2012/03/15

文学考察: 大島が出来る話ー菊池寛 (1)

贔屓目かもしれませんが、


急に良くなった印象がありますね。論者の日本語表現が。
ただ、全体が整った反面、逆に(相互浸透のかたちで)まずいところも浮かび上がってきた、というところもありますけどね。
(この前はひとつずつの接続詞にしっかりとした意味合いをもたせよう、と言いましたが、次は語尾(「〜です」、「〜ます」、「〜た」など)について、同じものが続かないように工夫をすると、よりこなれた文章になるでしょう)

人に何かを教えたりしている人ならわかってもらえることと思いますが、教えている相手をずっと見ていると、内心ドキッとすることがあります。
それは、その当人を見て、まるで自分自身の姿を見ているかのような錯覚にとらわれることがあるからです。

刀の振り方や絵筆の持ち方、走り方といった技に直結することだけならまだしも、歩き方や立ち居振る舞い、笑い方なんかが似てくると、なんとも気が気ではない、という気持ちになってきます。
こういうときは、「なるほど、これが相互浸透のひとつのありかたか」、「これが目的的に対象に向きあうということか」、「これが量質転化か」と法則が実感を伴って自分の腑に落ちてくる瞬間でもあるのですが、それと同時に、「いい加減な振る舞い方をしているとそれも真似られてしまう!」という恐ろしさがあるものです。

以前に友人から、その人が師事している方が、「もう怖くて赤信号も渡れないよ」とこぼしていたという話を聞いたのですが、これは指導者としては、実にもっともな実感だろうなと思われます。
だって、どこで誰が見ているかわかりませんからね。

わたしはこのBlogなんかではまだ大人しくしているほうで、実際に会うときには自分が不利になるようなことまであけすけな人間、で通っているようです。
それでも実際にはとくに不利益を被っていないということは、あけすけにしゃべっているその相手に恵まれているのだ、と理解すべきところでしょうか。

有り難い話です。

最近はどうでもいい雑記も書けていないからか、話が逸れました。
背筋を伸ばして、今日の評論を見てみましょうか。


◆文学作品◆
菊池寛 大島が出来る話


◆ノブくんの評論◆
「譲吉」は高等商業の予科に在学中、故郷にいる父が破産して退学の危機に直面したことがあります。そんな彼を救ってくれた人物こそ、同窓の友人の父、「近藤氏」だったのです。以来、彼は「近藤夫人」の手から学資を頂いていました。そして、学校を卒業して社会人になっても彼と彼女の関係は変わることはなく、譲吉は何かあると近藤夫人を頼り、彼女は彼女で彼の欲しがるものを与えていました。ですが、そんな彼でもたったひとつだけ手に入らないものがありました。それが「大島絣の揃い」でした。彼は大島を買いたいとは思いつつも金銭の問題から購入には至らず、それを買う機会を次第に失っていきます。
そんなある時、譲吉は電報でお世話になっていた近藤夫人が突然亡くなったことを知ることになります。これまで彼の生活を影で支えていた人物の死を聞いて、譲吉の心には大きな穴が開いてしまいます。
そうして途方に暮れているある日、彼は近藤の家の人々から夫人の形見である大島を頂きました。念願の大島に彼の妻は大喜びしました。彼も妻と同じく大島を手に入れたことに多少の満足は感じていましたが、素直に喜べない様子。どうやら、彼は恩人の近藤夫人から大島の揃いを得たことに対して、複雑な心情を抱いているようです。では、一体それはどのようなものなのでしょうか。
 
この作品では、〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉が描かれています。 
この作品のラストでは、近藤夫人からもらった大島の揃いに対して、譲吉と妻の心情が対照的に描かれています。妻は素直にそれを「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、素直に喜んでいましたが、当の譲吉はどうだったでしょうか。「一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って」いました。そもそも近藤夫人と「与えられる」関係にあった彼は、日頃から彼女に対して感謝の念を抱いていました。そんな彼のもとに大島の揃いが、彼女の形見として送られてきたのです。形見というからには、当然これは彼女が死ななければ手に入らなかったものであり、幾ら彼にとって欲しいものだったとは言え、素直に喜べるはずもありません。まさに彼は、彼女への感謝の気持ちがあったからこそ、その時の彼にとって、最大の贈り物であったであろう大島の揃いを受け取っても喜べず、複雑な気持ちにならなければならなかったのです。

◆わたしのコメント◆
※コメント中、「夫人」とすべきところが「婦人」となっている箇所を訂正しました。

あらすじは論者のまとめてくれているとおりです。

主人公である「譲吉」が、学生のころから親身になって公私ともに支えてくれたのは、「近藤夫人」その人でした。彼が結婚できたのも夫人のはからいによるものが大きいのですが、そうして生活が落ち着いたのちにも、譲吉は、「大島絣(がすり)の揃」だけは手が届かなかったのでした。しかしその願いは、あることと引き換えにして叶うことになったのです。

論者も認めているとおり、この物語の焦点は、物語の後半部の譲吉の心情です。
譲吉の手に大島が渡ることになったのは、夫人が亡くなったのと引き換えに、彼女の遺物(かたみ)として送られたからなのですが、そこでの譲吉の心情を読み解くことができれば、物語の要点を押さえたことになるでしょう。

夫人の葬儀が終わり、帰宅した時思いもかけず夫人の遺物が届けられていたところを見てみましょう。
彼は妻よりも、一足先に家へ這入った。如何にも妻が云った通り、座敷の真中に、女物に仕立てられた大島の羽織と着物とが、拡げられて居た。裏を返して見ると、紅絹裏(もみうら)の色が彼の眼に、痛々しく映った。
「いい柄だわね、之なら貴方だって着られるわ。直ぐ解いて、縫わしにやりましょう。夫とも、一度洗張りをしなければいけないでしょうか。」と、続いて這入って来た妻は、大島を手に取って、つくづくと眺めて居る。
譲吉も、自分達の望んで居た、大島が出来た事に、多少の満足を感ぜぬわけには行かなかった。が、一生の恩人である近藤夫人を失って、大島の揃を得た譲吉の心は、彼の妻が想像して居る程単純な明るいものとは、全く違って居た。
子供もできて入り用だからと諦めていた大島が、思いもかけず手に入ったことを、譲吉の妻は素直に喜んでいます。
それとは対照的に、譲吉には複雑な気持ちが宿っているのですが、論者はそれを一般性として、こう整理しています。
〈感謝の気持ちがあり過ぎるあまり、かえって一番欲しかった贈り物を喜べなくなってしまった、ある男〉
◆◆◆

これはこれで、いちおうの正しさがあるのですが、把握の仕方がやや単純で表面的です。
なぜかといえば、恩人が亡くなった代わりにその人の遺物を手に入れたのなら素直に喜べない、というのはごくふつうの感情だからです。
物語の一般性というのは、その物語の文学の中で持っている特殊性を明らかにしなければなりません。(相互浸透)

夫人の生前、譲吉は、「近藤夫人に対して、何等の恩返しもしなかった」し、「恩返しなども、少しも念頭に置かなかった」のです。
その理由というのは、ひとつには、恩返しというものが利己的な理由に基づいているという理解と、もうひとつは、恩を返すというからには、相手に何らかの事故がない限り叶わないということでもあり、そのことは恩人の有事を望むことにも似ている、という理解からだったのです。

そういうわけで、譲吉は、近藤夫人にたいして、「ただ夫人の恩恵を、真正面から受け、夫に対して純な感謝の情を、何時迄も懐いて居りたいと」思っていたのでしたね。

譲吉は、夫人にたいしてこれ以上ない恩を感じていましたが、そう感じているからこそ、自分の下手な工夫で恩を返したつもりになって満足してしまうということが、何よりも怖かったのです。
そのことは裏返し、譲吉が、夫人から受けた恩というものが、どうしたって返すことのできないほどに大きなものであり、自分の身勝手で汚すことだけは許せないというほどに尊いものだということを認めていたわけです。

なくなる前日まで、夫人が譲吉のためを思って、彼の子供のための産衣を用意してくれていたことを知った譲吉が、どのように感じ入っていたかを見てください。
譲吉は、夫人が最期のその日迄、譲吉の事を考えて居たことを思うと、彼は更に云いようのない感謝に囚われた。
彼は押し戴くようにして、近藤夫人の最後の贈物を受け取った。
どうですか。
ここまででも、もはやことばにできないほどの感謝の念を抱いている譲吉の姿がわかるでしょうか。
彼自身の身になりきって、自分のことのように捉え返せているでしょうか。

しかも実際には、贈物は、これで最後ではなかったのです。
彼女の遺物までもが、譲吉に贈られてきたのですから。

譲吉の立場に立って、彼がここでどのような感情を抱いているのかを考えてみてください。
論者はその心情を「複雑」だと述べていますが、そこにはどのような内容が含まれていたのでしょうか。
考えつくかぎり挙げてみてください。答えは明日の21時に公開することにしましょう。

(2につづく)

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