2013/05/30

本日の革細工:自転車リアバッグG1R (3)

(2のつづき)


前回までは、久しぶりの更新ということもあり、なかば無理矢理(?)、ひろく芸術一般における創作活動の過程的構造についておさらいしてきたのでした。

この把握なくしては、この前に質問をくださった方のように、道具や作品の作り手の立場に立ち、我が身に繰り返すかのごとく創作過程をたどるということなど夢のまた夢になってしまうものですから、ものづくりに関わる方や、どんな業種でもひろく創造的な仕事をしようと考えている方はぜひに押さえておいてもらいたいと思います。
(参考:「本日の革細工:キャンバスバッグ」についてのお便りをいただきました

表現というものの過程性をふまえておくということは、直接的に創作活動にたずさわっている人たち以外にとっても、非常に有意義です。

たとえば、一般には芸術・創作活動とは無縁と思われる武道やスポーツの世界も、やはり大きなくくりでみれば表現の問題が出てきます。

表現一般論を押さえておけば、そういった現場での指導において、何回教えても教えたとおりにできない人間を目にしたときには、「お前は何回教えても一向に上達しないな、やる気がないのか?」と言う前に、せめて、指導者自らが、その被指導者の「どこに」問題があるのか、という観点を持つべきであることがわかります。

ここで「“どこ”とはどこのことだ?」という向きには、前回までの記事をもう一度読んでもらわねばなりませんが、整理して言えば、まずい表現が結果として出てきている原因は、大きく分けて二重の構造を持っているということです。

武道やスポーツの場合、一見すると技術の問題ばかりが目につくために、多くの人は、うまくいかない理由を技術の面だけに帰しがちなのですが、わかっていてできない場合と、自分のわかっていなさ加減がわかっていない場合には、指導内容が大きく違っていてしかるべきなのです。

技や走法の像が正しく認識として受け止められていない場合に、「何回教えてもお前はダメだな!」と言ったところで、当人にとっては自分の認識そのままの表現ができていると思われているのだとしたら、当人の中では「何故これでダメなのだ、言われたとおりやっているのに!」という思いが強まるばかりでかえって逆効果ですらあります。

これはつまり、被指導者の失敗の原因が技術にあるのか、認識にあるのかという問題であるわけですが、これを見抜き特定し導いてやらなければならないのは、当然に指導者の仕事です。ここをハウトゥ的にしか考えられない場合、「3回教えてもダメなら叱りつける」といった、現象一辺倒・紋切り型のルールや罰則を設けてしまいがちになっているはずです。

ほかにも、表現一般論をふまえておけば、実際には悪筆な人ほど自分の字に自信があるのはなぜか?といったことに類する問題もあっさりと解けるものです。ああいった問題の構造を見ようとすることなくいきなり当人の性格や気質だけに帰するのでなしに、やはり認識と表現の持っている構造に立ち入って検討しなければ、まともな実践になりようもありません。

大事なのは技であり表現であり実践です。それは間違いないのですが、それを高度にしようとするならば、直接に技術一辺倒の努力を強いるのでなく、急がば回れをして、当人の認識がどのようになっているかを手がかりに、そこをこそ導いてやるべきなのです。やや極端な例ですが考えてみてください。もし認識をつくる頭脳そのものにいかんともしがたい器質的な欠陥がある場合、たとえば色盲の人間に、「お前はなぜキュウリを赤く塗っているのだ、色も見えんのか!」と「技術的にのみ」指導するとどうなるのか、と。ですから、技術を高度にしてやりたいとばかりに技術だけを直接磨かせるという姿勢から生まれるのは実のところ、「天才の選別」のみ、というあまりに寂しい現実があるのです。

この前の記事のおしまいで、わたしが自分の料理を「まずい」と言ったのも、10人に聞いたら10人がまずいと述べたとかそういうことではなく、自らが「こうなったらいいな」と思い浮かべた認識のとおりの表現になっていない、ということ、つまり認識と表現がぴったり一致しないという客観的な関係を指してのことでした。ですから手料理をうまいと言って食べてくれる学生さんの感性にケチをつけているわけではありません。見ている構造が違うわけです。

ここでの記事では、理解を進めてもらうためにたとえがたくさん出てきますから、論理がまるでわからない人にとっては、そのことが裏目に出てかえって雑多な印象になっているかもしれません。しかし、ひとつの記事の中でお話ししていることはすべて、論理的に同様のことを述べているので、そこをこそ読み取っていただけると嬉しく思うところです。これらはほんの、入口中の入口なのですが、それですら常識になっていないことを否が応にも思い知らされる実践が世に蔓延っている現実を見るのは、あまりに寂しいものですから…。みなさんの「ものごとを見る目」の高まりを願っています。

でははじめましょう。なにを隠そうこの記事は、バッグのお話なのでした!

◆◆◆

さて今回のバッグを作るきっかけになったのは、いまわたしが芸術を学んでいる先生が持っておられた口金つきのバッグを見たことでした。

わたしはそれまでは、口金つきのバッグというのは、肝腎の口金部分をどこかで調達して来なければどうにもならないと思っていたもので、市販の口金に合わせてバッグを作る、という作り方しかないものと思い込んでいたのです。

口金とはこういうものですね。

イタリア製の口金。
わたしがよくお世話になるCountless-Riverさんから引用。

ところが、その先生のバッグがとても小ぶりでしたから、「この口金はどこで買ったものですか?珍しい大きさですが…」と聞いたのでした。

すると返ってきた返事が、「これも作るんですよ。アルミを曲げてね」というもので、一瞬「エッ!?」となったものの、帰りしなに、「そう言われてみるとそうか…なんで思いつかなかったんだろう」と思い直して、早速アルミの板を買い求めたものでした。

わたしは自分のために創作活動をしない(なにせオーナーと議論しながら作ってゆくのがいちばんの楽しみなので…)ために、ささいなきっかけでもこれ幸いと、「口金も自分でつくる」というところを起点にして、やはりというか、自転車用のバッグを作る、という計画が始まりました。

◆◆◆

というわけで、届きました。


アルミの板です。


これに百均ショップ(年に数回しか行かないのですが、なかなか面白いですね。ちょっと加工すれば良い素材や道具になりそうなものがいくつかありました)で買ってきた麺棒を膝の上であてがって…


曲げました!

これに電動ドリルで穴を空けるだけです。

やってみると、思っていたよりもはるかに簡単で、今度からはもう、「作れる技術が揃ってから作るものを考える」のでなしに、「作りたいものを想像してから技術を考え」よう、と思いました。

制限というものは、客観的な条件のように思えても、実は主観的な思い込みによるものでしかないことがありますね。

◆◆◆

それに加えて、今回は金属のほかに、あまりものの帆布があるというので、これも譲っていただいており、これも素材として使ってみることに。

素材が決まったところで、今回のバッグの全体の構成を考えるにあたっては、前回の革細工記事で言っていたようなことをはじめに念頭に置きました。

「バッグが道具であるからには、『ものを入れて運ぶ』という目的に相応しいだけの強度を、『構造』のところで実現しておくべきだ」、というようなことがそれですね。

いくら帆布が丈夫だと言っても、自転車に載せるバッグであるからには、5kg以上の荷物を積むわけですから、走行中に中身が暴れれば危険になりますし、自転車を降りて持ち運ぶときにもすぐに型くずれするようでは気兼ねなく使えません。

このことを考えた時に、荷物の重量が直接かかり、また自転車のキャリア(荷台)に直接触れることになる底面部については、革を貼り合わせて強度と剛性を確保しようということになりました。

それに加えて、口金の部分も革でアルミの板を包んだものになりますから、出来上がったものを正面から見たときには、ブラウンの革がベージュの帆布を上下から挟み込んだようなものになるはずです。

◆◆◆

こうしておおまかな全体像が見えてくると、次にバッグの顔となるフェイス部を考えてゆきます。

今回のバッグは、G1Rというだけあって、フロントバッグである試作G1と対になるものとして作ることが決まっているので、手元に置いてまじまじと見つめます。

G1は自転車全体の顔になる部分なので、動物の顔を抽象化したような、下向きに尖ったデザインになっています。

左のバッグがG1。
単に第一世代=Generation 1の略です。

それとは逆に、今回は自転車全体では後方、おしりの部分に位置するバッグですから、上向きに尖ったデザインにして、「これにておしまい」という印象を与えるものが相応しいということになります。

今回は試作バッグですから、それを、ちょっとやりすぎかな?というくらいに強調したものを考えました。

それが、以下のフェイス部でした。


前にリアバッグ(G2R "BLACK KIWI")を作った時の経験上、リアバッグはフロントバッグよりも横幅がとれることと、後方に位置づけられることから、少々デザイン的に入り組んでいてもうるさくなりにくいことから、コンチョを含めた3つの円形をあしらっても大丈夫だろう、ということになったのです。

わたしとしては、上の写真のように3つの円を並べたとき、大好きな動物である梟の眼と鼻のように見えるなと思い、俄然創作意欲が湧いてきたものでした。


(4につづく)

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