2011/11/05

どうでもいい雑記:『スティーブ・ジョブズ I』・『同 II』を読む

ひさしぶりに学術書以外の本を真剣に読んだ。


ここのところのAppleという会社の扱われ方が、10年前とはずいぶん違っているが、もしこの人から、ビジネス関連のアイデアを引き出したいだけなのであれば、『II』のうち、最後の3ページほど読めばじゅうぶんである。

それから、電子書籍版はあまりできが良くないので、URLは貼らない。
分厚くてかさばるが、それでも紙の書籍版を手に取るのが良いと思う。

わたしの場合には彼は、自分にとっていちばんぴったりのことを死ぬまでやった、という人物のひとりだから、この本に払った金額以上の見返りをなんとかして取り戻そうという気はまるでない。単なる趣味の読書だ。

◆◆◆

読んでいる最中、ジョブズのものごとの進め方や振る舞い方に触れると、なんとも笑いがこらえきれず、くすくす笑いながら、楽しく読んだ。

車内でも笑っていたから、きっとヘンな人間だと思われただろうな。

別にジョークが書かれているわけでもないし、むしろあたらしい製品の開発中に誰かを叱り飛ばしたり、レストランで出てきた料理にケチをつけて喚き立てるといったような、現実に目の当たりにしていれば普通はぎょっとしたであろう箇所なのだが、わたしは人間のこういうところを見ると、おかしくて仕方がない。

自分の立場がめちゃくちゃマズいことになったときにもケラケラ笑っているから、周囲からはなにやらアタマのネジが飛んでいるのかとも思われているらしい。

そういえば学生時代に、バイト先の上司が男女関係のもつれやらで問題を起こしたことをみんなしてメールしていたら、一人の友人が携帯電話を取り上げられて、芋づる式に誰がどんなことを言っていたのかがバレてしまったことがあった。

あの時も笑いが抑えきれなくて笑っていたら、わざわざ詫びの電話を入れてくれた友人が面食らっていたっけ。

ほかにも、仕事でどうにもならない事態が起こった時や、大怪我をしたときも笑っているもので、なにやら逆に怖がられたりしているような気もするが、人間にとって(わたしにとって?)の「笑い」というのは、動物が威嚇するときに牙を剥くところから転じていると言われるとおり、けっこう複雑である。

◆◆◆

ジョブズが、自分の期待したほどの仕事が返ってこずにいろんなものに腹を立てているところを想像して込み上げてくるこのおかしさというのを考えてみると、坂口安吾の『堕落論』を読んだ時にもこらえきれなくなった笑いがいちばん近いように思う。

あの本を読んだのは、海外からの帰りの飛行機の中で知り合った人が、退屈そうなわたしを見て貸してくれたのがはじめてであった。
わたしがくすくす笑いながら読んでいるのにつられて、隣に座っていた友人が、次に貸せというのでそうしたが、どこが面白いのかと首をかしげていた。

人間の喜怒哀楽が激しく出ていればおかしいかというと、もちろんそんなことはないのだが、わたしにとって人間がおかしいのは、彼や彼女たちが、負けるとわかっていても突き進むという気概を持っていたり、ずるいやり方を頑なに拒んで、おそらく不利になることが自分でもわかっているにもかかわらずその気持ちに突き動かされて、やはり不興を買う、といったところである。

わたしは人間のそういうどうしようもなくバカなところ、つまり損をするのがわかっていても自分の気持ちには決して逆らえない、わかっちゃいるけどやめられない、という不器用な姿をみると、なぜだかとても嬉しくなってきて、「あなたもそうか、わたしもそうだ!」と、とても元気づけられてくるのだ。

◆◆◆

冒頭で、ビジネスのアイデアが欲しいのなら、と書いたのは、もちろん皮肉であるが、ずいぶん売れているようなので、ほとんどはそんな読者なのだろう。
しかし、そんな姿勢で流行りの経営者の本を手に取った人間が、こんな文面にぶつかったときに自分のことのように理解できるものなのだろうか。笑いが込み上げてくるものなのだろうか。

「僕は、ビジネスというものには、どうしても興味が持てない。僕のしたいのは、めちゃくちゃすごい製品を届けたいだけなんだ。」


わたしにとってこの本は、読んでいて一文にもならないけれども、「後ろからレンガで殴られたようなときには」、この先も開いてみるものになると思う。

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