2011/08/29

本日の革細工の下ごしらえ:自転車フロントバッグふたたび

「あっ…!!」


よっぽどの必要ないときは大声を出さないけれども、さっきは思わず。

書きためた原稿が消えてしまった…
あーあ、貴重な睡眠時間が…やっちゃったー!

…と絶望的な気分になったけど、
ゆっくり冷蔵庫まで歩いて、
お気に入りのグラスにロックアイス、
ジンジャエール入れて飲んだら、
気持ちが落ち着いてきた。

覆水盆に返らず、諸行無常。

本文はあとで書き直すことにして、気を取りなおして革細工のお話を。

◆◆◆

休日はいくつか仕込みをしたあいまに人に会っていたのだけど、ひとつには自転車のフロントバッグを頼まれた、というのがある。

新しい革を頼んでおいたので、早くつくり始めたくてたまらないのだけど、型紙を作ったところで問題が。

左から、あたらしいバッグの型紙、前回のバッグの型紙、前回のバッグ実物。
相変わらず写真がひどくてスマンです。画質は、iPad 2で撮ったらこんなふうなんだってば。
ありゃ、これデカすぎないか?

◆◆◆

いちおう、大きさのモデルにしたのはこれ。

オーストリッチのフロントバッグ
これと同じサイズのはずだけど、お風呂の椅子(型紙に噛ませている)とほとんどおなじ大きさのものをフロントバッグに搭載して旅に出られるか?と言われると、疑問が残る。

オーナーは、フロントバッグだけで旅に出たいらしく、前に作ったものよりも大きくしてくれとのことでこうなったのだけど、後ろのキャリアとバッグなしで、前だけに大きいバッグをつけていると、見た目にも不格好だろうというところは、やはりひっかかる。

自転車全体としてのバランス感覚もそうだし、前だけに荷物を積みまくって坂道で前のめりにコケてしまわないか、ハンドル操作に支障はでないのかという走行性としても、あまり好ましくないように見えてきた。

◆◆◆

そういうわけで相談した結果、サイズについては考えなおすことに。

その反面、デザインについてはだいたい決まってきている。
モチーフは次回に言うことにするけども、デザイン案からもちょっとわかってくるかもしれない。


前回のフロントバッグ作成の経験からして、革素材を使うと、どんなに箱型にしたとしても、曲線の部分が出てくる。

今回やってみたいのは、その曲線をうまくデザインに溶かし込むということだ。


デザイン画の段階で、あるいていどどんなふうになるのかをもりこむことにすると、上のようになる。

定規で線を引くべきところまでヨレヨレの線になっているように見えるかもしれないけれど、これは前に作ったフロントバッグの実物が、こんなふうなのを見ながら書いたから。

おそらくまだまだ改善の余地はあって、製作段階のあらゆるところでスケッチは見直されてゆくから、今週あたりは革とにらめっこする日々が続きそうである。
(もちろん、事実的に目の前に革を置くという時間はないので、観念的に、ということだけども)

◆◆◆

ところで、なぜに前回の制作で、ある程度の完成形が得られたものをさっさと潰してあたらしいデザインに向かうのかと聞かれたけれども、それは、個人的に同じことをするのならつまんないということ以上に、オーナーにも積極的にものづくりに関わってもらいたいからである。

この前も言ったけれど、わたしはほとんど素材代しか取らない代わりに、オーナーにも必死に、自分の使う道具について考えて欲しいのである。

市販のものが気に入らなくてともに自作しようというのだから、市販のものを叩き台にして、どこが気に入らないのかを洗い出して整理して、質的にさらに向上させたものにできなければ、自作するそもそもの意味を問われることになろう。

わたしはもともと、「手作りだから粗があるけどそれが逆に可愛いよね」みたいな逃げ口上を用意するくらいならなんにもしないほうが良いと思っているので、必ずオリジナルを、「質的に」越えていなければ困る。まさに真剣勝負である。

そういうわけで、気軽な気持ちで頼んだ知人たちは、内心「オッソロシイ奴に頼んでもうた、どうにか手を切れないだろうか…」と思っているかもしれないけれども、いったん火がついたら止めるに止められないので、完成するまで振り回すことになっているのかもしれない。

◆◆◆

しかし、日々の前進が良くないことだという人間もおるまい。

何もしなくてもお金が入ってくるのなら働きたくない、という人がいるけれども、それは単なる食わず嫌いなだけで、おっくうなのは動き始めるときだということも少なくない。
やったらやったで面白いことがらが見つかってくるのだとしたら、そのときには、お金など入ってこなくてもこれをやりたい、働きたい、ということが、実際にはあるのである。

この共同作業が、わたしにとってだけではなくて、その依頼主にとってもそうであり、そのことをとおして道具に対する愛着をより深める作用をはたすのなら、わたしも道具も、きっと本望であろう。

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