2013/05/18

「人を動かす」一般論はどう引き出すか


少し前の評論記事で、


D.カーネギー『人を動かす』を扱いました。

問題を解いている当人が手こずっているようなので、ヒントを出しがてら、読者のみなさんにも考えてもらえるようにアドバイスのメール内容に加筆・修正を加えて転載しておきます。

そもそもこの本をなぜ選んだかといえば、「人の内面の動きをよく知り、よく見抜けるようになる」ため、つまり分野で言えば認識論をより高めてもらうための、ごくごく基礎的な入門書として、です。

ところが入門書といっても、これ一冊で認識論に入門できるというわけではなく、これはアメリカにおける人間関係の様々な失敗・成功という経験談を、項目別に整理したもの、です。
そこでは各個別の経験談が、それなりの整理の仕方で提示されてはいますが、このことは、学問で言う<体系化>とは、質的にまったく違うものです。

経験談をなぜに体系化する必要があるのか?そのまま使えば良いではないか…、と思われる方は、「では実際に使ってみてください。そうすれば体系化の必要性がわかりますから」と言うことになります。

というのも、個別の経験というものは、「そのままのかたちでは、」他の個別の経験に適用することはできない、からです。

もしできる場合があるすれば、それは、個別の経験とほとんど同じ場合に限られる、のです。

たとえば、こんな例で考えてみてください。

学校を卒業後、セールスマンとして出発するあなたを見送るとき、母親が、「お客様に失礼のないようにね。女性にとっては結婚記念日というのも大事なものですから、もし聞いたときにはしっかりと覚えておくように。それが人と関わるときには大事なことです」と言ってくれたとしましょう。

あなたがなるほどと思ったはいいものの、もし、この個別の経験談というものを「個別のかたちのまま」適用しようとしたときには、当然にあなたは行く先々で結婚記念日を聞きまわることになってしまいます。

しかし中には、それをそれほど重視しておらず覚えてすらいないような方もいるかもしれませんし、そもそも未婚の場合には、人と関わるための手がかりすら見つけられない、ということにもなりかねません。

ですから、ここでもっとも大事であったはずのことは、顧客の結婚記念日を忘れないという個別のハウトゥではなくて、それを他の個別の経験も含めて総合し一般化したところの、「相手の大事なものは自分も大事にしておかねば、人間関係など保てるものではない」という、人間関係における一般論、なのです。

その土台の上に、各組織のあり方や、商習慣、プライバシーの問題などという特殊性がうまく加味された時に初めて、あなたは一定の仕事ができるものと見なされるわけです。

それだけに、そうした一般化は本書でもある程度なされようとしているのですが、これでも、まだまだ十分ではありません。

◆◆◆

ですから、これをあくまでもたたき台として、その内容を自らの力で体系化してみる、という練習問題として取り組んでゆかねば、まともに本を読んだことには決してならず、実践的にも力がつかない、ということです。

学問的な観点から言っても、このような簡単な書物から一般論を引き出すということを繰り返し繰り返しやることで、<一般化>を自らの技として創りあげているのでなければ、最終的に乗り越えてゆかねばならない歴史上の偉人たちの残した理論書などは到底読めるはずもないことだとわからねばなりません。

一般化というものを、「全体を大雑把に掴んだもの」というイメージでヤブニラミして、「そんな簡単なことなら誰にでもできる」だとか、「そんなあやふやなものが一体何の役に立つのだ」という意見を述べる方がおられます。

しかし実のところ、一般化というものをしっかりとやってゆくためには、たとえば書かれた書籍の論理が一段の実力ならば、その読み手は、少なくとも三段か四段の論理的な実力を持っているのでなければならないのです。

これは、知識的に整理するのみならず、論理的な構造をいかに鮮やかに把握しさらに一語で表現しうるか、という、論理の問題ですから、あまり軽く見られぬことです。

5月の下旬には答えを出しますので、しっかりと力をつけたい方は、それまでに独力で答えを出してみてほしいと思います。

このあと、同じ著者の『道は開ける』についても一般性を出してもらおうと思っていますので、今回は練習してみたい、という場合には、「こんなことだと思うのですが合っていますか」と質問してもらってもかまいません。

別に試験でもクイズでもありませんので、答えがあっているかどうかよりも、どういう過程でそれにたどり着いたのか、ということのほうがより大事です。

古代ギリシャの哲学者たちがどのように認識力を質的に高めたかを追ってゆけば、問答の持つ力というものも、もっと重視されてしかるべきです。

どちらにせよ学問の本質は、知識ではなく認識における技、のほうに力点がかかっていると思ってもらって結構です。
ですから、同じものを見ていても、そのレベルが高ければ見えるし、そうでないのなら見えぬ、という結果になります。

さて、以下はメール文面ですので、常体で書かれています。
よろしくお付き合いください。

◆◆◆

薄井坦子『科学的看護論 第3版』が科学たるゆえんは、その体系性にあり、それは看護一般論として提出されている次の文面にも表れている。

著者にとっての看護一般論とは、
「生命力の消耗を最小にするよう
生活過程をととのえる」
こと、である。

これを参考にしながら、今回お題にしているD.カーネギー『人を動かす』の一般論を引き出すとするならどのようになるのか?というのが今回の問題であった。

その価値もわからないまま今すぐ科学的看護論まで買い求めよというのは少々酷であるから、問題を解けるだけのことを簡単に述べておくと、以上の文面のうち、看護が扱う対象となるのは、「生命力の消耗を」および「生活過程を」であり、看護の目的となるのは「消耗を最小にするよう」であり、そのためにどのような指針を持って臨むのかということが「生活過程をととのえる」という一文として表現されているわけである。

これらが書籍中ではそれぞれの理論として整えられており、それぞれ「対象論」「目的論」「方法論」として成立しているものである。
(わかりやすくは人を動かすーD・カーネギー 1-1の図を参照)

『科学的看護論』ではこのように看護学が体系化されているのだが、翻って『人を動かす』を読めば、体系性などは影も形もないということに気付かされる。

みなさんがアメリカの実用書および研究書を読んだときにはよく感じられることだと思うが、それは一言で言って、「内容についてはこのとおりなのだろうがそれにしても、もっと整理できるのでは…?」ということであろう。

たとえば、文章を端から読みながら、ノートに要点をまとめて行った時に、同じ内容について、あっちではAと名付けているのにこっちではBと呼んでいるのに困惑しつつ、さらにそれでも頑張って自分なりに整理しながら最後まで読み進めると、思いもかけず筆者による要約がついている。

それを読んでみると、どういうわけか自分の整理したものとは随分違っている。そうすると、もう一度それにしたがって読み返さなければなるまい。ところが問題なのは、この二者がずいぶんと食い違っているのである。しかし偉い先生の言うことだから、きっと自分の理解が至らぬせいであろう…と努力してようやく慣れてきたと思い次の書籍を手に取ると、今度はAをCと言っている、これらをいかに統一すべきか!?

しかしそもそも、学問の段階で物事を論じるということは、必ずそこには明確な概念と、その明確な規定がなければならないのであるから、筆者はそれこそに努力を注ぐべきなのであるが、それがないまま論じまくるので、結局筆者にしかわからない記述のありかたになってしまっているのである。

そういうわけなので、ここであなたが「もっと整理できるはず」と感じたことを整理して言えば、もっと<体系化>できるはず、ということなのであるが、それは、残念ながらこういった著作とその筆者には、<体系>という概念がないか、あってもせいぜい、「項目別に整理する」くらいのものとしてしか認識されていないという事実によるのである。

ことはこのようであるから、体系化は、『人を動かす』の全体像を掴んだ上で、そこからおぼろげながら浮かび上がってくる一般論を、さらに対象論・目的論・方法論として明確に位置づけるというかたちで、あくまでも読者の努力によって成されねばならない。

たたき台としての全体像を掴むためには、マインドマップを作ってみてもよい。
ほんとうに力を付けたければ、この製作も自分の独力で行い、「全体の構成を掴みながら」各章を読み進め、要点を書き込んでゆくこと。

慣れないうちは、この、「全体の構成を念頭に置きながら各章を読む」という、全体と個別の行き来というものが、とても疲れるために、読み進めていくうちにいつしか、全体像との照らし合わせを忘れ各章だけを端から読んでしまいかねないので、その点を努力しながら、注意力とその持続力もしっかりと養ってもらいたい。

Mac用アプリケーション「MindNode Pro」を使用。

このことをふまえて『人を動かす』を読んでゆくことにして、たとえば2章を見ることにする。
すると、その節立ては、「誠実な関心を寄せる」、「笑顔を忘れない」、「名前を覚える」、「聞き手にまわる」、「関心のありかを見抜く」、「心からほめる」とある。

ここで読者のすべきことは、これらのキーワードは、「人を動かす」一般論のうち、どの分野として扱われるべきものであるか?と問いかけてみることである。

これらは「人を動かす」ための対象なのか?目的なのか?方法なのか?

このように問いかける中で、はじめに立てたおぼろげな一般論と、個別論としての対象論・目的論・方法論が、相互の関係性において把握された時に、それがゆるやかに重なって最終的にピタリと一致し、全体として明確な一般論として提示されてくるところにまで進めてゆけばよい。

当然、ここで出されるはずの一般論を土台として、この本のどの章のどの部分もが、その土台の上の個別として位置づけられていることになるはずである。

◆◆◆

学問の出立時、論理学(=弁証法)がいちおうのかたちで把握されたあとには、このような簡単な書物を、自らの力で何度も何度も体系化して、一般論を引き出すことを熱心にやっておく、つまり<一般化>を技として創出しておかなければ、複雑な学問やそれが扱う対象たる森羅万象の構造などはどうあがいても引き出しようもないわけであるから、文化人たり得たいと願う人間はぜひとも取り組んでいただきたい。

5月の最終日に答えを出すので、力を付けたい人はそれまでに独力で答えを用意して答え合わせをするとよいと思う。
もちろん、質問しながら問答のなかで答えを探してゆくということでも力をつけてゆけるので、質問は随時。

また『人を動かす』のあと、『道は開ける』についても一般論を出してもらうつもりであるので、ハードカバー版を単体で買うよりも3冊組のハンディ版を買い求めると扱いが楽である。

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