2011/02/15

文学考察: 自作を語るー太宰治

文学考察: 自作を語るー太宰治


◆ノブくんの評論
 この作品で、著者は自身の作品について語ることに対する、ある違和感を述べています。その彼の主張はこうです。自分は作品の中で自身の主張を分かりやすく書いているつもりであり、それが分からなければそれまでである、というのです。では、この主張から、一体作家としての彼のどういった姿勢が現れているのでしょうか。
彼はこの作品の中で、〈作品と作家との関係性〉について述べています。
まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。

◆わたしのコメント

 論旨が不明確です。
 同じ内容をなんどもくり返し述べているに過ぎないようですが、これではなんらの論証にもならないのは当然です。それどころか、日本語の文章としても未成立です。常々言っているように、意味のない文字列を発表することだけは、断じて許せません。もっとも、本来ならば第三者の判断ではなくて、自らの自制心でもって、発表するに価しない作品だけは読者にお見せすることはできない、と発表を控えるのが当然というものですが…。ことばを仕事にする者としての自覚はあるのでしょうか?厳に謹まねばなりません。

◆◆◆

 論者の論証部分の全文はこうです。

1. まず、著者は自身と作品の関係について「私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」と考えています。
2. つまり彼は何らかの主張があるために、作品を創作しているのであり、それ以外の事で作品を扱うことに対して嫌悪感を抱いています。
3. そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということはまさにこの嫌悪感の象徴との言えるのです。
4. つまり、自身の作品について「いや、これは面白い作品のはずだ」と、自身を肯定する目的で作品を扱うことを嫌っています。
5. 彼にとって自作を語るとは、まさにこのように映っているのです。


 整理すると、

1. 筆者は、「作中で自らの主張はすべて述べているので、他に言いたいことはない」と考えている。
2. 筆者は、何らかの主張を作品で述べているから、それ以外の発言には嫌悪感がある。
3. つまり、作品の感想を述べることも、嫌悪感として感じられるわけである。
4. つまり、自分の作品を肯定することも、嫌悪感として感じられる。
5. (前文までとのつながりが不明瞭。「このように」とはどのように?)

◆◆◆

 すべてを要しても、やはり「作中で自らの主張はすべて述べているので、他に言いたいことはない」という命題しか読み取れません。あえて言えば、「言わずともよいことを言うのは嫌悪感がある」という主張が含まれてはいますが、上の命題からすれば言うまでもないほど当然、というべきではないでしょうか。
 ということは、論者は、この作品から、なんらの新しい知見も汲み取れてはいない、ということです。


 この作品を理解する上でしなければならないことは、筆者が結論として、「私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」という思想を持つに至った経緯です。その過程に含まれている考えをまともに読み取る努力をしていないから、理解が上滑りで終わってしまうのです。

◆◆◆

 ではどう理解してゆけばいいでしょうか。

(※まずは作品を読み返して理解を改めたのち、以下を読み進めてください)

◆◆◆

 筆者が、「作品こそが、私の言いたいことの全てである」と結論づけることは、彼のこのような決意表明によって裏付けられています。

 「自作を説明するという事は、既に作者の敗北であると思っている」

 これはなにも、読者にわかってもらえなくてもよいと言っているのではなくて、むしろ読者にわかってもらえないということも自分の責任であると受け止めるほどでなければ、作家とは呼べない、と言っているのです。

 自分は、その時の自分の全力でもって「ずいぶん皆にわかってもらいたくて出来るだけ、ていねいに書いた筈」なのだから、それでわかってもらえなかったということは、ひとえに自分の力量が足りなかったためである、と言っているわけです。
 ここでは二重の意味が含まれており、ひとつに、表現力が乏しかったこと、ふたつには、筆者が想定している読者像が違ったものであったということ、です。そのどちらをも、作家としては当然に把握しておくべきだ、ということです。

 続けて筆者が「苦心談でもって人を圧倒して迄、お義理の喝采を得ようとは思わない」と言っているのは、自分の作品への評価は、その作品に相応しいもので十分なのであって、こんなところに工夫を凝らしましたがおわかりになったでしょうか、と読者に阿諛追従をしてまで点数稼ぎをすることは、むしろ作家としての恥である、と述べているわけです。言うまでもなく、彼は、読者と対等の立場を望んでいるのです。わかっていますか。

 ここまで読めていれば、この作品では、筆者の<作家としての矜持>が語られている、などと一般性を引き出してくれば良いことになります。
 論者は、文学者志望にもかかわらず、こういった、文学者として誇りを持って生きようとする姿を描いた作品をまるで読み取れていないし、また読み取る気もないように察せられることが、これ以上なく心配です。どこに問題があったのかを自分で分析し、A4一枚でレポートにまとめてください。


【誤】
・そして彼にとって、自分の作品の作品について感想を書くということは

1 件のコメント:

  1. この作品って、、、
    いつ、どのに発表したものなんですか?
    初めて読みました。
    ありがとうございます。

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