2011/11/02

構成とはなにを意味するか:「文学考察: あしー新美南吉」を中心にして (3)

(2のつづき)


前回では、技術の習得過程を少し触れることで、「山頂まで登りつめる」ためのやり方には原則がある、ということの理解を進めてもらいました。

その方法とは、何も考えずにただがむしゃらに努力をするよりも、その前に立ち止まって、自分の目指すべき方向は本当に正しいのか、という問いかけのなかから掴みとってくるべきものであり、現時点での最高の正しさというものは、歴史性をふまえることによってこそ導いてこれるのだ、ということです。

歴史性というからには、それまでの過程をまずは一身に繰り返し、自分が現在取り組んでいる事柄を一言で要すことができるところまで一般化してしっかりと把握し、最後には自分力でその先の道を築いてゆく、ということを最低限おさえておかねばならないはずです。

(わたしが記事のたびに、「前回は〜と言いましたね」と一言に要してことわる理由も、なぜだかわかりますか。)

前回述べた技術の上達過程については、心理学を専攻されている学生さんは「無意識の無能、意識の無能、意識の有能、無意識の無能」といった学説を思い出すかもしれませんし、武道を専攻されている学生さんは、「動けばすなわち技となる」と言われていることを思い起こすかもしれません。
ただひとつ注意しておいてほしいのは、その過程に、どのような内実が含まれているかと考えていってほしい、ということです。

ああいう経験主義的な理論や、極意論を振りかざしてみても、何らの実践を導かないことにがっかりしてそれらそのものを棄ててしまう前に、あれらはなにもまったく意味のない空論などではないけれども、それでもひとつの結論でしかないのだから、その「過程」は自分の力で論理的に補ってゆかなくてはならないのだ、と正しく理解しておいてほしいのです。

(※文学以外の、一般的な関心をお持ちの読者のみなさんは、おそらくここまでが興味の持てる範囲なのではないかと思います。以下では、このblogでは珍しく、文学の特殊的な色合いが増してきますので)

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さてそろそろ脱線が過ぎましたから、文学の話に戻りましょう。

「山頂まで登りつめる」ための一般的なものごとの考え方が、評論についてはどういうことが言えたのかをおさらいしておきましょう。

「1. あらすじ」では作品そのものの要点を捕まえながら全体の流れを捉え返し、
「2. 一般性」ではそれをさらに一言で要することで、
「3. 論証」での論者自身の読み解き方を読者へ伝えることへと繋げてゆく、
ということでした。

この段階をふまえるという修練を繰り返すなかで、しだいしだいにそのものごとの考え方が自分の認識と浸透してゆくと直接に、学問的に考えられるアタマを技として創り上げてゆくことが、山頂まで登りつめるための出発点なのです。

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ではここまでの原則をふまえられているかどうか、という観点から、今回の評論も評価してゆくことにすると、全体的な論じ方は悪くない、と言えそうです。

より突っ込んだことを言えば、「1. あらすじ」と「2. 一般性」は、いわば「作品を正面から見据えて理解する気があるか、またそうできているか」にあたるところであり、もはや初心と名乗ることを許されない論者にとっては、当然乗り越えてくれるであろうところですし、事実その期待には応えてくれています。
しかし「3. 論証」の部分については、より多くの工夫が必要である、という判断ができます。

なぜかというと、この論証部分こそがひとりの人間が評論をするという営みにとっての独自性そのものなのであり、評論ということもひとつの表現のあり方であることをふまえるのならば、評論も表現についての原則(対象→認識→表現)に則らねばならないことから、「読者の認識のあり方をもその念頭においておかねばならない」(観念的二重化)という厳しい条件が要求されることになるからです。

くだけた言い方をすれば、論者がもし、どんなに優れた認識や人格を持っていたとしても、それが表現をとおして読者に伝わらなければ何の意味もないのだ、ということです。

読者が目にするのは表現のみである!という事実を、まずはしっかりとふまえてください。

かつて、文芸に携わる者ならば肝に銘じておかねばならないとして、太宰治がしきりに述べていたことがありましたね。
作品が完成したあとに、あそこにはこういう意味があったのだとか、読者からの評価に戦いて後付けの言い訳を考えるくらいなら、作品そのものをきっちりしっかりと完成させればよい。作品をして作者を語らせるのでなければならぬ。それができぬのは作家失格である。
といった趣旨の主張がそれです。
(太宰治『作家の像』、『自作を語る』、『鴎 ――ひそひそ聞える。なんだか聞える。』)

あれは、矜持を含んだ経験からの直感的な把握だったとはいえ、表現についての本質を捉えた発言だったのであって、表現というのは、とにもかくにも筆者の手を離れればいかようにも解釈しうるのである(相対的な独立)から、作者は、読者が自分の書くであろう作品を見たときに、どのように感じて考えるかを、あらかじめ織り込み済み(観念的二重化、相互浸透)としておくのが当然なのだ、誤解もそのままに受け止めるべきなのだ、ということです。

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そう断った上で今回の新美南吉『あし』の「3. 評論」部分を検討するなら、作品の論理構造を把握できているのであれば、同じ構造を持った他の身近な例を引きながら、より読者が作品の理解を深めてゆけるような論証をしてほしかった、というのが本音です。

修練の際に読者を想定することが大事だと強調するのは、なにも直接的に読者の益になるかどうかということに力点が置かれているのではなくて、ともかくその目的意識性がないことが、論者にとって、論理構造を把握するための修練過程が片手落ちになってしまうという、修練が持つ意味合いの欠陥につながってしまうからです。

この欠陥は、この作品に限って言えば、この作品が児童文学であり、さほどの複雑な表現と構造を持たないことに助けられて(相互浸透)、表面化してくることはなかったものの、岡本綺堂『牛』の評論では、その欠陥が浮き彫りになっていると言えます。

論者が、作中の、牛に襲われた経験のある芸妓が、夜逃げの最中に牛の亡霊が見えたと騒ぎ始める部分を、論者がどのように理解してどのように書いているかを見ましょう。

文学考察: 牛ー岡本綺堂
では、彼らは何故、その区別をつけることができなかったのでしょうか。その大きな要因の一つは、やはり化学(※「科学」が正しい)が現在のように発展していなかった事が挙げられるでしょう。例えば、私達が病気にかかった時、私たちはこれまでの知識から、どここ(※「か」)からか細菌を体の中に入れてしまったことや、体の何処かに負担をかけた為にそれが起こっていると考え、そこから予防策として生活習慣の見直し等を図ろうとします。ところが、細菌等のそういった言葉や知識を知らない昔の人々は、それが何故起こっているのかを理解することが出来ず、結局精神の世界から、悪魔や悪霊といったものをつくりだし、そうして現実の世界の出来事である、病気に至るまでの過程を埋めなければならなかったのです。こうして現実の出来事を精神の世界で埋めることによって、その境界は曖昧になり、やがては区別できなくなった(※「て」)いったのです。ですから、物語の中の小雛の話も、江戸の人々はおのおのの空想によって、牛の出現という奇妙な現象を受け止めるしかなったのです。
ここなどを読むと論者は、現実の世界とは別にあらかじめ用意された精神の世界があることを前提として、江戸時代の人々は現実で突き当たった問題を精神の世界に混同して考えてしまった、と捉えているようですが、それは現在のわたしたちが生きている水準の常識から見た時の整理ではないでしょうか。

西洋の合理的な物事の考え方が人口に膾炙するところのなかった江戸時代において、たとえば現在言われるような身体と精神との二元論的な区分がそもそもなかった、というところに考えを進めてみることができないのは、過程に目を向けそこねていると言われても仕方がないほどの踏み外しであるといえます。(デカルトの二元論を知らないのなら、その大まかな内容と発表時期、日本への伝播の時期を調べておいてください。)

もし周辺的な予備知識がなくとも、この作品を読んだ限りでも、江戸時代においては、身体も精神も、その概念的な区分がそもそもなく、ただありのままがあるようにあった、人々の認識のあり方はそのようなものであった、と捉えるほうが正確なところでしょう。

『牛』についての評論が、こういった「過程」への注意を欠いている理由を、論理的な修練の進め方と、人々への観念的な二重化の修練がやや不足していることにあると言い切ってしまうのは、単なるヤブニラミでしょうか。

わたしは、「山頂に登りつめるための道」を指し示すことまではできますが、その険しい道は、わたしが変わりに登ってあげることは決してできないのだ、ということを今一度確認してほしいと思います。
そうであるからこその日々の、唯一無二の、自分自身の頭脳と身体を用いた修練なのであって、それを怠ったとき、いかなる質量転化的な転落が待っているかは、それを目の当たりにできる段に来てしまっては手遅れなのだと知ってほしいと思います。

せっかく、ここまで来たのですから。

◆◆◆

文学作品を見渡してみると、違った場所で生まれた人間や、違った世代の人間のあいだに軋轢や愛情が生まれるところに、ドラマが描き出されていますね。

断るまでもなくわたしたちは、ひとつの身体から外に出ることのできない一人の個人なのですから、「直接的には」他人の気持ちを知ることはできません。

しかし、相手の表情やふるまい方、時には目を合わせただけであったりとか、「連絡がない」ということを手がかりにして(「連絡があった」から<こそ>「ない」が際立つ、相互浸透)、相手の感情を敏感に察知できることさえあります。
それはわたしたちが、相手の表現の裏に、その人の感情を自分のことのようにして読み取るからであり、これを学問の世界では「観念的二重化」と呼ぶのです。

観念的二重化を正しく行うためには、簡単にいえば「相手の立場に立って気持ちをさぐる」ことができればよいのですが、違った場所で生まれた人間、違った時間で生まれた人間のことをしっかりと理解するためには、とてもとても、細心に渡っての捉え返しが必要であることが、今回の失敗をとおして理解できたのではないでしょうか。

論者は以前に、自分勝手に用意した物語のテーマを、どんな作品にでも「度外れに押し付けて解釈してしまう」という間違い方を幾度となく繰り返し、そのたびに厳しく指摘された過去を持っていましたね。
その誤り方はなにも、物語のテーマだけにあるのではなくて、江戸時代に生きる登場人物の感じ方を、「現代を生きる私たちの価値観で解釈してしまった」という、時間的、時代的な問題にも含まれていることがあるのです。

目に見える結論や現象だけではなく、その裏側にはどのような「過程」が潜んでいるのかをこそ探ってゆかねばならない、という弁証法の教えは、実際に適用してみるときには、とてもたくさんの落とし穴が待ち構えていることを、ぜひともわかってもらいたいと思います。


(4につづく)

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