これ、なんでしょう?
左が完成品、右の棒と革が素材です。
なにかをするためのものです。
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ヒント:
これまではスティック糊の容器や、
傘の柄でやっていたことを、これでやります。
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わたしがある道場に入ったときに、その道40年の大先輩から言われたことがあった。
「お前、これから雨の日は、傘を全力で握れ。」
わたしはこれを聞いたとき、とても感動して、
これはある種の極意をいただいたのだと、それはそれは忠実に守ってきたものである。
なるほど、
その道を目指すというのは、
行住坐臥、自分がその道を目指す者であるということを
常に意識しながら生きねばならないのだ。
これはたいへんに良い教訓をいただいた、目を覚まされた、
この方に入門すぐに出会えてよかった、
武道に限らず我が道についても極意であると、心からそう思ったのである。
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しかし、ほんとうに学ぶ者というのは、「人の背中を見て学ぶ」人間であるとも言う。
誰かから教わることを、
口をあんぐり開けて待ち構えるのではなくして、
誰も何も言ってくれなくても、その人の姿勢を通して、技を学ぶ。
その人の振る舞いを通して、生き方を学ぶ。
ボーイスカウトに参加する子どもは、
ロープを1本手渡されたら、
枯れ木を拾って友達のロープと合わせ、ブランコをつくるものである。
囚人は、壁の染みに神をみつけるものである。
では、お前は何をするのだ?
そうすると、こんなにありがたいアドバイスをいただけたのなら、
このやり方をもっと進めたり、このやり方がどういう構造を持っているかを調べたり、
刀を振り回すことが日常だった昔の侍と同じだけの修練を現代社会でどう再現すれば力劣らずにすむかというところまで、突っ込んで考えてゆかねばならない。
そうすることが、先達から受け継いだ道を守る、ということにもなるわけである。
◆◆◆
さてそれでは、雨の日は傘を全力で握ればよい。
横断歩道で信号待ちをしているときは、脚を全力で踏ん張ればよい。
しかし、晴れの日はどうすれば良いか?
その答えが、これである。
本来なら、木刀を担いで毎日過ごせれば良いのだけれど、
現代社会というのは自由自由と言いながら、
なかなかどうして、生きづらいものです。
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