2012/01/12

【メモ】弁証法コトワザのまとめ

前回の評論へのコメント記事で、弁証法に関することわざについて触れましたので、以前に学生への演習用に作ったファイルを公開しておきます。


PDFファイル:弁証法コトワザのまとめ(プリントして使ってください)

原典にあたるのもよいと思いますが、この本は製本が悪くて、やけにバラバラになってしまいますから、背表紙はあまり折り曲げないほうがよいでしょう。

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学習にあたっては、辞書や、辞書に載っていないものはインターネットで調べれば意味がわかりますので、それを空欄に書きこんでゆくとよいと思います。(ただしインターネットの情報は、必ず複数の情報源にあたって吟味し、鵜呑みにしないほうがよいです。)

ただそのときに、辞書的な定義を丸写しするのではまったく意味がありませんから、ことわざの意味を調べた上で、そのことわざに働いている法則を意識して、法則性を含める形で自分にわかるように書き記しておいてください。

この修練はとくに、「弁証法が使えかけているような気がするけれども、弁証法というには表面的な理解にとどまっているような気もする、ということを自覚できつつある人」にとっては有意義だと思います。

常々言っているように、弁証法は、法則をまる覚えするだけではなんの役にもたちませんから、それを実際に現実の出来事や対象に「使って」みることができなければなりませんし、さらにはその重層構造を鮮やかに整理して認識できるまでに高めてゆかねばならないものです。
一言でいえば、弁証法にはより高い次元があり、より高い精度があり、重層構造があるということです。

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ともかく弁証法は、認識における技ですから、毎日目的的に修練していない人は、「質量」転化、つまり認識の力が質的に低下していって、実力の低下が意識できる段になったときにはもはや手遅れ、といった恐ろしさがあるのです。

このこと自体も実に弁証法的ですが、大人の中には残念ながら、「世界は本当に弁証法的な性格を帯びているのか?」などと賢ぶった前提への問いかけをしたがる人もいますから、学生のみなさんが不安がらずに修練に向かえるよういちおうお答えしておきます。

「いいですか、わたしたちは、森羅万象に弁証法なるものがあるように解釈しているのではなく、また森羅万象を弁証法にぴったりくるようにコジツケているのでは決してなく、森羅万象に横たわる構造に、その名前を与えて、古代ギリシャ哲学の時代から学問に取り組む人類総体として磨き続けているというにすぎないのです。

「弁証法」という名前が気に入らなければ、"dialektikē"でも"Dialektik"でもなんでも勝手に呼べばいいのですが、それでも森羅万象になんらかの一般的な性質があることは誰しも否定しないところでしょう。そうでなければ言葉もありませんし、私も毎瞬私でなくなっていなければおかしいですからね。もしこの世界のどこにもなんらの一般性も法則性もないという信念をお持ちなら、直ちに学問の世界を去られるとよいと思います。」、と。

もしイチャモンをつけられるようなことがあったら、そう言っておくとだいたいは黙ってくれるでしょう。ただ、わたしの口の悪いところは真似しなくてもけっこうですので、その部分は適当に皮肉にくるんでおくとよいでしょう。

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ともかく賢明な学生のみなさんは、場をかき乱すのが賢い人間の勲章だと思っているような暇人の妄言には耳を貸さず、コツコツと自分の道を歩んで立派な人間になってもらいたいところです。少女も少年も老い易く、ですからね。

そのためにはというわけで、脅すわけではありませんが、学生のみなさんは、20代のうちにできるだけ高い精度の弁証法を身につけるべく修練してほしいと強く願います。

それ以降は、そこで培った能力で歩みをすすめることになりますから。
30代に入ると、自分の認識のあり方、つまり人生のあり方そのものを変えることはとても難しくなります。
みなさんもその年令になると、悲しい実例をたくさん見ることになりますが、自分だけはそこに入るまい、との志をしっかりと持ってください。
重ね重ね、お願いしておきます。

専攻する分野の一流の本のなかに弁証法を見つけ、欄外に書き込みながら読むこと、その日に見つけた弁証法を日記につけることとあわせて取り組んでください。

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