説明できねばなりません。
筆者であるD.カーネギーは、人というものをどう見ていたのでしょうか。理屈一辺倒で議論を好み、論理的に説得すれば言うことを聞いてくれる人物だと見なしていたでしょうか?
そのように、各論がどのようなものになるかを考えてみてください。簡潔な書き出し方でけっこうです。
この進捗具合だと5月の末を少し過ぎる頃になってしまうと思いますが、学生さんの出してきた答えを紹介して、次の課題につなげてゆくことにしましょう。
言うまでもないことながら、この『人を動かす』から一般論を引き出すことによって培ったはずの<一般化>という論理能力は、続編である『道は開ける』に適用してゆくことになりますので、答えを先に知ってしまったからといって、自ら考えることから逃げないようにしてください。
そうでないと、ここをはじめ個別に叱られまくっている人たちだけが大きく実力をつけてしまうということにもなりかねませんので…。身についた技は、どんな対象に向き合った時にでも即座に、瞬時に発動するものであるだけに、その努力を怠ってきた過去を持っている人物からは、「奴は天才だからああいうことができるのだ」と見えてしまいがちです。
しかし、こういうものは、天の才などでは決してありません。
これは認識における技なのであって、さらに言えば、技と言うからには、それは自らの努力によって磨いてゆくものであることはまったくの当然、なのですから。
(5につづく)
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